バレンタインデーがわが国で
これほど盛り上がったいきさつをしらない。
カカオから作ったわけでもないのに、「手作りチョコ」を作り、
義理チョコ、はたまた女子同志に送り合う、何とかチョコ。
毎年、すこしずつ姿を変形させながらエンエンと
つづいている行事である。
ま、義理でももらえればうれしいにきまっている。
しかし、この風習はどこから来たのか。
じつは、まだ、これといった研究はされていない。
ここは、ひとつ、民俗学にがんばってもらうしかないだろう。
歴史の生成された瞬間にもどることを「零度」という。
ロラン・バルトの術語である。
「零度」には、その歴史が背負わされたもろもろのもの、
バイアスのかかってしまった瑕、そんなものがない。
なぜ、それが発生したか、その原点が「零度」である。
では、日本におけるバレンタインデーの零度はどのへんか。
アバウトでいうなら、1970年の後半あたりらしい。
前述したとおり、はっきりわかっていないのだが。
高度経済成長の終焉とチョコレートの隆盛と、
どうも因果関係があるらしいのだが、それもまだわからない。
とにかく、わが民族は、他国の文化を
よくもまあ、自己流に変えてしまうものだと、つくづく感心する。
そして、もっとも崇高なことは、そういう変脱を、
恥ずかしいとか、はしたないとか、微塵もおもわないところである。
ぎゃくに、手作り? うっそ~、カカオから作ったかよ、
なんてやつは、そのコミュニティから葬り去られる。
と、言いつつ、わたしも娘や、その娘の母から、
毎年、それなりのチョコをいただいていて、
うーん、またか、とおもいながらも、
すこしはうれしくおもうという、なんともちぐはぐなおもいで、
2月14日を過ごしているわけだ。
とにもかくにも、この国に住んでいるいじょう、
日々、どこかにちくはぐさを感じなければならない気がするが。
今朝、バイトにいつもどおりユーコが来た。
手を洗いながら、彼女がはっと気づいたように言う。
「あ、きょうバレンタインデーだ」
「ん。そうだよ」
「あ、どうしよ。なんにも用意してないや。うん、
でも、いいか、だれにも会わないし」
「・・・」
おれは?