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最後は淀川長治で

これは、江戸時代の記録です。


だから、気象庁もそれを認識していないかもしれません。


 江戸時代。

 300年つづいた、のんびりとした時代。


 家康は火薬の不要説をとなえ、すべての火薬を
廃棄させました。火薬の含有量は、戦国時代、
世界一位であったのですが。


 で、その火薬は、すべて瓦に練りこんで
瓦にしました。いまだに、石川県などに残る瓦は、
黒い色をしています。あれは、火薬が混ざっているからです。


 江戸時代は、不便、ということに重きをおきました。
橋は造らないし、馬車も作らない。


 橋をつくる技術は、日本橋をみれば一目瞭然。

 この不便さが、地方の活性化を撤退させ、
みごと、300年間でGDP1%という、すこぶるひくい水準を
達成しました。

 だから、1650年に生まれたひとも、1750年に生まれたひとも、
そのロケーションに変化はなかったとおもわれます。

 この伸び率、すごいよね。


 が、しかし、ペリーというひとが浦賀にやってきて、
ここでもんだいが複雑になります。


江戸時代という「苦労知らずのお坊ちゃん」が、
亜米利加という国と付き合うことを強いられている。


 開国論と尊皇攘夷論との二項対立といってもいいいわけです。

 日本は、しかたなく開国します。

 が、そのとき、いやがうえでも、つきあいたくない外人と付き合う、
という自分。これを外的自己といいます。

 その、ソリューションを否定し、じぶんはじふんだっていう、
妄想的な美的な自己、これを内的自己といいますが、
そのふたつの心情を、もちあわせながら、
亜米利加さんとつきあうことになったのです。


 これが、いわゆる「本音と建前」の発生となりました。

 そして、このいやでも付き合う「外的自己」と、
じぶんはちがうじぶんがいるという「内的自己」との
言ってみれば、精神分裂症を病むということを、
政府も個人もしたために、植民地化されなかったというメリットがありますが、
それゆえ、救いがたい傷痕を、個人も政府も受けてしまったという
歴史的な事実があるわけです。


 これは、岸田秀というひとの「唯幻論」にくわしいのですが、
そんなことより、じつは、江戸時代の記録に
地震の記事があるらしいのです。

 その記録をわたしは、実地で見てませんので、
ここからはあやしい話です。


 その記録によれば、まず、東北で大きな地震があって、
津波がきたそうです。でも、温暖化による海面上昇もないので、
今みたいな被害はなかったそうです。

 その次の地震は九州です。

 かなりの被害があったようです。

 そして、そのつぎは、広島。

 広島に大きな地震がおきたと記録は語っています。


 ちなみに、いま、四国沖で、プレートに大きなひずみがある、
という発表もありましたね。

 東京大学の地震研究所は、莫大な予算を与えられて、
なおかつ、いちども地震予知をしたことがない、という、
「おまえ、なんのためにあるのかよ」っていう場所もありますが、
それは、それとして。


 で、広島で地震が起きたら、お待ちどうさま、
それこそ関東に来るんです。

 それが江戸時代の記録に残っているんです。


 いわゆる南海トラフという、あれですね。

 南海トラフのプレートは、チリのプレートと類比的で、
いつ、それが滑り出すかわからないらしいです。


 いや、こわいですね。


 おそろしいですね。

 では、みなさん。サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ