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わたしの好きな歌

貴殿の好きな歌三首を挙げればいかなるなものか、

なんていう発問があれば、

三首というのはひどく難問であるが、

わたしなら、まずは、北原白秋の歌。

 

・君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 

これである。馬場あき子さんも、

歌会のさいしょにこの歌を朗詠なさってからはじめる、

ということをどこかの本で拝読したことがある。

「さくさく」と「林檎」との微妙な均衡、

「雪」と「林檎」の色合いと「香のこどく」という絶妙の比喩。

おまけに「舗石」に下接するところの助詞の省略。

(いったいどんな助詞を介せばいいか不明である)

すべての語句どうしが緊張しながら配列され、

間然するところがない。つぎがこれ。

 

・春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空

 

「新古今集」巻一、春、かの藤原定家の代表的な歌である。

甘美である。こういう歌を見て、

ああ、やっぱり歌っていいものだな、

とつくづく感心してしまう。

 

 じっさいに、「春の夜の夢」というところに、

すでに「恋」のおもかげが含まれているだろうが、

そこに「夢の浮橋」という源氏物語の最終章の巻名があることにより、

王朝ロマンたる源氏の世界があざやかに

よみがえる仕掛けとなっている。

おそらく定家は、恋の夢を春の夜の中に見ていたのだろう。

が、その夢が刹那に途絶える。ふっとなにかにより、

目覚めてしまったのだ。甘くせつない恋のものがたりが、

いっしゅんにして途切れてしまったのだ。

と、外を見れば、はるか向こうの峰には、

横にのびたひとひらの雲が、

みぎとひだりに別れてたなびいているのである。

この風情は、おそらくは、定家の心象風景であるか、

あるいは、夢の残像であるか、であろう。

 

 こういう、ある意味、難解ではあるが、

優艶なうつくしさをかもしだす歌風は

新古今の時代を待たねばありえなかった。

定家は、父、俊成からスパルタの教育を受け、

歌を詠まされてきた。だから、

定家の描かれている絵が現存しているが、

そこには、いつもすみっこにうつろに

下をむいている姿が多い。その姿は、 

いまなら、ひきこもりと診断されても

おかしくないほどだ。閉鎖的であったのだ。

 

この歌も、俊成から指南された急所を

ことごとくを作品化したもの、

とみるのが正しいのだろう。

じっさいの景色よりも、ある雰囲気を詠む、

あるいは、ある文学作品を下敷きにして詠む、

定家の歌というのは、そういうものなのだ。

じっさいにあったものをじっさいのように詠むのがよい、

と教えている教室もあるが、

こういう定家のような歌作りもあってよい、

とわたしはおもう。そして、こういう歌を、

文学史では、有心体とよんだり、幽玄美とよんだりしているのだ。

 

 ところで、三首と言ったが、あとの一首は?

 

それは、じぶんのこれから作る歌にきっとある、

とおもうことにしている。