もうずいぶん昔の話になるが
わたしはある非常勤講師として勤めた時期があった。
そのとき、勤めだした職場の机一列は、
新卒か、または社会人二年目か、
おまけに、くしくも全員が女性なのだ。
そう、十人全員が女性教員、それもわたしの娘と同い年。
で、そいつらときたら、
わたしのことを「おやじ」と呼ぶ。
ひどいときには、「なんだこの」がつく。
つまり「なんだこのおやじ」だ。ま、平時は
「さん」づけである。ざんねんながら、
いちども彼女たちから「先生」と呼ばれたためしがない。
すぐとなりの子、F先生と、
お向かいのO先生はいっしょの国語科、
新卒だから現場で使えるアイテムがほとんどないので、
わたしが、なにかと教えている。
「和歌をおしえるときはなにに注意するんですか」
だから、わたしは、ひどく親切にわたしのもつ
知識を披露する。
「一人称文芸であるから、
主語の明示がなければ、『私』を挿入してみること。
道具立ては和歌のいのち、
その道具のメタファをつかむことが、
まず、第一かな。下の句にテーマが
あるなんてのもあたりまえよ」
と、FとOは、きょとんとしている。
「メタファってなんですか。
カタカナ使うのやめてください」
ひとにもの聞いて、そんな態度はないだろ、
とおもうが、こんどは「メタファ」の
説明をしなくてはならない。
先週の日曜日、東京都の教員採用試験があった。
もちろんこのFとOは受験してきた。
非常勤講師はトランジットな身の上だから、
毎年、試験を受けるものなのだ。
「これ受けてきました」
採用試験問題。みると更科日記である。
有名な子忍びの森のくだり。
・とどめをきてわがごと物や思ひけむ見るに悲しき子忍びの森
父の菅原孝標は作者を京にのこして
常陸の介として赴任、その地にある「子忍びの森」を見て、
わが子をおもう。なんかジャストミートみたいな歌だが、
歌じたいは、そんなにうまくない。
「見るに悲しき」と言ってしまったのが、すでにNG。
・子忍びを聞くにつけてもとどめおきしちちぶの山のつらきあづま路
これが作者の返歌。「ちちぶ」が「父」と「秩父」と
掛詞になっている。技巧的なぶん、娘に軍配か。
こんなんだから、孝標は出世しなかったんだろうな。
文章博士にもなれなくて。道真の五世孫なのに。
わたしが、そんなことをおもいつつ、
F子の問題を五分くらいで解いて
正解の番号にチェックしてあげた。
古典の問題は、知悉の文なら、
じぶんの部屋から必要な書籍を
探すくらいの手軽さで解答がつくのだ。
「はい、これ正解」彼女は、
一問しかあっていなかった。