ことばは時代とともに変化する。
「すごい」なんていまじゃ、単なる副詞になってしまった。
「ものすごい顔」などと言えば、
見るに堪えない形相のはずだったが、
いまはそんなふうにつかわない。
「映画どうだった」
「うん、普通におもしろかったよ」
という。
なんだよ、この「普通に」って。
可もなく不可もなくでもなく、
「一般的に」っていう意味でもない。
あるひとがいうには、「普通」の概念が
ひとによってちがうので、評価にたいする「逃げ」
なのではないかということだった。
そうかもしれない。
「普通におもしろかったよ」
さて、この普通はなんなのか。
やはり、どこかに「一般的に」という意味が
残留しているのではないだろうか、
つまり、じぶんの評価もふくめ、
みんな、まあ、おおよそはよかったようだよ、
そんな含意がある気がする。
ようするに「普通に」という評価は
みずからを大衆のなかにおしこめて、
だいたいのひとなら、そうおもうだろう、
という、よく言えば客観性をもたせた
ことばなのではないだろうか。
それは、個人的感情を露骨にあらわすことへの
ささやかな劣等感かもしれないし、
じぶんの感情・感性を他人に
わからせたくないという
かるい自己防衛手段のようにもみえる。
じぶんだけの個人的な感情、感性、嗜好を
かんたんに表明したくない
無意識的反応が「普通に」に込められているのかも
しれない。
娘がまだ高校生だったころ、
彼女が沖縄旅行から帰ってきて
夕飯を食べていたので
わたしは「どうだった、旅行は」と訊いたら、
娘は「普通におもしろかったよ」と答える。
わたしはそこでこう訊いた。
「普通っていう意味はめんどくさくって
話したくないって意味だろ?」
と、娘は言下にこう答えた。
「そうだよ」