ある女子高生が吟詠部に入部したいという。
高校二年生の春のことである。
すこし心の弱い子らしく、うまく
ひととも話せなく、対人恐怖症の面もあった。
中学はバドミントン部だったが、
なぜかとちゅうで辞めた。
高校一年生から、またバドミントン部に
入部して、母親からは「また、途中でやるんだから」と
あきらめムード。
母はそんな娘の性格をよく知っていた。
が、その子はみずから吟詠部、それも一刀の流派である
その高校の吟詠部にはいりたいという。
で、顧問の年来のわたしの友人であるH先生に
相談に行ったので、彼女は
バドンミントン部の顧問にかけあって、
こういう生徒がいるのだけれど、
バドミントン部と掛け持ちでできないだろうか、
と話を持ち出したら、バドミントン部の顧問は
快諾してくれた。
だから、入部希望の彼女にH女史は「じぶんで言いにいきなさい」と
背中を押した。
いちどは職員室に行ったものの、
彼女はしりごみ。けっきょく二度目の職員室で
ようやく切り出すことができて、
彼女は吟詠部の参加が認めらる。
で、彼女は卒業まで吟詠部とバドミントン部をやり遂げ、
ことしもOBとして合宿にも参加し、
後輩の指導に当たっているという。
いままで、ひとと話すのも苦手だった子が
指導者になっていて、彼女の母親も
ひどくH女史に感謝しているという。
ひとは指導者によってかわるものである。
H女史は、そうやって、心の弱かった子も
社会に対応できる一人前のひとに育て上げたのである。
話を聞くと、そういう生徒を
たくさんH女史は育てたという。
わたしは、この話を聞いて
これこそが教師の鏡ではないかとおもって
「あなた、それは地中からトリュフを採るひと
みたいで、すばらしいじゃないの」と称賛した。
「そんな運命なんですよ」と彼女。
隠れたひとの特性を導き出す、まるで伯楽そのものである。
そのとき伯楽という語がでなくて
トリュフにしてしまったのはまずかったかもしれない。
なぜなら、トリュフを見つけるのはフランスの
黒豚だからである。