・たんぽぽは摘みて揃えて手に持ちて
達也の魂は蒲公英になる
ある方から、この歌、どうですか、というlineがきたので、
どんな意味ですか、と問い合わせた。
三歳の息子がバスを待っている。
無数の蒲公英がはえていて、それを
小さな手で輪っかをつくり、手の中に
きれいに蒲公英を摘んでいた、そのかわいらしさに
作った歌です、との答え。
わかりますか、と言うので、
まったくわからないと答えるしかなかった。
「て」が多すぎない? と言うと、
「わざとそうしたのですが、変ですか」
わたしは「はい」と答えざるをなかった。
言いたいこと、というときに
短歌の場合、できるかぎりひとつの景色に
集中したほうがいい。ピンポイントである。
あれも、これも伝えたい、となれば、
ちょうどブロードウェイの映画のでかい
看板のようなイメージになってしまう。
なにがあるかはぼんやりわかるが
その裏側の部分、趣きといってもいい、
その領域がまったく見えてこないのだ。
どう切り取るか、である。
だから、その話を聞いて、こんな歌にしてみた。
・たんぽぽの群がる野原に子はしゃがみ
たんぽぽつまむひだまりになる
・三歳はなにを思うかタンポポを
一本いっぽんつむぎはじめる
「ひだまりになる」という言い方は
ひょっとするとだれも使っていないのではないか。
わからないけど。
ま、作者の言いたいこととはかけ離れるかもしれないが、
たいした推敲でもないけれども、すくなくとも
短歌らしくはなったのではないか、とおもう。
短歌にリリカルさが欠けてはならないのだ。
(短歌作品はすべて一行書きだが、画面上、二行書きに
してあります)