私立学校というところは、
ワンマン経営もおおく、創設者が
理事長であり、その息子が校長で
その孫が事務局長なんてところも
ままあるわけだ。
そうすると、利害はすべてその一家が
吸収することになる。
そして、事務局長となると
お金の使い道は事務局長のおもいのままになる。
その不正をあばこうとすると、
おそらく、そのニンゲンは葬り去れるだろう。
ある教員が「有給休暇を使いたいのですが」と
事務に頼みにいったら、「いままで、有給をつかった
ひとはだれもいないので、理事長に相談にいきます」と
言って、その後、たぶん許可が下りなかったはずだ。
学校全体の電気工事があって、
たしか45年前のことだから
その当時の見積もりが360万円くらいだったかとおもう、
が、事務局長のワイロが表ざたになり、
一年間の謹慎があって、その間に
さいど見積もりを頼んだら180万円だった。
事務員のひとりの男性がその理由をきくと、
事務局長さんから上乗せで見積をだし、
その余剰金はじぶんの懐にいれるよう
指示があったそうだ。
大きな学校だったから、
業者の食堂がはいっていて、
その食堂の社長に毎年2回、ゴルフ接待を
事務局長はせびっていたそうだ。
一泊二日のゴルフ接待である。
で、当日、社長が事務局長宅にいくと、
かれは手ぶらで待っている。
だから、その足で、まず新品のゴルフセット一式を
社長が購入し、そこからゴルフ場にむかう。
で、2日間ゴルフを満喫したあと、
そのセットは、ニキゴルフのようなところに
売りに行くのだそうだ。
学校専属の地元の本屋は、生徒2000人、すべての
教科書を販売を任されていたが、毎年、100万円の
「袖の下」を要求されたらしい。
私立学校というところは、そういうところなのである。
ただ、わたしが務めていた高校がそうであって、
すべての学校がそうであるかはわからない。
校長にあたらしい提案をすると、
「いままで、こうやってきてましたから」と
すべてのアイデアは封印された。
その校長がある雑誌に投稿した巻頭言に、
ガソリンスタンドから車をだしたとき、
スタンドの店員が大通りに飛び出し、来る
車を停止させ、スタンドからじぶんの車を
誘導してくれた、その時のスタンドの店員の
最敬礼のお辞儀をほめたたえていたのだ。
めずらしく人をほめた文章だったが、
じつは道路交通法によれば、ガソリンスタンドの
店員に天下の大道を停める権利は一ミリもなく、
お大通りを走る車を強制的に停めるのではなく、
ガソリンスタンドから出る顧客の車を停めるのが
ただしいことなのに、校長はすっかり
勘違いをしていたのである。
すばらしい教育者である。
その校長は、毎年、学校が発行する雑誌の
巻頭をかざる寄稿文をよせていた。
「文学碑をたずねて」という毎年の連載である。
ことしは、山形のなになにを見た、ことしは
広島のどこそこにあった文学碑だ、と
エンエンその寄稿はつづいたのだが、
わたしは、はたと気づいてしまった。
たしかにアカデミックな内容にも
見えるが、じつは、校長の文章には
ひとつたりとも形容詞がないことに。
つまり、「すばらしい」も「うれしい」も
「かわいい」も「厳めしい」もないのだ。
もちろん、形容動詞も見当たらない。
「立派だ」も「荘厳だ」もない。
まちがってほめることはあっても
ほんとうにほめるときはほめないのである。
ようするに感情表現が皆無、あるいは
歪んでいたのだったというほかない。
理事長は校長の父で、創始者だから
厳格な父だったのだろう、その子どもは
おそらく、感情というけなげな心を育む
空間と時間がなかったのだろうと推察するのだ。
そういう学校は、けっきょく心のない教育になるおそれがあり、
2000人を誇っていたマンモス校もいまや1000人を
切るような情勢だという。
現在は、理事長も校長も他界し、
ワイロ大好きな事務局長が理事長になり、
校長は教員が出世して、傀儡政権として運営し、
事務局長の息子が理事長の座についている。
創始者からかぞえて4代目ということになる。
おわっている。