さいきん、鼻濁音がうまく言えなくなっている。
ようするに、「が」の発音がうまくやれない。
音楽の授業では、ひびきがきれいになるために、
時間をさいて鼻濁音を教えているらしいが、
ふだん、学校の授業ではやらなくなった。
なんでだろう。鼻濁音は、鼻にいちど音をためるように
発音するので、n音が「が」の前にはいるような感じ。
「んが」という気持ちでやるとよい。
はなしがそれるが、学校、
とくに初頭教育では、日本文化継承に急所の部分、
たとえば、箸の使い方とか、
えんぴつの持ち方とか、それから、
この鼻濁音の発音のしかた、
こんなものをとんと忘れて、やれ、シャープペンは使わずに鉛筆を使えとか、
三角食べとか、形而下の事情ばかりにこだわっている。
やっぱり小学校の先生がちゃんと教えてほしい、
とおもうのだ。
そもそも、日本語は、舌の負担を
軽くするように進化してきたから、
この鼻濁音が消滅してゆくのもしかたのない
流れなのかもしれない。たとえば、四段活用動詞は、
読まない、読みます、でゆくと、「ま・み・む・む・め・め」」と
語尾が変化するのだが、さいごの「読め」の「め・め」
つまり已然形と命令形のところは、
発音がちがっていたらしい。已然形の「め」は「メ」と
発音するのだが、命令形の「め」は「ンメ」とちょっと
鼻にこもらした。この両者を甲類、乙類と、焼酎のように
区別してよんでいる。
すくなくとも、甲類、乙類の発音は
奈良時代まではしっかりあったそうだ。
こんな研究をされたのが、
「上代特殊仮名遣い」の橋本進吉博士。
われわれの学んでいる体系文法のうみの親である。
が、しだいに、そんな発音もめんどうだから、と消滅したのである。
じつは、若い子たちは「ありがとうございました」が
言えていない。とくに、感謝の念をはずんで言うときは
それがはっきりわかる。
何と言っているか、それがこうである。
「ありとうざいました」
鼻濁音の「が」と「ご」が抜けるのである。