いかなるものを八百長とよぶのか。
大きなる八百長劇とはどんなものか、
考察してみよう。
今場所の相撲は、ことごとく外国人力士が勝っている。
「気がつけば行司ばかりが日本人」なんて
川柳までうまれる始末。ま、相撲協会は、なんであれ、
人気力士がでればめでたしめでたしだから、
モンゴル人が全勝しても、ロシア人が大関を
抛り投げても、よし、なのである。
貴の花、若の花が引退してからというもの、
朝青龍の台頭までいささか長い年月を要した。
すべてが、いかさま、の世界なのだが、
役者がそろわなければ、八百長も成り立たなかったのである。
八百長とは、もともとは、
八百屋の長兵衛さん、通称、八百長が相撲の年寄りと
しょっちゅう碁を打っていたのだが、
勝てる力があるにもかかわらず、
いつも一勝一敗にしていた、というところから生まれた語らしいが、
こと相撲を八百長と呼ぶのは野暮なのである。
七勝七敗の力士が千秋楽でことごとく勝つのは、
横綱を頂点とした、相撲社会の八百長以外の
なにものでもない、なんて、コウカク泡をとばして論じるのは、
ミッキーマウスの中には人間が入っている、
という事情を街頭で演説するくらい、野暮なのだ。
ちなみに、ミッキーマウスの中のひとは浦安に住んでいるらしいが。
ところで、貴の花、若の花の父親、初代貴の花は、
初代若の花とは年の離れた兄弟であるとされているが、
じつは、遊び人の若の花が花街の芸者に
生ませた子であることを知る人は少ない。
あんまり若くにできてしまった子供だから、
兄弟ということにした。そんなことを知らずに
結婚話を進めていた宮沢りえが、
目の当たりに相撲界のスキャンダルに触れ、
結婚を断念したと言われている。
八百長なんて話はどこにもあるから、
プライドやK-1なんかもことごとくそうなのだが、
高校生くらいだと、まだ純朴なのか、
わたしの話を信じない。わたしの話を信じないのは、
こちらにもいささかの因があるかもしれないが、
世の中をきれいに見ようとする心的作用が
働いているせいだろう。だいいち、プライドやK-1で、
死人が出たためしがない。あんなにガタイのいい連中同士が
おもいきりぶん投げあったり、叩いたりしたら、
牛でもひっくりかえりそうなのに、
次の試合でまたぴんぴんとしてリングに
あがっているではないか。
それに、日本人が優勝するなんてことがあるわけない。
きっと、選手は、午前中にちゃんと集まって、
今日の夕方の試合をどう演技するか、
リハーサルに余念がないに違いない。
こういう事情を世の中では、どろどろした話と呼ぶ。
水清くは魚住まず、とはいうものの、
このどろどろがさいきんは多くていけない。
道路公団の豪華な保養所とか住宅とか、
赤字続きでかつ、その補填先がわれわれの
通行料金だとおもうと、腹が立つ。
ありがとうございます。どうりでさいきん料金を
払うときのもぎりのおじさんの愛想のいいこと。
ありゃ、よっぽどじぶんでやましいとおもっているんだね。
金を積めば比例選挙の名簿の上にランクされるという仕組み。
政治の力量とか指導力とか、ひいては正義感とかは
まったくおかまいなし。金と党員をどれだけ集められるか、
が問題とされる。だから、宮田輝は、参議院でトップ当選していながら、
それから数年後の比例選挙制度導入とともに、
資金不足で蹴落とされてしまった。
ふるさとの歌祭りの司会者も、
晩年はひどく自民党を怨んでいたそうだ。