大リーガーでイチロウが活躍していたころ、
安打数で世界記録を打ち立てるその直前の
インタビューで「わたしは記録を打ち立てて
快楽をあじわいたい」と言っていたのが印象的でした。
「快楽」という概念は、みずからの内側から湧き出る感覚です。
ということは「快楽」というものを持ち合わせていない
ひともいるということです。
なぜなら積極性が内在化していなければ「快楽」はないからです。
いまのひとは、とくに若い世代は、
文化的にすべてがそろっていますからべつに
好奇心をせっせと作動させなくても
何不自由なく生活できます。
狭いテリトリーのなかのコクーンで暮らしても、
なんの不満もありません。
その素敵な檻のなかでもっとも利得を得ようとする、
いわゆる「コスパ」世代がうまれたといってもよいとおもいます。
ですから、みずから「快楽」を見つけ出さなくても、
厖大な情報を入手することで済んでいるわけですね。
外部入力だけでよいのです。
その点、「欲望」というものはだれしも
もっているものです。なぜなら「欲望」は「模倣」だからです。
「三輪車が欲しいの」と娘が言います。
「なんで欲しいの」と親が訊くと
「だって、となりの美代ちゃんが持っているから」
と答えます。だれかが所有していたり、
何か楽しいことをしていたりすると、
それが欲しくなったり、
それをしたくなったりします。
これが「欲望」です。
ですから、娘が三輪車を手にすると、
また、なにかが欲しくなります。
欲望はじつは無限に沸き起こるかもしれないのです。
模倣は外部入力そのものですから。