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近代合理主義 その6 最終

 そして、十九世紀にセーレン・キェルケゴール

というひとが現れ、ヘーゲル哲学を批判するなど、

ひとつの転機をむかえます。

キェルケゴールは大家族の末っ子としてうまれ、

父親は、かれが子どものころから教会に通わせ、

敬虔なるクリスチャンになります。

そして、まるでじぶんが神の申し子のような

発想で世の中を見るのです。

もし、じぶんが神の子であるなら、

天から世の中を俯瞰することができます。

たしかに、キェルケゴールはそのように世の中を見ます。

超高層ビルから下界を見下ろす経験が

あるならわかることですが、

五階建てのビルも街ゆく人も車も、

ほぼおんなじ高さに見えますね。

たいして高低差を気にせずに見られます。

キェルケゴールは、そんなふうに上空から世の中を見て、

そして、みんなヘタレじゃないかって

おもうようになるのです。

だめなやつらばかりじゃないかと。

それを「水平化」と呼んでいます。

みんな平らに見えたんですよ。

もともと、キェルケゴールの視点は「死」です。

ニンゲンの死亡率は百%ですからあたりまえですが、

「死」から逆算して世の中を見ます。

『死に至る病』という絶望が中心にあるわけです。

キェルケゴールはみずからの主体的判断で

世の中を睥睨しましたが、

その主体的判断でものごとを考量することを

実存主義といいます。

キェルケゴールは、その実存主義の入口のひとだったわけです。