そして、十九世紀にセーレン・キェルケゴール
というひとが現れ、ヘーゲル哲学を批判するなど、
ひとつの転機をむかえます。
キェルケゴールは大家族の末っ子としてうまれ、
父親は、かれが子どものころから教会に通わせ、
敬虔なるクリスチャンになります。
そして、まるでじぶんが神の申し子のような
発想で世の中を見るのです。
もし、じぶんが神の子であるなら、
天から世の中を俯瞰することができます。
たしかに、キェルケゴールはそのように世の中を見ます。
超高層ビルから下界を見下ろす経験が
あるならわかることですが、
五階建てのビルも街ゆく人も車も、
ほぼおんなじ高さに見えますね。
たいして高低差を気にせずに見られます。
キェルケゴールは、そんなふうに上空から世の中を見て、
そして、みんなヘタレじゃないかって
おもうようになるのです。
だめなやつらばかりじゃないかと。
それを「水平化」と呼んでいます。
みんな平らに見えたんですよ。
もともと、キェルケゴールの視点は「死」です。
ニンゲンの死亡率は百%ですからあたりまえですが、
「死」から逆算して世の中を見ます。
『死に至る病』という絶望が中心にあるわけです。
キェルケゴールはみずからの主体的判断で
世の中を睥睨しましたが、
その主体的判断でものごとを考量することを
実存主義といいます。
キェルケゴールは、その実存主義の入口のひとだったわけです。