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呆け

『雪山賛歌』という歌がある。

さいきんはあんまり歌われていない。

「娘さん、よく聞けよ。山男には惚れるなよ。

山でふられりゃよ、若後家さんだよ」

 

こう書いてみるとわかるが、

句末はみんな「よ」で終わっていてじつにめざわりだが、

ともかく、これほど楽天的な遭難の歌はないわけで、

だから、いまの時代には合わないかもしれない。

歌わないとおのず忘れるもので、

この歌をひさしぶりに歌ってみると、あんがい歌えないひとが多いのだ。

「山男、よく聞けよ。娘さんに惚れるなよ・・」

あれ、惚れたらどうなるんだっけ、

若後家? ちがうなあ、おかしいなあ。

歌の続きがわからないぞ。こういう精神状態をボケという。

さいしょを「山男」ではじめてしまったからの災難である。

もっとボケが進行すると、

「雪男、よく聞けよ・・」なんて平気で歌っていて、

この世のものでないものまでが娘さんに惚れたりする。

ボケというものは、いまじゃ保険までできるほど、

根深い深刻な社会問題なのであるが、

これはDNAのあるチップにボケるものがあるらしく、

こいつをひねりつぶせば、ボケはなくなるそうだ。

しかしながら、このチップを探すのはわれわれの

人体内のすこぶるミクロの宝探しだから、

天体からひとつの星を探すのとおんなじくらいの

作業となるのだそうだ。ただし、もうそろそろ、

このDNAのチップは発見されると聞いたが、

どうなんだろう。このへんの事情を熱弁していた

泉下の加藤紘一という東大卒のエリートがいたけれども。

 

 

 このあいだ、テレビで主婦からの

投書を読む番組を見ていて笑ってしまった。

 

 このあいだ渋谷に行ったんですが、

そこで、何十年ぶりで女学校のともだちに逢ったんです。

「あーら、久しぶり」って声かけたら、

「何言ってんの、きょうあんたと待ち合わせしたんでしょ」

って言われました。わたし、今後呆けちゃうんじゃないかと心配です。

 

こんな内容だったが、今後の心配どころか、

すでにじゅうぶんボケている。

ともかくも、じぶんもボケないように、

いまから気をつけなくてはならないと

気をひきしめようとおもうが、食事をしたか、しないか、

なんてそんなかわいらしいボケは序の口で、

なにを忘れてしまうのがいちばん困るかと言えば、

それは、銀行の暗証番号を忘れることでも、

家族の名前を忘れることでも、

家までの帰り道を忘れることでもない、

死に忘れることである。ひとには、

文字通り天寿を全うするという

パラドクス的種族保存の法則に則って生を与えられているのだから、

天からのお迎えには従わなくてはならないのに、

その声が聞こえなくなって、

死ぬという大事を忘れてしまう事態が発生することを、

おそらく神や仏は想像しなかったにちがいない。

 

 『亜麻色の髪の乙女』がリバイバルで流行っているが、

島谷なおみだったけな、忘れたな、

あの歌手は歌へただね、

ま、それは置いておいて、

あれを、懐旧の念ととともにくちずさんでびっくりした。

 

「長い髪の髪の乙女が・・」ここまで歌ってつぎが

出てこないのだ。わたしは、フリーズした。

「長い髪の」と「髪の乙女」と「髪」が重複しているなんて

おかしいじゃないか。だから、そこで、はたと止まってしまうのだ。

これは、歌い出しの「長い髪が」が「亜麻色の」だったことに

由来するという事情は、いまではわかるが、ハミングする、

そういう緊張のない現場では、かえって脳が混乱して、

たちすくむものだ。これがわたしのボケなのかもしれない。

 

そういえば、このあいだ、

わたしは二駅先の自由が丘に行く電車のなかで

手巻き時計の針を合わせていたのだが、

そのときも、すこぶるおどろいた。

 

わたしは、知らず、ヨダレをたらしていたのである。