『平家物語』の終焉は壇ノ浦のくだりあたりに集約できるが、
都落ちした平家一門は、
瀬戸内海のまんなかで兵粮責めにあうわけである。
もう、これまでと、平家の侍たちはつぎつぎに
激流の海の底に沈んでゆく。鎧を身にまとっているんだから
おそらく三〇キロくらいの重さがあるんだろう、
そのまま入水すれば、
あっというまに海底まで達し文字通り
海の藻屑となってしまったろう。
なにが、つらくて身投げをしたかといえば、水である。
水不足で死をえらんだのだ。
皮肉なものでまわりはすべてが海水、
だれしもいちどはこれを飲んでみようと試みたはずであるが、
H2Oだらけであるものの、あいにくNaCLもたっぷりふくんでいるから、
これをぐぐーといっきに飲めば、「火のごとし」と平家では語っている。
と、すでに観念、我が身の最期を悟ったとき、
このへんがどの時代のだれもが同じ思考回路を
作動させるのだが、死なばもろとも、
道連れの方程式をもつのだ。
名前は忘れたが、平家方の武将が、船のうえから、大音声あげて、
えーい、おれと組み闘う勇敢な武将はおらんかい、
なんて言えば、どの時代のどこにもいるんだが、
よーし、おれが相手に立とう、
と、若い兄弟が赤コーナーに立つ。
あいにく、彼らの名前も忘れた。
ふたりは平家の船に乗るや、
死を覚悟した人間の底力か、
この兄弟の首をぐいっとつかみ、
そのまま、海に飛び込んだのだ。
まるで、この兄弟は、ハリセンで叩かれた
ちゃんばらトリオのようなものである。
立ち向かっていったら、あっというまにヘッドロックされて
そのカッコウのまま海に沈んだのだから、
あえない死に様、むつかしくいうと「巻き添え」である。
閑話休題。きのう、わたしはマクドナルドで夕飯をとった。
ハンバーガーにチーズバーガーを注文。
ふたつあわせて、たしか一三八円だったか
。とにかく一四〇円でいくらかおつりが返ってきたのは確かだ。
一般成人男子が一四〇円で夕飯にありつけるのだ。
廉価などということばではくくれないくらいやすい、
ただみたいだ。デフレのなれの果てのようである。
わたしは、喜びよりも驚きの気持ちが強かったし、
二つのパラフィン紙にくるまれている外地系の食物を口にしながら、
悲しいくらいの恐ろしさを感じてしまったのであった。
それは、かんたんに言えばつぎのようなことだ。
この、弱肉強食、高度資本主義経済の勝者のマックは、
まず、町の食堂に影響を与え、
たとえば、ラーメン屋、寿司屋、レストラン、
などを経営危機におとしいれ、あげくには、
モスバーガーを潰し、ウェンディーズを凌駕し、
バーガーキングはすでに撤退、ミスタードーナッツを倒し、
ケンタッキーフライドチキンを弱体化させ、
ひいては、ファミリーレストランを、
吉野家を、すき家・松屋をだめにしてゆくのだろう。
東京上空のバルンガが、すべての栄養を街中から
吸い取り自己増殖してゆくように。
世の中が、マクドナルドに台頭されたとき、
ようやくひとびとは気づく、マックまずいじゃん。
そのときには、すでに、われわれは、
われわれにいちばん必要なひとのぬくもり、
このぬくもりをもった町の食べ物屋さんを失い、
ひいては、食べ物屋さんの作り出す日本の味を失うのである。
が、もっと問題なのは、このアメリカテイストの化け物には
経常利益が出ていないという現実である。
つまり、やすくしすぎて儲けてないのだ。
であるから、日本の最期は、たったひとつの巨大マックを失う、
という構図がいままさにくりひろげられているのではないか。
わたしは、こんなふうに考える。
マクドナルドはいま、日本経済のジレンマのまんなかで
二進も三進もいかぬ立ち往生をしているのかもしれない。
そして、マックはおのれの断末魔を、
平家の武将のように「巻き添え」というかたちで
迎えようとしているのである。