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益田という男

「龍園行って中国食べよう」

そんなCMがあった。ずいぶんむかしだ。
そのとき、益田は「どうやって中国食べるんですか」って
龍園に電話したらしい。

それも中学生のとき。 

アイスコーヒーには氷が入っているから、コーヒーが少ないと嘆き、
ホテルで、氷無しのアイスコーヒーを頼んだそうだ。
そうしたら、コーヒーはコップの半分しか入っていなかったとか。


益田はつわものだった。

中学の同級生であるが、わたしは転校生だったから、
かれとは一年のつきあいである。

 おんなじ剣道をしていた。たぶんわたしのほうが
強かったとおもうが、かれの方が目立っていた。


 たしか生徒会長もやっていたはずだ。


かれは、学校のベランダから突き出ている先っぽに
するする出ていって、その上で直立不動の姿勢を取って
みなを驚かせた。

 三階の隅の風のびゅうびゅう吹く中で、
真下は校庭、手を十字に拡げ立っているのだ。

 あるいは、三階の手すりから外に出て、ぶらぶらぶら下がり、
二階で授業していた佐野先生が、
窓越しに両足だけぶらぶらさせているのをみて、
あわてて三階にあがり、このときは、こっぴどく益田は殴られた。

修学旅行の写真コンクールでは、かれは、
畳半分くらいのでかいモノクロ写真を出して優勝した。

 準優勝は、わたしである。

わたしのほうが夕焼け空を白黒で撮って、美しかったのだが、
わたしのはキャビネで、かれの写真の十分の一くらいのサイズだったので、
みなの投票が、すこし足りなかった。

益田は、どこぞの社長の御曹司、金の力では勝てなかった。


つわものと言えば、体育の荒くれ教師と
取っ組み合いの喧嘩を目の当たりにしたこともあった。

 わたしよりも勉学は劣っていたはずだが、どういうわけか、
かれは、日比谷高校に合格した。

 わたしは、それよりちょっと落ちる学校に入学した。
(当時は群制度といってじぶんで学校を選べなかったのだ)
 

 益田は、たしか父親の仕事を受け継いで、
貿易関係の仕事の取締役になっていると聞いていた。


が、きょう、タカシが店に来て、益田が死んだことをわたしに伝えた。

脳梗塞で入院し、血がさらさらになる薬がもとで
却って死期を早めたらしい。


まだ、60歳にもならないのに。


子どもは四人いてすでに成人しているから、
後顧の憂いのない旅立ちであろうが、
それにしても早かった。


にんげんに、勝ち負けなどはないとおもう。


ただ、わたしはいちども益田に勝った、という記憶はない。

でも、かれは死んだが、わたしはまだ生きている。