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当事者の時代

 「当事者の時代」とう本がある。

 佐々木俊尚というひとの本。

「いつから当事者でもないくせに、
弱者面して、憑依をしてでたらめをしゃべる
ようになったのか」

 たしかに、九州の地震でも、
ちょっと芸能人が、ふざけたことを言ったり、
メディアの車が横入りしたりすると、
まったく当事者でもないくせに、
被害者に憑依して、悪口雑言、さんざん叩くのだ。

 CC化。クレージークレーマー化である。


 と、そんなことを書いたこともあったが、
こんどは当事者の話。


 まだ、分煙されていないレストラン。
サラリーマン風の数名がタバコを吸っている。

 料理が運ばれていないからだ。


 わたしどもも、まだ注文をしていない。

 店はタバコの臭いで空気が淀んでいる。

 と、4名のサラリーマンに食事が届く。
とうぜん、タバコは灰皿に回収される。

 4人が食事をしているあいだは、
空気が清浄になる。そして、わたしたちは、
頼んだ料理をまつ。


 ようやくわたしどもに食事が届けられるころ、
サラリーマンたちが食事を終える。

 と、食後の一服がはじまる。

 それは、わたしどもが食事をし始めたときと
重なるのだ。


 そんな店に行かなきゃいいじゃないか、
というもんだいではない。

 
 喫煙の当事者は、他人の貴重な時間に
土足で侵入し、暴力的にみずからの快楽を
満喫しようとしているようにおもえてならない。


 むかし、まだ職員室がタバコありのころ。
わたしは、職員室が煙いので、冬でも窓をあける。


 副流煙というものは、もっとも害なのだ。


 と、タバコ吸いがこう言う。


 「寒いよ」


 ふざけんな。「寒い」で死ぬやつはいないのだ。

 でも、「煙い」で死ぬひとはいるやもしれぬ。


 当事者には、そういう理路が通じないのである。


 いま、となりが改築にはいった。
ものすごい地響きと、コンクリートを破壊する工具の音。
さながら、行ったことないけれども戦地のようだ。

 三階建てのアパート形式の家だから、
これを壊すのにひと月くらいかかるのじゃないだろうか。


 近隣は、まず昼寝はむりである。


 埃もまっている。

 
 この騒音と地面の揺れと空気の汚れのなかに、
わたしどもはしばらく暮らさなければならない。

 が、この家の主はいまごろ、べつの家を借りて
住んでいることだろう。

 当事者はここにはいないのである。