夏目漱石の晩年の思想は
「嫉妬」と「利己主義」であった。
このふたつの領域さえ克服できれば
にんげんは幸せになれるかもしれない。
「則天去私」という語は
それを物語っている。
にんげんの幸福度は
どういうところに付着しているのかといえば、
たとえば、恐怖心をどうコントロールするかにある。
むつかしくいうと「存在脅威管理理論」という。
テロ・マネージメントといったほうが
通りがいいかもしれない。
ひとのもっともの恐怖は「死」である。
「死ぬ」ということを直視することを
本能的にひとは避けるために
文化的な行いをしたり、
自尊心を持ち続けていたりするのである。
これをテロ・マネージメントという。
じぶんに不都合なことがあると、
それにたいする防衛本能がはたらくので、
たとえば、犯罪を犯しておいて
それがばれそうになると、
やたらと、口数がおおくなって
その罪をごまかそうとするのも、
この論理の一環である。
存在脅威管理理論は、
それでいえば、認知的斉合性の一種と
みていいのだとおもうが、門外漢のわたしには
はっきりしたとことはわからない。
具合の悪くて日々、悩んでいる方がいる。
親戚の伯母さんや叔父さんから
「お前よりもつらくて
生きられないひとがいるんだから、
あんたもがんばらなきゃ」とか言われるそうだ。
が、なにか言われると、
たしかに親族だからいたしかたないが、
腹が立つような哀しいような気になるそうだ。
「なんで、そういう人と比較されなければならないの、
わたしは、わたしで苦しんでいるんだから」
と、そうおもうのだそうだ。
こういう事情を心理学では「下方比較」という。
じぶんよりつらい身のひとがいるのだから、
じぶんより安い賃金で生きているひとがいるのだから、
という考量である。
だが、この「下方比較」の処方箋であるが、
けっして他人に言ってはいけない、ということである。
じぶん自身、まだ、つらい人がいるのだから、
わたしは頑張らないと、というかんがえはよい。
正しい。
が、もっとつらいひとがほかにもいるでしょ、
だから、あなたも・・という他者にたいする
下方比較は、そのひとをもっと下方に引きずりかねない。
精神的に病んでいるひとのまえで
「がんばって」という優しい応援も
じつはNGであるの類比的に「うんがばる」と
つまり、じぶんで言ってもいいが、
他人にたいして
「もっとつらいひとが」と言ってはいけないのである。
たとえば、「自己責任」もおんなじだ。
これは自己責任として、わたしが
かならず処理します、ならいい。
が、「それは、自己責任としておねがいしますね」とか
「それは自己責任だから」とか、
だれかに向けていうのは、
その突き放し方に、上から目線や、冷酷さや、
ひとに対する敬意のなさが露呈することにもなる。
言わないほうがいい。いや、NGである。
小池百合子というひとが
他者にむかって「自己責任」という語をつかったことで、
表に出てきた語句であった。
ところで、わたしごとで恐縮だが、
妻とユニクロに行くと、まず2万円以上は
何かを買う。もちろん、財布はわたしである。
「おい、ここで2万円超しちゃったぞ」とわたしがいうと、
「え。みんなそのくらい買ってるわよ、
ほかで買えば、こんな金額じゃないのよ」
「・・・」
これは下方比較ではなく、上方比較といって
下方比較よりたちが悪い気がするのだが。
わたしどもも、加齢によって、
さすがに、他人にたいする嫉妬などは
なくなってきたし、そんなに利己主義でも
ない気がするのだが、
じゃ、幸せですかって聞かれると、
うーん、ってなってしまうのである。
