キャス・サンティ-ンが
『インターネットは民主主義の敵か』が
出版されて約⒛年になるが、
フィルターバブルによるエコーチェンバーの状態が
日常化することを我われは
目撃することになってしまった。
パソコンの普及、携帯電話の日常化、
安全・快適・便利な現在は
過剰なほどの情報と機能によって
人びとから、能動性が奪われていった
といってもよい時代である。
好奇心や夢をもたなくても、
家のなかというコクーンで
じぶんのテリトリーの世界だけが
世の中であるような、軽い錯覚、
つまりエコーチェンバーな状態を経験し、
その外に出ようとしなくても
なんなく過ごせることとなった。
脳機能の何割かはスマホに委譲し、
外部情報の取得に精をだし
みずからはなにも発せず、その情報を
受けるだけでも満足がゆく。
おかげで、積極的なみずからへの働きかけはうすれ、
夢や希望は、豊富な金銭への欲望にすり替えられ
「金さえあれば」と、手段が目的化されていることに
自覚もなく日々を送ることになっているのではないだろうか。
金銭は、夢のための手段であるはずだったのに。
「論理空間」における夢が、お金儲けであるなら、
マックス・ウェバーのいう「世俗外禁欲」の
反措定であるように、すでにひとは
その夢すらも、みずからの身体をすりぬけた
外の世界の産物となってしまったようだ。
ようするに、
みずからのテリトリーにおさまり、
そこから外の世界に出ようとせず、
脳も身体も、もっとも肝要なところは
外部に依存させながら
その中で最大限の利得をもとめようとする、
それがコストパーフォーマンスの実態なのでは
ないだろうか。
だから、若者はいう。
「恋愛ですか、いや、コスパが悪いんで」
ついに、恋愛までもがコスパにカテゴリーされる
時代である。
キャス・サンスティーンは
「インターネットは民主主義の敵」と言ったが、
じつは、インターネットは「自分じしんの敵」なのかも
しれない。
