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どうすることもできない

 1972年 激動の昭和といわれるなかでも、

ターニングポイントなる年だったろう。

 

 よしだたくろうが「元気です」というレコードを

出したり、カーペンターズの「ソングフォーユー」が

世に出ていたときであるが、同時に

学生たちが、さかんに政治に参加する時代でもあった。

 

 政治に参加というより、連合赤軍が

安田講堂を占拠したり、河合楽器のあさま山荘を

五人の学生が人質をとって立てこもったり、

暴力が世の中を変えようとしていた

時代でもあった。

 

 フォークソングが世に流れ、

学生が火炎瓶やゲバ棒をもって暴れる

ちょっとちがうが、戦乱と文化のまじりあった

室町時代のような空気だったのかもしれない。

 

 安田講堂では文化財だからできなかった

鉄球による建物破壊が、佐々敦之さんのもと、

あさま山荘では実行され、けっきょく五人の

闘志(?)は逮捕され、坂口弘だけが死刑判決をうけた。

 

が、坂口弘はすでに東京拘置所でまだ

暮らしていて、今年70歳後半になっている。

 

死刑囚はおおよそ7年くらいで

その刑が執行されるのだが、

坂口はおそらく死刑にならずに

獄死するのを国はまっているのだとおもう。

 

五人中、未成年もいたため、

すでに出所している者もいるのが

その原因なのかはわからないが

おそらく執行はないだろう。

 

和歌山カレー事件の林眞須美も

大坂にいるが、死刑は執行されないだろう。

林はおそらく冤罪だからである。

 

じっさい永田洋子も獄死だし、

森恒夫は獄中で自殺しているが

死刑執行はなかったのかもしれない。

 

文字通りの「飼い殺し」である。

 

70年代が、はたして歴史的にどうであったかは、

あと何十年か経ったときに

歴史家たちが判断することだろうが、

ああいうエネルギーは、いまの学生にも

庶民にもまったくない、というのが現実である。

 

物価があがり、賃金がさがり、

いわゆるスタグフレーションという

絵空事だった事態がいままさに

起こっている昨今、人びとは疲弊し

諦念ばかりが世にはびこっている。

 

515事件、226事件、

たしかに軍国主義の入口の暴動だったが、

若者が決起したことはまちがいない。

 

そして、樺美智子さんのような悲劇の歴史を

もちながらも、国に対抗した若者たち、

いまは、どこにもない。

 

さあ、じゃ、いまはどうするのか。

 

鳥が鳴いて、川が流れて、野山はいま

花が咲き乱れ、なんて昔のフォークソングでも

歌ってみようか、70年代を懐かしんで。