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席を譲る

電車内で席を譲るとき、

どのような心理が働くのだろうか。

 

優先席だけでなく、

空席のない電車内で、

座っているじぶんが席を譲るべきだと

感じる場合は、おそらく強者、弱者の

二項対立、アンチノミーがはたらいている

ときなのだろう。

 

もちろん、立っているそのひとが

じぶんに比べて弱者である場合である。

 

怪我をしているひと、妊婦、老人、

弱者のカテゴリーはまずこのようなひとたちである。

 

目の前にそのような弱者が

立っているときに

席を譲れるひとは、その二項対立に対して

社会的責務によって

いてもたってもいられずに

席を譲ることになる。

つまり、ノブレスオブリュージュが

作動するのである。

 

もちろん、席に座ることは

自由な権利だから、譲るか否かは

そのひとの選択であるけれども。

 

それはそれとして、

席を譲るときにはたして

強者としての有能感がはたらくか、

というラジカルな領域にはなしが

およべば、おそらく、そのひとの

性向によるものだ、としか言いようがない。

 

また、よい行いをした、

という有能感がはたらくのかも

そのひとによるものだ。

 

ただ、譲るか譲らぬかで迷いが生じたとき、

する後悔としなかった後悔では、

とうぜん、しなかった後悔のほうが

あとあと、人格にまで響くので、

迷ったら、行動に移すべきだろう。

 

迷った後悔は、酸が侵食するように

人格に影響するものらしい。

 

このように、

電車内における譲り合いという行動は、

相手にたいする思いやりであり、

その行為に対する、自らの有能感を抱くことには、

ポランティア行為とおなじく、

なるべく自らは感じないように

みずからが

無意識的に

しむけているのではないだろうか。

 

なぜなら、人間は認知的斉合性の生き物だからである。