釣り仲間に野川さんという方がいる。
仲間といってもわたしより10歳も
年上だから、それなりに気をつかっている。
が、かれは、釣りの名人ではなく、
ひとの話の横取り名人なのだ。
拙宅に車がなかった一年間、
沼津に釣りに行くときは、わたしの車が
ほとんどだったが、たまには野川さんの車でも
でかけた。が、一年間、車がなかったから、
「ね。野川さん、うちまで車で来てくださいよ」
と、いちどだけ頼んだことがあったが、
剣もほろろ、「なんで、お前んちに
俺がいかなきゃいけないんだ」と怒声を
浴びせられたことがあった。
それいらい、いっさい、その話はなくなり、
いつも、わたしがレンタカーを借りて
いっしょに釣行したのだった。
たしかに、わたしの家が東京、野川さんは
鷺沼と、野川さんの家のほうが
沼津に近いといえば近いのだが、
そういう温情はかれには通用しなかった。
いちど、わたしに孫ができたので
孫の写メを野川さんに送ったことがあった、
が、そのときも激怒された。
「なんで、あんたの家の孫の写真なんか
送ってきたんだ」
おめでとうでも、かわいいね、でもない、
ひとの孫の写メなど、わいせつ物と類比的なのだった。
「で、うちの孫だけどよ、野川〇〇ちゃーん、
っていうと、はーい、って手挙げるんだよ」って
それか、沼津までの2時間、わたしは
野川さんの孫の話を聞かなければならなかった。
釣り場に着いて、けっきょく、
その日もボウズをくらったわたしたちは
荷物を整えて車にもどると、
暗い防波堤のすぐそこに女の人が立っていた、
が、その人はすぐに消えたのだ。
「あ、いま女のひとが立ってましたね」
「へー、あんたもそんなの見えるのか。
じつは、うちのの母親がよく見える人でな、
二番目の息子の嫁も、なんか見るんだな、
で、台所にぜったいひとをいれない母だったが、
その嫁とは意気投合して、いっしょに
料理つくたったりしたんだよ」
と、二番目の息子の嫁の話を
わたしは、これから沼津からの東名高速で
エンエン聞かされることになった。
で、大井松田過ぎくらいだったろうか、
かれは言った。
「そういえば、あんたの話じゃなくなちゃったけどな」
ひとの話の横取りはしたものの、
その認識だけはあるのだった。