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 平安時代には「夢解き」という

仕事があって、夢から吉凶をうらなうというもの

であった。

 

 夢がそのひとの今後に

大きくかかわるというものである。

 

 亀を温めて占うなんていうより

はるかにじぶんの夢のほうが

信憑性があるというものだ。

 

 男性が見知らぬ女性を夢に見るという

現象は、みずからの無意識の具現化らしいが、

これはフロイト先生のお見立て。

ま、「無意識」の発見者として

ふさわしい見解だろう。

 

 が、いま「夢」というと「ドリーム」とい

意味もある。

 

つまり夢には、寝たときの夢と

未来を照射する夢の二通りがあるわけだ。

 

 この後者の、未来の夢はいつ

わが国で生まれたのか。

 

 それは明治以降の話らしい。

 

 というのも、江戸時代までは、

自我構造というものがなく、

すべては、社会の要請で生きていた。

 

 つまり、農民は畑を耕し、

武士は君主を守る、ということが

要請としてあったから、じぶんが

その仕事にたいしてなんの不思議も

感じなかったのである。

 

 そこに、明治以降は仕事の自由選択が

みとめられ、同時に、アイデンティティとして

じぶんとはなんであるか、という思量も

芽生えてきた。

 

 すると、ひとは、将来どういう選択を

じぶんらしい仕事をかんえるようになった。

 

 そのときに「夢」という

目を閉じて夢想するという身体運用がうまれたらしい。

 

 暴れん坊将軍というドラマで、

「ぼくはじぶんらしい生き方のため、

旗本をやめて農民になるよ」という

若侍の言葉に、将軍はじめみなが拍手する

というシーンがあったが、

そんなことは出鱈目で、時代考証もあったもんじゃない。

 

ま、水戸黄門の一シーンで

電信柱が映っていたというクレームだした

ひとがいたというが、

それは、かんべんしてあげなよ、と言いたくなる。

 

話をもどすが、だから、明治という時代は

日本人にとって何回目かのパラダイムシフトを

してしまった、とてもおおきなときであったのだ。

 

ぼくの夢、わたしの夢、

夢を語るときのひとの目というものは

輝いていて美しい。

 

それは、未来にはとてもはなやかなものが

待っているという希望があったからだ。

 

 だが、いまの若者はどうだろうか。

 

 わたしは不幸かな、いや、不幸でもない、が、

幸せか、といえば、そうでもない、

といったひとが多いのではないか。

 

 幸せだとは言わないが、

不幸ぶるのはがらじゃない。

 

 これ吉田拓郎の歌詞ではないか。

 

 昭和のころにはたしかに

夢を語ることが多かったが、

平成、令和と時代がくだると、

そのぶん、さまざまに文明が進み、

インターネットのインフラも整い、

なに不自由ない生活に、

かえって、みずから動こうとせず、

好奇心や夢を語らずとも、

なんとなく生きられる世の中が

具現しているのではないだろうか。

 

「夢」は寝たときの物語であったものが、

「ドリーム」になり、

現在は「夢」のかわりに

「夢」は「なんとなく」という言葉に置換して

しまったのではないだろうか。

 

「夢」という言葉が死語にならぬよう、

われわれは、世の中をつくってゆくことが

期待されるのである。