『蜻蛉日記』は、平安時代、
摂関期初期の女流日記である。
関白藤原兼家の側室である道綱の母の作。
ちなみに、『蜻蛉日記』より以前に存在する
女流日記は確認されていないので、
「我が国初の女流日記」といってよい。
当時は、「自我」も「内面」という概念も
存在していなかったから、
おのれの自己意識の表出というものも
汲み取れないはずである。
が、この作品からは、女性の、
女性らしい心情がいやおうなしに語られ、
曲学阿世の徒たるわたしなどにも、
抑圧や規制のかからない素直な文体が、
その時代の文化としてのテクストとして
じゅうぶんに価値をもつものだとおもわれてしまうほどだ。
ま、これも素人読みだから、よくわからないのだが。
藤原兼家には、歴史上、
七人の妻がいたそうだ。むかしはよかった。
七人いれば、一週間のローテーションができるではないか。
で、とうぜんのことだが、
その妻たちには、熾烈な夫争奪戦が繰り広げられていたようだ。
ジェラシーは永遠のテーマなのだ。
陰暦四月。京都は葵祭でにぎわう。
道綱の母は、この都最大の行事を牛車で見物にいく。
と、その行列のむこうの列に、
夫の正妻である時姫を見つける。
時姫も見物にくることを知っていたとはいえ、
道綱の母は、彼女の牛車と対峙するように牛車を停めたのだ。
そして、橘の実を葵にのせてつぎの句を送る。
・あふひとか聞けどもよそにたちばなの
あなたと会う日(「葵」とかかる)と聞いていましたが、
そちらにいらしたのね。(「立ち」と「橘」をかける)
ま、よせばいいのに、っておもうけど、
と、しばらくすると、正妻、時姫から下の句が届く。
・きみのつらさを今日こそは見れ
たしかに「きみ」に「君」と「黄実」
(橘の花には黄色い実がつく)が
掛っているのは認めるが、
今日はあなたの薄情さを見てあげるわ、
くらいの意味である、ずいぶん好戦的ではないか。
帰宅した道綱の母は、
このやりとりを自宅にいた兼家に報告する。
と、兼家は、苦笑しながら
「『かみつぶしつべき心地こそすれ』とや言はざりし」と言う。
兼家の句をつなげればこうなる。ひどい歌だ。
・あふひとか聞けどもよそに橘のかみつぶしつべき心地こそすれ
ま、いつの時代も男はのんきな生き物である。