即詠はひとつの才能だ。
わたしなどは、一首に二か月くらいは要する。
すこしあたためておいて、
すこしでも他者的に作品を眺めないと不安なのだ。
「おのれ自身を含む風景とともに、
おのれ自身を振り返る」ことをヘーゲルは
「自己意識」と名付けたが、
そんなものが作動しているのかもしれない。
摂関期に、伊勢大輔という歌人がいた。
中宮彰子に仕えた女官で、即詠の誉れが高い。
藤原道信という中将(歌人である)が山吹の花を持って、
上の御局を通りすぎたとき、
この部屋は、中宮彰子を交えたお付きの
女房たちでうようよしていたのだが、
その人々が揶揄する。
「さるめでたき物を持ちてただに過ぎるやうやある」と。
と、道信は、
山吹を上の御局に差し入れて、
前もって準備していたかのようにつぎの句を詠む。
・くちなしにちしほやちしほ染めてけり
この句には、さすがに文化資本を有している
女官たちもまいったのだ。
山吹の花をもってして、
「くちなし」で染めたのだ、
という逆転の発想で応対しようとは。
が、なるべく早く下の句をつけねば、
彰子サロンの恥辱となる。
とうぜん、女房たちは、
もじもじしている。そのとき、彰子は奥にいる伊勢大輔に命ずる。
「山吹の花を取れ」と。
つまり、下の句を詠めと命じたのだ。
このへんの事情は『俊頼髄脳』に詳しいのだが
「一間が程をゐざり出でけるに、思ひよりて」とある。
ようするに、数歩の膝行という短時間で、つぎの句を提示する。
・こはえも言はぬ花の色かな
「くちなし」は「口無」、
だから「えも言はぬ」(喋れない)と受けたのだ。
これには一条天皇も御感あったそうだ。
うーん、おやじギャグ? ま、当時はこういうのがウケたのだ。
源俊頼は、このエピソードを受けて、
「ただ、もとの心ばへにしたがひて、
読み出だすべきなり」と言っている。
そのひとの性格にあわせなさい、
ということだ。
これで、わたしなども救われるというものだ。
ただ、ひとつ、このはなしにはオチがあって、
中宮彰子が入内したとき、
歴史的には道信は他界しているのである。
どうなってるの?