内視鏡検査に東急病院にいく。
早朝だというのに多くのひとがいた。
みな、仕事からリアタイアしたようなひと、
老婆、たまに壮年の男性、ま、
この日は、仕事をしないのか、午後出勤なのか、
とにかく、病院に朝、来院するということは
国のGDPには関与していない
ということになる。
世の中、ずいぶん具合のわるいひとが
いるものだ、とわたしはつくづく感心もしたが、
これだけのひとが待合室にいるということは、
わたしの街の大半がここにいるのではないか、
という錯覚におちいるのである。
わたしの街は、夜のうごきがわるく、
「丸亀製麺」もいちど、視察にきたらしいが、
夜の営業成績がふるわなく、
撤退した。
その要因は「サイゼリア」にあると
四川屋台の峰さんは語る。
たしかに、日曜日の夜に教え子数名で
「サイゼリア」に行ったら、
びっくりするほどひとがいた。
わたしの街のほとんどが
ここにいるのだと、そのときおもった。
ということは、わたしの街の住人は、
朝は東急病院に居て、
夜はサイゼリアにいるのだろう。
こういう思量を偏見という。
そんなことをおもいながら、
内科の診察を数十分まっていると、
若い青年が、なにやら機械と
点滴のようなものを提げて歩いているのが見えた。
ああ、若いひともいるんだな。
内視鏡はすぐにおわった。
人生二度目の内視鏡である。食道になんかあるらしいが、
胃のほうは平気だった。
昭和生まれはつよいのだ。
しかし、待合室にも診察室の前にもひと、ひと、ひと。
やはり、老人が占拠している。
「さいきん、あの婆さん、来ないなぁ」
「んだなぁ、どこか具合でも悪いじゃないのか」