叔父が死んだ。
おととい亡くなってきのうがお通夜だった。
ずいぶん段取りのよいことだ。
血のつながっている叔母の旦那さんで、
たしか九十歳くらいだったとおもう。
よく知らないや。そういえば死因も知らない。
実子は娘ふたりで、まだ叔母も健在だが、なんか頼りない。
葬儀は親族だけだった。二十名いたのかな。
しめやかだった。が、二十名の弔問者に涙はなかった。
神式の葬儀は、カセットテープを神主がまわし、
雅楽がながれた。
ぼくらは、よく知らない神式の葬儀をした。
榊を棚に置き、二礼・二拍手・一礼をする。
このとき拍手を景気よくしてはならない。
した「ふり」で、音をだしてはならないのだ。
だから、ぼくらは「たたいたふり」の
ジェスチャーという、
とても間の抜けたしぐさをしなくてはならなかった。
葬儀はかんたんに終わって会食となる。
「きょうはありがとね」
長女のみえこさん。
「わたしはね、ぼうやを抱いて遊んだのよ、
あら、ぼうやだって、ごめんなさいね」
「ああ、いいですよ、なんでも」
「あら、笑うとまだ『えくぼ』でるのね」
「そりゃ、いつでもでますよ、治したくても」
「いいのよ、チャーミングで」
チャーミング・・・・さいきん聞かない語彙だ・・・
「あれ二歳くらいかしら、すごく肥っていてね」
「いまでも、肥ってますがね」
「いや、ずいぶんスリムになったよ」
と、口をはさんだのは前に座っている敦行おじさんだ。
「むかしは、ぽっちゃりしていてかわいかったんだけどな、
いまじゃ、こんなになっちゃって」
「なんですか、こんなにって」
敦行おじさんは笑っている。
「そうよ、わたし、洗足池まで連れて行ってあげたのよ、
そうしたら、肥っているでしょ、
いちど長靴を脱がしたら、もう履けなくなっちゃってね、
わたしおんぶして帰ったのよ。重かったわぁ」
「え、はじめて知った、おぼえてないですよ」
「そりゃ、そうよ。二歳だもの、おぼえていたらおばけよ」
葬儀の会食で「おばけ」が出てくるとは。
まわりで、そろそろ帰るけはいがするんで、
ぼくらのテーブルもおいとまをする。
帰りに、従妹のゆう子を送っていった。
ゆう子がだれと結婚して、
いま、なんていう姓なのか、
じつは知らない。ただ、等々力に住んでいるのだけは知っている。
「お兄ぃちゃんとなかなか会えないね」
「このあいだの、おふくろの葬儀のときだな、
その前は、うちの親父の葬式のときだ」
「そうだね」
「でもさ、ゆう子、若いよな」
「うん、子供いないからじゃない」
「いま、いくつ?」
「四十六」
「あ、もう四十六かぁ」
「そうだよ」
「仕事は?」
「お弁当屋でパート」
「え、パート?」
「そうだよ、だってひまじゃない、おもしろいよ」
「ふーん」
ぼくは、ゆう子が、
ふだんどんな生活をしているか、
ほとんど想像がつかない。
旦那さんの顔も想像がつかない。
そういえば、従妹の「まりこ」さん(なくなった叔父さんの二女) には
孫がいたよな。「いとこ」がなにしているか、
ぼくは、ことごとく知らないんだ。
ただ、たしかなことは、
われわれは、ひとしく加齢してゆくことだ。
そして、こうやって、親族は朽ちてゆくのだ。
「あ、ここでいいわ、このあと道、狭いから」
「あいよ」
「じゃ、ありがとね、また、会いましょうね」
「そうね、また、だれか死んだらな」
「なに言ってんの、よいことで会いましょうよ」
ゆう子に軽く手を挙げて、ぼくは家に帰った。