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言葉について その7

 じぶんが、どれだけ農耕性がつよいかを試すなら、

たとえば「なぜ十二月二十四日にケーキを食べるか、

その理由は」という問いに「クリスマスだから」と答える。

そう答えたひとはじゅうぶん農耕民族です。

キリストがどうのこうのと、

その元来の宗教的意味を答えたなら話はべつです。

 農耕民族は、議論ができません。

となりとおんなじことをしていればいいわけで、

ひとりでも抜きんでているひと、

ひとりでも遅れるひとがいると、

そのひとを排除しようとしたり軽蔑したりします。

ただ、おだやかな自然のなかで、

自然と同化して暮らしていれば、議論など不要です。

「おまえ、言わなきゃわからないのか」

これが農耕民族のテクニカルタームです。

 しかし、議論はきらいなのですが、

おしゃべりは大好きです。

いわゆる「おしゃべり好きの議論嫌い」です。

なかなかお母さんが帰ってこないとおもったら、

商店街で二時間もおしゃべり、よくある風景です。

デモクラシーは近代にオプションではいってきた思想ですから、

それが骨肉化されていないのです。

ヨーロッパは狩猟民族ですから、他者は敵です。

ですから、まずじぶんの意志をイエスなのかノーなのか、

伝えておく必要があります。議論的です。

それはコトバによる命のやりとりが

あるかもしれないからです。

その点、農耕民族は、コトバによって危険が

生じるなどみじんも考えていません。

文末決定性もこういう事情で必然的に

生まれてきたわけです。

両親にまともに朝の返事ができないのも

こういう性情からです。

国会の質疑応答などまったくなってないですね。