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鴨川シーワールド

 大学一年生の夏休みに免許を取った。

それも合宿で取得した。が、ただの合宿ではない、

わたしたちの合宿だったのだ。わたしたちの合宿というのは、

祖父母の隠居する鴨川に、わたしと友人の

青木とふたりきりで共同生活しながら免許を取ろうとする、

もじどおりの合宿だった。祖父が、

祖父母の住む加入者ホームのすぐ裏手にある農家の離れを

二ヶ月間借りてくれ、そこにわれわれを住まわせてくれたのだ。

食事係はわたし、片づけ係は青木だった。

掃除洗濯ももちろんふたりでした。

 

鴨川自動車学校は、

そのころはまだ鄙びたスクールで、

教習官はすべて黒い長ぐつを履いていた。

いちにちに二時間の教習があり、それが終われば、

われわれには、スペースシャトルから

宇宙に抛り出された飛行士くらいの時間が待っていた。

やることがないのである。

 

で、ふたりは浜辺に出て、

キャッチボールをしたり、自転車で近所のよろず屋の

「ごろさく」、スーパーマーケットの前身、

に夕飯の買い出しに出たり、

テレビを見たりで、いちにちを過ごしたのである。

夕方には「俺たちの旅」の再放送が流れており、

最後に出てくるあいだみつおの詩のようなものに、むやみにうなずいていた。

 

 青木とは高校時代からの友人で、

お互いの家にしょっちゅう行き来し、

わたしが不在なのに、わたしの家でやつは

勝手に夕飯を食べて帰っていくなんてこともあった。

わたしが結婚しても交友はつづき、

玄関に青木が来て、鍵を開けに行った

幼い息子がわたしのところに戻ってきて言った。

「ア・オ・キ・来・タ・ヨ。」

息子には、青木はただの「アオキ」という

信号にしか過ぎなかったのだろう。

こら、おまえが「アオキ」と呼び捨てにするんじゃない、

まるで執事みたいに聞こえるじゃないか、

なんて息子をたしなめているそのうしろから、

にやにやしながら、のそのそ上がりこんでくる、

そんなやつなのである。ま、とっぽい男であることはずっと変わらない。

 いま、青木は服地会社の部長になっている。

みんなから「アオキ部長」と呼ばれているんだろうが、

どうせ部下も、息子とおんなじようにただの信号とおもってそう呼ぶんだろう。

 

 鴨川の夏は暑かった。が、海に面したこの地は

さすがに夜には浜風が吹き快適だった。

大家さんの奥さんは目と鼻の先の鴨川シーワールドの

厨房で働いており、いつも夜にはわたしたちのところに

残った総菜をとどけてくれた。

てんぷらや魚の焼き物などがほとんどだったが、

これがひどく助かった。酒のさかなにも、昼の天丼の具にもなった。

ただし、じつは、この鴨川シーワールドの存在が、

わたしたちふたりにはすこぶる苦痛となっていったのだ。

とにかく、太平洋のようにひまなふたりが離れの

合宿所でくすぶっているあいだ中、

シーワールドのテーマがエンエン流れてくるのである。

潮風にまじり、波の音と子どもたちの騒ぐ声にかぶさりながら、

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」

 朝から閉園までの丸まるいちにち、

このテーマ光線がふたりの内耳に照射され、脳

はすっかり洗脳されてしまったのだ。

砂浜でキャッチボールをすると砂に足がとられると

学習したわれわれは、庭でのキャッチボールが最良だと気づき汗を流していると、

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」

 洗濯物をとりこんでいると、

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」

「ごろさく」でぶた肉を買っていると、

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」

たまに、祖父母のいるホームに遊びに行けば、

よりシーワールドが距離的にちかくになるから、

「♪かっもがわっ、シぃ~ワぁ~ルドぉ♪」より

音量をあげてわたしたちに襲いかかってくる。

 三〇分かけて駅まで自転車をこいでいるときなど、

わたしはおもわずはっとした。知らないうちに鼻歌で歌っているのだ。

「♪かっ・も・が・わっ、シぃ~・ワぁ~ル・ドぉ♪」

 

 けっきょく青木は「アオキ」を払拭できなかったのか、

運転が上達しなかったのか、やっぱりばかだったのか、

わたしよりも五時間くらいおくれて免許を取得した。

なにしろ、クラッチを踏まないでトップからセカンドにギアを落とし、

教官から「きみ、器用だね」と白い目で見られたり、

へたくその国体候補選手だった。

 免許を取ったあとも青木は「アオキ」で、

右にハンドルを切って、こんどは両腕を十字に

しながらまっすぐにもどしたら、

どこでどうこんがらがったのか、

ハンドルはまっすぐに車もまっすぐに走っているのに、

アオキのふたつの腕は十字を組んだままなのだ。

「おい、どうすればいいんだ」ってわたしに

懇願してきたが、ばか、はやく手をもどせ、としか言いようがなかった。

 

 数年前、家族で鴨川シーワールドに出かけた。

ひさしぶりに見るシーワールドは、

二五年前と変わらなかったが、

シャチがへそを曲げて演技をしないのだ。

シャチの演目がここの「売り」なのに。

滑川アイランドにつづき、ハウステンボスのようについに

鴨川シーワールドもそろそろなのかな、

そうおもうと、すこし寂しい気持ちになったのである。