力を入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の中をも和らげ、猛き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。
去年、拙稿「神の位置」(「あをによし」8月号)で紹介した、
紀貫之の『古今集仮名序』のくだり。
この「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」というところは、
九三五年いらい、どれだけの歌論、説話、歴史物語、随筆に引用されたことか。
歌を詠むことができますよ、というフレーズはことごとく、
貫之のこのくだりが使われた。ま、ひとつのバイブルといってよい。
現代では、このように、
歌や歌論のくだりが、他の歌人に影響するものというのは、
じつに稀なのだが、ここにひとつ紹介しておくべき事例がある。
わたしは、これを「佐野朋子」現象とでもいいたい。発端はもちろんこの歌。
佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室に行きしが佐野朋子をらず
(「日々の思い出」)
小池光氏の有名な歌である。
河野裕子氏は、『やぶれかぶれ短歌論』で、
玄人ウケする歌と絶賛。で、この歌が、佐野朋子とともに「独り歩き」をするのだ。
いまごろは子を抱きいんか生きのびし佐野朋子のそののち教えよ
永田和弘(「風位」)
小池氏が殺しそこねし佐野朋子不知火町にたちあらはれつ
竹山広(「一脚の椅子」)
一冊の歌集がその名しるすゆゑ佐野朋子とふをとめごあはれ
大辻隆弘(「水廊」)
佐野朋子という女性がいかなる女性なのか、
数々の歌人の作中に生き続ける彼女は、
擦れっからしで、蓮っ葉(か、わからないが)で、
それでも「たくましく」生き続けているのだ。
「不知火町」というひびきまでが佐野朋子と相俟って、
「いかにも」といった感がある。小池氏は、この現象を感じてか、
佐野朋子ふたり子中学生といふ風のうはさにひととき怯ゆ
(「時のめぐりに」)
と、消息についての報告があった。
そういえば、『源氏物語』で、
幼少の紫の上の雀を逃がした「犬君」は、
あの長編の中で、あそこに一度しか出てこずに、
文学史上、「雀を逃がした愚か者」のままで終わっている。
そのあと、犬君はどうしたろうか、消息が知りたいものだ。