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これは嘘らしい

相州屋のえみちゃんが亡くなったという話は
ミズグチから聞いた。


 そんな。


 えみちゃんは、結婚して横浜に住んでいて、
子どもが三人、たしか孫もいたはずだ。
 旦那さんは、銀行マン。


 相州屋のえみちゃんとは同い年で、
幼稚園はわたしとおなじく若竹幼稚園。

 いっしょにブランコに乗った記憶がある。

 あのころからわたしはえみちゃんのそばに行くと、
緊張した。色白で美人だった。

 だから、彼女のことを大岡山小町と呼んでいた。
そう呼んでいたのは、わたしだけだったかもしれないが、
相州屋のえみちゃんとは一度だけ話した覚えがある。

 彼女が大学生のころだったとおもう。

 フェリス女学院に通っていた。

 「フェリスだとどの辺に行くの?  十番館とか、そのあたり?」

 と、ほんとうにつまらない質問をした。
なにしろ、緊張するのである、えみちゃんの前だと。


 「ううん、十番館には行きません」

そんな答えが返ってきた記憶がある。

 わたしが彼女と話したのは一生のうちでそれだけである。
幼稚園のブランコを除けば。

 でも、どこかに彼女がいつもいたような気がするのだ。
それは、恋でも好意でもなく、ただ、わたしを緊張させるひと、
という存在だったわけだ。


 しかし、大岡山小町が死んだとは。
ミズグチは嘘をいう男ではない、
が、どうしてもわたしは信じられなかった。


 で、妻に訊いてみた。


 「おい、知ってるか、相州屋のえみちゃん、死んだそうだよ」

「え。そんなことないよ。
このあいだ、でも、このあいだっていってももう何年も前かな、
わたし、えみちゃんとしゃべったよ」


 妻も信じられないという風であった。

 彼女としゃべったのが、ついこの間のような気もするし、
ひょっとすると、もう何年も前のことなのかもしれない、
そういう存在なのだ。


 で、わたしは、この事実をつきとめようと、
床屋のジュンの奥さんとちょうど道であったものだから訊いてみた。


 「え。ちがうでしょ。このあいだ、わたし会いましたよ」

と、奥さんは言う。


 「それ。いつのことよ」


 「うーん、最近かな、いや、もっと前かな」
と、じつは奥さんもわかっていないのだ。

 「じゃさ、とにかく調べておいてよ」
と、わたしが言うと、


 「わかりました」と言って奥さんと別れた。


 そして、きょう、やなか珈琲に行っていたとき、
向かいの大野屋さんの奥さんが珈琲の代金を払いに来たので、
わたしは、大野屋さんにも訊いてみた。

「相州屋のえみちゃん知ってる?」

 「うん、知ってるよ」

「死んだって」

 「え、うそよ、いま横浜に住んでいて、お子さんは三人で、
旦那さんは横浜銀行に勤めているのよ」


 「そんなこと知ってますよ。なんか癌だって言うんだよ。
鞄屋のミズグチがさ」


 「え、だって、このあいだ、ここの通り歩いていたわよ」

 「それ、いつのことよ」

 「あれ、いつだったっけ」

 「ほら、わからないでしょ」


 えみちゃんというひとは、時間というものを
ねじまげる妖力をもっているのだろうか、

それとも、わたしたちが、日々、変わらぬ生活を
だらだら過ごしているせいで、
何年も前のことが、まるで昨日のことのようにしか
おもいだせないでいるのだろうか。


 どちらにせよ、えみちゃんが死んだにしろ、
まだ生きているにせよ、わたしたちのなかでは、
彼女は確実に、この街を歩いているし、
おしゃべりもしているのである。