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店主日記

御曹司ものがたり

 わたしがまだ高校の教師をしているころの、
ちょうどおんなじ干支の先輩、
新村先生のはなしである。

新村先生は本名ではない、仮名。

で、同僚からは、「シムリン」と呼ばれ、
その性格のよさはお墨付きであった。

 相模原の大地主の総領息子で、
その一帯は、ほとんど新村の姓であった。
 育ちがいいのである。

 なにしろ、家に帰ってみたら、
警察がじぶんの土地でスピード違反の
取り締まりをしていたので、
だれに断ってやってるんだって
警察を追い返したこともあった。
土地、うそって言うくらい広いから。

酔っぱらうと、じぶんのことを

「ボクちゃん」っておっしゃる。

育ちがいいのである。

 


 ただ、その酒がかれの人生を大きく変えた。

 飲むとほとんどわからなくなってしまうのだ。

 何軒目かのあと、カラオケに行って、
あんのじょう、シムリン寝てしまって、
さ、お勘定というときに起こす。

「ん。帰るの」とか言うんで、
「はい、はい、帰りますよ」
と、シムリンゆっくり起き上がり
「いくら?」って訊くから、「一万円です」って言うと、
「安いね~」と言いながら、
すべてわれわれの分をおごってくれる。

たぶん、おごっているという感覚はないのだとおもう。

 
「せんせい、『なんで』って言ったら負けよ」
「ん。いいよ」
「これ、何色」
「青」
「これは」
「赤」
「あ、やっぱり先生の負けだ」
「なんで~。あ、あ、そーか、んー、もう一回」
なにしろ、泥酔の一歩手前だから、
足元もおぼつかない。

「もう一回やるんですか」
「そう」
「しかたないな。これ何色」
「青」
「じゃ、これは」
「赤」
「ほら、やっぱり先生の負けだ」
「なんで~、あ、あ、もう一回」

もうやんねぇよ。


 慰安旅行があると、シムリンは、
かならず、じぶんの枕をもってくる。

 じぶんの枕でないと寝られないそうだ。
だから、かれの旅行かばんの95パーセントは
じぶんのうちから持ってきた枕が占めている。

 マジソンスクウェーガーデンというかばんが
はやったときがあったが、あのくらいの大きさの
旅行かばんである。

 で、夜中、麻雀がはじまると、
シムリン、飲みすぎて積んである牌のうえに
覆いかぶさるように
ばたりと寝てしまった。
 というより倒れるといった感じだ。

すべての牌がちらばって、そのうえで
いびきをかいている。

 「おいおい、ほら、シムさん。寝るよ」
と、同年代の先生がほとんど蹴飛ばすように、
ごろんと、となりに敷いてあるふとんに転がすと、
シムリンそのまま高らかないびきとともに、
朝までそこで寝てしまう。

もってきた枕など使わずじまいである。

わたしは、なんどとなく新村さんと
こういう旅行したが、かれが、じぶんの枕で
寝ているのをついぞ見たことがなかった。

 わたしは、学校からは、だめ教師として
カテゴリーされていたから、担任も
学年主任のとなりのクラスに配属された。

 学年主任とはシムリンである。

 修学旅行に行ったとき、
わたしのクラスのラグビー部の連中は、
早起きで、わたしのクラスの部屋すべてを
まわって、NHKのラジオ体操の番組をつけ、
クラスの者たちを起こしてくれた。
このテレビ番組が目覚ましがわりである。

 わたしは起床時、なにもしなくてよかった。

それでいて、わたしのクラスが
いつももっとも早く、全員集合して朝飯の席に
着くことができたのだ。

 「新村先生、起こしに行ったら、まだ寝てました」
ひとりのラグビー部の生徒が報告にきた。
だから、長崎のホテルで、主任がまだ来ていないわけだ。

ずいぶん遅れて新村先生登場。

「いやぁ、このホテル、大きいんで道に迷ったよ」

 うそつきめ。


 卒業試験は、三年生だけべつメニューではじまる。
ほとんど、試験監督は担任がする。

 ほかの学年は平常授業である。

 わたしは、わたしのクラスに問題をくばり、
試験を開始させ、となりのシムリンのクラスの
様子を見に行った。

 と、シムリンのクラスがなにやら、
がやがやしているのだ。試験はとっくにはじまっている。

 あれ、シムリン、教卓で寝ているじゃないか。

 昨日、よほど飲んだのだろう。

 だから、シムリンのクラスの生徒は、
みな、相談しながらテストを受けているのだ。

 「おい、しずかにしろ」と、
なんでわたしが言わなくてはならないのか。


 どっちが主任なんだ。


その新村先生も、いきつけの酒場で、
軽い約束から、大きな会社の独身寮をつくる約束をして、
じぶんの敷地内に、ものすごいビルディングを建て、
その話が、中断されたために、
これまた大きな負債をかかえ、
けっきょく、新村先生は、いま、アパート暮らしを
しているという。

気の毒というか、なんというか。

「しかたないだろ、やっちゃったんだから」
と、先生は言っていた。

しかし、新村先生、
まだ、わたしの勤めていた高校で、
非常勤講師として数学を教えているそうである。