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店主日記

おもいだすこと

 わたしの母の夢は家のなかで
お湯の出る生活だった。

 

 

 むかしは、流し、いわゆるシンクに湯沸かし器など
どの家庭にもめったになく、冬場はつめたい水で
皿洗いをしたものだった。

 

 

 当時は、我が家には冷蔵庫もなく、
子どもの記憶ではあるが、たしか、
すこし大きめのジャーみたいなものに、
氷をいれて保存していた。

 

 

 その時代は、我が家はサザエさん一家よろしく
大家族で、父、母、それにわたしの核家族プラス、
父の父、母、つまり、わたしの祖父母、
それに、父の弟と妹、つまり、叔父、叔母が
四人同居していた。つごう九名である。

 

 

 後に叔母たちがどんどん嫁いでいったものだから、
家族は減り続けることになるのだが、
叔父さんの結婚がきまるのが、わたしが
小学校高学年のころだから、この大家族は
十数年つづいたことになる。

 

 

 新婚当初、母は、この家族構成のことを
ほとんど聞かされていなかったらしく、
いざ、新婚生活をはじめた瞬間、
竪穴式住居の住人のようなビックファミリーに
ひどくびっくりしたと聞いている。

 

 

 冷蔵庫が家に来たときとほとんど
同時期に湯沸かし器が家に設置された。

 

 

 母の夢がかなったのである。

 

 

そのころのわたしの夢は、

お風呂にシャワーがあること。
 
 むかし、我が家には、シャワーなどしゃれたものはなく、
湯船からお湯をすくっては頭にかけ、かけして、
シャンプーをそそいだものだ。

 

 

リンスも、いちど風呂桶にためて、
そこにお湯を薄めて使っていたような記憶だ。

 

 

 シャワーがあれば、こんなことをせずにすむのに、
と、子どもながらに、お湯が壁から
絶え間なく吹き出る装置を渇望したものだった。

 

 

 母もわたしも、そういうことでいえば、
ひどくみみっちい夢なのであるが、
生活に密着した切実なおもいだったのである。

 

 中学校に入学したとき、わたしは父の転勤で
小田原に住むことになったが、
高台からのぞむ御殿場線は、まだ蒸気機関であった。

 

 

 そこには、湯沸しもシャワーもあったので、
みみっちい夢はすでに現実になっていた。

 わたしのもうひとつの夢は、
ママ・プリンをしこたま食べることだった。

 

 ママ・プリンとは、牛乳とママ・プリンの粉とを
混ぜ合わせ、冷蔵庫にいれて固め、
その上にキャラメルソースをかける、
自家製のプリンである。

 

 当時は、そうやって市販のプリンの素、みたいなのが
あったのだ。が、その一人分がやたらに
ちいさく、ひとくちでするっと食べられてしまう。

 

 これを、死ぬほどたくさん食べる、というのが、
ささやかなわたしの夢であった。

 

 たぶん、日曜日だとおもう。

 

 父も母も不在で、小田原には、祖父母も叔父も叔母も
いないので、三人家族のわたしはひとりで留守番をしていたとおもう。

 

 台所に行ってみると、なんとママ・プリンが二箱、
棚に乗っているではないか。

 

 罪悪感なのか、わたしはまずまわりを見回し、
このママ・プリンを二箱とも鍋にいれ、
そして沸騰した牛乳のなかに、ママ・プリンを二箱
そっくりいれて、しばらく放置したあと、
その鍋のまま、冷蔵庫で冷やした。

 

 数時間が経ったとおもう。

 

 まだ、わたしはひとりだった。

 

 鍋を取り出し、陶磁器の白い皿のうえに、
この鍋をひっくりかえし、とんとんやると、
巨大なママ・プリンが、その上でぷるぷる
震えながら乗っている。

 

 出来た。

 

 いままでにない、まるでインデペンデンス・デイの
宇宙船のような大きさのママ・プリンに10人分の
キャラメルソースをかけ、わたしは一口ほおばった。


 うまい。

 

 至福のときがおとずれたのだ。

 

 が、しかし、いくら小さじスプーンで食べても
この、ぼんち食堂(山梨にあるものすごい量の食堂)の
料理のような大型プリンは、いっこうに減らないのだ。

 

 ついに、わたしは、小さじスプーンをやめて、
大さじスプーンにメンバーチェンジし、
食べ始める。

 

 と、はんぶんも食べないころから、
具合がわるくなってきた。気持ちわるくなってきたのだ。

 

 わたしは、あのとき、このデカプリンを
ぜんぶ食べたのか、あるいは、流しにほうってしまったのか、
記憶にないのだが、いまでも心に残っているのは
ひとつの単語である。

 

 それは「適量」である。

 

 トイレにウォシュレットがついたのも、
すこぶるうれしい文明であるし、
洗濯も勝手にやってくれるし、店の売り上げ計算も、
券売機がする仕事である。

 

 さいきんは、すべてが便利になった。
なりすぎた。

 

 ウォシュレットはそれでも、使う派と
使わない派に、いまでも二分されているようだ。

 

 が、おもしろいのは、使う派と、使わない派と、
その理由がおんなじということである。

 

「ね、なぜ使うの?」

 

「だって気持ち悪いじゃん」


「ね、なぜ、使わないの?」

「だって、気持ち悪いじゃん」

 

 どちらも「気持ち悪い」がキーワードになっているのだ。
それを、ひどく面白がって、釣り仲間の野田さんは、
いつも、飲み屋にゆくと「お、ウォシュレット使うやつとよ、
使わないやつと、理由がおんなじなんだよな」と、
じぶんの手柄のように吹聴しているらしい。
ま、いいわな、言わせておこう。

 


 今日などは、十一月の中旬だというのに、
もう、すっかり冬模様である。

 

 店のシンクで、まな板を洗っているが、
38℃に設定したお湯は、ふんだんに出てくる。

 

 ふだんは、なにげなくさっさと洗っているのだが、
たまに、母のこともおもいだすこともあるのだ。