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アトミズムと関係性

 

 表題の「アトミズム対関係主義」を

唱えたのは広松渉というひとで、

アトミズム、つまり社会原子論という考量で、

古く古代ギリシャのデモクリトスまで

さかのぼるのですが、

物質は原子からできているわけで、

それと同様に世界も個人から成り立っている

という思考法です。

方法論的個人主義といってもいいですね。

社会構造やその変動を、

個人の思想決定の集積として理解するわけです。

 それに対して関係主義とは、

ヒトはかならず他者と関係するところに

世界があるとする思考法です。

このなかに、機能主義、構造主義、

システム理論もふくまれていると言われています。

ハーバートスペンサーらを経て

デュルケーム、ロバート・キング・マートン、

パーソンズなどの学者を拝しています。

 

 むつかしい話は、ひとまず置いておき、

世の中は、個人があって成り立っているのか、

それとも、制度のなかに人びとがいて、

そのなかにみなが集まって世界は成り立っているのか、

という二者択一を迫られているとおもえばいいとおもいます。

 制度によってひとはしあわせにならないという

思考法を主意主義といいます。それに対して、

制度にしたがって幸福をつかもうとする主知主義というのも、

この図式にあてはまるのです。このアンチノミーな思考は、

十八世紀の神学者、ポーランドのシュライアマハーというひとのものです、ちなみに。

 

 自由主義、リベラリズムと共同体主義、

コミュニタリアニズムという二項対立も

この考え方とおなじ路線であるとおもってよいのです。

 

 ただし、どちらがただしい、という線引きではなく、

どちらにもすぐれたところがあり、

どちらにも、あれっておもうところがあります。

ようするに、解決できない難問、アポリアをふくんでいるということです。

 

 ヘーゲルの弁証法として有名なのが、

個人と社会のアウフヘーベン(止揚)として、

その矛盾の上部に人倫としての国家があると唱えたのも、

けっょくは、アトミズムと関係主義とおんなじ構図をもっているといえます。

 

 この考えかたにひとがたどりつくまでに、

そのひとの履歴のなかでたずさわってきた

イデオロギーなどに多分に影響されるから、

どういう思想をもってもかまわないのですが、

ただし、だいじなことは、

そのひとがしっかりと理性的に、

まともに考えているか、というところなのです。

 

 関係主義の話から敷衍していえば、

マルクスの主軸はアソシエーショニズムでした。

みな、仲間でしょう、ということです。

じっさいの共同体は自然発生的にうまれたものもあるのですが、

アソシエーショニズムは、

人為的につくれるものです。

ひとのしあわせを祈るひとこそがしあわせになれる、

というのもこの考量のもとにあるのです。

 

 古代ギリシャにまでさかのぼれば、

アリストテレスは、大規模集団をつくるためには、

中も意識だけでは不足で、その外接円上にいる人びとも仲間、

つまり疑似仲間として認識しなければ、

もし戦争で逃げおおせても、

その疑似仲間がいなければ大規模集団は

再生産できないと説いています。

 

 けっきょく個人も大事、集団も大事、

ということになってしまいますが、

このバランスをさぐってゆくのがひとつの

社会の課題なのでしょう。