外食が多い。
ひとりで生活しているから
とうぜん、外食になる。
仕事も夜が日常なので、夕飯を
家族ですごすことは皆無である。
らーめん、インド料理、立ち食い蕎麦、定食屋、
べつにきまった場所があるわけではないが、
わたしは、いつもきまってする行いがある。
使った割りばしは、
かならず拭いておくことである。
むかしは、食べ放題のプラスチックの
食器も、ナプキンで拭いて店を出たのだが、
生徒さんから、「舐めたみたいじゃないですか」って
言われて、すこし反省して、それはやめた。
また、口を拭いた紙などはテーブルには
置かずにかならずポッケにしまって店を
あとにしている。机にポンと置いたりはしない。
ほとんどのお客は、皿のうえに
ナプキンをくちゃっておいてあるが、
あれがわたしにはどうもいけない。
店のひとに失礼にみえるからだ。
大谷翔平というひとは、グラウンドでも
ゴミを拾うという。球界一のひとは、それが
ゴミではなく、他者が捨てた「運」だという。
「運」を拾うためのルーティーンらしい。
美しいほどの打算というパラドクスが
そこにはあるのだろうが、わたしが、
料理屋でみせる行為はそのような
崇高なものではない。
ただ、礼儀という一字だけである。
そのあとの見返りは、いっさいもとめない。
じぶんがノブリスオブリュージュのある
にんげんだとはおもっていない。
ここではもうしあげらないが、
インチキな行為を日常、悪げもなくしているからだ。
だが、体育館にはいるときも、
出るときも一礼はかかせない。「ありがとうございました」と
館にたいして声にだすことももちろんである。
仕事場にはいるときも一礼する。
学生の講師はわたしをみて
一瞥のあと完全に無視しているが、
それは、不問にする。
授業がおわって事務所をとおるとき
学生バイトの事務員さんの女性も
睥睨するだけで、わたしを無視するが、
もう気にならなくなった。
いや、気にならないのではなく
諦念がよぎっているだけである。
もちろん、コンビニで買い物をしたあとも
「お世話様」というひとことをかける。
ペイフォワード、それが
みずからに、なんらかの報いがあるとは
まったくおもわない。
見返りはまったくおもわない。
が、挨拶をすることや、
飛ぶ鳥跡を濁さず、箸をきれいにすることや、
ナプキンを持ち帰ることで、
なんとなく、じぶんの気持ちが
すっきりすることは間違いのないことである。
こんな些細なことでも
それをしなかったことへのささやかな後悔より、
ささやかな、すっきりすることのほうが
はるかにじぶんの人生が澱みないように
おもえるだけなのである。
もし、それが打算である、と言われれば、
そうなのかもしれない。
