野田さんが亡くなった。
80歳にちょうどなる12月のことである。
病気がみつかってから半年くらいだったか、
進行が早かったと見え、あっというまの出来事だった。
すでに医者から、余命はつげられていたので、
わたしにも釣り道具のひとつ、ふたつは
譲渡され、つまり終活を野田さんはしていた。
友人から譲り受けたという
渓流竿を三本もらったから取りに来てくれ
というので自宅のアパートに行ったら
「どれか好きなのを持っていっていい」というので
いちばん、握りやすいのをいただいた。
もう渓流にもいかないので、
三本ともくれるのかとおもいきや、
一本だけであった。(あと、だれにあげるのだろう)
魚をしめるナイフももらった。
まだ、もらってからいちども使っていないから、
そのまま皮のケースにしまいこんでいた。
野田さんはよくじぶんのことをしゃべるひとだった。
とくに、若いころの自慢話は沼津にいくまでの
2時間強は、エンエンつづいた。
釣りの帰りにふとなにか白いものが
立っているので、たぶん女性だったが、
そんなものを見てしまった。
と、野田さんは「あんたはそんな才能があるのか」
と、いいながら、「じつは、うちの息子の嫁もな、
そんな才能があってな・・」と
うちの息子の嫁の話で1時間は話していた。
「なんか、あんたの話でなくなっちゃったけどよ」
自覚はあるみたいだった。
わたしが孫の写メを送ると
「なんで、こんなもの送ってくんだ。おもろしくねぇ」
と、半分、怒った口調で「で、おれんとこの孫だけどよ、
〇〇ちゃーんっていうと、ハーイ、って手挙げるんだ」
と、相好くずしながら2時間その話になった。
ひとの話を聞くことはまずしないで
じぶんの話を隅から隅までしゃべるひとだった。
いちど、神奈川のはずれの釣り場に行ったとき、
「ここが釣り道具屋だ。まずは駐車場にいれてから
餌買うぞ」
というので、「野田さん、先に餌買いましょうよ」
とわたしが言うと、「いや、先に車を停めるんだ」
ということをきかない。
で、車を停めてから上州屋に行くと、
なんと閉店。
「ほら、だから、先に釣り具屋に行けばよかったじゃないですか。
なら、駐車場から車出して、つぎの店さがしましょうよ」
とわたしが言うと、
「いや、歩いて探そう」と野田さんが言うので、
けっきょく、わたしどもはつぎの店まで
炎天下の中、1時間くらい歩くはめになってしまった。
で、ようやく釣り具屋について、
店のクーラーにあたりながら、
わたしが、一息ついて、いやー、あの公園から歩いて
来たんですよ、
とため息まじりに店員に話すと、
「そうですか、ずいぶんありましたよね」と
苦笑いを浮かべていたところに、
野田さんが、やっと店にたどり着く。
「じつはね、こいつが先に餌買おうというのを、
それをやめて車停めてから、店に行ったら閉店でよ、
それで、車をおいて、ここまで歩いてきたんだよ」
と、この二人の真夏のものがたりを
最初から最後まで語りだした。
たぶん、店員さんも、そんなこと
聞いてもどうにもならないだろうに。
で、けっきょく、オキアミを買って
駐車場まではタクシーで帰ろうということになったが、
「こんなところじゃ、タクシーは捕まらねぇよ、
迎車してもらわないと」と野田さんが言うので、
「だって、そこ、国道ですよ、待ってれば来ますって」
と、わたしが言うと、はじめてわたしの言うことを
聞いてくれて、しばらく歩くと、
案の定、タクシーはすぐ拾え、
けっきょく2メーターの料金であった。
つまり、われわれは2メーター歩いたことになる。
タクシー代を「おれが出す」と野田さん
言うので、そこは甘えた。
駐車場から車だしたほうが、
よほど時間的にも金銭的にも効率が
よかったはずなのに。
そのとき野田さんは「これからは
君の言うことをきくよ」と言っていたのを
おもいだす。
今朝、エンジンオイル交換を
じぶんでしたのだが、
オイル缶のビニールの蓋がどうしても開かなかった。
だから、なにか開けるものと
探していたら、野田さんから譲り受けた
ナイフがあったので、それで「えいっ」とばかり
蓋を開けてオイルを交換したのだが、
その先の尖った、殺傷能力のありそうな
野田さんのナイフが折りたためない、
寒くて指先がかじかんでいたのかも
しれないが、よく手入れされたナイフは
朝の日に、きらりと光っている。
尖ったナイフの先を見ていると、
そういえば、野田さんというひとは
だれも寄せ付けない鋭いナイフのようだったのかも
しれない、わたしは、今朝、そうおもったのだ。
