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みんな私が悪いのよ

「裁断機の鍵しりませんか」

と、わたしのところに来たのは水尾という

事務の女性であった。

わたしがまだ高校の正規の教員をしていたころの

話である。

 

学校の裁断機は

原題用語の基礎知識くらいの厚さのものなら

バサリと切れる大型だから、

鍵で解除して両手でスイッチをいれないと

作動しない代物だった。

 

たしかに、わたしは今朝、それを

使った覚えはあるが、たぶん、鍵はもとのように

もどしたとおもうが、記憶はたしかではない。

 

だから、わたしはあいまいな答えしか用意できなかった。

 

「うーん、もどしたとは」

 

そして、昼過ぎである。やや責任を感じていたので

事務所に立ち寄り、水尾さんの背中越しに訊いた。

「鍵はどうしました」と。

と、彼女はわたしに向かうでもなく、

書き仕事をしながら、「ありました」と

ただ、一言だけ言って、謝るでもなく、

また、もちろん私のところに来て「ありましたよ」でも

なかったのだ。

 

その話をある人に言うと

「失礼な話ですよね」と憤慨してくれた。

「なぜ、あったらあったで教えてくれないですか、

と訊かなったんです」と。

 

うん、たしかに、わたしもその時、

そういえばよかったのだ。

なぜ、そんな一言が言えなかったのだろう。

 

それは、間違いなく、わたしの劣等感の

なせることだったのだ。

 

つまり、疑われても仕方ないやつ、

そして、そんなやつは紙切れ同然だと、

じぶんでじぶんを卑下して生きてきたからに

違いない。

 

「すみません、疑って、

ちゃんと鍵はありました」と

言わなくてもいい奴に分類されているのは

正確のねじまがった水尾のせいではない、

わたしのせいなのだ、と

無意識に思い込んでいたのに違いない。

 

わたしは、一流大学を出ているわけではない。

予備校の英語の先生に

「先生は、どちらの大学の出なんですか」

と訊かれたとき、即答できなかったのも

そのせいである。

 

なんで40年以上も前の

履歴を答えなくてならないのか、

そんなことも去来してわたしは

すぐに答えなかったのかもしれない。

 

一流大学に行けなかったのも

わたし自身の問題である。

 

わたしは、付きたい先生で大学を選びました、

と、低学歴の理由を述べている、

ちょっと認知的斉合性のかかっている

言い訳をしている人をみるが、

なんか情なくなる。

 

馬鹿は馬鹿でいいじゃないか。

 

ということで、授業中に寝ている生徒をみても

じぶんの至らなさが、かれを眠りに誘ったと

ほんとうにそうおもっている。

 

だから、寝る生徒をわたしは叱らない。

わたしが悪いのだ。

 

悪い言葉でいえば、インテンショナル・ペシミズムである。

電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも

みんなわたしが悪いのよってやつだ。

 

たしかに、事務の女性の態度も悪いが、

彼女が、いま、まだご存命なら

せめて人の心を慮るような

人間性豊富に過ごされていることを

願うばかりである。