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スカッとする話

さいきんのYouTubeでは

「スカッとするいい話」などの動画が

多く目立つ。

 

 みぼらしい老人、からだの不自由な人、

つまり外見的弱者が、見下される話である。

 

が、じつは、その人が、どこかの会長、

どこかの社長、そして、そのために

見下した店主やマネージャーがとことん

ひどい目に合うという筋書きである。

 

あるときは解雇され、あるときは店がつぶれ、

あるときは銀行が破綻するようなストーリーだ。

 

たしかに、水戸黄門や遠山の金さん、

暴れん坊将軍のようなどんでん返しが

準備されている。

 

予定調和といってもいい。

 

ひとは、ああいう「実は・・だった」のような

話を喜ぶのだろう。わたしもそういう話に

うん、気持ちのよいものだ、と満足な気になる。

 

が、よくかんがえてみると、

そのどんでん返しの裏側に

じつは、金持ち、じつは権力者という舞台が

用意されているわけで、

けっきょく、わたしたちは、

権力や金銭の力が一番だ、ということを

暗黙のうちに了解しているのではないか。

 

見た目も悪いし、金もない、権力もない、

というひとが主人公で、スカッとする話は

じつはひとつもないのである。

 

これこそ、わたしたちが築き上げた

唯一の価値観なのである。

資本主義は、けっきょく金があるやつが勝つ、

というレールの上をただただ走っているに過ぎない。

 

そして、もっとも恐ろしいのは、

そういう価値観がすべてであって、

それ以外の道はないと無意識におもいこんでいる、

わたしたちの心根なのではないだろうか。

 

ミッシェル・フーコーは

それを「理性の思い上がり」だというが、

ようするに、「スカッとするいい話」を見て

スカッとしているわたしたちこそ、

理性の思い上がりの上に

そんな動画を楽しんでいるのではないだろうか。