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遺伝

 アメリカの研究だったか、

ひとの能力の伸長は、

12歳までは環境だそうだ。そして12歳を越したころから

遺伝が左右するらしい。

 

つまり、どんな小学生でも

親がせっせと高級な塾に通わせれば

そこそこの私立中学校に入れるわけだ。

ようするに神童は金銭で生産される。

が、高級な中学に入ったところで

そこからは、環境よりも遺伝が優勢になるので、

いわゆる「伸び悩み」がはじまるのである。

 

わたしは、そういう

脱落者を何人も見てきた。

 

そして、そのとき親は、「落ちこぼれ」という語彙が

頭に去来する。そして「せっかく」という

副詞が語頭に去来する。

 

せっかく、金かけて育てたのに、

ま、こういうことである。

 

そもそも、年端もゆかない子どもに

毎日、分厚い眼鏡をかけて塾に行かせ、

親たちはなにを望んでいるのだろうか。

 

それは、理性の思い上がりであり、

価値観の一元化が産んだ悲劇ではないだろうか。

 

文字通り、ミッシェル・フーコーの

「監獄理論」の具現化である。

 

人よりもいい生活をさせたい、

そのためにはいい企業だ。

それには一流企業である。

そして、そのためには一流大学、

で、そこに入るにはいい中学に。

だから、サピックスだ、という

一元化の産んだ逆算の人生設計という

陥穽にすっかりはいりこんだ

親のエゴイズムが子どもに酷使を与えているようにしか

わたしにはおもえてならない。

 

ひょっとすると

まわりの子たちを塾に通わせているので、

遅れちゃいけないって、お前もそろそろ塾に行け、

とか、あまり深い考えもなく

塾に行かせている親御さんもいるかもしれない。

 

で、数年後に「せっかく」と嘆いているかもしれない。

 

あるいは、やたらに習い事をさせている親もいる。

 

いざピアノだ。バイオリンだ、ダンスだ。

お習字にそろばん。

ま、習字やそろばんは、あとあと役に立つかもしれないが、

ピアノやバイオリンやダンスはどうだろうか。

 

いくら習わせても辻井伸之や吉村妃鞠や

鍛冶屋百合子にはなれないのだから。

 

けっきょく、子どもに強いらせることの

多くは「中途半端」ということにならないだろうか。

 

たしかに教育には金がかかる。

これは自明のことである。

 

が、ほんとうに子どもがしたいことを

はたしてしているのだろうか。

ひとの幸福論とはいかなるものか。

 

お金を費やして、お父さんの小遣いを減らして、

お母さんの美容院の回数を減らして、

子どもに塾だ習い事だといって、

最後に「せっかく」で終わるのでは

何が幸せかわからなくなる。

 

人のふり見て我がふり直せ、とはよく言うが、

親の知性を見て子のふり直せ、ではないだろうか。

 

だって遺伝なんでしょ。