これは私の偏見以外のなにものでもない。
「・・らしく」という言葉が今の時代、
忌避されている。「男らしい」とか「女らしい」とか。
しかし、人間の肉体的なものは、男と女と
そりゃ違うでしょって、だれしもおもっているけれど、
そんなこと口角泡を飛ばしていうと、
たちまち、バッシングである。
だが、そこをあえて申し上げるが、
世の女性、ま、母親と妻とかだが、
「あの時、ああすればよかったのよ」と言うのは、
やはり女性のほうが圧倒的おおいのではないだろうか
ちがうのかな。
「だから、あの時、ああすればよかっのたよ」
たしかに、そのとき、こちらは失策しているのだから、
あの時、ああすればよかったかもしれない。
が、しかし、あのときああしなかったのだから、
もう、取り返しがつかないではないか。
「あの時、ああすればよかったのよ」
と言われたとき、こちらはどう返答するか。
「うん、ま、そうだ」
と、うなづくことは容易である。が、
そこで同意してしまえば、100%の間違いは私、
そして、いつでも正解を出し、マウントをとれるのはあなた、
という図式になる。
これはどうもいただけない。
だって、「あの時ああすればよかった」って、
後出しじゃんけんみたいなものじゃないか。
だれだって結果がわかっているのだから、
答えは自明である。
「あの時ああすればよかった」ということは
正しい、まったくもって正論だ、だが、
それをいうことは間違っている。
世の中には、正しくても間違っていることは
よくあることだ。
そこに行くと、世の男性は、
なにか失敗があると、「あの時は」とは言わない、
「じゃ、これからどうするんだ」と
すこし未来のことを提案する。
そういわれれば、こちらも先が開けてくる。
視野が広がるではないか。
ある失策も、次につながる階段になる、
扉が開かれ、すこし救われた気にもなる。
つまり、「ああすればよかった」という言い方に
こちらは返答不能になるのだ。
この返答不能な状態を我われは「呪い」と呼んでいる。
ようするに「あの時ああすれば」は、
こちらに、ご本人は気づかないだろうが、
「呪い」をかけているのである。
「呪い」を受けたものは、
当然、絶望的な疲労感を受け、
最悪、立ち上がれない状態になったりもする。
ひとがなにかミスを犯した場合、
そのミスに対して、どう返答するかで、
そのひとの人格も決まるし、ミスを犯したひとの
その後の人生もおおきく変わろうというものだ。
あなたたちのまわりでも、
そうやって「呪い」を受けているひといないだろうか。
こんな具合に。
「ね。わたしのことどうおもってるの?」
う、うん。呪いである。
