国際問題で迂闊なことは言えない。
が、郷に入ってはというハナシもあるので、
やはり、その国に行ったら、その国のしきたりに
したがってもらいたいものだ。
とくに、この国は、この国に移住する外国人に
尻込みすることがおおく、
そのくせ、入管などの差別的な報道もあり、
いったいこの矛盾、世の中どうなっているのか。
強いものには弱く、弱いものには強いという
図式そのものなのだろうか。
じっさいは、日本という国は
鎖国状態がもっとも安定しているのかもしれない。
岸田秀というひとは、鎖国状態の江戸時代を
「苦労知らずのお坊ちゃん」と評したが、
けっきょく、日本という国はお坊ちゃんなのだ。
のび太君なのだよ。かならずジャイアンに負ける。
しかし、グローバル化がすすむ世の中で、
鎖国状態はそのアンチテーゼなので、
グローバル化は認めざるを得ない。
グローバル化は許容するが、その速度は
ゆつくりしてもらいたい、というのが、
現在の処方箋なのだろう。
九州地方のイスラム教徒の埋葬についても
いま、問題となっている。いわゆるムスリムの人たちは、
宗教上、火葬はできないのだ。平成天皇でさえ
火葬を望んでおられるというのに。
たしかに宗教上の問題は
生死にかかわることですら、たとえば、
ある宗派は、輸血を拒むとか、多々あるだろうが、
やはり、郷に行ってはで、その国のしきたりというものに
遵法してもらわないと困るのだ。
土葬は、土地の広さもさることながら、
土壌汚染にもつながり、問題もおおい。
広大な大地を有する国であれば、それも
問題ないかもしれないが、
7割を森林で占める秋津島、日本では、
現在、土葬はご勘弁ねがいたいものである。
だから、イスラム教徒、ムスリムの人たちは、
いまわが国に20万人いらっしゃると聞くが、
そのうち、永住を希望すれば、その数は
増大するだろう。
だから、日本に住み続ける前に、
事前に、わが国は土葬は認められない、火葬の国だ。
もし、土葬が希望なら、祖国でその儀式を行ってもらいたい、
という一筆をもらって住めるようにすれば
よかったのではないか。
あるいは、法律を作ってしまうとか。
どうも、日本にすむ外国人の多くは、
郷に入ってはではなく、旅の恥はかき捨て、
という気がどこかにあるのではないか。
つまり、トランジットなのだ。
日本は自由の国だろう、だから、
おれは、じぶんの生まれた国の風習で生きるのだ、
これがトランジットの思想である。
本音を言えば、日本は外国人に来てもらいたくない。
インバウンドのせいで、がちゃがちゃうるさい
周金平さんの国の人とか、風呂にはいらないせいか、
やたら香水を振りまいているカレー王国の人とか、
頼むから、静かに、頼むから無臭でいてくれよ、
そう、おもってしまうのだ。
だが、日本人は、出生率が1.4くらいだら、
西暦2300年ごろには日本人は二人になるそうだから、
この国を保つためには、働き手としても
外国人に頼むところが大きいことは確かである。
ようするに、バランスなのだろう。
外国人には来てもらっても、まあ、かまわないが、
日本人的に生きてもらいたい、ただ、それだけなのだ。
君の国でやったような犯罪を日本でも
してくれるなよ、ただ、それだけなのだ。
沼津で釣りをすることがある。
と、ベトナムの子どもたちだろうか、
上半身裸で10名くらいがやってくる。
なんか、ペタペタしゃっぺっている。
うるさい。うるさいならまだいい、
わたしの釣り竿のすぐ横で
あいつらは泳ぎ始めやがったんだ。
ペタペタ騒ぎながら。
殺意というものは、ああいうときに
生まれるのだ、とそのときおもった。
しかし、国産問題で迂闊なことは言えないね。
アメリカに飼いならされた
尻込み国家、お坊ちゃんの国家なのだから。
