佐々木俊尚というひとが『「当事者」の時代』を出版したのは
2012年のころである。
いつから日本の言論は、当事者性をうしなって
弱者や被害者に憑依して、そのマイノリティの代弁を
するようになったのか、といったハナシだ。
あれは横暴だ。許せない。
メディアの思い上がりもはなはだしい。
被災地に乗り込んだメディアのバスが
長蛇の列を押しのけてガソリンを入れただけで
SNSは大炎上する。
お、弱いところをみつけたぞー、
それ、攻撃だ、という勢いである。
あんたに関係ないだろって
ことである。ま、そういう動きがあって
アノミー、つまり道徳の劣化がおさってくれれば、
それはそれでよいとはおもうのだが。
いま、静岡のどこぞの市長さんが
やりだまにあがっている
学歴詐称がそんなに問題なのか、
といえば、あ、すみません、で済んだはずである。
それをおおっぴらに公表し、
その虚偽がばれたところから、
嘘にうその上塗りをして
子どもでもしないような言い訳に終始する
そのみっともなさとふがいなさに
市民が怒っているのだろう。
〇〇大学、中退でよかったじゃないか。
なにが19.2秒だよ、ふざけるな。
ダムの決壊のように
ひとつの罅がけっきょくダムの崩壊につながる。
そんな事情ほ
よくよく彼女も身に染みていることだろう。
気の毒に。
で、報道を信じるとして、
あの市長さんは今後、メディアの取材には
根本的に応じず、すべてはSNSで発信してゆく、
と、そういう方向性、生き方を選択したようだ。
すばらしい。
SNSの発信なら、じぶんの意志だけが
世間に報じられ、みんなが訊きたがっていることを
あっさり隠ぺいできるから。
キャス・サンスティーンというひとは
2000年初頭に『