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おにぎり物語

 子どものころから、おにぎりは好きではなかった。

日本のソウルフード、
映画「かもめ食堂」でも、メインはおにぎりであった。

 しかし、なぜか、わたしは好きではなかった。
いくら食べても空腹感が残るから、という
ささやかな理由もくわわっていたのかもしれない。

 だから、遠足にいっても母のつくるお弁当に
おにぎりは入っていなかった。

 どうでもいいが、母のつくるお弁当には、
よく、キャベツとハムをくるくる巻いて、
楊枝でおさえたものが入っていて、
これも好きではなかった。

 おまけに、ゆで卵がいつも、
2つべつの袋にあり、
ちいさくたたんだアルミホイルに塩がつけられていたが、
これは、ほとんどのこして帰ってきたとおもう。

 ゆで卵は、口がパサパサに乾き、
おまけに、
なんか、口臭にも関係するようでいやだったのだ。

 だからというのか、わたしは、
ほとんど、おにぎりというものを食べていない。


 とくにコンビニのおにぎりは、
まず口にしない。48時間、大腸菌がつかない、
ということらしいが、そんな「おそろしいもの」が
地球上にあること自体、不可思議である。


 今日は、かかりつけの医者に行った。

 「せんせい、いまノロウィルス、流行ってますね」

 「うん、流行ってるね」

 「わたしどもがノロになってしまうと、商売あがったりで」

 「あ、お宅は、そうだね」

 「手すりとかつり革にもいるらしいですね」

 「うん、そんなのだいじょうぶだよ。
いちばん、危ないのはうちだよ」

 「はい?」

 「ノロのすごい患者さんがいっぱい来ているから、
うちがいちばん、ノロの危険性があるよ」

 わたしは、それを聞いてぞっとした。

 「とにかく、手洗いね。それから食事すれば大丈夫。
危ないのは、貝です。でも、ひとつやふたつなら、
あんがい、簡単に治るもんだよ」

 「はあ、そういうものですか、ところで、
せんせい、体重計お借りでますか、うちにないもんで」

 「うん、いいよ、減量してんの」

 「あ、減量ではなく、炭水化物をやめているんです」

 「それね、ゼロはだめだよ。少しはとらないと」

わたしは、駅向こうの峰さんから、
50歳を過ぎれば、炭水化物はいらない、と言われ、
それを信じ、この3ヶ月、炭水化物は、
蕎麦だけで、あとは、肉やら温野菜やら、
そんなもので食いつないできたのだ。

それだから、ベルトの穴が3つほどずれたわけで、
すこしは体重も減ったかとおもったのである。


 「炭水化物はね」と先生は続けられた。

 「脳の栄養にもなるし、炭水化物を取らないと、
・・・・・」

 じつは、わたしは、このもっとも崇高な結論のところを
聞き逃したのである。

 炭水化物をとらないと身体のなにかが
どうにかなるらしいのだが、
とにかく、結論は、すこしは炭水化物を取らねばならない、
ということだ。


 体重は3キロちかく落ちた。
しかし、まだ、
「♪それでもデブはデブ」
(ここのところは、松山千春の「恋」に乗せて)


 すこしは、体重もおちたし、炭水化物は
とらなければならない、とすぐひとのお説に
揺り動かされる付和雷同は、さっそく店にもどり、
炊きたてのコシヒカリを、ほぐしていれば、
なんとなく、これを食べたい衝動にかられたのである。


 このコシヒカリは、わたしの短歌の先輩が、
丹精込めてつくった最上級のコシヒカリなのだ。

 悪名たかき、JAを通さずに、直送なので、
味は最上級なのに、値段は中級、ありがたいことである。


 が、いままで、峰さんに言われたとおり、
この、ひと粒ひと粒が輝きに満ちた、
大げさに言えば、宝石のようなシロモノを
ほとんど口にしなかったわたしであるが、
きょうは、どうしても、これを、食べたくなったのだ。

 手に塩をぬり、220度で炊き上がった米を乗せ、
梅干をいれ、キュッキュッと二三回にぎる。

 そう、わたしは、おにぎりを作ろうとしているのである。

 まだ、湯気がたちあがる、店のあかりに反射した
微細なひかりの粒は、
みずからの力でわたしのテーブルの上に立っている。

 そのまわりに、上原海苔店の海苔を巻き、
わたしは、これをほおばった。

 なんといい香りだこと。

わたしは、涙のでるような感覚に、
しばらくひたっていたのである。


 やはり、日本人にはおにぎりである。