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いたどり物語

義父にはよく吉野川に連れて行ってもらった。

 家から車で十分程度の川原である。
野生のクレソンとか、つくしとか、いたどり。

 つくしは、もいで、「へた」の部分をむいて
きんぴらにする。


 クレソンは、そのまま食卓に。


 いたどりは、細くきざみ塩漬けて、山椒の葉とともに炒める。

 すべて春の味覚である。


 義父は、いたどりを折って、口に含み、
わたしにもやれという。

 その青くさく、酸味のある味は、
美味というのとはすこしちがった。

 「春の味や」

義父は、ぼつりと言った。

 すこぶるあかるい性格というのでもなく、
ふざけたことなど見たこともない。

 実直で、ひとのためにいつもひたむきに
なにかをしてくれるひとだった。

 わたしのことを好きかといえば、
そうではなかったろう。

 ただ、ひとり娘の選んだ男、ということで、
わたしを歓待してくれているのだと、
徳島を訪れるたびにそうおもっていた。


 義父は身体も弱く、胸を患ってもいたし、痩身である。
だから、その娘は、父とは真逆の、
叩いても壊れそうもなく、でぶで、どこかふざけたやつを
選んだに違いない。


 義父は、よく鳴門に釣りに連れていってくれた。

「さびき」という素人釣りだが、筏に渡船してもらって、
一日あそんだ。アジ、サバ、いわし、ときにはヒラメ。


クーラーいっぱいになった魚は、義父がさばいて、
晩飯にふるまってくれた。


 鳴門にむかう車からは、蓮の畑がみえた。
いちめんに蓮の葉の緑がかぜに揺れている。


 そして、ところどころから、この世のものとはおもえないような、
うすい桃色の蓮の花が背伸びをするように咲いている。

 蓮畑の農家は、この時期には徹夜で、
この花を守らなければならないということも父から教わった。

 この花を盗みに来るものが毎年いるのだそうだ。


 「蓮とレンコンってどうちがうのだろう」
わたしが、助手席でひとりごとのように言ったとき、
父は、まっすぐ道路のほうを見ながら、ひとりごとのように、


 「おなじや」

 

 あのとき、なんて馬鹿なことを言ったのか、
いまでも、赤面のいたりである。


 その義父が亡くなって13年が経つ。

 みずからの死期もわかっていたらしく、
すべて葬式の段取りも決めて、亡くなった。


 葬儀のあいさつはわたしの役目だった。


 ・段取りをすべて終わらせあっさりとつくしのころに父は逝きたり   

 


 昨日、田舎から「いたどり」が届いた。義母が送ってくれたものだ。
それを、娘が料理してわたしの部屋に届けてくれた。


 酸味と苦味と、やはり春の味である。