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コバエの話

 ことしの夏はむやみにコバエが飛んだ。

 

むかしは、あんなには見かけなかったのだが、

ことしは、下水のあたりなどに無数に飛び回っていた。

 

 しかし、コバエとだけあって、すこぶる小型である。

黒ゴマよりも小さいのではないか。調べてみると、

コバエという蠅はおらず、ショウジョウバエ・

ノミバエ・キノコバエなどの総称らしい。

 

 だが、あんまりちいさいので、それが

ショウジョウバエなのか、ノミバエなのか

とんとわからない。

 

 とにかく、黒い極小のモノが飛ぶ。

 

 あの大きさの中に目も口もあるのだろう。

わたしは、そうかんがえているうち、

このハエどもの仕組みに感心してきたのだ。

 

 よくぞ、この大きさにして空中を舞うことが

できるものだ、と。

 

 空中を飛ぶことができるということは、

そのカタチが空を飛ぶことにかんして

完全でなければならないはずである。

 

 紙ヒコーキでさえ、ちょっとでも

折り方をテキトーにすれば、飛ばないじゃなぃか。

 

 

 そして、繰り返すが、あんなにも小さいのだ。

 あのサイズで、にんげんがおんなじものを

作れるかといえば、それはノーだろう。

 

 ヒトは、肉体の延長としてさまざまなものを

工作してきた。脚の延長として自転車や車、

皮膚の延長としてスーツやシャツ。目の延長は眼鏡。

手の延長として包丁やハサミ。

携帯電話にテレビに冷蔵庫や電子レンジ。

ミサイルやピストル。

あげくに、空まで飛び、ひいては月にまでゆく時代だ。

 

 レヴィ・ストロースは、「アフリカの知性」で

ブリコルールを紹介した。アフリカの原住民が

野原をあるいて、想像力を発揮しながら、

生活に必要なものを集めて、創意工夫している、

そういう人びとをブリコルールというのである。

 

 ヒトは、どこの国のどこの民族も、

そうやって文化をつくってきた。

 

 

 

 が、空を飛ぶ装置で、家の中に保存しておけるような

大きさのものはない。

 

 空を飛べる道具は格納庫でもないかぎりむりだ。

 

 だから、やはりコバエはすばらしい。

 

 わたしのところにいるコバエ君たちが、

はたして、ショウジョウバエなのか、

ノミバエか、はたまたキノコバエか、

けっきょくわからずじまいだろうが、

いつも、こいつら、よく完璧な仕組みで

空中を飛び回ることができるものだとおもいつつ、

見かければ、バーナーで燃やしているのである