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娘を呼ぶ

店に「ゆい」を呼んだ。
実家にもどっていたから呼んだら、すぐ「行く」という返事が来た。
ゆいは、10時を回ったころに来た。

黒いつばつきの帽子をかぶっていた。
ファッションなのだろう、夜なのに。

「酒、用意したんだけど、飲むか」

「うん、いいね」

わたしは、冷蔵庫から、買っておいたシャンパンを出した。
スパークリングワインではない。
シャンパーニュ地方の白ワインである。

「フランスのシャンパーニュ地方は、飲み水にすでに
炭酸がまじっているんだ。それで作るワインは、
こんな風に、泡が出てくるってわけだ」

シャンパンとスパークリングワインとのちがいを
知らない娘に、偉ぶった講義をし、
このワインがどれだけ高級なものかを説いた。

このへんが、貧乏人のいやらしい根性というものだ。

パートの「ゆり」さんと乾杯した。

どんなに高級であっても、コップは店のプラスチックなので、
気分は最高、なんてもんじゃない。
場末の雰囲気。


「わたしさ、バカだったから、全国模試の成績が、いちど、
びりから2番というときがあってさ」

「へー、びりから2番」

「そ、驚くでしょ。でも、それでもこうやって
ちゃんと仕事してんだよ。勉強ができなくても、
だいじょうぶなんだから」


「そうな、お前、成績わるかったもんな」

「お父さんさ、わたしが勉強しないからって、
わたしの勉強道具、カバンごとゴミで捨てたことあんだよ」


「へー、ゴミ箱に?」


「ううん、外の網のなかに」

「え、おれが」


「そーだよ、覚えてないの?
わたし、泣きながら取りに行ったんだから」

 

「ふーん、知らない。覚えていない」


「あ、覚えていないんだ。なんて親だとおもったね」

「な、ひどい親だな」

「じぶんだろ」

「覚えてないってことは、それが日常だったんだな」

「よく叱られたな」

「そう? なんにも覚えていない」

と、カウンターの三人の宴会は、わたしの性格の破綻したことで盛り上がった。

パートの「ゆり」さんは、

「覚えていいないというのがすごいですね」
と、あきれたように笑っている。


「わたし、そういうこと忘れないからね。記憶力だけはいいからさ」

とうもろこしのつぶのようにすらりと並んだ、
銀歯のひとつもない白い歯で、ゆいも笑っている。


「ね、ゆりさん、ゆいの歯、きれいでしょ、これだけだよ、自慢できるの」


「ほんとですね。きれいな歯」


「いいよ、その話は」

「おれが、お前に教えたのは、箸の持ち方と、すしの喰い方だけだからな」

「ほんと、それは感謝している」

「けど、かわいそうだったよな、コウゾウなんか、
寿司屋でひっぱたかれながら食ってんだもんな。
そうじゃないだろ。こうやって食うんだ、とか言われながら」


「お兄ちゃん、かわいそうだったよね」


「でも、娘さんに、お前って言うのいいですね。わたし、 言われたことないですよ」
と、パートのゆりさんは、ぽつりと言った。


「そーか、おれは、ゆいって呼ぶか、お前って言うかだな」

それにあんまり親らしいことしていないし。

しばらくしてゆいは帰っていった。
父親特製の厚焼き玉子や、シギ焼きをすべて平らげて。

 

シャンパンも三人で飲むので、すぐに空っぽになってしまった。

たいした話もしなかったが、「わたしの娘」としての
最後の時間は、いつもどおりの父親の悪口でおわった。


明日は、娘の結婚式である。