店主日記
店主日記

主人公は誰だ

となりのトトロの主人公は

いったいだれなのだろう。

 

トトロ、というのが妥当だろう。

いや、さつきとメイかもしれない。

 

あるいは、メイだけ。

 

いろんなひとに訊いてみるのだが、

このくらい、まちまちな答えがもどってくる

アニメもなかなかない。

 

じつは、「物語の主人公論」というのがあって、

おおよそ、四通りの見方ができるのである。

 

その四通りでゆくと、ひょっとすると、

まっくろくろすけが主人公になっても、

お父さん、あるいは、お母さんを主人公に

することもできるのだ。

 

まず、ひとつめの見方。

 

「タイトルの人物」

 

 タイトルとなった人物を主人公に見立てる。

しごくとうぜんのことである。

 

 だから、となりのトトロのばあいは、

「トトロ」ご本人ということになる。

 

 たとえば、『シャーロックホームズの冒険』なら、

やはり、主人公は、シャーロックホームズだ。

 

 ちなみに、シャーロックホームズは、あんな探偵家業だけでは、

とうてい暮らせない。のんびりと葉巻なんか

加えているばあいでもない。シャーロックホームズが

葉巻をくわえているのかどうか、

よくおぼえてないけれども。

おそらくホームズは、

ランティエ階級だったのではないか。

ヨーロッパは、ルネサンスのころから、

第一次世界大戦のころまで、

ほとんど貨幣価値がかわっておらず、

父とか祖父が、銀行に多額の預金をしているとか、

すこしましなアパートを所有しているとか、

そうすると、その子孫は、ほとんどなにもせずに、

贅沢をしなければ、暮らしていけたのである。

そういう階級をランティエと呼ぶのだが、

どうも、シャーロックホームズは、それだったのではないか。

そうでなければ、あんな余裕な暮らしぶりはできないというものだ。

 

さて、話を主人公にもどすが、

『我輩は猫である』も主人公は「猫」。

『ロリータ』も主人公は「ロリータ」。

 

ところで、ロリータというのは、と、

また、話がずれてしまうから、白亜系ロシア人の

ナボコフ先生の話はまたこんど。

 

『走れメロス』はやはり「メロス」

 

 むかし、ある学校で「走れメロス」の劇をしたそうだが、

そのときのメロス役の生徒が、どうも

リアリティにかけるとおもい、

本番前に

校庭をなんどもダッシュして、ぜいぜい言いながら、

壇上にあがったそうだ。

だって、作中のメロスはずいぶんと走って

ともだちのところにもどるのだから。

しかし、良い演技になるとおもいきや、あんまり

本気で走ったものだから、具合が悪くなって、

座っていた王様の洋服に嘔吐してしまったのだ。

でも、王様役の生徒は、動揺もせず、

「どうした、メロス」とか言って、

その場がうまくしのげたそうだ。

 

 だが、翌日、学校内ではすでにあだなが

できていたそうだ。

 

「来た、来た、ゲロス」

 

「走れゲロス」

 

 

さて、話をもどそう。

つぎの分節のしかたは、

「物語の語り手」

 

だれが、その物語を語っているか、

ということで、その語り手を主人公とする、

という見方がある。

 

トトロのばあいは、アニメだから、語り手というものがおらず、

これでは特定できないが、たとえば

シャーロックホームズなら、ワトスン君である。

かれが主人公となる。

 

芭蕉のことを去来がしたためた『去来抄』は、

芭蕉先生が主人公ではなく、語り手は去来ほんにんだから、

主人公は去来、ということになる。

 

 

 三つ目は、「あらすじの主語」

 

となりのトトロのあらすじを書こうとする、

そのとき、だれの目線で書くかによって、

主人公が変わってくる。

 

 たとえば、まっくろくろすけは見た、とか

それでエンエン書けるなら、くろすけ君が

主人公になってもよい。

 

 さつきは、で語れば「さつき」。

 

 とうぜん、あらすじの主語は

もっとも書きやすい人物が主語となるのだろう。

 

 

最後に、こういう見方がある。

 

「境界を超える人物」

 

境界とは、たとえば、『走れメロス』では、

メロスが境界を超えてもどってくるのだから、

やはり、メロスが主人公である。

 

 『羅生門』では、下人が「羅生門」をくぐり、

つまり境界をくぐり、境界としての羅生門を出てゆくときは、

盗人として出てゆく、これはまさしく完璧な主人公である。

 

 となりのトトロでは、トトロの世界に踏み込んだのは、

さつきとメイだから、このふたりが主人公となる。

 

 こうやって、物語の主人公は、分節のしかたによって

変わってくるのである。

 

 

 それにしても、ひとのうわさやあだなというものは、

一日にしてなるものである。

 

 いつ、あなたが主人公となるかわからない