店主日記
店主日記

沈黙の螺旋

ドイツの政治学者ノエル・ノイマンが提唱する
「沈黙の螺旋理論」とは、
少数派が多数派におされてなにも言えなくなる事況をいう。


 よく例に出されるのが、小泉内閣の
郵政民営化の審判をくだす衆議院解散である。
けっきょく自民党の圧勝となったが、
あれは、この「沈黙の螺旋」が作動したということだ。
 つまりは、郵政民営化に反対する勢力は、
梨のつぶて、なんにも言えずに縮こまっていたのだ。
「沈黙の螺旋」が吹き荒れたあとは、
大勝という栄冠を得ることができるわけだ。

 このマジョリティの風圧は、マイノリティを押し黙らせ、
螺旋をえがくように増大するのである。


 こんどの、都議会選挙だって、それがはたらいたのだろう。
みんな、わけのわからない都民ファーストに
一票を投じたじゃないか。

 いちど、この沈黙の螺旋がうごきはじめると、
それを止める力は、この民主主義の世の中では
まず不可能なのだろう。

 とくに、ひとには、日和見の能力が
生得的にそなわっているとみえて、
どちらが大勢派なのか、それを見分けることが
できるらしい。

つまり、ア・プリオリの能力である。


 とくに、農耕性のつよい民族であるわが国では、
みんなといっしょというDNAは否めず、
これと、「沈黙の螺旋」構造が組み込まれると、
じつにやっかいなものとなる。


 ようするに、「ひとりではなにも言えない」のだ。


 第二次世界大戦後の東京裁判で、
A級戦犯がことごとく、「わたしはあの戦争には
反対だった。しかし、あの場では
それが言えなかった」と、述べたのも、
じつは、この「螺旋」構造が機能していたのだ。

 そして、この「螺旋」構造をつくりあげていた
エネルギーなるものは「空気」だったと、山本七平は論破した。

 山本氏の「空気の研究」である。

 第二次世界大戦は「空気」が起こしたのだ。

 そういう空気を感得しながら、多数派へと、
みずからをみちびくそこに「個人主義」もあったものじゃない。

 で、ここでおもしろいのは、
「沈黙の螺旋」理論どおりに世の中がうごいているにも
かかわらず、我われは、集団というものを考えなくなっている
という事実である。マジョリティには迎合するものの、
だからといって「社会貢献」とか「共同体感覚」とか、
そういうものが欠落しているというパラドクスは、
すでに、この世の中が、崩壊に近づいているという
予兆なのかもしれない。

 吉村屋さんという、むかしはひどく
おいしいラーメン屋さんがあった。
 同業だから、わるくはいえないけれど、
杉田という神奈川のはずれに位置し、
ともかく、こってりした家系総本山の老舗である。

 横浜に移転してずいぶんになるが、
やはり、スープの濃さは、杉田のころのようには
ゆかず、うーん、という感じ、なんだが、
並ぶ、並ぶ。すでに店の前にはベンチまで用意があり、
そこに、蚊取り線香のようにひとが
渦をまいているじゃないか。

 わたしは、こういう光景に「沈黙の螺旋」構造を
みるのである。

「きみたち、ほんとにじぶんの舌で確かめなよ」
と、言いたくなるわけだ。


 並ぶから、うまい、という図式は、
日本を戦争においやった思想と、じつは
構造的には類比的なのである。

 
 永福町に、煮干しだしのラーメン、
大勝軒がある。わたしは、友人とその行列に並んだ。

 店をぐるっと囲むように人垣ができている。
一時間くらい待ってようやく店内に入ると、
じつは、カウンターを囲むように、ぐるっと
まだひとが並んでいる。

 つまり、店の外で一周、店の中で一周しなければ、
着座できないわけだ。

 けっきょく二時間ならんだすえ、
わたしたちは、ようやく席に着けた。

 で、ラーメンを頼み、待つこと数分。

 大きなどんぶりに400グラムの細麺がはいっており、
たっぷりと脂がスープにかぶさり、
煮干しのよい香りがしてくる。

 ひとくち、すすってみる。

 うまい。やはり、待っただけの甲斐があった、
と、わたしはおもった。

 と、となりの友人が、わりに大きな声で
こう言ったのだ。

「まずいねぇー」

「・・・・」

 店内にひびく「まずいねぇー」は、
マイノリティの一言だったろう。

 「おい、よせよ。みんな聞いてるじゃないか」
と、わたしは小声で言ったけれど、
しかし、いまからおもえば、
かれには「沈黙の螺旋」構造がそなわって
いなかったということなのだろう。

 うん、これからは「まずいねぇー」と
言えるような人物が増えてくることを期待しよう。

 しかし、かれは「空気を読めない」人物とも
言えそうだが。