店主日記
店主日記

ペシミスティックな幸福論

今朝、たいへんなところで目が覚めた。 

 体育の座り方をして、 
そのうえ、水の中にいるのである。 

水は白濁しており、すこし冷たい。 

いったいどこなのか。 

とにかくいつものベッドの上でないことはたしかだ。 

それにしてもいつからここにいるのか。 

そして、ここはどこだ ! 

 そんな、どうしようもないループを 
ゆらゆらと頭のなかでもがいているうち、 
ここが、風呂場であり、わたしの家であることが、 
ようやくにわかってくる。 

しかし、なんでわたしはこんな冷たい水に 
つかっているのか。 

また、いつからここにいるのか。 

指をみると、すこしふやけている。 

ということは、何時間か、ここにこうして 
寝ていたということに、じわじわと理解するのである。 

ひとは、じわじわとじぶんが、 
どうしてこういうふうになったのか、 
不可逆な時間を強制的にもどして、 
いま置かれているじぶんを理解しなくては 
ならないときがあるものである。 

かんたんに言えば、現実がもどってくるのである。 

 

たとえば、夕方、なにげなくうとうとってしてしまい、 
ふと、起きる。 

え。いま何時? 

仕事は? 


ここはどこ? 


 という感覚におそわれるときがある。 
が、そういう感覚をわたしはすこぶる好んでいる。 

 というのもふだん、我われは、 
じぶんがいまどんな表情をしているか、 
じつは、じぶんはじぶんを含んだ景色を 
べつの場所から眺めながら生きているわけで、 
なんべんももうしあげてすまないが、 
ヘーゲルのいう「自己意識」を 
意識しながら生きているわけだ。 

ヘーゲルのいう自己意識とは、 
じぶんを含んだ景色を 
他所から眺めることである。 


 それは、いったいおれはいま 
どんな笑い方をし、

どんなトーンでしゃべり、 
どんなふうに彼女を見、 
どんなあいさつをしているのか、 
いちいち、自己意識を作動させながら、 
じぶをメタな位置から観察しているというわけだから、 
それって、あんがい疲れる行為なのだよ。 
その疲れる行為を、わたしたちは日々していることになる。 

 それは、ひとつの近代の病かもしれない。 

 ポール・ブルジェというひとは、 
個人が内面を書きつづった日記をつけることじたい、 
あるいは、それを刊行することが、 
近代精神の「病」とよんだが、 
わたしは、それよりも、

このメタなじぶんがいることじたい、 
「病」である気がしてならない。 

 こんなふうに日記にすることなんて 
お安いご用じゃないか。 


 しかし、ともかく、夕方のうたた寝くらい、 
みずからの自己意識から解放されてるとき 
はないのである。 

 それって、メタのじぶんが起動しない 
刹那の時間なのだ。 


 うたた寝っていうのは、そういう意味で、 
まったくの手放しなじぶん、全裸のじぶんがいるようで、 
たいそう気持ちのいいことなのだ。 

 それから、あ、そーか、いま夕方で 
ちょっと寝ただけなのだね、という、

自己意識が回復した じぶんが、

どこか深淵なところからもどってくる。 

 そのもどってくるときが、 
あ、じぶんはまだ痴呆になっていないなって 
感じるひとときでもある。 


 そういうひとときをわたしは 
幸福とよんでいるのである。 


 それだから、うたた寝は幸せなのだが、 
しかし、夜中じゅう風呂につかっていたのは、 
なぜなのか、ひとつも幸福感がわかない。 

 やはり、不可逆な時間を逆戻りさせねばならない。 
たしか、土曜日の夜は、最後まで残ってくれたお客さんと、 
ギターを弾きながらのカラオケ大会をしており、 
そのあいだじゅう、わたしはウォッカを 
氷もいれず、みずでわらず、ぐびぐび飲んでいたのだ。 

 ボトル半分くらい飲んでしまったとおもう。 

 いま、ロシアではウォッカ禁止条例が出ているとか。 
ロシアの平均寿命はすこぶる低く、たしか、35歳前後では 
なかったろうか。それがウォッカを禁止したあたりから 
平均寿命が延び始めたらしい。 

 つまり、ウォッカは、ひとの命を縮める媚薬ということになる。 
その媚薬をわたしは、ギターを弾きながら、 
飲んでいたわけだ。 

 だから、店がおわって帰るころに、 
ふらふらと自転車にのり、片手に 
マーチンのハードケースにはいったギターを 
持ちながら、もじどおりよろけながら帰ったことを 
おもいだしたのだが、それからの記憶がない。 

 おそらく、そのまま風呂にはいり、 
わたしはそのまま風呂のなかで就寝したのではないかと、 
推察するものである。 

 風呂で死んだひとをわたしはひとり知っている。 
わたしの後輩で、大学の講師とか、町のスクールで 
国語を教えていたひとである。 

 かりにミキちゃんと言っておこう。 

 このミキちゃんは、ちっとも勉強ができなくて、 
ゼミの発表たるや、悲惨なものであった。 
だが、ついていた教授とべったりだったものだから、 
大学の就職も斡旋してくれたし、 
カルチャースクールの講師もできたのである。 

 大学時代、彼女は、「古事類苑」を資料として 
平気でレジュメに載せてきた。 

 だから、わたしが、ミキに言ったのは、 
「あのな、古事類苑というのは、原書の引用だから、 
その古事類苑をレジュメに出すってことは、 
孫引きになるのよ、わかる?」 

 そうしたら、「え。そーなんですか」って。 
だめだねぇ。 

 しかし、そのミキがわたしの通っていた 
大学の文学博士第一号というのだから、 
わたしは吃驚したものだ。 

「わたし、文博なのよ」と、 
横濱の狸小路で彼女から言われたとき、 
わたしは、椅子からずりおちた。 

 いちどだけ、彼女と飲みに行ったことがあったのだ。 

「うそだろ」 

「ね。うそみたいでしょ」 

 彼女も、じぶんの能力をよく知っているのだから、 
頭はあんまりよくなくても、知性的であったことは 
間違いない。 

 なにを知っているかではなく、 
なにを知らないかを知っていることを知性とよべば、 
ミキはとても知性的な魅力的な女性だったのだろう。 

 しかし、彼女は、ずっと独身で 
母親を亡くしてからは、ひとりで暮らしていたはずだ。 


 カルチャーセンターに待てど暮らせど来ないものだから、 
確かめてみたら、風呂場で溺死していたそうだ。 


  
 馬鹿な子ほどかわいいというが、 
べつに、わたしはミキを可愛いとはおもってなかったし、 
うらやましい人生ともおもってなかったが、 
もうすこし、人生を謳歌してもよかったのではないか、 
と、わたしはおもっている。 


 そして、わたしは、そのミキとおんなじことを 
昨夜したわけなのだ。 

 

 、 
何時間もお湯から水にかわってゆく浴槽に 
寝ていたのである。 
白濁は、そういう薬剤をいれていたからだ。 


 しかし、幸いなことに、 
わたしの拙宅の風呂は狭いので、 
屈葬のような姿にしかなれなかったことである。 

これなら溺れることはない。 

 命拾いをしたわけだ。 

 それを幸福とよぶなら、そうだったかもしれない。