店主日記
店主日記

肥満

 小学校6年生のときだったとおもう。

朝のホームルームに担任のヤマギワ先生から、

わたしとサワノ君だけが、名指しで呼ばれた。

 

 ふたりがそろって教卓にいくと、

一冊のパンフレットを渡された。

 

 級友は、なに、なにと興味ありげである。

あたりまえである。たったふたりだけが、

指呼され、たったふたりだけの配布物があるのだから、

とくべつな存在なのである。

 

 まわりの子たちは、わたしの手にした

パンフレットをのぞきこむ。

 

 そこには「肥満児のためのカロリー計算」と

書いてあった。

 

 これは、11歳の子どもには、

ひどくショックなことである。

たしかに、「でぶ」である。太っている。

 

 しかし、クラスのなか、名指され呼ばれ、

「あんたは肥満児だよ」と

衆人環視のなかでそれを堂々と宣告されることが、

どれほど傷つくかは想像に難くない。

 

 むかしは、そういう残酷なことが

非人道的ともおもわれず、淡々とおこなわれていたのである。

 

 ヤマギワ先生を責めているのではない。

そういう時代だったともうしあげているのである。

 

 いまじゃ、サワノ君もわたしも、

病気じゃないのくらい痩せてしまったので、

もう、あのころの面影は、ふたりともないけれども。

 

 むかしは、「食べろ、食べろ」と親から

餌を与えられ、それをむしゃむしゃと

ほおばせるのが親の愛情であった。

 

 もともと、生まれたときから、わたしは

ものすごく大きな子だったし、

まだ、年端もゆかない幼稚園のころから、

そんな育てられ方をしたので、

よく食べる子が、立派で偉い子だと

刷り込まされていたような気がする。

 

 じっさい、そんな幼少のころから、

親が喜ぶ顔をみるのが、子どもの仕事のような

気がして、親が喜ぶことがじぶんの唯一の

幸福論だったような記憶がある。

 

 それは、幼稚園の年少のころにしては、

ませていたのか、それとも、どの子どもにもある、

普通の感情なのかはわたしにはわからないけれども、

すくなくとも、わたしは、親を喜ばせるために、

しこたま飽食した。

 

 おかげで、みるみる太り、ついには、

「肥満児のためのカロリー計算」などという

いかがわしい冊子までつきつけられるハメになったのだ。

 

 中学校の卒業アルバムは、顔写真だけが実物の写真で、

それ以外の部分は、すべてクラスのアルバム委員が

イラストを描き、B4一枚の紙面をつくった。

 

 スダコとキンヤがその係りだったが、

わたしはキノシタ君の上にまたがりながら

わたしのTシャツには「80」と数字が書かれていた。

 

 それは、わたしの中学三年生の体重を意味する。

一生の記念にのこるだいじなアルバムに、わたしは、

永久にじぶんの当時の体重を刻印されてしまったのだ。

 

 スダコとキンヤにしては、ほんのあそび心なのだろうが、

書かれた本人は、半世紀たってもまだ禍根として

のこっている。罪なやつらだといまでもおもっている。

 

 インド人には、肥満な子どもにメガネという姿が

ステータスだという。金のある証拠だからだ。

 

 しかし、日本ではそうはゆかない。

いま、でぶ、肥満児、太りすぎはコントロールのできない

愚か者、というレッテルを貼られる。

 

 うちの初孫も、よく太っている。

これが隔世遺伝だったら、もうしわけないと

おもうのだが、食べ物をセーブさせることが親の仕事だし、

彼女の今後の未来を左右させるとても大きな

日常だとおもっている。

 

 よく食べる子はそれはそれでいいのだが、

過度な食事の付与は、

その子に待っているはずの将来の不幸を

とうぜん覚悟しなくてはならない。

 

 

 

 

 食べ放題は、たしかに幸福論では、

至高のシステムだとおもう。

 

 いくら食べても、値段はいっしょ。

なら、いくらでも腹に詰まる限りは、

元をとるくらいに食べましょう、

ということになる。

 

 だいたいにんげんはみみっちくできているから、

元を取ろうと必死である。

 

 もう、入りませんよ、とおもいつつ、

皿が新しくなれば、じゃ、こんどは甘いもの、なんてことになる。

と、横をみれば、ソフトクリームがあるじゃないか。

なら、これは別腹と、ぐるぐると容器をまわしながら、

たっぷりとソフトクリームを入れ、おまけに、

トッピングで上を飾る。で、たべるときに、

おなかいっぱいのうえに、そのトッピングの

ナッツの残骸みたいなのがのどにひっかかり、

吐きそうになったりする。

 

 見苦しい。

 

 そして、食べ終わったときは、

満足の度を越して、気持ちわるくなっている。

「飽きる」という動詞は、古来、満足をあらわす語であったが、

同時に、現在つかっている「飽きる」の意味ももつ。

 

 満足と飽きる、つまり、幸福と不快は紙一重なのだ。

 

 けっきょく、食べ放題は、

闘いに負けたような気持ちで店を出ることになる。

そこに残っている感慨は、飽食への満足と幸福ではなく、

後悔と不快と醜さの前景化にすぎない。

 

 もっともすぐれていることは、

食べ放題はいかに食べるかではなく、

いかに食べないかに尽きるのではないだろうか。

 

 それは、子育てにも通じることで、

いかに食べさせるかではなく、

どうやって食べさせないか、ということなのかも

しれない。

 

  肥満児は親の罪だからである。

 

 

 

 また、小学校の話になるのだが、

わたしが小学4年生のときの下校途中、

のぼり坂の中途で、うしろに二年年上の

サカグチさんが歩いていたのだが、

とつぜん彼女がなにかを唄いだしたのだ。

 

「♪肥満児ぃのあなたぁ」

 

 これは、当時、昼帯のテレビで「3時のあなた」という

番組があったのだが、そのテーマソングの

「3時」を「肥満児」にかえたものだった。

 

 その坂には、わたしとサカグチさんしかいなかったから、

まちがいなく、その歌はわたしにむけての

揶揄にちがいないのである。いや、揶揄というより、

軽蔑にちかかったような気がする。

 

 その思い出も、何十年経っても消えずにある。

 

 つい数年前、友人のヤスイが、そのサカグチさんに

やはり、数十年ぶりに会うと聞いたので、

わたしはヤスイに、このエピソードを話し、

彼女がそれをいまでも覚えているか、

ぜひとも聞いてくれと頼んだことがあった。

 

 おそらく、サカグチ女史はまったく

覚えていないだろうとおもったが、

こんなチャンスはめったにないだろうから、

そうヤスイにお願いしたのである。

 

 彼が彼女に会った日の夜にわたしは

ヤスイに訊いてみた。

 

「サカグチさんに会ったのか」

 

「おう、会ったよ」

 

「どうだった、覚えていたか?」

 

 と、ヤスイはぼそりと言った。

 

「・・いや、そんなこと聞けるような体型ではなかった」

 

 

 

 

  ※この話に出てくる人物名はすべて仮名である