店主日記

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おもいだすこと2017/11/21

 わたしの母の夢は家のなかで
お湯の出る生活だった。

 

 

 むかしは、流し、いわゆるシンクに湯沸かし器など
どの家庭にもめったになく、冬場はつめたい水で
皿洗いをしたものだった。

 

 

 当時は、我が家には冷蔵庫もなく、
子どもの記憶ではあるが、たしか、
すこし大きめのジャーみたいなものに、
氷をいれて保存していた。

 

 

 その時代は、我が家はサザエさん一家よろしく
大家族で、父、母、それにわたしの核家族プラス、
父の父、母、つまり、わたしの祖父母、
それに、父の弟と妹、つまり、叔父、叔母が
四人同居していた。つごう九名である。

 

 

 後に叔母たちがどんどん嫁いでいったものだから、
家族は減り続けることになるのだが、
叔父さんの結婚がきまるのが、わたしが
小学校高学年のころだから、この大家族は
十数年つづいたことになる。

 

 

 新婚当初、母は、この家族構成のことを
ほとんど聞かされていなかったらしく、
いざ、新婚生活をはじめた瞬間、
竪穴式住居の住人のようなビックファミリーに
ひどくびっくりしたと聞いている。

 

 

 冷蔵庫が家に来たときとほとんど
同時期に湯沸かし器が家に設置された。

 

 

 母の夢がかなったのである。

 

 

そのころのわたしの夢は、

お風呂にシャワーがあること。
 
 むかし、我が家には、シャワーなどしゃれたものはなく、
湯船からお湯をすくっては頭にかけ、かけして、
シャンプーをそそいだものだ。

 

 

リンスも、いちど風呂桶にためて、
そこにお湯を薄めて使っていたような記憶だ。

 

 

 シャワーがあれば、こんなことをせずにすむのに、
と、子どもながらに、お湯が壁から
絶え間なく吹き出る装置を渇望したものだった。

 

 

 母もわたしも、そういうことでいえば、
ひどくみみっちい夢なのであるが、
生活に密着した切実なおもいだったのである。

 

 中学校に入学したとき、わたしは父の転勤で
小田原に住むことになったが、
高台からのぞむ御殿場線は、まだ蒸気機関であった。

 

 

 そこには、湯沸しもシャワーもあったので、
みみっちい夢はすでに現実になっていた。

 わたしのもうひとつの夢は、
ママ・プリンをしこたま食べることだった。

 

 ママ・プリンとは、牛乳とママ・プリンの粉とを
混ぜ合わせ、冷蔵庫にいれて固め、
その上にキャラメルソースをかける、
自家製のプリンである。

 

 当時は、そうやって市販のプリンの素、みたいなのが
あったのだ。が、その一人分がやたらに
ちいさく、ひとくちでするっと食べられてしまう。

 

 これを、死ぬほどたくさん食べる、というのが、
ささやかなわたしの夢であった。

 

 たぶん、日曜日だとおもう。

 

 父も母も不在で、小田原には、祖父母も叔父も叔母も
いないので、三人家族のわたしはひとりで留守番をしていたとおもう。

 

 台所に行ってみると、なんとママ・プリンが二箱、
棚に乗っているではないか。

 

 罪悪感なのか、わたしはまずまわりを見回し、
このママ・プリンを二箱とも鍋にいれ、
そして沸騰した牛乳のなかに、ママ・プリンを二箱
そっくりいれて、しばらく放置したあと、
その鍋のまま、冷蔵庫で冷やした。

 

 数時間が経ったとおもう。

 

 まだ、わたしはひとりだった。

 

 鍋を取り出し、陶磁器の白い皿のうえに、
この鍋をひっくりかえし、とんとんやると、
巨大なママ・プリンが、その上でぷるぷる
震えながら乗っている。

 

 出来た。

 

 いままでにない、まるでインデペンデンス・デイの
宇宙船のような大きさのママ・プリンに10人分の
キャラメルソースをかけ、わたしは一口ほおばった。


 うまい。

 

 至福のときがおとずれたのだ。

 

 が、しかし、いくら小さじスプーンで食べても
この、ぼんち食堂(山梨にあるものすごい量の食堂)の
料理のような大型プリンは、いっこうに減らないのだ。

 

 ついに、わたしは、小さじスプーンをやめて、
大さじスプーンにメンバーチェンジし、
食べ始める。

 

 と、はんぶんも食べないころから、
具合がわるくなってきた。気持ちわるくなってきたのだ。

 

 わたしは、あのとき、このデカプリンを
ぜんぶ食べたのか、あるいは、流しにほうってしまったのか、
記憶にないのだが、いまでも心に残っているのは
ひとつの単語である。

 

 それは「適量」である。

 

 トイレにウォシュレットがついたのも、
すこぶるうれしい文明であるし、
洗濯も勝手にやってくれるし、店の売り上げ計算も、
券売機がする仕事である。

 

 さいきんは、すべてが便利になった。
なりすぎた。

 

 ウォシュレットはそれでも、使う派と
使わない派に、いまでも二分されているようだ。

 

 が、おもしろいのは、使う派と、使わない派と、
その理由がおんなじということである。

 

「ね、なぜ使うの?」

 

「だって気持ち悪いじゃん」


「ね、なぜ、使わないの?」

「だって、気持ち悪いじゃん」

 

 どちらも「気持ち悪い」がキーワードになっているのだ。
それを、ひどく面白がって、釣り仲間の野田さんは、
いつも、飲み屋にゆくと「お、ウォシュレット使うやつとよ、
使わないやつと、理由がおんなじなんだよな」と、
じぶんの手柄のように吹聴しているらしい。
ま、いいわな、言わせておこう。

 


 今日などは、十一月の中旬だというのに、
もう、すっかり冬模様である。

 

 店のシンクで、まな板を洗っているが、
38℃に設定したお湯は、ふんだんに出てくる。

 

 ふだんは、なにげなくさっさと洗っているのだが、
たまに、母のこともおもいだすこともあるのだ。

美術館2017/11/17
 いまは、年中無休の仕事をしているので、
丸一日休み、という日は皆無、ゼロである。

 つまり、休息日がない。
よく巷では、過労の話が話題に出るが、
過労を問題にするのは、休日がある人の話で、
はなから、休みが一日もないひとは、働きすぎなどと
嘆いていられないのである。

 むかしは、日曜日が休みだった。
そのときは、たまに水族館に行ったり、
動物園に行ったりもした。

 職場の仲間とは、美術館にも出向いた。
ゴーギャンとか東京のデパートにやってきたときなど、
すすんで出かけたものだ。

 むかしから気になっていたことなのだが、
水族館で、あの名前のプレートを見ながら、
その名前を声に出して言うひとをみかける。

 「皇帝ペンギン」

 なんでこれを読むのだろう。それも声に出して。
黙読でいいじゃないか。おまけに、家族であれ、ともだちであれ、
いっしょにいたひとに同意を求めるかのように、

「皇帝ペンギンだって」と「だって」をつけるのだ。

 見りゃわかるじゃないか。

 その水族館での皇帝ペンギンの
そのグループにおいての最初の発見者に
なりたいのだろうか。

 いや、そんな優越感など微塵もないだろう。
そもそも、それが優越感に直通しているともおもわれない。


 あるひとは、開放感がそうさせるのではないか、
と言っていたが、あるいはそうかもしれないし、
それだけじゃないかもしれない。


 管見であるが、わたしは、空気感の共有を
無自覚にした結果じゃないかとおもっている。

「皇帝ペンギンだって」
によって、何人で来たかわからないが、
そのパーティ全員に呼びかけることによって、
水槽のむこうにいる生き物と、こちらでそれを見る
グループとが、ある一体感でもって、
その場の空気を共有することにはならないだろうか。

 その呼びかけは、大勢の観客がわんさかいる
水槽の前で、そのパーティにしか響かず、
そのパーティだけの「輪」が形成されることには
ならないだろうか。
そこに、どんな喧騒のなかであれ、
ほのぼのとした空気がながれるわけである。

 だから、水族館のプレートの音読は、
家族間のほうが、より顕著なのではないかと
おもうのだ。親が子どもに発声するという絵が
もっともしぜんにおもえる。

 それは、もちろん、動物園でも妥当する。

「アフリカゾウだって、コハルちゃん」

 ま、こんな具合だ。

 しかし、これが美術館となると、そうはゆかない。

 美術館で「『落穂拾い』だって」なんて
騒いでいるひとを見たことがない。

 水族館や動物園と美術館とでは、なにが違うのだろうか。


で、すこしかんがえてみた。

 美術館に展示されている作品というものは、
高級な芸術品である(ことが多い)。

 つまり、対象物、展示品は、われわれとは
ひどくかけ離れた「もの」であって、
その崇高な「もの」とわれわれとがあいまって
共有できるものではない。

 作品からうまれでるアウラを感じ取り、
その美におそれたり、感心したり、おののいたりする。
壁にかけられているそれと、こんなに身近に
接しているのにかかわらず、見ているこちら側とは
一線を画するなにかを含有しているからこそ、
その絵の説明であるプレートを見ても、
わたしたちは、黙読するだけにおわり、
ましてや、そのタイトルを発声して
表明することなどはけっしてしないのではないか。 

 あるいは、絵画とは絵画と個人との向き合い方であって、
どんなに身近なひとがいようとも、
絵画との付き合い方は、
一対一で対峙し、そこに画家の精神なり、主題なりを
真摯に受け止めようとする、
そういう鑑賞態度が、
われわれをむしろ寡黙にさせるのじゃないか、
などとわたしは、わたしなりの結論めいたものを
搾り出したのである。

 で、わたしは、そんなことを考えながら、
わりに頻繁に電話しているなかなか気の利く女性に
なにゆえ、美術館では、音読しないのかの
わたしの説を披露したところ、彼女は言下にこう言った。

「美術館って、しゃべったりしてはいけないものよ」

「・・・あ、そ」

星飛馬のごとく2017/11/14

 ある青年から

「街を歩くと水銀灯が消える」と

相談されて、よく話をきくと、

歩くたびに、街のあの高いところから煌々と照らす

水銀灯が軒並み消える、というのである。

 

 霊がとおると電化製品に影響を与える、

という話はよくきくが、街の水銀灯である。

 

 前代未聞、稀有な話で、さて

どうしたものかと、ヒカの母親の清美さんに

メールをしたら、

「せんせいが、見てあげればいいじゃない」

との返事。

 

 わたしは、あんまり気が乗らなかったが、

青年の霊道である左肩甲骨を押してみた。

 

と、かそけき信号ではあるが、

わたしには、首吊りをしている兵隊さんが

見えたのだ。

 

 しかし、これはほんとうに「かそけき」もので、

その見えたものが正しいのか、否か、

はっきりしなかったが、

もし、それが、ほんとうなら、もう兵隊さんは

青年にはおらず、わたしに憑依したということになる。

 

 翌日は、土曜日だったので、

わたしは鎌倉の長勝寺にでむいた。

 

 朝の勤行に参加するためである。

 

 長勝寺は、磁場の強い場所で、

そこの勤行に参加すると、背中に憑いたものが

けっこう抜けるので、三十分の読経のあとは、

風呂上りのような爽快感がのこるのである。

 

 九時前に寺に着くと、すでに

清美さんとヒカが待合室にいた。

 

 ヒカはわたしを見るやいなや、

すこし笑って「せんせい、兵隊いるね」と、

わたしに言った。

 

「だよな」

 

「うん、緑の服着てる」

 

  ヒカは、霊感だけは人一倍あるのだが、

言葉をしらない。これは、緑ではなく、

カーキー色なのだ。

 

 つまり、わたしが昨晩みた兵隊さんと

おんなじ兵隊さんを彼女はわたしの

背後に見ているのである。

 

「ひとりで戦地から帰ってきて、

戦友はみんな死んじゃったんだって。

恋人もいたのに、生きていかれなくって

自死したのね」

と、ヒカはわたしの背中と会話していた。

 

「首吊りだろ」

 

「いや、それはわからない」

 

 わたしの見た青年と、ヒカの見た青年と、

すこし姿がちがっているらしい。

 

「あ、もうやめた、これ以上かかわると、

わたしのほうに来ちゃうから」

 

 え、ということはやはり

わたしに居座っている、ということである。

 

 

 九時から、如来寿量品、第十六がはじまる。

法華経である。

 

 わたしどもは、ありがたいお経の功徳を

受けたあと、そのまま鎌倉駅まで歩いて帰った。

 

 と、ヒカがうしろから

「せんせい、兵隊さんとおんなじ歩きかたしているよ」

と、言った。

 

「は」

 

 わたしは、知らない間に、恋人を持ちながらも、

死を選んだ青年が、わたしの行動を支配していることに、

とても静かな驚きをもって知らされることになったのだ。

 

 長勝寺でも、青年の魂は落ちなかったのである。

 

 それから、わたしは、この青年と二人三脚の

暮らしを、しばらくのあいだ、強いられねばならいことになった。

 

 じつは、翌日の日曜日に、梶ヶ谷にある、

身代わり不動にいって、そこでも、事情を話して、

読経に参加しているのだが、それでも

効果はなかった。

 

 

 それからまもなくである。

 

 わたしが、月曜日がゴミ回収日なので、

前の日の日曜日の深夜、

店長のオートバイを借りて、ゴミを捨てに出かけたのだが、

ゴミを捨てて、バイクをふかしたところ、

原動機付き自転車、つまり50ccのスクーターだから、

馬力なんかあったもんじゃないのに、

いざ、スロットルを回した瞬間、

「だれかがわたしの襟首をつかんで引っ張った」

ような気がして、バイクは空中に飛んでいったのである。

 

 これを専門的には、ウィリーという。

 

 そのときは、「だれかがわたしの襟首をつかんで引っ張った」

ということはおもいつくわけではなく、

首根っこをつかまれた感触が残っていた、ということを

事後的に気づいたというのが正しい。

 

 気が動転していたのだ。

 

 つまり、スクーターは宙を舞って、

道の真ん中に飛び出してゆき、

わたしは、そのまま地べたに叩きつけられた。

 

 

 わたしは、左肩からアスファルトの上に

落下したものだから、その激痛たるや、

文字にあらわせるものではない。

 

 左腕がうごかないのだ。頬が地べたにくっついている。

 

 わたしは、倒れたバイクを直し、

まず店に行き、事の事情を店長に説明したあと

いそいで、荏原病院に向かった。

 

 日曜日の夜中の十二時過ぎである。

息子に運転してもらって、わたしは、ずっと、

左肩を押さえて辛抱した。

 

 急患の待合室は一階にあり、

わたしは二番目に往診を受けられることになったので、

息子はさきに帰らせて、わたしは、

待合室の長い椅子にもたれながら激痛に耐えた。

 

 その長い椅子には、ヘルメットがひとつ置かれ、

その向こうでは、家族らしきひとたちが腕を組んで、

その輪のなかの、ひとりのサラリーマン風のひとが

しきりに頭をさげている。

 

 わたしは、処置室では、どんなことが起きているのか、

だいたい事情は察した。

 

 そして、そうとう待たされることを

わたしは、覚悟したのだ。

 

 そこへ、ぐだっとした子どもつれた母親が

わたしの横に座った。

 

 一時間くらい待たされただろうか、

まだ、オートバイ事故は処置室から出てこない。

 

 わたしは、つらそうな顔つきの子どもを

抱えている母親にむかって「救急って書いてありますが、

ひとつも救急じゃないですね」と声をかけた。

 

 そのわかい母親は、しずかにうなずいた。

 

 あんまり、待たせるし、痛みがどんどん増すし、

覚悟にも限界があり、

わたしは、ついに受付のところに行き、

看護婦さんを呼んだ。

 

 奥から出てきた看護婦さんにわたしは、

「すみません。待っていられません。

救急車呼んでください」と頼んだのだ。

 

 救急病院で救急車を頼んだ患者は、

ひょっとするとわたしだけかもしれない。

 

 しかし、それほど、わたしの痛みは

尋常ではなかったのだ。

 

「もうしばらく、お待ちください」と、

看護婦さんがすまなそうな顔つきで言うものだから、

わたしはがまんした。がまんするしかなかった。

 

 しばらくして、車椅子に乗った青年が、

ミイラ男のように包帯をぐるぐる巻きにされ、

足にはギブスのようなものがはめられ、

出てきた。

 

 かれは一命はとりとめたのだ、とおもった。

 

ようやくわたしの番である。

 

「どうしました」

 

「はい、バイクが横転して。左肩が」

 

 と、いうことですぐにレントゲンを撮り、

十分くらい待たされて現像されたものを見ながら

ドクターが、

 

「ああ、鎖骨の骨折ですね」

 

「あ、やはりそうですか、せんせい、かなり痛いんですが」

 

「それは、骨折ですから痛いでしょう」

 

「痛み止めをだします」

 

「それは、精神ブロッカーですか、たんぱく質ブロッカーですか」

と、わたしが訊くと、

「いや、そんなむつかしいものじゃありません」

と、ドクターは答えた。

 

 わたしは、痛み止めには、精神ブロッカーと、

たんぱく質ブロッカーの二種類があると聞いていたので、

ただ、それを訊いただけなのだが、

そんなにむつかしくもない痛み止めもあるのだと、

認識した。

 

 そのあと、わたしは、大リーグ養成ギブスのようなものを

猫背も治るくらいぐいっとわたしの背中のほうで、

絞めつけられた。。

 

 人生で鎖骨の骨折ははじめてだったので、

知らなかったのだが、鎖骨骨折は、

折れたところをギブスによって

自力で再生しなくてはならなかったのだ。

 

 そして、ランドセルのような肩あてを

ぎゅっとされるのはいいけれども、

これは、けっしてひとりでは緩められないのだ。

 

 だれかの援助がなければ、

この養成ギブスははずせない。

 

 いわゆる介護生活である。

 

「せんせい、これからなにか生活で

注意することはありませんか」

と、わたしはきれぎれの声で訊くと、

「痛いほうを下にして寝ないでください」

と、言う。

 

・  ・・そのとき、わたしは、

きっとこのひとは、わたしをバカにしているのだということを、

うすうす感じた。

 

 月曜日から、通常の仕事である。

横浜の高校には、朝の七時に行かねばならないし、

予備校には、その当時、津田沼に行かねばならなかった。

 

まったくおんなじ生活を強いられるが、

背広の下には、星飛馬顔負けのギブスを装填しているのだ。

 

 そして、この骨折は半年間、わたしを苦しめた。

ほとんど骨がくっつかなかったのである。

 

 これが、あの兵隊の怨念なのか、

あるいは、このあいだ亡くなった校長の恨みなのか、

まったくもってわからないが、

わたしは、寝るときも、風呂につかるときも、

また、朝早く起きるときも、いちいち、

このギブスをナナコの母にぎゅっと締めてもらったり、

取ってもらったりせねばならなかった。

 

 そのたびに、背中で、妻の舌打ちのような、

あるいは、ため息のような声を

聞き続けることになるのである。

 

イタリア文化会館2017/11/9

 秋の深まった昼下がり、

街に仮装した子どもたちが列をつくって歩いていた。

 

 ハロウィンである。

 

 むかしはあんなことさっぱりなかった。

 

ハロウィン。

 

「お菓子をくれないと殺すぞ」

みたいな「まじない」を言いつつ、民間人から甘いものを

略奪する子どもにおける洋風の儀式である。

 

 しかし、日本人はこれを儀式とはおもっていない。

宗教色がゼロだからである。ただの遊戯である。

遊戯が日常化すると行事になる。

行事は儀式ではない。

 

 ここが日本人の日本人たるゆえんである。

キリスト教信者が、人口の1パーセント未満であることも

うなずける。

宗教的コミュニケーションが分厚くないからいたしかたない。

 

 ハロウィンは、

ケルト人の伝統にルーツがあり、

もともとは収穫祭の要素があって、

古代ローマやキリスト教に影響されつつ、

アメリカなどでは民間行事となった。

むこうでも、ほとんど祝祭の

意味合いは希釈されているそうだから、

日本だけを責めるわけにはゆかない。

 

 

 しかし、なんべんももうしあげるが、

秋のおわりころに、ハロウィンをやって、

年末にはクリスマス、その数日後には、大晦日で、

その翌日には神社に初詣、そして、

数ヵ月後には、バレンタインデーをする。

 

 ハロウィンはキリスト教とは

ちょっと距離があるが、クリスマスはキリスト教、

除夜の鐘は仏教、元旦は神道、と雑種の宗教が

いりまじっている無秩序さは、頭をかかえてしまうくらいだが、

これが日本だ、ぼくらの国だ、ということだ。

 

 こういう事況を、粟津則雄氏は「様式の欠如」と

説いたが、まさしく、様式の欠如、無秩序が

日本人のアイデンティティなのだろう。

 

 こういうふうな、様式の欠如、無秩序は

いつごろから活性化したかといえば、

やはり近代国家の樹立と無縁ではないだろう。

 

 なにしろ、江戸時代の300年間は、

外国とのつきあいはほとんどないのだから、

独自の文化が根ざした。

 

 歌舞伎にせよ、相撲にせよ、浮世絵、落語、

能、狂言、すべてにおよんで国風である。

 国史を遡れば、室町文化や安土桃山文化とか、

国風文化など、様式美は確実に存したのである。

しかし、じっさいは、隣国の影響もあったのだろうが、

そこは、いまのような顕著さはみられない。

 

 それが、ペリー来航いらい、

めんどくさい外国とつきあわなければならなくなり、

苦労知らずのおぼっちゃんだった江戸時代が、

欧風化してゆくことになる。

 

 いやいや外国とつきあう国民性を「外的自己」

いつまでも、じぶんを日本人たらしめようとする

国民性を「内的自己」と二分し、

それが同時に存するため、

そこに「建て前」と「本音」の精神分裂的な病を

内在してしまった不幸を、

岸田秀は、「唯幻論」として説いた。

 

 それは、国家においてそうなのだが、

国民ひとりひとりにも再演されているというわけだ。

 

 ところで、その精神分裂的ソリューションを無意識的に選択して

しまったこの国の、もっとも根幹に、つまり主要矛盾として、

わたしは、劣等感があるとおもっている。

 

 日本の政治をひとことで言い表すと「きょろきょろ」だという。

他国の動向をみながら、日和見的に動く。

これこそ「きょろきょろ」なのだが、

なぜ「きょろきょろ」するのか、

といえば、世界からわが国は劣っていると、

国民全体がそうおもっているからではないか。

 

 だから、髪の毛を染めて、髪の毛だけ外人になり、

顔はそのまま日本人というひとがいっぱいいる。

 

 外国にたいするコンプレックスである。

 

すぐ、会社の名前を英語にしたり、

カタカナ用語にしたりする。

 

「JR」とか「JT」とか。

 

大学の学部にも、いま外来語が普及しはじめ、

そっちのほうが人気が高いらしい。

 

なんとかコミュニケーション科、とか、

メディアなんとか科とか。

 

 こういう劣等意識は、

なんでも外来文化を取り入れて、

それで、へっちゃらという国民性に反映される。

 

 これを、好意的にみれば、デューイの言うところの

プラグマティズムということになる。

ようするに、

実用主義という便利な言葉に還元できる。

 

 なんでも、じぶん流にしてしまうという

その考え方が、プラグマティズムである。

 

 だいたい、どの識者も、日本人のこういう

文化の取り入れ方をそう説明されているとおもうが、

わたしは、単なるプラグマティズムでは、

説明できないもろもろが残留しているように

おもえてならない。

 

 それは、底辺には、劣等感が確実に

あるにもかかわらず、

みんなのやっていることはわたしもやる、

という農耕民族特有の一種の有能感が

プラグマティズムを担保しているとおもうからだ。

 

 劣等意識と有能感というパラドクスが

国民に内在しているところが日本人論の

基幹をなしているのではないかとおもうのだ。

 

 イタリア文化会館が千代田区三番町に

建設された。わたしは、あの建物を見たとき、

まだ、建設中かとおもったのだが、

すでに完成されているという。

 

 ビルの壁が、防錆の塗料のような色で

塗りたくられていたからである。

 

 赤褐色の、マゼンタに黒を混ぜたような色なのだ。

 

 設計士は、イタリア人の、ガエ・アウレンティ。女性である。

千代田区三番町といえば、皇居に面した一等地である。

すぐそばが千鳥が淵。そこに、焼き芋の皮みたいな

へんてこな色合いのビルがでんと建っている。

 

 むかしは、皇居のまわりは高いビルを建てては

いけなかったが、いまはずいぶん規制もゆるんでいるらしい。

 

 だから、第一生命ビルも高さ制限によって、

低いビルなのだが、しかし、日本は、

高さ制限はあっても、ビルの色の制約はないため、

つまり、何色に建物を塗ってもかまわないのだ。

 

 とは言っても、あのイタリア文化会館の

茶褐色はNGだとおもうのだが、よく聞いてみると、

あの色は、本国イタリアでは禁止されている色合いなのだそうだ。

 

 イタリアとか、フランスとか、ギリシアなどは、

街並みに統一感を持たせるための規制がきびしいらしく、

つまり、様式の統一性というものを

念頭においているから、好きこのんだ建物ができない。

 

それだから、アウレンティ女史は、

イタリアで禁止の色を、うまし国ぞ秋津島、

日本で試したのではないだろうか。

 

 それって愚弄してんのかよとおもってしまうが、

彼女の真意はわからない。

 

 

 さて、この様式の欠如を、いっきに

払拭しようとすれば、粟津則雄氏によれば

「狂信的な克己主義者になりかねないのであり、

そこにあらたなるファシズムの根が存在する」

(『世紀末文化私観』)と説くのだが、わたしは、

そのへんの理路がよくわかっていない。

 

 ファシズム?  そんな全体主義が、

様式の欠如が骨肉化した日本人から芽生えるなど、

あるのだろうか。

 

いやぁ、わからない。

 

けっきょく、なるようにしかならない、

というオチなのであって、農耕民族の行き着くところは、

みんなといっしょで、みんなよりアッパーミドルな

ブランド品を身につけ、ささやかな有能感をもちながら、

ささやかな一生を送るのだろう。

 ほんのちょっとのコンプレックスを抱きながら。

 

 

・時雨ける街ゆく子らの列をみてちいさくささやくトリック・オア・トリート

死体はうごく2017/11/7

 関君(仮名)の母親から携帯電話が鳴ったのは、
土曜日の夜中であった。

 息子が警察に捕まったという。

 もうすぐ卒業するという冬の日であった。
 
「息子が親父狩りをして捕まったんです」
と言う。

「親父狩り」という言葉はずいぶん昔の言葉、
ほとんど死語におもえた。

 話を聞くと、夏休みに暴走族に参加して、
そのグループを抜けようとしたとき、
その幹部から、脱退金を要求されたらしい。

その金額が当時の30万円。

いまから、20年前の話である。
そういえば、朝のホームルームのたんびに
「せんせい、金貸してくれ」と
かれは叫んでいたのをおもいだす。

「ふざけんな、お前に貸す金なんか
あるわけないだろ」
と、わたしはいつもそう答えていた。

 暴走族のグループはなかなか
金のできない関君にたいし、
かれの家に、車のマフラーとか
まったく関係ないものを、代引きで
送りつけたり、いやがらせをずいぶんしたらしい。

そこで、すっかりまいった関君は、
「アタマ」に謝りにいったら、
「親父狩り」をして工面しろ、と指示され、
かれは、それを鵜呑みにして、権太坂のあたりで、
実行に移したのだ。

そして、捕まった。

親父狩りの被害にあわれた方は、
一命をとりとめたからよかったものの、
関君は、そのまま少年院に送致された。

たしか、21歳までそこにいたとおもう。

そのとき、その暴走族のグループの全容を
かれは、警察の取調べで話したものだから、
けっこう大きなグループだったが、
その幹部たちが、逮捕、連行されたのだ。

 その話は、神奈川新聞の記事として載った。
幹部は、35歳前後の男、数名だった。

 が、わたしは、それきり関君と会うことは
なかったから、かれがどうなったか、
ひょっとすると、21歳になって出所したあと、
横浜の海に簀巻きにでもされたのじゃないか、
などとおもっていたが、
まったく消息は不明だった。

 これは、またべつの話だが、
わたしの、やはり教え子の舞子(仮名)の母親のところに、
母親の中学のクラスメイトの男性がやってきて、
唐突に、
「うちの中学になる娘を預かってくれないか」
と、言ってきたそうだ。
 そのひとは、組関係にはいっている、
いわゆる「そっちの人」だったので、
じぶんに身の危険がせまっていることを
察知したらしいのだ。

 「おれ、やばいんだよ、頼むよ」

 しかし、舞子の母は、きっぱり断った。
と、その翌日、その「やばい」ひとは、
横浜港に浮かんでいたということだ。


 このあいだ、関君とおんなじクラスの、つまり、
もとわたしのクラスの者が、わざわざ店まで
来てくれて、久闊を叙したわけだが、
そのとき、関君の話になり、
どうやら、かれは、いま群馬のほうで生きているらしい。

 わたしは、安堵した。

 やつは生きている。それだけでじゅうぶんである。

 どうも「そっちの人」とか、「自動車クラブ」のひとは、
やることが、わかりやすいから、関君はとうのむかしに
お陀仏になっているのかとおもいきや、よかった、よかった。

 そもそも「そっちの人」の平均寿命は、28歳だときく。
すぐ、殺されちゃうのだ。で、「元そっちの人」の話だと、
殺されちゃった若者は知らぬ間に、
その辺の山に捨てられるそうなのだ。

 で、ほとんど見つからない。

 で、ほとんど見つからないのだが、
たまに、そのへんを開拓する業者が白骨化した
「そっちの人」の成れの果てを見つけても、
警察に報告など、むやみにしないらしい。

 仕事が中断されてしまうからだ。

 で、その骨は、その業者が移して、
またどこかの地べたに葬られることになる。

 ようするに、死んでも「そっちの人」は、
ちょくちょく動いている、ということなのだ。

 死体はうごく。

笑おう2017/11/5
笑ってごまかせじぶんの恥、
死ぬまでいびれ他人の恥、なんて言葉がある。

「きのう佐々木さん来なかったよ」
わたしは、遅刻してきた沢口くんにそう言った。

「ほんとですか、連絡は」

「ないよ、無断欠勤」

「それはよくないですね」

「ま、遅刻するのもどうかとおもうがね」

と、沢口くんはけらけら笑った。

かれは、わたしの教え子であると同時に
この店でバイトをしてくれている。

退職してしばらく仕事がないというので、
店を手伝ってもらっているのだ。

飲食のインストラクターをしたい、
というのが彼の夢らしい。

おいしい焼肉屋があって、そこから
肉をオーダーして、じぶんでは、マンションの
一室を借りて、そこに一日、二組限定で予約をとり、
酒だけで儲けをとる、という料理屋を計画している。

「せんせい、それどうおもいますか」
って訊かれたから、わたしは、言下に
「それ、だめだとおもうよ」と答えたので、
それきり、かれはその話をわたしにしなくなった。

そもそも、肉を焼肉屋から売ってもらって、
酒だけで生計をたてようとする飲食業など
聞いたことがない。
だれが聞いたって、それは無理な話である。


飲食のインストラクターもじゅうぶん
立派な職業だとおもうが、
沢口くんのウィークは、包丁が持てないことだ。

ネギの刻みができないのである。

左手の、いわゆる「猫の手」ができないし、
包丁もうまく持てない。
なんべんもわたしが練習しろというのだが、
そこはかたくなに拒否している。


かれは「じぶんにむいていない」と言い張っているのだ。


このあいだは、
「白髪ねぎ、戦略的に明日のあさ、
切った方がいいとおもいます」と断言するので、
わたしはかれの言うことにしたがった。
が、その明日のあさ、かれは休んだ。

ぎっくり腰になったという。

ちなみに、白髪ねぎは「白髪2000」という機械がやるので、
切るほうは、ハンドルをくるくる回せばいいだけだから、
沢口くんにもできるのだが、
来なければ、なんにもならない。


翌週、かれが出勤したときに、
「そもそもお前の戦略ってなんだよ。
休むことなのかよ」と言ったら、
「すんません」とか言いながら

また、けらけら笑いだした。


しかし、沢口くんが来てくれると、わたしの仕事が
はんぶんになる。

すべてのセットを任せることができるからだ。


さあ、開店というところから、その日は
わりにお客さんが入ってきた。

佐々木さんの休んだ翌日である。

で、冷蔵庫から出してきた刻みネギを
一口つまんでみると、すこし酸味がでている。

これはだめである。

こんなネギを出したらたいへんだ。


「おい、ネギだめだ。新しいの出して」
と、わたしが言うと、
かれは、まだ刻んでいないネギの束を
まな板の上においた。


「なに?」

「これしかありません」

「なら、お前切れよ」と、わたしが言うと、
かれはまたニヤニヤして、
「だから、僕は切れないって言ったじゃないですか」
と言う。

「あのな、もうお客さんが来ているんだから、
遅くなってもいいからお前切れよ。
練習。練習。練習しないと、うまくなれないだろ」


「いやぁ、僕には向いてないんですよ」


「ゆっくりてでもいいから、やれよ」


「いや、これはすべては佐々木さんがいけなかった
ということでして」
と、沢口くんは言う。


「・・・お前、すべて佐々木さんのせいにするの?」

「はい」

電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、
みんな佐々木さんが悪いのよ。


「あのな」

「はい」


「お前、じぶんのことは棚にあげて、
元凶を一元化させようとしているだろう」


と、またかれは笑いだした。

「それって、いいか、全体主義の発生の一因だぞ。
悪いのは奴だ、みたいにな」

と、かれは、もっと笑いだしたのだ。

2017/11/2

 ひさしぶりに彼女のあかるい声を聞いた。

 

「今日は、調子いいんだ」

 

「そう、よかったね」

 

「満月が近いからかな」

 

「ふーん、ずいぶん影響されるんだね。

そういえば、山田五郎さんなんか気圧が

低くなると具合がわるいって言ってたな」

 

「そう」

 

「ねぇ」

 

「なに」

 

「なんか、ぐしゃぐしゃうるさい音かするんだけれど」

 

「そう、紙破いているの」

 

「紙?」

 

「うん、好きなの。そういえばね。

うちの玄関にものすごくおおきなネズミが

死んでいて、さっき、川に捨ててきたんだけれど」

 

「へぇ」

 

「たぶん、レベッカが闘ってここまでもってきて、

家にいれるのをはばかって、玄関に捨てたんだな」

 

「まだ子猫でしょ」

 

「そ、ついにレベッカもネズミを取るまでに成長したんだな」

 

そのあいだ、電話口の向こうでは、

なにか悲劇のはじまるような大きな音がつづいている。

 

「ね、なにしてんの」

 

「ん。だから紙破っているの」

 

「なんでよ」

 

「だから、さっき言ったでしょ、好きなのよ」

 

「紙破くの?」

 

「そう」

 

「なんで、また」

 

「心がすっきりするの。ごちゃごちゃしていると、

まだ、そこにあるとおもうじゃない。遠くのものは

遠くに行けばいい」

 

「なら、破かずにそのまま捨てればいいじゃない」

 

「うるさいなぁ。破くのが好きだって

言ったじゃない。なんかね。ものごとが

終わったような感じになるのよ」

 

「ふーん、おもしろいね」

 

「あなたも試してみたら。楽しいから。

古くなった服なんかざって破いて

布草履にするんだけど、ビリビリってするの

楽しいじゃない」

 

「それって破壊思想なんじゃない」

 

「破壊思想?」

彼女は大きな声で笑い出した。

 「ちがうよ」

 

わたしは、彼女の好きなものをはじめて

聞いた気がするが、その楽しさの同意を求められても、

うなずくことはできなかった。

 

紙を破くのがどうして楽しいのか、

ひとつのものを半分に

またその半分にすることの快楽を

わたしはどうしても共有することができなかったのだ。

 

ナイーブをつきつめるとプリミティブになる、

そう解いたのは、泉下の小野茂樹である。

地中海という短歌結社のエリートだったが、

交通事故で夭逝された。いま、その仲間で、

甲村秀雄さんや下南拓夫さんらが活躍されている。

 が、小野さんが亡くなられて、わたしは

地中海という大結社がおおきく舵取りを

かえたのではないかと、そうおもっている。

 

 ひょっとすると、紙を破くという身体運用は、

そのみずからの内に秘めたるプリミティブさを

刺戟する行為ではないか。

  理由などどうでもいい、じぶんのなかにある、

原始的なDNAとみずからが対話する、

そういうときに、われわれは快感をおぼえるのでは

ないだろうか。

 わたしは、彼女との会話のなかで

なんとなくそんなことをおもっていた。

 

と、ひときわ大きな破れる音がした。

 

「こんどは、またずいぶん大きな紙、破っているんだね」

 

「ううん、いまは破いていない。ナイロンからタバコだしてるの」

 

「・・・」

 

 ひとそれぞれだからべつにかまわないけれど。

全体主義2017/10/28

 

 近代国家において、民主主義が成立していたのにも

かかわらず、ナチズムやファシズムや、

日本の治安維持法的天皇制がうまれてきたのは、

なぜなのか、という問いかけは、

小森陽一氏の『法、民主主義』に詳しい。

 

 しばらく、小森氏の書物にひきずられて

かんがえていくが、この体制は後には「全体主義」と

よばれるようになるわけで、この体制は、

一定の民主主義が法的に保障されているなかで

生み出されてきたことに着目すべきである。

 

 歴史的には、第一次大戦後の不況とか、

世界恐慌の影響下において、貧困、

財政破綻、中産階級の没落といった

底なしの社会不安のなかにあって、

大衆は、独裁政治につながる政治勢力を

みずからの代表に選択していったのである。

 

 これは、いまの言説でいえば、

「ショックドクトリン」いわゆる惨事便乗型資本主義と

おんなじ構造であり、

大衆の「どうしたらいいかわからない」状況に

乗じて、みずからのイデオロギーを

注入する社会装置がはたらいたとみてよい。

 

 さて、この政治勢力の下敷きに、

とうぜん「ポピュリズム」、

大衆扇動主義があったことは自明である。

 

 ポピュリズムとは、大衆の不安に乗じて

かっこいいことを言って、大衆を味方につけ、

じぶんたちの考量をわれわれに

刷り込もうとする企てである。

 

 ショックドクトリンと構造的にかわりない。

 

 ポピュリズムの言説構造は、

漸層的に大衆に、酸が侵食するごとくしのびよってくる。

 

 まず、第一段階として「仮想敵」をつくる。

それは、社会の外側と内側に同時につくり、

すべての従属矛盾も主要矛盾も、そいつのせいだ、

というふうにしておく。

 つまり、すべての社会的矛盾を単純化させ、

「世の中って不安だけれども、シンプルだよね」って

見せておくわけだ。

 

 つぎの段階は、「仮想敵」をいくつかのイメージとして

とらえ、それを再三アナウンスし、

大衆の言語的、論理的思考を封印させ、

その上で、単純でわかりやすい言語と映像でもって喧伝してゆく。

 それを再生産させてゆくと、大衆の思考停止につながる。

 

 病院のとなりに住んでいる奥さんが大学の先生と

浮気しているよ、ってだれかが叫び続けていれば、

そのひとを知っているひとは、奥さんの人格は

完全にデリートされ、「浮気女」というレッテルでしか

見なくなるのと構造的に類比的である。

 

 つぎの段階は、「仮想敵」との歴史の消去である。

それまで、その敵とはうまくつきあっていた時代もあるはずだ。

が、そういう歴史は、大衆の思考を

作動させてしまう要因である。

「むかしは、なかよかったじゃん」というのが、

もっとも邪魔なのだ。

 

 つまり、「仮想敵」とは、過去を振り向かず、

現在だけをみつめさせるようにし、この段階から

今後をかんがえるしかないとおもいこませることにある。

 

 そして四段階目は、

ようやく「仮想敵」が浸透してきた段階で、

このへんからあやしい動きが活発化されるが、

なんか間違ってるような言説でも、

大衆の思考停止の上の仮想敵のイメージの刷り込みによって、

よくわかんないけれど、悪いのは「やつだよね」という

ことをわれわれの共通認識にさせてしまうのである。

 つまり、問題を一元化してしまうのだ。

 よくかんがえれば、この問題とは、理由なき不安であったのだが。

 

 こういうような思考が共有されれば、

つぎは、こういうような思考を共有できないものを

ピックアップすることになる。これが「排除」である。

 

 「仮想敵なんかいないぞ」とか「王様は裸だ」とか、

そんなことを言う輩は、権力から抹殺されてしまう。

 

 そして、こういう「めんどくさいやつら」は、

法のもとで裁くというより、

すでに、その社会は正しい法が作動していないのだから、

なんとなく捕まえて暴力的な処遇をするのである。

これが五段階目。

 

 こういう事況を「法に拘束されない暴力の連鎖」とよぶ。

 

 このような排除の構図にもっともキャッチーだったのは

「非国民」という概念である。

 あらたな概念をつくることを「道具概念」とよぶが、

この「非国民」という道具概念こそ、

民間流布にもっとも有効に機能したわけである。

 

 さて、そういう状況が社会にはびこると、

そこから国民皆兵制や徴兵制などが制定され、

けっきょく国民全体が戦争に総動員されるという方向が

選択されてゆくのである。

 

 国民が戦争主体となった戦争を

「世界大戦」とよぶが、

この歴史を世界は二回、経験している。

 

 クラウゼヴィッツは、

国民が戦争主体となった戦争は、

国民の憎悪と敵意がエネルギーとなって作動し、

それを「戦争の絶対的形態」であると説いたが、

そういう戦争の不幸なことは、

言説構造でも、理論的構造でも、すでに止められない、

ということである。

 

 そして、もっとも不幸なことは、非戦闘員への

ジェノサイドだったわけである。

 

 東京大空襲やヒロシマ・ナガサキという

悲劇をわれわれは直に経験したのである。

 

 さて、このように全体主義の発生から

不幸への連鎖的ベクトルを見てきたが、わたしがもうしあげたいのは、

こんどの選挙は、たしが「国難解散」だった気がする。

 

あれ、「仮想敵」を「北朝鮮」と言っていなかったかな。

 

わたしたちは、ひょっとすると思考停止に追いやられては

いなかっただろうか。

 なぜなら、あれほど、安倍さんを信頼していないのにも

かかわらず自民党が圧勝したではないか。

 

 ミサイルが日本の上空を飛んだ?  だって

大気圏の上を飛んだんだよ、ほんとうに上空かい?

 

 われわれは時の政府からのプロパガンダを

なんとなく受け容れ、なんとなくかんがえを停止させ、

なんとなく政権をゆだねだのではないだろうか。

 

 これって全体主義の兆候にひどく似てないだろうか。

 

 そういえば、小池百合子も「排除」とか

言っていたような気がするが。

せんせいはたいへんだぁ2017/10/27

 教員の過剰労働について
昨今、ずいぶん騒がれているが、
時間的な労苦にくらべ、
精神的な圧迫のほうがはるかに問題なのだと
わたしはおもう。

 これは、仄聞したことだが、
ある高校の文化祭の途中、全校放送があり、
文化祭にもかかわらず、全生徒が体育館に
集めさせられた。
 生徒指導部の教諭が壇上から言う。
「このなかにうちの生徒でない者が三名いる。
さきほど一年生の男子三名が制服を脱がされ、
トイレで紐で結わかれていた。このなかに、
その制服を着た者がいる。いまなら大目に
見るので名乗りでなさい」

 体育館はざわつく。

 ある教諭が、じぶんのクラスの札付きのワルに
「お前の仲間じゃないのか」と言った。
「おれ、知らねぇょ」
「お前、ほんとに知らないのか」
「だから、知らねぇって言ってんだろ」
と、そのとき、むこうのほうで
「先生、見つかりました」
と、言う声。

「ほうら、おれじゃないって言ったろ。
おい、どうすんだ。謝れよ、おい、謝れ」
と、このとき、
「あ、ごめん、ごめん、いつも
おまえワルだから、ついうたがった、
これは、おれか悪かった」
なんて、こんなこと言える教員などほとんどレアである。

 この「謝れ」の一言にその教員は
文字通り黙り込んでしまった。

 館内は険悪なムードがただよったが、
とにかく話はこれでおしまい、
みな催し物会場に戻ったのだ。


すべて一件落着とおもったが、帰りがけ先生が車にもどったら、
タイヤ4本ともに穴があけられていたそうだ。

 その教員がぼそりと言ったのは、
「これ、あいつの仕業じゃないよな」


 わたしも、トイレでタバコを吸っている生徒を
捕まえて、生徒指導部に連れて行ったことが
あったが、そのときも、わたしの車に
ナイフでぐさりと傷をつけられていた。

 そのときのタイヤ、ヨコハマタイヤ、アドバンD
だったから、いまから25年前でも
取り替えるのに35000円した。


 わたしは、バレーボールの監督になって、
女子バレー部を見ていた時期がある。

 ひとことで言えば、女バレなど見るものではない。

 わたしは、家庭婦人のバレーボールのコーチを
25年くらいしていたので、バレーボールは
お手の物だったから、対人とかトスアップとか、
スリーメンなど、まあ、なんとかこなしたのだが、
彼女らは、
「イチコがこんなこと言ったぁ」と泣く。
「ヒトミがいじめる」と泣く。
「エリコがむかつく」と泣く。

 そこは、女の性のうずまく坩堝のような
ところであった。

 山口かおり(仮称)という生徒がいた。
上背もかなりあって、並ぶとわたしくらい、
力もあるから、打つスパイクは強烈だったが、
それにもまして性格がどうにもこうにも、
石狩川の蛇行のようにひんまがっていた。

 試合の二日前、六人しかいない
わがバレーボールチームは、ひとりでも欠けると、
ローテーションの練習ができないのだが、
かおりが無断で部活を休んだ。

 つまり、だいじなローテンション練習は
お預けとなる。

 翌日、何食わぬ顔で彼女がやってきて、
わたしが、ブリーフィングする前に、
かおりは片手をあげながら
「先生、今日はローテーションの練習してください」
と低い声で言った。
「・・・あのな、きのう、お前がいないから、
ローテーションの練習ができなかったんだろ、
まず、おれが話をするからお前は黙っていろ。
わかったか」
と、かおりはむすっとした顔で返事をしない。
「わかったのか」
むすっとしている。
「おい、返事しろ」
「いま、黙っていろって言われました」


 一事が万事、こんな具合である。
で、困ったことに、試合の前日の夜、
部長のエリコから、かおりが明日の試合にはでないと言っている、
とメールがきた。

ずいぶん夜遅くの話だ。

だから、わたしは、かおりにメールした。
そのころはラインなどない時代である。


「なぜ来ない?」

「負けるから」

「勝ち負けの問題ではない、おまえが来なければ
試合放棄になるだろ。みんなに迷惑かかるじゃないか」

「行きたくない」

と、こんなやりとりは、おそらく20回くらい
したとおもう。しかし、かおりは「行きます」とは
言わなかった。

しかし、当日、試合会場にかおりは来ていた。

わたしはほっとしたものの、
「今日、朝飯、食べてないものいるか」
とみんなの前で訊いたところ、
「はい」と手を挙げたのは
かおりひとりだった。

 ほとほといやになったが、わたしは、すぐさま、
コンビに行って、おにぎり二個と飲み物を買ってきた。

 「ほれ、560円な」
と、かおりにその袋をわたすと、
「ありがとうございます」でも、
「すみません」でもない、
かおりはひとこと。

「高!」

 一事が万事こんな感じである。


 で、そのあと、かおりの母親が校長室にやってきて、
どうも、わたしがセクハラメールを送った、
ということに仕立てられたらしく、
すぐそのあと、わたしは校長室に呼ばれ、
バレー部を解任された。

 わたしの事情聴取はゼロであった。

 セクハラメールであることは、わたしが
その学校を辞めるときにはじめて聞かされたことで、
わたしにはいっさい知らされていないことだった。

 かおりとのメールのやりとりは
それが最初で最後だから、「なんで来ない」が
セクハラになったのだろう。

 かおりもひどいが、校長も人非人だとおもった。

 だいたい、教員というものは、生徒や親の言うことを
100パーセント信じ、当事者の教員からは
なにひとつ事情も聞かず、生徒は悪くない、
悪いのはお前だ、という考量で動くものなのである。
とくに、わたしの勤めていた学校はそうであった。

 そこの現理事長など、食道業者に年二回
ゴルフ接待をさせ、手ぶらで来るものだから、
業者はまず、ゴルフセットを一式購入し、
二泊三日でゴルフ場に行き、すべて接待。

そして、理事長は、そのいちど使ったゴルフセットを
三木ゴルフなどに売るらしい。

そういう腐った学校には、腐ったものがあつまる、
ということなのではないだろうか。

つまるところ、時間超過など問題に
なんかなる世界ではないのだ。



・佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず

これは小池光先生の歌だが、同業者として
御意でござる、というところだ。


 いま、わたしは教員を辞めているから、
もうどうでもいいけれども、小池さんではないが、
いまでも切実にかおりには「はよ死ね」とおもっている。

 しかし、わたしを、なにも訊かずにクビにした
校長はとうのむかしに大腸がんで他界している。

野球あれこれ2017/10/26

今年のセリーグは横浜DeNAベイスターズが

クライマックスシリーズを勝ち抜き、

日本シリーズ進出をきめた。

 

 驚きなのは、ペナントレース

三位か四位かわからないようなチームが

日本シリーズに行くことで、

それは、だれしもが、

この仕組みに首をかしげていることだろう。

 

 クライマックスシリーズは、

仄聞するところ、ジャイアンツが何位であっても、

日本シリーズに行くことを目論でのイベントだったとか。

 

 野球に興味のないひとは、

べつになんのことはないだろう。

 

わたしの知り合いの女子も、

ほとんど野球のことを知らず、

まだ大学生のころ、

電車で、クラスメートにあったとき、

「おれ、大学で野球やってんだ」とかれが言うのに、

「ふーん、ピッチャーやってんの、バッターやってんの」

と、訊いて、それきり会話がおわった、

という話を聞いたことがある。

 

 野球を知らないといえば、

どうしてもひとり足らずに、まったく野球を知らないものを

草野球チームにいれて、また、そういうものにかぎって、

最終回、2アウト、満塁、一点差で負けているとき、

そいつがバッターボックスに立つ、なんてことになる。

 

 何しろ、バットだってろくろく持てずに、

剣道の竹刀のような持ち方だった。

 

 だから、バットに当たるわけもなく、

チームメイトはすっかりあきらめていたところ、

三振したボールがキャッチャーの足元を抜け、

コロコロ転がったのだ。

 

 これは、いわゆる「振り逃げ」である。

 

 さっさと一塁に走れば3アウトどころか、

セーフになる。だから、ベンチからみなが大声で、

「逃げろ」と叫んだ。

 

 と、野球素人は「え」とか言って、

そのままバッターボックスにしゃがんでしまった。

 

「ちがう、ちがう、逃げるんだ」と、

また大音声あげ、しゃがんでいるやつに怒鳴ると、

そいつは、さっと立ち上がるや、

となりの林に逃げて行ったそうだ。

 

 野球を知らないというのは

まさにこういうことである。

 

 野球を知らないといっても、

このクライマックスシリーズのありかたには、

疑問を抱かざるを得ないだろう。

 

 落選したひとが比例で当選したシステムと

類比的だとおもえば、腑に落ちるだろうか、

いや、それとは違う気もする。

 

 

 さて、話はかわるが、日本人の美徳にひとつ、

それは、「知らないふり」ができることである。

 

 歯に青のりがついているひとをみて、

「歯になにかついていますよ」と教えてあげるのも善意だが、

「見て見ぬふり」をするのもまた善意である。

 

 運動神経のわるいひとに、それを指摘せず、

見てみぬふりをする。すばらしい。

 

 ディズニーランドのミッキーマウスのなかには、

にんげんが入っているとは、だれしも指摘しない。

 聞くところ、そのひとは浦安に住んでいるらしいが。

 

 

 プロレスなんか、本気で闘ったら死者続出である。

あれは八百長ではなく、演技である。

 

 もともとわれわれは、そういう演技、あるいは演劇を

このんだ民族である。歌舞伎にしろ、能にしろ、狂言しかり、

だから、野球にもそういう

見世物的要素がぞんぶんにあるわけで、

われわれは、知らぬふりをちゃんとするので、

やはり、一年間戦ってきて、何十ゲームも離れた

チームに勝たせてやる、というのが、

人情というものではないだろうか。

 

 それは、八百長ではない。演舞だからである。

 

しかし、またぎゃくに考えれば、

野球ほどインチキのないスポーツはない、

というこの証になったということは言えそうである。

 

 

 野球賭博にからんで、インチキをしようとした

若手選手のことなどは、そういうことからしたら、

枝葉末節、たいしたことではないかとおもう。

 

 だから、やはり、ベイスターズは広島に敬意を表して

こっそり負けてあげたらよかったのではないかと、

わたしはおもっている。

 

 相撲だって7勝7敗のひとはかならず勝つではないか。

 

それは八百長ではなく美徳ある演技であることを

われわれは知っていて

知らないふりができるのだから。

 

 

就職活動2017/10/19

 昨日はひさしぶりに陽がさして

小春日和となった。

 

 昼過ぎに、いつもご来店くださる

学生さんのカップルに、

男の学生さんの三人でいらっしゃった。

 

 女性は、麺固に味付け玉子、

かならず刻みねぎをお求めになり、

男性は、サービスの家風ラーメン、

もうひとりの男性は、まぜそばをご注文。

 

わたしが、カップルの方の男性に

「髪、切られましたね」と声をかけたら、

「就活があるから」と笑いながら答えてくれた。

 

 そうか、もう就職活動の時期なのかなど、

まったく世の中のことを知らないわたしは、

のんきな体で「そうですか」と答えた。

 身なりはたいせつだから、とうぜんである。

 

 日本の就職活動はパラドクスに満ちている。

前にもおんなじことをもうしあけだが、

リクルートスーツにかばんに靴に髪型に、

すべて、みんなおんなじような姿で

出かけていって、それでいて個性やじぶんらしさを

宣言しなくてはならない。

 

 服装、せめて色合いくらい

ばらばらでいいじゃないか、と、わたしはそうおもうが、

「そんなことしたら落ちますよ」という答えが

返ってくるにきまっている。

 

 世の学生は、落ちることはわかっているけれど、

受かることはわかっていない。

 

 なんか不思議な気がする。

 

 

 就職活動に必須の条件とは「互恵的」な人材である。

 

 じぶんの意見を主張し、他者を排斥するような人物は、

会社としては不要なのである。

 

 まわりの意見を調整し、まわりを含んで

みずからを代表するような人材が好まれる。

 

 内田樹さんが、まだ大学教授だったころ、

ゼミ生募集の面接をおこなったとき、

先生がすこし遅れてきたとき、

いちばん前にすわっていた学生が「チッ」と言ったそうだが、

その人は、まずそこで失格だったそうだ。

 

 次女が、旅行会社の集団面接で、

彼女には、ほとんど質問されずに、

まわりのひとたちには、ずいぶん質疑があったらしく、

次女は「ぜったい落ちたよ」と、落胆して帰ってきたが、

わたしは「あ、それ受かっているよ」と答えてやった。

 

 なぜなら、採用しようとおもう人物に

質問しても意味がないからである。

 

 採用しないひとには、ていねいに質疑応答し、

失礼のないように帰宅してもらう。

 

 「ああ、気持ちのいい会社だった」

そう、おもわせて採用しない。

 

 なぜなら、そのひとが、いつこの会社の

お客になるともかぎらないからである。

 

 採用を決めた人は、面接中でも

ぞんざいにあつかってもかまわないのである。

 

 次女は、その点、ひとの意見をまとめるとか、

気の利いた返事をするとか、

どこで習ったのか、わりにうまくこなせるタイプだから、

わたしは、そこが人事部のひとに買われたのだと

いまもおもっている。

 

 長女は、いまは休職中だが、なかなか成績がいいらしい。

これは、口のうまさが功を奏しているとおもうが、

まちがいなく、これは父親ゆずりのはずだ。

 

 ところが、このふたりは、わたしを「人間失格」と

おもっているらしく、娘の母がわたしにラインを

送ってきたのだが、

「なんであんな人と結婚したのとふたりから、

怒られました♪」とあった。

 

「あんな人」とはもちろんわたしである。

「怒られた」とはどういう意味なのか。

そして、最後に音符がついていた。

その含意はよくわからないが、

どうも、わたしは、この三人からは不要な人物に

なっているようだ。

 

 

 店がしだいに混んできて、

いま、この三人の座っているうしろに、

四人の男子学生が立っている。

 

 じつは、この三人の右となりにひとつ、

三人の左となりに三つの席が空いているのだ。

 

 だから、四人様は、ばらばらにすわれば、

座れるのだが、昨今の学生さんは並ばなければ、

座らないのである。

 

 つよい仲間意識なのか、個別の行動を忌避しているのか、

よくわからないが、四人並ぶのを待っている。

 

 「おれ、ここに座るから、お前たちは、

こっちに座れよ、また、つぎにくるお客さんにも

悪いからな」

 という、リーダーシップをはかるような人物、

それこそ互恵的な人材はなかなかいないようだ。

 

 また、この三人の学生さんには、

うしろに四人立っているのがわかっているなら、

「じゃ、ぼくたち横にずれますから」と、

店全体を見回す気遣いは、なかなかできないのだろう。

わたしは、それが悪いともうしあげているのではない。

そもそも、にんげんは、そんなものなのだ。

それに、うちにご来店くださる学生さんは、

日本屈指の大学に進学されているひとたちなのだから、

能力的にずば抜けているはずだ。それでよい。

 

 しかし、就職活動にかぎっていえば、

就職活動で、もっとも必要なことは、

このような空間把握や、

互恵的な心持ちなのであり、

髪を切ることは二の次なのである。

 

 

 

携帯電話はすばらしい2017/10/13

携帯電話ほど現代において画期的な道具はないだろう。
とくにスマートフォンは
ほとんどパソコンとおんなじ機能であって、
つまり、手のひらから全世界に通じているわけである。
言い換えれば、みずからの指の先が中心となって、
無限大に宇宙とつながっているのだ。

知己の人々とも、まだ見ぬ友人とも、
レアル・マドリードの試合とも、
イチローのヒットとも、世界で起きている事件・事故とも、
リアルタイムにつながっているのである。

ようするに、携帯電話を作動させれば、
ひとはひとりではなくなるのだ。


 病院の待合室。
いつ呼ばれるかわからない、あの疎外感にも似た

退屈で空疎な時間と空間。
しかし、携帯電話を取り出し膝の上でさらさらっと
「なにか」をしていれば、押し迫ってくるようなあの陰鬱な空気も、
そこに流れるうっとうしい時間もすっかり忘れることができる。

いや、すでに、病院にいることすら
忘れることができるのである。


 携帯電話は、このように重圧を感じるような現場や
「不承不承ここにいる」という自己意識から、
自分自身を抽象的な「場」に変える力を偶有しているのである。


 教室に居ながらスマホをいじっている生徒は、
すでに教室にいない。
パーソナルなグローバル化が現前されている、
が、その反面、すでに「個」は個として成り立っておらず、
グローバルという幻想の中にみずからの立ち位置を置き換え、
日常生活を希釈させていることになる。

 

 

わたしが二年間つとめていた、神奈川でもっと偏差値のひくい高校は、

休み時間になると、男女が抱き合っているか、携帯をいじっているか、

の二組に分かれていた。バカほど携帯をいじるのだ、ということを

わたしはあのとき実感した。

 

 ちなみに、バカほど、「常識だろ」と言うこともそこで知った。

われわれは、あるイデオロギーを常識ととらえている

偏見の時代を生きている、などということを

まったくわきまえていないやつほど「常識だろ」という。

 彼ら、彼女らは、しょっちゅう「常識だろ」を言っていたが、

「常識がないから、この学び舎に来たのだ」ということを

彼ら、彼女らはすっかり抑圧していたのだろう。

 

携帯電話の話にもどぜは、この装置は、
ようするに、地に足がつく、
というリアリティを崩壊させ
現実を形而上的浮遊空間にさせてしまっていたのである。


 江戸幕府が終わったとき、徳川家は、
いままで農民に租税で苦労かけたから、
これから徳川は農家になれ、といまでも徳川さんは農業を営んでいる。

地面からのメッセージを身体で受け止め、
地面と共に生きている。地に足がついているというのは、
体内記憶にある原始からの信号を
インプットしていることなのかもしれない。


 いま、わたしたちには、こういうプリミティブさ、
つまり、どこに立って、どうやって生きているのか、
それを実感するというこの一点が、
もっとも欠けているのではないだろうか、とわたしはおもう。


 一日くらい、携帯電話の電源を切って
現実に生きてみたらどうか。

せめて、シルバーシートに座っているときくらいは。

2017/10/12

 ひさしぶりに彼女と会って寿司屋に入る。

退院してまもない彼女は、よけいに白さがめだち

細かった腕はさらに細くなっているようだった。

 

 彼女はたのんだ「こはだ」を飲み込むのにも

すこし苦労していた。

彼女からは快癒したと聞いていたが、

まだ病を引きずっているようにおもえた。

 わたしたちは、ほんのすこし日本酒を飲みながら、

小半時をここで過ごした。

 

 彼女からの誘いはいつも葉書だった。

「草々」のあとの余白にさりげなく、

「何月何日、よかったらどう?」

と、いつもこんなふうな誘い方だった。

 わたしは、その葉書をもらったときは、

ほぼ毎回、彼女の誘いにおうじた。

 

 彼女は、聡明で話は楽しかった。わたしは

いつも聞き役で、うんうん、うなずくだけだが、

軽やかな会話にわたしは心地よさを感じていた。

 

 彼女がなぜわたしを誘うのか、彼女がわたしを

どうおもっているのか、よくわからなかったが、

わたしは、この間柄をこよなく愛した。

 

 

 その彼女がきゅうに病に倒れ、音信不通の日々が続いた。

が、例のごとく葉書がきて、そこで、はじめて

彼女が入院していたことを知り、

そして、また食事でもとあったので、

このよく来た寿司屋さんで

再会したのである。

 

 

 

 それから、間をおかず彼女はまた入院した。

 

 何日か経って、彼女から電話をもらった。病院からである。

 

「ちょっと声が聞きたくて」

 

 その声は、いつもの明るい調子ではなく、張りのない声だった。

病状はあまりよくなく、少し話しただけでそれいじょうはつらそうだった。

 

 

 二、三日して、わたしはなんとなく気になって

彼女に電話をしてみた。

 

 なかなか出ない電話にいやな予感がした。

と、男の声が受話器のむこうから聞こえてきた。

 

「もしもし」

 

彼女の旦那さんだった。

 

「妻は、もう話せる状態ではありません」

旦那さんは、落ち着いた声でそう答えた。

「こんなわがままな妻とこれまで

おつきあいしてくださってありがとうございます。

ところで、つかぬこと訊きますが、

あなた、この四月に妻と京都に行かれましたか」

 

 わたしは、ぎくりとした。

 

 もちろん、わたしには覚えのないことである。

すぐに、いいえ、と答えればよかったのだが、

あまりに唐突な質問に、わたしは戸惑ったのである。

 

 しばらくして、それはわたしではない、ということを告げ、

ぶしつけな電話を詫びて、受話器をおいた。

 

 彼女は、いったいだれと京都に行ったのであろう。

 

そういえば、「桜の名所はかずかずあるが、

京都の円山公園の桜にまさるものはない」と

言っていたことをおもいだした。

 

 おそらく、人生の最期に、その桜を見てみたいと

そう彼女はおもったのだろう。

 

 

 わたしは、彼女がだれと行ったのか、

気にはなったが、それをわだかまりもなく受け容れていた。

 

 

 

 その人が逝ってしまって久しいが、京都の花見のこと、

すこしくらい嫉妬したほうがよかったのかなど、

桜が咲くころ、おもいだすのである。

再掲 箱根路にて2017/10/12

いまだに忘れられない光景がある。

 父も母も健在で、三人家族だったわたしどもは、
箱根に旅行にでかけていた。

 まだ、わたしが幼稚園のころだったとおもう。

わたしの父は、カメラが好きで、ペンタックスを愛用し、
当時では、めずらしい8ミリも購入していた。

 8ミリとは、いまじゃあたりまえになっているデジタルビデオの
前身で、8ミリビデオとか、カラーテレビとか、
車とか、そんなものを持っている家庭は稀有であった。

 たしか、ようやく我が家に冷蔵庫がやってきたころだったとおもう。

 たぶん、8ミリは、ずいぶんしたはずだ。
父は、それを自慢げにわたしたちに見せびらかした。

 いまからおもえば、8ミリ撮影のために
箱根に出かけたのかもしれない。

 当時は、我が家には車はなく、父も免許がなく、
バスで箱根山を登っていった。

 富岳百景、たぶん富士も大きくそびえていたのだろうが、
そんなことは、幼少のわたしは覚えてない。

 よく覚えているのは、バスが満員で、
わたしどもは座ることなく山道に揺れていたことだけである。

 どこで降りたかはわからない。
トンネルの少し手前の停留所である。

 わたしどもは、そこで降りて、おそらく宿に向かったのだろう。

と、そのときだ。

父が「あ」と、驚きの声をあげた。

 「8ミリ、忘れた」

 バスの荷台に、あのステータスなシロモノを
おいてきてしまったのである。

 父はよくそういうことをした。

 母は、あきれた顔をしたとおもうが、それも覚えていない。
覚えているのは、三人で、がむしゃらに走って、先ゆくバスを
追いかけたことである。

 走る。走る。

 トンネルのはるか向こうにバスのランプが見える。

「待って~」

 母の金切り声。

わたしは、なぜじぶんが走っているのか、
とにかく喫緊の事態がいま起こっていることはわかるが、
なぜ、バスを人力で追いかけなければならないのか、
よくわかっていなかったとおもう。

 とにかく、父と母のうしろを追いかけたのだ。

その間、ずっと母は、金切り声をあげていた。



 バスはつぎの停留所でわれわれを待っていてくれていた。
だから、難を逃れることができたが、
これも、すべて父の失策である。

 あのトンネル内の激走はいまも脳裏のどこかにある。


 さいきん、鏡を見たり、じぶんの写真を見たりすると、
父に似てきたことに気づく。それは、わたしにとって、
なぜゆえか、いい気持ちのするものではない。


 しかし、加齢するごと、こうやって父に近づいているということは、
まぎれもない事実なのだろう。

 やはり、わたしは、
いまでも父を追いかけているのかもしれない。

信じるかどうかは2017/10/11

信じる、信じないはまったく
べつの次元として、にんげんの脳の右側は、
感性の領野である。その感性の領野をつたわって、
左半身は、その影響をうける。

 信じる、信じないはべつとして、
だから、左手には、「なにか」を見る力が
だれにもあるはずである。

 この「なにか」はじつにかそけき信号で、
だいたいのひとは、その信号を読み解かずに、
放置しているにすぎない。

 わたしは、ある女性から、その感知のしかたを
教わっていらい、よくひとを見るようになっていった。

 まだ、高校の教員だったころ、
だいたいは遊び程度で休み時間に、
わたしの「なにか」を楽しみ生徒が集まったものだ。

 それを、宗教と、揶揄なのか、批判なのか、言う教員もいた。
どうでもいいことだ。

 放課後、わたしは、アリサから頼まれて、
ひとりの男子生徒を見た。

 左肩のうしろに霊道があるので、
そこに触れると「なにか」からの声が聞こえる。

 かれの後ろには、亡くなった女の教師がいて、
しきりに「湖には行くな」と言っているようだった。

 「なんか、湖には行くなって言っているよ、女のひとが」
と、わたしが言うと、
かれは、まったくの唐突な話に、
なんのことかわからないで帰っていった。

 翌日、職員室にわたし宛に電話があった。
かれの母親からである。

わたしは、まずいとおもった。

息子にへんなこと言わないでくれという
クレームの電話だとおもったからである。

電話を取ると、
「じつは、息子にはまだ言っていないのだが、
夏休みに山中湖に行く予定があるんですが、
それは、中止にしたほうがいいでしょうか」
という、問い合わせだったのだ。
「息子の大好きな小学校二年生の女の先生が
亡くなっていて、たぶんその方が教えてくれて
いるんだとおもいます」
というのである。

 わたしは、じぶんでじぶんに驚いて、
ただ、後ろから聞こえてくる声を
復唱しただけだから、湖に行く、行かないの
裁量権はまったく持ち合わせていないのである。

 だから、わたしは、丁重に
「おそらく、水の上に行かなければ、
そのご旅行は行かれていいのではないか」と
答えたのだが、この発言には後ろの声が
聞こえていないので、あんまり正しいかどうか、
まったく責任がとれない、というのが事実だった。

 このあいだ、鷺沼で授業する前、
アヤコが「せんせい、わたし一人っ子なんだ」って
言うから、わたしはちょっとニヤッとして
「下にひとりいただろ?」って言ったら、
きゅうに彼女は顔が蒼ざめて、
「え、なんで知ってるの」と目を丸くして驚いていた。
「お母さん、言っていた、下にいたんだって」

 そういうのは、なんとなくわかるものなのである。
それは、だれにもわかるはずだろうが、
その信号に気づかないだけなのだ。


 十一年前、川崎梶ヶ谷で、黒沼由里さん、当時27歳が
通り魔にあって亡くなった事件があった。

 薄暗いトンネルの中の悲劇であった。

 なぜ、薄暗いことを知っているのかと言えば、
わたしは、その事件の翌日にそのトンネルを通ったからだ。

 オレンジ色の灯りが、不吉な雰囲気をかもしている。
亡くなった場所には、無数の花束がつみあげられ、
故人のお人柄をしのばせるものだった。

 わたしは、その場の「なにか」を左手で読んだ。
事件現場というものは、その「なにか」が
残存しているものなのだろう、異様な空気を感じたのだ。

そのとき、わたしは、すこし小太りで背の低い男を見た。

 にんげんは、狐顔と狸顔とに二分されるが、
おそらく、この犯人は、狸顔に属するとおもった。

 ほんの数分しか、そこに居なかったから、
わたしの「なにか」はそこまでである。

 たぶん、犯人はすぐに見つかるだろうとも
おもった。

 が、しかし、犯人はまったく現れず、
迷宮入りかとおもったが、なんと、
つい先日、別件で逮捕されていた、鈴木洋一が、
この事件を認めたという。

 しかし、よく調べ上げたものだと、
警察の根気づよい努力にあたまがさがる。

 ネットに写真が出ていたので、鈴木洋一を見たら、
わたしの想像していた人物よりかは、痩身であったが、
まあ、同類の顔であった。

 服役しているときに痩せたのかもしれない。

 アメリカでは、犯罪捜査にそういう「なにか」を
導入していると聞くが、日本ではまだない。

  警察は、こんなこと信じる、信じない、
いや、信じないに決まっている。
 
 それが健全というものだ。

立ち話2017/10/9

「今日、放射線おわったよ」
と、佐藤さんはそろそろとわたしの
ところにやってきて、
すこし苦笑いした。

「もう、いいんですか」

「うん、あとは通院だけ」

「ふーん、わりに早かったですね。
よかったね、無事すんで」

「そう、でも、なんかまだたまにふらふらするけどね」
と、佐藤さんは、野球帽を取って、
ぐるっとした傷口をわたしにみせた。

「放射線当てると、気持ちわるくないですか」

「慣れたよ」
と、佐藤さんはかるく笑った。

佐藤さんとは、近所付き合いというほどの
間柄でもないのだが、退院されてから
かれは、わたしと会うとよく話しかけにきた。

というより、会うひと、会うひとに
かれは話しかけているようだ。

それは、大病がそうかれにさせているのだと
おもった。

そこへ、事務所から理事長がたばこを
くゆらせながら出てきた。

「おぅ」

いつもの軽い口調。

「いや、放射線治療、今日おわったよ」
佐藤さんは、おんなじことを理事長に言った。

「お、そう」

 理事長は、わたしよりすこし歳若で
みんなをまとめるとか、気遣うとか、
そういうことの苦手なタイプで、
じぶんが目立てば、なによりだという人物である。

だから、佐藤さんの病気にしても
「お、そう」と、微笑する程度なのだ。

「にしても、よく生き残りましたね。
ふつうは、お陀仏ですよ」
と、わたしは憎まれ口をたたいた。

理事長は、かるく笑っている。

「もう、いいんですか、病院は」
と、わたしが訊きなおした。

「うん、月に一遍、通院するだけ」

「ほんとうに運がよかったんですね」

理事長は、
わたしたちの会話を聴くでもなく、
その話に加わるのでもなく、
フィルターのところまで短くなった
たばこをつまみながら、、
うなずくように笑っている。


三人の立ち話は、
ご自身の病気で精一杯のひとと、
ひとの話にはどうでもいいひとと、
なにかブログのネタはないものかとおもっているわたしで
なんの実りのないまま終わった。


 ただ、その三人の姿で気づいたのは、
三人ともポケットに手をいれながら
しゃべっていることだった。

いわし雲2017/10/4

 鰯雲人に告ぐべきことならず

 

人間探求派、加藤楸邨の俳句。

 

秋の蒼穹にきらびやかにたなびく鰯雲。

その心の揺れは、人に告ぐべきことではない、

いや、むしろ、それを語ることができない、

という意味合いをこめて、加藤楸邨は詠んだのだろう。

 

人に告ぐべきことならずといいながら、

人に告げているところのパラドクスは、

心地よく読者の心に届くことだろうし、

言語とは過不足なく語ることができない、

ということをじゅうにぶんに示唆している。

 

ジャック・ラカンというひとは、

この過不足なく語ることができない

言語の性質を「根源的疎外」と呼んだが、

言語の発生以来、歴史的に、過不足なく語れた人物は、

シェークスピアも、ダンテも、魯迅も、村上春樹も

だれひとりいなかったわけである。

 

 対象にたいして、語りはじめると、

語りすぎたり、語り足りなかったり、

かならずそうなってしまう。

 

 あるものを見て、あるひとは長方形だといい、

あるひとは、それを丸だという。

 

 じつは、それは茶筒で、どの方向から見るかで、

すっかり様相がちがうのは、とうぜん、

分節のしかたによって書き方が変わってくるし、

どこに着目するかでも、まったく違うものが

できあがってしまう。

 

 以前、ブログに書いたことだが、

わたしが高校生のときは、街にやたら高校生がいるなと、

おもっていたが、いざ、結婚して、子どもができ、

ベビーカーを押していると、やたらと、

ベビーカーを押しているひとを見かける。

 

 つまり、じぶんの置かれている状況によって、

街の様相はかわるということである。

 

 だから、わたしは「街は鏡だ」と

もうしあげたことがあった。

 

 じぶんとおんなじ立場の、

いわゆる世間におけるおんなじ位置の、

ものや人にじぶんのフォーカスが合うということなのである。

 

 ぎゃくに、ヴァィスゲルバーは、

個人によって言い方や見方が違うのは、

「精神の中間世界」によってであると論破する。

 

「精神の中間世界」とは、世界と人間のあいだに

たちはだかって独自の世界をつくるものらしい。

 

 ル・シアンというフランス語は、犬のことだが、

日本語の「犬」とは、おそらく「精神の中間世界」が

ちがっているから、まったくべつの生き物に

見えていることだろう。

 

 つまり、過不足なく語ることができないうえに、

このような分節のしかたで、個々に相違があるから、

言語で相手に訴えかけても、まず、ほとんど

通じないと言ってもよい。

 

 モーリスブランショは、

出来事は言語化されたときに、

その本質的な他者性を失って

「既知」の無害で、なじみ深く、

馴致された「経験」に縮減される、

と語ったが、けっきょく言語化は、

だれでも知っている、だれもが使っている

言語に落ち着くということで、

だれでも知っている、だれもが使っている

言語は、すでにじぶんの言語ではない、

ということなのだ。

 

 じぶんの言語ではない、ということは、

すでに、過不足なく語ることができていない、

ということとおんなじなのである。

 

 

 では、こういった言語の性質を

諦念をもってうけとめるのか、

といえば、そうではない。

 

むしろ、この性質をうまく使いこなせばいい。

 

 どうせ語りつくせないなら、

語りつくさないまま、放り投げる、というやり方である。

 

もちろん、放り投げるのにも

ちゃんとルールに則って、読者の存在を意識しながら、

真摯な筆遣いで書きはじめる。

 

 と、読者は、書き手がなにを言いたいのか、

言われていなかった空白を埋めたり、

言い過ぎた箇所をけずったりしながら、

読みすすめてくれるはずである。

 

 これをリテラシーと呼んでいる。

 

ようするに、書き手と読み手は、

根源的疎外にある言語で、足したり減らしたりしながら、

対話的なしかたで、想像力を発揮しながら、共同作業をするのである。

 そこに文学がある、とわたしはそうおもう。

 

 

すべて過不足なく語ることができたら、

この文学の楽しみはゼロである。

 

こういうしかたで、エンエン1700年も

言語活動はつづけられてきたのだとおもう。

 

 

 鰯雲の美しさは作者が告げずに、

読者が個々に想像すればいいのである。

 

 

 しかし、さいきん、街で年寄りが多いなあと

つくづく感じるのだが、それってもしかすると。

 

 

 

人の目2017/10/1

 日本社会には「人の目」を人格に
内面化する「恥の文化」という伝統的な
文化がある、と言ったのは、
上田紀行(『生きる意味』より)である。

 そんなことしてはいけません、
と叱るのではなく、
ほら、よそのひとに怒られますよ、
なんて子どもを叱ったりする。

 これは、日本の農耕性とふかく
かかわる問題であり、
「みんなといっしょ」というDNAが
作動しているからだとおもう。


 むかし、わたしが勤めていた高校でも、
「そんなことすると、言われちゃうよ」
といううフレーズが
ステレオタイプで言われていた。

 あの学校は、バカな教員がおおいから、
きっといまでも、そういう言い方が
横行しているに違いない。

「そんなことしてると、言われちゃうよ」
という、不特定多数にみずからの主張を預け、
みずからの人格をひっこめてしまう、
とても陰湿で卑怯な言い方だとおもうのだが、
そういう言い方は、ひとを咎めるという
自責の念からは、逃避できることになるのだろう。

 こういう言い方が当たり前に言われているのも
きみを見ている「人の目」が自我のなかに
内面化しているからの派生だろうとおもわれる。

ルーズ・ベネディクトの『菊と刀』(1946)は、
欧米との比較論として、
日本は「恥の文化」、欧米は「罪の文化」に対比した。

「罪の文化」とは、絶対的な悪を認識することで、
「恥の文化」とは、他人の目を気にしながら、
それを共同体のなかで恥ずかしいと感ずる文化だという。


 さいきん、この「恥の文化」もモラルハザードを
起こしはじめて、すこし緩んできている感もあるけれど。


 しかし、わたしは、この「恥の文化」がいけないと
もうしあげるつもりは毛頭ない。

 日本人なんだから、いたしかたありませんね、と
そう、言いたいのである。

 ただ、この農耕性から発現した「恥の文化」は、
さまざまな傷痕を残さざるを得ないということを、
自覚しておきたい。

 横断歩道、みんなで渡れば怖くない。

 もっとも端的に、日本人気質を語ったものであるが、
これが箴言になっているとはおもえない。
ここから規範性を読み取ることはできないからだ。

とにかく、
 「みんなといっしょ」という、
人の目を人格に内面化させた日本人は、
そういうふうに生きている。

 出る杭は打たれる。

 これが日本人である。

 あんまり目立ちすぎると、孤立してしまい、
集団からはじきとばされてしまう。
 

 今村仁司の『近代性の構造』にある
第三項排除なども、きっと根っこは
このへんにあるのじゃないか。


 もっと、卑近な話をすれば、
大学生たちの、就職活動。

 おんなじようなリクルートスーツに、
おんなじようなカバン、おんなじような靴、
そして髪型。

 そして、企業は、「個性」をのぞむ。

 この矛盾した社会はどうだろう。


 大学入試の、自己推薦。

 「目立つな」と社会や学校から教え込まれてきた、
学生が、自己推薦できるわけないだろう。


 つまり、われわれは、透明な人物になりなさい、
だって他人が見ているからね、って教わってきたのだ。


 なのに、自分らしくとか、個性的にとか、
いつから、そういうことが言われるようになってきたのだろう。


 すみません、それって無理ですって
だれか言わないのだろうか。


 ようするに、われわれは透明化されてきたのだ。
そして、あんたに代わるひとはいますよって、
そういう社会になってきたのである。


 つまり、代替可能なにんげんに
わたしたちはなりつつある。


 ほんとうは、余人を以て替えがたい人物を
こさえるような教育を施してもらいたのだが。


 古代中国の孟嘗君は、食客3千人抱えていたという。

食客というのは、ふだんはなんにもしないけれども、
ただ一芸をもっているひとたちである。

 たとえば、とても早く走れるとか、
鶏の鳴き声がうまいとか、計算がずばぬけてすぐれているとか、
ふだんは、なんにもしないで、
ただ、孟嘗君に養われているのだが、
あるとき、孟嘗君一族が追われて函谷関までゆき、
函谷関は、鶏の声でその門をひらくことになっていたが、
まだ、早朝なので門は開かず、
追っ手に追いつかれてしまう。

 そのとき、例の鶏の鳴き声の名人に
一声、鳴かさせ、一命をとりとめるという逸話がある。

 つまり、すべてオールマイティに
事をすませることがすべてではない。

 じぶんには、なんの取柄もないが、
物まねだけはできる、とか、
料理だけは人に負けないとか、
余人を以て替えがたい人材が、日本にもほしいと、
わたしはそうおもう。

 なんで受験は、私立で三科目、
国立で五科目以上なのだろう。


 いいじゃないか、たったひとつの教科だけ、
特化してできるやつがいても。


 受験も一教科、すきなもので入れる、
食客だけを集めた学校なんて、素敵じゃないか。



 会社に入っても、
なるべく、人の目を気にしながら、
できるだけ目立たないようにふるまい、
じぶんを透明化して、それで、安泰、
一生、ここで働けるとおもったら、
けっきょくそれは交換可能な人物となっていて、
あげくはリストラされたりするわけである。

立ちあがれ日本人2017/9/20

 アメリカという国は、
味も大雑把だし、語彙数もじつに大雑把である。

 だいたい1500語を保持していれば、
日常生活に支障はないらしい。

 1500語というのは、pen とか desk とか
を入れて1500語だから、ずいぶん単純におもえる。

ちなみに、日本語は約3万語が必要とされる。


 それでも、アメリカは日本をバカにする。
じっさい、国家間で愚弄されているのだから、
とうぜん国民間にもそれは再演される。

 よく、ラジオなんか動かなくなると、
手で叩いてみるが、あれをアメリカ人は笑う。

「Oh! ジャパニーズ・テクノロジー」とか言って。


 沖縄の基地では、海兵隊のジェット機がいっさい
飛ばない地域がある。かられの居住地の上である。

 じつは、都内にもひとつアメリカ軍の基地があって、
そのビルの屋上にはヘリポートが設置され、
沖縄から自由に行き来できる。

 だから、アメリカの兵隊はじつは
パスポートなしに日本に自由に入国できるわけだ。

 もちろん、高官だけだが。

 田中角栄がアメリカに内緒で
中国と国交をむすんだのに腹を立てた
アメリカは、ロッキード事件を仕立てたわけで、
田中角栄にとって三億円とか、いくらか忘れたが、
そんなお金は、屁でもないのである。

 日本の総理大臣も、きょろきょろしながら、
アメリカのご機嫌をうかがい、総理大臣をしている、
ということである。


 べつにバカにされても、かまわないし、
宗教がないって侮蔑されてもいいが、
しかし、日本という国が、どんどんメルトダウンしてはならない、
そうわたしはせつにおもう。


 言語が乱れる、道徳心はうすれる、
能力的にも世界のトップから落ちる、
政治もおかしい。


 これでは、アメリカのおもう壷である。

 第二次大戦のおわったときに、
アメリカが望んでいた姿にしだいに
近づいてきているじゃないか。


 ニューヨークタイムズ紙に
無条件降伏した日本にたいして
「この化け物はまだ生きている。
徹底的につぶさなければだめだ」
とか、書かれていたことをおもえば、
「徹底的につぶされてなるものか」と、
鼻息あらく奮起しなくてはならないとおもうのだが、
いつも、長いものにはまかれろ、
アメリカのおしりにくっついて、
ぺこぺこしているのじゃ、情けない。


 しかし、奮起といっても、
日本語が、これほどまでに乱れてくると、
まずは、そこから立て直さなくては、と、おもう。

 「めっちゃ」とか「まじで」とか
「やばい」とか「きもい」とか、
やめようよ。

 フィヒテが言うように「言語がにんげんを作る」ので、
そういう乱れた言語には乱れたにんげんが
生まれるかもしれないのだ。

 と、断定はさけてもうしあげるのだが。


 そういえば、発音も減少傾向にある。
もっとも顕著なのは、鼻濁音。

 鼻にこもる「ガ行」の音である。
すこし「n」の音がまじるわけだ。
「nga」のように発音するのがただしい。

いま、この発音で「ガ行」を話すひとが
減ってきた。

おもいきり「ガ」と言う。
「ガ」とおもいきり発音するのは「蛾」くらいである。

「蛾」を「nga」と発音したらなんだかわからない。

だから、いまの若いものたちは、ガ行を
言いたがらない。

「ありがとうございました」もよく聴いてみると、
「ありとうざいました」になっている。
「ガ」と「ゴ」を省いているのだ。

 しだいに発語もメルトダウンし、くりかえすが、
政治もこのごろはそうなりつつある。


 近々に衆議院の解散がある。

 なぜ、解散するかといえば、自民党が勝つに
きまっているからである。

 その理由は、すこぶる簡単、
台頭する勢力がないのと、
国民が思考停止になっているからにほからない。

 衆議院解散の裁量権は、総理大臣にある。

 アドバンテージを握って、もっとも
勝算のあるときに解散すればよろしい。

 これって、ものすごく汚いやり方だと
おもうのだ。

 全員がインフルエンザにかかっているときに、
ひとりで受験するようなものではないか。


 さいきん、話題になっているのが
「惨事便乗型資本主義」である。

「ショック・ドクトリン」という。

カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの術語である。

 災害時のあと、人びとの動揺のさなかに
一儲けをたくらむ、そういう事況を呼ぶ。
 人びとの思考停止をねらうのである。

 クラインは、シカゴ大学のミルトン・フリードマンと
その弟子たち、いわゆる新自由主義の連中を
名指していて、国家の改造を
その営利とともにたくらんでいると痛烈に批判するのだが、
この災害時とは、クーデターや津波、地震、戦争、テロ
などのことをいう。

 これは、一部の人間が、じぶんたちのイデオロギーに
もとづくシステムを国家に強引に組み込むことを
意味する。


 しかし、敷衍しておもえば、いま、衆議院解散を
ひとつの喫緊の事態とすれば、
これもひとつのショック・ドクトリンではないだろうか。

 つまり、民意をうしなった状態でする解散は、
やはり、安倍政権のてのひらの上なのだ。

 政治には感心ない、とか、
選ぶ政党がないから、消去法で自民党にする、とか、
これは、思考停止以外のなにものでもない。

 そこに乗じての選挙で成立した議会は、
全体主義的な国家に近似する。

 いわゆるファシズムな国ができあがってしまう、
ということである。

 全体主義は、国民の思考停止がうみだしていることは、
歴史が証明している。


 だから、せめて、いま衆議院の解散はないだろうよ、
という声を、国民がさわがなくてはならないと、
わたしはそうおもう。が、そういうきざしはみられない。

 解散、まじで?

 この国、めっちゃやばいじゃん。


そんなときは、こんな言葉もつかってもよろしい。
 

 われわれは、アメリカにバカにされ、
政府にバカにされ、高い税金に苦しめられ、
安い給料にあまんじているわけである。

 どうせ、バカにされるなら、されようじゃないか。


 アメリカ人やイギリス人にとことんバカにされるフレーズが
あるそうである。

 それがこれ。


 I am a pen.


 なにが可笑しいのかわからないが、
わたしもいちど、イギリス人の前でこれを言ったら、
ひどく笑われた。

 ほれ、どんどんばかにしてくれ。負けるもんか。

極刑について2017/9/12

 光市母子殺人事件は1999の4月のことである。

 18歳と30日になる福田孝行が
23歳の主婦を殺害後、屍姦、
生後11ヶ月の娘を殺害し、
財布をうばって逃走した事件である。

 福田が捕まったときは、ゲームセンターで
遊んでいたというのだから、
反省もあったものではない。

 広島地裁は、福田に少年法を適用し、
無期懲役を言い渡す。

 しかし、少年法の無期は、
有期であり、最長でも7年である。

つまり、福田は25歳で世の中に復帰できるわけだ。

 刑罰の効果はおおよそ三点ある。
ひとつは、抑止効果。
 しかし、国連の犯罪統計でも、あんまり抑止は
機能せず、軽犯罪や性犯罪のほかは期待できない。

 つぎに、被害者、およびその関係者の
感情的回復である。ただ、どういう感情的回復が
ベターであるかは、よくわからない。

 なんべんも頭さげれば許すひともいるだろうし、
死刑でも物足りないとおもうひともいるだろう。

目には目をで、おんなじように
させてやるっておもうひともいよう。


 
 三つめは、国家の社会的意思の貫徹。
この国では、こうすると、こうなりますよということを
示すためである。

 この三つ目が大切なのだ。

 だから、中国で麻薬なんかに手を出すと、
即刻、死刑になる。このあいだも、
日本人が、麻薬取引にかかわり、
あっというまに、男女四人だったか、死刑になった。


 光市母子殺人事件の公判は、
広島高裁にあがり、最高裁に上告され、
何年もかかって、最高裁が差し戻し判決をだし、
けっきょく、平成24年、広島高裁で死刑が確定する。


 そのときの、最高裁の判決理由のひとつが、
福田に反省の余地がない、というものだった。

 最高裁判所の裁判官は、五人の合議でなされるが、
ひとりが、この事件にかかわっていたということで、
四人の合議となり、三人が死刑を、
ひとりが、そのまま無期懲役を支持した。

 とうぜん、最高裁の差し戻し判決だから、
広島高裁は死刑を宣告するしかなかったが、
はたして、多数決で死刑を決定していいものかどうか、
それも、課題が残されている。

 そもそも、死刑制度を維持している国は、
40数カ国であり、世界人口のやく半数のひとが、
この制度のなかにいる。


 たしかに、死刑廃止を訴えたフランスや、
スペイン、コロンビアなど、
宗教的コミュニケーションが分厚い国なら、
死刑にかわる「なにか」あるわけで、
ところが、日本は、宗教的なコミュニケーションの
厚みがないだけに、死刑における
オルタナティブツールが希薄なのだ。


 これしかないっていうところである。


 それでも、死刑宣告を言い渡す
地裁の裁判官は、気が重いだろう。

 
 三人の合議制なので、判決の前には、
三人がよりあって、裁判長が、陪席裁判官に、
なんども確認するという。

 そして、高裁に控訴すれば、
また、そこでべつの裁判官が合議して、
あげく、最高裁に上告すれば、そこで五人の
裁判官によって審議される。

 最高裁で死刑がきまれば、
つごう、十一人の頭脳で審議したことになり、
地裁の裁判官もほっとするという。

 じぶんの判断が正しかったとおもうだろうし、
責任も希釈されるだろう。


 しかし、被害者、
あるいはその家族の感情的回復が、
裁判におおきくかかわるのなら、
身寄りのないひとの犠牲はどうなるのか。
感情的回復はゼロである。


 また、反省するかしないかで、
罪の重さが変わるなら、
罪を憎んでひとを憎まずではなく、
罪を憎まず、ひとを憎むことにならないだろうか。


 死んでお詫びではないが、
はたして、死刑がもっともすぐれた選択なのだろうか、
たとえ、情状酌量のない罪であっても、
それによって、国家権力のもと
ひとがひとの命を絶つということが許されるのだろうか。


 しかし、もし、わたしの身内が
非道なしかたで殺されたら、
きっと、わたしは死刑を望むだろう。

 それは、間違いのないことである。

 けっきょくそうなっちゃうんだな、
日本って国は。


 福田孝行は、いま大月という名にかわって、
広島拘置所に収監され、
そのときをまっているところである。
 
かれは、ことし、36歳になる。

相模大野へ2017/9/8

相模大野に行く。
O矢君の命日だから。
いっしょにM子と駅で待ち合わせ。

また、M子は遅刻。
O矢君とM子は大学時代からの友人。

いま、県立高校の先生している。
わたしとは25年来の友人だ。

いつもO矢君のうちに行くとき、

彼女の乗ってる小田急線が停まるんだ、ふしぎ。

だから30分遅れで到着。

一年ぶりに会う奥さんは元気そうでよかった。
こどもたちもすくすく成長している。

 2年生のぼくは学研に通い九九のおけいこ。

 お寿司をごちそうになる、
なんでこんなにうまいものが世の中にあるのか、
日本の文化を堪能する。

 関さばってどうしてあんなにおいしいの? 

 ちょっとほろ酔いでお線香をあげる。不謹慎だなあ。


 仏壇は2階にある。わたしが素人のお経をあげる。

三回忌の法要をやってないので
ちょうどよかったみたい。


 奥さんもこどもたちもM子も同席。

法華経をすこしかじりお焼香。


 と、ふしぎに身体がかるくなる。
お風呂上りみたい。奥さんもM子も同様に、

とてもすっきり、すがすがしくなっている、という。

「家の空気が軽くなってます」
と奥さんはあたりを見渡す。

 えー。法華経、すごいな。こんなことはじめて。

 O矢君が(43歳で)亡くなってから、

家の電気がかってについたり、電化製品が壊れたり、
こどもを夜叱っていたら、電話が鳴ったり、
(無言電話が鳴ったらしい。

それもナンバーディスプレーにはだれからという表示がでなかったそうだ)


 どうみてもお父さんの存在をしめす信号がでている。

やっぱりO矢君まだいるんだな。

ずいぶん長いこと居座って、

9時ごろおいとま。家族総出でお見送り。


駅までふたりで歩く。

「こどもかわいいね」とM子。
「三人もいるじゃん」
「え、もっと欲しい!」
M子はざんねんながら離婚している。

だからというのではないが、
わたしは彼女を横目でみながら、

「そう、しかたないなあ」

短歌の合宿へ2017/9/5

 短歌の合宿にきた。
ずいぶん長い道のりだったとおもうが、
はたして電車で行ったのか、
車か覚えていない。

 どこのホテルなのか、
すこし学校のようなにおいもする。
そんなホテルである。

 代表の、わたしの師匠がいないものだから、
わたしが開会のあいさつをする。

 メンバーは十数名というところ。

 さて、歌会の資料をかばんから出そうと、
どうしたことか、詠草一覧表が、今年のではない。
ずいぶん昔の資料じゃないか。

つまり、わたしは、詠草一覧を忘れてきたのだ。

あせる。

 と、となりに座っていたタンジ君という
わたしの元の職場の同僚が、
怪訝そうな顔つきで、
わたしに、じぶんのかばんを
放り投げてきた。

これでコピーしてこいよ、という意味なのだろう。

 わたしは、すぐさま会場を後にし、
コピーを探してホテルを歩いた。
タンジ君のかばんを抱きかかえながら。
 
 と、どういうわけかトイレに行き、
コピーはいらないんじゃないかと、
会場にもどってきた。

 すると、トイレにかばんを忘れたことに気づく。

 なんで忘れるのだろう、もし、なかったら、
わたしはタンジ君のだいじなものまで
失うことになる。

 また、わたしはあせった。

 いそいで、学校の廊下のようなところを
小走りにもどる。

 と、ちゃんと置いた場所にかばんはあったので、
ほっとしながら、会場にもどる。

 が、またトイレに行きたくなる。
こんどは、床になぜかかばんを置き、行く。

 で、会場にもどるのだが、
また、床においたかばんを忘れた。

 
取りにもどると、
床には、タンジ君のかばんともうひとつ、
女性のもつハンドバッグもある。


 このバッグはだれのかといえば、
島倉千代子みたいなひとのだった。
彼女は、畳で昼寝をしていた。


 会場にもどるとき、わたしはホテルの庭を通った。
そこは、たくさんの花が植えられて、
花々のなかに、続いてゆく細い道があった。

 そのとき、見知らぬ女性がわたしに
擦り寄ってきて、この花はね、とか説明をし始めた。

 知らない女性なのだが、
わたしの好きなひとがきらっているひとらしい、
という認識はあるものの、このひとが
だれか知らないが、やけに慣れなれしい。

 ところでわたしの好きなひとはだれなのか、
そして、その好きなひとが嫌っているこのひとは、
だれなのか、さっぱりわからない。

 わたしのすきなひとが嫌っている、
このひとは、白いブラウスを着ていた。


 わたしは、そのひとから別れて会場に
戻ると、歌会はすでに終わっていて、
宴会になっていた。

 つまり、わたしは歌会にはまったく参加せずに、
かばんを何度もわすれ、
見知らぬ女性になれなれしく声をかけられ、
そして、いま缶ビールを飲もうしているのだ。


 歌会のメンバーは、タンジ君以外は、
ひとりも知らないひとなのか、それとも知友なのか、
それもわからなかった。

 夢はここでおわる。


 達成感のない、いささか疲労が困憊する夢であった。

しかし、しばらくぶりに出てきた
見知らぬ女性。

 これは、男性内にある少数女性遺伝原質、
いわゆる「アニマ」である。「アニマ」とは
「アニメーション」の原型の語である。

 この「アニマ」、つまり少数女性遺伝原質は、
男性内にある無意識の具現化で、
無意識は見知らぬ女性となって
夢に現れるのである。

 フロイトの言説である。

 この「アニマ」がわたしに何を言ったのか、
そこだけは、おもいだせないのである。



リテラシーについて2017/9/5

 内田樹さんが書かれていたとおもうが、
メディアリテラシーは情報収集能力のことだが、
それと同時に、情報発信能力という意味も
含まれるだろう、というようなことを。


 収集能力があれば、同時に発信能力も
備わる、というのが氏のかんがえのようである。


 が、はたしてそうだろうか。

 聞く能力と、それを話す能力とは
ひょっとするとべつのような気がするのだ。


 読書が好きでも作文がきらい、というひとも
いるだろう。

 ぎゃくに、作文は好きでも読書が苦手、
つまり、わたしのような者もいるだろう。


 日曜日の店は、「担担まぜそば」をお休みにしている。

平日サービス商品だからだ。

 と、2時前に運動部風の学生さん4人が
どかどかって入ってきて、券売機の前でしばらく立って、
さっさと帰って行こうした。むろん無言である。


 「ねぇ、帰るんですか」
と、わたしが訊き返すと、こちらをふりむいてうなずく。

 「まぜそばがないから帰りますってこと?」
と、さらに訊くと、またうなずいた。

 「ここまで来て、ありません、さあ、帰りますって
とは言わせないから、材料あるから作るよ、
そのへんの券買ってよ」
と、わたしが言うと、

「ほんとですか」
と、はじめて口を開いてくれた。


 で、かれらに担担まぜそばを提供し、
そのあいだに、かれら4人は東工大のラグビー部で、
大学からラグビーをはじめた4人であり、
そのなかの耳がすでにつぶれているかれは、
「2番」というもっともハードなポジションであることも
教えてくれた。


 話しだせば好青年たちばかりである。


 が、さいしょの券売機のところで、
「今日は、まぜそばないんですか?}と
訊いてくれれば、話はもっとスムースである。

 運動部の活きのいい学生なのだから、
ハキハキとすればいいとおもうが、
わりにいまの若者はそうではなく、
他人にかんけいなく自己決定して、
おそらく、それで有能感を得ているのだろう。


 じぶんで決めることが最善であり、
そこに「それでよかった」という諦念にも似た
消極的な有能感をもつことが、自己防衛的な
選択なのだろう。


 つまり、見知らぬ者とのコミュニケーションツールが
希釈されているのである。


 日本人は、ムラ社会で、
それは農耕民族にそなわる、ア・プリオリ、生得的なものだろうが、
仲間たちのあいだでは、コミュニケーションが
うまく流通するが、いざ、他のムラ社会のものとは、
疎遠である。他のムラ社会のものと接触するさい、
Meイズムの姿勢をとるが、いざ、目があって、
話しはじめると、そこにYou社会的関係が芽生え、
すぐさま、We社会が実現する。

他校のおんなじ部活のやつらは敵とおもっている
ことをかんがえれば、すぐわかることである。
が、じっさい、試合を終え、おんなじ場所で
飯でも食べているうち仲良くなったりする。


 これが、日本のムラ社会というものだ。
だから、安倍さんが
「こんな人たちに負けるわけにはいきません」と
早計に言ってしまったのも、ムラ社会をずるずる引きずっている、
ということにほかならない。

 ようするに安倍さんは、もっとも典型的な
日本人であり、もっとも総理大臣にするには不適格な
ひとだ、ということになる。


 話をもどすが、大人と接触するときの
コミュニケーションツールを開発する必要がある、
ということである。


 それは、おそらく初頭教育から
構造改革をしなおさなくてはならないだろう。


 自己決定の有能感というものは、
実存主義的な要素をかかえているが、
大人とのコミュニケーションによって
じぶんの意思決定をするというしかたは、
どちらかといえば、構造主義的考量である。

 
 じぶんの中には、それはわたしも含めて、
偏見やバイアスがかかっているから、
他者の意見を聴き、調整しながら
進む道を決めても、そうわるくないとおもうのだ。

 
 東工大生といえば、たぶん
もっている才能に付け加え、
何時間にもおよぶ予備校通いとその勉強量。

 塾の先生の言うことをよく聞き、
高度なテクニックを学び、そして成功した者たちだろう。


 つまり、リテラシーは豊富にあるわけだ。
収集能力にかけては天才的なのだろう。

 が、かといって、それを発信できるか、
といえば、そうでもない。
成績がよくても論文が苦手という学生も多くいるだろう。

 それだから、大人や赤の他人にたいする
コミュニケーションも苦手、というものも出てくるだろう。

 内田樹先生がおっしゃる、
情報収集能力には情報発信能力が兼ね備わる
という事況には
なかなかたどりつかないような気がするのだが。


 ラグビー部の四人は、
食後、カウンターにあった知恵の輪をいじりながら、
店が閉店した2時を30分過ぎたころ
大学に戻っていった。

ほんとうに日本人なのだろうか2017/9/2

 祇園精舎の鐘の声

 平家物語の冒頭は、だれしもがいちどは
口にしたくだりであろう。

 諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす


 この「盛者必衰の理」というところが
いかにも日本的なのである。


 それは、権力を掌握したものへの称賛でもなければ、
上意下達の社会システムでもない。

 滅びの美学である。

 
 権力を握ったものはかならず、
蕩尽されセロにむかうものだ、という
日本古来の価値観であり、
ちゃんと、そのとおりに権力の座から引きずり降ろされる
という宿命をたどっている。


 滅びの美学。


 それは、天空の城ラピュタにも妥当する。


 滅びの呪文、パズーとシータ、
このふたりが唱えた「バルス」。


 リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ姫の城が
いままさに崩れ落ちてゆく。


 そして、そこにわれわれは美を見るのである。

 ラピュタの壊れつつ、さらに、またさらに
空のかなたにのぼってゆく、
ラストのシーンを見ながら、
われわれは共感するのだ。


 だから、
ブーフーウーの壊れないレンガの家をみても、
わたしたちは、そこに感情移入することはない。

 
 壊れてゆく、あるいは、かそけく消えゆくものに、
あわれさを感じ、おもむきを見るのである。

 いずれは破れる障子から漏れる陽のひかりに、
情緒を見出すのである。

 ステンドグラスのようなものを日本人は好まない。

 竹久夢二の描く、
すぐに風邪ひきそうな女性をわれわれは好み、
清田 彩(知らない?)みたいな美人だが
健康むきむきなひとには魅力を感じない、
というものではないだろうか。 


そんなかそけき、陰影礼賛的な日本が
このごろすこし変なのだ。

 
 このあいだ、全日本のサッカーが
7回も負けているオーストラリアに2-0で勝った。


 負けないじゃなぃか。


 バドミントンでは、奥原望が
インドの選手を倒して金メダルをとった。

 オリンピックでは高橋・松友ペアが金メダルだった。


 高梨沙羅は、無敵である。

 平野美宇もしかり。
 張本智和はまだ14歳である。


 リレーでは、アメリカにつづく2位だったり、
このあいだば銅メダルだった。

 羽生結弦はどこまで記録をのばすのか。

 内村航平、白井健三、なんか強すぎるぞ。

 ボクシングでも、現在11人の世界チャンピオンがいる。


 女子バレーでは、ブラジルに勝ったり、
セルビアにリベンジしたり。


 ラグビーでは南アフリカに勝つ。

 女子のサッカーも以前一位になった。


 このごろは、そうでもないが女子のマラソンも
強かった。

 おかしい。


 第二次世界大戦でドイツが降伏したとき、
ニューヨークタイムスは、挿し絵つきで、
この国は立派な国で、これからは、
ドイツとともにあゆんでゆこう、みたいな
文言があったそうであるが、
日本が無条件降伏すると、
ニューヨークタイムス紙に、
「この化け物はまだ生きている。
徹底的につぶさなければならない」
というような記事があったそうである。


 つまり、われわれは、
爆弾をいやってほど投下され、
民間人がさんざん殺され、
そして「徹底的につぶされなければならない」
国民なのである。

 
 勝ってはいけないのだ。


 負けて、負けて、夢二の描くような
よれよれの女性のようになって、
それでもしたたかに、奥歯をぎゅっと噛みしめ、
耐え抜いて生きてこそ、
日本人なのではないだろうか。


 負けて、負けて、おしんのように
雪の下からじっと春をまつ蕗の薹のように
しているのが日本人なのだ。


 あんなに欧米人に勝って、
欣喜雀躍、喜びまわってていいのだろうか。


 つまり、わたしが言いたのは、
いま、活躍しているアスリートたちは、
すでに日本人ではないのじゃないのか、
ということである。


 それはきっと、ものすごい下積みと、
はかりしれない努力の賜物なのだろうが、
そういうしかたこそ、すでに日本人としてカテゴライズ
されていないのじゃないかと、
わたしはおもってしまう。


 世界からターゲットにされて、その地位を照射され、
目標にされるより、こっそり、「すみません」って
生きてゆくのもなかなかオツではないかと、
おもうのだ。


 ちがうかな。


 そういうことからすれば、
スーパー王座、内山高志も、山中伸介も
王座を陥落した。

 うん、さすが。

 諸行無常のひびきをわきまえている。


 


潜水艦のはなし2017/9/1

 わが国の潜水艦の技術は世界一であるという。

 潜水艦というのは海上で発見されるや、
海の棺桶、といわれるくらいもろいものはない。

 海上の船のソナーにスクリューの音が検知され、
あっというまに見つかってしまうのが、
たいていの国の潜水艦なのだが、
こと日本のそれは、スクリューに秘密があって、
ほとんど音がしないのだそうだ。

 だから、ソナーに反応しないので、
ひょっとすると他国の戦艦のすぐとなりに
音もなく浮上することもできる。

 そういうわけだから、
中国海軍は、ベトナムには海上でひどいいじめをおこなうが、
日本海では、ひっそりとしている。

 潜水艦が怖いのである。


 スクリューの技術だけではなく、
どこのどれをとっても、他国は日本の
潜水艦の技術をほしがっているそうだ。

 そんななか、オーストラリアでは、
潜水艦の共同開発をする国を選定していた。


 日本では、とうぜんわが国が
そのパートナーになると高をくくっていた。

 が、結果は、フランスの政府系造船会社「DCNS」
に決まったのだ。

 これって、アメリカが、全盛期のウサイン・ボルトを
リレーの選手から落とすようなものである。


 日本は、オーストラリアと手を結んで、
惜しみながらも日本の技術をあけわたし、
それでも、二か国で中国に圧力をかける狙いが
あったのだ。

 仄聞するところ、この選定の前に、
中国政府が多額の賄賂をオーストラリアの高官におくり、
日本を選ばないように工作したらしい。


 で、いま、「DCNS」から機密文書が漏れたとか、
とにかく、オーストラリアやアメリカでも、
問題視されているようだ。脇が甘いのじゃないだろうか。


 日本の技術も、なかなかで、潜水艦だけではない。

 たとえば、「はやぶさ」。

 7年だったか、遅刻はしたものの、
金星のうしろをまわって、故障した箇所は、
みずから補修し、そして、指定されたオーストラリアの
砂漠の「ここ」というところに帰ってきた。

 GPSを装着してのことだけれども、
この精度の高さに、NASAが驚いたという。


 この精度をもって、たとえばミサイル、
つまり、コンベンショナル・ストライク・ミサイルに搭載すれば、
ものすごい武器ができるのである。


 ようするに、目標物というより、「その人」だけを
狙うミサイルができるということなのだ。

 

 いま、アメリカはテロリストのために

空爆をやめないが、テロリストひとりを殺すのに

民間人27人の死傷者がでるという試算があるにもかかわらず、

それを続けている。

 

 コンベンショナル・ストライク・ミサイルが

あれば、民間人の犠牲者はゼロである。



 かんたんに言えば、
寝ているトランプ大統領の脳天に
ミサイルがぐさりと刺さり、
横にいるメラニア・トランプは
それに気づかずに朝まですやすや寝ている
ということも可能なのである。


 飛行距離ももんだいになるが、
そのうち、シャープペンシルくらいの
飛行物体が、ターゲットにぐさって刺さるような
コンベンショナル・ストライク・ミサイルが
開発されるかもしれない。


 渋谷のスクランブル交差点で
信号待ちしていると、右から左から、
そんな物体が飛び交っていたら、
物騒このうえもない。


 アメリカのステレス戦闘機につかわれている
ペンキは日本製である。

 F15・イーグルのコクピットのセラミックも
日本製である。


 重力6Gに耐えられるセラミックは
いまのところ日本しかつくれないらしい。


 アメリカが、セラミックの設計図を
脅しみたいにして、日本のある会社から取って、
自国で作ってみたら、経費が倍くらいかかってしまって、
やはり、ダメということになり、いまも
日本製のコクピットとなっている。


 砲丸投げの砲丸も、たしか川口にある、
小さな町工場で手作りで仕上げられているそうだ。

 砲丸は、選手によって重心がちがっているらしく、
それを手作業でたんねんに作ってゆく。

 ほとんど、海外の選手も砲丸は、
その町工場に依頼しているという。

 日本ならではのすぐれた技術といえよう。


 日本は、こうしたすぐれた技術がありながら、
経営陣の上の方に、すこし脳タリンがいて、
それでもって経営をおかしくしているのではないか。


 携帯業界も撤退があいつぎ、
けっきょく、iPhoneのひとり舞台となっている。

 自由な想像力をやしなう教育が
なされていないということが、現況を作っているのではないだろうか。

ざんねんである。


 広島、呉の駅に降り立つと、そこには、
世界に冠たる潜水艦の実物が
モニュメントのように置かれている。


 すべてが本物、しかし、スクリューだけは
ちゃんと別ものがついているそうだ。

マット交換2017/8/31

 善人だが善良でないひと、そういうひともいる。

 

 会社で出世するひとは善人だが、

そのひとが顧客にたいして、はたして

善良であるかどうか、それはわからない。

 

 

 すでに昼過ぎから天気予報で

雨であることがわかっているのに、

洗車をすすめるガソリンスタンドの店員。

 

 その店員は、営業成績が優秀かもしれない。

それも、満面の笑みで「いかがでしょうか、洗車は」

とかいう。

 

 しかし、わたしは

「すこし車汚れていますが、今日は雨ですから、

次回にしましょうね」と言ってくれる店員をこのむ。

 

 善人な店員は、

会社から褒めたたえられるだろうが、

けっして善良ではない。

 

 右折禁止の場所で、

そのすこし奥の電柱のかげで

違反者をまっている警官。

 

 それは、間違った行為ではない。

違反をするものがいけないのである。

そして、違反するものから切符をきる。

 

 正しい。

 

 が、右折禁止のそのところで

「ここを曲がれませんよ」と指示してくれる

警官がいたら、そのときの違反はなくなる。

 そういう警官はいない。

 

 じぶんの成績にはならないからだ。

 

 警官という仕事は、いま、まさに

ふるえながら拳銃で兄弟分を射殺しようとする

ヤクザをみて、それを事前に止めるのではなく、

射殺したあとを逮捕するのが仕事である。

 

 罪を作る前に、事前にそれを辞めさせたら

ただの善良な警官になるが、ちゃんと罪が成立したあとの

逮捕は、善人な警官として認知されるからである。

 

 

 それは、間違いではないものの、

倫理的な幸福論として、どちらが正しい選択かと

いうことになれば、二者択一はむつかしいのではないか。

 

 だれでも、どんな仕事でも、

相手のためではなく、じぶんのために仕事をするのである。

それは、正しい。

しかし、正しいことが間違ってるということもある。

 

 

 きょう、うちの店のマットを交換にくるひとがいる。

 

 レンタルマットである。

 

 が、うちの店は、11日間休んでいたから

ほとんど汚れていない。

 

 そのマット会社の担当のひとは、

昨日、わざわざうちの店に来て、

ウォーターサーバーを店にいれないかと、

勧誘に来たのだ。

 

 「どうですか、お店のこのへんに置けますが」と。

 

 平身低頭、ものすごく腰の低い、ひとあたりのいいひとである。

が、そのひとの完全に間違っていることは、

うちの店が、最高の活水器を設置した

水にこだわる店であることを

完全に失念しているか、知らないかである。

 

 浄水器、いや、活水器を置いてある店に

なんでウォーターサーバーを設置しなくてはならないのか、

それは、自己矛盾をわざわざ露呈していることに

ほかならない。

 

 つまり、かれは、じぶんの営業成績をのばすためには、

顧客のもっともたいせつにしているところなどは、

まったく眼中にないわけである。

 

 善人なひとなのだが、わたしには善良には

うつらないのである。

 

 昨日、わたしは、そのマット会社の担当者に

電話で、今週はキャンセルできませんかと訊いた。

 

 善良なひとなら「わかりました! では、来週参ります」と

あいさつするだろう。無駄な出費をしなくてすむからである。

 

 しかし、かれは、水にこだわる店にウォーターサーバーを

置こうと勧誘にくるひとだから、

「もう、伝票ができてしまっていますから」と、

わたしの依頼をいとも簡単に断ったのだ。

 おそらく、かれの営業成績に「キズ」がつくからなのだろう。

 

 

 たかだが、数千円の話だから、ほとんど汚れていない

マットを交換することは、惜しまないが、

 にんげんのつきあいとして、善人だが善良でないひとと

これからも応対することが、わたしには

とても哀しいことにおもえるのである。

 

 

 

 

内視鏡検査2017/8/30

 自宅にかかりつけの医師から電話があって、

すぐ病院に来てくれというので、

いそいで村上医院に行ったら、

オリモ先生が、「胃じゃないんだよ」というから、

「食道ですか」とわたしが訊き返すと、

「そう」と言って机上の蛍光灯に、

レントゲン写真を嵌め込んで、わたしに見せてくれた。

たしかに、食道に「なにかある」わけで、

それがわたしのはじめての内視鏡検査になるわけだった。

 

  つまり、はじめて胃カメラというものを呑むことになった。

内視鏡というのが正式なのか、

とにかく、もしなにかあったら、

それでお陀仏、なんにもなかったら、それはそれで、

と、諦念をむきだしにして出かけた。

 

 

 日時をきめて、荏原病院に出かける。

 

 内視鏡検査の部屋は

体育準備室のような広さとオーラで、

ああ、瀟洒でうつくしい部屋ねってわけではなかった。

 

 看護婦さんからまず、胃の中の泡を

取る薬を飲まされ、それから、べとべとした

液体をお猪口に一杯飲まされた。

 

 そのお猪口が麻酔らしく、ついぞ、わたしの舌は

しびれはじめる。

 

「あの、舌がし・し・ぶ・れ・て」

ほら、呂律がかんぜんにいかれた。

 

 そして、わたしはベッドに寝かされ、

横になり、足を九の字に曲げされられた。

なにかの冬眠の姿のような、

オットセイの昼根のような。

とにかく顎をあげて管をとおしやすくしなくては

ならないらしい。

 

「はい、こういうのが入ります」と

女医さんは、わたしに黒い

エイリアンの脚のようなものを見せてくれる。

 

その説明、要らない気がした。

 

 

「さ、入りますよ」

 

「これから一番苦しいところを通ります」

 

「ウ・グ」

わたしは、麻酔があるとはいえ、

喉をとおる遺物をできるかぎり

気にならないように、それでも、

手は握りこぶしをしてすこし汗ばんでいた。

 

 と、なにやら、胃が膨れてくる。

昨日の夜からなにひとつ食していないので、

空腹なはずなのに、満腹感がする。

 

 しかし夜中まで、酒はたらふく飲んでいたから、

胃などはきっとただれているのじゃないかとおもった。

 

「はい、食道はきれいです、それでは胃のほうにはいります。

うん、胃もきれいですね。つぎは十二指腸。うん、

ここもきれいですよ」

 

 ストレートでウィスキーを飲んでいるわたしだが、

どうも、わたしの胃袋はそれに耐えているようだ。

 

 「じゃ、水ぬきますね」

 

え。胃の中に水を貯めこんでいたらしい。

だから、満腹な感じがあったのだ。

知らなかった。

 

 ようするに、わたしの胃袋は、内視鏡の管と、

大量の水で、ぐしゃぐしゃにされたことは

まちがいない。

 

 

検査にかかって管は胃袋駆け巡る

 

 

 ともかくも、わたしの、初の内視鏡検査は

なんにもなし、というところで終了した。

めでたし、めでたし、なのだが、

ちゃんとオリモ先生が、レントゲン撮ってくれていれば、

こんなことにならなかったのじゃないかと、

うっすらと先生を怨みながら、

帰宅した。

 

 

 数日経って、わたしは「やなか珈琲」にいた。

 

「きょうの珈琲は、エルナンデス・モンターナです。

コロンビアの珈琲です」と店主から。

 

 わたしがその値段をみると780円とあり、

「やなか」さんではわりに高め設定である。

 

 「これ、高いですね」

 

 「そうなんです、コロンビアは高いんですよ」

 

と、一口、お、これ香りいいですね。

 

「はい、苦みがありまして、それでも気にならず」

 

 「そういえば、さいきん、わたし内視鏡やったんですよ」

 

「え。社長が、どうでした」

 

「はい、横に向けられて」

 

「そうそう、わたしもやりましてね」

 

「あ、この珈琲、うまいな」

「わたしなんか、のたうち回りました」

 

「え、シマダさん、苦しかったの」

 

「はい、なんか看護婦さんに三人で取り押さえられて」

 

「でも、これ香り高いな。これいいですね」

 

「わりにこれならいけるという方いらっしゃいます」

 

「そう、わたしは、じょうずですって言われました」

 

「わたしの場合は、老人でした、先生が、

そのひとが

下手だったんでしょうか」

 

「そうかもしれません、わたしは若い女医さんでした。

これ値段あるだけあって、いいですね、うまいな」

 

「それで、社長、なんでもなかったんですか」

 

「はい、どこもかしこも綺麗って言われました」

 

「じゃ、無駄でしたね」と、シマダさんは

口を細めて笑いだした。

 

「これ、ローストは7番?」

 

「いえ、6番です」

 

「へー、そんなんで、この味か、すごいな」

 

「わたしが、のたうち回っているものですから、

つぎの方がカーテンの前に立っていらして、

わたし、どうしましょ、なんて言っているんです」

と、また、店主は小刻みに震えながら、

声高に笑い続けていた。

 

 「わたし、酸素を吸って来たら

いま、元気なんです」

 

 「へー、そんなことされたの」

 

「もう、夏バテで、でも、酸素吸って、

ニンニク注射打ってもらったら、

ぜんぜんちがうんです」

 

「ふーん、そうなんですか。わたしは、

このとおり、元気だからなぁ。いやぁ、この珈琲、

おいしかったです」

 

「社長みたいに元気な方には必要ないですって」

 

 

 

 けっきょく、「やなか珈琲」で、わたしたちふたりは、

まったく、拉致のあかない会話をして、

わたしは帰宅したのだが、あの会話を

いまもおもいだすと、わたしの胃の中で起きていた、

「ぐしゃぐしゃ」とよく似ていたような気がするのである。

時代に乗り遅れぬよう2017/8/29

もう25年も前のことである。

 

わたしが青葉台で授業をしていたとき、

昼過ぎだったものだから、男子生徒に尋ねた。

 

「おまえ、きょう昼何食べたの」

 

と、かれは、「すたば!」と言った。

 

「・・」

わたしは、「すたば」と聞いて

いっしゅん「すた場」しか去来しなかったが、

さすがに、これがスターバックスであることに気付く。

 

 

 しかし、当時はスターバックスは出来立てのほやほや、

まだ「スタバ」が

人口にカイシャしていなかったときである。

 

 だから、わたしは「すたば」を「すた場」と、

なにかどこかの場所だと勘違いしたのである、

ほんの刹那的なあいだだけ。

 

「おい、おれに省略するなよ、わかんないじゃん。

スターバックスだろ?  ん。わかった、

それでなに食べたのよ」

 

スターバックスという店は、

入り口のも出口もはっきりしない、

「あやふやな店舗」という印象が

当時はぬぐいきれなかった。

 

おまけに、あそこは、コーヒーを出すところで、

食事処としてわたしは認知していなかった。

 

生徒は「ベーグル!」と答えた。

 

「ん。ベーグル?  あのな、省略されたら

わからないよ」と、わたしがもうしあげたら、

教室ががやがやとした。

 

「せんせい、それ省略じゃありません」

 

「え!」

 

 

つまり、わたしの知らないところで、

わたしのすぐ足元で、

わたしの知らない食品が

じわじわと接近、侵食している、ということなのか。

 

わたしは、ほんの少しのカルチちゃーショックに

狼狽したのだ。

 

時代はおもわぬ速さで進行している。

時代はかわりつつあるのだ。

 

 

「ベーグルという食べ物があるの?」

と、わたしは70人くらいいる教室から、

うなずく姿をみた。

 

 ベーグル、それははたしてどんな食品なのか。

わたしは、その日、休み時間を利用して、

駅前まであるき、

そのベーグルとやらを試したのである。

 

 

 これは、好奇のこころと、

生徒とのコミュケーションの延長とでもあった。

 

 

 もちろん、はじめての経験である。

 ベーグルというシロモノは、

真ん中のへこんだパンで、その中にミリ単位の

薄いサーモンが挟まっている

やけにもこもこしたものだった。

 

 ちょうど痔の座布団のようなカタチである。

 

わたしは口のなかのほとんどの

水分を取られながら、なんだか味もそっけもない、

座布団を食した。

 

 

 あれから、25年。スタバで食事をしたことがない。

が、このあいだ、鷺沼のアヤコから、

「スタバの『サラダラップメキシカンアボカド』がおいしいよ」

と言われたので、あんまり気乗りがしなかったが、

ふんふん、聞いていた。

授業中にこんな話ができるのも

少人数性のいいところである。

(ほんとかな?)

 

わたしは、アヤコが一人っ子だというので、

ちがうだろ、下にいたろ?

と、言ったら、きゅうに真顔になって、

なんで知ってるの? お母さん言っていたよ。

ほんとに小さいときだって。

 

なんて、話をしたことのある子で、

「その子、男の子だったよ」と教えてあげた

ことがあったが、鷺沼の生徒たちは、

明るくていいのだが、調子にのりすぎるきらいのある

クラスである。

 

 生徒から、「スタバのサラダラップメキシカンアボカドが

おいしい、せんせい食べてみて」と言われたら、

それは、行くしかないのが、わたしどもの宿命である。

 

 25年ぶりの食事をわたしスターバックスですることにした。

 

 青葉台のスターバックスは
東急デパートに寄生しているように存在していた。

散らばるような机と椅子に、

パソコンを打ち続けているひと、

単語帖をめくっているひと、

話し込んでいる主婦たち。

 

わたしは、すこし並んで、

そのサラダラップメキシカンアボカドを

頼もうして、ショーケースをのぞきこんだ。

 

 スターバックスはどこもそうだが、

すこし暗い店内なので、わたしのお目当てが

どこにあるのか、よくわからない。

それに、後ろにならんでいるひとの

暗黙の圧迫も気になる。

 

 

 おそらく、アヤコの言っていたのは、

この陳列棚のもっとも下においてある、

リレーのバトンのはんぶんくらいのおおきさの

それではないかとおもった。

 

 値段も品物の表示もよくわからなかった。

だから、わたしは、ニコニコしている店員さんに、

「すみません、これください」と、

おそらくサラダラップメキシカンアボカドだろうものを

指さして注文した。

 

と、カウンター越しから、

「それ、お取りください」って言われる。

 

「はい?」

 

わたしは、これがガラス張りのショーケースの向こうがわに

あって、それを店員さんが取ってくれて、

支払うものとばかりおもっていた。

 

だって、ケーキ屋さんなんかそうじゃないか。

 

ところが、スターバックスは、

これがガラスではなく、ただ、セルフサービスで

取りあげて、レジにもってゆくものだったのだ。

 

 

 わたしはこのとき、ものすごく、

時代に乗り遅れていることに気付くのである。

 

 時代はかわりつつある。

血液型2017/8/14

  原始人はすべてO型である。

北京原人もネアンデルタールも、

みんなO型の血であることは、

すでに研究済みのこと。

 

 それから、A型とかB型とか、あげくに

AB型などがうまれてきたそうだ。

 

 わたしは、血液型から性格判断するのに

消極的であるのは、そんな4種類くらいに識別されるほど

にんげんは単純ではないとおもっているからだ。

 

と言いつつも、O型が蚊に刺されやすい、というのは

妥当しているようにおもう。

 

 わたしもよく刺されるほうである。O型だからだ。

 

わたしは、虫を忌避することはないが、

蚊と蜂だけはかんべんである。

 

 むかし、広島の川西さんちに泊めてもらったとき

ガラス戸にこんこんあたる虫がいるんで

ぼんやり起きてみたら、スズメバチだった。

 

 わたしの目と鼻の先のガラス戸にむかって

こんこん、このときはあわてて退散したのだが、

よく無事でいられたとおもう。

 

 あとから、業者を呼んでみてもらったら、

押入れの天井に巨大なスズメバチの巣があったそうである。

 

わたしは、そこで一晩をスズメバチと共にしたことになる。

 

それをおもうと、いまでも冷や汗がでる。

くわばらくわばら。

 

 

 蚊は、アカイエ蚊とか、たしかとんでもない

病になる蚊もいるが、そんな喫緊なことではなく、

ただ、刺されるのがたまらなくいやなのだ。

 

 いま、スーパーの駐輪場に自転車をおいて、

仕事に出かけているが、そこが藪のような場所である。

 

 夜、戻ってきて、料金をいれていざ自転車をだそうとすると、

なにやら左腕に違和感がある。

 

 どうも蚊に刺されたような気がする。

しかし、わからない。

 

 このときは、文字通り「気がする」だけで、

痕跡がない。ただ、ぼんやりとかゆいような気がするのだ。

 

 このなんとなくのぼんやりの不快感。

いらいらしてくるすこし手前の感覚。

これがたまらなくいやである。

 

 

 そして、どこがかゆいのか、手当たりしだい掻いてみる。

 

自転車をそこに放置しておきながら。

 

 

 でも、どこがその現場なのか、わからない。

 

と、しだいに、蚊が降り立って、わたしの皮膚を刺しただろう場所が

判明してくるのだ。皮膚が盛り上がるピンポイントがわかりだす。

 

 ここか、刺されたのは。

 

 そこで、はじめて常備しているかゆみ止めを

塗ることになる。

 

 

 この、悲惨な現場の特定までにかかるタイムラグが

すこぶるいやなのである。

 

 血くらいさしあげるから、たのむから

変な液体と交換しないでいただきたいと、

蚊の外務大臣と交渉したいくらいである。

 

 きのう、久しぶりにアヤコが来店した。

 

「今日、先生店にいる?」

といラインからはじまる物語。

 

「食べに行こうかなぁ。今池袋」

 

アヤコが来たのは、ちょうど12時ごろだった。

バイトの啓子に紹介した。

 

「きれいな子だろ」

と、言うと、啓子もうなずく。

 

「何年ぶり?」

 

「うんとね、最後に会ったときから6年かな」

 

「そーだ、かれと会う前の時間にね、昼飯」

 

「うん、そうだね」

 

アヤコは、高校時代よりはるかにスレンダーになっており、

ものすごくきれいになっていた。

 

「いまいくつよ」

 

「29」

 

「え。そんなになったか」

 

「うん、先生と30歳離れているから」

 

「あ、そーなんだ。アヤコと最初に会ったのは、

西葛西の駅だったな」

 

「そうだったね。よく覚えているね」

 

「忘れないよ」

 

「なんかわたし、みんな忘れていってるみたい」

 

「それじゃ、カウンセラーつとまんないじゃない」

と、わたしが言うと、彼女はすこし微笑んだ。

「そうだね」

 

「ということは、アヤコといっしょにいたのは」

 

「もう10年も前だよ」

 

「そうか、そんなに経つのか、どう、おれ痩せたろ」

 

「うん、前より若くなったみたい」

 

10年前は、いったいおれはどんなだったんだろうと、

おもいながら、アヤコに冷やしつけ麺をだした。

 

 

「なんだっけ、山崎まさよしの」

「♪どれ以上なにを失えば、じゃない」

「そうそう、それ聴くと先生おもいだす」

 

 

すこし、ゆっくり彼女は店にいて

成増に帰っていった。

 

「こんどはゆっくり」というラインをいれたら

「はーい」と返事が返ってきた。

そして、彼女からは、

 

「おいしかったよ。

先生も元気そうでなにより。

いろいろ忘れていたけれど、

今おもうと、先生にいろいろわがまま

言ってたんだねぇ」

と、あった。

 

 そうかもしれない。

 

しかし、しかたない。

 

彼女はB型だから。

 

 

敬語の使い方2017/8/13
 過度な敬語もどうかとおもうが、
まったく敬意を表せないひともどうかとおもう。
あるいは使い方である。


 比較的レベルの低い高校生となると、
敬語の使い方などはあったもんじゃない。

 S高校という神奈川屈指の底辺校では、
なんでも語尾に「・・おもうのでござりまする」を
つける生徒がいたそうだ。

 「は、・・とおもうのでござりまする」

 なんでもこんな調子なものだから、
国語のテストでも20字で書け、というのに、
その20字に
「おもうのでござりまする」と後に書いてしまうので、
いつもバツになっていた。

 夏休み、三者面談があって、かれの父さんが
職員室に来て担任と話していたのを聞いたら、
それは父が原因だとわかったらしい。

「は、うちの息子は
就職させようとおもうのでござりまする」



 この学校の文化祭のクラスの
実行委員の女子学生に
ある先生が訊いたそうだ。

「お前のクラスなにするんだ」

「はい緑の日をします

「緑の日?」

「はい、ヨーヨー釣ったり、ダーツ投げたり」

「・・・それ、縁日だろ」

一事が万事、こんな具合である。



わたしが、二年間つとめたK学園も、
かなり低次元だった。


苅谷剛彦さんが『階層化社会と教育危機』で

「比較的低い階層出身の日本の生徒たちは、
学校での成功を否定し、
将来よりも現在に向かうことで、
自己の有能感を高め、
自己を肯定する術を身につけている。
低い階層の生徒たちは
学校の業績主義的な価値から離脱することで、
『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである」
と語るが、はたして、K学園の生徒諸君に
有能感があったのか、あるいは、有能感にも、
兵隊さんのくらいがあって上等なのから
下等なのまであるのかもしれない。


そういえば、「おれたち金はらってんだから、
先生が黒板消してくれよ」とか平気で言っていた。


なにをかいわんや、こんな有能感は、
有能感とは、ちょっと違う気がするのだ。


 
 わたしにも罵声を浴びせる野郎とか、
生意気な態度を取るやつらがぞろぞろいた。


だから、わたしは、そいつをきっと睨んで、
「てめぇ、ここが学校だから甘くみてやってんだがよ、
おめぇ、おれと外で顔あわすんじゃねぇぞ、
わかってんだろな」

 なんて、やさしく注意したものだ。



「せんせい、このジュース買ったらよ、
2本出てきたんだよ、得した、得した」と、
喜んでいた生徒がいたが、
翌日、「せんせい、あのとき1000円入れたんだけどさ、
お釣り取るのわすれちまったよ」だって。

バカ丸出しである。


だいたい、そういう学校では、
教師からして言葉遣いがまちがっている。

「○○君、職員室まで来てください」

こんな校内放送をする。君づけもどうかとおもうが、
「来てください」という敬語は、教師が生徒にするものではない。


「何年何組、○○、職員室に来なさい」

これが正しい。


 しかし、いまの生徒さんは、
敬語の間違いだらけの位相に暮らしているから、
「なになにしなさい」という敬語法にむしろ
違和感を抱いてしまう。


 テストの見回りにしても、
「質問ありますか。それでは三行目をみてください」
とか言う。「ください」はNGなのだ。


 ただ、どうも「ください」がおかしいと
気づいている教師もいる。しかし、「みなさい」とは
言えないのだ。生徒の反応が怖いのかもしれない。


「なんだよ、その言い方はよぉ」とか言われるのが。


 だから、潜在的に「ください」に齟齬を感じる先生は
きまって「ください」の真ん中に「促音」をいれるのだ。

「えー、それではあとの5分間、
がんばってくだっ、さい」

 いや、もっと「さ」の音がのびる。

「えー、それではあとの5分間
がんばってくだっ、すーさい」この「すー」は
音があんまり出てこない音である。

 こうやって話す先生かなりいたよ。



 若いころは、横浜の高校につとめていたのだが、
そこの学習指導部の部長先生というのが、
パラノイアだった。

 国語の教師で、なにしろ食事をみんなと
ともに取れない、という偏執ぶり。

 わたしの弁当に異物をいれるものがいるんです。

とか、本気で言っていた。


 そのひとが部長になるや、
すべての書類に「ケチ」がついた。
その「ケチ」はどうでもいいよねってものも多かった。

 
わたしが、ある生徒の推薦書類を書く。


それは、各部長の印鑑をもらって、
最後は校長の許可をもらってはじめて大学に
提出してよい、というめんどうなものだった。
つまり、八人くらいの印鑑が必要だったのだ。

 まるで、法務大臣の死刑執行命令が
拘置所に届くまでの手続きとよく似ている。


 「・・ということで、推薦もうしあげます」


 たしか、こんな文面だったが、この「推薦もうしあげます」に
学習指導部長、田中さんがクレームをつけてきた。

 「ご推薦もうしあげます」にしなさいと。

「ご」あるいは「御」は尊敬語である。
「もうしあげる」は謙譲語である。

「ご推薦もうしあげる」という言い方は
「田中先生様」みたいに、わたしには書けない
間違った敬語法におもえたのだ。

 しかし、そのとおりにしなければ、
この推薦状は大学に提出できない。

 わたしは、ひとつも間違いのない推薦状に、
歯軋りしながら、目に泪を浮かべ、
訂正印を押し、校正のときにする記号をつけ、
そこに「ご」と一字、つけ加え、
欄外に「一字挿入」と書き足した。


人生の最大の屈辱であった。


 そうかんがえると、
どうせ直さされるのだったら、
「推薦いたしたいのでござりまする」
とか書いておけばよかったかもしれない。



 

忙しいにちがいない2017/8/12

 商店街理事長がスクーターに乗って

やってきた。

ノーヘルにくわえタバコである。

 

 わたしの前を通り過ぎ、

「おっし」

かれは、いつもそういう。

 

 うちのとなりが事務所になっていて、

毎日、かれは事務所にくる。

 

 じぶんの仕事もあるだろうに、

毎日、かかさず事務所にくる。

 

 わたしの前にバイクを置くから、

「よ。メットしろよ」って言うと、

苦笑いしながら「濡れてんだよ」と言った。

 

気のいいひとである。

小学校のいくつか後輩でもある。

 

「あなたは、商店街の顔なんだから、

ちゃんとしないと」と申し上げると、

「あなたには負けるよ」と言われた。

 

これは勝ち負けのもんだいではないが、

やはり理事長たるもの、

率先垂範、見本とならねばならない。

 

かれは、わたしのPTA会長の前任者で、

いまは顧問でもある。だから人望もあるはずだ。

 

そういえば、わたしがPTA会長をつとめていたとき

となりの学校の会長が、

「いやあ、会長になってから

立小便もできないよ」と嘆いていたが、

「あんた、それまでは立小便してたのかい」って

訊きたくなったが、やめといた。

 

 ま、とにかく、商店街理事長というものは、

やはり、お手本であってほしいわけだ。

 

 大田区は歩行禁煙である。

 

それもまもらねばなないだろう。

くわえタバコのスクーターはいかがなものか。

 

こういうのをノブレスオブリュージュという。

社会的責務というやつだ。

 多少の地位についたものが守らねばならない、

道徳律である。

 

 以前、同窓会の初代会長は、

かれには任せられないとぼそっと言っていたのを

おもいだすのであるが、

しかし、理事長たるもの、どうも激務らしい。

それは気の毒である。

 

いつも「忙しい、忙しい」とぼやいている。

が、わたしはきっといいことがあるにちがいないと、

にらんでいる。それも、金銭にかかわることで、

なにかおいしいおもいがあるのじゃないか、

と邪推するのだが、なにせ証拠もなければ、

確証もない。わからない。

 

 「これは、みんな『しま坂』さんたちのために

していることなんですよ」と、かれは言う。

 

 ありがたいお言葉である。

 

 きっと、ほんとうに忙しいのだろう、

なぜなら、『しま坂』さんのためと言いながら、

16年間いちども、うちの店に来店したことが

ないのだから。

マクドナルドの残すもの2017/8/10

この話は、わたしがいまから20年前に書いたものである。

だから、かなり値段設定などに誤差があるかも

しれないが、そこは大目にみていただきたい。

 

『平家物語』の終焉は

壇ノ浦のくだりあたりに集約できるが、

都落ちした平家一門は、

瀬戸内海のまんなかで兵粮責めにあうわけである。

もう、これまでと、平家の侍たちはつぎつぎに

うねる海の底に沈んでゆく。

鎧を身にまとっているんだから

おそらく三〇キロくらいの重さがあるんだろう、

そのまま入水すれば、

あっというまに海底まで達し千尋の底に沈んでゆく。

 

 なにが、つらくて身投げをしたかといえば、水である。

水不足で死をえらんだのだ。

皮肉なものでまわりはすべてが海水、

だれしもいちどはこれを飲んでみようと

試みたはずであるが、H2Oだらけであるものの、

あいにくNaCLもたっぷりふくんでいるから、

れをぐぐーといっきに飲めば、「火のごとし」と平

家では語っている。

 

 と、すでに観念、我が身の最期を悟ったとき、

このへんがどの時代のだれもが

同じ思考回路を作動させるのだが、

システムクラッシュのあとは、

死なばもろとも、道連れの方程式をもつのだ。

名前は忘れたが、平家方の武将が、

船のうえから、大音声あげて、

えーい、おれと組み闘う勇敢な武将はおらんかい、

なんて言えば、どの時代のどこにもいるんだが、

よーし、おれが相手に立とう、

と、若い兄弟が赤コーナーに立つ。

 

あいにく、彼らの名前も忘れた。

 

ふたりは平家の船に乗るや、

死を覚悟した人間の底力か、

この兄弟の首をぐいっとつかみ、

そのまま、海に飛び込んだのだ。

 

まるで、この兄弟は、

ハリセンで叩かれたちゃんばらトリオのようなものである。

 

立ち向かっていったら、

あっというまにヘッドロックされて

そのカッコウのまま海に沈んだのだから、

あえない死に様、むつかしくいうと「巻き添え」である。

 

 

閑話休題。きのう、わたしはマクドナルドで夕飯をとった。

 

ハンバーガーにチーズバーガーを注文。

ふたつあわせて、たしか138円だったか。

とにかく140円でいくらかおつりが返ってきたのは確かだ。

 

一般成人男子が140円で夕飯にありつけるのだ。

廉価などということばでは

くくれないくらいやすい、ただみたいだ。

 

デフレのなれの果てのようである。

 

わたしは、喜びよりも驚きの気持ちが強かったし、

二つのパラフィン紙にくるまれている

外地系の食物を口にしながら、

悲しいくらいの恐ろしさを感じてしまったのであった。

 

それは、かんたんに言えばつぎのようなことだ。

 

この、弱肉強食、

高度資本主義経済の勝者のマックは、

まず、町の食堂に影響を与え、

たとえば、ラーメン屋、寿司屋、レストラン、

などを経営危機におとしいれ、

あげくには、モスバーガーを潰し、

ウェンディーズを凌駕し、

バーガーキングはすでに撤退、

スタードーナッツを倒し、

ケンタッキーフライドチキンを弱体化させ、

ひいては、ファミリーレストランを、

吉野家を、すき家・松屋をだめにしてゆくのだろう。

 

東京上空のバルンガ(知らないだろうなぁ)が、

すべての栄養を街中から吸い取り

自己増殖してゆくように。

 

世の中が、マクドナルドに台頭されたとき、

ようやくひとびとは気づく、マックまずいじゃん。

 

 

そのときには、すでに、

われわれは、われわれにいちばん必要なひとのぬくもり、

このぬくもりをもった町の食べ物屋さんを失い、

ひいては、食べ物屋さんの作り出す日本の味を失うのである。

 

が、もっと問題なのは、

このアメリカテイストの化け物には

経常利益が出ていないという現実である。

 

つまり、やすくしすぎて儲けてないのだ。

であるから、日本の最期は、

たったひとつの巨大マックを失う、

という構図がいままさにくりひろげられているのではないか。

 

わたしは、こんなふうに考える。

 マクドナルドはいま、

日本経済のジレンマのまんなかで二進も三進も

いかぬ立ち往生をしているのかもしれない。

 

そして、マックはおのれの断末魔を、

平家の武将のように「巻き添え」というかたちで

迎えようとしているのである。

 

 

 なんか、これって、ほんとうに起こりそうな

気がしてならない。

 

記 憶2017/8/8

にんげんの記憶というものは、

あるバイオレンスなことが起こると、

ほんとうに大事なことよりも、

トリビアルだが、それでも衝撃的なことが

頭に残るものである。

 

 

 わたしがまだ大学院生のころ、

教授のお供で、学部生をつれて

長野まで合宿にいったことがあった。

 

 

 勉強合宿で、たしか『大和物語』という歌物語を

読む、という合宿だった。

 

 『大和物語』という古典は、女房たちの

茶話のような性格で、

あ、その話ね、ならこんな話もあるわ、

なんて具合で、

つぎからつぎに話が展開してゆくので、

連鎖的展開なんて、雨海先生はおっしゃっていた。

 

・  天敵をもたぬ妻たち昼下がりの茶房に語る舌かわくまで

              (栗木京子 「中庭」より)

 

 そもそも、『伊勢物語』よりも

兵隊さんのくらいが低く見られがちで、

先生は、なんとか、『大和物語』の

文学性をあげたがっていたとおもう。

 

 わたしは『伊勢物語』もたいした作品ではないと、

そうおもっているが、私淑している丸谷才一さんも、

そんなに感心する作品ではないと、語っていた。

 

 

 さて、その合宿の何日目だったか、

夜の料理はエビフライだった。

だいたい、学生の合宿となれば、

カレーかエビフライか、ハンバーグと

相場はきまっているわけで、

わたしは、

添えてある野沢菜をひとくちつまんだ。

 

 

ん。

 

そのときだ。

 

ガリっという音とともにわたしの口中、

大事件が起こったのである。

 

 野沢菜のなかに「カメムシ」がいたのだ。

 

それをわたしは、ものの見事に噛んでしまった。

 

だから、わたしの口の中は「カメムシ」で

いっぱいになった。

 

あの青臭さというのか、

この世のものとはおもわれない悪臭が

口の中から鼻腔につたわり、そして

脳のほとんどを「カメムシ」が凌駕した。

 

 はたして、わたしの口にした「カメムシ」は

それまで生きていたのか、あるいは他界していたのか、

とにかく、微塵に噛み砕かれてしまったので、

わからずじまいである。

 

 ゼミの先輩という立場で、

ここであわてふためくわけにもゆかず、

わたしは、しずかに、この惨劇を皿のすみに

吐き出し、こともなげに平静を装った。

が、もうなにも口にできない。

 

うー、まだエビフライが残っているのに。

 

 けっきょく、わたしは、寝るときも、

「カメムシ」といっしょだった。

 

 そして、つぎの朝も「カメムシ」はいた。

 

朝飯も食べられなかったのだ。

 

 

 とにかくあの虫はたいしたものである。

これほどまでにひとを呪うなんて。

 

 

 このバイオレンスは、わたしのゼミ合宿のすべてを

デリートさせたのである。

 

にんげんの記憶というものは、

あるバイオレンスなことが起こると、

ほんとうに大事なことよりも、

トリビアルだが、それでも衝撃的なことが

頭に残るものである。

 

 

 それから、何年経ったろうか、

わたしははじめて「パクチー」という

三つ葉に似たものを、中華街で食した。

 

 たしか、蒸した鯛のうえにかかっていたとおもう。

 

 ものすごく臭かった。

 

「あれ、これ、どこかで食べた味とにおいだ」

 

と、わたしはおもい「あ、これカメムシじゃん」

と感じたのである。

 

 パクチー、香菜は「カメムシ」である。

 

こう措定できるのは、たぶんわたしだけだろう。

 

世界で「カメムシ」食べたひとはいないだろうから。

消費税について2017/8/8
 消費税が5パーセントになったとき、
それまで外税だった表示が、内税にかわった。

 おまけに、個人営業は年商1千万円いじょうの店舗は
かならず支払う義務となった。

 それまでは、年商3千万円の店舗が対象だったので、
われ関せず、のんきに構えていたのだが、
きゅうに、一旦緩急あれば、一大事が訪れたのだ。

 どこの店だってふつうに営業していれば、
年商1千万円くらいにはなるものだ。
 

 とつぜんに、券売機の値段を
変えることもままならないし、
「お前んち、値上げたろ」みたいに
おもわれるのが関の山、
けっきょく、消費税というのは店の持ち出し、
ということになる。


 税務署のばかどもは、
お客さんから前もってもらっているのを
それをこちらに支払うだけと、筋をとおすが、
だったら、手数料くらいよこせって言いたくもなる。

 前もってお客さんから税金をとるなんて
できないことである。


 そもそも、券売機に何十5円なんて半端な金額、作れないし。


内税の話だった。
これは政府からの命令だからいたしかたない。


 それまでは、おしながきは、
「500円 (15円)」と消費税はカッコつきで
よかったのだが、5パーセントに値上げし、
さらに「525円」と表示しなくてはならなくなった。


 これは、なにを意味するかといえば、
消費税を支払う国民の目をあざむく、
あざとい計画である。


 カッコつきで商品をみれば、
ああ、おれはあのカッコの部分だけ、
国に収めているのか、ということが、
視覚的に意識でき、弱者が強者にたいする
いわゆるルサンチマンを醸成しかねないわけだ。


 ところが、525円、値上げしました。
消費税は内税で隠れました。

 これって、国民的ルサンチマンが希釈される
という国の魂胆は明白である。

もっともわかりにくくして、消費税だけは、
かすめ取ろうとする、老獪、狡猾、非道な国家戦略である。


 そして、また、ところが、であるが、
そのときの政府のポスターが
わたしの血が脳天まであがるくるいの
激しい怒りをこみ上げさせたのだ。

 その消費税のポスターがこれである。

「さらにわかりやすくなりました」

なんだよ、この言い方は。

 
「さらにわかりやすくなりました」
と、ぬけぬけと大きな紙に印刷されているのである。


「さらにわかりにくくいたしました」
と、印刷されていれば、平和主義のわたしだから、
しかたないな、と諦念するのだが、
「さらにわかりやすくなりました」は、
あまりにも露骨すぎるだろう。


 そして、その怒りはどこにもむけられず、
こんなブログにするしかないのである。

(ほんとは、貼ってあるポスターを何枚か破り捨てたが、
もう時効だろう)


 消費税は、いま、みなさんもうすうす
ご存知だろうが、8パーセントである。


 これって緊急事態である。
ある大々的に経営している店などは、
支払いを銀行から借り受けしているところもある。


 政府のピンはねは、これからもっと
値を吊り上げてゆくのだろうが、
けっきょく、消費税は持ち出しか、
銀行からの借金でまかなうのだが、
その結果、三枚いれていた海苔を
二枚にし、五キロいれていた骨を三キロにし、
150グラムいれていた麺を120グラムにし、
すべて、ダウンサイジングして提供する、
ということになるわけである。

 それが生き残りというものだ。


 沖縄サミットでは、「文化の多様性擁護」が
決議文にあがったし、
ユネスコでも「文化の多様性」が最大目標になったのだが、
そんな歴史は、まったく、おかまいなし、
消費税をあげて個人経営の店、
つまり文化の多様性の末端を
破壊しつづけている、というのが現状である。

 つまり、国がしていることといえば、
みずからの「ふところ銭」ほしさに
ピンハネをして、つまるところ、
個人経営の店の味をなべて落とさせている、
ということなのである。






二代目2017/8/6

 わが街には、一軒、うなぎ屋さんがある。
二代目が経営しており、三代目も小学校の
卒業式の日の「わたしの夢」でうなぎ屋を継ぐと
言っていたから、安泰なのだろうが、
ざんねんながら、街の評判は「初代はよかったけれどね」と
言うものが多い。

 わたしは、初代も二代目も知っているが、
そんなに味はかわらないとおもうのだが、
二代目というと、一代目より「なにか」
ドミナントに向上するものがないと、
どうしても比較されて点数が落ちてしまう、
というのが世の常なのではないだろうか。

 そもそも、うなぎの値段も高騰しているようだし、
気の毒な気もする。


 ユニクロも、二代目のときに、
野菜を売り出して、大損害をこうむって、
また、初代会長が陣頭指揮をとっている。

 どうも二代目というものには、
重い荷を背負わされる運命にあるというものだ。


このあいだひさしぶりに映画を観た。

 スタジオポノックによる
「メアリと魔女の花」。米林宏昌脚本・監督
(脚本は坂口理子さんも)

米林さんは「借り暮らしのアリエッティ」の監督といったほうが
とおりがよいだろう。

 スタジオジブリの製作部の解体により、
西村義明プロデューサーが、スタジオポノックを設立、
その長編第一作目という話題の映画であった。

 わたしたちは、どうしてもジブリを観てきているから、
それに照準を合わせて観てしまう。
つまり、二代目の宿命がここにもあった。


 あの、さつきの髪が風にふくらむ映像とか、
小川のなかにひかりのさしこむシーンとか、
やはり、いまのアニメーションは、
風とひかりと水をどう描くかが
ひとつのバロメータになっているのではないか。

そういう観点からすると、
この映画は、二番煎じにも達していない。

 たしかに、原作はイギリスの女性作家、
メアリー・スチュアートで、
すでに、『小さな魔法のほうき』として出版されているから、
ストーリーは、予定調和であったけれども、
ちゃんとしているとおもう。

 メアリ・スミスという11歳の少女が主人公で、
好奇心が旺盛、赤毛、青い目、そばかす、
といったちょっと日本人からは
距離があるが、どうみても日本の少女という感じ。

 だが、彼女の性格を目いっぱい映し出そうとしたせいか、
よけいに、薄さを感じざるを得ないことになったきらいがある。

 あまり、語り過ぎないほうがいいのだ。

トトロのさつきの頑張り屋さんは、
なんとなくしみじみと伝わってきたのだが、
こんどの、メアリは、こういう性格なんですっていうのが、
前面に出すぎたようにおもう。

 語りすぎるというのは、語らないのと
類比的になることなど、短歌でも
おんなじことが言える。

 やはり、観衆、読者の想像力に
訴えないとならないものというものが
あるということだ。

 ようするに、
スタジオジブリを越す「なにか」がないと、
われわれはすでに満足しなくなっているということである。


 「ああ、なるほど、そんな描き方があったんだ。
感心、感心」というものがないと。

 初代とおんなじだと、
(わたしは初代よりも落ちているとおもうが)
それは、塗り絵を見させられているような
おもいがどこかにひそんでいるわけだ。

 二代目の重荷はどの世界でもあるのだろう。

そういえば、安倍さんも総理二代目だった。

フルーツパフェ2017/8/4

きのうは、ひさしぶりにエリカと会った。

田園調布の駅前の喫茶店。

エリカは、大学一年生。秘書科に進んでいる。

ここの大学は、秘書コースだと徹底的に秘書とは

なんたるかを仕込んでくれる。

わたしが、彼女の性格をかんがみてここを薦めたのだ。

 

 うち、就活しないで、留学したいんだ。

中学くらいから、そうおもっててさ。

 

 ふーん、親はなんて言ってる?

 

 うん、好きなようにしていい、って

 

 留学を望んでいる子が増えたなって、

そのときおもった。

 

そして、素直に彼女のかんがえに賛同できなかったのも

事実だった。ぼんやりだが、ちょっと待ってよ、

ほんとにそれでいいのかいって言いたくなったのだ。

 

 

 さいきん、ネット犯罪がふえた。

「プロフ」の仲間で、中学生が傷害事件をおこしている。

 

いちども、会ったことない者同士が、いがみ合い、殺意をいだく。

 

「おれは、だれのしたにもつかない」

たった、ひとことの「プロフ」への書き込みが、原因だという。

 ネット社会というのは、

たしかにグローバリゼーションの名のもとに全世界に拡散し、

蔓延化した。グローバルという発想は、

ネーション(国民)という境界があってこそ、

成立するものだが、グローバル化のもたらしたものは、

全世界を漸近的に接近させた反面、

みずから生きている地面からの乖離を誘発した。

 

つまり、ネットとは、「日常の希釈」をうながすのだ。

 

 ネット社会は、たしかに、

目線はとおくを瞬時に見据えることが可能になったが、

それと反比例して、みずからの地道な努力や、

いま生きている土壌をあいまいにぼかしてしまっている。

 

実地の生活感が薄れているのだ。

 

 いまのネット社会の申し子たちは、

こつこつと切磋琢磨して、

じぶんのいる「場所」を大事に、時代の要請に応じながら

そこでじっくり生きてゆくというわが国の本来的なあり方に、

むしろ不安を抱いたり、不満をもったりしてしまっているのではないか。

 

 

それは、ひょっとすると、

あたらしいタイプのアイデンティティの崩壊が、

ネット社会によってはじまりつつあるのかもしれない。

 

 インターネットがわれわれに譲渡したものは、

楽になんでも入手できる「魔法の杖」ではなかったはずなのだが。

 

 

 わたしは、留学をするという彼女の望みを聞いたとき、

わたしのぼんやりは、希釈された現実のなかに

彼女がいないことを願っていた。

 

じぶんはなんにもしないで、

だれかがなんかしてくれるって、そう考えていないことを願った。

 

 

 エリカは、コーヒーセットを注文し、

わたしは、フルーツパフェを注文した。

 

 彼女は、カフェラテに砂糖をぽんっといれ、

ティースプーンでからからまわしながら、

留学先の候補地をわたしに伝えた。

 

 

 と、コーヒーのなかから紙が出てきた。

エリカは、紙にくるまれている砂糖を

そのままラテの中にいれていたのだ。

 

 

 ばか。

 

 フルーツパフェがきた。

 

え。パフェの容器の半分以上が、

コーンフレークじゃないか。

 

アイスクリームとフルーツは飾り程度にちょこんと乗っているだけだ。

 

わたしは、上に乗っているアイスクリームをすくって、溜まって、

じゃらじゃらいっているシリアルを

細長いスプーンでつつきながら、エリカに言った。

 

 

牛乳、たのもうかな。

ケトン体2017/8/3

今日は撮影があった。

 

といっても胃のレントゲンである。

むかしは、大田区が全額負担してくれていたが、

去年からケチになって多少の料金がかかる。

 

 むかし同僚の理科の先生が、

かれは運動神経を家の金庫に

置いてきたようなひとで、

いわゆる「ウンチ」なわけで、

学校に来たレントゲン車のなかで、

「はい、仰向けになって」とか技師に言われても、

そのとおりに身体がうごかず、オロオロ、おたおた、

「仰向け! 仰向けだよ」と、最後は技師さんも

マイク越しに激怒していたことをおもいだす。

 

 では、まず注射を打ちます。

オリモ先生が刺す注射は痛くない。

これは、やはりうまいひととそうでないひとと、

差がでるところ。

 

「痩せたね」

 

「はい、約一年で20キロくらい落ちました。

炭水化物と揚げ物を抜いたせいです。

でも、炭水化物抜くと身体がくさくなるって

聞いたんですけれど」

 

「うん、それはね、脳の栄養っていうのは、

糖分しか受け付けないから、炭水化物を抜くとね、

たんぱく質の中から、ケトン体というものを

身体が探し出して、それを脳に送るんですよ。

それが匂うの。でも、臭いという臭さではないよ」

 

「そうなんですか」

 

「グルコースという、うん、ま、糖分だよ、

これが脳の栄養となるから、だから、それがなくなると、

べつの何かを身体が探すんだよ。

それがたんぱく質のなかのケトン体。

炭水化物抜くときは、たんぱく質を摂らないと、

筋肉は落ちるし、痛風になるよ」

 

「え。痛風ってぜいたく病って聞いていますが」

 

 わたしは耳学問専門で、

本を読むことが大の苦手である。だから、

こういう専門家がそばにいると、

ロングインタビューすることにしている。

それが、わたしの知識として活かされるのである。

 

「いや、そうじゃないんだな。摂生してはげしい

運動なんかするとなるよ。マラソンしたあとに

痛風になることもある」

 

わたしは、大学の先輩が痛風で

ずいぶん難渋していたことをおもいだし、

なにしろ、風が吹いただけでも痛い、だから、

「痛風」ということくらいは知っているから、

あの病気にはなるまい、とおもっていたので、

すこし心配になってきた。

 

「あの、痛風にならないためにはどうすればいいんですか」

 

「食べるんだよ」

 

「あ、食べるね・・」

 

 けっきょく食べなければ、臭くなるし痛くなる、

ということなのだろう。

 

 食事制限をしているひとは、ほとんど

空腹なわけで、ただ、

その空腹の五大メリットは、

若返りのホルモンがでること、

免疫力がつくこと、

暗記能力が向上すること、

と、三つまではおぼえているが、

あとは、忘れている。

ということは、暗記力が低下している気もするが、

食事を控えて、身体が軽くなったことをおもえば、

いまのところは、これでよしとすべきだろう。

 

 

 今日の夕方から、鷺沼で授業である。

塾につくと、去年の教え子のホノカが事務をしている。

 

「せんせい、痩せたね」

 

「うん、だろ。炭水化物を抜いたからさ」

 

「あ、わたしもしばらくしていたんですが、

炭水化物を抜くと臭くなるって聞いていたから、

やめたんです」

 

 わたしは、うんうん頷きながら

「ホノカね、炭水化物を抜くとね、脳の栄養はさ」

と、朝のオリモ先生の話をこれから、

わたしはエンエンとすることになるのである。

 

 

フォークに興味なければスルーください2017/7/28

 グッドストック・トウキョウに寄ってみた。

 

 うちの街にあるアコースティックギターの

ライブハウスであるが、ライブのないときは、

ドリンクを提供する店になっている。

 

 きのうは、ライブがないし、たまたま塾の仕事も

オフだったので、あんまり外飲みをしない

わたしであるが、ちょっと勇気をふるって

出かけた。

 

 地下におりてドアをあけると、

お客はゼロ、わたしだけである。

店もマスターおひとり。

 

 マスターとは、いちどお話しをしたことがあったので、

気安く話すことができた。

 

 

「このあいだの、カナやんのに来たんです」

 

「そうですか、9月の?」

 

「たぶん、そうだとおもいます。

ギブソンのハミングバードをもって来られたときです」

 

「ああ、そうですか」

と、マスターは微笑みながら、

「また、加奈崎さん見えますよ」

 

「そうですか、わたしは中学のころから

古井戸をよく聴いていましたから」

 

「わたしは兄がいましてね、五つ上なんで、

五つの赤い風船など聴いていました」

 

「あ、すこし上ですね。だから、西岡たかしさんの

マネージャーになられたのも?」

 

 

「そうです。よく聴いていましたから。

おまえ、スケジュール組んでくれとかたのまれて」

 

「まだ、歌われてますね。となりの女性は?」

 

「二代目の青木まり子さんです、こんど

うちでライブされますよ」

 

「そうですか。へぇ。じゃ、マスターは

どんな曲聴いていたんです?」

 

「血まみれの・・なんてね」

 

 

「あ、それ、中島みゆきさんもよく歌っていた

らしいですね」

 

「URCですからね」

 

「瀬尾一三さんがついていますよね、いつも」

 

「ご主人ですからね」

 

「え。瀬尾さんってご主人だったんですか。

知らなかった」

 

「たぶん、籍もいれているとおもいますよ」

 

「そうなんですか。拓郎さんも瀬尾さんですよね」

 

「そうです、ずっとね」

 

「山田パンダってご存知?」

 

「はい」

 

「拓郎さんの作った『風の街』という歌があるんです」

 

「知ってますよ」

 

「あれ、石川鷹彦さんですよ。村上ポンタもいたし、

なにしろ、バックコーラスは、シュガーベイブ山下達郎です」

 

「むかしは、すごいひとが集まってましたね」

 

「瀬尾さんがコーラス譜めんどうだと、山下さん

呼ぶんだそうです。で、達郎さんがじぶんで譜面かいて、

現場に行ったそうです」

 

「ポンタさん、よくうちに来られますよ」

 

「え。あの有名なドラマーが?」

 

「ふらっとね」

 

「すごいなぁ。ぜんぜん話がちがいますが、

達郎さんの奥さん、ハーモニカうまいですね。

ラジオで、坂崎さんの番組、拓郎さんもいたんですが、

そこにまりあさん、来て、『どうしてこんなに悲しいんだろう』を

彼女、三人のパートの譜割りまでして、演奏したんですが、

そのときハーモニカ吹いてました」

 

「そうですよ、彼女はアリさん、松田幸一さんに

個人指導されていますから。アリさんはハーモニカ奏者じゃ、

日本一ですから」

 

 

「あ、そうなんだ、だから、あんなにうまかったのか。

知らなかった。ところで、

わたしは、中学三年生のとき、

拓郎世代で、そこでギター覚えたんです」

 

「わたしも同年代です。なんねん? あ、

じゃ、一年先輩だ」

 

「そーでしたか」

 

わたしは、カウンターの前で立っている初老の

男性をみて、このかたよりも、わたしのほうが、

よほど加齢しているのかと、おもった。

 

「泉谷しげるの登場なんて聴いてました。

でも、泉谷さんってギターチューニングおかしいですよね」

 

と、わたしが申し上げるとマスターは、微笑して、

 

「いいんです、泉谷さんはそれで。マーチンなんか

壊しちゃうんですからね。ライブで」

 

「叩いて?」

 

「いや、あんな弾き方していたら、

ぼろぼろになります」

 

 

「あ、そうなんですか、そういう壊し方なら、

ギブソンのほうが似合ってますね」

 

「そうです、そうですね」

 

「ハミングバードもドブもメイプルですから、

なかなか音がでなくてね。10年くらい経たないと

出ないらしいですね」

 

「それがいいっていうひともいますよ」

 

 

 「マスターは、ギターとかやらないんですか」

 

「いやぁ、昔はすこしやりましたけれど、いまは」

 

「そうですか」

 

「わたしたちの聴いていたミュージシャンも

ほとんど70歳ですね」

 

「そう、拓郎さんはパニック障害になって、

電車も飛行機も乗れなくなっているんですね。

だから、コンサートは日帰りの車でできるところだけ」

 

「そうなんだ、コンサートで森下愛子さんは、

あ、今日は声が出ているなんておっしゃっていたそうです」

 

「そうですね。肺がんでしたから。

そういえば加川良さん、亡くなりましたね」

 

「え。あの『教訓』の?」

 

「はい、やはり癌です」

 

「そうですか、テレビ見なかったから知らなかった」

 

「りりィさんも去年かな。亡くなりましたね」

 

「知らない、ご病気?」

 

「やはり肺がんです」

 

「そーでしたか、わたし好きでした。

資生堂のCM、♪彼女はフレッシュジュース・・

なんてね」

 

「晩年は、歌手というより女優でしたね」

 

「そう、わたしは『イキガミ』で知ってました」

 

 そのあたりで、マスターは、泉谷しげるのレコードを

かけはじめられた。

 

 

「ね。やっぱり、音あっていないよね」

と、わたしがもうしあげると、

マスターは、笑いながらうなずいていた。

 

 しかし、あらためて泉谷さんの歌、聴いてみると、

けっこう音程が高いことにきづく。

 

 

「あ、高田蓮さんも来るんですね」

と、わたしはウッドストック・トウキョウの

パンフを見ながら言った。

 

「来ますよ、こんども。わたしね、高田渡さんと、

西岡さんといっしょにツアーで回っていたんですよ」

 

「へぇ」

 

「北海道に行ってね」

 

「それって、亡くなるまえ?」

 

「二週間前です。わたしと西岡さんが高田さんと

別れてから、渡さん、ひとりで回られたんです、

なんで亡くなられたかはわからないですが」

 

「たしか、たいそうな熱があったって」

 

「そうでした」

 

「高田さんっておもしろいですよね。じぶんの名前が

ギターに刻印されていると、質屋に入れないから困るだって」

 

「そうなんですよ。いつどこでお会いしても

いつもいっしょなんです。いやぁ、いい人でした」

 

「柄本 明さんなんて信奉してましたね。神だって」

 

わたしどもの話は、知る人ぞ知る、であって、

どこにもテクニカルタームを用いてはいないけれども、

きっとほとんど、「誰?」状態なのだろうが、

グッドストック・トウキョウのマスターとは、

ずいぶん話がはずんだのだ。

 

「お仕事は?」

 

「はい、駅向こうでラーメン屋を営んでおります」

 

「え、ほんとに」

 

「はい」

 

「わたしは、ミュージシャン、芸能関係の方かと

おもってました」

 

「いやいや、そんな」

 

わたしは、店のスープに火を入れるため、

グッドストック・トウキョウをあとにした。

 

 

この話を、電話でよく話す女性に話したのだが、

 

「よかったね、楽しそうで」と。

 

「でも、芸能関係のひとに見られた」

と、言ったら、彼女はひとこと、

 

「やくざっぽいからじゃない」だって。

ゲームの功罪2017/7/24

 電車のなかで大人も子どもも

携帯をいじっているひとをよく見かけるが、

そのほとんどがラインか

ゲームじゃないかとおもう。

 

とくに、対戦モードのゲームやぷにょぷにょ。

(よくゲームの名前をしりません)

 

 老若男女、猫も杓子もゲームである。

わたしは、とくに子どもにゲームをさせることに

反対である。

 

 ゲームは、子どもの想像力を抹殺させる。

ゲームを観照的にみれば、与えられた情報を、

指で操作して、与えられたミッションどおりに

それをクリアすればよい、というものだ。

 

それは、つまり、インプットしてくる情報を

にんげんがアウトプットするということであり、

しかし、想像、あるいは創造は、

まず、アウトプットすることから

はじまるわけで、ゲームの思考回路と

想像あるいは創造の思考回路は、

ちょうど間逆なベクトルということになる。

 

 ディズニーランドも、すべてむこうから

与えられたものをこちらが享受するという

図式である。だから、かんがえなくていい。

かんがえなくていい、ということは、想像力を

発揮しなくていいということにほからない。

 

 なにしろにんげんは、

知的負荷のすくないところに、傾くものだから、

かんがえなくていい、という空間ほど、

快楽をあじわえるとおもってしまう。

 

 しかし、ほんとうの快楽とは、

みずからの努力によって、みずからのうちから

湧き出てくるものなのだ。

 

 イチローが日米通算3000本安打を打つ

すこし前のインタビューで

「ぼくは、この記録を達成して快楽を味わいたい」と、

そう話したときに、わたしはイチロー選手に

すっかり感心してしまったのだが、

快楽とは、みずからの努力によって

つむぎだされるものだ、ということを

かれは承知していた、ということなのだ。

 

 一流選手というものは、そういうものなのだろう。

 

 話をもどすが、

どちらかといえば、ゲームには模倣性が

底流するだろう。きっと、これとおんなじ場面を

どこかのだれかもしている、という共通認識が

ゲーマーにはあるのじゃないだろうか。

 

 このゲームは唯一無二、このわたししか、

していないゲームなのだ、というおもいは、

おそらくゼロだろう。

 

 世界のだれかがじぶんより早く、このゲームを

クリアしているのだろうという暗黙知があって、

無自覚のうちに、顔のないだれかをひきつれて、

ゲームにいそしんでいるのかもしれない。

 

 それは、創造性というより、模倣性の性格にちかい。

模倣性からうまれるのは、欲望である。

 

 だれかがもっているからじぶんも

欲しくなる。これが欲望であって、

欲望の本質は模倣である。

 

 だから、欲望には創造性はない。

 

 では、どうやってこどもたちは

想像力・創造性を養うのか。

 

 ひとつは、昔話である。

 

 母親の枕辺でする昔話が、こどもの想像力・創造性を

開花させるのである。

 

 そもそも、母国語というわけで、父国語というものはない。

言葉とは母親が子につたえるものなのだ。

 

 部屋の電気を消し、むかしむかし、あるところに、

と語る。

 

 このときは、話の内容が抽象的でなければならない。

 

時は永禄三年、ところにあっては関が原、

なんて講談のようにやってはいけない。

 

 こどもは、目をつむりながら、

じぶんで「むかしむかし」の時代設定をする。

「あるところ」と言われながら、

「あるところ」に色付けをし、また、

そこに「おじいさん」と「おばあさん」の顔を

おもいえがく。

 

 こうやってこどもは、初期の想像力・創造性を

養ってゆくのだが、いまの母親は、

すぐに携帯ゲームを手渡して、それでやってなさい、

これじゃ、バカを生産するだけである。

 

 たしかに、器用な子ができるかもしれないが、

器用でもバカではしかたないじゃないか。

 

 こどもにとって、ようするに夜の母親が

もっともだいじなのである。

 

 子が寝につくときに母親がそばで見守る、

語りかける、ということをしておかないと、

生きる力の微弱な大人になってしまうのだ。

 

 これから、関東に大地震がくることは、

まず確実視されているわけで、そんなとき、

どうやって生きてゆくか、サバイバルするか、

これは、親の責任である。

 

 

 補給物資をまって飢え死にからのがれるのか、

あるいは、生きる力をつけて、たくましくゆくのか、

しっかりと子育てをしなくてはならないわけだ。

 

 

 ましてや、夜にホステスなんかして、

こどもをおきざりにするような

崩落した人生のひとは、

子育てに無責的であるといわざるをえない。

 

 わたしは、そういうひとを二人ほど

知っているが、こどもが素直に成長することを

祈るばかりである。

 

 きょうも夜は電車に乗って仕事に行くが、

じつは、わたしは、

車内では将棋ゲームをしているのである。

 

 

 

 

 

建礼門院2017/7/23

 

 平清盛の娘、徳子とはどういうひとだったのか。

 

清盛が平氏の棟梁となって二年後の
1155年、徳子はうまれた。

 後白河法皇の子である、高倉天皇に
入内したのが17歳のときで、
天皇わずかに12歳である。

 

 清盛の権力と朝廷の権力との
融和によって、至高の権力を掌中におさめる
という両者のおもわくがかなった
入内だったという説もおおいに説得力がある。

 しかし、徳子になかなか子ができず、
ようやく7年後に懐妊。のちの安徳天皇である。

 

 男子が生まれたので、
清盛は、反乱をおこし後鳥羽法皇を鳥羽殿に幽閉、
すぐそののちに高倉天皇は安徳天皇に譲位し、
高倉天皇は、院政をすることになる。

 

 天皇の子をもつと、
いわゆる国母となった徳子には、宮中の門の名前があたえられる。
それが建礼門院である。

 

 建礼門は、宮中の中心にある
すこぶる荘厳な門である。

 が、そのころから、平家打倒の機運たかまり、
以仁王の挙兵とか、いまの安倍政権のように
あやうい事況なってきたのだ。

 おまけに、高倉上皇も身体を悪くし、
ついに1181年、21歳の若さで崩御する。

 

 それから三ヵ月後に、清盛が熱病で亡くなる。

 これによってますます平氏の権力はなくなってゆく。

 つまり、徳子はこの数ヶ月で夫を亡くし、
実父を失ったということである。

 

そもそも、権力と金と情報は蕩尽するもので、
しだいにゼロにむかうのが、社会学的な常識だから、
いずれ権力はすたれるものなのである。

 

 木曽義仲の挙兵によって、ついに都をあとに、
平氏一族は壇ノ浦まで逃げてゆくことになるわけで、
権力の中枢から国賊へといっしゅんにして
なり落ちてゆくわけである。

 いまの山口県壇ノ浦の海流はうねるようであり、
潮流のはやさは瀬戸内の鏡のような海とはちがう。

 

 いわゆる兵糧攻めとなった平家一門、
まずは水がない。海水を飲まんとすれば、
「火の如し」と平家物語は語る。

 ついに、これまでと、平家のつわものどもは、
みな、壇ノ浦の藻屑と化するのだ。

 

 

 実母である二位の尼は、すでに覚悟をきめており、
喪服二枚を着、安徳帝を抱き、
「海の底にも都がございます」と、
千尋の底に沈んでゆく。

 安徳天皇8歳であった。

 

 

その後を建礼門院も追い入水するのだが、
徳子だけは、源氏の侍に引きずりあげられ、
一命をとりとめることになる。

 入水したもののなかで、すくいあげられたのは
彼女だけである。

 いま、まさに、彼女は、母とわが子とが
死んでゆくのを目の当たりにしたばかりである。

 

 夫を失い、父を失い、こんどは母とわが子を失い、
そして平家一門も失った瞬間であった。

 

 

 サバイバーズ・ギルドという語があるが、
むしろ生き残ったほうが不幸、という意味である。
ホロコーストから逃れたユダヤ人や、
太平洋戦争から還ってきた若者が、
ぎゃくに「よく還ってきたな、みなを残して」
とか、まわりから言われる、などがその例であるが、
彼女ははたして
どうだったのだろう。

 


 建礼門院は、そのあと、
京都につれられ、八坂神社の後方にある
長楽寺で尼にさせられる。

 記録によれば、源氏の武士たちが、
熊手で彼女の髪を切ったとあるが、さだかではない。

 

 このあたりの行動は、
天台座主、慈円の兄である九条兼実の指示らしい。

 兼実は、建礼門院の処遇として
比叡山のふもと2キロにある大原の
寂光院で余生を送らせることにした。

 かんたんに言えば、幽閉、人質ということである。

 

 

 しかし、不思議なことは、
2000年5月、この寂光院がなにものかによって、
放火され、焼失している。
また、2008年5月、長楽寺も、なにものかによって、
放火、そのほとんどが焼失した。

 この5月という月は、偶然なのか、
あるいは、なにかの怨念か、まったくわからないが、
このことを問題にしているひとがいない、
というのも問題のような気もする。
なにゆえ、建礼門院ゆかりの寺が焼失するのだろう。
わからない。

 

 

 そして、建礼門院は、大原寂光院で平家の菩提を
弔いながら暮らすことになる。

 

59歳で亡くなるまでおよそ30年をである。

ぼくはウナギだの文法2017/7/20

 奥津敬一郎の『「ボクハウナギダ」の文法』(1978年)は、

画期的な文法書であり、奥津先生は「だ」という

断定の助動詞、専門家筋は指定の助動詞というが、

この「だ」についてふかく研究されたかたである。

 

 奥津先生によれば、指定の助動詞「だ」はモナドであって、

このちいさなことばのなかに日本語の構造

そのものが宿っていると言われる。

「モナド」これはライプニッツの言説で、

それはわたしにもわからない理論であり、

奥津先生を介在していえば、「だ」という助詞には、

さまざまな含意がある、ということであり、

それを「モナド」と称していると解したのである。

 というふうにおもっておこうよ。

 

 奥津先生は、「ぼくはウナギだ」が、

主語述語になっていないことに着目する。

おまえがいつからウナギになったのか、

じゃないでしょ。

 

 わたしの頼みたいものはウナギなのである。

という意味合いを「ぼくはウナギだ」ですますことができる。

これが「だ」という指定の助動詞のハタラキだと、

先生は言う。

 

 わたしは奥津先生に反論するような立場でもなければ、

それほどの教養もない。が、たとえば、

高校生に「お前、田嶋先生だよね」って言えば、

「は、はい」と答える。田嶋先生が担任だからである。

 

しかし、文構造的には、主語が「お前」述語が「田嶋先生」。

これって「だ」の作用なのだろうか、

じつは、わたしはそうとはおもっていない。

 

 「キミ、田嶋さん?」

 

 と言われても「キミ」は「はい」と答えるだろう。

田嶋先生が、担任なら。

 

 ということは、「だ」を介さなくても、

この文意はつうじるということなのだ。

 

 「キミ、田嶋さん」に、「田嶋さんですか?」という、

指定の助動詞が脱落していて、やはり、

「キミ田嶋さん」にも指定の助動詞が機能している、

と言われれば、は、さようですかって、ことになるのだが。

 

 

 「わたし、ナポリタン!」なんて「だ」なくても

通じるじゃんっておもってしまうのだ。

 

「わたし、うなぎね」

「ね」でも通じるじゃん。

 

 

 なんべんももうしあげてすまないのだが、

この文構造は、何千年とつみあげてきた、

農耕民族たる日本人が、培ってきた真骨頂と

いってもいいのではないか、とわたしおもっている。

 

 おまえ、言わなければわからないのか。

 

 と、親からおこられた経験はだれしもある。

日本語の特質は、言わなくてもわかる、

というところにある。ぎゃくに、なるべくわからないように

語って、そこに宇宙的空間をつくったのが、

俳句という世界である。奥津先生は、「だ」という助詞と、

俳句の世界観と、それをむすびつけてはおられないが、

日本語の「モナド」は、そういう膠着語たる

言語の根っこにあるのではないかと、おもうのだ。

 

 

 毎週、火曜日は駅むこうの景気よくラーメン屋を

営んでいる岸さん(仮称)と

いっしょに買い物に行くことになっている。

というより、岸さんのトラックに乗せてもらうのである。

 

「よ」

と、また景気よいあいさつ。

 

「おねがいします」

 

「今朝よ、ドイツ語の女性がおれんチの店の前、

自転車で通っていったぞ」

 

「あ、そうですか」

 

「にこって笑ってな。かれのところ行くのか?」

 

「いや、ちがうとおもうけど・・」

 

 

 しかし、「ドイツ語の女性」というのは、

文法的にはまったく意味不明なのであるが、

だれだか、ほぼわかるところが、やはり日本語なのである。

これは「だ」ではなく「の」になにか

わけがあるのだろうか。

わからない。

 

 

 

 

 奥津先生は、「ぼくはウナギだ」のような文を

「ウナギ文」とよんでいるが、

「ドイツ語の女性」のような文を

なに文とよべばいいのだろうか。

まじめさがたいせつだ。2017/7/18

 ひさしぶりに月曜日の夜に

時間がとれたので、外出することにする。

 

 友人をつれて、たまプラーザの陳麻婆豆腐にいく。

むかしは、お台場にもあって、

たまにそこに出かけていたが、

さいしょ、ここの麻婆豆腐を食べたときは、

ひどくショックだった。

 

 カルチャーショックというやつだ。

 

わたしは、そのとき、

世の中にこういう食べ物があったのですね、

という教示のような感覚を受けたのである。

 

 なにしろ、辛い。舌がしびれる。汗がでる。

が、これが「やみつき」になるのだ。

どうも、ラー油にそのへんの事情が

かくされているのではないかと、

さいきん気づいたしだいである。

 

 わたしは、なんども通っているうち、

中国の山椒、花椒を麻婆豆腐にも

ご飯にもたっぷりかけて、舌をびりびり

させながら食べるようになって、

しまいに四川の現地とおんなじ辛さの「辛口」を

たのむようになっていた。

 

 辛さというものは、しだいに慣れるものなのだ。

 

 で、わたしは、この独特の味を再現するべく、

じぶんでも、試行錯誤をくりかえし、味をおもいだし、

おもいだし、作ってみた。

 

 そして、さいごにたどりついたのが、

ピーシェン豆板醤であった。この豆板醤をつかわないと、

あの陳さんの味にちかづけなかったのだ。

 

 だから、わたしは、友人の大門亭のイワイさんにも、

このピーシェン豆板醤をすすめて、かれもいまそれを

つかって、麻婆豆腐を定食でだしているが、

このあいだ、試食したら、なにを食べても

おいしいものをつくらない大門亭さんらしく、

ひどく、まずいものにしあがっていた。しかたねぇなぁ。

 

 わたしは、ひき肉とねぎではなく、ひき肉とにんにくの芽で

「陳麻婆豆腐もどき」を作って、たまに、

店でもお出しするが、なかなか、本場、陳さんの味に似ていて、

じぶんでも、うまいんじゃないかっていうものが、

いまはできている。

 

 

 お台場の店がなくなって、

しばらくわたしは、陳麻婆豆腐に出会う機会が

なかったのだが、ネットでしらべれば、

たまプラーザにあるじゃないか。

 

 だから、わたしの麻婆豆腐の師である。

その店に行こうとおもったのである。

 

 休日だから、たまプラーザ東急店は

いささか混んでいた。とくに、となりの

石川県から魚が届くすし屋は、

美登里寿司なみの行列だった。

 

 陳麻婆豆腐は、比較的すいていて

すぐに着席でき、わたしどもは、友人がセット、

わたしは、単品をたのんだ。

 

 で、待つこと、数分。

わたしのお手本が届けられた。

 

 ん。

 

 ひき肉がはいっていない。

ねぎも、あ、すこしあるか。

ひき肉、あ、すこしあるか。

つまり、この麻婆豆腐は、赤いつゆのなかに

ざんぎりの豆腐だけがしろいちいさなどんぶりに

見えているシロモノなのだ。

 

 さて、ひとくち。

 

あれ、おれの作っている麻婆豆腐とは、

はるかにちがう料理だぞ。

 

 ん?  これ1380円。

 

よく麻婆豆腐を作っているものからいわせてもらうと、

この料理、高く見積もっても150円くらいで作れるものである。

 

飲食にかんして言えば同業であるから、

けっして悪口をいうものでもないし、

ぼったくり、とは言わないし、まずい、とも言わない。

 

言い換えれば、ちょっと高いし、おいしいとは言いづらい、

ということである。

 

 わたしどもは、この赤いスープのようなものに、

花椒をがりがりいれて、完食はしたのである。

 

 じぶんの舌がおぼえているものと、

現実がこれほど乖離しているものも

あるのだなぁ、とつくづくおもいつつ、

車を出した。

 

 じっさい、家賃も高いのだろうし、

従業員もたくさんいたから、そのぶんを

出すためには、こういうような料理にしなくては

ならなかったのだろう、と温厚なきもちでそうおもった。

 

まじめに作れば、あんなものじゃない、ともおもった。

 

 「なんか、とろみもなかったな」

 

 「片栗粉、いれわすれたんじゃない?」

 

「うーん」

 

でも、ここで、陳さんへの悪口雑言はご法度、

わたしは、話をそらした。

 

「このあいだ、風呂で寝ちゃったよ」

 

「あぶないよ」

 

「そう、飲みすぎて、そのまま朝まで風呂で

寝ていた」

 

「死ぬよ。老人の孤独死になるからね」

 

「そうだな、ウォッカをボトル半分飲んで、

風呂に入ったからな」

 

「酒のんで風呂にはいっちゃだめだよ」

 

「うん、酒量も多くなってきているしな」

 

「気をつけなよ」

 

「そうね、酒がおおくなって酒量民族、なんてね」

 

「・・・まじめにひとが言っているのに」

 

 そう、まじめに生きなければね。

勝ち負けではないけれど2017/7/16

「あのぅ、自転車みつかったんで、報告にきました」

 

「あ、そうですか。ごくろうさまです。

では、被害届の解除の書類をつくりますから、

ま、ここにおかけください」

 

「はい」

 

「えっと、では、この書面に

ご自身でお書きください」

 

「あれ、これわたしが書くんですか」

 

「はい」

 

「被害届のときはおまわりさんが全部書いて

くださいましたが」

 

「これは、ご自身で書いていただくものです。

まず、田園調布警察署長殿、と書いてください」

 

「あ、はい」

 

「それから警視、署長の名前ね」

 

「は、はい」

 

「それから、あなたの名前と住所」

 

「はい、はい」

 

 

「では、つぎにどこでどう見つかったのか、

なるべくくわしい状況をここにお書きください」

 

「うーん、ここですか。えっと、どんなだっけな」

 

「あ、わかる範囲でけっこうですから」

 

「はい、店の先にいったら放置してあって・・。

まぁ、こんな感じです」

 

「そうですか、それでは最後に、

ここに指紋を押してください」

 

「指紋ですか」

 

「そうです」

 

「犯人じゃないんで、指紋はなるべく遠慮したいんですが、

あ、印鑑ならありますけれども」

 

「印鑑でもかまいません」

 

「でも、これ銀行印なんで、複雑なんですね。

これでもかまいませんか」

 

「ちょっと拝見します。あ、これ読めませんね、

やはり指紋にしてもらえますか」

 

「指紋だって読めないじゃないですか」

 

「指紋は照合すればわかりますから」

 

「この印鑑だって照合すればわかるじゃないですか。

もってこいと言うならいつでも持ってきますから」

 

「うーん」

 

「わかりました。わかりました。裁量権はあなたに

あるんですから、あなたが指紋にしろと命令を

くだせばわたしは言うとおりにしますから、

命令してください」

 

「うーん、ちょっとまってください」

 

と、言って警官は奥のほうにひっこんで行き、

なにやら本部に電話をしているようだった。

 

「印鑑が、読めない、指紋が」

 

きれぎれの声が奥のほうからする。

と、警官はもどってきて、

「この印鑑でけっこうです」

と、言った。

 

 

 

勝った。

初恋のきた店2017/7/16

 小学校の同級生がハワイに永住している。

それまではイギリスに住んでいたのだが、

なぜ、ハワイかといえば、暖かいからだそうだ。

 かれは、寒いのが苦手なのである。

 

 ハワイといっておもいだす映画は、

「ホノカワボーイ」である。

 

 ハワイ島のホノカワという日系アメリカ人の住む

小さな町を舞台にした、ほのぼのとした映画である。

 

 監督は、真田敦。「いぬのえいが」という短編がある。

 

原作は、吉田玲雄。かれのハワイ滞在の体験を

つづった紀行文を軸としてつくられた映画である。

 

 そして、吉田氏本人も「トム」として映画に出演している。

 

 主演は、新人だった岡田将生。

そこに倍賞千恵子、松坂慶子といった、

大物がわきを固めている。

 

 わたしは、この映画で、ふたつ吃驚したことがある。

 

ひとつは、ホノカワという町の南側には、

標高4205メートルのマウナ・ケア山があり、

天候が安定していることから、各国の天文台が

設置されていることでも有名であり、

そのマウナ・ケア山のふもとにホノカワは

あるのだが、この映画では、このマウナ・ケア山が

いちども描写されていない、ということなのだ。

 

 それって、御殿場で映画のロケがあって、

いちども富士山が映されていないというのと

おんなじことなのである。

 

 だから、たしかにハワイらしい絵ではあるが、

マウナ・ケア山を描かなかったことで、

ある意味、抽象的空間がそこに具現された、ということである。

 

 換言すれば、土地を限定しないところに、普遍性がかもされる、

ということなのだ。

 

 そして、もうひとつのおどろきは、

主題歌である。小泉今日子の「虹が消えるまで」。

作詞、高崎卓馬。作曲、斉藤和義。

 

 ギターを弾くかたなら、おわかりだろうが、

斉藤和義の楽曲のコードはややこしくて

ゆびがつりそうになる。ま、それはそれとして、

倍賞千恵子演ずるビーさんが、まぼろしのように

窓辺にたって岡田くんの演ずるレオとわかれるシーンがあり、

それからしばらくしてエンドロールがながれるわけだが、

そのとき、こう歌がはじまる。

 

♪アイスクリームが

とけそうだから・・・

 

 ここで、わたしは愕然とした。

まず、なんで小泉今日子なのか。

吉田拓郎は、小泉今日子というひとつのブランドがある、

と言っていたが、まさしく、そこに小泉今日子がいるのである。

 

 この映画に、まったく関係ない、

歌手というより、女優の小泉今日子が、

あのやわらかい、ちょっとピッチが甘い声で、

♪アイスクリームが、とやるわけだ。

 

 で、だれでもそうなのだろうが、

待てよ、この映画でアイスクリームが出てきたのだろうか、

と、蒼井優と岡田くんの仲が

亀裂する冒頭のシーンから、

エンディングまで走馬灯のように

もういちどこの映画をおさらいすることになるのだ。

 

 けれども、たしかアイスクリームを食べるシーンは

どこにもなかったはずだ。

 

 つまり、この主題歌は、この映画全体と対峙しながら、

まったく関係性のないテーマで歌いはじめた、ということなのだ。

 

しかし、それにしても、この映画に底流する

まったり感や、ほのぼの感とじつに合っているじゃないか。

 

 ようするに、映画全体と主題歌とある意味の衝突があり、

その衝突を受け容れた観衆は、むしろ、

この主題歌があってこそ、この映画の質が

ドミナントに高められているということに

気づかされるわけである。

 

 閑話休題。

 

 映画といえば、「初恋のきた道」が印象にのこっている。

監督、チャン・イーモウ。主演、チャン・ツィイー。

たしか、チャン・ツィイーのデビュー作ではなかったか。

 

 チャン・イーモウは、一人っ子政策の違反で、

罰金1億3000万円を支払った男でいまは有名かもしれない。

たしか、隠し子が7人いたとか。

 

 それは、それとして、わたしが「初恋のきた道」で

関心したのは、それは、チャン・ツィイーのかわいらしさは、

天下一品おいておき、彼女の旦那さんが教師で、

さびれた農村に学校を建て、そこで教鞭をとるのだが、

その生徒の声はするのだが、いちども生徒が

映画に出てこない、ということなのだ。

 

 ホノカワボーイのマウナ・ケア山といい、

初恋のきた道の生徒といい、とうぜんあるはずのものが、

描写されない、という、このメカニズムはいったい

なにをわれわれに与えてくれているのだろうか。

 

 ひょっとすると観衆の想像力を引き出そうとしているのか、

あるいは、語らずに語ろうとしているのかもしれない。

 

 とにかく舌を巻く映画二本であったことは

まちがいない。

 

 「初恋のきた道」でついでにもうしあげるが、

先日、わたしの店にわたしの初恋のひとが

わざわざ東京都下からご来店くださった。

 

じつに半世紀ぶりの対面である。

ミエコちゃんが、彼女を連れてきてくれたのだ。

 

 小学校いらい会っていないのだが、

こうしてまた再会できたのは幸福というほかない。

 

 すでに、われわれは加齢していて

傍目からみれば、爺さん、婆さんかもしれないが、

しかし、わたしには、新鮮で素敵な時間と空間であった。

 

 わたしたち、三人は、そのあと

喫茶店にいき、昔話に花がさいたのは言わずもがなであるが、

おしゃべりなわたしは、なにかエンエン

トリビアルなことを言い続けた気がする。

 

 まったく映画の教えを学んでいないわけだ。

 

 

 ミエコちゃんもわざわざ鎌倉から、

そして彼女は成増に住んでいるということで、

わたしの小学校の同級生は、ひとりは成増に

ひとりは鎌倉に、ひとりはハワイにいる。

 

 

 

 

 

再掲 「て」の機能の話2017/7/15

 接続助詞「て」の上下は主語がかわりにくい、

というのが、予備校界の定説である。

 

 だれが、言い出したのかもうずいぶん

歴史があるから、その「言いだしっぺ」を

探すことは困難だろう。

 

 そもそも、「かわりにくい」という

このあいまいな言い方になんの意味があるのか。

 

「かわりにくい」ということは「かわることもある」

ということを同時に宣言しているもどうぜんである。

 

「わたし、あなたへの気持ちは、かわりにくいのよ」

 

 なんか、いつか別れる予感がする。

 

 で、じっさい、「て」という助詞を意識して、

たとえば、古文の文章にあたってみると、

なんのなんの、「て」の上下で主語がかわることなんて

ざらである。

 

 しかし、予備校界では、これをエンエン語っている。

単純接続の「て」の上下は

主語が変わりにくいんだよって。

 

 この主悪の根源は、マドンナ、荻野綾子である。

荻野綾子という予備校界のスターが、

「て」の上下は95パーセント主語が変わらない、

そう教えているのである。

 

 

 じつに、キャッチーなフレーズだ。

古典業界に、数学の確立を持ち込んだところなんど、

画期的なことなのだが、国語をちゃんとまなんだものは、

パーセンテージに還元することなど

おもいもよらないことである。

 

 「総索引」というべんりな書物があって、

たとえば『伊勢物語』のなかに、「て」という助詞が

何例あります、というのがこまかく掲載されている。

だから、『伊勢物語』に「あはれ」は何例あって、

その用例はこうです、というゼミの発表などには、

すこぶる重宝する書物なのだ。

 だが、その「総索引」は、書物ごとであり、

「総索引」のない書籍だってある。

 

 つまりだ、九十九里浜の砂くらいに

書物が氾濫する世の中において、

「て」という助詞をすべてあらいあげ、

調査し、そのうち95パーセントの確立で、

主語がかわっていない、というのなら納得するが、

そうではないのだ。

 そんなの無理にきまっている。

 

 つまりだ、テキトーな「勘」で、

95パーセントと彼女は言っているのである。

 

 「変わりにくい」というセンテンスを

「95パーセント」という数学用語に移動させた、

ということである。

 いうなれば「むちゃぶり」っていうやつだ。

 

 しかし、受験生は、このフレーズに飛びついた。

おぼれるものは藁にまみれて達者でな、

いや、ちがう、おぼれるものは藁をもつかむ、

こういうインチキにすぐひっかかるのだ。

 

 だいたい、受験生だけでなく、人びとは、

知的負荷のすくないものにとびつく傾向にあるから、

マドンナの言うところは、バカにはちょうどいいのだろう。

 

 いま、授業で、『和泉式部日記』の冒頭を

生徒といっしょに見ているが、「て」の上下で、

宮の動作になったり、小舎人童の動作になったり、

主語がばらばらである。

 

 (敦道親王は)いとけぢかくおはして、

「つねに参るや」と問はせおしまして

(小舎人童が)「参りはべり」と申しさぶらひつれば、・・

 

 

敦道親王はたいそう親しみやすくいらっしゃって、

「いつも彼女のところに参るのか」とご質問になられるので、

「はい」と申しましたところ・・・

 

と、小舎人童が和泉式部に語っているくだりだが、

この本文に「て」が二度あるが、

その「て」の上部の主語はすべて、敦道親王の動作であるが、

「参りはべり」の動作主は小舎人童である。

 

この一例をみても、95パーセント主語が変わらないなら、

これは例外の5パーセントにカテゴライズされるのだろうか。

ちなみに、小舎人童は「こどねりわらわ」と読み、

宮中の掃除や灯りとりの童女である。

 

 つまり、ようするに、古代のひとは、主語という

観念があんまりなかったのではないか、とわたしはおもう。

 

 

 ♪ シャボン玉とんだ

   屋根までとんだ

 

 

 この「屋根までとんだ」の

「とんだ」は「シャボン玉」である。

が、「屋根までとんだ」だけをじっとみていると、

「屋根」が「とんだ」ようにもみえる。

 

 

 では、このフレーズはどうだろう。

 

 

 ♪シャボン玉とんで

屋根までとんで

 

「シャボン玉とんで」と、接続助詞の「て」に

替えてみた。「とんで」の「で」は「ん」の音のあとだから、

「て」が濁って「で」となるのだが、

こうやってみると「屋根までとんで」は、むしろ、

「屋根」がとんだようにみえるじゃないか。

 

 ようするに「て」という助詞は、

ぎゃくに主語を変えようとする

ちからをもっている、ということなのだ。

 

 換言すれば、「て」のあとから、別件を添付しようとする

はたらきがある、と言ってもよい。

 

 

 雨降って地固まる。

 

 

この例を見たって、「雨が降る」という主述の文に、

「地が固まる」というべつの主述の文が

対等の関係で付け足されたことになる。

 

 が、ここで大事なことは、「て」の上下は、

テーマ、内容がおなじだ、ということだ。

 

 「雨が降る」という、人間関係のもつれを比喩し、

「地固まる」という、和解、親和を比喩し、

もつれたあとに仲がふかまる、というひとつのテーマとして、

文を完結させているわけだ。

 

 つまり、「て」という接続助詞は、

上下で、べつべつのものがたりを紡いで、

上下、内容を対等におなじくするはたらきがある、

ということなのである。

 

 助詞ひとつとっても、

なかなか深いじゃないか。

 

 

 

海外研修 雑感2017/7/14

 海外研修の引率をしたことがある。

 

三週間、アメリカでホームスティをするのだ。

わたしども教員も各家庭にはいり、

そのひとたちと三週間暮らさねばならない。

 

 いまなら、エアー・ビー・アンド・ビーとか、

気軽にひとの家に泊まれる風潮だが、

まだ、わたしどもの世代は、

よそ様のうちに気軽に泊まることが

はばかれた時代である。

わたしは気乗りがしなかったが、

これも仕事なのでしぶしぶ行くことにした。

 

 世話になったところは、ユタ州のちいさな街で、

ソルトレイクシティまで、車で50分くらいの

閑散としたところだった。

 目の前の国道のはるかむこう、ティンパノーゴス山が

そびえている。たしか、オレムという街ではなかったか。

 

事件も三週間で

いちどレイプ事件が一件あっただけである。

ほとんどの家庭が鍵をかけていないで生活していた。

隣人宅からは、友人がはだしでよく来ていた。

 

 ユタ州は、モルモン教の本拠地、

敬虔なクリスチャンの街であるから、

酒は飲めない、タバコはすえない、コーヒーもだめ、

という戒律の厳しいところであった。

 

 避妊もだめときたから、家族はビッグファミリィ、

家族紹介をよくされたが、ほとんど、7、8人の大家族である。

 

 パパを先頭に兄弟ずらり並んで

笑って立っているのだが、大きい兄ぃちゃんから

背丈がじゅんばんにちいさくなるから、

ちょうど木琴を上からみたような

感じだった。

 

 

引率で毎日、どこかに移動した。

しかし、うちの高校生ときたら、なにをかんがえているのか、

バスで移動するときも、みな、イヤホンで

日本の音楽を聴いている。

 

「おまえたち、せっかくアメリカに来たんだから、

アメリカの風を感じろ。風の歌を聴け。

風のにおいを嗅げ」

そういいたくなっていらいらしたが、がまんした。

 

大きなモールに着いて、バスから降りるとき、

「せんせい、トイレどこですか」

と、おれに訊く。

 

「あのな、おれもはじめてのとこだから、

どこにトイレがあるか、わかるわけねぇだろ」

と、だんだん語気が荒くなったものだ。

 

 飯はすこぶるまずかった。

ファミリィのひとり息子が、肉を焼いてくれた。

「ビーフ、オア、チキン?」

と、訊くので「チキン、プリーズ」と言うと、

「オール、オア、ハーフ」と訊くから、

「ハーフ、プリーズ」

と、皮のついていない胸肉がどさっとおかれた。

むこうじゃ鶏の皮は食べないらしい。

鶏皮のぶつぶつが嫌いなのだろう。

あのぶつぶつが近くで見られないのじゃないか。

「チキン距離」で見られないのかもしれない。

 

 で、そのしろいかたまりをナイフで切るのだが、

なんとも、紙粘土みたいな味である。

 

まったく、脂っけがない。

と、かれがわたしに訊いてきた。

 

「ジューシー?」

 

わたしは、椅子からころげそうになったが、

ここは、大和魂、日本男児のおべっかである。

 

「イエス!」

 

 

 だから、たいがい、「お前、昼はなにがいい」と

訊かれると、「サラダ、プリーズ」と応えた。

「お前は、サラダが好きだな」と、もちろん、

英語で言われたが、サラダが好きなわけじゃなく、

ほかに食えるものがなかったからなのだ。

 

 いちどだけ、

わたしが「ジャパニーズ・サンドイッチ」を

つくるといってママに食べさせたことがある。

 

 しかし、彼女は、これ、わたしが作るのと

変わらないって言ったので、

このときは、わたしも英語で言っていたのだが、

「なにを申すか、日本人が作ったのだから、

ジャパニーズサンドイッチではないか」

なんて堂々と言ってのけたら、

すこぶるウケたみたいで、

パパが帰ってくるや、すぐ報告していた。

 

 

 それにしても、ユタというところは、

砂漠のうえにできた街だから、とにかく乾燥している。

 ひとから聞いていたが、Tシャツはいちまいで、

五日間くらい着られる、汗でないから、ということを

信じていなかったが、ほんとうにそのとおりで、

わたしは、一枚のTシャツで一週間すごすことができた。

机のうえにポテトチップを置いていても、

なんにちも湿気ないというのだから、

だいたい想像できよう。

 

気温は40℃くらいあるはずだった。

向こうの国では、摂氏ではなく

華氏をつかっているので、

いったいいま何度なのか、けっきょく

さっぱりわからずじまいだった。

 アメリカで暮らすなら、

日本の温度計をもってゆくことをおすすめする。

 

 あと、エプロンなるものは、向こうのママは使わないので、

おみやげにもっていっても喜ばれない。

 

 それに、朝顔、あれはあの国では、

芝生を傷める雑草なので、

折り紙で、朝顔の花など折っていっても、

むしろ、眉をひそめられるのがオチである。

 

 

 

さて、その乾燥の話であるが、

 そんな乾いた土地の、あのティンパノーゴスが

山火事になったのだ。

 

 どうも中学生たちが火遊びをしていたのが

原因らしい。火はみるみる山をおおった。

ヘリコプターが、なにやら薬剤をまいているようだが、

火の勢いはとまらない。

 

 太い柱のような黒煙があがり、ぬけるような青空は、

どんよりといちめん「にび色」の空にかわった。

 

 火は数日間、燃え続け、

ついに朝から車はヘッドライトを

つけねばならないくらいの暗さとなった。

 国道のむこうから、ゴジラが出てきても

ふしぎでないくらい、異様な空気がこのしずかな街に

たちこめていた。

 

 人びとは口々にわたしにむかって、

人差し指を一本立てて「Bad!」と言った。

 

 なんにんものひとが「Bad」と言った。

これが活きた英語というものである。

 

「Bad」という単語は「悪い」という意味ではないのだ。

「Bad」という語は、三日三晩山が燃え続け、

天までつきぬけるような蒼穹がすがたを消し、

重く薄暗い雲がいちめんたちこめ、

そこにゴジラが出できそうな、

そういう重々しい雰囲気を「Bad」

というのである。

 

 

 わたしは、いちど、グァムに行って、

まだ存命だった母が、一階のバーで5ドルのおつりを

もらっていないと騒ぎだし、今日は寝られない、

なんていうものだから、

日本語のつうじないフロントに行って、

5ドルを返してもらう交渉をしたのだが、

フロントの女性も、なかなか「うん」と言ってくれない。

で、わたしは、最後に、

人差し指を立てて、「He is bad!」と言ったら、

「Oh!」とか言って、すぐ5ドル返してくれた。

 

 なぜ、返してくれたかと言うと、

「Bad」という語の含意は、三日三晩山が燃え続け、

天までつきぬけるような蒼穹がすがたを消し、

重く薄暗い雲がいちめんたちこめ、

そこにゴジラが出できそうな、

そういう重々しい雰囲気があるからである。

 それがフロントの女性の心をうごかしたのだろう。

 

 海外研修も役にたつというものだ。

 

 

 さて、三週間はあっというまに経ち、

わたしたちは、帰国の途に着く。

 

 ながいエコノミークラスの機内で、

何本も映画を見せられた。

 

 ミスタービーンを知ったのもこの機内でである。

同僚の出口先生が、映画を見終わった後、

わたしのほうを見ながら、

「出る?」

と冗談を言ったのが、

むやみにおかしてしばらくわたしは笑いが止まらなかった。

 

 成田に着いたとき、

タラップを降りた瞬間、

もわっとした重ったるい空気が

わたしを包むのであった。

 

 これが日本の空気なのだ。

まるで、ワカメを身にまとったような、

この不快感をどうしよう。

 

 このとき、わたしは、

こんな海草をまとわりつけて一生おくるのか、

という悲しい諦念をかんじながら、

家にもどったのである。

ペシミスティックな幸福論2017/7/11

今朝、たいへんなところで目が覚めた。 

 体育の座り方をして、 
そのうえ、水の中にいるのである。 

水は白濁しており、すこし冷たい。 

いったいどこなのか。 

とにかくいつものベッドの上でないことはたしかだ。 

それにしてもいつからここにいるのか。 

そして、ここはどこだ ! 

 そんな、どうしようもないループを 
ゆらゆらと頭のなかでもがいているうち、 
ここが、風呂場であり、わたしの家であることが、 
ようやくにわかってくる。 

しかし、なんでわたしはこんな冷たい水に 
つかっているのか。 

また、いつからここにいるのか。 

指をみると、すこしふやけている。 

ということは、何時間か、ここにこうして 
寝ていたということに、じわじわと理解するのである。 

ひとは、じわじわとじぶんが、 
どうしてこういうふうになったのか、 
不可逆な時間を強制的にもどして、 
いま置かれているじぶんを理解しなくては 
ならないときがあるものである。 

かんたんに言えば、現実がもどってくるのである。 



たとえば、夕方、なにげなくうとうとってしてしまい、 
ふと、起きる。 

え。いま何時? 

仕事は? 


ここはどこ? 


 という感覚におそわれるときがある。 
が、そういう感覚をわたしはすこぶる好んでいる。 

 というのもふだん、我われは、 
じぶんがいまどんな表情をしているか、 
じつは、じぶんはじぶんを含んだ景色を 
べつの場所から眺めながら生きているわけで、 
なんべんももうしあげてすまないが、 
ヘーゲルのいう「自己意識」を 
意識しながら生きているわけだ。 

ヘーゲルのいう自己意識とは、 
じぶんを含んだ景色を 
他所から眺めることである。 


 それは、いったいおれはいま 
どんな笑い方をし、

どんなトーンでしゃべり、 
どんなふうに彼女を見、 
どんなあいさつをしているのか、 
いちいち、自己意識を作動させながら、 
じぶをメタな位置から観察しているというわけだから、 
それって、あんがい疲れる行為なのだよ。 
その疲れる行為を、わたしたちは日々していることになる。 

 それは、ひとつの近代の病かもしれない。 

 ポール・ブルジェというひとは、 
個人が内面を書きつづった日記をつけることじたい、 
あるいは、それを刊行することが、 
近代精神の「病」とよんだが、 
わたしは、それよりも、

このメタなじぶんがいることじたい、 
「病」である気がしてならない。 

 こんなふうに日記にすることなんて 
お安いご用じゃないか。 


 しかし、ともかく、夕方のうたた寝くらい、 
みずからの自己意識から解放されてるとき 
はないのである。 

 それって、メタのじぶんが起動しない 
刹那の時間なのだ。 


 うたた寝っていうのは、そういう意味で、 
まったくの手放しなじぶん、全裸のじぶんがいるようで、 
たいそう気持ちのいいことなのだ。 

 それから、あ、そーか、いま夕方で 
ちょっと寝ただけなのだね、という、

自己意識が回復した じぶんが、

どこか深淵なところからもどってくる。 

 そのもどってくるときが、 
あ、じぶんはまだ痴呆になっていないなって 
感じるひとときでもある。 


 そういうひとときをわたしは 
幸福とよんでいるのである。 


 それだから、うたた寝は幸せなのだが、 
しかし、夜中じゅう風呂につかっていたのは、 
なぜなのか、ひとつも幸福感がわかない。 

 やはり、不可逆な時間を逆戻りさせねばならない。 
たしか、土曜日の夜は、最後まで残ってくれたお客さんと、 
ギターを弾きながらのカラオケ大会をしており、 
そのあいだじゅう、わたしはウォッカを 
氷もいれず、みずでわらず、ぐびぐび飲んでいたのだ。 

 ボトル半分くらい飲んでしまったとおもう。 

 いま、ロシアではウォッカ禁止条例が出ているとか。 
ロシアの平均寿命はすこぶる低く、たしか、35歳前後では 
なかったろうか。それがウォッカを禁止したあたりから 
平均寿命が延び始めたらしい。 

 つまり、ウォッカは、ひとの命を縮める媚薬ということになる。 
その媚薬をわたしは、ギターを弾きながら、 
飲んでいたわけだ。 

 だから、店がおわって帰るころに、 
ふらふらと自転車にのり、片手に 
マーチンのハードケースにはいったギターを 
持ちながら、もじどおりよろけながら帰ったことを 
おもいだしたのだが、それからの記憶がない。 

 おそらく、そのまま風呂にはいり、 
わたしはそのまま風呂のなかで就寝したのではないかと、 
推察するものである。 

 風呂で死んだひとをわたしはひとり知っている。 
わたしの後輩で、大学の講師とか、町のスクールで 
国語を教えていたひとである。 

 かりにミキちゃんと言っておこう。 

 このミキちゃんは、ちっとも勉強ができなくて、 
ゼミの発表たるや、悲惨なものであった。 
だが、ついていた教授とべったりだったものだから、 
大学の就職も斡旋してくれたし、 
カルチャースクールの講師もできたのである。 

 大学時代、彼女は、「古事類苑」を資料として 
平気でレジュメに載せてきた。 

 だから、わたしが、ミキに言ったのは、 
「あのな、古事類苑というのは、原書の引用だから、 
その古事類苑をレジュメに出すってことは、 
孫引きになるのよ、わかる?」 

 そうしたら、「え。そーなんですか」って。 
だめだねぇ。 

 しかし、そのミキがわたしの通っていた 
大学の文学博士第一号というのだから、 
わたしは吃驚したものだ。 

「わたし、文博なのよ」と、 
横濱の狸小路で彼女から言われたとき、 
わたしは、椅子からずりおちた。 

 いちどだけ、彼女と飲みに行ったことがあったのだ。 

「うそだろ」 

「ね。うそみたいでしょ」 

 彼女も、じぶんの能力をよく知っているのだから、 
頭はあんまりよくなくても、知性的であったことは 
間違いない。 

 なにを知っているかではなく、 
なにを知らないかを知っていることを知性とよべば、 
ミキはとても知性的な魅力的な女性だったのだろう。 

 しかし、彼女は、ずっと独身で 
母親を亡くしてからは、ひとりで暮らしていたはずだ。 


 カルチャーセンターに待てど暮らせど来ないものだから、 
確かめてみたら、風呂場で溺死していたそうだ。 


  
 馬鹿な子ほどかわいいというが、 
べつに、わたしはミキを可愛いとはおもってなかったし、 
うらやましい人生ともおもってなかったが、 
もうすこし、人生を謳歌してもよかったのではないか、 
と、わたしはおもっている。 


 そして、わたしは、そのミキとおんなじことを 
昨夜したわけなのだ。 



 、 
何時間もお湯から水にかわってゆく浴槽に 
寝ていたのである。 
白濁は、そういう薬剤をいれていたからだ。 


 しかし、幸いなことに、 
わたしの拙宅の風呂は狭いので、 
屈葬のような姿にしかなれなかったことである。 

これなら溺れることはない。 

 命拾いをしたわけだ。 

 それを幸福とよぶなら、そうだったかもしれない。 

ハイデッガーから学ぶ不倫の最終章2017/7/11

 世の中は「恋する惑星」、恋愛おおいによろしい。

いまの若い者は、恋人未満がすこぶる多いらしく、

むしろ、壮年の恋のほうが、お盛んらしい。

 

 初々しい男女の恋物語、ようやく恋人をみつけた中年。

上司との禁断の恋。妻子持ちの男との密会。金曜日の妻たち。

妻子持ちどうしの、不倫劇。

 

 どのような形態であろうと、それでも恋は恋、である。

 

ただ、もっとも始末にわるいのは、妻子持ちどうしの恋である。

この、隠密裏の恋の鉄則は、

「けっしてひとに見られてはならない」

ということだ。それも、近しいひとに見られたら、

そのあとはどうなるか、しばらくかんがえてゆく。

 

そのためには、まず、ハイデッガーの内在性について語ろう。

 

にんげんの中身(内存在)についてハイデッガーは

こう語っている。

 

 

にんげんというのは気分屋である。

 

この気分というのは、みずからの内なるものから

じわじわって出てくるものであるとおもわれるが、

それは、じつはそうではなくて、

外界の影響をつねに受けてそうなるものらしい。

 

 

こういう気分を「情状性」という。

 

 

そして、この「情状性」、つまり気分は、

にんげんの意思などではなく、

じぶんが、ある状況に抛り出されたところで

起こっている。

 

これを「被投性」という。

 

つまり、勝手に情報としてじぶんに

与えられてしまう、ということだ。

 

まとめて言えば、「気分」という「情状性」は「被投性」である、

ということである。

 

また、気分を感じとることができたとする。

 

この感じとることを「了解」という。

 

たとえば、明日、ディズニーランドに行くことになった。

 

うれしい。これが「情状性」。

 

きっと楽しい一日になるに違いないと感じる。これが「了解」。

 

ま、夢の国とかいいながら、

そこから帰ってきた子供たちの集団を電車などで

見かけるが、みんな疲れきって、闘いに負けたように

眠りこんでいる、ああいう風景を見ながら、

夢の国からの帰国は、戦闘だったのではないかって

おもうのだが、ちがうかな。

 

 

そして、また、「了解」事項を可能にしようとする気持ちが

もし働けば、それをハイデッガーは「投企」と呼んでいる。

 

「企投」ともいうが、意味はかわらない。

どちらもハイデッガーの術語である。

 

 

よし、たのしい一日にするぞ、たとえ

闘いに負けたようになったとしても。

 

という可能性の示唆は了解事項のうえの「投企」であり、

「解釈」という概念とも共通する。

 

 

むつかしく言うと「解釈は、了解事項において

投企されたさまざまな可能性をしあげること」なのだ。

 

 

そして、最終段階が「陳述」「語り」である。

 

ディズニーランドに行くことが決まって

うきうき気分の「情状性」は、

「被投的」であると同時に、

いい一日になるだろうという予見は、

「了解」され、「投企」され、「解釈」されて、

ついには、「陳述」されるのだ。

 

 

「ね、聞いてきいて、明日、ディズニーランドに行くんだ」

 

これが、「陳述」「語り」である。

 

 

 そこで本論。

 

 

 

ある妻子ある女性が、妻子ある男性と、

とある飲み屋で、たとえば、抱き合っていたとする。

(あるいは、もっと激しいことかも)

 と、それを女性の友だち、ママ友に見られてしまった。

これは、じつは、けっしてあってはならない

鉄則を犯してしまった、取り返しのつかない事態である。

 

 

 目撃した女性は、どうおもうか。

 

 そもそも、ニンゲンの骨格は、

嫉妬心と自己中心的感情で

できあがっているから、なおさらなのだが、

この現場を、かなりの衝撃で見たはずである。

 

 それまで、楽しく飲んでいたはずなのに、

とんでもないものを見てしまった。

これこそ、「被投性」であり、

激しい量の「情状性」が彼女を覆うだろう。

 

 と、目撃した女性は、つぎになにをおもうか。

 

これからさき、このふたり辿るだろう道である。

 

今日なのか、つぎの土曜日の夜中なのか、

とにかく、さまざまなものがたりは、彼女のなかに、

醸成されるはずである。

なぜなら、それが、まさしく「投企」であり、

「了解」であるからだ。

 

 「あら、いいわね、お盛んで」で

なんて、笑ってすますことはまずないだろう。

 

 ニンゲンの、正義感と、嫉妬心とがあいまったとき、

その人の「解釈」は、いかなるものか。

 

 まず、イライラするはずである。

 

 さて、彼女に残されている最終領域は。

 

それは、「陳述」「語り」である。

 

 おそらく、すでに、彼女は、ママ友に

その目撃の一部始終を語ることだろう。

それは、数名のひとに限られる。

 

 なぜなら、そんなことチクってしまえば、

じぶんの民度の低さも露呈するからである。

 

 そんなお下劣な話、わたしはしたくないけれど、

でもね、って少数の友だちに話すはずだ。

 

 しかし、ダムの亀裂とおんなじように、

こういうスキャンダラスな事情は、

「悪事千里を走る」、電光石火、

ものすごい速度で、広まってゆく。

 

 当事者の子どもが、もう成人して、

すっかり世の中のことを知り尽くしているなら、

まだましなのだが、もし、当事者の子どもが

幼かったなら、幼稚園とか小学生だったら、

すこぶるまずいことになる。

 

 つまり、仲のよくない母親がいる、

あるいは、敵がいて、

そのひとの耳にこのフライデーな話が伝わったとき、

その母親は、当事者のひとを、

ここぞとばかり、

崖から突き落とそうとするはずだからだ。

 

 それも、もっとも、ダメージのあるやり方で、

酸が侵食するようなしかたで、その人を

窮地に追いやろうと算段するのである。

 

 悪意千里を走る。

 

 では、もっとも、大きいダメージとは何か。

それは、旦那にいうことでも、

ツィッターにあげることでもない。

じぶんの子どもにこっそり、

この話をするのである。

 

 

 

 と、子どもの口は塞ぐことはできない。

 

 学校の教室中にあっというまに広がり、

当事者の子どもにも、その話が耳にはいることになる。

 

 それが、いじめの対象になるかはわからない。

が、そういう未来を、いやなやつは、すぐおもいつくものだ。

 

 聞いたその母の子どもは、悲しくなって、ひょっとすると、

父親にこっそり言うかも知れない。

 

 

と、ここまでは、ハイデッガー先生の言説を学んで、

それから先は、未熟なわたしの想像であるが、

この想像が、そう間違ってはいないような気もするのである。

 

 

・人の女房と枯れ木の枝はのぼりつめたら命懸け

 

 

 なんて都々逸もあるが、

恋愛に夢中なときは、舞い上がっていて、

どんなひともこんな想像をするわけがない。

 

しかし、こういう事情に、心当たりがあり、

わたしの負のシュミレーションを自覚したら、

その人はどうなるか。

 

 

 毎夜、震えて眠るのである。

 

オルテガ2017/7/9

 東京都議会選挙の前日、
安倍さんの最初で最後の街頭演説が
あったのは周知のことである。
 自民党大敗の前日の秋葉原。

 あの「帰れ」コールと「辞めろ」コールに
「こんな人たちには負けるわけにはゆきません」と、
こともあろうに大失言をしたことも
周知のことである。

 「こんな人たち」と言った前段には、
「わたしたち」という概念がある。

 つまり、「こんな人たち」には、
「わたしたち」という含意があるということである。


 言葉とは、語ったものと同等のものを
含むということを安倍さんは知らなかったのか、
それとも、脇が甘かったのか、
こういうことを知らないひとや、脇の甘いひとを
われわれは「馬鹿」と呼んでいいはずなのだが、
時の総理をそう呼ぶのは
国民としてどうかとおもう。


 この「わたしたち」というのは、
とうぜんながら、森友学園や加計学園の人びとや、
自民党の一部の人びとである。

 つまり、安倍さんは、「わたしたちは勝ち組のよい人」と、
「こんな人たちは負け組みで悪い人」と、
どうも境界線をつくっているようにおもえる。

 
 この二項対立は、ほんとは政治家の
もっともしてはならない姿勢なのだ。

 スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットは、

『大衆の反逆』のなかでこう語っている。

「文明はなによりもまず、
共同生活への意志である。
他人を考慮に入れなければ入れないほど、
非文明的で野蛮である。
野蛮とは、分解への傾向である。
だからこそ、あらゆる野蛮な時代は、
人間が分散する時代であり、
たがいに分離し敵意をもつ小集団がはびこる時代である。
(中略)
 自由主義は・・最高に寛大な制度である。
なぜならば、それは多数派が少数派に認める権利だからであり、
だからこそ、地球上にこだましたもっとも高貴な叫びである。
それは、敵と、それどころか、
弱い敵と共存する決意を宣言する。
(略) 敵とともに生きる! 
反対者とともに統治する!」

少し長い引用となったが、この「弱い敵」こそ、
あの秋葉原で、うねりのような「帰れ」「辞めろ」を
叫んでいた人たちである。
 弱い敵との共存こそ、自由主義のもっとも
すぐれた考量であったはずだが、どうも、
そういうことを安倍さんはかんがえていないようだ。

 アメリカが、イラクを攻撃したのも「弱い敵」だからだ。
菅官房長官が「怪文書」と言ったのも、
そのときの相手が「弱い敵」だったからだ。
どうしようもない防衛大臣も、自衛隊を背負って、
「弱い敵」に、でたらめの答弁をしている。

 もう辞めるのかな、彼女は。

 宮台真司さんのラジオで聞いたことだが、
シュワルツネッガーと安倍さんを比較していたが、
まさにシュワちゃんは、
当意即妙、お人ができていたらしい。

 州知事の選挙期間のとき、
反対派から、生卵を投げられた。
そのとき、シュワルツネッガーは、
言下にこういったそうだ。

「そうした行為も表現のひとつだ、
ついでにベーコンもくれよ」

 戦争責任もそうなのだが、
あるいは、会議でもそうなのだが、
もちろん、政治もだが、
けっきょく、オルテガのいうところは、
すべてに妥当するわけで、
つまりは、他者を含んでみずからを
代表するという姿勢、これにつきるわけである。

沈黙の螺旋理論2017/7/8

ドイツの政治学者ノエル・ノイマンが提唱する
「沈黙の螺旋理論」とは、
少数派が多数派におされてなにも言えなくなる事況をいう。


 よく例に出されるのが、小泉内閣の
郵政民営化の審判をくだす衆議院解散である。
けっきょく自民党の圧勝となったが、
あれは、この「沈黙の螺旋」が作動したということだ。
 つまりは、郵政民営化に反対する勢力は、
梨のつぶて、なんにも言えずに縮こまっていたのだ。
「沈黙の螺旋」が吹き荒れたあとは、
大勝という栄冠を得ることができるわけだ。

 このマジョリティの風圧は、マイノリティを押し黙らせ、
螺旋をえがくように増大するのである。


 こんどの、都議会選挙だって、それがはたらいたのだろう。
みんな、わけのわからない都民ファーストに
一票を投じたじゃないか。

 いちど、この沈黙の螺旋がうごきはじめると、
それを止める力は、この民主主義の世の中では
まず不可能なのだろう。

 とくに、ひとには、日和見の能力が
生得的にそなわっているとみえて、
どちらが大勢派なのか、それを見分けることが
できるらしい。

つまり、ア・プリオリの能力である。


 とくに、農耕性のつよい民族であるわが国では、
みんなといっしょというDNAは否めず、
これと、「沈黙の螺旋」構造が組み込まれると、
じつにやっかいなものとなる。


 ようするに、「ひとりではなにも言えない」のだ。


 第二次世界大戦後の東京裁判で、
A級戦犯がことごとく、「わたしはあの戦争には
反対だった。しかし、あの場では
それが言えなかった」と、述べたのも、
じつは、この「螺旋」構造が機能していたのだ。

 そして、この「螺旋」構造をつくりあげていた
エネルギーなるものは「空気」だったと、山本七平は論破した。

 山本氏の「空気の研究」である。

 第二次世界大戦は「空気」が起こしたのだ。

 そういう空気を感得しながら、多数派へと、
みずからをみちびくそこに「個人主義」もあったものじゃない。

 で、ここでおもしろいのは、
「沈黙の螺旋」理論どおりに世の中がうごいているにも
かかわらず、我われは、集団というものを考えなくなっている
という事実である。マジョリティには迎合するものの、
だからといって「社会貢献」とか「共同体感覚」とか、
そういうものが欠落しているというパラドクスは、
すでに、この世の中が、崩壊に近づいているという
予兆なのかもしれない。

 吉村屋さんという、むかしはひどく
おいしいラーメン屋さんがあった。
 同業だから、わるくはいえないけれど、
杉田という神奈川のはずれに位置し、
ともかく、こってりした家系総本山の老舗である。

 横浜に移転してずいぶんになるが、
やはり、スープの濃さは、杉田のころのようには
ゆかず、うーん、という感じ、なんだが、
並ぶ、並ぶ。すでに店の前にはベンチまで用意があり、
そこに、蚊取り線香のようにひとが
渦をまいているじゃないか。

 わたしは、こういう光景に「沈黙の螺旋」構造を
みるのである。

「きみたち、ほんとにじぶんの舌で確かめなよ」
と、言いたくなるわけだ。


 並ぶから、うまい、という図式は、
日本を戦争においやった思想と、じつは
構造的には類比的なのである。

 
 永福町に、煮干しだしのラーメン、
大勝軒がある。わたしは、友人とその行列に並んだ。

 店をぐるっと囲むように人垣ができている。
一時間くらい待ってようやく店内に入ると、
じつは、カウンターを囲むように、ぐるっと
まだひとが並んでいる。

 つまり、店の外で一周、店の中で一周しなければ、
着座できないわけだ。

 けっきょく二時間ならんだすえ、
わたしたちは、ようやく席に着けた。

 で、ラーメンを頼み、待つこと数分。

 大きなどんぶりに400グラムの細麺がはいっており、
たっぷりと脂がスープにかぶさり、
煮干しのよい香りがしてくる。

 ひとくち、すすってみる。

 うまい。やはり、待っただけの甲斐があった、
と、わたしはおもった。

 と、となりの友人が、わりに大きな声で
こう言ったのだ。

「まずいねぇー」

「・・・・」

 店内にひびく「まずいねぇー」は、
マイノリティの一言だったろう。

 「おい、よせよ。みんな聞いてるじゃないか」
と、わたしは小声で言ったけれど、
しかし、いまからおもえば、
かれには「沈黙の螺旋」構造がそなわって
いなかったということなのだろう。

 うん、これからは「まずいねぇー」と
言えるような人物が増えてくることを期待しよう。

 しかし、かれは「空気を読めない」人物とも
言えそうだが。

短歌を直せば2017/7/8

 ・つぐないはつぐなわぬまま目の前のいちまいの紙に印鑑をおす

 ・尾をゆらし頭をゆらしとりどりに祭囃子のなかの金魚ら

 こんな歌をつくったことがある。
こういうのを拙稿歌とけんそんして言うのだが、
なかなかいいんじゃないかと、じぶんではおもう。

 ・手榴弾は缶コーヒーでみずうみの海賊船のあかりめがけて

 きのう、短歌の友人のむすめさんと電話をした。
むすめさんと話すなんて
なかなか稀有な経験である。
 彼女は、いま中学一年生である。

「学校で短歌の宿題があるの」

「そう」

「でね、いい、言うよ、
ねむるときかえるの鳴き声いつもの声
こおろぎ入って夜の合唱」

 わたしは、この短歌ともいえないようなものを
メモしながら聞いていた。

「でね、これ友だちのなんだけれど」

(なんだ友だちのか)

「この『いつもの声』がおかしいかなって、
わたし直してあげたのね。
それが、これ、いい」

「はい、はい」

「ねむるときかえるの鳴き声日々の声こおろぎ
入って夜のソナチネ」

「ソナチネ?」

「そ、音楽の用語、ちいさな規模のソナタのこと」

「へー、よく知ってるね、でもさ、声と声とか、
いろいろ意味がかぶっているね」

「そう、わたしもそうおもったんだけれど、
ひとの作品だし、これでいいかなって」

「ふーん、で、さつきちゃんのはよ」

「わたしの、えっとね。
備忘録・インク・消しゴム・シャープペン・ちいさな文字で
お手紙ださなきゃ」


「え。なに、これ」

「短歌、学校に出すの」

「備忘録ってメモのことだよ」

「そう。だからね、メモに、インクとか消しゴムとか、
シャープペンは、シャーペンじゃないところが
いいところね。とか、小さな文字で書くわけ」

「お手紙出さなきゃ、も備忘録に書くの」

「そう」

「そうか、そういう意味だと、この歌、伝わらないな」

「いいの、学校に出すやつだから」

「いや、そうは言っても、読むひとが
わからなければね」

 と、わたしは、頭に手をあてくるくる一休さん。

「うーん、つまり、小さな文字で、メモすればいいんでしょ」

「そ」

「じゃ、こうしようか。
・『シャープペン・インク・消しゴム・お手紙出さなきゃ』われの備忘録

われの備忘録のところまでカギに入れたほうが
わかりやすいよ」

「あ、こっちのほうが格好いい」

「うーん、まだ意味が通じるかな」

「ちょっと待ってね、いま書くから」

と、わたしの言ったことをメモしているようだ。
それこそ備忘録である。

「あ、それからね、もうひとつあるの」

「はい、はい」

「おやつどきくもりがらすのむこうがわフィドルリリィ猫の鳴き声」

「え、なにフィドルリリィって」

「フランス語。不思議の国のアリスに出てくる言葉。
ばかばかしいというような意味。この言葉を
使いたくて作ったの」

「しかしさ、フィドルリリィと猫の鳴き声と
バラバラだよね」

「そうかな、わたしの気持ちもばかばかしいって
そういうことも含んでいるから」

「そうか、でも、短歌じゃ、そういうときは、
じぶんの気持ちは含まないように詠んだほうが
効果的なんだな。
気持ちを含んでいないようにみえて、
含んでいる、そういうのがいいんだな。

そしてさ、フィドルリリィな猫の鳴き声にしないと
意味が通じない。

でね、それより『フィドルリリィの猫の鳴き声』と『の』に
したほうが、よほど格好いいね」

「ふーん」

「でさ、なんで、おやつどきなの」

「うん、そのとき、ちょうど三時だったから」

「なあんだ、だからおやつどきか。この歌、
じぶんの気持ちがあんまりこもってないね」

「そうなの、わたしもそうおもってた」

「だから、この『おやつどき』のところに、
じぶんの気持ちをこめた五文字をいれるんだよ」

「どんな」

「んな、すぐにはわからないよ」

「そう」

わたしは、また、しばらくかんがえた。
あんまり直截的な感情の言葉もよろしくないし、
あるいは、枕詞をいれてもおかしい。
で、けっきょく、わたしが提案したのは、

「じゃ、さつきちゃん、こういうのはどうかな。

・こんなときくもりがらすのむこうがわ
フィドルリリィの猫の鳴き声」

「こんなとき」


「そう、なにが『こんなとき』かわかんないけれども、
そこは読者が想像すればいい。
『こんなとき』って言えば、なんか憂鬱な
気持ちが伝わるじゃない」

「ふーん、そんなもんかな」

さつきちゃんは、こっちには
あんまり共鳴していないようでもあった。

電話はここで切ったので、彼女が、
この添削した歌を備忘録に
おさめたかどうかはわからない。

物語の主人公論2017/7/6

となりのトトロの主人公は

いったいだれなのだろう。

 

トトロ、というのが妥当だろう。

いや、さつきとメイかもしれない。

 

あるいは、メイだけ。

 

いろんなひとに訊いてみるのだが、

このくらい、まちまちな答えがもどってくる

アニメもなかなかない。

 

じつは、「物語の主人公論」というのがあって、

おおよそ、四通りの見方ができるのである。

 

その四通りでゆくと、ひょっとすると、

まっくろくろすけが主人公になっても、

お父さん、あるいは、お母さんを主人公に

することもできるのだ。

 

まず、ひとつめの見方。

 

「タイトルの人物」

 

 タイトルとなった人物を主人公に見立てる。

しごくとうぜんのことである。

 

 だから、となりのトトロのばあいは、

「トトロ」ご本人ということになる。

 

 たとえば、『シャーロックホームズの冒険』なら、

やはり、主人公は、シャーロックホームズだ。

 

 ちなみに、シャーロックホームズは、あんな探偵家業だけでは、

とうてい暮らせない。のんびりと葉巻なんか

加えているばあいでもない。シャーロックホームズが

葉巻をくわえているのかどうか、

よくおぼえてないけれども。

おそらくホームズは、

ランティエ階級だったのではないか。

ヨーロッパは、ルネサンスのころから、

第一次世界大戦のころまで、

ほとんど貨幣価値がかわっておらず、

父とか祖父が、銀行に多額の預金をしているとか、

すこしましなアパートを所有しているとか、

そうすると、その子孫は、ほとんどなにもせずに、

贅沢をしなければ、暮らしていけたのである。

そういう階級をランティエと呼ぶのだが、

どうも、シャーロックホームズは、それだったのではないか。

そうでなければ、あんな余裕な暮らしぶりはできないというものだ。

 

さて、話を主人公にもどすが、

『我輩は猫である』も主人公は「猫」。

『ロリータ』も主人公は「ロリータ」。

 

ところで、ロリータというのは、と、

また、話がずれてしまうから、白亜系ロシア人の

ナボコフ先生の話はまたこんど。

 

『走れメロス』はやはり「メロス」

 

 むかし、ある学校で「走れメロス」の劇をしたそうだが、

そのときのメロス役の生徒が、どうも

リアリティにかけるとおもい、

本番前に

校庭をなんどもダッシュして、ぜいぜい言いながら、

壇上にあがったそうだ。

だって、作中のメロスはずいぶんと走って

ともだちのところにもどるのだから。

しかし、良い演技になるとおもいきや、あんまり

本気で走ったものだから、具合が悪くなって、

座っていた王様の洋服に嘔吐してしまったのだ。

でも、王様役の生徒は、動揺もせず、

「どうした、メロス」とか言って、

その場がうまくしのげたそうだ。

 

 だが、翌日、学校内ではすでにあだなが

できていたそうだ。

 

「来た、来た、ゲロス」

 

「走れゲロス」

 

 

さて、話をもどそう。

つぎの分節のしかたは、

「物語の語り手」

 

だれが、その物語を語っているか、

ということで、その語り手を主人公とする、

という見方がある。

 

トトロのばあいは、アニメだから、語り手というものがおらず、

これでは特定できないが、たとえば

シャーロックホームズなら、ワトスン君である。

かれが主人公となる。

 

芭蕉のことを去来がしたためた『去来抄』は、

芭蕉先生が主人公ではなく、語り手は去来ほんにんだから、

主人公は去来、ということになる。

 

 

 三つ目は、「あらすじの主語」

 

となりのトトロのあらすじを書こうとする、

そのとき、だれの目線で書くかによって、

主人公が変わってくる。

 

 たとえば、まっくろくろすけは見た、とか

それでエンエン書けるなら、くろすけ君が

主人公になってもよい。

 

 さつきは、で語れば「さつき」。

 

 とうぜん、あらすじの主語は

もっとも書きやすい人物が主語となるのだろう。

 

 

最後に、こういう見方がある。

 

「境界を超える人物」

 

境界とは、たとえば、『走れメロス』では、

メロスが境界を超えてもどってくるのだから、

やはり、メロスが主人公である。

 

 『羅生門』では、下人が「羅生門」をくぐり、

つまり境界をくぐり、境界としての羅生門を出てゆくときは、

盗人として出てゆく、これはまさしく完璧な主人公である。

 

 となりのトトロでは、トトロの世界に踏み込んだのは、

さつきとメイだから、このふたりが主人公となる。

 

 こうやって、物語の主人公は、分節のしかたによって

変わってくるのである。

 

 

 それにしても、ひとのうわさやあだなというものは、

一日にしてなるものである。

 

 いつ、あなたが主人公となるかわからない

歴史の出題のしかた2017/7/5

 いま、高校生はちょうど

定期試験の真っ最中だろう。

日本史が覚えられないとか、

世界史はカタカナが多すぎるとか、

ため息まじりの声をよく聞く。

 

 とくに、歴史は暗記しなくてはならない。

幸徳秋水がつかまった場所を書け、

という、ずいぶん昔だが、

明治大学の入試問題があったが、

そんなこと訊いてどうするのだろう。

 

 ちなみに、幸徳秋水は湯河原で逮捕されている。

 

 明治大学は、さいきん人気上昇中で、

受験者も増えているが、あそこは学部ごとに

問題をつくっているそうで、

だから、国語の問題も、国語の専門家が

作成しているわけではない。

 いわゆる素人の問題である。

それゆえ、政経学部の古典など

おそまつきわまりない。

「奥羽はいまの何県か」なんていうことを

平気で出題する。

 

 さて、歴史は暗記だ、というのは

じつはまちがいである。

 

 歴史学というものは、こうすると、

ひとはこういう行動をとる、だから、

明日は、あるいは、あさってはこうなるはずだ、

ということを学ぶ学問である。

 

 つまり、世の中の因果関係を学び、

それを明日、来年、あるいは、五年後にむすびつけようと、

未来を照射した学問のはずなのだ。

 

 それを学校では、そこまではゆかず、

ただ、何年になにがあったとか、誰と誰が

それに加担したとか、とにかく、

覚えることばかりである。

 

 たとえば、米国のティラーソン国務長官は、

北朝鮮の大陸間弾道弾、ICBM発射をみとめた。

 

 ということは、北朝鮮から発射したミサイルは、

核弾頭をつんでアメリカ本土に着弾する

という可能性が確実になったわけである。

 

 安倍首相は、脅威が増したとコメントしたが、

日本にとっては、危機が増したわけではない。

 

 もともと危険であって、なにも

これによって脅威も危機も

分厚くなったわけではない。

 

 もっとも日本にとっての危機は、

大陸弾道弾がアメリカまで届く、ということなのだ。

 

 もし、日本が北朝鮮の攻撃を受けたとする。

と、わが国は、そのミサイルを迎撃することは、

おそらく不可能だろう。だから、どこかの都市が、

原爆によって消滅する。そのとき、アメリカは、

日本を守り、北朝鮮に報復するだろうか。

 

 わたしはしないとおもう。

 

 アメリカはいともたやすく、

保身にはしり、安保条約なんて紙切れ、

日本を抛り出して

北朝鮮と話し合いをするのだとおもう。

 

 なぜなら、アメリカが報復すれば、

確実に、ICBMがワシントンに飛んでくるからである。

 

 そんなリスキーなことを、

アメリカファーストの国がするわけないじゃないか。

 

 キムチ王国のイエローモンキーが、

友だちだけにはやさしいイエローモンキーの国に、

つばをかけたくらいにおもうのじゃないか。

 

 安倍さんのいう脅威は、ひょっとすると、

そういうことを含んでいるのかもしれない。

 

 アメリカが裏切るかもしれない、これだ。

 

 もし、そうなら、安倍首相も歴史を

学んでいるということだ。

 

 歴史とはこういうふうに、

今後の情勢はどうなるかをさしあたり、

想像する学問なのだ。

 

だから、歴史の先生は、

こういう問題をひとつ加えたらいかがだろう。

 

 

 問い、北朝鮮が大陸間弾道弾の発射に成功したが、

それにともなう日本の脅威の増大について、

アメリカ合衆国の関係性を考慮しつつ、論ぜよ。

 

 

 どう?

 

 

 

二文字では言わない話2017/7/4

若いころは、
細くて柔らかい髪で、
電車の窓が開いていたら、
右に分けていた髪が
左に分かれてしまうくらいだった。

 むかし、半蔵という飲み屋で、
新聞屋の社長の若奥さんに、
髪をもみくしゃにされ
「えー、柔らかい〜」とか
遊ばれたものだ。


 そして、ずいぶん髪には気を遣い、
どのスーツにも、櫛がはいっていて、
いつでも、左から分けていた。

 いつのころか、
担任をしていた生徒から「河童」とか言われるようになり、
これを言ったの森本という男で、たぶん
森本はいま50歳ちょっと前くらいになっている
はずだから、てっぺんの量が減ってきたのは、
すでにそのころからはじまっていたのだろう。


ユイに「お父さん、頭に穴あいている」と、
いまから20年くらい前に言われたので、
刻々と、深刻な事態は
進行していたのだとおもわれる。


 
こういふうに、髪の量の減ってきていることを
かんたんに二文字でも言えるのだが、
じぶんから宣言するのもなんだから、
言わないでいるのだ。


 といいつ、トワエモアの「虹と雪のバラード」
という曲を聴くと、いつもこのくだりで
聞き違えをするのである。


♪虹の地平を歩みでて、

影たちが近づく手をとりあって



 ここである。


♪虹の地平を歩みでて
禿げたちが近づく手をとりあって



 なんか、異様な光景じゃないか。


 教え子の卒業生で、
こともあろうに、アートネーチェーに勤めた奴がいて、
こともあろうに、その会社の先輩、女性なのだが、
それを連れてあいさつに来たのだ。

と、その女性は、わたしに会うや、
目もあわさずに、ずっと頭部を見ているじゃないか。

そして、「はじめまして」でもなく、
「お世話になってます」でもなく、
彼女がさいしょに発した一言。


「お安くしておきますが」



 これは、ずいぶん失礼だとおもった。


 渋谷のスクランブル交差点のむこうがわに
薬屋があって、わたしは、ビタミン剤を購入、
なんだか、その袋の中におまけの
小瓶が三本はいっていた。


 が、これがすべて育毛剤だった。


 このおまけメッセージは、
「おまえは、〇〇だぜ」ってことだから、
これも失礼千万なはなしである。



 そもそも、髪の毛というものは、
じぶんでは気づかない部位である。


 背中といっしょである。
でも、背中は世界中にだれにも見られるわけだが、
唯一、じぶんだけが見られないということで、
「みずからの死」の比喩になるのだが、
髪の毛は、死にたとえられたことは
ついぞなかった。



 車に乗ったときに、じぶんの車の屋根が
どうなっているのか、電車に乗ったとき、
パンタグラフはどうなっているのか、
そんなこと気にならないじゃないか。


 それとおんなじくらい、髪の毛が
どうなっていようと、じぶんは気づかないものなのだ。

 だから、たまに、どこぞの店にはいったり、
エレベーターに乗ったりしたとき、
防犯用のカメラがついていて、
それでじぶんを後ろから写されているときがあるが、
え、これ、おれ? っておもってしまう。


あれ、いやだね。


だから、床屋さん行っても、
鏡でうしろがわを見せるのを禁止しているのだ。


ユイの母親が、いちどだけ、わたしに言ったことがある。

ほんとうに一度だけなのだ。

かれこれ、ユイの母親とは50年くらい
いっしょにいるのだが。


「ねぇ、トリプル増毛法やったら」

「え、あれ、一本200円くらいするから、
ぜんぶすると、クラウンが買えるくらいになる
らしいぞ」

「え、そんなに高いの」

「そーよ」
と、ユイの母親はこう言ったのだ。

「じゃ、太いの五、六本、打ってもらったら」


電信柱じゃないんだから。

御曹司ものがたり2017/7/2

 わたしがまだ高校の教師をしているころの、
ちょうどおんなじ干支の先輩、
新村先生のはなしである。

新村先生は本名ではない、仮名。

で、同僚からは、「シムリン」と呼ばれ、
その性格のよさはお墨付きであった。

 相模原の大地主の総領息子で、
その一帯は、ほとんど新村の姓であった。
 育ちがいいのである。

 なにしろ、家に帰ってみたら、
警察がじぶんの土地でスピード違反の
取り締まりをしていたので、
だれに断ってやってるんだって
警察を追い返したこともあった。
土地、うそって言うくらい広いから。

酔っぱらうと、じぶんのことを

「ボクちゃん」っておっしゃる。

育ちがいいのである。




 ただ、その酒がかれの人生を大きく変えた。

 飲むとほとんどわからなくなってしまうのだ。

 何軒目かのあと、カラオケに行って、
あんのじょう、シムリン寝てしまって、
さ、お勘定というときに起こす。

「ん。帰るの」とか言うんで、
「はい、はい、帰りますよ」
と、シムリンゆっくり起き上がり
「いくら?」って訊くから、「一万円です」って言うと、
「安いね~」と言いながら、
すべてわれわれの分をおごってくれる。

たぶん、おごっているという感覚はないのだとおもう。

 
「せんせい、『なんで』って言ったら負けよ」
「ん。いいよ」
「これ、何色」
「青」
「これは」
「赤」
「あ、やっぱり先生の負けだ」
「なんで~。あ、あ、そーか、んー、もう一回」
なにしろ、泥酔の一歩手前だから、
足元もおぼつかない。

「もう一回やるんですか」
「そう」
「しかたないな。これ何色」
「青」
「じゃ、これは」
「赤」
「ほら、やっぱり先生の負けだ」
「なんで~、あ、あ、もう一回」

もうやんねぇよ。


 慰安旅行があると、シムリンは、
かならず、じぶんの枕をもってくる。

 じぶんの枕でないと寝られないそうだ。
だから、かれの旅行かばんの95パーセントは
じぶんのうちから持ってきた枕が占めている。

 マジソンスクウェーガーデンというかばんが
はやったときがあったが、あのくらいの大きさの
旅行かばんである。

 で、夜中、麻雀がはじまると、
シムリン、飲みすぎて積んである牌のうえに
覆いかぶさるように
ばたりと寝てしまった。
 というより倒れるといった感じだ。

すべての牌がちらばって、そのうえで
いびきをかいている。

 「おいおい、ほら、シムさん。寝るよ」
と、同年代の先生がほとんど蹴飛ばすように、
ごろんと、となりに敷いてあるふとんに転がすと、
シムリンそのまま高らかないびきとともに、
朝までそこで寝てしまう。

もってきた枕など使わずじまいである。

わたしは、なんどとなく新村さんと
こういう旅行したが、かれが、じぶんの枕で
寝ているのをついぞ見たことがなかった。

 わたしは、学校からは、だめ教師として
カテゴリーされていたから、担任も
学年主任のとなりのクラスに配属された。

 学年主任とはシムリンである。

 修学旅行に行ったとき、
わたしのクラスのラグビー部の連中は、
早起きで、わたしのクラスの部屋すべてを
まわって、NHKのラジオ体操の番組をつけ、
クラスの者たちを起こしてくれた。
このテレビ番組が目覚ましがわりである。

 わたしは起床時、なにもしなくてよかった。

それでいて、わたしのクラスが
いつももっとも早く、全員集合して朝飯の席に
着くことができたのだ。

 「新村先生、起こしに行ったら、まだ寝てました」
ひとりのラグビー部の生徒が報告にきた。
だから、長崎のホテルで、主任がまだ来ていないわけだ。

ずいぶん遅れて新村先生登場。

「いやぁ、このホテル、大きいんで道に迷ったよ」

 うそつきめ。


 卒業試験は、三年生だけべつメニューではじまる。
ほとんど、試験監督は担任がする。

 ほかの学年は平常授業である。

 わたしは、わたしのクラスに問題をくばり、
試験を開始させ、となりのシムリンのクラスの
様子を見に行った。

 と、シムリンのクラスがなにやら、
がやがやしているのだ。試験はとっくにはじまっている。

 あれ、シムリン、教卓で寝ているじゃないか。

 昨日、よほど飲んだのだろう。

 だから、シムリンのクラスの生徒は、
みな、相談しながらテストを受けているのだ。

 「おい、しずかにしろ」と、
なんでわたしが言わなくてはならないのか。


 どっちが主任なんだ。


その新村先生も、いきつけの酒場で、
軽い約束から、大きな会社の独身寮をつくる約束をして、
じぶんの敷地内に、ものすごいビルディングを建て、
その話が、中断されたために、
これまた大きな負債をかかえ、
けっきょく、新村先生は、いま、アパート暮らしを
しているという。

気の毒というか、なんというか。

「しかたないだろ、やっちゃったんだから」
と、先生は言っていた。

しかし、新村先生、
まだ、わたしの勤めていた高校で、
非常勤講師として数学を教えているそうである。

公用車2017/7/1

 自民党の金子恵美というひとが、

公用車をつかって子どもを仕事場の

議員会館内にある保育所へは

連れてゆかないと宣言した。

 

 

 そうなのかな。

 

 

 いいんじゃないかなっておもうけれど。

 

キルケゴールは、

革命の時代は情熱的であったのに、

現代は、情熱のない時代である、と説く。

 

 現代社会は味気ない、個性のない集まりだという。

 

 個人というものは意味がなく、意味があるのは

抽象的社会だけである。そのなかでの個人とは、

数合わせでしかないという。

 

 このような個性のない個人をキルケゴールは

「水平化」と呼んだ。

 

 

 金子議員が、公用車で子どもをつれて

議員会館にゆくのをずいぶん前から、

ジャーナルが問題視していた。

 

 公私混同であると。

 

 はたしてそうなのか。

 

 元、月潟村長の金子由征を父としてもち、

自民党二階派の衆議院議員、総務政務官、

としてご活躍だとおもう。

 

 

 それで、公用車にクレームがつくってのは、

水平化されたジャーナルからの

つまらない言いぐさなのではないかと、

わたしはおもってしまうのである。

 

 

 それって、つまりは、ルサンチマンからの

言い方のようにおもえてならない。

 

 

 ニーチェは、

エリートへの怨恨、

つまり「なんであんたは特別なんだよ」

という感情をルサンチマンと呼んだのだが、

それとおんなじ図式が

この金子議員に妥当するようにおもえてならない。

 

ちなみに、ニーチェは、キリスト教の説く

利他主義は、ルサンチマンをもつ弱者が、

強者をひきずりおろすための主義ではないか、

そう主張して、キリスト教を批判したのだ。

 

 弱者の地平にみなが沈んでいったら、

世の中、昏くなるばかりではないか。

 

 

 金子さんという、早稲田大学のエリート、かつ、

議員、政務官である彼女にたいする、

ルサンチマンが、このようなクレームになったのではないかと、

わたしは、おもう。

 

 もし、それが正しければ、

メディアは地に堕ちたというしかなない。

 

 

 なぜなら、メディアが水平化され、

ルサンチマンからの分節をはじめたら、

日本という国家は、みな、もっともみじめな地平から

ものを見てゆくということになるじゃないか。

 ニーチェのいう世界の具現化である。

 

 

 それって、マッチ売りの少女の目線と

ほぼ変わりないってことなんだな。

 

 

だから、金子さんの事情にも、

すこし、おおめに見たらどうだろう。

 

 

そんな、枝葉末節のことに目くじらをたてず、

鷹揚にいくことが、メディアの行き方だとおもうが、

ちがうかな。

 

 

 と、言いつつ、稲田防衛大臣の記者会見は、

なんとも言い難い。ひどい。

 

 

 撤回すればいいって問題ではない。

 

 意図はなかったというが、

意図がなければ

法律に抵触しないのだろうか。

 

 覆水盆に返らず、政治の世界では、

いちど宣言したことは、撤回できないのが鉄則なんだよ。

 

 

 それって将棋の待ったをなんどもする爺いさんと

おんなじことだって。

 

 意図なくこの手を指してしまったので、

撤回させてください。

 

 これを「待った」と呼ぶ。

 

 

 撤回して謝罪すれば、なんでも通る、

ということになれば、法曹界はめちゃくちゃになりますよ。

 

と、話がずれてしまったので、

金子さんの話にもどすけれども、

佐々木俊尚さんが『当事者の時代』で、

「いつから当事者でもないくせに

弱者面して憑依して

でたらめをしゃべるようになったのか」

と語っているが、

これこそ、

水平化のルサンチマンを分節した語りである。

 

 みな、生活レベルが劣化して、感情もそれに

ともない劣化して、ちょっと庭のきれいな家を

うらやみ、ねたみ、そして文句をつける。

 

いわゆる、クレージークレーマー化が

起動しはじめたのだ。

 

クレージークレーマーたちは、

それが、はしたなく、みっともないことではなく、

むしろ、有能感に満ちた行為と認識しているのだろう。

 

どうだ、言ってやったぞ、気持ちいい、って

感じである。

 

いまの世の中は、クレームを言ったほうが

勝ち、という風潮である。

 

どこの世界も、言われたほうが、

「なにをもうすか、わたしは・・・」と

立ち向かうことをせず、

「は、さようで、すみません」と

頭をさげてしまうことが多いから、

つけあがるやつらが増えるのだ。

 

これも、感情劣化とモラルハザードと

共同体感覚の低下が

生み出した世の中なのだろう。

 

ルサンチマンからの叫び声は、いったい、

どういうところから生まれるのか。

 

おそらく、ねたみ、嫉妬である。

 

じぶんにない地位やしあわせや権威に妬む。

 

漱石が晩年まで描き続けたのは、

このジェラシーとエゴイズムであったことを

おもえば、にんげんの醜さはエンエンつづいている、

ということなのだろう。

 

じっさい、六波羅蜜経には「心の師とはなるとも心を師とせざれ」

とあり、「心」を「師」とすると、妬みや欲望で、

なにをしでかすかわからない、ということを説いている。

初期大乗仏教のころから、

こんなことが言われていたのだな。

 

 

そういえば、キルケゴールも、

水平化された庶民をうごかす原動力は、

「嫉妬」だと、言っていた。

 

 

公用車つかいなよ。

筋を通しましょう2017/6/29

筋をとおすやつ、というのと

めんどくさいやつ、というのと、

ほとんど類比的である。

 

筋を通せば窮屈である。とかく人の世は住みにくい

 

横浜の「木曽路」に行った。

と、店先で着物をきた店員さんが

「禁煙席でよろしかったでしょうか」

と、訊いてきた。

 

「はい?  わたしあなと初対面ですよね。

よろしかったでしょうか、はないでしょ。帰る」

 

と言って、玄関先からさっさと帰ったこともあった。

 

いやな客だろうね、たぶん。

 

でも、「よろしかったでしょうか」は

やめてもらいたい。

 

 それに、もうひとつ、

「ね」と「さ」もやめてもらいたい。

 

これも横浜の話。コンビ二で。

店主と名札にあった。

 

「356円ですねぇ」

 

なんだよ、この語尾の「ですねぇ」というのは。

 

「356です」でいいじゃん。

 

この「ねぇ」はなにが言いたいのだろうか。

親しみやすさ?  いや、そんなものいりません。

 

で、わたしは「箸ありますか」と、たずねたところ、

「ありますよ」と答える。

 

この語尾の「よ」はなんだよ。

 

「あります」で過不足なく語れているではないか。

 

ということで、それきり、わたしは

この店には二度と行っていない。

 

 

 

「す」ののびるひとがいる。

 

「おはようございますーーー」

と、「す」に余韻があるのだ。

愛想笑いの真顔にもどる時間くらい、

この「す」がかそけく延びている。

 

それがひどく気になるが、これは筋をとおす話とは

関係なかった。

 

「す」で笑うひともいる。

 

「す・す・す・す」と笑う。

これも関係なし。

 

 

 

ヤマダデンキという大きな電気屋さんが

自由が丘にある。

 

卓上のLEDの蛍光灯を買うためだ。

 

てごろな値段のがあったので、

「これください」って言ったら、

店員さん、「すこしおまちください」って、

なにやら、腰からリモコンのすこし大きいような器具をだして

ピッとかやりながら、「あ、これ在庫きらしてます」と

言った。

 

「じゃ、この色違いは?」

 

「は、すみません、これも切れてます」

 

「じゃ、これは」

 

「はい、すみません、ありません」

 

と、三色とも同型のLEDの蛍光灯はなかった。

 

「おい」

 

わたしは店員にむかってこう言った。

「なんで売れないもの店に並べてんだよ。

八百屋をみろよ、キュウリが置いてあって、

これくださいって言えば、売ってくれるよ。

売るから展示してるんだろよ。

ガキの使いできてるんじゃないから、

売れないものを展示するなよ」

と、すこし荒っぽく言ったら、

たぶん店員もそういうのには慣れっこなのだろう、

はい、はいって頭をさげるばかりである。

 

「ん。じゃ、こっちのはあるのかい」

と、定価3万円するほうを指呼して言った。

 

「は、はい、そちらはあります」

 

たしかに、その下にダンボールの箱がいくつか

置いてあり、在庫確認するまでもない。

 

「な。このまんま、これくださいってわけには

ゆかないよ」と、わたしは店員に言うと、

「しばらくお待ちください」と走るように

事務所のほうに戻っていった。

と、しばらくして、

「あの、これ5000円値引きさせてもらいます」

 

「あ、そう、じゃ、もらいます」

と、さっきまでの怒った大魔神のような顔が

いっきに、高田美和の涙で柔和にもどり、

そそくさと帰宅したものだ。

 

筋をとおしたのか、いやな客だったのか。

 

たぶん、いやな客なんだろうな。

 

 

 

インターネット会社の「ハロネット」という

ところと契約している。

ずいぶん大きい会社になったそうだ。

 

で、電話をたまにかけて

質問したり、お願いしたりしているわけだが、

交換の女性だろうか、ワンコールでかならず出てくれる。

 

社員教育がゆきとどいているのだろう。

 

しかし、担当の方をお願いすると、

きまって「どのようなご用件でしょうか」と

訊かれる。

 

さいしょのうちは、ていねいに「クーポンプラスの不具合で」

とか、もうしあげていたが、

毎回、毎回「どのようなご用件でしょうか」と訊かれると、

いささか、耳にたこ、いやになってきて、

それが耳障りになってきたのだ。

 

だから、このあいだも

「あなたにこの件をもうしあげて、

解決してくださるならもうしますが、

そうでないなら、わたしは、これをもういちど

担当者に話さなくてはならないわけで、

おなじことを二度言うくらいなら、

この電話をこのまま切らせていただきますが」

と、もうしあげた。ほんとよ。

 

と、「はい、それではお待ちください」と言って、

担当者につながったのだが、

なんだ、用件を言わなくてもつながるんじゃないか。

 

そもそも、インターネット関係の会社なんだから、

担当の方に、今飲んでいる薬の効能とか、

ヤクルトを今月から取っているが、その効果とか、

さいきん、めまいがひどくなっているが、

どうしたらいいか、とか、そんなこと

訊くわけないじゃないか、だろ。

 

それにしても、

これっていやな客なのだろう、たぶん。

 

 

つまりは、

筋をとおすやつと、

めんどくさいやつと、

それから

いやな顧客とは、

ほぼおんなじということだ。

 

住みにくいことこのうえもない。

似顔絵2017/6/28

 図工の成績はいつも5段階で「4」だった。

 すこぶる上質なわけでもないし、
かといって、ひどく下手くそでもない。
「4」というなんとも煮えくり返らない、
 中途半端な成績というのは、なんだか
人生をふり返ってみて
「じぶんそのもの」のような気もして、
あまりうれしいとはおもえない。

 いいなら、いい。だめならだめ、というのが
潔いではないか。
「そこそこね」というスタンスは、
簡単に言えば、かっこよくない。

 小学校のとき、画用紙いちめんに一色の色を塗って、
その塗られたところに、レンコンだとかピーマンだとか、
家から持ってきた野菜で判子のように模様をつくる
という授業があった。

 わたしは、紺色でべたべたと塗り、
乾くのをまった。が、絵の具を塗りたくったものだから、
けっきょく画用紙は、その時間内には、まったく乾かず、
べたーとおもい紙となったまま、
ただ、いちめん青色一色の作品だけが残ったのだ。

 下校のとき、わたしは、まだ乾かない
青色の紙と、朝、母に用意してもらった、
ビニールにはいったさまざまな半分に切った野菜を
手にぶらさげて帰っていったのだ。半べそかきながら。
 
 こういうのを文字どおり中途半端というのだ。
 
 ただ、むかしから似顔絵はよく描いていた。
美術の先生にみせたわけでもないから、
成績としていったいいくつつくのかわからないし、
はたしてどれだけのものか、
もちろん、似顔絵教室にいって学んだことなど
もうとうない。

 いちど、同僚の美術の先生の絵を描いて、
それをご本人見せたことがあったが、
そのときは「おれ、こんな顔してるんだな」と
ぼそりと言っていた。

 それは、わたしの絵をいちおうは、
認めているからなのだろうと
そのときはおもった。

 大学時代、半沢くんという、
ちょっと赤ら顔の、どちらかというと、
ホモサピンエスというより、
猿人にちかい男がいた。
猿人というのは失礼かもしれないから、
換言すれば、どこぞの山の上で木の実を
食べている動物に近似している男がいた。

 で、わたしはその半沢くんの顔を
小さな紙に描いて、みなに見せた。

 そうしたら、大うけ。

「あ、半沢だ」「これ、半沢くんじゃない」

 鉛筆でさっさと描いた後、わたしはほっぺたを
赤ボールペンですこし色をつけたものだから、
二色の半沢くんができあがったのである。

 と、性格の悪いやつがいて、
その絵をこともあろうに半沢に見せたのである。

で、半沢くん、言下にこう言ったそうだ。
「なんだサルじゃないか」


 わたしが結婚をするころは、
まだインターネットも普及していない時代だし、
写メなんて便利なものはなかった。

 カメラを写真機といっても
笑われない時代だった。

 わたしの両親が、これから結婚する女性の家に
あいさつに行くというので、
両親は羽田から、徳島空港にむかった。

 ところが、むこうのご両親を父母は知らないのだ。
そして、むこうのご両親の写真さえない。
徳島空港では、お二人でまっていてくれるというのだが、
なにしろ、顔がわからない。

 そこで、わたしは、父に一枚の似顔絵を描いて、
こんなひとがいるはずだからと、
義父になろうとしいている顔を
おもいだし、おもいだし描いた。

 もちろん、わたしの似顔絵の
所要時間は三分いないである。

 似顔絵は、三分いないにだいたい描ける。
ウルトラマンが戦っているあいだには、
終わっているのだ。

 で、父は、わたしの描いた紙、
一枚をにぎりしめ羽田を飛び立った。


 はたして、徳島空港に着き、
あたりを見回したそうだ。

「あ、いた」

専門家2017/6/27

 パートの奥さんと、
わたしははじめて、
お隣ではじまった、「ハーブストーリー」という
紅茶専門の店に寄ってみた。

「なんか、ケーキでも食べれば」

「うーん、いや、太るからいいです」

「そ。太るからいいです、と、太ってるからいいです、
とはちがうんだよ、ね」
と、わたしが言うと、

「あのね社長ね、
そういうこと言ってるから、みんなから、
総スカンくらうんですよ」
と言われる。


わたしは彼女から「社長」と呼ばれているが、
そんなにエラくはない。

彼女は、なんか、赤色の紅茶で、
すこし酸味のあるやつ、

わたしは、ダージリンをたのんだ。

店は、むかしは寿司屋さん、そのあと、
おにぎりやさん、そのあとを
改装して、瀟洒な喫茶店となった。

机の上にはローズマリーの束が置かれ、
ささやかなかおりを放っている。

机は、ローズウッドのようなしぶみ
のある木目。

オーナーは、じつは拙宅のお隣の住人なので、
よくぞんじあげている方である。


 トイレには、卵の殻でつくった芳香剤や、
綿棒や、とくべつな石鹸などが置かれており、
おしゃれ感満載である。

ただ、場所が裏通りのさびれた商店街なので、
それも「ふれあい通り」と言いながら、
ほとんどふれあっていない通りだから、
せっかくの、上質感も値下げ、という感じは
否めない。


 弁当も売っていた。850円という強気な値段設定。
駅前では、岸さんちが、これでもかと
ご飯を詰めて、これでもかとおかずを盛った
弁当が500円だから、勝負にはならないと
おもった。

じっさい、表通りではじまった弁当屋さんも、
500円で売りながら、夕方に20個くらい
いつも余っているのだから、弁当業界、
きびしいかぎりである。


「あの、お嬢さん」とわたしはレジの娘さんを呼んだ。

ここは一家で経営しているのだ。

「はい」

「このダージリン、ファーストフラッシュ。
それともセカンド?」
と、わたしはたずねた。

「は? ちょっと待ってください」
と、彼女は板場にいた父を呼んできた。


「えっと、なんです」


「はい、ダージリンです。
これ、ファーストフラッシュですか、
それともセカンドフラッシュですか」

「え、そういうのあるんですか、
教えてください」


「はい、ダージリンは二度摘みするはずですから、
年によって、ファーストのほうがいいか、
あるいはセカンドのほうがいいか、
変わるはずです」

「あ、そうなんですか、うちはキャメルから
取っているんですけれど」
と、銀色のパッケージをご主人は見回している。

「いや、どこにも書いていません」

「あ、そうですか」

「そのファーストとかセカンドは、
どの紅茶にもあるんですか」
と、ぎゃくにわたしに訊いてきた。

「いや、わたしはダージリンしか飲まないんで、
それいじょうのことはまったくしりません」
と、「ハーブストーリー」の主人が
素人のわたしに訊くのも、ずいぶんとへんな話と
おもったが、わたしは正直に答えた。


 やはり、専門家は知識がないと
まずいわな。

 そういえば、
今朝、米屋さんから米がとどいた。
まだ、袋が暖かいのである。

 いま、取引している米屋は、
朝、精米してくれるので香りのよい米が食べられる。


「へー、まだ暖かいね、精米したてなんですね」
と、わたしが言うと、
「いや。車でもってきたので、
その熱であたたかいんです」
と、すまなそうに店のひとは答えていた。


 専門家っぽいことを言ってしまって
バツが悪かった。

 あんまり知ったようなことを言うと、
あとで恥かくから、やめておこう。


それにしても、
おれ、総スカンくらっているのだろうか。

権威づけ2017/6/25

 政治にはあんまり関心がないけれども、

さいきんの政権幹部といったら、

権威的な物言いと言い逃れと

見苦しいったらありゃしないって

だれか言わないのだろうか。

 

 仲がいいならいいって言えば

いいじゃんってわけにもゆかないのだろうか。

 

 そもそも権威づけというものは、

下位のものが上位者を名指すところに

発生する。

 

 もっとも典型的なのがドラマの水戸黄門である。

 

ちなみに、「黄門」とは中国では中納言のこと。

 

水戸光圀は、権中納言だから「黄門様」と

よばれたわけだ。はい、脱線。

 

で、かならず、おわりの数分で、

「控え、控え、頭が高い、この方をどなたと

心得る」なんて、助さんだか角さんだかが

名乗りをあげる。

 

 予定調和の権化のようなドラマなのだが、

あれは、身分下の家来が、黄門様を名指すことに

よって、水戸光圀は権威づけられるのだ。

 

 たとえば、黄門様ご自身が

「わしをだれと心得る」なんていって

三つ葉葵の印籠だしたところで、

「なんだこの爺じぃ」って

ばさりと殺られるかもしれない。

 

むかし、こんな歌をつくった。

 

・  印籠をいつもだすのは角さんであの爺さんたら立ってるだけだ

 

これは、権威付けの社会の構造を

かるいタッチで描こうとした失敗作である。

 

 この歌を、石川幸雄という歌人は、

「あの爺さんたら立ってるだけだ」より前の部分は、

なんでも言えるじゃないかって発言してから、

飲み会はおおいに盛り上がり、

メンバーが、好き勝手に上の句をつくって

わたしの歌がめちゃくちゃにされた覚えがある。

 

 ちなみに、この作品は、互選で「0点」という

わたしにとって前代未聞の結果であった。

 

 

さて、 下位の者が、名指すことによって

そのひとが権威付けられるのは、

結婚式の仲人も、司会が紹介することによってである。

 

「○○会社の取締役としてご活躍で・・」

なんて言われるから、格があがるわけだ。

 

「わたしは、エライんだよ」ってあいさつを

はじめたら、なんだこのひとってことになる。

 

入学式も卒業式も副校長先生が校長先生を

アナウンスするから、校長先生らしく

あいさつができるというものだ。

どんなに話が下手であっても。

 

「わたしが校長でーす」とか

じぶんで言ったら元も子もない。

 

 

じぶんに格をつけるということでは、

とくに短歌の世界では、

こういう歌を作りました、とか、

こういうふうにかんがえています、とか、

そういうことはあまり関係ない。

 

 わたしはだれだれ先生と飲みました、とか、

なんとかさんに会いまして、と、

短歌の世界の有名人と知友である、というのが、

権威付けに有効である。

 

 だいたい大きな賞も、大きな結社の

持ち回りできまるわけだから、

ほんとうに歌のじょうずなひとが

有名になるとはかぎらない。

 

審査員がどこの結社にいるかで、

大きな賞の受賞者もきまってくる、というのが、

わたしの短歌界の理解である。

 

つまり、短歌の世界や俳句の世界は、

権威主義の頂点のようなものなのだ。

 

 政治の世界もきっとそうだろう。

 

 

あの政治家、よくやっているよね、

と、一般の人びとから名指されて、

株をあげられたらいいのに、

と、わたしはそうおもう。

パルナッスム山への階段2017/6/24

 詩の基本的な技術を

「グラドゥス・アド・パルナッスム」というらしい。

ラテン語で、パルナッスム山への階段

というのが原義で、しらべれば、音楽用語として

普及しているようである。

 

 が、詩にはそういう基本的なことが

教われるが、こと、短歌の世界は、なかなか

基本的な技術をおしえてもらえることがない。

 

 たしかに、三句切れの歌で、

結句を「て」でとめてはだめとかいうひともいる。

 

しかし、

 

・  歴史のなかにウイルス一つ終熄す瘡痕うつくしき腕に残して  石本隆一

 

なんていう名歌は、三句切れの「て」止めの歌である。

 

 オノマトペもあんまり使わないほうがいい、

というひともいる。しかし、

 

・  鶏ねむる村の東西南北にぼわーんぼわーんと桃の花見ゆ  小中英之

 

この「ぼわーん」なんて素敵じゃないか。

 

・  花もてる夏樹のうえをああ時がじーんじーんと過ぎてゆくなり  香川進

 

わたしの師匠の師匠の作品。

 

オノマトペのお手本として、あまりにも有名だから

ご存知のかたも多くいよう。

つまり、オノマトペは、うまく使えばものすごい

名歌の可能性を秘めてはいるが、

使い方をまちがうと、陳腐で駄作になるわけだ。

 

さて、上の句は失念したが、ある女性の短歌を

拝見してびっくりしたことがあつた。

 

その下の句はこうだった。

 

・  家族旅行たのしさ満喫

 

たしかに、字数的には「家族旅行」が字足らずではあるが、

もんだいはない。が、しかし、「たのしさ満喫」はあまりに

おそまつである。

で、わたしが、その方に

「この下の句はないほうがいいんじゃないですか」と

進言もうしあげたら

「だって、わたしはこれが

いちばん言いたいことなんですもの」と

反駁してきた。

 

そういうときは、暖簾に腕押し、

なにを言ってもだめなので、

「ああ、そうでした、そうでした」と

さっさと引き上げるのが

わたしの常套手段である。

 

短歌の「グラドゥス・アド・パルナッスム」があるなら、

まず、言いたいことは言わない、

ということだとおもう。

 

いかに詠むかではなく、いかに詠まないか、

これが短歌のもっとも根幹にあるのだと、

わたしはおもっている。

 

つまり、テーマのコアなところは、

読者にゆだねる、ということである。

 

プレゼントをあける楽しみを読者に委譲する、

ということでもおんなじことだ。

 

この中身はね、「○○が入っているのよ」って

手渡したら、あける楽しみがないじゃないか。

 

ま、短歌をしているひとは「アリエネ」な方が

多いから、なにを言っても言うことを聞かない、

というものなのだろう。

 

そこにゆくと、俳句の世界はなかなか

子弟関係がしっかりとしている。

 

松尾芭蕉のころは、俳句という語彙がなく、

句とか風雅とか俳諧なんて呼ばれていた。

 

ちなみに、俳句という語は正岡子規だから、

明治までまたねば俳句は存在しなかった。

 

 

・岩端やここにも月の客ひとり  去来

 

芭蕉の門人去来の作である。

 

「岩端」は「いわはな」と読む。この句を洒堂という、

やはり芭蕉の門人が手直しをする。

 

 

・岩端やここにも月の猿ひとり  洒堂

 

洒堂の手直しではじめてわかるのは、

この「月の客」とは猿だったのだ。

 

去来が、月をみながらそぞろ歩きをしていたら、

岩端に猿が月を見ていた、という光景だった。

 

そこを去来が「月の客ひとり」と詠んだわけだ。

 

 

で、この去来と洒堂のやりとりを、去来が、

師の芭蕉に問うてみたら、芭蕉先生、

「猿とはなにごとだ。お前はどういうつもりで

この句を詠んだのだ」とおっしゃる。

 

「はい、山路をふらふらと歩いておりましたら、

またひとりの騒客を見つけまして」と答える。

 

「騒客」とは、ここでは風流な人ではなく、

月を見ているかのような猿のことなのだが、

そこで芭蕉先生は、

「ここにもひとり月の客」と、じぶんもここにおりますよ、

という句にせよ、とひとこと。

「ただ自称の句とすべし」と教えるのだ。

 

・岩端やここにもひとり月の客 芭蕉

 

自称の句とは、一人称文芸のお家芸、

じぶんのことを題材に詠む、ということである。

 

つまり、岩端に猿がいようと、猫がいようと、

そんなことは無縁なのであり、

わたしも「月の客のひとり」にカウントしてくださいな、

という句にすることが肝心だということを

芭蕉は去来に教えたのである。

 

それを聞いて、去来すっかり感心して、

「自称の句として見れば、狂者のさまも浮かみて、

初めの句の趣向にまされること

十倍せり。まことに作者、その心を

知らざりけり」と述べるのである。

 

 

こういう真摯な気持ちこそ、パルナッスム山への階段とおなじく、

「風雅という山への階段」ということなのだろう。

 

 

「家族旅行たのしさ満喫」の婆さんも、

すこしはこういうのを見倣え。

 

 

 

 

じぶんとは何かを語るとき2017/6/20

 じぶんのことを語ろうとするとき、

じぶんを含んだ他所からじぶんを描かねばならない。

 じぶんを含んだ他所からの風景を、

ヘーゲルというひとは「自己意識」とよんだ。

 

 ただ、その「自己意識」を言語化するには、

その「自己意識」の領野から

またべつの次元に立ちのぼって

描かねばならないわけで、

それによって、じぶんは、

「自己意識」の地平から外に追い出され、

そこからの言語化となるので、

またひとつ高い次元からの描写になる。

つまりは、三重にじぶんを取り囲むことになる。

 

 

領域を超えることを「メタ」というが、

じぶんがじぶんを語るときは、メタにおけるメタが

じぶんを限定することになる。

 

 限定とは変形、デフォルマシオンである。

 

 変形、つまりデフォルマシオンのなかにしか

対象はあらわれない。

 

 なぜなら、言語化されたとき、

その対象を過不足なく言うことができないからである。

これを、ジャック・ラカンは

「根源的疎外」とよんだ。

 

 この言語の特質「根源的疎外」をデフォルマシオンと

かんがえてもおんなじことである。

 

 このへんの事情を、論理的に問うのが、

哲学なのだが、わたしは門外漢なので、

それいじょうは説明することはできない。

 

 で、こまったことは、実在のわたしと、

語られたわたしとは、おそらく別物のはずなのだ。

 

 それは、言語の根源的疎外という性質上、

しごく自明のことであるし、

さらに付け加えれば、

スピノザがいうのは、

「限定とは否定すること」であって、

否定とはある種の規定にほかならない。

 

 つまり、じぶんを語ろうとするときは、

メタにメタをくわえながら、舌足らずにしかならない、

ということなのだろう。

 

 換言すれば、変形に変形をくわえられたじぶんが、

紙面にあらわれている、ということなのだ。

 

 哲学では、語られたじぶんと語ったじぶんが

どのくらいの近似値なのか、

どれほど一致しているのか、不一致か、

それをシステマティックに

分析するらしいが、めんどくせぇな。

 

ところで、

わたしのもっともいやな部分のひとつが、

お愛想笑いである。

 

 いや、もうすこし厳密にいうと、

お愛想笑いをしたあとの真顔にもどる

その時間のじぶんがいやなのである。

 

 

 愛想笑いというのは、

他者、「すぐそばにいるあなた」にたいする

心遣いであるのだが、

そのひととの関係性がなくなって、

視線をそのひとからずらし、

平時にもどろうとするときの、

あのアルカイックなスマイルからグラデーションで

笑わないじぶんに、もどってゆくとき、

ああ、なんでおれは愛想笑いなどしたのだろう、

と、後悔の念にかられるのが常なのだ。

 

 

 笑わなくていいときに、むりに笑って、

映画の撮影みたいに「はい、アクション!」と、

いっしゅんにして平時のじぶんにもどったら、

それも不具合だし、だから、

ゆっくり、じっくり相好を崩した顔を

平常時に立て直してゆくわけだ。

 

 それは、他人の愛想笑いでも

おんなじで、ふだんにもどってゆく

その顔のゆるみが気になってしかたない。

 

 

「イケジョ通信」というネットにあがった

愛想笑いの心理というのを引用すると、

 

  1.  取りあえずその場を凌ぎたい
  2.  嫌われたくないと思っている
  3.  本音を悟られたくない
  4.  自分が注目されたいと思っている
  5.  最高の相手を見つけたいと思っている

 

の五項目らしいが、わたしの愛想笑いは、

おそらく、他人と同調するためなのではないか。

 

そして、愛想笑いと心からの微笑と、どうちがうのかと

言われれば、じつはそのカテゴリーは、

じぶんではわかってないかもしれない。

 つまりは、笑う顔からふつうの顔にもどるときの

嫌悪感だけがじぶんにはあって、

それが、なんの笑いだったか、事後的にも

よくわかっていない、ということなのかもしれない。

 

 

 で、それをメタによるメタで解析しても、

よく分からずじまいなのであって、

表記上の変形ではなく、顔の変形だけが、

たしかなわたしなのである。

 

 

 

 

すばらしき中国2017/6/15

 猛毒な「ヒアリ」が国内で

はじめて確認された。

神戸経由、尼崎に接岸された船の中である。

 

発見者は、おびただしい赤褐色のアリに

すこぶるおどろいたらしいが、

これに噛まれると命にかかわるということだ。

 

 体長は2センチから6センチというから、

そのへんにアスファルトで困惑している

蟻さんたちとかわらない。

 

 攻撃性がつよく、刺されると、

呼吸困難になり、ひどいときは、

「篠山紀信チョップ」ではなく

「アナフィラーキシーショック」で

絶命するという。

 

中国広州からの積荷に付着していたものと

おもわれるが、いま、このヒアリが

日本にはびこるのか、否か、わからずじまいである。

 

 そもそも、中国からは、

いろんなものをいただいている。

 

 はるかむかしは、金印の

「漢委奴国王」なんてもらっていたが、

いまじゃ、黄砂などいらないものを

よくいただいている。

 

そもそも、わが国日本というこの国名だって、

中国を基本としているわけで、

ほんらい、もっともすぐれた国は

漢字一字で名指された。

 

 唐、明、宋、漢、殷、周、秦

すべて中国は漢字一字で名指されたが、

その周辺国家は、

任那、百済、新羅、日本、ととにかく、

漢字二字でいかなくてはならなかった。

 

中国を中心としていたからである。

 

日本という国名は、中国より

はやく日が昇るという意味である。

 

どこの国よりも早く一日が始まる

という意味ではないのだ。

 

だから、肉まんのなかにダンボールをつめても、

腐った鶏肉をマクドナルドに売ろうとも、

犬を鍋にいれても、

脱線した新幹線の真似ごとの列車を

地中に埋めても、

進歩的な学生数万人で国を変えようなんて集会を

ことごとく戦車でひき殺しても、

やはり中国が中心でアジアは動いているのだ。

 

中国のすばらしいところは、

「天安門」とネットで入れた瞬間、

エラーになるという。

 

 国内統制がとれているという証拠である。

 

 言語的にも、外来語をそのまま輸入することは、

皆無である。すべて自国の言語に還元させなくては

ならなかった。

 

 コンピュータは「電脳」、プライマリーケアは

「全科医療」、ファジー工学は「模糊工学」と、

すべて漢字に変換される。

 

 自国の言語にない語彙があってはならないのだ。

それは、自国のローカリティと言語の不完全さを

露呈するものとおもっているからにちがいない。

 

 そういう矜持が中国にはある。

 

 しかし、あそこの国のわが国と

まったくちがった国民性であるひとつの現象は、

列に並べないというところである。

 

 日本人はならぶのが平気な国民だ。

行列、あれは、日本文化の権化のようにおもわれるが、

こと中国は、駅のプラットホームにせよ、

切符を買うところにせよ、開いた入り口に

われ先にと手を伸ばしたり、身体を押し込めたりと、

そうするらしい。

 

 並べないのである。

 

そのくせ、古代中国語など、時制どおりにしか

語れないものだから、寝ながら本を読む、

などの同時進行の文構造を語るときには、

わざわざ動詞と動詞のあいだに「而」を

配置しなくてはならなかった。

 

ちなみに「而」を「置き字」と教えている

教師は素人である。

 

列にならべないくせに、言語だけは

ちゃんと時制どおりに並んでいるという

ちょっと不可思議な国ではないか。

 

そういえば、

中国のまんなかへんにある沼地、

あそこがインフルエンザの発祥の地である。

 

あそこで発生したインフルエンザの

ウィルスが水鳥にうつり、それが家畜に、

そしてヒトにうつるらしい。

 

その菌が、ジェット機で成田にはこばれ、

成田で、クスンってやっているヒトにすでに

うつされ、国内中に蔓延するという図式らしい。

 

つまり、インフルエンザウィルスは、

飛行機に乗ってやってくるのである。

 

 ということは、中国のその沼地を

ナパーム弾がなにかで破壊してしまえば、

ひょっとするとインフルエンザは

絶滅するのかもしれない。

 

 と、危険な発想は、北朝鮮にまかせておこう。

 

母親が日本人といううわさの三代目が

なんとかしてくれないだろうか。

 

 ミサイルは、日本海でなく、

その沼地に落としてもらいたい。

 

 川柳にこんなのがある。

 

・  飛んでくる車、ミサイル、安部のヤジ

 

 

お見事。

 

 

 そういえば、中国からいただくものといえば、

PM25も飛んでくるそうだ。

 

 むこうのお国では、

散歩している犬が見えないくらいだから、

よほどの公害なのだろう。

 

 現地のひとがこう言っていたそうだ。

「はやく、このスモッグが日本にいってほしい」

と。

 

 

 

 

当為の文体2017/6/15

 とんかつソースという

ネーミングがあるから、

とんかつにはとんかつソースと

おもっている人が多いのではないか。

 

じっさい「辞書は三省堂」とかいうから、

三省堂の辞書がベストとおもっている人もいるはずだ。

 

三省堂の新明解国語辞典など、

くせの強いとんでもない辞書なのに。

 

むかしは、三時のおやつは文明堂とか

あったが、さすがに、三時のおやつには

文明堂のカステラを食べた記憶がない。

 

どうでもいいが、いま「記憶にありません」ではなく、

「確認できません」が、国会の常套句になっている。

 

 

さて、とんかつソースの話にもどすが、

なぜ、とんかつソースなのか。

 

とんかつを揚げる油が多少わるくとも、

あの、どろどろをかけると、その悪さが

希釈されるのだ。

 

 

悪い油であげたとんかつを、

たとえば、

醤油をつけて食べたら、その悪さが

ひとしお感じられるものである。

 

とんかつには、おろしポン酢もよろしいし、

わたしは、塩をすこしつけて食べることにしている。

 

 

けして、ソースがあうとはおもわない。

 

もちろん、これは「好み」のもんだいであり、

こうしなくてはならないというものではない。

 

こうしなくてはならない、という文脈を

「当為」というが、わたしの話には、

当為のコンテクストはない。

 

たとえば、カレーライスをスプーンでは

食べないことにしている。

 

 レストランに行って、

ランチのライスをスプーンで食するひとを

みたことがない。それと同じく、カレーライスも、

フォークで食するのが、上質におもえる。

 

 人生の先輩、野田さんは、

「うるせぇな。ひとがどう食おうとも

かってじゃないか」と、口をとがられて言っていたが、

これは当為の文体ではないので、野田さんが

どういう姿勢で食べてもわたしには無縁である。

 

 が、いちど、「おれはよ、このてんぷらは、

塩で食えとか、これは、たれで食えとか、

店のやつがいうだろ、あんなこと、言うこと聞いたこと

ねぇよ」と野田さんが言っていたから、

「ふーん、店の言いなりにならないの?」と

わたしが訊きかえすと、「おーよ、聞かないね」

と言うんで「じゃ、こんどうちの店に来たとき、

『この料理は箸で食べください』って言うから、

そうしたら、野田さん手づかみでたべなよね」と

言ってやったら、「なんだと」と、すこし

ご立腹のご様子だった。

 

 人生の先輩なのだが、いつもこんな風である。

 

さて、とんかつには、とんかつソースは

NGという結末で、おつぎは、鍋である。

 

なぜ、ポン酢で食べるのだろう。

 

鳥の水炊きなど、ポン酢以外、わたしは

みたことがない。

 

むかしから、鍋にはポン酢、あるいは

カボスとかスダチとかに醤油、

そんなものしか経験がない。

 

すべて、鍋の味がポン酢っぽくなるじゃないか。

わたしは、どうしても納得がゆかず、

もし、鍋をやるときは、塩と胡椒で

食べている。鍋にしみでる汁の味と、

塩と胡椒がびみょうにあいまって、

ほんとうの味がかもされるようにおもうのだ。

 

これも当為の文体ではないので、

個人的な見解。

 

 

で、いま、いちばん困っているのは、

お好み焼きである。あれは、ソースでもうまい。

 

しかし、ソースいがいにはなものかと、

バルサミコやマヨネーズや、いろいろ

試すのだが、おたふくのソースが

いいようにおもう。

 

ソースというスパイスは、

ほんとうはなくてもいいような気がするが、

粉系には、なんとなくソース、

そうおもってしまう、じぶんがまだ甘い。

 

日曜日の夜は、常連さんがお酒にあつまる。

 

そのたび、わたしは、なにか特別メニューを

作るのだが、その日は、ハンバーグにした。

 

業者に頼んで、二度挽きにしてもらった

ひき肉をぽんぽん叩いて焼く。

 

ソースは、醤油とバターとレモンにしたかったが、

店もすこし忙しかったので、

デミグラソースにした。

 

と、常連のOさんが、

「マスター、ご飯ないの」

と訊いてきた。

 

あいにく、その日は、ライス完売、

 

「ごめん、ない」

 

「なんだよ、ハンバーグには白米だよな」

 

めったに白米など召し上がらないOさん

なのだが、ハンバーグには白米らしい。

 

これは、きっとOさんにとっては、

当為の文体なのだろう。

 

 

 

 

欠 陥2017/6/13

店に軽い声の電話がきた。

「わたくし、〇〇会社の〇〇ともうします」
と、この会社名も、人名もわすれた。

「はい、わたくしは、ホームページを
お持ちの店舗さんの集客についての
はい、お手伝いをしている会社でして。
オーナーさんはいらっしゃいますか」

「あ、わたしですが」

「はい、さようですか。いまお時間よろしいですか」

「はい、すこしなら」

「はい、お店にたくさんのお客様が
来てくださることはよろしいですよね」

「ん、まあ、そうですね」

「それで、そのご説明にあがりたいとおもうんですが、
はい、すこしお時間とれる日、ございませんか」

「あの」

「はい、なんでしょうか」

「それってお金かかることですよね」

「はい、かかるのと無料のとございまして、はい、
そのご説明にもあがりたいのですが」

「えーとね、あなたたからは、たぶん、わたし
どんな、いい条件のものでも、うんと言わないとおもいますよ」

「そーですか。お客さんが来てくれて
迷惑ってことあるんですか」

「いえ、そういうことを言っているのではなく、
あなたの話し方には決定的な欠陥があるんです。
だから、どれだけご説明いただいても
あなたの提案には、乗れません」


「はい、そうですか。ところで、
わたしのどこがいけなかったのでしょうか」

「そんなこと言えないよ。
もし、教えて欲しかったら金をもって
わたしのところに来なさいよ」

と言うところの「もし・・」あたりで、
その若者は、「そうですか、失礼します」と言って、
さっさと電話を切ってしまったのだ。


決定的な欠陥を教えてあげようとしたのに。

失礼なのだろうか2017/6/10

同窓会の役員になったのは、

いまから10年前である。

 

まだ、岸田会長のときで、わたしは、

その次の年の会長候補として会議に出席していた。

 

 

 

5年にいっぺんの総会があって、

そのあとの懇親会は、日本酒はどうするか、

とか、お菓子は風月堂がいいか、とか、

とにかく、わたしにはどうでもいいことが、

エンエンつづいたのである。

 

 

 

それで、毎月、一回、二時間くらいを費やして、

その会議はくりかえされた。

 

 

 

つまり、どうでもいい時間を、

当時の役員さんと共有したわけである。

 

そして、新参者として、わたしは、

ただだまって、事の成り行きを傍観するだけ、

という、すこぶる退屈な時間をあじわっていた。

 

 

 

何回目の会議だったろうか、

その当時の、会計さんと書記さんが、

「わたしたちは、ことしで辞めさせてもらいます」

と、強い口調でおふたりが言い出した。

 

 

 

岸田会長は、「そうですか、もうすこしお手伝いいただけませんか」

と、柔和な口調で、やや首をかしげながらお話しになったのだが、

 

「いえ、とうてい無理です。辞めさせてもらいます。

この仕事はだれだってできますから」

 

 

「そうですか、辞めるんですか」

 

 

「はい、辞めます、だれでもできる仕事ですから」

と、会計さんと書記さんは口をそろえて、

なんども「だれでもできる仕事」を繰り返した。

 

 

ずっと、だんまりを決めていたわたしなのだが、

この「だれでもできる」にはどうしても一言、

もうしあげたくなったのだ。

 

わたしは、重い口を開いて、こうもうしあげた。

 

「だれでもできるなら、みなさんでもできるんじゃないですか」

と。

 

 

と、このお二人は、すこし黙ってから

「まぁ、失礼なことをおっしゃるのね」

と、ご立腹のご様子だった。

 

 わたしの一言が、いけなかったのだろうか。

 

 

 

 

こういうふうに、わたしは、その場で、

言ってはいけないのか、あるいは、ふさわしくないのか、

そういう失言めいたことが多々ある。

 

 

 

PTAの会長をしていたころ、毎月、運営委員会というのがあって、

わたしはほとんど出席していた。

 

 

小学校では、アルミ缶を回収して、それで多少なりとも、

PTAの財政を賄おうとしていたときである。

 

 

ある役員さんが、学校の校門にビールの空き缶が

たくさんあるのは、教育上よろしくないのではないか、

と言い出した。

 

 

 

でも、アルミ缶とといえば、ほとんどビールや発泡酒である。

それをNGにしたら、アルミ缶などほとんど集まらない。

 

 

 

 

じっさい、数年かけて、アルミ缶だけで7万円を

集めた実績があるから、おいそれとやめるわけにも

ゆかないのである。

 

 

で、わたしは、会長の席から20人くらいの出席者にむかって、

こうもうしあげた。

 

 

 

「ビールの空き缶があるってことは、お母さんもお父さんも、

家で飲んでいるという証拠であって、いちばん困るのは、

外で飲んで帰ってこないお母さんじゃないんですか」

と。

 

 

そのとき、となりにすわっていた中村副校長先生から、

「会長、まあ、まあ」と手で制されたものだ。

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

カーサ大岡山というマンションの一階の店舗を

貸しているのだが、下水のことで管理会社ともめたときだ。

 

電話で、管理会社の担当の女性と電話することがあった。

 

 

なにを話したか失念しているが、

とにかく、その女性は悪評高いお人柄で、

そのときも、カチンとくるなにかを言ってきたので、

「ちょっとまってください、あなたが言ったことを

メモりますから、ね。言質とっておきますよ」と、

わたしが言ったら、その女性は、電話のむこうで、

「はい、わたしもこれを録音していますから」と、

売り言葉に買い言葉、そういいかえしてきた。

 

 

で、「じゃ、もう仕事がありますから、

あとで電話ください。わたしの携帯は、

090-36・・・・・」と、ものすごい早口で行ったら、

その女性は、すこし笑いながら「あのね、わたしは

いま外にいるんですよ。そんなに早く言ったら、

わからないじゃないですか」と言う。

 

「ふーん、録音しているんだから、あとで聞き返せば

いいじゃないですか」とわたしが言ったら、

「あなたって失礼なかたですね」と返してきた。

 

 

 

どこが失礼なんだよ。

 

 

最会2017/6/7

小学校の六年間に

なんにんも転校生がきたり、

引越しでいなくなったり、

移動がさかんで、

わたしの通っている学校が

まだ全学年二クラスずつあったころである。

 

たしか、五年生の二学期になったとき、

彼女は転校してきた。

 

鈴木しのぶ(仮名)さん。

 

スレンダーでやけに頭でっかちで、

宮崎駿の女の子のようなショートカットで、

目がすこし離れていて鼻は低く、

口元はまっすぐ横にひろがって、

美人、というタイプとはすこしちがい、

利発という感じの子であった。

 

いつも灰色のハイソックスを履いている

そんなイメージだ。

 

なにしろ、五十年まではいかないが、

そのくらい前の記憶をたどっているから、

ほとんどバイアスでできあがった

鈴木しのぶさんである。

 

わたしは、彼女には、なんのおもいもなく、

いつも、砧クリーニングのサチコの

背中にロケット蝶をいれたりと、

そんないじめをしながら生活していた。

 

さて、最高学年の半年が

すぎたころのバス遠足のときである。

 

帰りのバスで、バスガイドさんのマイクをまわしながら、

わたしどもは、

アカペラで歌いあっていたのだが、

そのマイクが、しのぶさんにまわったとき、

わたしは、はじめて人が恋するとはこういうことか、

といういっしゅんを味わったのだ。

 

彼女は「ドナドナ」を歌い始めた。

 

♪ある晴れた 昼下がり・・

 

 

あまりの美声と歌のうまさにわたしは震えた。

頭の芯の部分からなにかが沸きあがってきて、

脳がいっしゅんにして浄化されたような気がしたのだ。

歌がひとの心を揺らすという経験は、

あれから半世紀、まだない。

 

そのときから、わたしは

鈴木しのぶさんのことをおもうようになった。

 

それまでは、ただの放送部に入部した

転校生だったのだが。

 

卒業集会で、鈴木しのぶさんは、

ピンキーとキラーズの「忘れられないわ~」

という歌を、その他の女子をひきつれ歌った。

そのとりまきはだれか、覚えていない。

 

彼女の歌声を聴いたのは

人生で二回きりである

 

しかし、十二歳という年齢は、

それいじょうのことはできずに、

なにも言えずに、なにもせずに、

わたしたちは卒業した。

 

 

つまり、こういう状況をむつかしくいうと、

「片思い」という。

 

もちろん、鈴木しのぶは

わたしのことなど眼中にもなかったはずだ。

 

そして、わたしは父親の転勤にともない、

小田原にゆくことになる。

 

その中学校は、男子生徒がすべて

坊主刈りという、

マキャベリズムの権化のような校則に遵法し、

まだ柔らかだったわたしの細い黒髪を

バリカンですべて削り落とした。

いわゆる五分刈りというやつだ。

 

 

そして、中学になってすぐ

小学校のクラスの同窓会があった。

 

みな、それぞれちがう中学に入学したから、

もういちど会おうという趣旨だったとおもう。

 

わたしは、小田原から電車でひとり、

大岡山にむかった。

 

そして、三階のもと六年一組の教室にはいると、

ミズもデカパンも砧クリーニングのサチコもいた。

と、ひとつ机のむこうに、鈴木しのぶはいた。

 

わたしと目が合うや、彼女は指をさして

笑い出したのだ。横にひらくおおきな口を

おしげもなく開いて。

 

坊主刈りがおもしろかったのだろう。

 

わたしは、つまり「さらしもの」になったのだ。

そして、同窓会では、彼女とは、

なにひとつしゃべらずわたしは小田原にもどった。

 

彼女とはそれきりあっていない。

 

いちど、電話で声を聞いたことがあったから、

声の調子はしっている。

 

いま、彼女は大きな病院の小児科医として

活躍している。お子達もなんにんかいるらしい。

そして、電話で聞いたところでは、

コーラス部にはいっているそうだ。

 

 

さて、その鈴木しのぶ先生であるが、

来週の水曜日にひょんなことから

会えることになった。

 

彼女の親友のミエコさんが鎌倉で会うそうなので、

そこに一時間程度、参加できるらしい。

 

半世紀ぶりの再会である。

 

わたしには、楽しみな時間であるが

しのぶさんには、なんの感慨もないかもしれない。

 

小学校の同級生、というカテゴリーだろうから。

 

ただ、すこし不安なのは、

わたしの黒髪は、すでに灰色に変色し、

そのほとんどは、この世に存在しない。

簡単にいえば、「は」からはじまる二字でも

いえるのだが、じぶんからは宣言しないつもりだ。

 

ようするに、中学一年のときのあの最後の出会いと、

いまと、髪型はそんなにかわっていない、

ということなのである。

 

また、しのぶさんは、わたしを見て、

指をさして大笑いするのだろうか。

 

 

源氏物語はつらいよ2017/6/6

 『源氏物語』の冷泉帝は、桐壺帝の第十皇子である。

母は、藤壺の女御。

だが、みなさんご承知のように、
ほんとうは、桐壺帝の子ではなく、
桐壺帝第二皇子、光源氏との子である。

つまり、義理の母親と息子のあいだに産まれたのが、

冷泉帝なのである。


藤壺の女御と光源氏は、二歳しか歳がはなれていないから、
カップルとしては、むしろこちらのほうが妥当だったかもれしない。


光源氏の青海波(せいがいは)の舞いをみて、
藤壺の女御は心ゆれる。


ふたりの仲が親密になり、懐妊する藤壺の女御に
はたして、桐壺帝は、その秘密をしっていたのか、
しらないのか、
その事情を『源氏物語』は書かないままであった。


『源氏物語』には大きく、三回の不倫劇がおさまっている。

さいしょの「ものがたり」が光源氏と藤壺。

つぎが、女三宮と柏木。

そして、宇治十条における、浮舟をめぐる、
薫大将と匂宮とのものがたり。


女三宮と柏木の子が、薫だから、
こういう負のスパイラルはエンエンつづくのだろうか。



冷泉帝も、出生の秘密をしらなければ、
平和だったろうに、横川の僧都がこっそり、
冷泉帝に、教えてしまうのである。

「あなたのお父さんは源氏さんですよ」と。


この横川の僧都はおしゃべりで、
宇治川に身投げした浮舟が、
尼寺で出家していることを薫に
伝えたりもしている。


ひとを呪わば穴二つ。


前川前事務次官は、
いま、羞恥刑を政府から受けている。

なにも、言われたくない個人の情報が
あからさまになっている。

政府のリークをしたなら、それなりの覚悟が
必要なのである。


やはり、穴はじぶんを落とし込めるひとつを
用意しなければ、ひとを呪えないわけだ。


しかし、横川の僧都は、
なぜゆえに、出生の秘密や浮舟のいまを
リークしたのだろう。


それは、じぶんには無縁の情報だったからである。

じぶんが、その事情にひとつでもかかわっていれば、
それを口外することはなかったはずだ。

ひとの秘密をにぎってしまったものは、
そのひととなんらかの関係性が
担保されなければ、その秘密は
あっというまに秘密ではなくなる、ということである。


おそらく、前川さんも、
正義感からなのか、政府からなんらかの
攻撃を受けたか、それははかりしれないけれど、
まったく関係性を失ったあとの
決心だったのではないかと推察するものである。


冷泉帝は、天皇の地位にありながら、
その補佐役としてそばにいる
光源氏を「お父さん」と呼べずに
懊悩する。


そして溢れる涙を父、源氏のまえにみせる。

ところが、源氏はそれを亡くなった
藤壺の女御への哀悼だと勘違いするの
が『源氏物語』のくだりである。


子は、出生の秘密や母親の密通をしりながら、
それを口にだすことはできずに
心をずたずたにしながらこらえているのだが、
それをまったく理解していない親というものが、
どこの世界にもあるものである。

返金する2017/5/31

 私立高校に通っている生徒さん、男子と女子だが、
「せんせい、古典がわからないんですけれど」と、
わたしに訊いてきた。

そのふたりは、わたしの現代文の授業を
取っているものの、古文は受講していない。

「漢文はもっとわからないです」

と、口をそろえて言う。

「学校の授業ってさ、文法をおぼえて、
品詞分解とかして、全訳しているの?」
と、わたしが訊くと、

「ま、そんなとこです」と男子が答えた。

「ああ、それじゃ、じぶんでは解けないな」

「え、どうすればいいんですか」

「まあ、そうね、授業取るしかないかな」

「せんせいのですか}


「うーん。そうなるな」

と、ふたりは苦笑いなのか、
すこし困った表情をみせた。


おそらく、授業料の問題なのだとおもった。

受験には、とうぜんながら、金銭がからむ。


いつまでもあるとおもうな親の金。


ちなみに、親としてけっして
言ってはいけないことは、ふたつある。

「お前には金がかかっている。と、友だちがわるい」
である。

口幅ったいことだが、わたしは、
この二点を三人の子どもに言ったことはない。

もうひとつ付け加えれば
「勉強しろ」も言ったことがない。


これは、わたしの矜持するところのものである。


「あのね、いま東大に受かるのも、
そのひとの実力というより、親の年収にかかっている、
そういってもいい時代なんだよね。
これ、言いにくいことなんだけれども、
ほとんど事実にちかいことなんだな」


「ああ、そうなんですか」
と、おんなじ高校に通っている
男女はさっきとおんなじような表情で聞いている。


そもそも、学校の授業というのは、
目の前にある教科書の内容を伝え、
それを定期的に試験をし、
できれば、試験は、
平均点が60点前後になるように作成し、
あとから、成績という数字に還元させればいい
場である。

授業は、
教科書で教えるのではなく、教科書を教えている
現場なのだ。


だから、生徒は、試験がおわれば、
その情報はさっさとデリートし、
一夜漬けのエネルギーをゲームにむけたりする。

なにひとつ身についてない、という生徒もいるだろう。

たとえば、
「而」を「置き字」と教えて、平気でいる教師がいるかぎり、
漢文の受験は失敗するだろう。


つまり、いまの世の中は、
学校の勉強だけでは、受験に成功しないのだ。


構造的に、
だれか、受験の専門家に一年くっついて
そのノウハウを学ばなければ受からないしくみに
なっているのである。


受験生、ひとりでは無理なのだ。

このしくみは、産業構造改革をしないかぎり、
エンエン続くようにおもわれる。


東大に受かるのは、
実力より、親の年収、という図式は、
もうすでにはじまっているのである。



うちの街は、優秀な学生をかかえる街である。

東大のつぎにむつかしいといわれる、
東京工業大学が駅のむこうに、でーんと
構えている。


ほとんどの学生が良家の子女である。

なぜなら、親がいいからである、たぶん。


きのう、はじめてうちに来店してきた
学生さん、ふたりが席についた。
おそらく東工大生なのだろう。


「麺なんかは、ふつうでいいです」
と、ひとりの学生がいった。


ふつうでいいです、という言いかたを
わたしはされたことがないので、おそらく、
これは、「家系」の頼み方の影響かとおもわれた。

固め、油多め、濃いめ、とか、いちいち
注文をとるのが「家系」のやり方である。


ふたりは、ラーメンの並盛りと普通盛りの
食券を購入してすわっている。


と、いちばん隅で昼から
ビールとウィスキーをちびちび飲んでいる、
常連のOさんが

「学生ってうるさいねぇ」と大きな声で話された。

店内は、Oさんと、その学生さんふたりと、
あと、ひとりと、がらんとした雰囲気だった。


「四人でよくしゃべるよなぁ。女みたいに」
と、Oさんが言うので、わたしも相槌をうちながら、
麺を茹でている。


「なにか、話したいことがあるんでしょう。
四人で来られると、並ばないと座ってくれないです。
ひとりだけ、べつの席ってわけにいかないのね」
と、わたしが言うと、

「ひとりじゃ、なにもできないんだよ」
と、Oさんが言った。


「ま、そうなんですかね」と、わたしが言うと、
いま、来たふたりは、カウンターから身を乗り出して、
「すみません。金かえしてもらえますか」

「はい?」

「あのお客さん、むかつくんで帰ります」
と、わたしに言った。


「あ、そーですか」
と、わたしは言った。いやな予感が的中した。

わたしは、かれらに返金すると、
学生さんたちはそのまま店をあとにした。


筋をとおせば、
食券を買い、店は料理をつくりはじめたときから、
資本主義的な契約は成立しているので、
そのあと、店の不手際がないかぎり、
返金する必要はない。

ほかのお客さんがいやだから、
金返せというのは、店にとっては失礼であり、
法律的にも遵守しているとはおもえない。


タクシーに乗って、おまえの運転がいやだから、
ここで降りるから、金は払わない、
と、そんなに変わらないような気がする。

が、わたしも、Oさんに同調したかもしれないので、
ここは穏便にことをすませたのである。


しかし、大人の言うことに、即座に反応して、
返金をもとめ、店をでる。


気概にあふれたなかなかの青年じゃないか。

むかついたら、じぶんの意思をとおす。

それは、それで立派である、とわたしはおもう。

そして、ふたりでさっさと店をでる。

でも、ひとりだったら、かれらは返金をもとめて
店を出ただろうか。


「ひとりではなにもできない」
いまもOさんの言ったことばが頭をはなれない。

毎日がおんなじ2017/5/30

 日記といっても、日々、なにか非日常的な
できごとがあるわけではない。

 新聞をみれば、一面からさいごまで、
非日常性が語られているわけだが、
一個人で、あんなに事件性があるわけでもない。

 毎日、おんなじことをやり、おんなじように寝て、
また、おきる。目があいたことだけでも、
幸運とおもわなければならない。


 日々、ニーチェの言説のように永劫回帰されながら、
そして、キルケゴールの言う死にむかってゆく、
そんな日常なのであろう。

(ちなみに、ニーチェの永劫回帰はそんな
生易しいものではない、念のため)



 火曜日は、毎週、岸さんにスーパーに
連れていってもらう日である。

 岸さんは、駅向こうで、景気よくラーメン屋や、
カラオケ屋やライブハウスを経営する、
やり手である。

「きのう飲み過ぎちまってよ」

「どごで?」

「新大久保」

「あ、じゃ、韓国料理」

「ちがうんだよ、ネパール料理よ。
いま、新大久保は、ネパール料理はやってんだ。
うちにいたわかい板前が、外人だぜ、
それが経営している店があるから、
行ったんだ、岸さん、来てくれっていうから。
で、うまいんだな、じぶんで小籠包つつんだりして。
むつかしいんだ、あれ。で、家賃はって訊いたら、
100万円だと。あんたも、そのくらいの商売しないとな。
どこの馬の骨かわからん奴が、100万円払って、
もう5件目を出してるんだぜ」

この「あんたもそのくらいの・・・」あたりから、
「お前には、とうていできないことだよ」
という含みがあることを、感じながら、
ふん、ふん、わたしは聞いている。


なぜなら車に乗せてもらっているという
弱みがあるからだ。


「消費税もあと一日だろ、銀行から借りたよ」

「明日、31日だからね。
しかし、消費税なんとかしてもらいたな。
あれで店がキュウキュウになってね。
ほんらいは、内税でもらっているはずだけれど、
持ち出しだよな」

「そーよ。300万くらい払うぜ、うちは」

「あれ、ヤクザのピンハネとそうかわらないよね」

「そうよ、いつも言ってんじゃん」

と、岸さんが言うのを聞きながら、
わたしは、
「おれは、先週、払っちゃったんだな」と
言いたかったが、
きっと、ムカつくとおもうから黙っていた。

わたしにも、黙るときはあるのである。


業務専用のスーパーに横づけにして、
わたしどもは、店内に。


と、レジの笹谷さんが、
「暑いわね、きょうは、30℃になるんですってね」
と、お客と会話していた。


「ネギある」
と、わたしは、野菜の大田さんに訊いた。

「あるけど、高いよ。中国のは」

「中国ね、ま、見るだけね」

と、大田さんは若い社員に、
国産のと中国産のとを持って来させた。


わたしは、ネギのしろいところを

さすったり、見たりして、やはり国産を買うことにした。


と、横から、白衣にヘルメットの爺さんが、
「あ、これ中国産、いくら」
と、やってきた。

旗の台でうなぎ屋をやってる爺さんだ。

「そ、じゃ、これもらっていくわ」と
うなぎ屋は、4キロの段ボールを抱えて店内を
歩いてゆく。

それをみた岸さん、
「おい、高級うなぎ屋が中国産かよ」
と、笑っている。


岸さんと、白衣の爺さんは十年来の知人なのだ。


「おれ、そのケースは300円だぞ」

「おい、よしてくれよ。ほかでも800円くらいだぞ」

「おれは、市場でぜんぶひきとるからな」

「あ、それじゃ、そんなもんか」
と、うなぎ屋は歯の欠けた口を大きくあけて
笑っていた。


買い物は、さっさとおわり、わたしはレジに向かう。

笹谷さんのレジに着く。

「あら、暑いわね、今日は30℃になるんですって」

倒語2017/5/27

 冨士谷御杖という学者がいた。
いまでいうところの国学者である。

「ふじたにみつえ」と読む。
ちょうど本居宣長の時代のひとである。

古典研究、つまり国学は、賀茂真淵とか、
本居宣長が主流であって、御杖は支流であった。

だから、ほとんど御杖の存在をしるものは、
いまの世の中ではいないだろう。

 御杖の名が、人口にカイシャしなかった理由のひとつが、
師をもたなかったこと。

唯一の師は父親の、
冨士谷成章(なりあきら)だった。

師をもたない、ということは、
流通している専門用語をつかわない、
ということである。
 
 だから、かれのテクニカルタームは、
一般的ではなかったし、かれしか理解できないことも
あったはずなのだ。


「名」「挿頭(かざし)」「装(よそひ)」「脚結(あゆひ)」

これは、父の成章の造語だが、
それを踏襲して御杖は語を分類していった。

だから、一般人はわかりっこない。


ただ、このなかに、あらたなる概念やら
思想が織り込まれている可能性もあるのだ。


かれは、既存の言語にあらたなる意味を
くわえ、その比喩性を活かしながら、
自説を構築していったのである。


とくに、「倒語」という概念は、かれ独自のものだった。

「倒語」といえば、逆さ言葉である。

芸能界でよく使われている業界用語にちかい。

「飯」を「シーメ」と言ったり、「寝る」を「ルーネー」とか、
そういうたぐいである。


「ギロッポン」とか「ナオン」、「ワイハー」なんてのも、
そのカテゴリーである。

ひどいのは、「おい、スーシー食いに行こうぜ」
とか言いだすやつもいて、
「スーシー」って「鮨」だから、そのまんまじゃないか。


しかし、御杖のいう「倒語」は、そういうものではない。

かれは「直語」と対立する概念を「倒語」と規定した。

「直語」とは、おもったままをダイレクトに表現することをいう。

うれしいなら、うれしいという。
つらいなら、つらい。

これが直語である。

「倒語はいふといはざるとの間のもの」と御杖はいう。
(「言霊弁」より)

言うと言わないとの間とは、
つまり、言いたいことを直接に言わずに、
言外に述べるということである。

この発想というのは、
短歌をつくるときの心構えに通ずる。


うれしい、とか、たのしいとか、
哀しいなどをすぐ詠んでしまうのを
「認識がはやすぎる」とか、たしなめられる。



わたしも弟子筋には、
言葉は贈り物だから、あける楽しみは
相手に与えること。
とか、いかに詠むかではなく、
いかに詠まないか、というふうに伝えているが、
御杖にいわせれば「倒語」で歌は語れ、ということになる。


「いはまほしき事を深く言に
つつしめる心のうちの苦しさを
神もあはれとおぼすぞかし」


「深く言につつしめる心」とは、
龍安寺方丈の庭に置かれた石の
地中深くにうもれた力量観を味わうごとく、
見えないもの、語らないものを
深くあじわうということにほかならない。


「出来事は言語化されたときに
その本質的な他者性をうしなって、
既知の無害で、なじみ深く、
馴致された経験に縮減される」と
語ったのはモーリス・ブランショであるが、
言語化されるとき、その言語は、
手垢のついた、だれかの語ったことばでしか、
ありえず、それは「他者性」を失うというこに
ほかならない。

プレゼントをもらって、
「ありがとう」という。

その「ありがとう」は、オリジナリティのない、
既知の無害で、なじみ深く、馴致された経験いがいの
なにものでもない。


プレゼントをもらって、「オッパピー」とか叫んでも、
相手にはその真意は伝わらないだろう。

やはり、だれかの語った言語で、
おんなじように言わねばならないのである。


しかし、表現者は、そんな言語であるが、
そこから個別性のある、つまり、他者性を担保するような
言い方を探し回らなければならないのである。


どうせ、言語など、過不足なく語ることはできないし、
語ったところで、だれかの言ったことばなのだから、
そこは、むしろ、言わないで言う、という
御杖の「倒語」を採用してはいかがなものだろうか。


白金三人ものがたり2017/5/26

「ミエルちゃんの彼、どこにすんでいるの?」

 

「浦安です」

 

「あ、浦安・・・あの土地悪いよ」

 

「え。そうですか、そうかな」

 

「うん、なんかね、沈んでいるっていうの。

むかし関わった人が住んでいてね」

 

 

「関わったひと?」

 

 

「あ、いいの、いいの。昔のことだし」

 

 

「昼何にするか」

 

 

「わたしなんでもいいけど、鰻以外」

と、ユキさんが口をはさんだ。

 

 

「そうだよな、食えないんだよな」

 

 

「それとピール」

 

 

「じゃ、鰻とピールを一緒に食べちゃうとどうなる?」

 

 

「救急車やね。点滴打ってもらわんと」

 

 

「ところでさ、『アナフィラキシィショック』って知ってる?」

 

と、ミエルちゃんはちょっと首を横にまげた。

 

 

「ほら、あるやん、ピーナッツとか蕎麦とか、

食べると湿疹ができたり、ひどいと死ぬよ」

と、ユキさん。

 

「アナフィラ・・・」

と、ミエルちゃんは覚えられない。

 

「だから、篠山紀信チョップって覚えればいいんだよ」

 

「えー、そっちのほうがわからんって」

と、ユキさん。

 

ミエルちゃんも笑っている。

 

「ところでさ、ミエルちゃんてネオテニィだよね、よくも悪くもさ」

 

「ネオテニィ?」

 

「幼いまんま大人になることらしいよ」

と、ユキさん。

 

「そうそう、幼形成熟。ま、にんげんはだれしも

ネオテニィの部分を持っているんだけれどね」

 

「ネオトニィ・・」

 

「違うよ、それじゃ『ネオ』と『ニィ』みたいでしょ。ネオテニィだよ」

 

「あ、わたし、以前、だれかからそんなこと言われたことあります。

えっと、あ、アンビバレンツ・・」

ミエルちゃんはぼそりと言った。

 

「それさ、全然違うから」

 

ユキさんも傍で笑いながら、

「それって、カタカナだけじゃん、共通しとるの」

 

「アンビバレンツってのは、

両面感情ってことで、

哀しくてうれしいみたいなの言うんだよ」

 

「あ、そうですか」

 

「で、ミエルちゃん、たまには『やすうら』に行くの?」

と、ユキさん。

 

「あのさ、やすうらじゃなくて浦安でしょ。

もう、方向感覚がないだけじゃないんだから」

そう、わたしは答えた。

 

 

「篠山紀信・・」

 

「それは、アナフィロキシィショックね」

 

「ネオト・・」

 

「それは、ネオテニィ」

 

ミエルちゃんは二つの外来語を覚え、

ユキさんは千葉の片田舎の地名をひとつ覚えて、

三人は、目黒でわかれた。

 

(2010.10.12)

カレーうどん2017/5/26

 どうしてもカレーうどんが食いたくなった。
夜はひとりで家にいる。

 どうしてもカレーうどんが食べたいのだ。

なにしろ、昼は妻と千倉まで行き、
いやってほど刺身を食べてきて、
腹はまだ七分目。

千倉に行く道中、
このあいだのハワイ旅行の話を妻はずっとした。


こっちでね2000円で売っているルージュがね、
8ドルなの。あと、マニキュア、こっちじゃ、
1000円もするのが、5ドルしないのよ。
ね、もったいないでしょ。

妻はえんえん、こっちとあっちの値段の
格差を得意げにしゃべり続けた。


あああ、そうね、
やっぱり買い物はハワイだよね。


わたしは、はんぶんあきれた口調で
そう言ったら、さすがに鈍感な妻も、

は、は、は

と、軽く笑った。


潮風王国の特別な海鮮丼は、
悪意が入り混じっているくらい刺身が
乗っている。

それを食べたものだから、
まだ、空腹ではないが、
なんとなく、
梅酒(沖縄の「瑞泉」、これがうまいんだ)を飲みながら
映画を見ていたら、やはりカレーうどんだった。


冷凍庫に、うどんがあったから、
それを煮て、めんつゆを垂らし味を調える。

そこに、レトルトパックのカレーを流し込み、
それに「とろみちゃん」でとろみをつければ、
「完璧」なカレーうどんの完成だ。


わたしは、うどんを煮ながら、
レトルトのカレーを鍋に流し込んだ。

と、どうだ。

レトルトのカレーは、ふつうのカレーではなく、
ホウレン草カレーだったのだ。
専門的には「サグ」という。

あ。

カレーうどんはカレーの美しいカレー色ではなく、
みどりのどろどろしたやつに変貌した。

なんか「へどろ」みたい。

うわ。

ま、このまま捨てるのもなんだから、
とろみちゃんでとろみをつけ、
どんぶりに移す。

そして、ひとくち。

うわ。


なんだこれ。

野原を食べているような味だ。

まずっ。

わたしは、なんだか
とても悲しくなって、
この韃靼海峡の草原を流しに捨てたのだ。


流しは、どろどろの液体で栓がつまり、
しばらく流れないまま、へどろは、そこに淀んでいた。

 

無二の友だち2017/5/24

わたしは友人が少ない。

母もそうだった。
遺伝だ。しかし、教え子はおおい。

ざっと数えて三万人ちかくいるんじゃないだろうか。
そのうちの数十人といまもつきあいはある。
深い子から浅い子まで。 でも、友人は少ない。


 そのなかでも、
わたしのこのうえもなくたいせつな音楽教師がいる。

 星野清。


 ♪象さん、象さん、お鼻が長いのよ
 そーよ、かあさんも長いのよ♪


 この歌は、どんなに醜くても、
わたしは「母さん」の子であるということを
認識する歌なんだそうだ。

これは、その「わが友」からおそわったことだ。


ふーん、おれは「遺伝」の歌かとおもっていたよ、
と、わたしがとぼけて言ったら、



「笑わせるなよ」かれはにやにやしていた。


 いまの、ラジカセ、何ワットとかをひどく問題にしている。


「でも、どうせ機械の音ですから、
限界があるんですよ。
想像して聞く、ということをしないんですよね」
と、彼は言う。


 ああ、想像して聞く、
そんな「離れワザ」できるわけないけれど、
その理念はうなずける。

音楽の先生は、
こんなふうに、わたしの知らないことを教えてくれた。


いまも教えてくれている。

価値観がちがうし、
言うことにいちいち説得力が備わっている。

わたしには人生の師である。

だから、
ともだちなんて気軽に言えない。
が、彼は、鷹揚でこころが
天安門広場くらい広いひとだから、
わたしを「ともだち」と呼んでくれる。

 ありがたい。


 彼は、すごいひとだ。

川でやまべを釣っている。
そこへ漁業組合のひとが、入漁料を取りに来る。
と、

「恥を知れ、おまえたちが放流した
魚ではないだろ。とっとと帰れ」

漁業組合の連中を追い返してしまうのだ。
自然のなかにそだった魚を釣っているのだから、
とうぜん無料なはずだが、
漁業組合のやつらは、そういう釣り人から
金をむさぼり取ろうとしているのだ。

だから、「恥を知れ」と言っているのである。


 御意。

 
もうすぐ6月になる。
新緑が芽生えはじめる、いい季節だ。

そして、星野さんの命日も近づいてくる。

13歳2017/5/22

わたしの13歳をおもいだしてみる。

 

ちょうど父の転勤で、東京から

小田原に移り住んだころだ。

 

ようするに、わたしは小学校までは東京で、

中学1年生から小田原、というより大井松田という

しょうじきなところ辺鄙なところで

中学校生活をおくったのである。

 

わたしの転居先は、高台にあって、

まだ、御殿場線は蒸気機関車だった。

 

 

まずびっくりしたのは、その中学校は、

男子が全員、五分刈りにしなくてはならなかったことだ。

 

わたしは、じぶんの髪を

修行僧みたいにしたことは

生まれてこのかたなかったし、

おもいつきもしないことだった。

 

これは、ひとつのカルチャーショックだったのだろう。

 

いまでは、そんなことしたら、

やれ体罰だとか、人権侵害だとか、

たいへんなことになろうが、

当時は、ビンタもあたりまえだったし、

廊下に立たされるなんてのも、

しょっちゅうだった。

 

1年生の国語の時間。

 

美しい先生だったような気がする。

お名前は、佐藤先生だったような。

背が高く、薄いブラウスから

背中のブラジャーのラインがいつも透けてみえて、

13歳の少年をいつも刺戟していた。

 

 

いまでも覚えているのは

中間試験、

 

「次の文章を読んであとの問いに答えなさい」と

あって、授業でならった外国の小説で、

スキーに行ってどうのこうの、という内容だった。

 

発問は、

この中の登場人物をすべて書きなさい、というものだった。

 

だから、わたしは、ジムとかベディとか、

その本文にいる人物、全員を書いた。

そして、佐藤先生が抜粋した箇所には、

ジョージがいなかったので、ジョージは省いた。

なぜなら「次の文章を読んで」とあったからだ。

 

そして、答案が返されたとき、

そこの答えはバツになっていた。

 

ジョージが書いていない、というのが

バツの理由だった。

 

だから、わたしは教卓まで行って

「次の文章を読んで答えなさい」とありますから、

この個所読んでも、ジョージは出てこないから、

ジョージを抜いたんですけれども。

と申し出たのだが、佐藤先生は無視された。

スルーである。ネグレクトである。

 

わたしは、そのとき先生を怨んだ。

 

そして、あのとき、わたしは教師になったとしても、

ああいう先生にはなるまいとおもった。

 

そして、教師になってほかの先生とちがうことといえば、

答案用紙を返却するとき、

点数のところを斜めに折る生徒がいっぱいいるんで、

折った裏側にも、ちゃんと点数を書いてあげることだった。

 

だいたいの生徒さんは、三角に折ったとき、

また点数が現れるのでびっくりしていた。

そしてまた折る、とそこにも点数が書いてある。

 

せんせいひまですね、と言われることもあったが、

採点というやっかいな仕事を

生徒さんはしらないのである。

 

さて、

さいきん聞いた話であるが、

この多感な13歳という歳ごろは、

もっとも「なにかを起こす」年齢らしい。

 

これは河合隼雄さんの説だそうだが、

もうしわけないが、原典にあたっていない。

 

そういえば、トムソーヤも13歳だったのではないか。

 

車輪の下も主人公はそのくらいの年齢だったし、

酒鬼薔薇聖斗も14歳。

 

佐世保の同級生を殺した事件も15歳。

 

小学校を卒業して、ひとつ階段をのぼろうとするとき、

ひとは、なんらかのアクションを起こすものらしい。

 

そうやって、じぶんの13歳をおもいかえしても、

引っ越しやら、坊主刈りやら、あたらしい文明との

衝突によって、じぶんの「なにか」がアクションを

起こすことはなかったような気がする。

 

ただ、生徒の切なるおもいだけは、

ちゃんと聞いてあげるような大人に

なってやろうという気持ちだけは芽生えたようだ。

 

チェスタートン2017/5/20

「OECDでは、日本はいま何位なんですか」

と、わたしは校長先生と副校長先生に問うた。

すると、お二人は、ちょっと首をかしげ、

わたしの質問の意図がわからないような表情をされたのだ。

「OECD (経済協力開発機構) が、世界の教育事情を

リテラシーの領域で、順位付けしている、それです」

と、わたしは付け足した。

と、ようやく、ご理解いただけたのか、

それとも、この場はうなずいてスルーするおつもりか、

「はあ」とご返事されて、それきりだった。

 

 

 わたしは、先日、地域教育連絡協議会の委員として、

地元小学校の図書室にいた。

 いったい、いま日本の教育事情は、世界のレベルの

何位くらいにいるのか、それが知りたくて、

それをうかがったまでである。

 

 しかし、教育の現場のトップに立たれている

お二人からは、世界における日本の教育事情の

レベルを聞くことはできなかった。

 

 

事後的に、ネットで調べた範囲では、

いま、経済協力開発機構(OECD)は、世界76の国と

地域を対象とした教育ランキングを発表したらしい。

 

その結果は、

1位「シンガポール」、

2位「香港」、

3位「韓国」、

4位「日本」「台湾」であった。

 

これは、15歳の生徒を対象に実施した

生徒の学習到達度調査(PISA)の

数学と科学の結果に基づき、

世界76の国と地域を対象に集計したものだそうだ。

 

 日本は4位なので、クラスというミクロで例えれば、

76人のクラスの4番目、まあまあではないか。

そうおもうのだが、しかし、こういう結果について、

教育の現場では、わりに無自覚なものなのだと、

わたしは、しみじみとおもったものだ。

 

じっさい、わたしの卒業した小学校は、

つい15年前までは、単学級で、児童数が

120名を切っており、いわゆる統廃合の

ターゲットになった学校である。

 

 ところが、近隣の大学、東京工業大学と、

理科教科でタイアップをし、

理科の実験校となっていらい、

越境入学してくるお子さんも増え、

いまでは、300人を超える児童数を

誇る学校となっているのである。

 

 たしかに、児童数も増え、統廃合の

心配もいまのところなく、

安泰かもしれないが、

それは、東工大という

大きな傘のしたにいるときの刹那的な

期間かもしれないのだ。

 

 ところで、

いまから、十数年前のOECDの調査では、

教育レベルの一位は、フィンランドであった。

なぜ、北欧の、北海道よりも人口のすくない国が、

教育事情で世界の冠たる国となったのかといえば、

教育関係の大臣がすこぶる若く、

トップダウンの政策を廃止し、

各学校ごとの、教育方針を打ち立てるような

方針を立てたのである。

それによって、フィンランドの学校は、

一クラスを20名前後に設定し、

各学校ごとのカリキュラムを作って

授業をしているうちに、世界一の

リテラシーのある生徒たちを

有する国となったのである。

 

つまり、逆に言えば、お役所から言われたことを

そのまま、その言われたとおりにしていれば、

おのず教育レベルは悪化するということに

ほからないのである。

 

 世界第四位となったわが国も、

このまま教育委員会のいいなりになっていれば、

ひょっとすると、レベルはさがってゆくかもしれない。

 

 つまり、トップダウンの窮屈な

教育事情のなかでは、児童、生徒の

自発的な創造性や応用性は養われないかも

しれないということなのだ。

 

 しかし、それは、かんがえかたひとつで

クリアされるかもしれない。

 

「絵画の本質は額縁にあり」と

言ってのけたのは、チェスタートンである。

 

 チェスタートンは、額縁が横に長くて、

縦に短ければ、

「キリン」は描けないだろう、という。

つまりは、額縁によって対象はきまってくる、

と、そう説いたのだ。

 

だが、それを敷衍しておもえば、

型のきまった場でも、そこに創造性を

発揮すれば、よい作品が描くことができる、

そうかんがえることもできるわけだ。

 

おそらく、チェスタートンは、制約された

領域においても、そこには独創的な芸術が

うまれる可能性がある、そう言いたかったのでは

ないだろうか。

 

 この考量は、いまのわが国の学校教育にも、

妥当することである。

 

 つまり、教育委員会というトップダウンの

制約された教育現場でも、

その限られた範囲内で、その学校独自の

オリジナリティのある教育ができるのではないか、

わたしはそうおもう。

 

 理科推進校として甘んじているのではなく、

公立学校という枠のなかにあっても、

その学校の独自性というものを

生み出してゆく、それこそが、

これからの学校教育の課題なのではないだろうか。

 

 親のクレーム、上からの圧力、

さまざまなもんだいを抱えている

今日の学校なのだろうが、

もうすこし、教育現場ではたらいている方たちに、

自由にふるまってもらえる環境は

整えられないものなのだろうか、

そうおもうしだいである

テリーヌ2017/5/18

いまから4年まえの話であるから、

すこし、古くなってしまった。

 

 アフリカのある部族では、牛の黒の模様すべてに
名前がついているそうだ。
 そうでないと、どれがじぶんの牛だか、
判明しないから。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、そこに群れいる牛は、
すべて「牛」としか認識できないだろう。

 土佐清水港は、日本有数のカツオの漁獲高をほこる。
そこに水揚げされるカツオは何種類かあり、
すべてのカツオに、なんとかカツオと名前がある。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、種々の無数のカツオは、
すべて「カツオ」としか認識できないだろう。

必要がなければ名前をつけない。
名前は記号だ。
記号というのは物体を区別する道具、
これをむつかしく言うと、
「世界分節の差異化」という。

分節とはものの見方をいう。

世の中は、記号によって差異化されている。

ヨーロッパ人は、魚を差異化しないから、
ほとんどがフィッシュですむ。

テリーヌにしてしまえば、
どんな魚が入っても分節する必要がない。

デビルフィッシュなんていうと、
タコでもイカでもサメでもエイでも指す。
みんな、おんなじに見えるんだろう。

ナチスドイツが、ドイツ人を見れば、
すべての人の名前と階級を認識した。
差異化である。
が、ユダヤ人をみれば、
すべてが「ユダヤ人」にしか見えなかった。
ひとり、ひとりの人格が見えなかったわけだ。
だから、大量に虐殺ができたのだ。
ホロコーストとはテリーヌなのだ。

アメリカ人は、イラク人をふたつに分節した。
「敵」と「味方」である。
この「敵」を「テロリスト」と名付けた。
そして、テロリストひとりを殺すために、
民間人27人がその犠牲にあうという試算を
知りながら空爆をつづけた。
だから、いっぱい民間人が死んだ。
つまり、ふたつに分節しながら、
イラク人は、イラク人としか認識しないから、
やっぱりイラク人のテリーヌができた。

戦争というのは、敵の「顔」を剥ぐことである。
ひとは、ひとりずつの「顔」を有するが、
つまり「顔」があるということは、
世界分節の差異化が行われたことである。
「顔」のあるひとを射殺することはできない。
しかし、テリーヌなら殺せるのだ。


沖縄のことを悪くいうアメリカの政治家がいる。
いま、沖縄がテリーヌになっている。

見えないものは見えないのだ。

 

大岡山という街2017/5/18

大岡山という街、

東京工業大学のある街。

「おおお」と省略するひともいる街。

東工大といえば、受験生の勝ち組の学校である。

東大をうけなかった受け皿、という見方も

できるけれども、日本屈指の大学であることは

まちがいない。

 

しかし、東工大にせよ、大岡山にせよ、

認知度があまりにも低すぎる。

 

そもそも、「早大」とか「慶応」とか「明治」

「法政」「立教」、有名どころは、

みな省略が漢字二字である。

 

「東工大」はどうしても三文字になってしまう。

「東大」とは言えないからである。

わたしは、じつは、こんなところに

もんだいがふくまれているのじゃないかと、

そうにらんでいるのだが、わからない。

 

 

タクシーで「大岡山」って言って寝ていたら、

「大倉山」に行ってしまったという、

うそのようなホントの話もある。

 

わたしは、この街でうまれ、

暦が一周するくらい住んでいる。

 

そのあいだに、大岡山駅からは、

踏切がなくなり、(むかしは、ひとが踏切を上げ下げしていた)

おまけに電柱までなくなり、

すっかり、さっぱりとした、

なんにもない駅前となった。

(ひとつ、エクシオールカフェのまえに

イルカの大軍がモニュメントとして

飾れているが、認知度はひくい)

 

瀟洒な街並み、というのでもない、

ただ、タクシーとパトカーがとめやすくなった、

殺風景な駅前となったような気がする。

 

駅のうえには、TSUTAYAが本屋までひきつれて

やってきてくれて、便利になった時代もあった。

おかげで、街の本屋さん、総崩れして、北口商店街は

本屋さんがゼロにになった。

 

そのTSUTAYAさんも、いまでは、ひなびた二階で

ひっそりと営業をされている。

あれじゃ、街でTSUTAYAのバッグを見ることも

少なくなったというものである。

 

駅の上には、東急病院ができて、

わたしどもは、あまり関係がないので、

ただ、干からびた蔦のようなものが生えている、

薄汚れたビルがあるだけ、というものになってしまった。

 

TSUTAYAがいなくなり、ほんものの蔦が

からまっているビル、という

皮肉なことになった、といってもいい。

 

 

ようするに、自由が丘や二子玉川に

人が集まるような、そんなアウラは

みじんもない、というのが大岡山である。

 

たしかに、整然とした雰囲気はあるけれども、

あの駅前でなにかをする、

というメッセージ性はゼロである。

 

そこで、大岡山を魅力ある街にする作戦をたてる。

 

街に必要なものはシンボルである。

 

上野に西郷さんがいるように、渋谷にハチ公があるように。

学習院にピラミッドかあるみたいに、あるいは、大隈講堂とか、

東大の赤門とか、安田講堂とか。

 

では、大岡山にもっとも関係のある人物とはだれか。

 

洗足池があるから、日蓮上人だろうか。

洗足とは、日蓮さんが足を洗ったところから、

名づけられたらしいから、たしかに、

日蓮さんかもしれない。が、

あんまり宗教色を駅前にだすのもなんだろう。

そのへんの事情は、立源寺さんにおまかせ、

というところか。

 

それなら、洗足池に墓がある、勝海舟などいかがなものか。

 

勝海舟なら、NHKのドラマなどで何年かにいちど

出てくる人物であり、

もし、勝海舟の銅像が駅前にあったなら、

かならずテレビ局が大岡山を取材にくるだろう。

 

ひょっとすると、そのうち

勝海舟の銅像のまえで、ひとびとが

待ち合わせなどするようになるかもしれない。

 

ハチ公の前であれだけひとがあつまっているように。

 

上野の西郷さんのあたりには、

ホームレスがよく集まっているけれど。

それはそれ。

 

むかし、東北に住んでいたひとが、

はじめて渋谷に来た時に、あのスクランブル交差点をみて、

これは、きっとなにかのお祭りかイベントがあるにちがいない、

と、そうおもったという。

 

あれだけのひとが、うようよしていることは、

東京以外ではありえないのであろう。

 

ま、渋谷の喧騒を、そのまま大岡山にもとめるのは、

それは至難のわざだろうし、

それを望んでいるわけではない。

 

 

が、すこしでも、認知度を高め、

わが街を、名のある住処にしようじゃないか。

 

 

と、ここまでのアイディアはわたしのものではない。

駅向こうのはぶりのいい飲食店の

社長の考案である。

 

そして、それを、ある区議会議員に

話したことがあったそうだ。

 

区議は、微笑みながら、うなずかれたそうだ。

それは、もう、10年も前の話である。

 

 

が、この10年、

駅前に銅像が建つ、というような話も、

議題にあがったこともない。皆無である。

 

つまり、区議さんの仕事というのは、

微笑みながらうなずくことだけなのか、

年度末に豪遊をすることだけなのか、

政治には興味がないので

まったくわからない。

チュトワイエ2017/5/14

 フランスのことは

よく知らないのだが、「チュトワイエ」という文化がある。

 

フランス語では、「あなた」を指す言い方が2種あって、

距離がある人や目上の人には「ヴ(vous)」、

 親しくなると「チュ(tu)」で話すらしい。

 

日常的には「ヴ」から始まって、親しくなり、ある日どちらかが、

 「チュトワイエにする?」なんて言い出して

堂々と「チュ」で話すようになる。

 

 チュトワイエとは、「チュで話そうよ」という意味である。

 

つまり、フランスは、一事が万事、契約社会なのだ。

 

 それに付け加え、パリを中心に半径50キロの

範囲に文化が集中しており、その圏内に、

図書館も博物館も美術館もある。

そこから離れれば、ワインの国、

おおいる葡萄畑と農業の国となるのである。

 

 だから、どこで暮らしているのか、

どこで生まれたか、で、階級の格差がきわめて

明確に区別される。そこでうまれた考量が、

「文化資本」である。

 

つまり、階級差の指標をいう。

身のこなし方、話し方、食べ方、趣味嗜好、

すべてのそのひとにそなわっている文化的なもの、

それを意味する。

 

これを提唱したのは、ピエール・ブルデューという

ひとであるが、ざんねんながら、

わが国では、こういうかんがえかたは希薄である。

 

 もっとも、契約社会、というのも苦手である。

 

契約とは、「権利義務」をきちんとする、という

ことであるが、どうもそれがうまくゆかない。

 

「まあ、まあ、そこはそこで」と、

薄笑いを浮かべ、掌でひとをあおぐようなしぐさをしたりする。

 

 

渡邉洋三というひとが「日本はウェットな社会で、

情緒を重んじる。これはこれですぐれた日本人の

資質である」と語っている(「法とは何か」)が、

きっぱりとした取り決めをせず、

あいまいにことをすませようとする、

この根本はなんだろうか。

 

もし、あいまい性が従属矛盾であるなら、

その主要矛盾があるはずである。

 

その主要矛盾を解き明かすことこそ、

日本人の資質を理解するうえで肝心なことにおもう。

 

 

わたしは、その主要矛盾のひとつに、

「農耕民族性」をあげる。

 

 いちめん海に面した小国の

やわらかい自然のなかで培ってきた農耕民族性こそ、

われわれの発想のルーツではないかと、

つねづねおもっている。

 

 

 まず、言語があいまいである。

文末決定性というかっこいい言葉があるが、

なんのことはない、はっきり言わないのである。

 

 農耕民族は、敵が基本的におらず、みな、

いっしょになって田を耕す仲間なのである。

 

そこに、緊迫した言語がうまれるはずはない。

 

「いい天気だなぁ」「そうだなぁ」

って言っていれば、一日が過ぎるのである。

 

「お前、言わなければわからないのか」

なんて、言ったこともあるし、言われたこともある。

 

欧米言語は、「言わなければわからない」のであるが、

日本語は、言わなくてもわかるはずだ、が前段にある。

 

みんな仲間だからである。

 

イエス・ノーをまず最初に他者にたたきつけてから、

じぶんの考えをエンエン語る言語とは、

おのず根本的にちがうのだ。

 

 

「えー、あー」ってぼんやりした発話で

首相をやっていたひともいるが、

はっきり言わなくてもいいのも、

それがいいときと、とても困るときがあるのも、

事実ではあるのだが。

 

 

「なんでわたしだけを怒るんですか。

みんなやってるじゃないですか」

 

これなんか典型的な農耕性である。

 

 

「ね、これ買って、みんな持ってるから」

 

この「みんな」は、

ほとんど二、三人であることが多い。

 

 

こういった農耕民族性は、老若男女にそなわる

性向だから、たとえば、世の主婦が商店街で、

長々と立ち話をしている光景をみるが、

ああいうひとたちは、おしゃべりが好きでも、

こと議論となると押し黙ってしまう。

 

おしゃべり好きの議論ぎらい、というわけだ。

 

コスチュームにもそれがあらわれる。

コスチュームというものは、もっとも身近な他者である、

というのは、鷲田清和さんの言説。

 

われわれは、他者からみたじぶんという発想で

生きているから、そのコスチュームによって、

じぶんを意識しているのである。

 ようするに、

つよい自我がないためなのだが、

だから、みんなといっしょとおもいつつ、

すこしアッパーミドルな恰好をしたい、

そういう希求がブランド品を買うエネルギーになる。

 

こういうことを顕示的消費というのだが、

これも、農耕民族性のあらわれである。

 

 

ようするに、ブランド品を

多量にぶらさげているひとほど、

農耕民族性が濃厚だという証である。

 

 

しかし、フランス文化ではないが、

さいきんの、モラルハザードをみていると、

電車の中でマックを食べたり、

平気で路上にタンツバを吐いたり、

ゴミを捨てたり、

そういう輩が多くなっている。

 

 

そろそろ、日本も契約社会のシステムを導入して、

きちんとした道徳のある国に

していったらどうだろうか。

 

 

ね、そこの君、そんなことしていたら、

道徳的じゃないよね。

 

だから君のこと「馬鹿」って呼んでいいかな。

 

 

 

 

国語学的な話2017/5/11

『枕草子』の有名な「春はあけぼの」の

くだりで、じつはいまだに決着のついていない

箇所がある。

 

「夕日のさして山の端いと近うなりゆくに」

というくだりである。

 

ほとんどの参考書は

「夕日が差して山の端にたいそう近くなってゆくところ」

くらいに訳している。

つまり、近くなってゆくのは「夕日」である、

という解釈である。

 

決着がついていないというのは語弊があるかもしれない。

ほとんどの解説書もそうなっているからである。

 

が、ここに日本語のラングの段階での

おおきな問題がふくまれていたのだ。

 

その問題とは、

「山の端いと近う」の「山の端」と「近う」との

あいだに訳語として「に」を補ったことである。

 

それのどこに問題があるかといえば、

古来、日本語で助詞の「に」を省略した歴史はないからなのだ。

 

おじさん、林檎ちょうだい。

 

あいよー、50円負けとくよ。

 

おじさん林檎頂戴。

 

あいよー、50円に負けとくよ。

 

 

「50円負けておく」と「50円に負けておく」とでは、

意味がちがうことは自明である。

 

ということは「に」の省略は、母語たる日本語では

ありえない、ということになる。

 

 

ということは、「夕日のさして山の端いと近うなりたるに」は、

どう解釈するべきなのか。

 

 

「夕日のさして」までは、そのままでよいが、つぎのくだりは、

「山の端」を主語に立てて、

「山の端がたいそう近づいてくるように見えて」

と、こう訳すのが、国語学的なしかたである。

 

ようするに、夕日を背に、まるで山の端がこちらに

迫ってくるように見える、という意味合いだった

ということである。

 

格助詞「に」の省略された文章は、

あとにもさきにもここだけ、というより、

しっかりとした文法観で読み解くほうが

わたしはいいとおもうのだ。

 

だが、ここのくだりは、まだ決着をみていない、

というのが現状なのである。

 

 

 

 

平家物語の「橋合戦」のくだり。

 

平家方が、源氏の軍勢に追いかけられ、

宇治の大橋の板をはがして逃げる箇所がある。

 

つまり、橋のまんなかが

すっぽりと穴があいているのだ。

 

だから、源氏の侍がいきおいあまって、

何百頭の馬とともに、まっさかさまに川に

落ちてゆくのだった。

 

 

「先陣が、『橋をひいたぞ、あやまちすな。

橋をひいたぞ、あやまちすな』と、

どよみけれども、

後陣はこれを聞きつけず、

我さきにと進むほどに、

先陣二百余騎押し落され、

水におぼれてながれけり」

 

 

200名ほどの武士と馬は溺れて

流れていったわけだ。

 

が、ここに国語学的に

興味のあるフレーズがあったのだ。

 

おわかりいただけだろうか。

 

それはではもう一回。

 

「橋をひいたぞ、あやまちすな」

 

ここである。「橋を引きはがしたぞ、気を付けろ」

という意味であるが、

平家物語は1250年ころの作品。

 

鎌倉時代初頭であるから、まだ、

完了の助動詞は「たり」であったはずだ。

 

だから、「橋を引きたるぞ、あちやますな」が

正しい。

 

「引きたるぞ」は音便で「引いたるぞ」でもよいので、

そこはそれでよいのだが、「ひいたぞ」は、

その当時の文法では、ないはずの言い方である。

 

もっと言えば「ひいた」の「た」は

われわれが日常使用している完了の「た」と

おんなじ用法なのである。

 

それを、13世紀初頭の、それも、鎌倉武士が

日常的につかっていた、ということになる。

 

だから、学問的には、完了の助動詞「た」は、

すでに13世紀野ころに「関東地方」の方言として、

存在していた、というまぎれもない証拠だったのである。

 

これより時代のくだった作品に「た」という助動詞は、

見当たらないので、平家物語の「橋合戦」が初見という

ことになる。

 

 

関東の方言といえば、「観音」を「かんのん」と

読んだのもそうである。

 

江戸時代の「浮世風呂」という本に、

 

「へへ、関東べいが。さいろくを

ぜえろくと、けたいな詞つきぢゃなァ、お慮外も

おりょげえ、観音(かんおん)さまも

かんのんさま。なんのこっちゃろな」

とある。

 

「観音」は、江戸時代まで、

まだ上方では「かんおん」と発音していたわけで

江戸弁が「かんのん」であったわけである。

 

【KANON】とローマ字的に発音を表記すると、

「N」音と母音の「O」とがあわさると、

もうひとつ「N」の音がうまれる、

というのが日本語のひとつの特徴である。

 

だから、「KANNON」となる。

 

「反応」も、おんなじように「N」の音がひとつ

生まれた結果の読みである。

 

この現象を、わたしたちは

「連声」(れんじょう)と呼んでいる。

 

 

宿題について2017/5/10

昔から、宿題がきらいだった。

小学校から高校にゆくまで、
提出した宿題は、夏の創意工夫の
工作と、作文くらいで、あとの宿題は、
できるかぎりネグレクトしてきたのだ。

よくぞ、それで各学校を卒業できたものだと、
じぶんでじふんに感心するのだが、
いやなものはやらない主義は
いまも変わりない。

 

 

高校時代の古典の宿題で、
助動詞の一覧表を二回書写せよ、
という課題がだされた。

あんなクソ面白くないもの
書く気にならないし、あんな表を
書いたところで、助動詞が
覚えられるはずはないとおもった。

 

ただ、文法書に載っているものを
そのまま書き写してなんの
得になろうか。

それなら、まだ般若心経の写経のほうが
いくぶん功徳があるというものだ。

そして、その宿題を放置しておいたら、
寺久保先生から、呼び出された。

 

これを書いてこないと
進級できないと脅された。

 

しかたなく、わたしは、友だちの
その提出済みで「寺久保」というハンコの
押されている助動詞のレポート用紙を
もらって、「寺久保」という、そこだけ手でちぎり、
先生に提出した。

 

寺久保先生も、わたしの
この悪行をじゅうじゅうご理解
していたとおもうが、
「こいつには、これいじょう
何を言ってもしかたない」というような
困った顔をしながら、「寺久保」という
ハンコを押してもらった。

 

 

だいたい、先生という商売は、
宿題をだしたがるもので、
とくに、夏の宿題というと、
パブロフの犬のように「読書感想文」やら、
工作やら、「自由研究」やらを課する。

 

 

たしかに、自由研究は、子どもの
想像力や独創力を養うのに
最適とおもうが、ほとんどは、
その親の力量にかかっているのではないか。

 

 

子どもが自由研究をするのではなく、
親が自由研究のネタをさがし、
子どもが、それをなぞる、
という図式がどこの家庭でも
見られるのではないだろうか。

それは、換言すれば、
親の自由と子どもの不自由の
あいまった、ぎこちない宿題、
と言えそうである。

 

 

わたしが、世の先生にもうしあげたいことは、
宿題を出してもかまわないし、
どんどん課してもらいたい、ということである。

 

 

が、しかし、その宿題は、書写とか、
おんなじ字を何回書きなさいとか、
そういうルーティーンではなく、
想像力を駆り立てるようなもの、
そういう宿題を出してほしいのである。

 

 

わたしが中学一年生のとき、
三年生のちょっと不良な桐山先輩と
いつもいっしょに行動していた。

 

大雨のふるなか、学校帰り、
大粒の雨がたたきつけるなか、
U字溝に、子猫が流されてきた。

かそけき声で猫が上を向きながら
鳴いている。

 

わたしはおもわず、流されてゆく猫を
拾い上げようしたとき、桐山さんは、
「やめろ、触るな」
と言った。


「なんで? かわいそうじゃない」
と、わたしが言うと、
「お前、この猫を一生飼うつもりあるのか」
「え、いや、ありません」
「だろ、なら、触るな」
と、桐山さんは言った。

 

先輩の言うことにはさからえず、
わたしは、その猫を見捨てた。

 

さて、このとき、わたしはどうすればよかったのか。
この答えは、じつはいまもわからずじまいなのだが、
拾ってあげて、そばに置いてあげる、
なんていう無責的な答えはNGとして、
あなたなら、どうするのがもっとも
正しいことなのでしょう。

人の道とはなんなのでしょう。

 

何文字でもいいので、このときの
あなたならどうします、あるいは、

にんげんとして正しいのはどういう態度ですか、

を書きなさい。

たとえば、こういう宿題をだす。

 

ひょっとすると、こういう難問を
与えられた子どもは、
机にすわって、何時間も考えることに
なるやもしれない。

 

あるいは、古典の助動詞の表なら、

助動詞の接続の仕方をもっともわかりやすく

覚えられる表をつくりなさい、

なんて宿題が出れば、わたしは

もしかするとうきうきしてそれを考えたかもしれない。

 ともかく、

答えがでなくてもいいのである。
何時間もひとつの問題を
考える、という行為こそ、
想像力や倫理観をまなぶ絶好の機会だと
おもうのだ。

 

いまの世の中、なんでも
ググって答えがでる、そんな世の中に、
子どもの独創性とか将来性がはたして
あるのだろうか。

 

ほんとうのにんげんの底にある、
優しさとか人間性とか道徳律とか、
そういうものを揺り動かす
宿題をだしてもらいたいとわたしはおもう。

 

小学校6年生の夏の宿題。

 

毎日のドリルがあった。
わたしは、とうぜんゼロである。
なにも書いていない。

 

母から「ちょっと、あんた、

宿題ないって言ったけど、ミズクチさんに訊いたら、

あるっていうじゃない。だいじょうぶなの?」と
言われた。

 

「ん。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と、わたしは応えたが、
ちっともだいじょうぶではなかった。

 

やむをえず、簡単にできそうなところだけ、
しゃっしゃって3ページくらい書いて、
あとはしかたないので、ヤマトノリで
すべてを張り付けてしまった。

当時はピットみたいなノリはなかったので、
ヤマトノリという白濁したどろどろのを
塗りたくったのだ。

 

9月に入ってこの宿題を提出したが、
いつわたしは山際先生から、烈火のこどく
どなられるのか、びくびくしていたのだが、
10月になっても、先生はわたしを
叱らなかった。

 

山際先生は、わたしどもの宿題を見ていなかったのか、
あるいは、あいつにはもうなにを言っても
仕方ないとおもったのか、
いまとなってはわからないままなのである。

リチャードローティを学ぼうか2017/5/9

文章の存在理由とはなにか、

ということに義務教育期間は無自覚である。

いや、高校時代や最高学府たる大学・大学院でも、

こういう事情には無頓着になっているのが現状である。

 

 

言論の自由ということばがあるが、

この自由には、それと同量の義務がなくてはならない。

そもそも、日本国憲法は義務より権利の領域が

多く語られていると主張するのは、

ちょっと前の時のひと、石原慎太郎氏であった。

ここに主要矛盾があって、つまりは、

権利ばかり主張するあまり、その義務を怠るひとが増え、

モラルハザードという従属矛盾をうむらしい。

 

 

ノブレスオブリュージュとは、

社会的地位に達したものが、

それなりの社会的責務を負うことをいう。

そのノブレスオブリュージュについても、

学校教育ではネグレクトされてきた。

ようするに、倫理的に貧困になっても、

それを自覚したり告発したりする機会も場も

与えられてこなかったということである。

 

 

文章の存在理由もそういう間隙をぬって

闇のなかに放置されてきたのだから、

いまさら、ネット上で、どんな書き込みをしても、

それを咎められることもないし、

ネット上のいじめも、ずいぶん多くあると聞いている。

それは、いたしかたないことと

わたしはおもっている。

 

 

なぜなら、教育されてきていないからである。

 

簡単に言えば、文章の存在理由とは、

ひとをすっかり感心させたり、

いい気持ちにさせること、それにつきる。

 

暴走族の落書きをみて、イライラすることはあっても、

あれにうっとりするひとはいないだろう。

『〇〇参上」とか、これは文章ではないからである。

しかし、よくぞ当て字はたいしたものだと

感心もするが。

 

 

ITインフラという語があるが、

これは、パソコンやサーバーなどの各種ハードウェア、

インターネットやLANなどのネットワーク、

データベースやOSのことをさすのだが、

それよりも、snsにおける言語倫理のほうが

優先されてもいい用語におもうのだ。

 

 

ツィッターは、たしかに「つぶやき」だから、

そこになにをどう書いても、かまわないはずだ、

とおもうひとがいる。

 

そのおもいこそ、誤解であり、主要矛盾はそこに

ねむっている。

なにを書いてもいい、ということではない。

ツィッターであれ、Facebookであれ、

あれは、文章である。

 

文章を書くなら、

ノブレスオブリュージュをもって、

ひとを感心させたり、気持ちよくさせるもので

なくてはならない、とわたし断言する。

 

 

「婆娑羅で隣にしま坂のジジィが

座ったんだけど麺なし(野菜のみ)

頼んでクソ笑った」

と、書かれた。べつに腹が立つわけではない。

 

たしかに「ジジィ」なんだろうし、

麺なしを注文したことも事実である。

しかし、わたしはこのツィートを読み、

腹が立つより、ひどくがっかりしたのである。

わたしのことを「しま坂のジジィ」というかぎり、

うちに来店された方だろうし、

きっと会えばいいやつなのだろう。

就活では、リクルートスーツに身をかため、

人事部のひとに最敬礼もするのだろう。

受験勉強では勝ち組のエリートのはずである。

 

 

が、なんでこんな心のざらざらしたものを

書くのか。いったい、教育とはなんだったのか。

唾を吐くような文章は、文章ではない。

学生にノブレスオブリージュを求めるのは、

早計かもしれないが、もうそろそろ

気づきたまえよ、と、わたしは言いたくなったのだ。

 

 

 

で、その残念さのあまりに、わたしはこうつぶやいた。

 

「ひとをバカにするのに『クソ笑った』なんていう

青年もいる。そういう輩は、友が受験に落ちても

クソ笑うだろうし、老人が階段から転げても

クソ笑うのだろう。最高学府に学ぶ者なら

上質に生きたらいいのに」と。

 

と、どういうわけか、これが24リツイート、17のイイネ。

ツィートアクティブティ、インプレッションが4.618

にもなってしまった。

 

 

若い方がこのわたしの文章をどうとらえたか、

さだかではないが、なんらかのおもうことが

あったのかもしれない。

 

 

ようするに、わたしがもうしあげたいのは、

ひどく簡単にいえば、

わたしたちは、形而上的なネット社会において、

エチケットをまもって生きていこうよ、

ということである。

 

そんな話を、世話になっている常連さんに

話したら、「またぁ、そんな子どもみたいに反論してさ」

と、笑われた。

 

そーか、子どもじみているのか、

そりゃそうだ。そういう感情の教育や

ITインフラの教えを

わたしも受けていないからな。

 

リチャードローティでも学ぶかな。

教育不足だった。

 

ちくしょう、クソ笑われたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山月記」から2017/5/7

中島敦の『山月記』は、
ほとんどの高校生が通り抜けてきたテクストである。

 治安維持法のまっただなか、
みずからの心境を語るひとつの方法論として、
この『山月記』はあった。

 李徴こそが中島そのひとじしんであって、
ああいうしかたでしか検閲をとおることはなかったのだろう。

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」
このふたつが、李徴、いや、中島の心を占めていたという。

では、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」と、
その差異はなんであるのか。

じつは、分節のしかただけであって、
これは、おんなじものを角度をかえてみているだけだったのだ。

茶筒を上からみれば丸くみえるが、
横からみれば、長方形にみえるのと類比的に。

ゲシュタルト心理学で有名な
ルビンの壺の絵がある。

ふたりの女性が向き合っているようにも見えるが、
まんなかだけをみれば、壺にも見える、
というあの絵である。

これは、エッシャーのだまし絵とはちがって、
見方によっては別の絵にみえるということである。

このルビンの壺の急所は、
ふたりの女性がいることでもなく、
まんなかの壺でもない。

同時にこのふたつの図柄をみることができない、
というところなのである。

おんなじキャンバスに埋め込まれている
画像なのだが、同時にふたつが見られない、
というのが、ニンゲンの心理というものであって、
じつは、李徴さんも、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とを
同時にみることはできなかったという話なのである。


それを授業では、このくだりは、どっちですか、
とかくだらない発問をしなくてはならなくて、
せんせいも生徒も気の毒だとおもうのだが。


さて、猛虎になってしまった李徴が、
こう語るくだりがある。


「ああ、全く、どんなに、恐しく、哀かなしく、
切なく思っているだろう! 
己が人間だった記憶のなくなることを。
この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。
己と同じ身の上に成った者でなければ」と。


わが心の吐露をするという身体運用は、
他者に同意や同情、あるいは共有をねがう気持ちから
だとおもうのだが、「誰にも分らない」という宣言は、
「この気持ちはだれにも共有できないということを
共有してもらいたい」ということを意味している。


たいそうな病をもっている方が、
もし、「この気持ちはだれにもわからないのよ」と、
他者にむかって発言すれば、
聞いているこちら側は、「そうですか」としか
言いようがなくなる。

というよりも、返答不能な状態にこちら側はなるものである。

たしかに、つらそうな声だし、
つらそうなオーラは伝わるが、
その本来を知りえることは不可能だし、
だれにもわからないものは、わからないのである。


こういう返答不能な状態を、「呪い」という。

「この学校をどうおもってるんだ?」なんて
激怒する教師にむかっての返答はほぼゼロである。

答えられるわけはない。

「わたしのことどうおもってるの?」
なんてのもおんなじ。

答えられない。

そういうとき、われわれは「呪い」にかかっている、
といってもいいのである。


この「呪いを解き放つためには、
家族どうしなら、受け手はキレたようになって
親子喧嘩や夫婦喧嘩となって、
それを解消しようとするだろう。

もし、友だちなら、ごめん、ちょっと用があって、
と、電話を切るしかない。

が、根本治癒にはなっていないので、
わだかまりは、すくなからず残るだろう。

 

ただし、この「呪い」が邪悪なものとか、

忌避すべきもの、という物言いではなく、

不可抗力的に発生してしまう、ということを

申し上げたいのである。


たしかに、虎になってしまったのは気の毒だし、
ニンゲンにもどることは不可逆的だから、
そこには「諦念」しかないだろうが、
「この気持ちは分からない」と宣告している
すぐそばで、
かれの友人はしずかにその不思議を聞いているのである。

そして、別れぎわ、

「懇ろに別れの言葉を述べ、馬に上っ」て
「既に白く光を失った月を仰いで、
二声三声咆哮ほうこう」した虎となった李徴を
見送るのである。


そこには、友の呪われた姿は、
まったく見られずにこの話は
その内容もあいまって、静謐に終わりを告げるのである。


ところで、
「山月記」と「呪い」という論文はまだ世にない。

あきれることかぎりなく2017/5/6

・流行はうつろいやすく厚底のくつ履く人をみず売る店を見ず

だったろうか、ディテールでまちがっているかも
しれないが、こんな歌だったとおもう。
と、すこぶる失礼な書き出しなのだが、
この駄作は、かのA氏の作品である。

かのA氏は、佐藤佐太郎の弟子であり、
日本歌人クラブの最高峰までのぼりつめた方で、
短歌をいそしんでいるものなら、
ほとんどのひとが知っている著名な方である。

が、わたしたちは、大学の短歌会で、
氏にまなんだ時期があり、
いや、学ぶというより、氏の語彙感覚の
貧弱さに閉口していた一年があった。


そもそも「流行」は「うつろいやすく」とはなにか。

われわれは、あるイデオロギーを
常識としてとらえている偏見の時代を
生きているのであるから、流行などというものは、
うつろいやすいのにきまっているじゃなぃか。

今日の流行りは明日の古さ、
いまじゃ、妖怪ウォッチの体操しているひとを
見かけないし、オッハーなんて言っているひともいない。

ましてや、ルーズソックスはさておき、
ハイソックスの女子高生を見るのもまれになってきた。

なのに「流行はうつろいやすく」と
あたりまえのことを大上段にもって
こられて、さあ、どうだ。

上掲の短歌は、二句切れであり、
初句と二句めで、ひとつの真理をいいあて、
それにともなう事象をのこりで詠うという骨格である。

こういう構造を「合わせ鏡」とよぶ。


・春過ぎて夏来たるらししろたへの衣ほしたり天の香久山


持統天皇のこの歌と、骨格はおんなじである。

「春が過ぎて夏が来」たという結果と、
それにともなう理由が、三句目以降に語られる。


ただ、持統天皇の歌とのおおいなる差異は、
歌の中身にある。


ほとんど、含意がないのが、「流行は」の歌である。
物語が起ちあがらないし、個別性も貧弱である。


短歌の悪いお手本ならいいのだが、
ご本人しごくご満悦で、歌会に出してこられたから、
こちらは吃驚である。


・究極の平和と言はめオリンピックの勝者のなみだ敗者のなみだ


これも、A氏の作。おどろくかぎりである。

骨格は、二句切れ「合わせ鏡」の手法であるが、
初句の「究極」がいけない。

「究極」というのは、物事を押し詰めていって、
最後に到達するところであり、ものごとを
つきつめ、きわめることである。


つまり、ワザなのだ。

平和はワザなのだろうか。


むかし、「究極のらーめん横濱屋」という店で、
「さらに麺がおいしくなりました」と看板に書いてあって、
「究極」のくせに、なんで「さらに」なのかと、
首をひねったこともあるが、まだ、横濱屋さんのほうが
愛嬌がある。


つまり、「平和」に「究極」という形容はできない、
ということに無自覚なのだ。

こういうのを、前述したが、語彙感覚の欠如という。

昭和12年生まれで、
そんなに学問を積んで来られなかったのか、
そもそもの能力的なものなのか。


いま、世の中では「非人称」という語彙が
流行っているようだが、わたしのように
ふるい人間にとっては、「個別性」のほうが
大事におもえるわけで、
ようするに、短歌には、その人となりが
かもされていてナンボとおもうのである。

が、この二首からは、その個別性がまったく
うかがわれないのである。


没個性の歌を非人称の歌、というのでは
ないはずなので、このA氏のこういう作品たちは、
言葉遣いのあやまりの箱に除染されたほうがいいと
おもう。


わたしが、もっともおどろいたのは、
歌を失念しているが、A氏の作品のある一部であるが、
この語であった。


「たまさかに携帯わすれ」


「たまさか」とは偶然の意。

偶然の「然」は状態をあらわす接尾語であるから、
「たまさか」はある、「たまたまの状態」をあらわす。


偶然、携帯を忘れた、という日本語は、
ラングのうえでも、スティルの領域でもあるはずのない
フレーズだとおもう。

だから、わたしは、歌会の場で、

「たまさかに携帯忘れとはいわないとおもいますが」
と、発言したら、たまたまとなりにすわっていたA先生、
辞書をとりだして、調べ出したのだ。


そして、ひとこと、

「辞書では、偶然とあるから、これは正しいですね」


なにをかいわんや、である

恥ずかしくなかったけれど。2017/5/6

 マリが来店する。

 飛騨高山在住。
それでも、しょっちゅう東京に来ているのだが、
わたしのところにはまず来ることはなかった。

 短歌の仲間、あるいは弟子、
あるいはすでに巣立って結社のひとり、
となっている彼女だが、
なにか、よほど案に難渋していたのか、
わたしのところに来たのだった。

 エッセイか、評論を依頼されたらしいが、
わたしの知るところは彼女に伝えた。

「な。おれ、痩せたろ?」

「ん。そーだね。どうして?」

「炭水化物抜いてるんだよ。
それから揚げ物も9月から食べていない」

 マリは、九、十、十一と指で折って、
「おう、もう半年か、えらいな」
と言う。
「でもな、わたしの先生は、わたしが
炭水化物抜こうかって言ったら、
それはよしたほうがいいと言ってたな」
と付け加えた。

「そう? でも、50過ぎたら炭水化物は
いらないっていう説もあるんだぜ」

「ま、いろんなこという人おるから、
まぁ、揚げ物はいらんわな。でも、
炭水化物の糖は脳にゆく栄養になって、
とくにお米からの糖は、消化がよくて、
いちばんええんやって。
これ、抜いてしまうと、正常な思考回路が
動かなくなってしまうよ」

「そう? ということはさ、おれ、
正常な思考をしてないってこと?」

「ひょっとすると、そうやな」

「じゃ、道徳的なこととかさ、恥ずかしいこととかさ、
それがわからないってことかよ」

「そうなるかもしれんな」

「ところでさ、お前の腕さ、おれより太いんじゃないの」

「うん? ええんやって。これでもうちな、
モテるんやって。これいじょう痩せたら、
もっとモテるやろ。いらないんよ」
と、半分冗談なのか、本気か、
よくわからないが、彼女はそう答えた。

マリはたしかにスレンダーではない。
ネイビーブルーのワンピースにスニーカーという、
ちょっとおかしいんじゃないのって
コスチュームで、彼女はわたしの店に来た。


だいたい歌人というものは、
すこぶるかわったひとが多いものである。
行く川のながれからはみだしたひとの集合体と
いっても過言ではない。


彼女は、店のはじまる前から、
店のおわる2時過ぎまでカウンターで、
オノマトペにかかわる記事をネットで調べ、
「おぅ、これなら書けそうになったわ」と、
すごすごと店をあとにした。

今夕、高山に帰るという。



金曜日は、駅向こうのラーメン店のM氏と、
スーパーに行く日である。

かれが車を出してくれるので、
それに便乗するのである。

毎週、火曜日と金曜日はそれが日課となっている。

ほとんどが、かれの店の繁盛している話を
わたしが聞き役となっているのだが、
いつも乗せてもらっている弱みから、
ふんふん、スゴイですねと、
申し上げているのが通常である。


「おれ、ベルトの穴、四つ減りましたよ」

「ほぅ、エライね。どうしたの」
とM氏。

「ほら、あなたが言ったとおり、
炭水化物を9月から抜いて、それに揚げ物、
やめたんですよ」

「そう。ほんとにエライね。おれは、食べちゃうんだよな」

たしかに、M氏は、ビール樽のような体型である。
膝や肩がひどく痛むと言っていた。


「体重もおそらく15キロちかく落ちたよ」

「ふーん、なに食べてるんだよ」

「ああ、キャベツとか、あ、夜はたまに蕎麦食べている」

「蕎麦とか、黒いものはいいんだよ、食べても」

「そう、そうあなたからいわれたから、そうしてますよ。
でも、蕎麦といっても、天麩羅とか食べられないから、
いつも、かけ蕎麦ですよ」

「ほぅ、エライね」

「え。なにがエライの?」

「普通さ、かけ蕎麦って恥ずかしくって頼めないからよ」

ミズホさんと会う2017/5/3

 月曜日はバドミントンをしに
駅5つくらい離れた小学校に自転車でむかう。

 と、その道の途中でたまたま、ミズホさんに会った。

 ちょうど彼女が買い物の帰りなのだろう、
その玄関先でばったり会ったのだ。


「あれ、ミズホちゃん?」

わたしは自電車をUターンして彼女に近づいた。

「あら、久しぶり、うれしい、元気?」

 彼女は、高校時代はマドンナのように
血気盛んな男どもをとりこにしたひとだったそうだ。

「ね。知ってる? そろそろおれたち
いい歳になってるんだよ」

「知ってるわよ」

彼女とは、同い年で、わたしがPTA会長だったとき、
となりの小学校のPTA副会長で、
2年間活動をともにした間柄である。

わたしども高校時代は、群制度といって
高校を選べずに、抽選で振り分けられた時代だった。

くしくも、彼女とはおんなじ学区を受験して合格し、
ざんねんながら別々の学校に入学したものの、
レベルはいっしょだったのだ。

「どう、娘さん活躍してる?」
わたしが尋ねると、

「うん、いま、帝国劇場で歌っている」

そう、彼女の娘さんは、わたしの塾の教え子であるのだが、
いまや、レ・ミゼラブルで、エボニーヌ役に大抜擢された、
時の人なのである。

一度は、彼女の晴れ舞台を観に来てと
誘われているが、仕事の都合もつかないことと、
じつは、わたしはああいうミュージカルがすこぶる
苦手であることが、そのお誘いに
素直になれないでいる理由なのである。

引率で彼女の娘さんではないレ・ミゼラブルを
観に行ったこともあるが、なぜか、まったく
心が動かなかったのだ。

ふれこみでは「人生が変わる」とかあったのだが、
なぜ、面白くなかったかとかんがえたのが、
その答えは、すこぶる簡単だった。

 それは、すべて語ってしまうからだった。
すべて歌ってしまうのである。

 エボニーヌがひとりなってしまって、
舞台にひとり立って歌う。

「わたしはひとり♪」

 はい、わかりますよ。だってひとりじゃないですか。
そんなの、見ればわかるって。

 わたしどもの仕事と言えば、国語という教科だから、
この分野は、言葉の裏側にどれほどの意味を
込めているか、それを探すのが仕事なのであって、
語らない領域に、どのくらい意味内容を含んでいるかを
考量するのが急所なのである。

 が、ミュージカルというのは、
言葉の裏側をすべて語ってしまうというのは、
我われの仕事と真逆な立ち位置にある位相なのだった。

だから、わたしはミュージカルを観に行くことに
消極的なのである。


「そう、家、改装したんでしょ」

「うん」

「どう、快適?」

「そうね」

「でも、まだ一度もご招待してもらってないよ」

「そうよ、イイジマさんだって呼んでないわよ。
家せまいから」

「そう。じゃこんどいっしょにお風呂でもはいろうよ」

「ん。またそんなこと言う」
と、彼女は、わたしを軽くこずいてそう言った。

わたしどもは、ほんの数分話して別れたが、
数年前、PTA仲間と飲んだとき、
こんな話で盛り上がった。

じつは、ミズホさんとわたしは、
誕生日が2日違いで、それも同い年。

そして、産まれた場所が、日赤産院と同じ場所だったのである。

 高校もおんなじレベル。

 ここまで一致するとは、ただの
関係ではない気がするのである。

 で、わたしそのとき、
彼女にこう言ったのである。


「ね、ということは、
あなたとわたしは、産まれたとき、
おんなじ空気を吸っていたんですね」
と。

と、彼女は言下にこう言った。

「気持ちわるい」

ラ変のはなし2017/4/27

 高校時代、よく「ラ変動詞」とかいって、
「あり・をり・はべり・いまそかり」なんて暗唱したものだ。

 正式には、ラ行変格活用動詞という。

語尾が「り」でおわるので、
動詞じゃないという学者もいる。
「あり」の対義語が「ない」という形容詞。

形容詞と動詞が対義語なんてやはりおかしい。

「あり」と「なし」の共通項は「イ語尾」であること、
これも動詞としてはめずらしい。


ラ変動詞は、「あり・をり・はべり・いまそかり」の4語
なんて教わったものだから、ほとんどのひとは、

4語と おもっているが、じっさいは、
「かかり・しかり・さり」なんてラ変もあるし、
「持たり」なんてのもある。

 
 ラ変動詞はすくなくとも8語はあるのだ。

 わたしが、大学、大学院と文法、いわゆる国語学に
ついて学んだのが、鎌田先生。3年間、師のもとで学んだ。

 中世の専門だった。おしゃれな方で、いつもエナメルの靴だった。
低い声でゆっくりと語られた。


 中世という時代区分は、鎌倉から室町あたりまで、
いっしょに日蓮上人の直筆を見に、千葉鴨川まで
お供したこともある。


 「ラ変は、平家物語のころにはなくなってますね」
と、師は言った。

 へぇー、ラ変動詞はそんなにはやく消滅してるのか、
学生のわたしはびっくりしたものだ。

 蒲田先生の先生は、今泉忠義という、
日本を代表する国語学者で、

鎌田先生はその一番弟子である。

 ということは、わたしは今泉忠義の孫弟子に
あたるわけだが、今泉先生の影響はゼロである。


 今泉先生の有名なところは「悪筆」。
弟子でも解読に2年かかるという。

 が、どういうわけか、鎌田先生も今泉先生と
そっくりの字を書かれると、院の先輩からおそわっていた。

 なるほど、黒板に書かれる字は、
達筆といえばそうだし、めちゃくちゃといえば、
それもあたっていた。

 手紙も「ありがたう」とか「ござゐます」と、
旧字でなさる。


 今泉先生の葬儀のとき、
「今泉忠義儀葬儀会場」と、鎌田先生の筆であった。

 それをみて、弟子たちは感心したという。

 「さすが、今泉先生、ご自身で書かれている」


 その鎌田先生も泉下の方となり、
いま、わたしは、だれに文法を教わればいいのか、
ほんとうに困ったときは、困るしかないわけである。


 「象は鼻が長い」の主語は「象」でもあるし「鼻」でもある。

これが日本語の、おおらかなところでもあるし、
あいまいなところでもある。

 通常は「象」を総主語、「鼻」を主語としている。

「象は鼻が、が主語じゃないですか」と、
鎌田先生は、低くゆっくりした声でおっしゃっていた。


 いまも、塾で生徒に文法をおしえている。
たまに、教材で「平家物語」もある。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。



 あれ、「響きあり」


 これ、ラ変じゃん。

緊急車両そろい踏み2017/4/27

 遠くからサイレンが聞こえ、

サイレンは確実に我が家に向かってくる。
 坂の中途にある、我がぼろビルの前には、

大岡山派出所からかけつけた、

巡査部長と巡査の警官が待機している。


 そこに坂の上から消防車、二台。

坂の下からも消防車両一台。

車から降りてきた消防隊員、

およそ二十名。

それぞれ違う工具をもって、

だっ、だっ、だっと階段を上がり三階へ。

 

そのあとから、オレンジ色の、

レスキューが一列に十名ほどつづく。

みんな駆け足だ。


 そこへ救急車が、真夜中の闇をつんざいて到着。

 

すでに夜中の十二時をまわっている。

業界用語のてっぺんである。


 救急車から、ストレッチャーが下ろされ、

ストレッチャーの上には毛布、

それに、蘇生用の心臓にあてがう電気ショックの

あの機械も置いてある。

 

救急隊員は三名確認できた。


 田園調布警察からパトカーも来た。警ら隊、二名。


 つまり、わたしの家の前の坂には、

(わたしは、この坂を「志麻坂」と呼んでいるが)

消防車両二台、救急車一台、パトカー一台、

(派出所の自転車二台)

 

坂の上のほうには、レスキューの車両一台、

みんなそれぞれ赤灯をパラパラさせて

静寂な夜の住宅街を赤く染めているのだ。


 さまざまな無線のやりとりと

緊急車両のアイドリングの音。

 


 警察もパトカーと派出所では制服がちがう。

 

 

消防もレスキューを含め三種類の制服、

救急はうす水色のもの。

 

その、色とりどりの隊員が、我が家の階段を上ったり下りたり。

その数、およそ四十名。

なんか軍記物語みたいだが、喫緊の状況。


すでにこの坂は封鎖され、車は通れない。

通れるのは人間だけだ。


 と、そこへ息子がバイトから帰ってきた。


「なに?」


「うん・・」


「どうしたの?」


 それはそうだろ。

せわしなく赤灯をまわしている緊急車両が

勢ぞろいしているんだから、事件にきまっている。

 


「うん、お母さんがな、鍵が壊れてトイレから出られないんだ」

 

「犯人は?」

 


「だから、言ったろ、

お母さんが、鍵が壊れてトイレから出られないんだよ」


「万引き?捕まった?」


「お前、何聞いてるの?

お母さんが、鍵が壊れてトイレから出られないんだ!」

「戦後」という言葉から2017/4/26

 どの評論文をみても「戦後」という語が
当たり前に語られている。

 戦後70年。


 70年も経てば、死語となる語もずいぶんある。

 アノラック・ずぼん・チョッキ・とっくりセーター・えもんかけ・
こうもり傘・すかっとさわやかコカ・コーラ・ハマトラ・骨皮スジえもん・
コール天・バタンキュー。

 ま、おもいだせば枚挙にいとまない。

 しかし、「戦後」という70年も前の言葉が、
いまだに、いまのきみはピカピカにひかってー♫
くらいに生きているという理由のひとつは、
戦争責任を国が果たしていない、というところに
起因しているかもしれない。

 じっさい、戦争責任とはなんなのか。
負けた責任なのか、勝てば責任はないのか。
日本は謝罪し過ぎるという海外もあるが、
それは真実か。

「私たちが2つの大戦を通して反省してみるとしたら、
それは戦争責任などという実態も概念もない空論ではなく、
あれらの戦争が本当に国益になっていたかどうか、
戦争することが本当に得なのか、
あるいは損になるのかを計算することしか意味はない。」

は、「日本に『戦争責任』なし」の引用。


と、戦争責任ひとつとっても
その概念さえもあやういのだが、
けっきょく、第一次大戦、二次大戦の「けり」は、
まだついていない、ということなのだ。


そして、その「けり」はあと100年くらいは
続くだろうというのが識者の考量らしい。


だから、中国から韓国から、やんのやんのと
言われるわけである。

「けり」をつけないことを「先送り」という。

わが国は、よくわかっていない戦争責任を
どう先送りしてきたかといえば、思考停止でもなく、
その根本的研究でもなく、国会論争であった。
国会論争とは、相容れないイデオロギーで
甲論オツバク、闘わせている構造をいう。

つまり、与党と野党とで、
靖国神社参拝を、反対、賛成と言い続ければいいのである。

あのカッコ悪い議論の応酬は、
そうやって闘わせているうちは、
国内で、戦争責任を問うまでにいたらずに
済むという、とっておきの作戦であったのだ。


つまり「先送り」とは
問題解決を後回しにする手法であったということである。


「先送り」には、こういった
すがたは悪いながらも、打算的知性がある。


そして、「先送り」にはもうひとつの構造がある。

食品企業の不祥事や年金問題にそれが見られる。

だれかひとりでも、「これ続けてやっているとまずいですぜ」と
いうひとがいて、そのひとが覚悟をすれば、
ここまでおおきな問題とならずに済んだはずである。

なんでじぶんだけが悪者にならねばならないのか、
と、先送りする。


内田樹さんは「自らの倫理的有責性
告発し、自らの知的貧困を認識することが
できるくらい倫理的に誠実で、知的に卓越している」
と語るが、それは、ぎゃくに言えば、
「わたしが間違っていましたという宣言を
かれの愚鈍の表明ではなく、むしろ知性のあかしを
表す習慣が日本にはない」(同氏)ということとおんじである。


つまりは、こういう先送りにたいする不祥事は、
すべて、想像力の欠如がもたらしたものであるわけだ。

これ、ほっておいたらたいへんだよね、
という三歩先の想像力と、すみませーん、
いまやめときます、という勇気と
わたしが間違ってました、という知性が
はたらけば、取り返しのつかない亀裂には
ならなかったはずである。


文明と文化の差とは、文明とはないところから
築き上げるものであるから、分節のしかたを
変えれば「破壊」である。

文化とは、長い年月守り続けたものであるから「保持」である。

ようするに、文明と文化をもつ国は、
構造的に「破壊」と「保持」という相反する
性質のものを抱え込んでいなければならない。


そこに、国家レベルでねじれが生じて、
どこかに、そのねじれがマイナスな姿になって
現れてくるかもしれない。

そういう、根本的なねじれを、
毛沢東は「主要矛盾」とよんだ。

そこから生まれるさまざまな汚点を
「従属矛盾」という。


「文明」と「文化」の衝突的な主要矛盾によって、
どんな従属矛盾がおきているのか、
たとえば、モラルハザードはその従属矛盾なのか、
このへんの事情は社会学者にまかせておいて、
それとおなじく、知的先送りと、想像力の欠如した先送りと、
こういう、二項対立的な考量が、

主要矛盾なのか、はたまた従属矛盾なのか、
それもわからず、
そして、はたして、これからの世の中、あるいは国を
どういう方向にすすめてゆくのか、
あんまり、明るいものが見えてこない、
というところでは、たぶんみな一致することなのだろう。


戦後というが、国のなかでも、
こういった戦いはいつもつづいているのである。

4月の蝉2017/4/19

ラインが来ていたのでみると、
「さっき蝉の鳴き声が聞こえました」

「4月だからまさかと思うけどたしかにジーッ、ジーッって
一匹鳴いていたの」

とあった。

彼女の家は東京都下で、
たしかに、
きのうは、観測史上もっとも暑い4月だったから、
寝ぼけた蝉が地中から出てくることも、
異常気象のうちの異常現象としてあるかもしれない。

もし、そんな蝉がいようものなら、
ひどくあわれである。

なぜなら、蝉はパートナーを見つけるべく、
危険をおかし、一週間も生きられない姿となり、
みずからをこの世にさらけだしたわけである。

地中で暮らしていれば、まだ安穏な生活ができたのに。

が、4月の気の狂ったような陽気に誘われて
出てきたものの、さすがに、おんなじように
土中から這い上がってきた愛人はいないだろう。

つまり、今年、はじめてのたった一匹の蝉、ということになる。

今年はじめての蝉は、おそらくパートナーを
見つけることなく他界するのだろう。

自業自得とはいえ、きのどくである。


世の中に「はじめて」というものには、
そういうきのどくさがつきまとうものだ。

たとえば、世界でもっともはやく電話を
設置したひと、いったいだれに電話をしたのだろう。

そして、だれからもかかってこない
その空虚な気持ちをどう処理したのだろう。

むかし、わたしの友人の家が電話を新しくしたのだが、
その家族はどういうわけか、ほとんど電話のかかってこない家で、
食事をしていたら、なんか見知らぬ音がしたので、
不思議がっていたら、それが呼び鈴だったと、
あとから気づいたという話があった。


さて、はじめて、ということでは、
ふぐを、この世の中ではじめて食べた人。

その場で死んでいるだろう。

ふぐに関しては、はじめての人も、その次の人も、
おそらく死んだろう。


そして、何世代にもわたって、
この肝が猛毒であることに気づき、ようやく
ふぐ料理なるものが登場したのではないかと、
推察するのである。


しかし、ふぐの肝が、この世の中で
もっとも美味なるものだと美食家はいう。

坂東三津五郎は、もっとくれ、もっとくれと言って、
他界した。本望かもしれないが、
その板前もとうぜん留置場おくりとなり、
迷惑千万な話であった。


銀杏だって、あの臭い実のなかに、
また固い殻があって、その殻を割って
その中のあのすこし苦味のあるあれが、
うまいとよくわかったものである。

いったい、だれがはじめて銀杏を食べたのであろう。


話はかわるが、わが国で、もっともはやく、
シンクロナイズドスイミングをした男性はだれか。

それは、もちろんウォーターボーイズではない。
じつは、わたしである。

小学校6年生のとき、わたしは、
三田のスイミングスクールに通っていたのだが、
そのスクールのあと、もう一時間だけ、
シンクロナイズドスイミングの教室がひらかれた。

その当時、シンクロはまだ世の中に普及されておらず、
シンクロナイズドスイミングを日本に持ち込んだ、
女性がおり、その方は、テレビにも出演されていたが、
そのひとが、そのスクールを開校されたのだ。

だから、シンクロの歴史など、まだ50年というところである。

よく覚えていないのだが、とてもきれいな先生だった。

また、プールサイドにしゃがんで、
「あなたがたが、男の子でさいしょのシンクロした子よ」
と、言っていたのも覚えている。

わたしのほかに男子が2名いた。


わが国初のシンクロナイズドスイミングを
したわたしは、べつにきのどくなことはないのだろうが、
それが、なんにも得になっていることはない。

ただ、プールでプカプカするときに、
むかしとったなんとか、じょうずに浮くことはできるが。


さて、あの4月の蝉はどうしているのだろう。

おかしいな、だれもぼくに反応してくれない、
と、心寂しく鳴いているのだろうか。

この世に、たった一匹しかいない蝉。


うん、すこし早まったな、と、
またセミの抜け殻に戻れればいいのだが、
あんだけ姿がちがうとそれもままならない。

ナオコが来る2017/4/11

 店にナオコがやってきた。

ナオコは、「ナオコでーす」と景気よくやってきた。
それも、やんちゃな子をひとり、つれて。

「いまどこに住んでんの」

「シンガポール」

「そう、いつまでいるのさ」

「えっと、今週くらいまで、この子の始業式があるから」

「向こうの学校?」

「ううん、日本人学校。せんせい、何時ごろ暇になるの?」

「え。いま、暇だけれども、12時過ぎたら、混むかな」

「そっか」
と、ナオコは券売機に向かってなめるように見渡し、
大盛りラーメンを購入した。


「この子、お腹すいているっていうから、
ふたりでわけて食べるね」

「ね。ナオコさ、いまいくつになった?」

と、ナオコはちょっとはにかむように「46」と答えた。

ナオコを塾で教えたのが、小学校の5年生のときだから、
かれこれ、35年が経つ。

ようするに35年前の教え子ということだ。


「旦那は、どこの国だっけ?」

「スコットランド」

「ふーん、おまえ、よく英語できるようになったな」

「そうでしょ。すこしはしゃべれるよ。旦那とは英語だけだから」
と、ナオコはさっきとはちがう笑い方をした。

「でも、この子の英語は上手じゃないんだ」

「ふーん」

大盛りが出来たのので、小鉢をつけて
ラーメンを出しながら、
ナオコの数十年前をおもいだしている。

「そーだ、おまえさ、いっしょにレッドロブスターに
行ったことあるだろ、覚えてる?」

「うん、覚えてる」

たしか、ナオコが高校時代だったように記憶している。

彼女をつれて、レッドロブスターをおごったことがあった。

ドサっと一匹のでかいザリガニが出てきたとき、
まず、ナオコは腕まくりをして、そのザリガニと格闘した。

わたしは、食べ物をまえに腕まくりする男性も、女性も
見たことがなかったし、あれ以来、そういうひとに
出くわしたことも皆無である。

で、食後に車にもどるときに、彼女は、
鼻をスウスウ吸っている。


「どうした?」

「ご飯粒が鼻の奥に詰まった」


色気もあったもんじゃない。


「な、ナオコさ、レッドロブスターの飯さ、
鼻につめたの、覚えてる?」

「うん、覚えているよ」

そーか、そこまでバカではないんだな。


「そういえば、おまえ、言っていたな。
じぶんの部屋には謎の空間があって、
夜食の皿には、分離したマヨネーズあったり、
万年床の下にはなにがいるかわからないから、
そのまま放置してあったり、
着た服とか、着ない服とかが、部屋に山積みになっているのを、
クウって臭いで、着た服と着ない服とを
嗅ぎ分けているって。いまでもそうなの?」


「うん、それ、定番でしょ。いまでも、バッグの中から
取り出して、これ、着られる、とか、着られないとか、
それやってるよ」


ふーん、三つ子の魂なんとやらというが、
結婚して、子どもふたりもできても、
洗濯物とそうでないものを嗅ぎ分けているのである。


ご主人は、スコットランド育ちの、
10歳年下の、大学教師である。


「しかし、よくおまえと結婚したな」


「うーん、ね。なんでだろ」

「家に帰ってまでむつかしいこと考えずに
済むからじゃないか?」
とわたしが言ったら、
「あ、そーか、そーか」と
ケラケラとナオコは笑いだした。


わたしの知っているかぎりで言えば、ナオコは
天才肌ではないことは折り紙づきである。


「サチコさん元気ですか?」

「うん、元気だよ、もうすぐ来るけど」

すこし、お客さんも来店してきたので、
ナオコとその息子は店をあとにした。


しばらくして、妻が店に来る。
もちろん、ナオコが外人さんと結婚していることは、
じゅうじゅう承知である。

「いま、ナオコが来ていたよ」

「あら、そう」

「息子さん連れてね」

「そう、ハーフだった?」


わたしは、この質問がむやみに可笑しかったのだ。

津久井湖漂流2017/4/7

 まだ、次女が生まれていないときの話である。


 当時、職場の同僚と、連休となると、
家族ぐるみで旅行に出かけた。

 4、5世帯で移動するものだから、
総勢15人くらいの集団となるときもあった。


 五月の連休に、車4台で山梨にゆき、
その帰りに津久井湖に寄った。

息子が「お父さん、あのラクダに乗りたい」と言ってきた。

「ん。どれ」

「あれ」

それは、湖にうかぶスワンであった。


「あのな、あれは白鳥、ラクダじゃないからな」

と、しっかりと息子をたしなめてから、
われわれは、息子と娘をつれてスワンに乗った。


息子の母は、ほかの家族とともに、
遊覧船でのんびり周遊ということになり、
われわれだけは、人力のアナログな装置に
便乗することとなったのである。


はじめてスワンという乗り物に乗ったのであるが、
右に息子、左に娘を配しペダルを漕がせ、
わたしは、フック船長よろしく、
ハンドル握っていざ出発である。

が、このスワンというシロモノは、
ほとんど前に進まず、湖面をただぴちゃぴちゃ
音を立てるだけであった。


と、妹が「ハンドル持ちたい」と言うので、
わたしはいやいやながら、娘と交代して、
ペダルを漕ぐはめとなる。

しかし、ほとんど前に進まない。

簡単にもうしあげれば、徒労である。

と、娘が「ねぇ、なんか動かなくなっちゃった」と言う。

「え、どれ」と、わたしがハンドルを握ってみると、
ハンドルはくるくる回るのだが、
梶がまったく効かないのだ。

つまり、われわれ三人は、操作性の皆無になった、
ただ、水面に浮かんでいる白鳥の中に
取り残されてしまったということなのである。

父として、それでも立派な仕事をしようと、
白鳥のうしろまで手をのばし、
針金の部分、ようするに梶を操作する部分を
いじってみたが、なんにも変化はしない。

じゃあ、手で水を掻いてみようとしたが、
そんなことじゃ、この難物はびくともしない。

わたしたちはもう漕ぐこともせず、
五月の津久井湖の風にただ吹かれている
だけとなった。

目の前にいたボートの釣り客が、
いまでは、ずっと遠くに見える。

ということは、わたしたちは、
肌寒い風に、流されているということなのだ。

しかし、子どもふたりは、
この状況に、平然としている。たいしたものだ。

つまり、われわれは、津久井湖という人造湖の
まんなかで漂流している、ということにほかならない。

と、そこにひとりでボートを漕いで、
帰ってゆく人に出会う。


「すいませーん。帰るんですか」
と、わたしが訊くと、
「そうだよ」と答える。

「あのー、これ動きがとれずに困っています。
係りのひと、呼んでもらえますか?」

「ん。あ、いいよ」
と、ボートのひとはそれきり桟橋のほうに
消えていった。

もちろん、携帯電話などない時代である。
スワンの持ち時間は30分。

とうに時間超過である。

わたしたちは、どんどんと津久井湖の
真ん中に、ゆらゆらと流され、
ほんとうにボートのひとが係りを呼んでくれたのか、
それもわからずに、ここにこうやって
じっとしているしかなかった。

そのときである。

ずいぶん遠くに遊覧船が見えた。

と、どうしたことか、ふたりの子どもたちは、
スワンから身を乗り出して、
「お母さーん。お母さーん」と、
ふたりで叫びだしたのだ。

「馬鹿者! こんなところで騒いでもしかない。
しずかにしろ」と、わたしはふたりの子を
もとの椅子に戻して、黙らせた。

やはり、ひどく心配していたのだろう。

が、こんな父親のまえで、うろたえたら、
また、なにか言われるか、叱られるとおもったのか、
だから、じっとしていたにちがいない。


しかし、遊覧船を見た刹那、
その緊張感からいっしゅん解放され、
母親を切望したのだろう。

あのとき、あ、この子たちとは、
おれはずいぶん距離があるのだなと
認識した現場であった。


と、しばらくして、
湖面をひとすじの白波を立てた、
モーターボートが
わたしどものスワンめがけて進んでくるのが見えた。


「これかぁ、動かないのは」
と、係りの男性の声。


「そうです。そうです」

「待ってろな」
と、その男性はスワンのクビに縄をかけて、
「ちょっと捕まっててくださいね」と言い、
スクリューのついたボートを反転させて、
スワンを牽引してくれた。

牽引した瞬間、われわれ親子三人は、
きゅうに身体がうしろにのけぞらされた感じにおそわれる。

やはり力があるんだろう、
モーターボート、それに引きずられたスワンは、
津久井湖の水面を
流星のようなものすごい速さで
一直線に桟橋まで戻されていった。

たぶん、あんな速さのスワンを見るのは、
湖にいる客だれもが未曾有だったのだろう。
たいそうな視線を感じながら、わたしたちは、
ようやく船着場にもどることができた。


船着場では、ほかの連中が、
フェンスに寄りかかりながら、私たちを見ている。

「どうしたんです」

「いやぁ、スワンが壊れて漂流していたんだよ」

「またぁ、また作り事ですか」

「ちがう、ちがう、ほんとうよ」

と、いつも冗談を言っているわたしの話を
信用しない連中であった。


わたしは、陸にあがってすぐに、
もぎりのうら若き女性のところに行って、
「どうしてくれるのよ、怖いおもいはするし、
寒いおもいもするし、手も汚れちまったよ、
どうすんのよ」と、すこしつよい口調で言ったら、
その女性は、「あのぉ、どうすればよろしいでしょうか」
と、訊くものだから、わたしは言下に答えた。
「ん。金かえせ」

で、わたしの財布には700円という大金が
もどり、津久井湖漂流事件は、一軒落着となった。


そのあと、じぶんの記念のお土産に、
しいたけの原木を購入して家路についた。

しいたけの原木からは、無数のしいたけが
生えるとふれこみにあったので、わたしはたのしみにしていた。

直径30センチくらいの原木である。

が、待てど暮らせど、しいたけはいっこうに
生えてこなかった。


わたしは、騙されたとおもった。

湿気のある部屋においてあるから、
説明書どおりである。

数週間、わたしは原木を放置しておいた。

と、それはそれは驚くことがあったのだ。

しいたけの原木からは、たったひとつの、
その原木とおんなじおおきさのしいたけが、
できているではないか。

まるで、インデペンデンスデイの
宇宙からの円盤のようなしいたけができていた。

とても気味悪いので、
わたしは、原木ともどもゴミ箱に捨てたのである。

ママチャリ2017/3/29

 そろそろ春になろうとする公園に、
数台の自転車が置かれている。

 それも、みなチャイルドシートをつけ、
ある自転車は、前輪のうえにもついている。

 わたしは、その自転車群をみていると、
いつも、なにか高圧的ななにかをかんじてしまうのだ。

 それは、どちらかと言うと不快な感覚である。


 今朝、小学校の低学年だろうか、
もう春休みだというのに、ランドセルを背負い、
出かけてゆく子がいた。

 どこに行くのかと聞けば「塾」だそうである。

 小学校から塾通いである。

 いまの子どもたちは、ほぼ、
スケジュール通りに、学校がおわれば、
習い事をする。

習字、水泳、そろばん、ピアノ、それに学習塾。

 遊ぶひまさえない。

寸暇を惜しんですることといえば、
携帯のゲームくらいである。

 なぜ、子どもはこれほどまでに、
習い事をしなくてはならないのか。


 おそらく、今日の保護者の
おおよそは「みんながしているから」
という信憑で、そうしているのか、
あるいは、「将来のため」という動機付けではないだろうか。


「将来のため」というのは、
いい大学にはいり、いい就職をし、いい伴侶をみつけ、
そして幸せになる、という道筋を
親は子に願うものである。


みんながしている、という考量は、
これは、農耕民族性のあらわれであり、
また、将来のためというのは、
学歴と幸福論が架橋していることのあらわれである。

これは、ちょうどモード現象という
社会装置と類比的である。


モード現象とは、上位にある個人や集団の

独自性を模倣し、一方で、
下位の個人や集団との違いを強調、差異化のように
見せて、じつは同化のベクトルでしかない、
こういう機構に乗って動いている社会装置のことをいう。


つまり、ドミナントにきどったつもりが、
まわりをみたら、みんなといっしょじゃん、
みたいなものである。


わたしは、いまの社会が
ものすごく劣化しているとはいえ、
そこに住まうひとが、子どもを塾にやり、
一人前になってもらいたいと希求することに、
全面否定することはないけれども、
ただ、危惧することは、
習い事も学習塾も、すべて、
受動的な領域である、ということなのだ。


すべて、与えられて、それを
我が身でもって、吸収したり、暗記したり、
そこに、創造性を開花させる装置が皆無であることに、
わたしは、この国の将来をおもうと、
頭を抱えてしまうわけである。


言われたことはなんでもこなすが、
じぶんから、独創的なことができない
人間を大量生産しているこの国を
憂うわけである。


子どものときは、野原にほったらかしにして、
ミミズを引き抜いたり、
川原でぼんやり陽の沈むのを眺めたり、
山で、食べられるきのことそうでないのを選別したり、
海で、フジツボに足をさして痛がってみたり、
フナムシを捕まえてつぶしてみたり、

そんな、子どもの自由にさせてやる時間がないものだろうか。


子どもの無限にある創造性は、
いま、親によって、剥ぎ取られてはいやしないだろうか。


でも、それでいいんですよね。

だって、みんなといっしょだから。


高学歴のないバカにはなりたくないのだから。


じぶんの子をよーく見つめて、
その子が、どんな子なのか、よりも、
むしろ、まわりのみんなに、その子を
合わせるように仕向けてはいやしないだろうか。


でも、それが正しいんですよね。

みんなといっしょ。出る杭は打たれる。


しかし、いま、企業は個性を求めて、
人材探しをしているところだが、
就職活動をしている学生さんは、
みんな、おんなじような背広やスーツを着、
おんなじようなカバンを持ち、
じぶんのアイデンティティーを押し殺して
企業面接にゆく。


このパラドクスをなんとか打破できなものだろうか。


つまり、独創的な、ユニークな、
世界に唯一な人を作り上げるには、おそらく
この世の中の価値観を総取っ替えしなくては
ならないのだろう。


 カードゲームみたいに
簡単にできることではないけれども、
産業構造改革とともに、大々的なパラダイムシフトを
しなくては、この日本という国が、
とてもおバカな島国なってしまうような気がしてならないのだ。


チャイルドシートはもちろん道交法によって
そう決められてはいるが、
そこに乗せる子どもたちには、
チャイルドシートから降ろしたあとは、
ほら、自由に遊んでおいで、
飽きるまでゆっくりね、
お母さんは、なんにもしないで遠くにいるからね。


わたしが、あのママチャリに
どうもいいイメージがないのは、
勉強なんてできなくてもいい、心の広く、
きれいな子になって、ほかのだれでもない、
たったひとりの人間になってほしい、
という気持ちがほとんど希釈されている
その象徴のようにおもえてならないからなのである。


子どもには、もっと外で自由にさせたらどうかな。


もっと光を。

才能とは2017/3/28

 むかし、たいそうな濡れ衣を着せられたことがある。

予備校の応接室に呼ばれ、
社員の先生から開口一番、

「あなた、逮捕されますよ」
と言われた。

「はい?」

「調べれば、だれが書き込んだかわかりますから」
と。


「あの、なんのことでしょうか」

寝耳に水、わたしはぼんやりするしかなかった。


その話は、こういうことだった。

2ちゃねんる、というサイトに、
実名入りで、予備校講師の名前と、
それとつきあっている現役女子高生の名前が
4人、列挙されていて、
それを書き込んだのが、ある女子高生であって、
署名付きなのだそうだ。

 そのタレ込んだ女子高生の母親がこれを
見つけ、うちの娘の名前が利用されている、と
塾側に抗議したらしい。


 で、その4人の塾講師は激昂して、
いったいこれを書いたのはだれか、
ということで、とどのつまり、わたしだろうと、
それを塾の上層部に陳情したのだ。

 なぜ、わたしなのか、
このタレ込んだ生徒は、4日間のわたしの漢文の授業に
出ているから、そして、あいつは、そういう
事情に詳しいから、きっとあいつだ、
という理路で、わたしが犯人にされた。

しかし、その漢文の授業というのは、
生徒数156名だったか、2階の大教室が
満杯で、キャンセル待ちが5人くらいいた授業である。

通常授業をとっている生徒ならまだしも、
短期の授業の子など、もうしわけないが、
顔もわからない。

そして、わたしは、いまもそうだが、
2ちゃんねるの存在は知っていても、
それをついぞ見たことがないのである。

「あのぅ、それはどんな文面なんですか」
と、訊くと、
「それは、もうしあげられません」
と、拒否された。

 だから、わたしは、その文面がどんなものか、
はたまた、その4人がだれなのかも、
知らずじまいだった。


 しだいに噂で、この4人の先生はだれなのか、
わかってきたのだが、
その4人は、わたしの知る限り、その情報は正しかった。

 しかし、そんな不純なことをしている4人が
激怒して、なんで、なんの関係もないわたしが、
咎められなくてはならないのか。

 罰せられるべきは、その不純異性交遊をしている
彼らではないのか。

 わたしは、そのときつくづく「不条理」というものを
感ぜざるを得なかった。




わたしは、その翌年、ここを解雇された。
理由は言われなかったが、
友人の先生からは「河合」とか受けてみたら、と
言われていたので、そういう不穏なうわさは
わたしのしらないところであったのだろう。


じぶんにもっともわるい情報は、
じぶんには、もっとも遅く伝わるものである。


しかし、だれがこの書き込みをしたのか、
いまだわからずじまいだ。


被害者とは、こういう構造で
生産されるときもあるから、、
本人のまったくあずかりしらぬままという
場合も覚悟せねばならない。


つまりは、太いパイプをもっているとか、
深い絆があるとか、
そういう関係を構築しておかないと、
いつ、なんとき、じぶんが被害者になるとも
限らない、ということだ。



どこぞの理事長が、いまペラペラと
しゃべりまくっている。


これには、時の政権幹部も頭を抱えてるだろう。


「裏切られた」とおもった瞬間から、
すべての絆がちぎれ、
その怒りが、証人喚問の席で再演されたのだろう。


「これ誰にも言うなよ」と言われて、
それを守らせるには、
それを担保すべき「つながり」を構築しておかねばならない、
という好例である。


わたしのもっとも主要な仕事場を
辞めた理由、いや辞めさせられた理由も、
「ゆかりん」とかいう子にマイミク申請した、
というただそれだけであった。

いちど、ある弁護士に相談したのだが、
「それだけの理由ですか?」と弁護士は言っていたのだが。



「ゆかりん」が、ほんとうは誰なのか、
ミクシィをされている方ならわかるだろうが、
ここは、血の通った生身のにんげんではなくて、
空想上の空間であり、それは、だれでもないはずである。



 しかし、その「ゆかりん」の
学年主任が、わたしをダカツのごとく毛嫌いしている
ひとだったので、これを大問題にして、
わたしを、職場から引きずり下ろしたのである。


 そのひとは、国語の教師で、わたしの先輩で、
しかし、漢文となると、教科書に書き下し文を
ぜんぶちいさな字で、指導者から書き写し、
訳を書き写し、じぶんの教科書を
じふんの字で、真っ黒になるくらい埋め尽くして
授業に出かけてゆくひとだった。


わたしは、そのひとの教科書を
「耳なし芳一」と呼んでいて、
こっそり、わたしの、何も書いていない教科書と
取り替えてやろうかと、かんがえたこともあった。



つまり、無能な男だったのだが、
かれは、理事長に媚びへつらって、
ついに、教務部長まで登りつめた。


世の中は、能力でも、性格でもなく、
深い絆なのだろうが、
その絆を築き上げるのも、
ひとつの才能なのだろう。

母になる2017/3/25

 陣痛がはじまったのが、
午前2時、長女の母親は長女とともに、
病院にむかう。


 産まれたのは、その日の夕方の5時ごろだったから、
ずいぶん長くかかったものだ。

 
 母の胎内にいるときから、
胎児には、母の声も外界の音も
すでに認知しているらしい。

 だから、モーツァルトとか、
ほかのクラッシックとか、それを聴かせていると、
すこぶる胎児にはいいそうだが、
母が胎内にいる子どものために
会話する、ホースのようなものまで、
市販されているそうだ。

 いわゆる胎教というやつだ。

 わたしの知人で、
胎教にいいから映画にゆこう、と
ご主人に言われ、
観た映画が「座頭市」だったという話をきいた。


 北野武の「座頭市」である。

 いたるところで、切り合いがあって、
映画としてはおもしろいだろうが、
血がびゅんびゅん飛んだり、
ばたばた人が死んだり、
はたして胎児にはどんな影響があったのだろうか。


 また、その方は、友だちから、
これも胎教にいいということで、
外に出て、見たものといったら、
「木下大サーカス」だったそうだ。

 熊が自転車に乗ったり、
高いところを棒一本もって渡ってゆく
ひやひやものの演技とか、
どうみてもお腹の子には、あんまり
いい影響のあるものとはおもえないが、
いま、その子もすくすくと成長されているらしい。




「産まれた」というラインが妻から来たのが、
16時54分。

「ほんと。でかした。で、なんでわかるの」とわたしが聞き返すと、
「ご主人からラインが」との返事。


「母子ともに元気か?」

わたしがもっとも気になることである。

「元気」と返信がある。

そして、産まれたばかりの孫の動画が送られてきた。

「娘は?」

「だから元気っていったじゃん」


「いや、むしろ娘の姿が見たいじゃん」
と、わたしはせっつくようにラインした。

 たしかに、孫は可愛いのだろうが、
わたしには娘のほうが大事である。


と、ちいさな命を胸に抱いて
ベッドに横たわっている長女の微笑む写メが
ラインに送られてきた。




「ロードって知ってる?」
長女がまだ高校生のころ、小学生の次女にそう訊いたのだ。

そこで、わたしは、食事をしている長女に、

「お前、カラオケ行っただろ?」と、問うた。

と、娘は、食べていたなにかを
口から半分もどしながら、
「う」と前かがみになったのだ。

で、わたしは、「年上の男と行ったろ?」とつづけて訊いた。

「う、うん」

「全部、おごってもらったろ?」


「わたし、墓穴ほった?」と彼女。

そもそも、ロードという曲は、そこそこの年齢になった
男がカッコつけて歌う楽曲である。

たぶん、娘はその曲を知らなかったのだろう、
ふーん、こんなカッコイイ歌があるんだ、
きっとそうおもったはずだ。

で、次女にその辺の事情を訊こうと
「ロードって知ってる」と言ったのだ、
というのが、わたしのプロファイルである。


べつに、長女がハスッパだとはもうしあげないし、
仕事も、人並みいじょうにこなしているし、
それは、わたしの娘にしては、
よくやっているとおもうが、
わたしには、よく減らず口をたたく、
そんな娘がいま、出産をして、みずからの子を
抱いている、その顔は、まるで
神がのりうつっているかのような微笑みを浮かべ、
その子を眺めやっているではないか。


「愛」という一語などでは語れない。
むしろ「慈しみ」という語のほうが近いかもしれない。
それは、ひじょうに美しい表情であったのだ。

「こんなきれいな娘を見たことない」と、妻にラインをした。


と、それから、しばらくして、ご本人からのライン。

「ぶじうまれたよ! しぬかとおもったけど」


わたしもひらがなを多用するが、娘もそうななのか、
あるいは、漢字を知らないのか、こんなラインだった。

でも、わたしは、そこで、

「おめでとう」でも、「でかした」でも「よくがんばったな」でもなく、
こう返事した。


「お前の表情、美しいよ」


わたしが、彼女にたいして、生まれてはじめて
掛け値なしに褒めた、さいしょの言葉である。


さ、この父親の称賛にたいしてどんな返事が来るのか。


「ありがとう」

「ほんと、うれしい」

「はじめて、言われた、そんなこと」


さあ、どれだろう。

と、すぐさま彼女から返事が来る。


「でしょ! 母になった!」


なんだ、その「でしょ」ってのは。

肉と豆腐のうま煮2017/3/23

 豆腐があったので、
肉を切っていっしょに煮てみた。

 これが朝昼兼用の食事である。

「肉と豆腐のうま煮」という料理だ。

 醤油とだしと生姜、そこに
豚肉と豆腐、ねぎ、それを煮るだけの簡単な
料理である。


 この日は、晩飯に「かけ蕎麦」を食べる予定だから、
ひどく粗食ということになる。


 わたしが、この料理を知ったのは、
はるか幼少期のころであった。

 サラリーマンであった父が、
雨がふると、どこから家に電話して、
駅まで傘をもってくるようにと言づけ、
その傘をもってゆくのがわたしの役目だった。

 携帯電話などない時代だし、
ましてや、乗車案内のアプリなどないから、
ひどくアナログな世界だったとおもう。

 だいたい父が帰るだろうころに、
小学生のわたしは二本の傘をもって、
駅に立っていた。

 さながらハチ公のごとく。


 そして父が駅から出てくると、
ふたりで商店街をあるいて帰宅するのだが、
そのときは、いつも、路地裏の中華屋によって、
父はビールを飲み、わたしは、
夜食のように、毎回、「肉と豆腐のうま煮」を頼んだ。
この字型のカウンターだけの店であった。

「肉と豆腐のうま煮ください」というと、
若いのかそうでないのか、
子どもだったのでよくわからないが、
その板前さんひとりで切り盛りしている店で、
「肉と豆腐のうま煮ね」と復唱しながら、
つくってくれたのをいまでも覚えている。


 出てくるものは、そんなに高級なものではなく、
父がビールのほかになにを食べたのかも
覚えていないが、あの「肉と豆腐のうま煮」の味だけは、
記憶の片隅にいまでものこっている。

 小学校の高学年だったのか、
そのころから、わたしは、父よりは
頭脳明晰ではないかと自覚していた。

 父は、明治大学を出たのか、あるいは、
高校卒なのか、はっきり教えてもらえなかったが、
すでに、わたしは父よりも
ものごとの道理くらいは理解しているとおもっていた
すこぶる生意気な少年だった。


 ただ、一流の生命保険の社員だったおかげで、
ひもじいおもいをしたことはいちどもなく、
また、お前には金がかかっているとか、
親への感謝を強要するひとではなかったので、
それは、ものすごくありがたいことだった。

 兄と姉は、小さい頃に亡くなっているので、
わたしのことは、大事におもってくれていたことも
じゅうじゅう理解していた。

 だから、おもちゃ売り場で、すきな鉄砲買ってよい、
というときも、わたしは、むしろ、
過保護扱いを子どもながらに忌避していたから、
そのピストルの並ぶなかで、
もっとも小さな、もっとも廉価なものしか、
ねだることができなかった。

 「お前は、えらいね」
と、そのとき父に言われたこともはっきりと覚えている。

 肉と豆腐のうま煮は、楕円の白い器に盛られ、
れんげでもって、ふぅふぅして完食し、
わたしたちは、自宅にもどってゆく。


 いま、その父も、母も亡くなり、
団子坂のお寺には、父・母・兄・姉が眠っているが、
この家を継ぐ者として、わたしひとりが、
まだ生き残っている。


 わたしの作る、わたしだけの
「肉と豆腐のうま煮」はけしてうまいものではない。

 あのとき食べた、「肉と豆腐のうま煮」も、
ほんとうは、わたしの作るものと
そうかわりはないかもしれないが、
子どもの記憶は美化されるから、
よくわからないままである。

 ただ、子どものころに食べた
「肉と豆腐のうま煮」には、
いつもとなりに座る父の姿と
そぼふる雨の匂いだけは

忘れずにあるのである。

ゲシュタルト崩壊2017/3/23

 卒業式に出席した。
同窓会会長というお役目、
むかしは、PTA会長のつぎに並ばされて、
来賓、2人目だったのが、
いまじゃ、区議会議員やロートルのPTA顧問の
つぎに並ぶことになり、
兵隊さんの位もどんどん成り下がってきた。

 

その大田区議も、海外で豪遊しているところを
マスコミに抜き打ち取材されて、
あたふたとしたところが、
テレビ画面におおきく映し出され、
いわゆる時の人となった方である。

 

 

いよいよ、卒業生の入場である。

副校長が拍手をうながす。

 

児童たちの、「威風堂々」の演奏のなか、
来賓、保護者、教職員の拍手のなか、
卒業生34名が、間隔をあけつつ入場する。

わたしどもは、ひたすら拍手をつづける。

眠くもあり、二日酔いも手伝い、
わたしは、なぜ、拍手をしているのか、
ただ条件反射的に、両手をたたいているような
そんな気がしてきたのである。

 

 

そもそも、拍手という身体運用は、
どういうコノタシオン(いわゆる含意)をもっているのか。

中国人などは、指をひろげて、おおきな口あけ、
バチバチ手をたたくが、それが、芸能界にも飛び火して、
わりに、可笑しいときに、みな、中国流の拍手をするが、
なぜ、拍手をするのか。
たぶん、芸能人は、顕示的な意味合いもあるのだろうが、
一般的には、
賞賛、賛美、賞揚、ま、そんなところだろう。
が、そういうときに、なぜ手と手をあわせて、
じぶんの手を痛めつけながら
それを何回もくりかえさねばならないのだろう。

 

 

ちょっとおすましして、
とびきりのおめかしの34名が
体育館のじぶんの席に腰掛けてゆくのを
眺めながら、そんなことをかんがえていたのである。

 

 

 

そして、わたしは、いまなぜ、拍手をしなくてはならないか。
その理由はなんなのか、
はたまた、ひとりだけ拍手をやめたら、
この場ではどうなるか、なんてことを
おもいはじめていたら、
じぶんが、拍手する意味さえもわからなくなってきたのだ。

 

これって、ひょっとすると
「ゲシュタルト崩壊」なのじゃないだろうか。

 

「ゲシュタルト崩壊」というのは、
ウィキペディアによれば、
「知覚における現象のひとつ。
全体性を持ったまとまりのある構造から
全体性が失われてしまい、
個々の構成部分にバラバラに切り離して
認識し直されてしまう現象をいう。
聴覚や皮膚感覚においても生じうる」とある。

 

ウィキペディアが正しいかどうかは
わからないが、皮膚感覚でも起こりうるというのだから、
やはり、これはゲシュタルト崩壊なのである。

 

と、待てよ、
これをもっと敷衍してかんがえれば、
人生においても、友だちと映画を見ているときも、
ひとり、じぶんのために料理をつくっているときも、
恋人と手をつないで都会の喧騒をあるいているときも、
なにか秘め事をしているときも、
母の看病をしているときも、
じぶんっていったい、いま、なにをしているのだろう、
とおもうときが、あったかもしれないし、
これからもあるかもしれない。

 

 

いったい、じぶんってなんだろう。
いまなにやってるんだよ。

 

これって、ゲシュタルト崩壊じゃなぃか。

人生はただ一つの質問に過ぎぬと、論破したひとも
いるけれども、「いま、わたしはなにをしているのか」
という問いこそ、ゲシュタルト崩壊の
真っ只中かもしれない。

 

ということをかんがえつつ、校長先生の式辞がはじまり、
わたしは、こんな迷宮の問いを
頭のなかでぐるぐる回しているうちに、
どうも、昏睡状態に陥っていったみたいだった。

 

 

校長先生の抑揚のない、おもしろみの欠如した
ごあいさつが、
わたしの睡魔を背中から後押ししたせいもある。

どのくらいの時間が経ったのか、
先生の式辞がおわったらしく、
卒業生一同が、ざっと起立する。

 

その起立の雰囲気がわたしに、ひたと、つたわり、

わたしは、はっとして、

おもわず卒業生といっしょに

起立しようと、身体をびくりとさせたのだ。

 

 

そう、わたしは、あぶないところで、ただひとり、
来賓席で、卒業生といっしょに起立するところだったのだ。

 

つまり、ようするに、 
卒業式では、あまり複雑なことを
考えずに、ただ、ぼんやり座っているのがよろしい、
ということである。

先生との会話やら、三者面談2017/3/21

 卒業を祝う会というのがあった。
わたしがまだ高校の教師をしているころである。

 となりに座ったのは
三年間、担任をした子の親である。

 その母親がしきりにわたしの耳元で
「イナゴが、イナゴが」と言うのだ。

 「はい?」わたしが聞きなおすと、
「イナゴが頭から離れないんです」

 「イナゴですか」

 「はい、先生が入学式におっしゃったことが」

 「あ、あれですか」

 たしかに、わたしは、三年前の入学式に
53名の保護者のまえでもうしあげたことである。


「大学受験はむつかしくて、
帝京大学に120名が推薦入試を受けて、
受かったのは2名でした。
それって、イナゴの大群が
海にむかって飛んでゆくようなものです。
ほとんど帰ってこない」

こんなことをもうしあげたはずであるが、
その母親はそれを三年間ずっと
胸内にしまいこんでいたのである。

 言葉とはおそろしい。


 担任をしていると、
じつにかわった親にあうものだ。


 男子生徒であったが、どんな悪いことをしたのか、
親を呼び出したことがある。

 べつにわたしは親を叱りつけるつもりもなく、
これから先のご相談、というようなことを
話すつもりでいたのだが、
その母親は頭をたれながら、
「なにが悪いんですかねぇ、先祖が悪いんですかね」
と、言い出した。

よりによって「先祖」なんか持ち出すものだから、
ご先祖様だって、ゆっくり休んでいらないだろう。

へたすれば、墓場から起き出してくるよな。


 夏の面談。
むかしは、クーラーなんてなかったものだから、
それは蒸し暑い部屋で扇風機まわしながら
一日に、10人くらいの三者面談を組んだ。

 とにかく、朝から夕方まで、
こちらはひとりなので、終わるころはぐったりした。

当時は、三軒に一軒くらいのわりあいで、
ビール券とか、家で捕れた野菜などを
もってきてもらうのが常だったのだが、
桜井君(仮称)との面談のときに、
やはり、桜井君の母親が、
ごそごそと、茶色の紙袋をだし、
「せんせい、遅くなりまして」
と、わたしの前に差し出した。

「いえ、そんなご心配はけっこうです」
と、お決まりの社交辞令でお断りし、
両手で、その紙包みをお返ししようと
その紙袋のなかを覗いたら、
それはビール券でも、高級なお菓子でもなく、
雑巾であった。

そういえば、春のはじめに各家庭から
雑巾三枚を教室に寄付するように
お願いしていたのだが、
「遅くなりまして」は、その「遅くなりまして」だったのである。

わたしは、雑巾三枚を遠慮してしまったのだ。


ぎゃくにわたしのところに
娘の学校の先生から電話が来たときの話。
つまり、娘の親としての会話である。

夜の10時過ぎ。

「ユイちゃんが、わたしのことババァって言ったんです」

突然、先生はそう語りだした。
わたしは、もちろん、
その先生をぞんじあげるわけではない。

「あ、それはすみません。で、いま先生はどちらからおかけですか」

「自宅からです」

 自宅から、わざわざ拙宅まで
電話をかけてこられたというのだから、
さぞやご立腹なのだろう。

 「それは、すみませんでした。どういうときに」

「はい、四五人で廊下を歩いていたとき
わたしが、ユイちゃんを注意すると、
廊下を曲がったところで、
ババァって言ったんです」

 「は、それは、たいへん失礼しました。
しかし、先生は姿の見えないところなのに、
よくうちの娘の発言だとおわかりでしたね」
と、わたしがもうしあげたら、
先生は「ハッ」と言って、そのあとはなにも
おっしゃらず電話を切ったのである。

 じぶんの判断に、ややぶれが生じたのかもしれない。

と、奇しくもそんなところに長女が帰ってきたのだ。

「おい、お前、柳沢先生に今日、ババァって言ったか?」

と、言下に娘は「うん、言ったよ」

 なんだ、やっぱりうちの娘だったのか。


 これは、まったくべつの学校の話なのだが、
日吉にある高校に、篠山君が入学することがきまった。
さて、担任はだれがするかで
その学校では話題がもちきりだったという。

 べつに篠山君にはだれも興味がないのだが、
いつかはあるだろう、三者面談がたのしみなのである。

 なにしろ、母親が、南沙織なのだから

神戸屋にいく2017/3/19

ひさしぶりにM子と会った。
うちに連れこんで煮たり焼いたりしようと
おもっていたら、夜、北千住で女子会をするという。

 ざんねん。

ま、うちは、
竪穴式住居のように薄暗く、
鍾乳洞のように気味悪く、
空爆された街のようにものが散乱しているから
だれも来ようとはしないのだけれども。


食事をするのが目的である。
わたしは、M子を学校まで迎えにいった。


なに食べる?


そんなラインが来ていたので、わたしは、
「らら・ぽーと」か「神戸屋」と返した。


「??」


M子は、らら・ぽーとも神戸屋も知らないらしい。
どちらも、炭水化物を取らなくても平気な料理が
揃っている。こちらがあんまり粗食だと、
相手も気にするだろう。

らら・ぽーとのフードコートには「えぼし」があって、
ご飯さえ手をつけなければ、魚だけの低カロリーのものが
どっさりある。

神戸屋は、サラダバーがあるはずだ。


M子を車に乗せて、世田谷までもどる。
わたしは、はじめて今夜、彼女がお泊りすることを
聞いたので、横浜までは無理だとおもい、
神戸屋に行くことにした。


そんなにまずくはない料理屋である。


上野毛の坂の下に神戸屋はあり、
平日の夕方だったせいか、店内は比較的がらりとしていた。

M子は、ハンバーグとビーフシチュー、わたしは、
もちろんサラダバーである。


このあいだ、M子と行ったレストランでは、
巨大なアメリカンバーガーを彼女が頼んで、
彼女は、まず食べ方に閉口していた。


これどうやって食べるの?



ん。だから、口あけて食い物いれて、
歯を上下にぱくぱくすればいいんじゃん。


んなことわかってるよ。


なんて会話をおもいだした。


ハンバーガー&ビーフシチューが来るまで、
彼女は、パンを三つほど食べていた。

なにしろ、パンの食べ放題。それも焼きたて。
わたしは、これが食べられないのが
ざんねんでならなかった。


パン食べないの?


うん。減量中だからさ。


なんで痩せようとおもうの?


そりゃ、みっともないじゃん、太っているのってさ。


え。もういいじゃん。


なに、そのもういいじゃん、って。それって、
おまえは、すでに醜くいけれども、すでに
人生は終わっていて、もうどうでもいいことでしょって
そう言ってるわけ?


と、M子はカラカラと笑い出して、


そーは言ってないけどさぁ。


だれだって、いつまでも、素敵なんて言われなくてもいいけれども、
醜いっておもわれたくないのが人情というものだ。



M子の料理が来たので、わたしもサラダバーを取りに行く。
先に、野菜だけパクパクしていたらみっともないし、
なんか紳士的ではないと、本能的におもったのだ。


サラダバーと言ったって、シズラーほど種類は豊富ではない。
ん? みると、サフランライスのサラダ・
ポテトサラダ・ごぼうサラダ・人参サラダ・
スパゲティサラダ・マカロニサラダ・さつまいものサラダ、
ずらり並んでいるが、
このすべてをわたしは食べられないのだ。

炭水化物と根菜がNGだからである。

だから、わたしは、消去法的に、
赤ピーマンとレタスととうもろこしを皿に盛った。


なんかさあ、サラダバーって言っても
食べられないものだらけだよ。

と、わたしが言うと、言下に、


口を開けて、パクパクすれば食べられるよ。

と、M子が言った。


う。仕返しされている。

大量の焼きたてパン&ビーフシチューの女と、
うさぎの餌みたいな男は、
このあと、
この店を出て、時間にまだ余裕があったので、
彼女が見たいと言った
ベイブリッジまでドライブした。


こんどどこ旅行行く?


なこと言うと、前も行ったようにおもうじゃん。


あ、そう。

あ、横浜やっぱり綺麗だね。

みなとみらいの夜景である。



ほら、あそがベイブリッジ。


あ、綺麗、綺麗。


彼女は喜んで写メを撮っている。

わたしがもう20年若かったら、
ここで、きっと口説いていたことだろう。


ざんねん。


このとき、わたしは、わたしの昔の短歌が頭をよぎった。


・髪の毛をさわっていいよ照らされて港のうえに架かる大橋

 

 

(2012.10.10)

北風小僧2017/3/18

 仕事がおわったのが11時。
大岡山にたどり着いた。
 
 昼は暖かったものの、やはり、
夜となるとまだ北風が商店街を吹き抜ける。


 そのとき、ちょうど電話がなった。



 寒いね。

 とわたしが言うと、彼女は、



 そう。北風小僧の貫太郎がまだ山に帰ってないからよ。




 そうなの。



 そう。貫太郎はね、恋をして、帰れないでいるの。



 え。だれと?


 えっと、佐伯さん。佐伯日向子さんね。
そしてね、貫太郎と日向子はつきあうのよ。
つきあって、居酒屋に行くのね。
そうしたら、居酒屋の大将が、
「きょうは、やけにこの店寒いな」とか言うわけ。
焼き鳥なんか、ほっとおくと凍っちゃうくらいなの。
貫太郎がいるからね。

 お客さんも、この店寒いなって言うのよ。
 
 だから、迷惑になるからって、ふたりは居酒屋を出るの。
そして、公園で、「日向子ちゃんは、ぼくといても寒くないの?」
と訊くの。「うん、そういえば、わたしのおばあちゃんが、
『常春の国のこたつ王国』の女王だったって」



ところが、それは、北風小僧の貫太郎と、
日向子は、ロミオとジュリエットとおなじような間柄で、
いっしょになることはできないの。

 



 そんなときに、エイジェントの雪ばんばから、
手紙がくるの。

 「地上で、仕事をしているはずなのだが、
どうも、地上の女と、いい仲になっているという
話があるけれども、どうなっているのだろう」


 そんな内容なのね。それだから、
貫太郎は雪ばんばのところに出向いたら、
「仙人に会いなさい」と指示があったので、
貫太郎は仙人のところに行くの。

 


 で、そこで、「さよならの小瓶」をもらうわけ。
この液を飲むと、いままでの歴史がぜんぶ忘れられるの。

 それでね、貫太郎は、「さよならの小瓶」もって
日向子のところに行くの。
で、これ飲んでごらん、ぼくもいつも飲んでいるんだ、って。

 



日向子が飲み干すんだけれども、貫太郎は、そのコップを
落としてしまうんだな。だから、「さよなの小瓶」の液を
飲むことができないの。


 だから、日向子はすべてをわすれてしまって、
いま、ここにいるのはなぜ、みたいな顔しているわけ。

 でも、貫太郎は、なにもかもわすれられないから、
日向子のことは忘れることができないの。

 



  その悲しさのあまり、貫太郎に羽が生えてきて、
貫太郎は、かもめになって北の海に飛んでいってしまうの。



 あのさ。


 なに?


 貫太郎はここにいないの?


そ。


 北に海に行っちゃったんだよね。


 そうよ。



 でもさ、まだ寒いのは、
北風小僧の貫太郎が


まだ山に帰ってないっていう話だったんだじゃないの。


 あら。

 と言って、彼女は高らかに笑っていた。

しあわせの場所2017/3/17

 焼肉を食べているカップルって
ほとんど深い関係になっているって知ってます?

 

 

 うん、そもそも、食事をする間柄は、
そうじゃないのかな。

 

 


 そう、とくに肉でしょ。それに食べるという
本能的なことをいっしょにするというのは、
とても深い関係にあるらしいのよ。
 わたしはね、むかしつきあっていたひと、
料理人だったでしょ、だから、焼肉屋に行っても、
わたしに焼かせてくれないの。
 だめだ、なんて言われて、じっと
焼いてくれるのを待っているの。
 で、これは、レモンと塩でとか、これはタレでとか。
わたしは、小鳥が餌もらっているみたいに、
じっとしてビール飲んでいるだけ。

 

 


 ふーん、おれはさ、焼肉とか行かないんだよね。
ほとんどに、にんにくがはいっているでしょ。
だから、行っても豚足とか食べている。

 

 


 そうなの。みんな優しくしてくれたな。
ところで、あなたは奥さん大事にされているの。

 

 


 してますよ。ちゃんと。
誕生日にはカトレアも忘れないし。

 

 


 と、わたしが言ったら、彼女は
カラカラと笑いだして、電話のむこうで
オリビアを聴きながらを歌いだした。

 

 


 歌いおわったあとから、また話はつづく。

 

 
 ひとってね、大事なひとができると、
そのひとの心の中に場所ができるの。
それがおおきな場所だったり、小さかったり。
そして、その場所は永久に消えないんだって。
だから、すきなひとができると、たくさん部屋ができて、
部屋の数だけ幸せになるんだって。

 

 

 わたしは、彼女の話を聴きながら、
宇多田ヒカルの歌をおもいだしていた。

 

 

 ふーん、そうなんだ。
ところでさ。

 

 

 なに?

 

 


 その話誰が言っていたの?

 

 

あ、この場所の話?

 

 


そう。

 

 

 
 えっと、うーん、あれ、わたしかな。

葬儀あれこれ2017/3/16

 義父が亡くなって20年ちかく経つが、
その地、その地で、葬式の流儀があって、
お通夜の晩、
「じゃ、ここで一晩お願いね、わたしは、
子どもたちがいるから、帰るわ」
と、義母と実の娘たる妻は子どもたちを連れて、
家に帰ってしまい、
けっきょく、わたしは、義父とともに、あと数人の知らない方と、
葬儀場で一晩あかすことになった。

 徳島のお通夜は、もじどおり、「通夜」であり、
夜通し死者の魂を鎮めなければならないのであった。

 そんなことを聞かされもしなかったし、
寝耳に水というか、いささか被害者的なきもちで、
わたしは義父と、だれかしらない親戚のひとと、
一晩を過ごすことになった。

 世の中には、犬などを捨てるひとがいるが、
きっと、その犬もこういう気持ちになったんだろう。

 だから、線香は蚊取り線香のように、
ぐるぐる巻かれたもので、なかなか
火が消えないようになっている。

 となりの部屋には布団が敷かれていて、
すきなときに寝ていいからと、
親戚らしい方に言われたが、
ひとり、そんなところで、いびきかきながら
寝るわけにもゆかず、
けっきょく、わたしは「通夜」したのである。


 家族の絆というものはそんなものかと、
つくづくおもったが、朝、はやく、妻は、
母と子どもを連れて会場にやってきた。

 義父は、律儀なひとで、亡くなる前から、
段取りだけは、ご自身で決めていて、
わたしが、葬送のあいさつ係であった。

 徳島の葬式は、お通夜にはだれひとり
弔問客が来ずに、告別式の日にみなさん
お集まりになる。

 だから、翌日の告別式には町のたくさんの方が
集まり、会場はひとでいっぱいになった。


 わたしが、マイクの前に立ち、
最後のお別れの挨拶をしようとしたところ、
会場の係りの女性が、おちょこを渡してお神酒をつぐのである。

 これが、徳島の流儀らしい。

 身を清めるためのか、わからないが。

 わたしはマイクの前で、一口、お神酒を飲むと、
その係の方はとなりで義父の写真を抱えている妻の前で、
「あ、奥さんはええやろな」と言って、
素通りしていった。

 写真を両手で抱えていて、
酒が飲めないからだろう。

 それを理解していない妻は、わたしにむかって、
「ね。なんで、わたしにくれないの?」
と、小声で言ったから、
わたしは、すぐに、
「お前に飲ませると、酒乱になるからだよ」
と、言ってやったら、
こともあろうに、弔問客の前で、父の写真を揺らせながら、
笑いだしたのである。

 たしかに、緊張してるときこそ、
何気ないひとことに、笑ってしまうこともあるが、
あのときはおどろいた。


 わたしの祖父は、東京日日新聞の政治記者で、
原内閣をおいかけていた。
 96歳で亡くなった。

 「今年は、わたしの8回目の年男です」
という年賀状が最後の年賀状だった。

 三鷹、禅林寺というおおきなお寺での葬儀だった。
長男も会社の社長だったせいもあり、
これも盛大な葬儀だった。

 わたしどもは、弔問客の前でいちいち頭をさげ、
その長蛇の列を見ていたのだが、
となりに座っている妻にむかって、
よせばいいのに、わたしは
こんなことを言ってましった。

「おい、たくさんお客さん来ているけれどさ、
友だちはだれも来ないよな。
だって、みんな死んでんもんな」と。


 そうしたら、妻は小刻みに笑いだしたのだ。


 不謹慎ではあるが、
こういう空気のときこそ、
むしろ、こらえることができないのである。


 わたしの働いていた職場で、
理事長が亡くなったとき、学校葬が鶴見の大学であった。

 高校と大学とつながっている学校だったから、
高校の教員と大学の職員と、
受付が用意され、わたしは高校の教員として受付に立った。

 と、対面に立っている職員のひとりが、
四角い顔で眉毛も目も細く釣りあがっていて、
やけに目立つのである。

 わたしが、となりの先生にむかって、
「ね、見てみ、写楽がいるぜ」って言ったら、
かれは、前方の、四角い顔の目と眉のつりあがった人を見て、
おもわず笑いだしたのだ。

 で、また、となりの先生に「おい、写楽だって」って
言ったら、またとなりの先生が笑いだしたのだ。

 これが伝言ゲームのようになって
わたしどもの受付は、笑いを半殺しにした
罰ゲームのようになってしまい、
そのうちのひとりは、白黒の幕の裏で笑いだしたものも
いた始末。

 どうも、こういう緊張をともなう場は、
笑うという身体運用とぎゃくにむすびつくものなのである。


 そういえば、わたしども教員は、
そのご家族の葬儀にはかならず出向いたものだが、
遺影をみてはじめてその方を知ることもある。


 そういう葬儀では、もうしわけないが、
悲しみは皆無である。

 で、することといえば、簡単な焼香のあと、
テントの中での精進落としくらいである。

 飲み物も豊富だし、煮物とか寿司とか、
食べ放題、飲めや食えや、で、けっきょく、
だれかが言い出す。

「じゃ、もう一軒、行きますか」

「ああ、行きましょう、行きましょう」
と、みな次の店にゆくのである。

 しかし、「もう一軒」と、通夜の会場が
一軒目に数えられているのが、
どうかとおもうのであったのだが。

刹那的時間2017/3/14

 ちびさんのチンチラが、
切開手術をしたものだから、
首に漏斗のようなものをくっつけている。

 女王さまのすがたにちなんで、
エリザベス・カラーというらしい。

 さて、姿をみれば、
「ジャングル大帝レオ」のミニチュア版のようになっている。

 それが、どうも怖いらしく、
兄さんのスコティシュホールドのミルキーは
タンスのうえから降りてこない。


 猫にもストレスがあるのだろう。


 その「レオ」が、孫の「こはる」といっしょに
ベッドに寝ている写メを、「こはる」の祖母が
わたしに送ってくれたので、それでは、
覗きにゆきますか、と、三階にあがる。


 三階につくと、十時を過ぎたのに、
まだ灯りがついていたので鍵を
あけてなかにはいってみる。

 と、ソファに、「こはる」の祖母、「こはる」の母、
そして、臨月の長女まで、腰掛けているじゃないか。

長女のとなりには、エリザべ・カラーまで寝ている。


女三人は、わたしのほうを見るなり、
「なんで、お前がくるんだよ」みたいな
目つきであったが、なにしろ、ここはわたしの家なので、
堂々とソファに腰掛ける。

と、チンチラはいそいでわたしから
逃げるように畳の部屋に行ってしまった。

 
「お前もいたのか」とひとりごとのように言いながら、
わたしは、長女のとなりに腰掛けた。

「いて悪いかよ」みたいな目つきでこちらを
長女はみている。

 と、腰掛けたはずのソファは、
それは背もたれが畳み掛けれたところだったらしく、
わたしは、ソファには座れずに、
そのまま床にごろんと転がってしまったのである。


 それをみて、妻も娘らも、
ひどく冷ややかな目で、
床に転がったわたしを
文字通り、上から目線で笑っている。

とてもしずかなな声だったが、
長女の「ざまみろ」という声がした。


 なんだよ、こんなところに椅子がないのかよ、
と、独り言を言いながら座り直した、
そのとき、ライン電話が鳴った。

 アキからである。

 津市にひとり、大学を出て就職をした子である。

 なにか、虫の知らせというのか、
きゅうに心配になったので、
気づいたら電話しろというラインを送っていたからであるが、
まさか、こんなとときに。

 で、べつに聞かれちゃわるい話もないが、
バツもわるいから、わたしは、「もしもし」と言いながら、
階下に降りていった。

 つまり、わたしは、
三階にあがり、女三人の睥睨にあい、転び、猫に逃げられ、
「ざまみろ」と言われ、電話の音で下に降りていった、
ただそれだけの刹那的な時間を
演じただけであったのだ。


時代2017/3/13

 「時間」とか「時代」とか、
こういうわけのわからないものを
盾にして語られると、聞いているほうは、
ああそうですか、としか言いようがなくなる。

 髪の毛を金髪にした男子学生がいたが、
母親には「今しか、できないから」と、言う。

「今」、この言葉に、世の母親は
すこぶる寛容にできている。

 ふざけるな、とかゴツンと頭叩いて、
説教するなんて親はさいきんみない。


 ほんとうに「今しかできない」のだろうか。

 明日にもできそうだし、来年もできそうである。
ひょっとすると、成人したって、金髪にしたければ
すればいい。
世間からどう見られようと、自己責任である。

 「今しかできない」という説得性は、
もっとも消極的な生き方と同時に
ずる賢い逃れ道なのじゃないかと、わたしはおもう。


 ようするに、未来を先取りはしていない、
ということとおんなじである。

 「せんせい、そんな言い方したら、
ぜったいに落ちますよ」

 わたしが、面接のノウハウについて、
授業で言うと、こういう答えがかえってくる。

 じっさい、日本人は、みずからのことを
みずからで語ることを、禁忌のように封じていた。

 出る杭は打たれる、というやつだ。

 それが、どうしたことか、さいきんは、
自己推薦とか、自己アピールとか、
農耕民族のもっとも苦手な分野が、
大手を振っているわけだ。

 だから、わたしは自己アピールできません、
そういえば、なんて生徒さんに言うと、

「せんせい、そんなこと言ったら、
ぜったい落ちますよ」と、

苦笑いしながらいうのである。

だから、わたしは訊くのだ。

「あなたさ、なんで落ちることはわかっていて、
受かることはわからないわけ」


 つまり、合否のことは、生徒さんには
まったくわからないのである。
ただ、消極的な答えを出すことだけは、
安易にできる、という仕組みだろう。


 今しかできない、ぜったい落ちる、
こういう、後ろ向きなものの見方が、
どうも、世の常のようである。


 とある小学校の前PTA会長は、
かなしいほど情けなかった。

 いまの時代がこうだから、仕事はどんどん減らしましょう。
たいへんな仕事、ならやめましょう。
なんなら、PTAをなくしてもいいんです。
顧問制度、いりませんね。

すべて、時代を統合軸にして、
やりたくないものは、すべてなくしてゆく、
という政策であった。


 入学式のときくらい、役員さんが
校門でお出迎えしてもいいのではいかと、
わたしが、ご進言申し上げたら、
烈火のごとく怒り出すしまつ。

手に負えない。

 そのときも、そういう時代じゃないんだの
一点張りであった。


 仕事には三通りある、と語るのは
内田樹先生である。

 「私の仕事」と「あなたの仕事」と「誰の仕事でもない仕事」である。

そして、この「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」
という考えをする人のことを「働くモチベーション」があると呼ぶ。

 氏はそう語る。(「おせっかいの人の孤独」から)

 つまり、床に落ちているゴミは、
「誰の仕事でもない仕事」なのだが、それを拾う、
これこそが働くモチベーションの原動力なのである。


 PTAの活動など、まさに「誰の仕事でもない仕事」なのだが、
それを「わたしの仕事」とおもえるひとが、
役員になるにふさわしい。

 なんでもかんでも、「あなたの仕事」にしてしまったら、
PTA活動など、幻想のようなものだから、
みんの承認や同意がなければ、あっというまに
消失してしまうのである。

PTAという活動の舞台は、

なにができないか、ではなく、

その狭隘な空間のなかでなにができるか、

を問う場なのである。


 そんなことも、わからずに、
すべてやめてしまいましょう、の掛け声に、
パチパチと、手を叩き、
なんてスマートな決断なのでしょうと、
目をうるませている役員さんもいたかもしれないが、
すこし、目をひらいて、ちゃんと中身を見なさいよ。


 そもそも、「時代」とか「今」とかを
ふりかざしているひとに、公平性とか、公共性とか、
道徳律とか、そんなものが欠落しているんじゃないかと、
逆説的になるけれども、「世の中、わかってないんじゃないの」
と、言いたくなるのだ。


 そんなに、時代にくわしいなら、
どんな株買えばいいか、教えておくれよ。

孫なんてもんは2017/3/12

 「こはる」は、わたしになつかない。

娘がたいそうな手術をしたものだから、
その養生もあって、里帰りしている。

 ということは、その付随として「こはる」も
里帰りしている。

 わたしが三階にあがって「こはる」と目が合うと、
というより、わたしが三階にいくと、
「こはる」は、わたしのほうを見つめるのである。

 そして、数秒で泣く。


 なにか邪悪なものを見つけたように。


 あれ、おかしいね、いままで笑っていたのに。

 なんて娘はいう。

 「あれ、おかしいね」には
「お前が来たから泣いたんだぞ、
いままでの平和を乱しやがって」
という意味合いをじゅうにぶんに含んでいる。


 むかしから、子どもには嫌われていた。
娘、ふたりも父を憎んでいるかもしれない。

 
 しかし、むかしから、そういうことには
慣れているので、それでつらいとおもうことはない。


 久しぶりに三階にあがってみた。


 と、妻が「こはる」を抱っこしてあやしている。
ナナコはいない。

 「どうした?」

 「ん。美容院。朝から行ったらかもうすぐ帰るでしょ」

 実家は、すこぶる便利な空間だ。

子どもを置いても、心からのベビーシッターが
控えているからだ。

 そんなところに電話がなる。


 ナナコの母が電話にでると、どうも娘かららしい。

 「お母さんね、まだ、溝の口だって」
と、きょとんとして抱っこのままの「こはる」に
語りかける。わかりっこないのに。


「ね。重くなったよ。抱いてみる」

「やだよ。どーせ、泣き出すんだから」

「わかんないよ、ほら」
と、わたしに「こはる」を預けるのだ。

ソファのてっぺんでは、日当たり良く、
スコティシュホールドの「ミルキー」が
目を細めて寝ている。


 わたしは、そのとなりのソファに座って
いたのだが、妻は「こはる」の胸のあたりをもって、
わたしに譲渡した。


 「こはる」を背中向きに抱いた。
たしかに、ずっしりとする。


 つまり、「こはる」は、わたしとは顔をあわさずに、
わたしをソファのようにして座っている。


 おとなしい。それに重い。

 「こはる」はわたしに抱かれながら、
しずかにテレビを見ているようだ。


 その前を妻が横切ったり、
ミヤネ屋がしきりになにかを言っていたり、
まったりとした空間と、時間が流れていった。


 孫とは、こういうものか、とおもった。


 と、「こはる」がなにを勘づいたのか、
首をぐうっと上にして、
のけぞるようにわたしのほうを見たのだ。


 つまり、荒川静香の得意技のような格好に
「こはる」はなっているのである。


「こはる」がそうするものだから、
しかたなく、わたしは、見下ろすように「こはる」を見る。


 祖父と孫のご対面である。

 わたしは上から、孫は下から。


 もちろん、このあと、
まもなく「こはる」は泣き出すのであった。


地域連絡協議会2017/3/8

 地域連絡協議会の委員として
参加している。

 地元の小学校の学校運営などを
学校長から連絡をうけ、選考されたものたちが、
一いち意見を述べるという組織である。

 地元の有力者やPTA会長、同窓会長などが、
その委員である。

 この役目をお引き受けして、かれこれ
15年が経つとおもう。

 が、「協議会」とは名ばかりで、
いちどたりとも「協議」をしたためしがない、
いわゆる形骸的な会である。


 しかし、校長から、長々と連絡をうけることは
あるから、協議会の名としては、
はんぶんは正しいことになる。

 新任の副校長先生がお見えになって、
そのときの連絡協議会は、
だれも、筆記をしていないから、
この場の状況の歴史はゼロということになる。

 象徴的といえばそれまでであるが。

 形骸的といっても、せめて
ノートにメモることくらいはしたほうがいいと、
わたしは、そのあと、
副校長先生にもうしあげたこともあった。

 いま、小学校では、シャープペンシルは禁止である。
鉛筆を使わせている。鉛筆は使わせているが、
鉛筆の持ち方は教えない。

 だから、ことごとく、子どもたちは、
書く手の親指が、鉛筆からにょきって出て、
硬直したようなカタチになる。

 欧米人は、
表音文字の言語で横書きだから、
その持ち方でよろしいが、
日本語は、縦文化で、まだ縦書きが残っているから、
あの鉛筆の持ち方では、じょうずな
日本語が書けるわけがない。

 
 大学でもしかりなのだが、
とにかく横文字の学部に受験生が集まるらしい。

 メディアなんとか、とか、
なんとかコミュニケーション学科とか。


 これは、グローバリゼーションの波の
影響であることはまちがいないのだろうが、
前にももうしあげたが、グローバル化は、
世界の価値観の共通化であり、
個別的な考量の消失につながることは
間違いないことである。

 
 グローバル化とは、
よく言えば、
「国家の地域という縦割りの境界を越え、
地球がひとつの単位となる変動の過程」である。


 が、ひとつの単位となったときに、
各国の個別性が崩壊するということも、
念頭におかなくてはならない。


 つまり、農耕民たる日本の農耕性は、
肉食文化に移行し、陰翳礼讃のような、
日本のおもむきは、すでにかなたに葬り去られそうに
なっている現状だ、ということである。

「風情」という言葉が死語となり、
スカーレットオハラの名台詞、
「いいわ、明日になったら考えましょう」も、
早く答えろよ! という罵声となって返事がもどってくる。

速度礼讃の社会において、
日本的情緒のうすれてくることを
もうすこし初等教育で見直していただかなければ
ないらないのではないかと、わたしはおもう。


これも、別稿でもうしあげたが、
「時間の成熟」を、子どもたちに教えないと、
グローバル化の潮流におしながされてしまう。


ハワイでは、月に虹がかかることがあるそうだ。
それをムーンボウという。

これは、現地のひとでもめったに
見られない現象らしいが、
ムーンボウを見るために、
一晩、月を眺めている、
そんな「時熟」なときがあってもいいのではないか。


 望遠鏡で見る、
ケプラーb22、あ、これは見つからないか。
肉眼でも確認できるが、銀河系のむこうにある
アンドロメダ大星雲、それをさがして、
そのむこうになにがあるか、
そういうことにおもいをはせる。

素敵じゃないか。


 
 そもそも親が、携帯などのゲームを
やらせるのも、あまり感心したことではない。


 規格品のゲームは、子どもの
想像力と個別性をねこそぎ剥いでしまうからだ。

  
 なぜ、じゃ、やらせるのか。

 「みんながやっているから」が、その答えである。

 「みんながやっている」という考量こそ、
農耕民族たるわが国の、かなしいものの見方なのだが、
こういう負のスパイラルで、
日本の独自性がつかわれている、
という逆説を感じざるを得ないのであるけれども。


 だから、高度資本主義の末期において、
われわれが、これからさき、
この、あるかないかわからない未来を
この子たちに譲渡するとき、
しなくてはならないことといえば、
ゆっくりした時間も味わおうよ、
ということなのだ。

 時間にしばられた、時間割のなかに
児童をおしこめるだけでなく、
あるときは、昼過ぎから、川原にでかけて、
すきなことしていいよ、というのも、
教育なのかもしれない。


 ということを、こんどの
地域連絡協議会でもうしあげようとおもうが、
こんな長い話、だれも聞いてくれないだろう。

処世術2017/3/8

 にんげんを二分すると、
たとえば、耳糞が乾いているひとと、
そうでないひと、とか、くだらない話から、
人にばかにされるひとと、人をばかにするひと、
尊敬されるひととその逆、とか、
いろいろ二分割されるが、
人懐っこいひとと、そうでないひと、これもよくある話だ。


 わたしの娘ね、
ほんとによく、おとなのひとと親しくなるのよ。


4歳のときね。

郵便局に行って手続きしてたら、
いなくなっちゃって、
そうしたら、椅子に座ってるのよ。

さいきん、引越ししてきたんです。
まずは、自己紹介します。わたしは、伊藤さつき。4歳。
まだ、幼稚園にも行ってません。

好きな食べ物はいちご。

ママは、1月15日生まれ 山羊座のO型。
得意料理は、おでんと餃子。

なんて言うのよ。個人情報ダダ漏れだけれど。

老人ホームの慰問みたいになっちゃってるからさ、
びっくりだよ。

ひとの懐に入るのが上手なのよ、
あれが天性の才能なのかな。


古い言葉もよく知ってるの。
「いささか」とか「すこぶる」とか「しいて言えば」とか使うわけ。

またさ、敬語の使い方がなってるんだな、
「おばさん、これお持ちいたしましょうか」とか
幼稚園のころから言うのよ。


それでね、ひとの話をよく聞くのね。

わたしなんか、逆立ちしてもできない。

斜め向かいに住んでいたおばあちゃんがね、、
このチョッキは先月、手編みであんだやつでね、って言うと、
素敵ですねぇとか、尊敬しちゃうとか言うわけ、
幼稚園でよ。


あなたにも編んであげるって、
わたしのと、さつきのとマフラーふたつも
編んでくれたのよ。

そのおばあちゃん、さつきのことかってくれていて、

花の名前もよく知ってるし、
お料理の手伝いもするし、
お米もとげるし、
すごいわねぇ、お母さんがよく教えているのねって。

花の名前は、わたしの母が教えたんだけれどね。

本屋に行っても、いなくなっちゃったとおもったら、
レジのなかで本読んでもらっているからさ。

親指姫の本を
店主のおばちゃんに読んでもらっているのよ。

4歳のときよ。


たぶん、子どもの絵本のまえでずっと立ってたんじゃないの。

まだ読めないのって言ったんかな。

なら、おばちゃん読んであげようとか言ったのかも。
飴なんか舐めながら読んでもらっているのよ。


で、引越しするとき、
『腹ぺこイモムシ』とか海外の絵本を4冊も
くれたのよ。

だから、世渡り上手なんだよね。


福井に引越ししたときなんかさ、
そのへんの近所の散策をしておいでっていったのよ。

で、わたしが買い物に行ったら、
そうしたら、畑で歌っているじゃない。

だれか歌ってるなってみたら、
うちの娘だったのよ。

それでね、
おばちゃん、ふたりが座ってじっと聴いているのよ。


千と千尋の神隠しのテーマソングを歌ってるの。


おわったら、拍手もらってさ、
もう一曲やれって言うのよ。


で、おばちゃんたちの知ってる歌、歌うわ、
って娘が言ったら、

いや、おばちゃんたちの知ってる歌は古いから、
と言ったら、「みかんの花咲く丘」なら歌えるって、
それで歌いだしたのよ。

 それでご褒美に大根とかいろいろもらって
帰ってきたのよ。


 その後、仲良しになったから、
畑の草取りとか種まきとか収穫もいっしょに
やってね、芋掘りとか。

 すいかももらったよ。

 わらしべ長者みたいなんだな。

 と、稀有な話がつづいた。

いるんだな、こういう子どもが。

人懐っこいと生意気と、紙一重の
未曾有かもしれない子ども。


 しかし、今の世の中、
他人に赤いのがとうぜんであるのに。

 わたしなぞ、
何年かまえの春、750CCから700引いた、
50CCのバイク、いわゆる原チャリで洗足を
走っていたら、前にたんまりと生木を積んだ
軽トラが走っていたのだが、
その木から放たれるかおりのよさについぞ、
なんの木なのか知りたくて、
原チャリ、改造したモンキーで信号待ちしている
軽トラのおじさんに横付けして、
ガラス窓をトントンとしたのだが、
おじさん、あわてて逃げるように
発進してしまった。


 たしかに、軽トラの右側に横付けしたものだから、
原チャリが、車の右に立つことなど
ないはずだし、わたしの姿のどこかが、
いけなかったのか、
とにかく、軽トラは、逃げ惑うように
スピードを出していったのだ。


が、しかし、わたしも、
根性と度胸があるものだから、
その軽トラを追いかけ、
単なる改造モンキーではない、すこし、
エンジンをおおきくしているだけあって、
スピードは出るから、すぐ軽トラに追いつくのである。


また、信号待ちで、こんどは、
「すいません、すいません」と
なんの理由もなく侘びをいれながら、声をかけると、
ようやく、おじさん、窓を下げてくれて
「なに?」

「あのぉ、積んでいる木がとてもいい匂いなもんで、
なんの木なんですか」
と、訊いたのだ。

と、植木屋さんだろう、そのおじさん、たった一言。

「ん。桜」


ま、これじゃ、ひととうまくつきあえないだろうな、
って、おもったのである。

 つぎのものがたりが醸成されないってわけ。


 処世術をさつきにでも訊いてみるかね。

風流2017/3/6

 王羲之の息子か孫のはなしだったとおもうが、
かれが、あんまり月がきれいなので、
高瀬舟をだして、友人の家まで、
月を見ようとでかけるくだりがある。

 これも、失念しているが、
日本の説話であることはまちがいない。


 が、船を漕ぐうちに、朝になってしまい、
友達の家まで行ったところで、
くびすをかえし、帰宅するという、
おまぬけなはなしなのだ。


 しかし、その風流なことといったら、
たいしたものだ、といった賞揚で、
その説話はおわるのである。


 で、この説話を、日本大学が入試問題にした。
テーマは、風流なこと、数寄者の逸話、ということなのだが、
いまの受験生は、ことごとく「風流」「数寄者」という
解答にたどりつかない。


 このあいだ、この設問を解かしたところ、
ひとりも正解者がいなかったことに愕然とした。

 つまり、いまの現代っ子に「風流」、ましてや
「数寄者」という言葉は死語となってしまっているのであった。


「数寄者」は「好き者」とおなじ。
「好き」とは、風流を好むということなので、
鎌倉時代あたりでは、常用的に使用されていた語彙である。


 桜をめで、落花をおしみ、月をみて、
雲のあることを残念におもう、いわゆる花鳥風月は、
いまの時代には皆無となったのだろう。

 わたしは、すこし狼狽しながら、
教室の男女に訊いてみたのである。

 
「風流ってしってる?」


 この発問は「新幹線ってしってる?」くらいと
同格の安易なものかとおもっていたら、
おどろくなかれ、ほとんどの生徒さん、
「風流」をしらないのである。


 言葉としても、よく理解していないらしい。


 だから、ほら、風鈴がちりんちりんと、
窓際でゆれている、それをぼんやり眺めたりさ、
というところで、ふと、きづく。

 そういえば、いま風鈴は騒音として
隣近所からクレームがあって、あれを
軒下に吊り下げるのもかなわないそうだ。


 現代は、携帯が普及して、
すぐさま、ググって、答えがみつかり、
あっというまに、必要情報は手に入る時代である。


 のんびり、辞書を片手に読書、
というひともすくなくなった。


 ようするに、「風流」をあじわうためには、
それ相応の「時間」が必要なのだ。


 太公望よろしく、じっくりと釣りをするのも、
いまじゃ、魚群探知機などのすぐれものがあり、
その場まで船をはしらせ、その下まで餌をおろし、
ねこそぎ釣り上げるという
ベルトコンベアのような釣法が常道である。


 現代人は、時間を消費することを
罪悪とおもっている。

 「世界の最新ニュースがリアルタイムで
あなたのパソコンに」という広告があるが、
これこそが、現代の美徳である。

 いわゆるグローバリゼーションの権化のような
広告だ。

 グローバル化とは、いってみれば、
価値観の一本化であり、
「だれが見てもわかるもの」という価値観の共有である。

 情報の速度こそが絶対的価値となった、
と、言い直してもよい。


 ハイデッガーというひとは、『存在と価値』で、
時間の本質を「時熟」ととらえた。

「時熟」とは、「今」の連続としてではなく、
「時間性の成熟」と考量したのである。


 じつは、「風流」とは、この「時間性の成熟」のなかでのみ、
ありうる概念なのである。
 そして、価値観はひとそれぞれで、
そのひとのこころのなかで、育まれてゆく。


 現代人が、便利さや速度の幻惑にとらわれすぎて、
ひとりで悩み、ひとりでかんがえ、ひとりで逡巡し、
立ち止まるということをしなくなった、
そんな現況に「風流」さは姿を消していったのであろう。

 ググって見ればいいじゃん。

 この、まじないのような言葉に、
失ってゆく、本来的ななにかが
この世から去ってゆくことにわたしたちは
無自覚ではいけない、
そうわたしはおもうのだ。


 と、言いつつ、さいきん月をみて
ぼんやりしているじぶんなど、
どこにもないことにも気づくのであるが。




 


BMW2017/3/1
 バイクが壊れてね。
セルがうごかないから、キックして、
それでやっと動いたから、
バイク屋さんに行ったんですよ。

 安藤モータースってあったから、
行ってみたら、そこはBMWのバイク屋さんで、
わたし、びっくりしちゃって。

 壊れたのは原チャリよ。

 大きくてきれいなバイクがいっぱい
飾ってあって、原チャリなんか、
4台くらいしかなくってね。

 で、このバイク直すとしたら、
たぶん、4万円くらいかかるっていうんです。

 それなら、新しいのを買って、
すこし長く乗ったほうが得じゃないかって
店のひとが言うんですね。

 このバイクはまだ2年しか乗っていないけれど、
6万円で買って、もう修理に5万円くらい
かかっちゃっているから、
それかんがえたら、あたらしいバイクのほうが、
得かなって。

 
 そーかな。たぶん、バッテリーのところだとおもうから、
そこ替えれば、また動くんじゃないかな。
 バッテリーなんて安いもんだよ。


 うーん、でも、バッテリー取り替えられないし、
いろいろこれからも壊れるだろうって店のひというから
買ったんですよ。


 で、いくら。


 18万円。

 
 うん、そのくらいするよね。


 そ。で、そのバイク、もう準備できたから、
明日、取りに行かなくちゃ。あ、明日は雨だから、
その翌日かな。
 ヘルメット、ひとつくれるんだって。


 そう。でも、ひとつ持っているんでしょ、いらないじゃん。


 ね。でも、慶次郎が乗りたいって言ったら、
慶次郎にムリクリかぶせて乗せるから、
ふたついるのよ。
 そして、ふたりで出かけるの。
慶次郎は、ふつうの犬じゃないから、
千葉の生まれで、珠玉の玉をもっているのよ。
それを探しましょうって、あ、それだと
バイクだとだめだから、電車にのるんだな。
そして、千葉まで行って、そこから歩いて
あとの玉を探すのよ。



 ねぇ、ねぇ。


 え、なに?


 バイクの話でしょ。

 
 うん。

 
 いつから、電車に乗り換えて、歩き出したのよ。
バイクはどうしちゃったの?



 あら。


と、彼女は笑いだした。


 そういえいば、BMWってなんの略かしら。
ビューティフル・メモリー・ワンダーランド、かな。



 いや、ドイツ語だから、それ違うんじゃない。


 うーん。じゃ。ベティー・メモリー・ウェンディかな。


 うーん。「メモリー」だけはいっしょだね。



オーロラ2017/3/1

「あんたなんかにゃ、わかりっこないわ」
 
 こういっておしゃまさんは、赤と白のセーターが
よく見えるように、あなの中からおきあがりました。

 「だって、くりかえしのところは、
だれからもわからないことをうたってるんだものね。
わたし、北風の国のオーロラのことを
考えてたのよ。あれがほとんにあるのか、
あるように見えるだけなのか、
あんた知ってる?

 ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。
まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」

 おしゃまさんはそういうと、また雪の中にひっくりかえって
空を見あげていました。


 (『ムーミン童話全集』 トーベ・ヤンソン より) 


ムーミンはムーミントロール一族の子どもである。
冬眠していたはずのムーミンだが、
どういうわけか起きてましって、
オーロラをみてしまう。

 しかし、あのオーロラが、
ほんとうのものか、あるいは幻想か。


「おしゃまさん」は、それが、事実でも幻想でも、
それはどうでもいい、むしろ、どうでもいい、あいまいなことが、
じぶんを安心させるという。

 フィンランド発の童話のような
あるいは、おとぎ話のような、いや純文学のような、
このものがたりには、そういう重みがある。


 フィンランド。人口、520万人。
北海道よりすくない。(北海道は550万人)
そのくせ、軍隊は、自衛隊よりも、人数は多い。

 これは、ロシアから、過去からいまにいたるまで、
侵略や圧迫を受け続けているからにほかならない。

 だから、ロシア情勢をしるには、
フィンランドに行くのがいちばんだと
青山繁晴さんが言っていた。

 そして、フィンランドのひとは、わりに
日本人を尊敬しているというのも
青山さんが言っていた。

 戦争でいちどでもロシアに勝ったのは、
日本だけだからである。


 島国ニッポン、船の戦いはおまかせである。

 
 ・いまや夢むかしや夢とまよはれていかにおもへどうつつとぞなき


 建礼門院に仕えた右京大夫という女官の歌。


 建礼門院徳子、清盛のむすめ、高倉天皇の妻であり、
安徳天皇の母である。
 天皇の母には、宮中の門の称号をあたえるが、
建礼門は、宮中にあってその中心にそびえる
おごそかな門である。

 権勢をきわめた建礼門院だが、
源氏のクーデターにあい、権力をうばわれ、
あげくは、大原の寂光院で尼となり、
平氏の菩提をとむらうという数奇な人生を
送ったひとである。

 得度したのは長楽寺。
八坂神社のすぐ裏手にある。

 そして、比叡山のふもと2キロの
寂光院で余生をおくった。

 ふしぎなことに、長楽寺も寂光院も
何年かまえ不審火で全焼している。

 京都の不審火はこの二寺だけである。

 ま、それはそれとして、
寂光院におもむくのもたいへんな時代、
右京大夫は、女院様にお会いするため、
命がけで出向くのである。
そして、すっかり変わり果てた彼女をみるのだ。


 むかしのきらびやかなお姿が夢だったのか。
いまの、墨染姿の質素なお姿が夢なのか。
どちらにせよ、現実はないものだ。


 彼女の悲痛なおもいが、
この三十一文字におさめられている。


「いかにおもへど」と語る彼女は、
これこそが「あいまい性」なのであって、
どう処理したらいいかわからないカオスのなかにいた。


「おしゃまさん」が、あいまいなことが
安定させるのよ、と言ったこととはうらはらに、
右京大夫のまえにある、
むざんな現実をつきつけることで
ぎゃくに、不安定さを
植え付けさせることになる。

しかし、「いかにおもへどうつつとぞなき」と、
語った右京大夫は、「うつつとぞなき」ではなく、
これこそが「うつつ」であったわけである。


『平家物語』では、清盛の三男、
平宗盛が八葉の車で護送されてきたとき、
平家はつぎのように語る。

「さしもおそれをののきし人の、
けふのありさま、夢、うつつともわきかねたり」


 いま、この世の中は、景気はたいしたことないけれども、
平穏な生活をおくることはできている。
しかし、いつ、夢か現実かわからないようなことが、
起きるともかぎらない。

 そのとき、われわれは、そのほうが安定するさ、
なんて、「おしゃまさん」のような
達観でいられるものだろうか。


 ちなみに、わたしの知り合いの女性は、
オーロラをみにいったそうである。

 うまく、オーラらに出会えた彼女の感想は、
このようであった。


 「わたし、死んでもいいわ」

学研の付録2017/2/26

わたし、小学校のとき、
学研の科学と学習とってもらっていたのね。

 学研の付録が好きで、
太陽が見えるサングラスみたいなのがあって、
あれが好きでね。

 いつも太陽を見ていたの。

 母が、ミキハウスかな、とても
高いスカート買ってくれて、
それを履いて学校行ったのよ。

 それも、太陽が見えるサングラスかけながらね。

 そうしたら、そういうときって
まっすぐ歩けないじゃない。


 そのまんま田んぼに落ちちゃって、
どろどろになったのよ。

 それにレンズもどこかに落ちちゃって、
探しまわってたら、もう、泥だらけで、
学校行かないで、家に戻ったの。


 そうしたら、母が怒って、怒って。

 なんで買ったばかりの服、そんなに汚すのよって。

 あのとき、あ、このひとはわたしを
産んだひとではないっておもったのね。


 
 でも、産みの親なんでしょ?


 そう、たしかにね。
でも、しかたないじゃない、そんなレンズかけてたんだから。


うーん、そうかな。


 そうよ。それをわかってもらえなかったの。


 うーん、たぶんわからないとおもうけどな。


 わたしね、ミツバチの死骸とか好きなのよ。
あの、目のクリクリとしたところとか。

 それからセミの抜けがら。
あれも好き。

 それから、カエルのミイラみたいなのも。
可愛いじゃない。わたし水泳部だったから、
プール掃除はいつも水泳部がするってことになっているから、
水を抜いて掃除するの。そうすると、
そのところにカエルのミイラがいくつもあってね、
それ、みんな持ち帰って、お母さんがくれた宝石箱に
しまっておいたのよ。

 ミツバチの死骸とセミの抜けがらとカエルのミイラ。


 カエルのミイラってどのくらいいたの?


 うーん、20か30くらいいたかな。


 わ、すごいな。

 うん、そうしたら、机から、それ母が見つけて
気持ち悪いからって、ものすごく怒って、
ぜんぶ捨てちゃったのよ。


 わたし、そのときも
このひとは、わたしを産んだひとではないって
おもったの。


 ふーん。ま、捨てるよな。


 そうかしら、子どもって純情だから、
そういうのってほっておいて欲しいわけ。
それがたいせつなのよ。
 そ。このあいだ、先生のところに行ったら、
安定剤ですこし休みましょうって言われて、
わたし、そこで眠ったのよ。

 眠るまで、先生はそばにいてくれて、ずっとよ。
そこで、わたし、なにかをしゃべったんだけれども、
なにをしゃべったかおもいだせないの。

 なにしろ、眠くなっちゃったから。


 そうなんだ。


 そうなの。


 たぶんさ。


 なに?


小学校のとき、
学研の科学と学習とってもらっていて、
太陽が見えるサングラスみたいなのがあってさ、
それ見ていたって話じゃないかな。

ギターでしょ2017/2/25

 朝の五時までカラオケをした。

そもそも、カラオケに行ったのが午前2時だったから、
なかみは三時間。

 予備校の先生ばかり、五人である。

 始発までカラオケをするというバカな話だ。


 わたしは、すこし音痴である。
べつに歌がうまいというのではない。
リズムは切れるけれども、やはり、
歌い方をしらないせいで、
でかい声を張り上げるだけである。


それは自覚しているし、プロの歌手と
いっしょにボックスに行ったときは、
彼女の歌声に、震えたものだ。


 やはり、プロというのは、ひとを
しびれさせるものらしい。

 じぶんで言うのもなんだが、
声質はわるくない。電話の声なんか、
いい声だと、なんかいも言われている。

 しかし、歌うというときは、
すこし、かすれたほうがいいそうである。


 吉田美和とか、
高橋真梨子とか、歌のうまいひとは、
すこし声がかれている。

 もんたよしのり、とか桑田佳祐、上田正樹、
AI、鈴木聖美は言わずもがな。


 かすれた声のほうが聞きやすいと
教えてくれたのは、泉下の星野先生。


 だから、わたしはカラオケはNGなのだ。
きらいじゃないけれども、ひとさまに披露する
ほどではない。


 だが、さいきん教わったことは、
ベースの音にあわせてリズムを刻むこと。


 うん、そうすると、歌にメリハリが付くのだ。

 たしかに、そうおもう。

 これは、目からうろこのようなもので、
これからは、そこを気をつけて
歌ってゆこうとおもった。

 アルフィの桜井賢もベースの音で
音程を合わせているそうだ。


 予備校の講師たちのカラオケはたいへんだ。
英語専門のひとは、英語の歌を。

 ゴダイゴの歌なんか、すらすら歌う。

 ついてゆけない。

 そしてみんなそれにのってはしゃぐ。

 わたしが最年長のせいか、みんなの歌う歌の
ほとんどが知らない歌ばかり。

 銀河鉄道スリーナインのテーマソングだけだったかな、
知っている歌は。

 狭い部屋にタバコの煙が充満し、
何杯のんだかわからない生ビールのジョッキ。

 そこには、浜口庫之助の孫、
という方もいて、やはり、歌がうまいのだ。


 しかたなく、わたしも順番でいれる。

と、ある先生から言われた。

 「歌い方が、いやらしい」と。


 うまい、ではない。ヘタでもない。
いやらしい、のである。


 これは褒められているのだろうか。
そもそも、歌い方がいやらしいとはどういう意味なのだろう。


 わたしには、それがわからない。


 そういえば、わたしがギターを弾くと、
アルペジオしかしないので、
ポロン・ポロンやるんだが、その弾き方も
ある青年から「いやらしい」と評された。


 ギターの弾き方にいやらしいとか
あるのだろうか。


 わたしは、スリーフィンガーを駆使して、
じぶんなりのアレンジでコードを押さえるだけ、
リードギターはできないのである。


 いまは、なるべく、いそがしい弾き方を
やめて、音のない時間をつくって弾き語りをする。


 音がないほうがいいばあいもあるからだ。

 しかし、それがいやらしいという。

 どういう意味だ。


 ま、中学3年生からはじめたギターである。

もう、ギターを弾いて55年になる。

 そりゃベテランでしょ。


 と、そんな話を、きょうバイトにきている裕子に
話していたのである。


 「おれ、はじめたのが、中学3年生だからな」
と、語ったとき、彼女はこう訊いてきた。

 「せんせい、そんなむかしからやっていたの」

 「うん、なにを?」

 「いやらしいこと」

 

 ちがうでしょ、ギターでしょ。

大ざっぱ2017/2/25

 もしもし、あ、ひさしぶり。
どうです、そちらはおかわりなく?


はい、毎日、仕事ですって。
おんなじ仕事。ルーティーンってやつ。
こつこつ、つまんないことのくりかえしよ。


 あら、いいじゃないですか。
わたしなんか、いつもひとから大ざっぱって言われてね。

右のくつしたと左のくつしたと模様が

ちがっても気にならないの。

 

え。それはどうだろう、おれはいやだよ、それ。

 

家にもどって着替えるほうが、めんどうじゃない。

イタリアの芸術家で、わざわざ、

くつしたの色を変えているひともいるんですよ。

既成概念にこだわらないってのかしら。

それは、どうでもいいけれど、

わたし、大ざっぱなんですよ。

つきあったひとから、よく、

お前はおおざっぱだなって言われたし。

ピアノの先生からも、

あなたは、解釈が大ざっぱねって言われたり、
友だちとの付き合いも大ざっぱだから、
別れたひととも平気で話せるし、会えるしね。
あなたにあんなこと言ったひとよ、
とか、友だちから言われても、
大ざっぱだからなんともおもわない。

部屋の片付けもじょうずにするけれど、

ざっとしちゃうかな。

 


 ふーん、おれは、あなたを
そうおもったことないですよ。


 あら、そうですか。
このあいだも、医師の紹介状をこっそり
見てしまったんだけれども、
「性格は大ざっぱで、短気」なんて書いてあるのよ、
ちょっとムカッてしたんだけれども、
紹介状だから、なにか書かなきゃいけないでしょ。
しかたないわね。
あ、わたし、下に行ってちょっと用意しなくちゃ。
じゃ、切ります。
ごめんなさいね。
じぶんのことだけずっとしゃべっちゃって。
しょうがないわよね。

なにしろ、大ざっぱだから。

 

麻布十番2017/2/19

あのね、
三田で乗り換えなきゃいけなかったのに、
麻布十番で気づいてね、
タバコ吸いたくなったから
外にでたの。


でも、なんで乗り越したんだろう。
わたし、ずっと起きていたんだよ。
おかしいな。



 でね。そうしたら、
日本切断研究所という会社があって、
ねぇ、驚かない。


日本切断はいいけれど、研究所よ。


 外科手術とかそうかとおもったら、
看板があってね、そうじゃなくて
カメラが真っ二つになったり、
ワイングラスが二つになっていたり、
硬い金庫みたいなのもね。


 みんな真っ二つ、
 なんでも切断するんだって。


 いやぁ、東京ってすごいな。
そんな会社あるんだね。

 タバコを吸おうとおもって、
公園でもないかって歩いていたら、
港区広尾公園っていう
ガード下の公園があってね、
そうしたら、ベンチにひとがいっぱいいて
みんなうなだれているのよ。

 川が流れていてね、
そこが階段で、みんなホームレスの人たちが
ひなたぼっこしているのよ。

全部で5人くらい。

おばあちゃんもおじいちゃんもいるの。

 みんなすごい不幸な顔していたから、
ちょっと怖くなって、
だから、タバコはやめてね。


 いるのね、そういうひとが、
たくさん。


 わかい女の人もホームレスになって
離婚して、たくさんいるんだって。


 もうちょっとホームレスが陽気に
酒盛りでもしてもらっていたら、
声をかけたりできたけれど
暗かったんだよね。そのあたりだけ。

 
 わたしは、ずっと「うん、うん」と
聞いているだけだったが、
ちょっと彼女に訊いてみた。

「ね、昨日から家に帰ってないんでしょ」


「そう」

だから、わたしは言ってやったのだ。


「早く帰れよ」

わたしは違います2017/2/15

 テリー小林の話をしよう。

 かれは、いま陸前高田の
トレーラーハウスに住んでいる。


住むところがないからである。

 仕事もほとんどなく、
震災のボランティアをしながら、
行政から与えられたトレーラーハウスが、
かれのねぐらということだ。


 もともとは、素敵なベーシストだった。

金がないから、ちかくの学校に行って
廃棄同然のウッドベースをもらってきて、
それを修繕し、弦を張り替えジャズバーで弾いていた。

ベースの弦はかなり高価なはずだが、
どこで仕入れてきたのかは、わからない。


 わたしの友人がかれとあったのは、
そのジャズバーのカウンターの上で
テリーがごろんと寝ているときだった。


シートで寝るひとはいるかもしれないが、
カウンターで寝るひとは稀有である。


 「だれなの」と、彼女がきくと、
「ん。コバだよ。知らないの?」

と、マスターのジョンが応える。

「知らないな」



 小林輝男が本名だ。
だから、じぶんでテリー小林と言っている。


 テリーは飲んだくれである。


 大学は帯広畜産大学。
獣医の免許ももっている。


 兄の設計事務所ではたらいて、
設計士の資格もある。


 しかし、酒と女で、人生をゼロにした男だ。


 北海道での学生時代。

 飲んでそのまま表に出て、
気持ちいいとばかり路上で寝てしまった。


 帯広の冬の話である。


 雪がしんしんと降り、
テリーは雪に埋もれた。


 犬をつれた老人が、ひとが埋まっているのに
気づき、助けてくれたそうである。


 犬がひとの臭いを嗅ぎ分けたのである。

 この老人がいなければ、
テリーの話はここでおわる。


 凍死したバカということで。


 しかし、テリー小林は不死身だった。


 北海道から、流れ着いて、
かれは、東北のあるジャズバーにいりびたる。


その間に、かれは、三回結婚して三回離婚している。


 とにかく、モテるらしい。


 金がないくせに、やさしいし、
行動もハチャメチャなところが、
ぎゃくに、女には、ほうっておけない人物と
なっていたのかもしれない。


 奥さんがいるくせに、
女であれば、おかまいなしに関係をむすぶのだ。

 それも、かれのそばにいる彼女は
みな美人なのだそうだ。


 せっかく、獣医の免許もあるのに、
設計士の資格もあるのに、
その能力をまったく発揮せず、
ただ、酒と女と音楽で明け暮らした。

にんげんの能力には、それぞれ差があるが、
潜在的能力以下の行動をとっているのを
アンダーアチーバというが、
かれは、典型的なアンダーアチーバな人物である。



 けっきょく、マスターのジョンの 
奥さんにも手をつけてしまい、
テリー小林は、この街から追い出されることになる。


 ジョンも奥さんとは縁をきり、
いまでも、マスターはひとりで暮らしているという。


ジョンのバーも閉店し、
そこにあつまっていた仲間もばらばらとなった。


 たまに、その仲間があつまるそうだが、
そこには、テリー小林はいない。


 みな、かれを忌避しているからだ。


 かれのそばには、いまでも、
きっと美人がいるかもしれないが、
トレーラーハウス暮らしでは、
それもままならぬかもしれない。


 わたしは、この話を
ある飲み屋で、日本酒をちびちびやりながら
聞いていたのだが、
帰りがけ、彼女はこう付け加えた。

「あなたも、おんなじ臭いがするわよ」

アウチ君2017/2/12

むかし、弓道部のキャプテンに

「アウチ」君という男がいた。


美少年である。おまけに色白で。

そしてキャプテンやるだけの「器量」があって、
応対はしっかりしているし、

ことばつがいもすこぶる丁寧だ。

 わたしたちは車に乗り、

彼が「うまい」と推奨するラーメン屋に

出かけたことがあった。

 


 むかしは、生徒と飯食いに行ってもなんの

問題もなかったのだ。

 



十日市場というひなびた町にある

ちゃんぽん屋に行く。そのときのはなしである。



 桜がすっかり緑の葉になっているころだった。

 車内で、「アウチ」が唐突に
「せんせい、ぼく、いま井上靖、読んでるんです」


「ふーん」


「『敦煌』読んでいるんです」


「へぇー」


「あれ、おもしろいです。

せんせいは、もうお読みになられましたか」


「いや、まだ、読んでないよ。

だいたいおれは小説ってあんまり読まないんだ」

「そーですか。せんせいもお読みになられるといいですよ、

わたしは、まだ、3ページくらいなんですが」

 


「え。3ページ!?」

 


「はい。よく『ウサギにツノ』って出てくるんですよ」


・・・


「それ、お前さ、『兎に角(とにかく)』って読むんだよ」


「あ、そーですか。むつかしい字は飛ばしているんです」

 


 古きよき時代だ。

もう「アウチ」君も立派な父親になっていることだろう。

 彼に子どもがいたら、

そりゃとっても心配である。

 

(2007.11.6)

ブリコルール2017/2/11

 クロード・レヴィ・ストロースというひとが、
『野生の思考』で、ブリコルールについて
言及している。

 ブラジル西武に、マットグロッソ・ド・スル州はあり、
そこのインディオたちは、草原をあるき、
なんに役たつのかわからないけれども、
そのうちなにかに役立つだろう、というものを
拾い集めては家にもちかえる。

 そんなに大きな袋はもっていないから、
なんだかわからないけれども、
将来的に役立つものは限界がある。


 そういう「もの」をむつかしくいうと、
潜在的有用性という。

 そして、かられは、家でそのものを
工作して、日用品として再利用するのだ。


 そういう潜在的有用性のある「なにか」を
見つけ出す能力こそ、もっとも知的な行為なのである。

 セレンディプティなどの術語もあるが、
これと、類比的なことである。

 この、インディオたちの行為を
フランスの社会人類学者は
ブリコラージュと呼び、
そのひとたちをブリコルールと呼んだ。

ブリコルール、わたしはこれを「工作的人間」と
翻訳している。

 つまり、知性的な人種は、
西欧人だけでなく、各地に存在する、
ということをレヴィ・ストロースは発見するのである。


 当時の、エスノセントリズム、自民族主義の西欧人は、
この言説に、度肝を抜かれたはずである。


「おれたち以外にも、知性はあったのだ」と。


 こういう思考こそ、構造主義を支える根幹となる。

 で、このブリコルールの概念は、
ジャック・デリダというなにを言ってるのか、
よくわからないひとによって、
どの領域にも、ブリコルールはあると説いたものだから、
情報化時代のことごとくに、それが敷衍されてしまっている。


さて、わたしは東急ハンズがみょうに好きで、
よくつきあってくれる友人は、ここが嫌いなので、
あんまり時間がとれずに店内を回るのだが、
なにがほしいというものじゃない。

なんとなく、店内をぐるぐるしているうちに、
あれ、これうちの部屋のここのあたりに置いて、
そして、いずれこんなふうに使えるのじゃないか、
なんてかんがえることが楽しいのである。


 これって、マットグロッソのインディオみたいじゃないか。

だから、100円ショップや、フライング・タイガーなども
おんなじことで、なにが欲しいというのではない。

あれ、これ使えるじゃん。

 こんな考量で店をあるきまわる。

 これもむつかしく言えば、前未来形の想像力による
じぶん発見の旅、というのだろう。

 前未来形というのは、明日のいまごろには、
わたしは泣いている、というような思考法である。


 そして、なにもかんがえず、無防備で
店内のあちこちの商品を触ったり、ながめたり、
それによって、じぶんの生活に補填すれば、
より有能感をえることができる、というものを
購入するのである。


 だから、そのときの消費意欲は、
必要にせまられて買ったものより、はるかに、
満足度が高くなるわけである。


 買い物の愉悦のひとつは、
そこにある。


 じぶんの知らなかったじぶんに出会い、
今後、これが、きっとなにかに役立つはずだ、
という創造性を、みずからに与えることができる愉悦である。


 そういう快楽は、
わが部屋にも敷衍され、いらないかもしれない封筒、
いらないかもしれない袋、いらないかもしれない書類、
使い終わったテキスト、写真集、
ほとんど、また、なにかに使うにちがいない、
そうおもっているので、
それを捨てる、ということがなかなかできないのである。


 釣りなどの趣味のあるひとは、
じぶんで、じぶん用の道具を工夫するから、
よくわかっていただけるとおもう。


 わたしは、
きっとブリコルールなにんげんじゃなぃか、
と、おもっているのだが、
ま、そんなに知的とはおもわないが、
しかし、これはなにかに使える、という気持ちは
いつも保有しているゆえに、
けっきょく、わたしの部屋はものにあふれ、
ものに埋もれ、歩く場所もない。


 つまり、
クロード・レヴィ・ストロースの言説の
とどのつまりは、わたしの部屋がきたない
というところに着地するのである。

星野さん2017/2/10

星野さんは、沼津に釣りにゆくとき、
沼津の仲間たちには、写真屋さんだとおもわれていた。

 だから、星野さんのマンションの管理人さんと、
いっしょに釣りに行くときも、
「ぜったい、先生だということを言わないでね」と、
固く言いきかせていた。

 なぜ、星野さんが、先生であることを
隠すのか、わたしにはわからなかった。


 先生といってもかれは非常勤講師なので、
正規の職員ではなかったけれども、
神奈川の私立高校で40年ちかくも働いていたはずである。
わたしは、そこの専任であったが。

 
 カール・オルフの研究では有名らしく、
大学からのオファーもあったが、
仕事は二の次なので、すべて断っていたそうである。

 
奥さんから「あなた、もうすこし働いたら」と言われると、
「そうすると、普通のひとになっちゃうじゃないですか」
と、そう答えていたという。

 普通のひとがいけなかったのだろうか。

 わたしと星野さんの付き合いは、
相模川からはじまる。

 相模川でハヤを釣って、それを
自宅のマンションの水槽で飼うのがたのしみなのだ。


 たまに、漁業組合のひとが集金にくるが、
「恥・を知れ」と言って、追い返すそうである。

 ハヤは自然の川に生息する魚だから、
それに、漁業料をはらう必要はないのだ。


 「行けたら行くね」とわたしが相槌をうって、
仕事場でわかれたから、
星野さんは、わたしが、わざわざ相模川まで来るとは
おもっていなかったにちがいない。

 「行けたら行くね」という台詞は、
ほとんど行かないよという宣言にちかい。


 しかし、わたしは、渓流竿を車に積んで、
相模川の川原を星野さんのいるところまで、
ゴツゴツと車のそこを石ころにぶつけながら
向かったのだ。



 その行動に信頼してくれたのか、
釣り仲間として認定してもらえ、
ひどく親密な釣行を、よくしたものだった。



わたしたちは、川釣りよりも、海釣りに
趣向がかわっていった。


 川魚は食べられないけれども、
海のそれは、晩飯をいろどる素敵な食材だった。


 星野さんは、沼津に行って、さまざまな
釣具屋をまわり、けっきょくマイムスという
釣具屋と懇意になった。

 そこにあつまる釣り仲間も、ひとり増え、ふたり増え、
けっきょく星野さんが来るのだからと、
岸壁に7,8名が竿を並べたものだ。

 人徳といえばそうだろう。

 そういう中に、わたしや星野さんのマンションの管理人さんが
同行したものだから、わたしどもも、星野さんと
おんなじ待遇をうけることになる。


 が、しかし、わたしは、
星野さんと25年くらいおんなじ職場で
教師として仕事をしていたにもかかわらず、
「先生なんて、みんなの前で言うなよ」
ということを言われたことがなかった。


 じっさい、沼津の防波堤で、わたしが、
高校の話をすることは皆無だったし、たぶん、
星野さんも、わたしが釣り場で仕事場のことを話すなんて
野暮なことはいわないだろうと、
本能的におもっていたにちがいない。


 だから、沼津の仲間たちは、星野さんを
写真屋さん、わたしを、ラーメン屋さんとおもっていた。


 わたしは、そうおもわれていたことに、
ひとつも訂正を加えなかったし、星野さんは、
ひょうひょうと、ただ釣りにいそしむだけだった。

 
 星野さんの写真屋さんというのは、
ほとんどがコンサート写真である。

 子どもたちのリサイタルなど、オファーが
絶えなかっという。

 音楽に精通していないと、この曲は長いのか、
短いのか、はたまた、どこがいちばんの見せ場なのか、
それは、写真屋さんにはわからないことである。


 その点、音楽の専門家は、
音のしないカメラで、どこを撮ればいいか、
すべてお見通しである。

 いちど、自宅にクレームの電話があったそうだ。
だれだかわからないし、いつのコンサートかもわからない。


 「うちの娘、写真のほうをひとつも向いているのが
ないんですけれども」



 こんなクレームだ。

 そのとき、かれはこう返答した。

 「お宅のお子さん、ショパン弾いていませんでしたか」

「はい」

 「ショパンは低音がむつかしいので、かならず、
ひだりを向いてしまうんです」

そう言ったら、「わかりました」と、
すんなり引き下がったそうである。


 これも、専門家でなければであろう。


 星野さんの葬式のとき、
沼津の仲間は、川崎の葬祭場にならんでくれた。


 そのとき、かられは驚いたのである。


 なんで、こんに高校生らしきひとが
えんえん長蛇で参列しているのか。

 そして、葬祭場の壁にリコーダを吹いている、
星野さんのフォト。生徒とたのしく囲んでいる写真。

それが、ずらりと貼られているじゃないか。


 そこで、沼津の太公望たちはきづくのである。

「星野さんって、写真屋さんではなく、
学校の先生だったのか!」

と。


 わたしたちは、星野さんが亡くなったあとも、
沼津に行った。

 そのとき、星野さんの仲間から訊かれたのだ。

「あなたも先生なんですか?」

文明と文化2017/2/9

 文明と文化との差異はなにか、
もっとも簡単にもうしあげれば、「破壊」と「保持」である。

 文明とは、なんにもないところから、
構築してゆかねばならない。
黄河文明も、メソポタミアも、
そこは、なんにもない河のそばの砂地であった。

 そこに作り上げられたということは、
砂地からみれば、「破壊」ということになる。


 文化は、守りとおさねばならないもろもろである。
歌舞伎、相撲、演劇、ミュージカル、落語。

 伝統をまもることこそ文化の真骨頂である。


 サミュエル・ハンチントンという社会学者は、
「文明の衝突」で、アメリカとロシアの大国の均衡が
くすれたあとは、
世界七大文明の相互作用によって
世界を規定することを提唱した。

 七大文明とは、

 西欧文明
 ギリシア正教会文明
 イスラム文明
 ヒンドゥー文明
 中華文明
 ラテンアメリカ文明
 日本文明

 の七つとしている。


 ここで、特筆すべきは、
「日本文明」である。一国家、一政府は
この七大文明において、日本文明しかない。


 それだけ、ハンチントンは日本文明を
特別視していることがよくわかる。

 それを、明治書院の「キーワード300」の著者、
大前誠司さんに話したら、
「それ、ハンチントンのリップサービスで、
そうすれば、日本でも本が売れるじゃないですか」って、
言っていたのにはおどろいた。

 かれの慧眼なことは、じゅうじゅうぞんじあげていたが、
そういう見方もあるのかと、舌を巻いたものである。


 村上春樹が、高度文明の最高の美徳は
「無駄」であると言っていたが、
いま「無駄」は、無駄でしかない時代かもしれない。

 税金の無駄遣いは、一昔前なら、美徳だったのだが、
いまじゃ、犯罪にちかいじゃなぃか。それでも、美徳とおもって、
使っている役人もいるかもしれない。


 不倫は文化だ、と言ってのけるひともいる。
真理かもしれない。

おお、それなら、おおいにいたしましょう。
そして、それは守り通さねばならないものである。

 はぐれ雲の主人公など、その典型で、
すこぶる謳歌していた。というより、
あの主人公には、そういう認識はなかったろうが。

 現代は、この文化にかぎり、隠密裏にすべき事情である。

けっして、ひとにばれたり、見られたりしてはならない。

 しかし、もし、不倫によって、
友情に決定的な亀裂が生じたり、
大事な仕事を放棄するようなことが、
あったのなら、はたして文化だろうか。


 密かな恋は保持できるが、失うものも多大である。

 つまり、「文化」にも「破壊」がつきまとう、ということである

言葉をあやつる2017/2/6

 ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは
「言葉が人間をつくる」と言いのけた。

 たしかに、われわれは日本語を母語に
もっていて、これは選択したわけではなく、
生まれながらに与えられたものであった。


 ロラン・バルトに言わせれば、
これを「ラング」と呼んでいるわけだが、
このラングによってわれわれは
成長させられてきたわけだ。

 英国の人類学者、フランシス・ゴールトンは、
遺伝子によって子どもは育てられるのか、
環境か、という研究をかさねているが、
狼のなかで育てられた少年は、
最後まで言葉をしゃべらなかったわけだから、
やはり環境がものをいうのだろう。


 「言葉が人間をつくる」のである。


 日常、われわれは3万語ないと
暮らせないというが、いまは、
「やばい」とか「まじで」とか、そんな
下劣な言葉が横行して、おそらく
5千語ももっていないひとがいるのじゃないだろうか。


 言語が貧弱になると人格にも
それが影響するから、性格破綻者も
ずいぶん増えたのではないだろうか。


 じゃ、あんたがどのくらい
言葉を知ってるのかよ、と問われたら、
わたしは、うーん、と唸って答えられないとおもう。


 が、しかし、その言語によってしか、
ひとに気持ちを伝えられないし、
短歌だって、日常の会話だって成立しない。


 ほんとうのことを言えば、
じぶんの気持ちを表すのに、
3万語では足りないのである。


 ラーメンをたべる。

「うまい」

 もう、この「うまい」は、だれかの言った
手垢のついた言葉でしかない。

「美味」「おいしい」

すこしは変形できるが、すべてだれかの
すでに語られたものでしかない。

しかし、言語とはそういうもので、
そこに、すこしでも個性がでれば、
それは、それで素敵なことだ。


 彦摩呂という、わたしの嫌いな芸人さんが
いるが、食のレポートで、
「これは、○×のなんとかやぁ」とか
騒いでいるが、あの下品さはともかく、
ああやって、食べ物を個性的に語るということが、
手垢のつかないゆき方のひとつではある。

「まいう~」もそうであるが、
もう、人口にカイシャしてしまっている。


こういう個性的な表現を、
ロラン・バルトは「スティル」とよんだ。


 たしかに、個別性を担保できているはずなのだが、
そのスティルでさえ、だれかがすでに語ったものである。


 つまり、わたしたちは、
じぶんの気持ちを置き去りにして、
そのへんに転がっている言語から、
ジグソーパズルのひとつのチップをさがすように、
じぶんの気持ちの代替を見つけているのである。


 だから、ほんとうは、ラーメンを食べたとき、
それは、きっと「おいしい」ではないはずなのだ。

 もっと、べつのなにか表現があるはずなのだが、
それが見つからないから、ま、いいやって、
「おいしい」で済ましているのである。


 それを、モーリスブランショというひとは、

「『出来事』は言語化されたときに、
その本質的な『他者性』を失って、
『既知』の無害で、なじみ深く、
馴致された『経験』に縮減される」

と語るが、本質的な他者性というのは、
手垢のついた言語になるということで、
馴致された経験というのは、
みんな知っている言語だ、
ということだから、そんなにむつかしいことではない。


われわれが、短歌をつくるときも、
どの言葉がいいかなって、
九十九里浜から一本の釘をひろうように、
言葉をさがし、むしろ、その言葉にじぶんの気持ちを
近づけて納得しているのである。

べつの言い方をすれば、
言葉によりかかって、言葉に引きずられながら、
さまざまなものを書いているわけだ。


言葉をあやつるのではなく、
じつは、言葉によって、あやつられているのである。



だから、夏目漱石にしろ、内田百間にしろ、
太宰治にしろ、大江健三郎だって、じぶんの気持ちを
正確に言い表せたひとはいない。


 それが、言語の言語たるゆえんである。


 ジャック・ラカンは、そういう性質を「根源的疎外」と呼んだが、
それは、言葉を過不足なくあらわせることは不可能である、
ということである。


 わたしどもは、言葉によって、
ここまで育てられ、はたまた、子どもを育て、
ラングを大事にまもり、スティルを有効につかってみても、
それでも、けっきょく、二番煎じの物まねのようになる、
という悲しいループで生きるしかないのである。

なぜかわからないけれども2017/2/6

 フミエとは、みょうな関係である。

塾の教え子ではあるが、
うちの店で大学の4年間はたらいた。

 そもそもは、高校3年生の大晦日、
ご一家は、葬式で田舎にもどり、彼女ひとりが、
受験ということでおきざりにされたのだ。

 だから、ひとり娘、さぞ寂しかろうということで、
大晦日、店に来いよと、言ったら、
ほんとうに彼女はひとりぽつんと来たのである。

 そのときに、お前、この店、手伝えよ、と
言ったのだが、ほんとうに大学生になった春から、
ずっと、毎日曜日の夜、4年間はたらいた。

 あんまり、夜がひまなときは、
店、閉めてカラオケに行ったこともあった。

 バレーボールに誘えば、
小学校のママさんバレーの練習にも参加した。

 こんな書き方をすれば、
すでに泉下のひとかと勘違いするかたもいようが、
フミエはいまもぴんぴんしている。


真夏の夜のことである。

わたしが、外でゴミをだしたとき、左肩のうしろのほうで、
チェックの青年が横切ったのだが、
その瞬間、その青年が消えてしまった。

あら、見ちゃったよ、とおもって
店にはいったら、
フミエには霊感なんかないはずなのに、
「おー、寒い」と震えているじゃなぃか。

霊に遭遇すると、寒気がするというのは、
まんざらうそではないのである。

シックスセンスという映画でも、
主人公の奥さん、息がしろかったのでも
わかるとおり、世界共通認識なのだ。


 就職がきまって、不動産屋に勤めたのだが、
夜、11時ころ、フミエから連絡があり、
「なんか、気持ちわるい、せんせい見てくれ」と。

うちの前に不動産屋の車を横付けにして、
彼女はわたしの部屋に入ってきた。


「気持ちわるい」
というのは、おそらくなにか憑いていると、
彼女は察したのだろう。


わたしは、フミエの背中を押す。


左の肩甲骨あたりに霊道があるので、
そこを触るとなにかわかるときもある。


ところが、今日は「抜けない」のである。


そこから抜くと、わたしに憑依して、
そこで会話ができるから、
なんとなく、その人の過去が
読めるのだが、今日は、それができない。


そういう場合のほとんどが「生霊」である。

しかし、「生霊」と言っても、
悪いものとそうでないものがある。

わたしは、すこしかんがえて、 わかったのだ。

「フミエ、これ生霊だよ」

「え」

「うん、でもひとつも悪いものではない、
あ、これさ、山形のお母さんが
お前を心配しているからだ」
と、答えたその瞬間である。

フミエの携帯電話がなった。

「あ、ママからだ、こわ~」


こういう話はよくあることである。


どうも、フミエとは、そういうところで、
相性がいいのかもしれない。


店をやめて、かれこれ10年くらい経つが、
わたしはフミエに連絡などあまりしなかったが、
昨日、ふと彼女にラインを送った。


「突然ですが、今日の夜、暇ない?」



何年ぶりのラインだろう。あさの8時11分。



「あるけど。 なぜ?」

8時12分、おそろしいくらいはやい返事だった。

「暇で飲みからカラオケどうかな?」
と、わたし。

「んー、考えておく。先生、昨日電車一緒だったよね」
と、また不思議な返事。

「うっそー」とわたしがあいさつすると、
「三田線乗ってたでしょ?」

「乗るかよ」とわたしが返事をすると、
こんどはフミエが「うっそー」。

「青葉台にいたよ」

「ドッペルゲンガー」とフミエ。

わたしは「うっそー」。

「だから今連絡したんでしょ? こわー」

フミエは、もういちど「こわー」と言った。


そういえば、なぜか、

お、そーだ、暇だらか彼女を誘おうと、
今朝、きゅうにおもいたったのだ。


それは、彼女がわたしを三田線で見た、
というおもいこみが、わたしのなにかを誘発させたのか、
あるいは、ただの偶然か。

しかし、偶然にしては、よくできた話である。


けっきょく、彼女は、わざわざ板橋の仕事場から、
大岡山にまで来て、
風邪ひいているから、カラオケはしないと
言いながら、たらふく、よかばってんで飲んで食って、
けっきょく漫遊記で延長に延長をかさね、
二時間、声がかれるまで歌っていた。


しかし、ほんとうに、
フミエとは、みょうな関係である。


(この話は、ご本人に了解済みであります)

亭主というものは2017/2/3

 世の亭主というものは、
ほとんどが軽んじられるものである。

 さっき、八百屋によって白菜を買う。

「白菜ください」

「何束ですか? 5、6?」

「いや、業者じゃないんで、その小さいのでいいです」

「業者じゃないですか」
と、主人は笑っている。

「180円です」

「ふーん、安いね」

「安いですか、これ、みなさん高いって」

「あ、そーなんだ、ほかになにか面白ものあるかな」

「奥さん、よくみかん買ってくださいます」

「そう、みかんはいいや」

「おいしい、おいしいってなんども買ってくださいますよ」

「そう、わたし、それいちども、それもらったことないな」

「あれ、そうですか」
八百屋の主人は、すこし困った顔をしていてた。


世の亭主というものは、
そもそもそういう扱いなのである。


むかし、カックンのママが商店街で
「今日は、すき焼きにしようっと、パパは湯豆腐」
と、言いながら歩いていたが、
兵隊さんの位は、ママが牛肉で、パパは豆腐なのだ。


そういえば、ケーキ屋にいって、
ケーキを買わされることがあるが、
ほとんど、いつも妻はケーキを4つ買う。
うちの家族はそのときは5人である。


ふだんは、気にしなかったが、
いつぞや、わたしは彼女に訊いたことがあった。


「この4つってさ、おれの分、はいってないよな」

と、妻はうんとうなずいた。

べつに甘いものがきらいというのでもなく、
食に貪欲なほうなわたしだが、
こと、ケーキとなると、わたしの分はないのである。



何日か前、ふたりの娘が帰っていた。

長女は身重である。次女は娘をつれて、
妻が孫のそばにすわる。

よく見たら、拙宅は、三代にわたる女ばかり、
4人もいるじゃないか。


女系家族とはよくいったものだ。

こんなところでは、わたしはひどく肩身の狭い
おもいをする。


「いちご食べる?」

妻がわたしに聞いてきた。

めずらしい。

わたしがうなずくと、テーブルに置いてある
パッケージから、ヘタを向いて
わたしにくれた。

いちごは、ヘタのほうから食べたほうが
おいしく食べられるそうだ。

はじめて聞いたことである。


このいちごは、長女の旦那さんの実家から、
もらったもので、すこぶる甘いらしい。

たしかに、よく身のしまった香り高いくだものであった。

「ナナコもたべる」
次女に妻がきく。

次女もうなずくと、妻は台所に行って
ひとつぶ、ナナコにわたした。

それを見た、長女がげらげら笑いだした。

「おい、なにが可笑しいんだよ」
と、わたしが訊くと、
「いや、なんでもない」って
また笑い出す。

「なんだよ」
と、わたしが訊くと、

「おとうさんには、洗わずに渡したのに、
ナナコには、ちゃんと洗って、いちご渡している」

さきほど、もうしあげたとおりではあるが、
世の亭主というものは、
ほとんどが軽んじられるものである。

2017/1/28

だめな上司の三拍子。

 

上向き、内向き、後ろ向き。

 

 

 出世のことしか頭になく、部下よりも、

兵隊さんの位の高いひとばかりに目が向く。

 

 外交的でなく、内側を向いている。

 

 そして、未来を語るのではなく、

いままでの失敗した足跡などをぐずぐすいう。

 

 

 これがだめな上司の三拍子である。

 

 

 人事考課。

 

 公立学校が採用した制度で、

もう十数年が経つのではないだろうか。

 

 

 学校長が、所属の教員を採点する、

というシステムである。

 

 

 つまり、学校長の権威づけを担保する制度、

ということである。

 

 

 公立学校の教師は、おのず、

点数に還元され、それが能力として

前景化されるわけだから、

校長の前では、いい顔をするようになる。

 

 

 もちろん、それによって、

ぐうたらな教師が、ピシッとなって

奮起するものもいるだろう。

 

 

 クラス通信の回数も格段にふえる。

 

 しかし、「いじめ」は、隠密裏に処理され、

なにごともなかった、安穏なクラス経営であるように

みせかける教師もでてくるわけだ。

 

 

 つまり、教師は生徒・児童をみつめるより、

学校長のご機嫌をうかがうようになるばあいもある。

 

 

 それがはたして、教育上、すぐれていいことなのか、

わからない。

 

 いわゆる上向きである。

 

 メバルという魚は、海底近くで斜め上をむきながら

泳いでいる。上からおちてくる餌を

捕獲するためである。

 

 上向き教師ってメバルみたいじゃないか。

 

 

  そもそも、いまの学校教育は、

一元化のもとにすすめられている。

 

 

 どの生徒にも、マニュアルどおり、

ささやかな怪我をしても、保護者が呼ばれ、

病院に行くように指示される。

 

 

 ジャイアンのかすり傷と

のび太の骨折では、程度もちがうし、

人物もずいぶんちがうが、

どちらも、おんなじように扱うのである。

 

 

 それが、悪いともうしているのではない。

 

が、個別対応ということも

ある程度は踏まえていただくのが、

保護者としての本音ではないだろうか。

 

 

むかしは、子どもと老人は特別視されていた。

 

「七歳までは神のうち」と子どもは呼ばれ、

老人も神性を付与されていた時代があったのだ。

 

が、いまは、一元的社会のものの見方では、

平板な地平のうえに、どちらも「役立たず」と

見られようになった。

 

 

 一人ひとりの個性を伸ばし、など、

教育目標にかかげておきながら、

学校という空間は、すべての生徒・児童を

八百屋の商品のように、統一的に据え置こうと

しているのである。

 

 

だから、ぎゃくに「うちの子にかぎって」

という母親のストックフレーズは

死語となったけれども。

 

 

 ここで、とてもだめな教師の話をしよう。

 

 

 

クラスのタチモト君という、

どちらかといえば、スネ夫よりもジャイアンに

近い体型の男だったが、かれが、

 

「せんせい、おれ、学校やめようとおもうんだ」

と言ってきた。

 

そこで、かれはこう言った。

 

 

「お前が学校やめたら、だれがトリュフを取りに行くんだ」

と。

 

 

タチモト君、さっぱり意味が分からず、

ちょっと知性的な友だちに聞いて、

それから怒りだした。

 

けれども、トリュフはそれきり学校やめるとは

言わなかった。

 

 クラスでほとんどビリしかとらない生徒がいた。

担任の先生は、クラスの生徒に、河合塾の公開模試を

受けることを促していたが、そのビリは、

先生のいうことを鵜呑みにし、いつも

模試を受けていた。

もうしわけないが、かれにとって、模試を

受けることは、かれの人生において「ゼロ」である。

 ついに、三年目のある日、担任に申し出てきたのだ。

 

「せんせい、おれ、これ受けて、なんになるんですか?」

 

 なにになる。うーん、なにになる、か。そこで担任は、

即座にこう答えた。

 

 「野となったり、山となったり、なるんじゃないか」と。

 

 ビリは、ぽかーんとしてその場を去った。

きっと、かれはいまだにその意味がわからないのだろう。

いま、そのかれは、神奈川に三軒、ラーメン屋を経営している。

 

 おんなじ担任の話。

 日帰り社会見学のバスの中、もう降りますよ、ってときに、

野球部のタケウチくんは、嘔吐した。

担任は、このあと、先生のご苦労さん会が横浜であるので、

また、そのときのご苦労さん会は、マグロのカマを焼いてくれている、

という情報もあり、タケウチくんにかまっている場合でもなかった。

 

「もう、おわったんだから、お前らで処理しておけ」と、

先生は、マイクでそう言いながらバスを降りた。

 

「待て。それでも担任か」と怒鳴ったのは、おんなじ

野球部の、イイジマである。

 

「うるせぇ。知るか」と、このひどい先生は、

小雨の降る中、横浜に急いだ。

 

 しかし、ものがたりはそのあと、とんでもない

ことになっていたのである。

 

 タケウチくん、傘をさしながら、汚れをおとして、

歩いていたところ、車に轢かれてしまったのである。

 

 ボンネットに乗っかるように轢かれたらしい。

 

担任が、それを知ったのは、翌日の朝である。

玄関にタケウチくんの母親がみえて、その事情を

話された。

車に轢かれたとはいえ、病院で看てもらったが、

べつだん怪我もなく、無事であったのだ。

 

 なにもなくてよかった。

 

で、息子はいまホームルームの部屋にいるので、

なにぶん、よろしくお願いいたします、とのことであった。

 

担任が、ホームルームに行くと、タケウチくん、

教室の真ん中に、ちょこんと座っていた。

 

「タケウチ、お前、車に轢かれたんだって」

 

「はい」

 

 で、その先生は、こう付け加えた。

 

「そーか。踏んだり蹴ったりって言葉はあるが、

お前は、吐いたり、轢かれたり、だな」

 

 ここまで、お読みいただいたかたは、

すでにお分かりだとおもうが、この担任は、

すべてわたしの実話である。

 

 こんなことばかりやっているので、

ついには、学校から追い出されることになる。

 

 でも、わたしは、一人ひとりの生徒に、

ちゃんとちがったものの見方をしていたと

おもうのだが、ま、こんなやつは、抛り出される

ことになるのだろう。

 

 しかし、おもうのだが、学校という現場は、個性と

個性のぶつかり合いだと。

 

 おんなじようにベルトコンベアに乗せ、

ちょっとでも、マジョリティとちがうことがあると、

ハンマーで叩き、平板にし、

一列にきれいに並んでいる

トウモロコシのつぶみたいな教育がいいとは、

わたしには、すぐれた教育とは、どうしてもおもえない。

 

 もう、実現は不可能だが、

わたしの叶わなかった夢は、学校長になることであった。

見た目が悪いという話2017/1/25

「せんせい、アウトレイジに出てませんでしたか」

とか、よく訊かれる。

アウトレイジ、北野監督の「すべて悪人」という
あの映画である。


なぜか、わたしはヤクザさんと間違われるのだ。
こんな平和主義のやつはいないと
おもっているのだが、
見た目はそうではないらしい。

だから、そう言われたときには、

「なんだと、コノヤロウ」と
低い声で応えることにしている。

じっさい、ワイシャツは黒しかなく、
ネクタイも赤とか、黒とか、ダークなやつなので、
黒いスーツだと、たしかに、
そんな誤解もあるのかもしれない。

だから、夜などおそろしい。


信号のない通りで斜めに横断しようとしたら、
いちど、車に轢かれそうになった。

女性ドライバーだったが、
たぶん見えていなかったんだろう。


むこうも驚いたようだったが、
こっちはその倍こわかった。


ちょっと前まで、わたしは、神奈川のK学園で教鞭をとっていた。

そこは、入学するのにむつかしく、中学の成績がオール2だと、
はいれない。

オール2だと、この学校より、ランクのうえの学校に
入れてしまうからだ。

つまり、オール1に2がすこし、という
かなりアクロバシィな生徒さんが
うようよ集まっている学校である。

苅谷剛彦というひとが言っていたが、


「比較的低い階層出身の日本の生徒たちは、
学校での成功を否定し、
将来よりも現在に向かうことで、
自己の有能感を高め、
自己を肯定する術を身につけている。
低い階層の生徒たちは学校の業績主義的な
価値から離脱することで、
『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである」


まさに、それを地で行っているような学校であった。

「俺たちはよ、金はらってんだから、
あんたが黒板消せよ」

とか、鼻息あらく平気でそんなことをいうやつらだった。


わたしは、そういうやつらに

屈するなんて できないので、
このときは、アウトレイジがものを言った。

「お前ぇよ。ここが学校だから大目に見てやってんだがよ、
いいか、表でおれと顔合わすなよ、わかってんだろうな」
とか、平生よりすこしドスの利いた声で諭してやった。

それとか、なんべん、「殺すぞ」と言ったことか。

公立学校でそんなこと
言ったら、大問題である。

が、ここK学園では、なんてことなかった。


さすがに「殺すぞ」と言ったあとには、低い階層のやつらも、
おとなしくなったものだ。


しかし、休み時間など、たまったものではない。

男子生徒と女子生徒が教室で抱き合ったり、
キスしたり、お乳をもんでいたり、
それが、日常なのである。


だから、ほとほと呆れて、わたしは、
担任の、女の体育の先生におねがいした。

「あの二人、しょっちょう抱き合ったりしているから、
ここは、公共の教育の場ですから、
なんとか指導してください」
と、彼女は言下にこういった。

「あの二人、別れましたから」

わたしは、生徒以下の能力に唖然とした。

それより前に、わたしは、
K高校で五年ほど、非常勤ではたらいた。

そこで「イマムー」というあだ名の
英語のわかい先生と懇意になった。


懇意といっても、昼に食事するとか、
お茶するとか、何しろ、わたしの娘のような
子であった。


箸がうまく持てないので、
わたしが徹底的に教えてやった。

が、彼女はいまだにうまく箸がもてない。

サンダルもカカトが取れていて、
ひょこたんひょこたん歩いていた。


わりに、身なりを気にしない先生である。


「わたし、せんせいみたいなひとに
漢文教わったことあります」
と、彼女は言った。


「え、どこで」


「予備校で」

「どこの」

「早稲田塾というところです。
なんか、何やったか覚えてないけれど、
4日間、笑い続けていた気がするんです」

「それ、自由が丘じゃなぃ?」

「そうです」

わたしは、コーヒーを飲み干し、
ふたりそろって職員室にもどり、わたしのレジュメを
彼女にみせた。

「これじゃなぃ」

「あ、これです、これです」


「じゃ、おまえ、おれの生徒じゃん」


じつに呑気な子で、わたしが教えていたことを
まったく気づかずにいたのである。


早稲田塾でも、わたしは、アウトレイジだったし、
K高校でも、おんなじコスチュームだから、
すこしは感づけよとおもったが、
ま、イマムーならしかたないのかもしれない。


いま、教えている予備校で、
わかいせんせいが、
「あの、黒いワイシャツ着ていいですか」
と、室長におたずねしたところ、

「お前は、だめ」と、言われたそうだ。

「お前は」という言い方に、
「だれかなら、しかたない」という物言いが、
前段にあることはたしかである。


その「だれか」がわたしかどうかわからないが、
黒いワイシャツで授業をしているのは、
わたしだけであることは、間違いない。


この間、あまりに寒いので、
予備校を出るときに、正ちゃん帽をかぶったのだが、
それが、わたしには似合っていなかったのか、
生徒が
「わ!」
とか驚いて、
「せんせい、銀行強盗みたいですよ」と言っていた。

ギャップという店で買った、毛糸の帽子である。


なんで、それが、銀行強盗なのだ。


むかしの話だが、わたしが、
カシミヤのコートを着て、予備校を出るときに、
ある生徒がこう言った。


「せんせい、露出狂みたい」


なんでコート着たほうが、露出狂なんだ。


 なんだとコノヤロウ。

公用語を英語に2017/1/22

 我が国の公用語が英語になったら、
あなたはどうおもいますか、

という慶応大学の入試問題があった。

 生徒に訊いてみた。

「英語がじょうたつするんじゃないですか」

なんて言うものもいた。

 公用語ね。ということは「ハレ」の語としては英語、
「ケ」の言語は日本語を使用してよい、
ということなのだろう。


 結論から言えば「無理」である。

 
 岸田秀というひとが「唯幻論」で述べているが、
江戸から明治になったときの、
パラダイムシフトは、わが国が分裂を病むという
ソリューションを奨励し、外国にはいい顔をし、
そのじつ、じつはそれはうそのじぶんで、
ほんとうは、だれともつきあわない
日本独自の文化を大事にするという、
聖化されたじぶんをもつ、という二重人格が
芽生えたと言っている。


 いわゆる病的な「本音」と「建前」が、
個人でも、国家でも演じられたわけである。


 いまの政治は、政府や、政治家から、
官僚まで、アメリカのしっぽを追いかけているだけだから、
きっと、右にならえで、そうなるかもしれない。



 が、われわれは、
英語が公用語になったら、この本音と建前は、
加速度をまし、ますますわれわれは分裂症を
受け持ち、このことが個人レベルで内在化し、
国家にもぬぐいがたい傷痕と亀裂がしょうじるのは
火を見るより明らかである。


 そもそも、公用語とはなにか。

 げんざい、日本の公用文書はすべて横書きである。

 「ハレ」の舞台に出られるのは横書きだけなのだ。

が、しかし、あるひとつは、いまだに縦書きが
大手を振ってそんざいしている。


 六法全書である。


 あれは、いつまで経っても横書きに
変換されない。


 なぜか。


 「右に同じ」という文言がむすうにあり、
それを、横書きにすれば、すべてを「上に同じ」にしなくては
ならない。

 その煩雑さゆえに、いまだに縦書きらしい。


 それが、すべて英語になるなんて、ありえないだろう。

 百歩譲って、それでも横書きの英語に
六法全書がかわってしまったら、
裁判など、複雑極まりなくなるだろう。


 司法試験もすべて英語。
裁判の進行も英語でなくてはならない。


 陪審員制度を採用しているので、陪審員も
英語に堪能でなくてはならない。


 そのへんの八百屋のおっちゃんが、
英語を理解しなくてはならないのだ。


 「どうせ」とか「せっかく」とか、
日本独特の言い回しがあるわけで、
裁判というのは、そういう心のひだまで、
陳述する場なのだから、それを英語でやる、
というのは、加害者であり、被害者であり、
どちらの心情も、そっくり表現できずに、
語彙数のすくない言語の海に埋められてしまうのだ。



 ま、これは一例にすぎないけれども、
慶応大学もずいぶん安直な問題をだすものだと、
わたしは、こっそりとおもっている。

言葉のおもみ2017/1/18

 孫ができると、自動的に「祖父」ということになる。

「おじいちゃん」


 とてもいやな響きである。

 祖父母は、金をだしても口出すな。


 これは、人生の鉄則、人生訓である。

 わたしは、娘が孫をつれて実家にもどっても、
そんなにしょっちゅう、孫を見にゆくことはない。


 わたしは、金もないからなのだが、
金もださない、口もださない、顔もださない、
この三拍子である。


 だから、娘にとって、「おじいちゃん」」は
とても気楽だろう。


 ただ、5歳までに、その子の人格が
形成されるから、身のこなし、箸の使い方、
あいさつのしかた、もろもろは
ちゃんと教えろよ、あるいは、
暗いところで昔話を語ることが、
その子の想像力にもっとも有効である、
ということは伝えてある。


 伝えてあるが、それを実践するか、
しないかは、娘しだいなので、
それいじょうは、なにも言わないことにしている。


金もださない、口もださない、顔もださないからである。


ピエール・ブルデューというひとが、
「文化資本」という概念を提唱した。


経済資本にたいする術語である。


文化資本とは、
そのひとの、階級差の指標であり、
それが、5歳までに決定するそうである。


 ご飯を食べたあとに、どうやって「ごちそうさま」をするのか。
どういうふうに「ありがとうございます」を言うのか。
すべて、文化資本にカテゴライズされる。


 たぶん、わたしが、
娘夫婦に、ああしろ、こうしろと言いだしたら、
おそらく、じつの娘でも、イラッとするはずだろう。


 と、いうより、それいじょう、あんまりかんがえも
ないものだから、お前たち、勝手にやれよ、
これが、わたしの教育だったのかもしれないが。


 言葉とは、言霊であるので、言葉には、
命がふきこまれると同時に、まったく無意味な
存在でもある。


 ピグマリオン効果というのがある。

 「わたしは、できるんだ」と言葉にすると、
その仕事がほんとうにできるらしい。

 これは、心理学で証明されていることなので、
あんがい、真実かもしれない。


 だから、「だめだ~、だめだ~」ってほざいていると、
しっかりだめになる。


 言葉が言霊である証拠だ。



 が、「きみのことが好きです」とか、
「いつも、きみをおもっています」とか、
それが、真実なのか、虚偽なのか、
これは、あんがいむつかしい。


 「好きです」と言われて、
不快感をもつひとは、そんなには多くない。


 だいたいは、こころが熱くなるものだ。


 ここが、言葉のふくざつなところである。


 在原業平のような女ったらしや、
はぐれ雲のようなやつだったら、
いくら、言質をとっても、びた一文にもならない。


 「きみしかいない」といいながら、
たくさんの女とつきあっていて、
おんなじ文言をたくさんの女に言っているのだから、
信用できないわけだ。

 なぜなら、できるかぎり、恋仲を持続するためなら、
どんな言葉も惜しみなく生産するのが、
男というものだからである。


 しかし、言われたほうは、嬉しいかぎりである。

じぶんだけに言っている愛の言葉だとおもい、
いわれた当事者は、舞い上がる。
そして、その仕掛けにはいっさい気づかない。
こういう図式を、世に「幸せ」と呼んでいる。


 祖父母が言う言葉、担任の先生が言う言葉、
政治家の言説、恋人の語り。


 どれが真実か、あるいは、保身からのまやかしなのか、
あるいは、まったくのでたらめか。


 しかし、嘘からでたまことという俚諺もあるから、
そのうち、それがほんとう、ということもあるかもしれない。


 ただ、わたしは、まだ「おじいちゃん」と言われるのは、
どうも苦手である。


 けれども、これだけは断言する。

わたしが「好き」と言ったら、これは事実である。

辞書のはなし2017/1/17

 世間では、「広辞苑」がもっとも大きな
国語辞書だとおもっているひとがなんにんもいるだろう。

 「辞書は三省堂」というが、三省堂の辞書が
もっとも使いやすいとおもっているひとも
いるかもしれない。


 「広辞苑」。あれなどは、専門家から言わせれば、
使えない辞書のひとつである。


 語彙数もすくないし、漢語の造語成分も載らない。
広辞苑の項目数は、おおよそ25万項目である。


 漢語の造語成分というのは、その字だけでは、
意味がなく、熟語にならないと成立しない文字である。

 だから、広辞苑にない字は、
漢語の造語成分にはならない、と、
そう逆利用することも可能なのであるが。

 専門家がもっとも利用する辞書は、
日本国語大辞典である。


 小学館から出ている。
百科事典のような体裁で、20巻からなる。

 一巻は「あ」から「いくん」までである。

 二巻は「いけ」から「うのん」までである。

 こんなふうに20巻がつづくので、
本棚はゆうに2段つかわざるをえない。

語彙数も50万語。だから、日本国語辞典に
載っていなければ、日本語として認定されていない、
そう言える唯一の辞書である。


 
 「辞書は三省堂」

(語彙数は75000語)


 これは、三省堂という書店のキャッチコピーであり、
とく三省堂の「新明解国語辞典」は、ひどく使いにくい
辞書の筆頭である。


 「三時のおやつは文明堂」

 だからって、おやつは文明堂の
ハニーカステラにはしないように、
辞書だって、新明解がすぐれているわけではない。


 ものすごく偏った説明を、新明解はするのである。

主幹が山田忠雄。山田文法の提唱者で、
ひどく、主観的な見方をする学者である。
だから、語彙の説明も山田流なのかもしれない。

 

 わたしも、若いころ、辞書の執筆をしたことがあって、
そのときは、卓上版の辞書を片っ端からあつめ、
そこにはないフレーズで、言葉の説明をしたおぼえがある。


 おんなし説明だと盗作になってしまうからだ。


新銘菓国語辞典の初版がここにある。


さ、山田ワールドへようこそ。


二、三、例をあげてみる。

 

 【みぎ】

大部分のひとがはしや金づちやペンなどを持つ方(の手)。
(からだの、心臓が有る方の反対側)


 なら左はどうか。


 【ひだり】

 普通の人が茶わんを持ち、ぐぎ・のみを持つ方(の手)。
(からだの心臓が有るほうの側)


 とすると、左利きは、普通の人ではなく、異常な人、
ということでいいのかな。


 【ビキニ スタイル】

 女性の着る海水着の一つ。乳の部分と
下腹部とをそれぞれ申しわけ程度におおっただけで、
大胆に裸体を露出したもの。


 うん、この説明、ぐぐっとくるが、
辞書としてはどうなのか。

「申しわけ程度」という独断は、普遍性に欠ける気がするが。
いかがなものか。


 【マンション】

 スラムの感じ比較的少ないように作った高級アパート。


 スラム街のひと、すみません。

 しかし、まだ「マンション」はましである。

つぎのはいかが。
マンションではなく団地である。

若葉台団地とか、高級な団地はいくらでもあるが。

 

 【団地】

 住む家のない庶民のために、一地域に
集合的に建てられた・公営(民営)のアパート群など。

 

 住む家のない庶民・・・

返答のしかた2017/1/15
 英語は、日常生活するのに、
1500語程度で暮らせるらしい。


 オーマイ・ゴッドやシット、とか、ファックとか
そんなこと言ってらなんとかなる。

 フランス語は、ややこしいので、
それでも4000語くらい。


 しかし、こと日本語となると、そうはゆかない。
専門家に言わせると、日本語は、
日常会話を支障なくこなすには、
27000語から30000語必要だそうだ。


 承知いたしました。かしこまりました。
了解です。承ります。わかりました。

 おんなじこと言うのにも、
そのひとによって、あるいは場によって
さまざまに選択しなくてはならない。


 英語なんて、よくしらないが「イエス・サー」とか
言っておけばいいんだろ。


 好みの言い方を、ロラン・バルトというひとは、
「スティル」と呼んだ。


 じぶんなりの、言い回し、息継ぎのしかた、
節回し、そんなものをそう呼んだ。


 川端康成が、ノーベル賞の受賞公演の
タイトルが「美しい日本のわたし」であったが、
あれは、文法がおかしいとは、「雪国」の作者は、
おもってもいなかったろう。

「美しい日本のわたし」は、川端先生のスティル
であったと、ご本人はそうおもっていたに違いない。



 そのすティルであるが、
当意即妙な返答のしかた、そういうことが
できたら、素敵な人生になるとおもうのだ。


 わたしの知り合いの女性で、しょっちゅう、
「なことで死ぬわけないし」ということを言う方がいる。

「死ぬわけない」と生死にかかわることを
だされてしまったら、返事に窮する。

だから、わたしは、「そんなこと、死ぬわけないし」と
言われたときは、すかさず「でも、生きた心地がしなかったよ」
と、あいさつすることに決めている。


 恋人同士が別れるとき、男はきまって
捨て台詞をいう。


 「たまには、おれのこと思い出せよ」

と。


 そのとき、いい女の捨て台詞はなにか。

 「ううん、思い出さない」

 これにかぎる。

 と、男は、虚を衝かれ「え」となる。

そこでこういうのだ。


 「だって忘れないもの」


「・・・・・」


 こう言われたら、しびれるだろうね。
なんでこんな女をおれは捨てたのだろう。

 うしろ髪を、フォークリフトで牽引されたような
気持ちになるのじゃなぃかな。



 「お前、何様のつもりだ」
なんて、言われる。

 そのときは、

「お互いさまだ」

 と答えるとよろしい。



 ナンパ氏が、街ゆく女性に声をかける。

「どうです、珈琲でも」

 と、「珈琲きらいなんで」。

「なら、紅茶ならいいでしょ」


 ずいぶん昔の手の内である。


 まだ、子どもが乳幼児のとき、
東急ストアに買い物にいき、粉ミルクがないので、
妻がそのまま帰ってきたら、駐車場で500円取られた。


 なにも買わずに帰ってきたらか
仕方ないが、ほんの数分で500円。

 法外である。


 で、わたしは、あとから東急ストアに電話して、
「粉ミルクを買いにいったのに、
そちらには粉ミルクがないから帰ってきたのに、
なんでお金とるんですか」と、クレームした。


 そうしたら、「たぶん、駐車場係が臨機応変な態度を
とったとおもうんです」との答え。

 だから、わたしは「臨機応変な態度がとれなかったから、
地元の人間から法外な料金をとってしまったんではないですか」
と、係のひとの言葉を、そのまま返してやったら、
それから、すっかりだまりこんで、返金ということになった。


 やはり、返答の仕方で、人生は変わるものだと
おもうのである。


 27000語というと、新明解国語辞典で75000語あるから、
その3分の1くらいは知っていなければ、
暮らせないということである。

 
 さて、わたしは、どのくらいの語彙力があるのだろう。



 この間、「周旋」という言葉を知らずに辞書をひいた。

 仕事などを世話するという意味らしい。
ハローワークのようなところでは、日常であろう。


 「えー、わたし、子どもが7人もいましてね」

 と、ハローワークの職員が言った。
 
 「ほかにできる仕事は?」



  このギャグを教室で言ったら、
里佳子だけが笑った。

 「おい、里佳子、笑ったのはおまえだけだぞ」
と言ったら、彼女はパーって赤面していた。


 かわいい。



 自由が丘の並木道を、チサトと歩いていたとき、
彼女が、初夏の青々とした木々をみて、

「これ桜だった?」とわたしに聞いてきた。

 だから、わたしは答えてやった。

 「いまも、桜だよ」



 






返事のしかたはむつかしい2017/1/11

 家風ラーメンには、小ライスをサービスしている。

「小ライス付きますが、いかがされますか」

わたしは、かならずお客様にはそう訊いている。

「だいじょうぶです」

男性が答えられた。

だいじょうぶ。

この語が難問なのである。

「いりません」という意味で通常はつかっていると
おもっていた、この「だいじょうぶ」であるが、
この男性は、ちがったのである。

「小ライスをもらっても、わたしには
それを許容できるだけの胃袋がある。
だから、もらってもだいじょうぶ」
という意味だったのだ。


そもそも、大丈夫という語は、
立派な男子を意味するのであり、
ライスが不要なのか必要なのかの返答には、
使用しないものである。

あるいは、現在では「まちがいがなく確かなさま」
という使い方が本筋かもしれない。



本屋でも、カバーかけますか。


という問いに「だいじょうです」は、
カバーがあってもいいのか、いらないのか、
どちらにもとれる。

今日、店がおわって、やなか、という珈琲屋さんに
寄った。


と、わかい女性がふたり。


ホットをふたつ。


はい、ミルクと砂糖はご入り用ですか。


だいじょうぶです。


わ。また、はじまった。


袋にお入れしますか。


だいじょうぶです。
あ、買い物があるから、ください。


こんどのだいじょうぶは、いらないという
意思の表明であった。



ところで、だいじょぶの誤用はどこから
はじまったのであろうか。


歴史のはじまった、その原点にもどることを
「零度」というが、「だいじょうぶ」の零度はどこなのだろう。


語源的には、大丈夫は、立派な男子なのだが、
それが、どこかで、立派であるがゆえに、
どんな苦境にたたされても、大丈夫はだいじょうぶなのだ。

究竟の男は、どんな荒波でも、だいじょうぶなのだ。

つまり、だいじょうぶには、ひどく受身的な
意味合いを含むことになるのではないだろうか。


どういう障害でも、それを支えるだけの
能力がある、ということなのかもしれない。


だいじょうぶ、だいじょうぶ、どんと来い、
そんな感じである。


そのへんが、どうも誤用のはじまり、零度なのじゃないか、
とわたしはおもう。


相手の要求にたいして、
失礼なく無難に対応できる、そういう意味合いが、
「だいじょうぶ」を誤用の道に導いていったのではないか。



ともかく、わたしは、個人的に、
この「だいじょうぶ」がひどく嫌いである。


聞きたくもないし、使いたくもない。


それとおなじく、聞いて腹が立つのは、「きびしい」である。


コメントなど、突き刺さってくるようなものに、
きびしい意見ですねぇ、なんてのは「あり」であるが、
明日、時間とれますか、という発問に、
「ちょっときびしいですね」と答えられると、
温厚なわたしも、カチンとくる。


なぜなのか。


「ちょっときびしいですね」に含まれるものは、
じぶんは、完全主義者であり、ふだんは完璧に
ものをこなしている。しかし、あなたの依頼は、
わたしのスケジュールを開けるだけの余裕がありません、
という表明にしか聞こえないのである。


つまり、「きびしい」に、やや上からの物見のような
含みがあるようにおもわれてならないのである。

パードビューなのだ。


この間、仕事場で、事務の女の子に、
「ね、メンディングテープないかな」って訊いたところ、
ごそごそ机の中を探してくれて、
「えっと、きびしいですね」って答えられた。


それ、ありませんってことだよね。


なんでそこで「きびしい」なんて使うんだろう。


これは、学校教育と家庭教育と、
一からやり直さなければならない、
一大事なのかもしれない。



これは、すこし話がちがうが、
そういう応対でもっともむつかしいのが、
性別なのだ。


わかい女の先生が、
二者面談をしていたとき、
ドアをあけてはいってきたひとが、
髪はショートで、すらりとして、
これが父親なのか母親なのか、
さっぱりわからなかったという。


声も男性にしては高いが、女性なら、
かなり低い。


15分間、先生は悩んだ。

はたして、父親か母親か。
最後まで、それが判明しなかったという。


そこで、面談終了時、思い切って、
彼女は、こう話したそうだ。


「では、それでよろしいですね、お母さん」


と、その方は「はい」と答えられたそうだ。


二分の一の確率で当たったのである。

店内のある風景2017/1/5

 うちの店は食券制なので、
店内の奥にある券売機で購入していただくこととなっている。

 12時をまわったところで、男性おふたりが入店。

 ひとりの青年が食券を、そして年配のかたが、
券売機にいかずに、すぐにサービス券をだして、
「水餃子ね」とおっしゃった。

 わたしは、その券に印鑑を押すと
かれは、なにかゴソゴソと財布の中を
探されている。

 どうされました?


 とうかがうと、

 
 いや、いまチケットがどこかにいっちゃって。


 と、言う。そしてカウンターのあたりを
見回したり。


 あの、まだ食券ご購入しているの、
わたくし見ておりませんが。



 と、もうしあげたら、


 いや、たしかに買ったんだけれどね。


 はぁ、そうですか、わたしはまだ
お客様がまだ券売機まで行かれたのを
見ておりませんが。


 いや、そんなはずはないよ。


 では、なにをお求めで?


 並盛りです。



 かしこまりました。


 と、わたしはしかたなく、
水餃子と並盛りをつくりはじめる。


 まだ、はじまったばかりであるので、
お客様は、年配のかたを含めて7名ほどである。


 年配のかたは、まだ財布を探されている。


 じゃあ、もう一回買いますよ。


 と、よほど気にされているのか、そう言われた。


 「もう一回買う」ということは、脳のなかでは
いちど購入したのに、それが店に伝達されなかったから、
たったいちどの食事で倍の金額を支払うという、
被害者的な受苦な意識をもたれることになる。

 それは、もうしわけない。

 いえ、いま、券売機をあけまして、
お客様がご購入されたか、すぐわかることですので、
いま調べますから、お待ちください。


 と、わたしは、ラーメンと水餃子をお出しして、
すぐ券売機を開き、印字する。

 とうぜんだが、このお客様の数字をカウントされていない。


 あ、ちゃんとお買い求めになっております。
この券に記録がございますから。


 わたしは、嘘をもうしあげ、
その場は、それでおさまった。


 すると、このお客様は食事されたあと、
さっと立ち上がり、券売機で800円のチケットを
購入されて、


 いや、もしかしたら買ってないかもしれないから


 と、「並盛り」のチケットをわたしの前に置いて
くれたのだ。


 あ、ありがとうございます。
じつは、お客様、ご購入されていませんでした。


 わたしは、ここで正直にもうしあげた。


 そーか、つい、違うこと考えていたから。
そうだったんだ。


 と、お客様はかるく挨拶をして店を
出てゆかれた。


 思い込みというものは、そういうものである。
しかし、思い込みが思い込みとわかり、
わだかまりも、すっかりなくなったあとは、
ひどくすがすがしい時間がやってくるものだということが、
わかったのである。

「こころ」を読む2017/1/2

 

 「こころ」を読んでいる。

「先生」という人物は「K」には悪いことはない、
悪いのは私である、という単純な対立構造で、
みずからを責める。
そのほうが慚愧のおもいが他者には通じるかも
しれない。
だが、冷静におもえば、なんで「K」という
人物は、「先生」がお嬢さんに好意を持っていることを
理解できなかったのか。
他者をなんにも理解しないで、
じぶんの気持ちだけで生きている。
その傲慢さ、あるいは、エゴイズムを
「先生」は感じていなかったのだろうか。
あるいは、その気持ちを「抑圧」していたのだろうか。

「こころ」では、そのへんの事情については、
なにも書かれていない。

そもそも、「こころ」では、もっとも可哀想なのは、

「お嬢さん」である。のちに「先生」の「奥さん」になるひと。

彼女は、友人Kの自殺の原因もしらないし、

夫の自殺のわけもしらない。

なんにも知らずに、ふたりの男性が身近で自殺するわけだから、

女性蔑視の感がないわけでもない。




にんげんは、ミスを犯す。
ミスを犯すひとがいれば、
ミスを犯されたひとがいるはずだ。
被害者である。

被害者は、ミスを犯したひとをどう処理してもいい。
生殺与奪の権はその当事者にある。

いわゆる、被害者の感情回復、カタルシスである。

そのとき、被害者にはすくなくとも
ある分岐点にたつことになる。

加害者を、もっともキズのすくないように処するか、
加害者を、もっともダメージの多いように処するか、
このふたつである。

わたしは、じぶんがひどくずさんであるし、
読解力はすこぶるないので、
ひとを、徹底的に潰すようなことができない。

(クレームを言うときはべつですよ)

ただ、もっともダメージの多いように処した場合、
うけたダメージは、絶望的な疲労感をともない
加害者を襲う。酸が浸食するように、
取り返しがつかないという事情を
相手の人格に植え付ける。

それは「呪い」である。
「呪い」は、絶望的疲労感とともに、
返答不能の状態を相手に与えることだ。


これは、外交交渉ではあまりよろしくない
やりかただ。相手の逃げ場所がなくなるから。


やはり、にんげん関係も、国交も、
逃げ場所を作っておかないといけないのである。

あさま山荘の犯人が、逃げ場所をうしない、
発砲しまくったのと類比的だ。


ひとのミスは、ミスしたひとがもっとも悪いが、
そういうときこそ、
そのミスをどうしたら、もっとも間違いでないように
補正しながら、他者を含んでみずからの所作を考える、
という紳士で真摯な行き方をしたいものだ。

 

 ところで、授業で「こころ」を読んでいたのだが、

そろそろ「まとめ」になろうとしたとき、

ある生徒がわたしにいいに来た。

 

 

「せんせい、いつになったらKの名前、

教えてくれるんですか」

 

 

 

やれやれ2016/12/29

 冬期講習中である。

わたしは午前中にべつの仕事をしているので、
授業は夕方しかできない。

それだから、校舎から校舎に移動、
というのが常となっている。


いま、そのもっとも過酷な時期であり、
午前中の仕事がおわるのが3時。

急いで着替えて鷺沼にゆく。

鷺沼というのは神奈川県のまんなかくらい。

16時から授業である。

そこで、80分授業をこなして、
それから、練馬にゆかなければならない。


練馬というのは練馬区のまんかなくらい。
練馬大根くらいが有名で、あとは、
なんにも褒められたところのない街という
印象がわたしにはある。

(練馬区民の方、失礼!)


練馬での授業開始が、19時、夜の7時なので、
移動時間は一時間と30分しかない。


で、Yahoo!の乗車案内でしらべると、
17時30分の急行で、渋谷経由、青山一丁目で、
大江戸線に乗り換えると、
練馬に、18時40分に着き、これが最速であるらしい。

いまは、すこぶる便利な世の中である。

携帯でいっぱつ、こんな複雑な事情が
あっさりと手のひらに表示されてしまう。


さて、急行が来て、わたしは、
田園都市線で都心にむかった。


渋谷をすぎ、青山一丁目で降りる。

が、そこから、大江戸線がわからない。

大江戸線という電車は、もっとも歴史が浅く、
その浅さと反比例して、地下のもっとも深いところを
走っている電車である。

それも、車内はひどく狭く、
さながら、潜水艦のごとくである。

おまけに、ひとの多さときたら、
ひといきれと、ひとの咳で、あれに一日乗ったら、
きっと、どこか悪くするにちがいない。


さて、青山一丁目で降りたわたしは、
「大江戸線」という看板を見つけなければならない。

いま、これは4番線ホームである。

と、そこに都合よく駅員が立っているではないか。


「すみません、大江戸線どこですか」

と、駅員は左手ですくそばの地下を指呼して、
「この下です」と答えた。

わたしは軽く礼を言って、階段を降りる。

大江戸線との待合時間は4分である。

急がねばならない。


が、その階段がくねくねして、また狭いのだ。

二階分くらい降りたところで、
広い踊り場のようなところに出て、
左手に改札のような、出口のようなところから、
ひとがぞろぞろと歩いて出てきた。

低い天井に「大江戸線連絡通路」と書いてある。
わたしは、それにしたがい、踊り場を右折して、
すぐ目の前にある、エスカレーターに乗った。

急ぐので、右端をすみません、すみませんと、
小声で言いながら、走る。


と、そこは、地下ではなく地上のホームであった。


ひとりの駅員がいた。


わたしはひどく焦っている。


「すみません、大江戸線はどこですか」

「この下です」

駅員は、狭い階段を示した。


わたしは、どうも、と言いながら、
その階段を降りる。

狭くて、左に左にと数回まわりながら、
明るい踊り場にでた。

と、そこは左手に出口のような改札があり、
天井に「大江戸線専用連絡通路」と書いてある。

だから、わたしは、その踊り場を右折して、
目の前にある、エスカレーターを小走りに上がっていった。


と、そこは、地上のホームである。


駅員がいる。


「すみません、大江戸線をどこですか」

あれ、こいつ、さっきおれが訊いた駅員じゃないか。

「この下を降りて、改札をはいってください」


改札? あ、おれが出口と勘違いしたところだ。

そーか、あそこを左に曲がるんだった。


駅員も、下に降りて改札を通ってください、
そうていねいにおしえてくれればいいものを、
わたしは、けっきょく、おんなじ道を三回も
登ったり、下りたりをしてしまった。


運良く、ピリピリーとなっていて、
いままさに閉まるドアに飛び乗り、難を逃れたが、
あぶないところだった。


ドアがしまる寸前に、運良く乗り込めた女性歌手はだれ、
なんてなぞなぞが、むかしあったが、
その答えは「淡谷のり子」である。
が、そんな冗談をいっているような場合ではなかった。


ニーチェの言説に「永劫回帰」があるが、
あれは、もっと崇高な「くりかえし」であるものの、
わたしは、きょうは、ひどく個別的な永劫回帰を
実地で体感したのであった。


やれやれ。


ひとつの短歌から その42016/12/26

・同意書に始まるのか死 横たわる人に事実が沁みこんでいく

 

 風野端人

 

「デッドエンドの先を見つめて」から。

連作の中から、リアリティのもっともある歌のひとつを選んだ。

手術をする、あるいは、延命装置を装着する、

同意書にサインをせねばならぬとき、

同意書にみずからの名を書く、というひとつの緊張は、

受け入れねばならない事実を、前景化した瞬間である。

本来は、その書く、という身体運用に作者の神経は

集中するはずだろうが、そこをあえて書いていない。

むしろ、「横たわる人」を前未来形でみたときに

おとずれるだろう「死」を予感しながら、

もっとも書くべきところを省略して、

その 、ニンゲンの運命というものを

冷静に表現することに成功しているだろう。

もっとも、言わねばならない、みずからの身体運用は、

読者の想像の領野にゆだねられ、

それゆえ、この作品にかえって重さを与えることになった。

 

 なになにせねばならない、という文体を「当為」というが、

こういう状況こそ、当為の文体が登場するのである。

 つまり、訪れて欲しくない当為の文体の一場面である。

 

 

「始まるのか死」という箇所が、これが最善か、否か、

たしかに、わかれるところであろうが、下の句によって、

そのへんが相殺されているかもしれない。

「死」「事実」この、受け入れたくもない現実が、

「横たわる人」に確実におとずれる、その場であった。

 

風野短歌は、わたしの御法度としている、

あるいは、注意している箇所に、わりに無防備なところが、

今回は見うけれた。

 

たとえば、色遣い。

色は万人共通の常套語だから、イメージの個別性がうしなわれる

きらいがある。

「青い薔薇」「さらに白くなる」「白く冷たい霧の中」

と、三ヶ所みられる。

 

 しかし、「錠剤を飲むたびさらに白くなる」

この即物的な物言いが、むしろ、死へ向かう予兆を

うまく捉えているかもしれない。

 

あるいは、

三句と結句を両方とも名詞にはしない。

 

・窓際に放置されたマリオネット潰えてしまった人のレプリカ

 

 たぶん、わたしなら、三句か結句を名詞にはしなかったと

おもうが、しかし、連作でみてゆくと、「死」のイメージが

底流しているばかりに、むしろ、この骨格の歌のほうが、

喚起力があるのかもしれない。

 

あるいは、「は」という助詞。係助詞「は」は、

ものごとを限定するうらみがあるので、使い方に注意が必要である。

 

「悔しさは」「人とは」「時は」「生きた標は」

 

と、やや使用頻度が頻繁におもうが、どうだろう。

 

 しかし、御法度はわたしだけのルールだし、かえって、

それが有効に機能している歌も、今回は見受けられたから、

あまり気にしなくてもいいかもしれない。

 

今回の連作は、

作者が病院で、回復することのないかもしれない病人の、

その先を見守るという

なんとも名状しがたい不安と、ある諦念と、心の張りとが

よく現れていたかとおもう。

 

そういう事情をふまえて読むと、

次の一首など、じつに味わいぶかいものである。

 

病院という非日常の空間がよくでているし、

たいしたことないトランプゲームをするしか、

みずからを担保できない心境が、

じゅうぶんに伝わって来るのである。

 

・遠巻きに救急車の音ソリテアを何度やっても詰まってしまう

 

ひとつの短歌から その32016/12/25

・灰色に見えていたのは月の所為ゆらり眠りのゆたかな髪の

 

                            草野浩一

 

 

「の」止めという手法ですね。

このレトリックはあんがい、

うーん、いいなぁ、というものになかなか出会いませんが、

これは、よかった。

 

男女のまぐわいという下世話な言葉で評したら、

作者にしかられるかな。

しかし、わたしには、こういう状況がないもので、

うらやましいかぎりです。

 

まぐわいがNGなら、相聞という部立てにカテゴリーさせるとして、

この男女の間柄が、じつにあやうい。

 

 密室空間における秘め事、そういうことでしょうか。

あるいは、非日常的空間における、特異な関係性のふたり。

そういう危機的な状況をかもしているとおもわれます。

 

いま、流行りは「非人称」ですから、この作中主体が、

草野さん本人とは、おもわなくてもいいので、

「草野」という、生身のにんげんとはちがう「草野」が

演じているとおもいつつ、もうしあげます。

 

いま、ふたりは、あるホテルにいる。

ここはラブホテルではない。なぜなら、月のあかりが

共にしているベッドに差し込んでいるからです。

ラブホテルに窓はないので。

長年寝食をともにした妻なら、まさかこんな歌はあるわけない。

とても、下品な物言いをすれば「不倫」ですね。

いいんです、大人なんだから、責任さえちゃんととれれば。

(いま、ことが発覚すると、女性に300万円くらいの請求がいくそうですね。

ちなみに)

 あるいは、前述した、非日常空間における選択的な男女ふたり。

つまり、この登場人物ふたりにしかありえない特別な空気感、

だれも入り込むことができない時間がこの作品を

下支えしています。

 

 

しかし、このふたりには、危機感が希薄なのです。

なぜなら、この作品に底流する、

ものすごい、ゆったりとした揺蕩う「時」が流れているから。

 

 このしずかにながれゆく「時」のなかに、

はりつめたような空気と、唯美的で背徳的な

デカダンスのおもむきを含有している歌でありました。

 

 「時」をテーマにしたら、これがイチオシだったのに。

 

いま、男は彼女を腕のなかにおさめ、

彼女は、その腕のなかで、しずかな眠りについている。

かれは、その彼女を斜め横からながめている。

黒髪だったはずの彼女の豊かな髪が灰色にみえている。

それは、いつからともなく空に輝いている

月影のせいであった。

部屋の電気は暗くしてあるから、月明かりだけが、

このふたりを包んでいる。

「ゆらり」が、じつは、この歌では急所になるところで、

どこを修飾しているか、よくわからない。

「ゆらり眠り」か「ゆらりゆたか」か。

わからないけれども、わかるような気もして、

そこの曖昧性が、じつは、このふたりの関係の曖昧性を

架橋させているようにもおもうのです。

やはり、この語の存在が、茫茫たる時のほんの一部を

表現するのに効果的だったのかもしれません。

 

この、奇蹟的ともいえる「ゆらり」の使い方は、

 

・君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 

の「さくさく」と類比的な「ゆらり」なんではないかと、

わたしはおもっています。

 

 

 ハイデガーの言説を借りれば、

作中主体は、いまこのひとときに至福のときを感じている。

そういう気分を情状性といい、

これは、しずかに眠る女性と触れ合う空気がかもす気分であり、

みずからの奥底からわくものというより、

この状況が、そういう気分をつくりあげた、

ということで、被投性という性質をもちます。

気分は、そういう状況に放り込まれたときにおきる、

それを被投性といいます。

そして、ハイデガーはつづけて、この状況を了解し、

解釈し、そして、最後の段階で「陳述・語り」をひとはする

と、そう説きます。

 

 つまり、この作品において、前述した、

秘め事のはずが、「陳述。語り」の念に耐えられず、

31文字という文芸として前景化した、ということでしょう。

 

 禁断の恋、あるいは特殊な間柄のくせに、

なんと甘美なおもむきをかもしていることか。

ふたりの、寝息、吐息がいまにも

読者に届いてきそうで、読者の視覚、触覚に

刺戟をあたえてくれる作品でした。

 

 ただし、この作品の物語に、未来がない。

ターミネーター1のエンディングのように、

ジープで荒野を走り抜け、姿が見えなくなるサラ・コナーのように、

このさきのふたりには、幸福な結末があるとはおもえない。

 

 限られた空間の秘め事は、

刹那的な恋、あるいはある関係として、

作者の心に回収されてゆくのでしょうか。

 

ハイデガーの言説では、気分は「投企」されるといいます。

「投企」とは、この気分をどういうふうに未来に可能にしてゆくか、

ということですが、つまり、この作品には、情状性はあっても、

投企されることがない、というせつなさもあるようです。

 

 しかし、

草野さんにみたいに、モテないわたしでも、

この映像はしっかりとわたしのなかに根付き、

そういう状況を、「ことばの宇宙」と呼んだりしています。

お見事。

 

 

 

二伸

 ただし、「灰色に見えているのは」のほうがいい。

 

ひとつの短歌から その22016/12/21

・それからね、その人すごく優しいの。いつでも髪をなでてくれるの。

(カイエ6号 宮本史一「アボガトサラダ」から)

 

 

 わたしが代表をつとめている
「カイエ」という短歌雑誌からの一首。
宮本史一さんという方の作品。

上手な詠み手である。

どういう現場なのか。作中主体は「聞き役」である。

宮本さんは、この相手の方にとっては、

話しやすいひとなのだろう。

 

 

 わたしも、さいきん、そういったたぐいの話を

それこそ、何人もから耳にする機会があり、

そのたび閉口するのだが、

言いたくなる気持ちも、わからないでもない。

わたしも「言いやすいひとり」なのだろう。

しかし、

きのうどうしたとか、どうされたとか。

かれとは、忘れる存在にしたい、とか、

いまは、ラブラブだとか。

(なんだよ「ラブラブ」って? 日本語か?)

とにかく、いいんだよ、そんなこと話さなくて。

 

 

 そもそも、女性の恋愛はまっしぐらだから、

まわりを見たり想像したりは二の次になるが、

その点、男性はしたたかである。

じぶんのテリトリーは汚さない。

汚すのは、相手の領土内か、

彼女の部屋か、喧騒の都会であり、

そこでだれに見つかっても、

じぶんにはキズがつかないような仕組みになっている。

男の恋愛はトランジットなのである。

その現場では、なにをしてもへっちゃら、ということだ。

そして、そういう事情に、
彼女は気づいていない、
というところが、男女のものがたりというものだ。

 

 

 

さて、宮本短歌であるが、

なにしろ、聞き手という役柄は、たまったものではない。

この歌には、ジェラシーや嫌悪や不快な気持ちは

まったく語られていない。

語られていないから

よけいに、作者の鬱憤がじわじわと

伝わってくるのである。

 

 

わたしなどは、すぐイライラするから、

それがダイレクトに歌になってしまうのだが、

そこは、宮本さん大人だった。

 

 

この歌では、「それからね」がじつにいい。

「その人」という意中の人の「優しさ」が、

「それから」の後にくるわけだから、

それまでに「その人」の説明がうんざりするほどあったのだろう。

聞きたくもないのに。

がまん、がまんだ、宮本。

 

 

 

 

人の美点で「優しさ」というものは、トップ3の範疇だとおもうが、

それが、「それからね」に後述されているから、

うーん、いやだろうな。

いったいなにをどれほど聞いてあげたのだよ。

 

 

 

そして、その「優しさ」の中身は「髪をなでてくれるの」である。

これは、「優しさ」と「髪をなでる」という行為とが、

関連していると読んでいいのだろう。

これも聞いているほうはたまったものではない。

この「優しさ」の中身の稚拙なことといったら。

「優しさ」にも層があって、

それはマズローの5段階欲求みたいに、

生理的欲求から自己実現まで、5段階に分節するのだが、

「優しさ」にも段階があるのだろう。

「髪をなでてくれるの」は「優しさ」でも、

兵隊さんの位では最下位である。

髪をなでるくらいが優しさなら、

わたしでよければ、いつでもしてあげますよ。

そんなものは「優しさ」のカテゴリーには入らない。

そんな、心の浅さと幼稚性と知的負荷のすくない判断、

それに対して、宮本はひとつも反論しない。

だまって聞いているのだ。

おい、なんとか言ってやれ。

こっちがイライラする。

 

 この相手が、若い子なら、ま、看過してもよい、

が、これがそこそこの大人だったら、許せないぜ。

もうしわけないが、あえて言わせてもらえば、

こういう人を、だまして好きにさせるのは、

そうむつかしいことではないのじゃないか。

そして、宮本さんの視線は、目の前の相手ではなく、

名前もわからぬ「その人」にすでに向いているのだろう。

こんな単純なひとをだます、お前は何者だ。

あしながおじさん、名を名のれ。

簡単な手品のしかけで喜ぶような「この人」を

手篭めにしやがって、そんな心の奥底から響いてくる声が、

わたしには聞こえる。

できれば、こういう人たちとは付き合いたくないものだな。

それが幸せというものである。

 

 

ある人のこんな歌もある。

 

・なぜおれに一部始終をはなすのか真冬に咲きだすあじさいの花

ひとつの短歌から2016/12/20

・わたくしに何が出来よう 雨強き路上にデモの青年たふれ

 

 木村さんの作品は、すべてに破調がなく、骨格もしっかりとされている。

「レゾンデートル」、存在理由と題された作品群。

タイトルにふれながら「わたくしに何が出来よう」を読めば、

「何もできない私」という存在理由はゼロなのだろうか。

 

 わたしは、この作品を読んだときに、ひとつの歌をおもいだした。

 

・一粒の麦芽ぐむ朝、いちにんの女子学生の死は泥濘に

 

 太田青丘が、樺美智子を詠んだもの。

東京大学の学生運動家、安保闘争で1960年6月に亡くなった。

彼女の死は、日本全国を震撼させた。警察権力の横暴であるとか、

警察側は、転倒によるものだとか、いまだに決着をみないが、

落合信彦は、KGBによる関与があり、樺美智子を標的にしたものだと

論破した。

毛沢東も「樺美智子は全世界にその名を

知られる日本の民族的英雄になった」

と人民日報に書いている。

 

 彼女の葬儀は学生のあいだで壮大なものとなり、

彼女は、殉教者となった。

この教訓が活かされたのは、12年後、1972年のあさま山荘事件である。

当時の警察庁長官、後藤田正晴は、特命の警視正、佐々淳行に、

「犯人は生け捕りにすべし」と命じている。

樺美智子の二の舞は踏みたくなかったのだ。

 

 ちなみに、あさまに出かけた警視庁のメンバーに

国松広報課長がいた。のちに、警察庁長官となり狙撃されることになる。

 

さて、木村さんの作品だが、「青年」は「たふれ」たのであり、

そこには、死につながるイメージはない。

ただ、この場を逼迫させているのは「雨」である。

雨という道具は、ひとをその場にしばりつける装置として有効だ。

芥川の「羅生門」も雨が降らなければ、あのものがたりは

立ち上がらなかったはずである。

 作者は、路上に倒れている青年を起こすことも、

(もちろん)雨を降り止ますこともできずに、

おそらく、この現場に立ち会っているのであろう。

 

 60年代の日本であるなら、国家権力と立ち向かう

先の見えない若者がいたはずである。

 60年代の学生たちは、たしかに、なにか動かなければならない、

そういう使命感があったかもしれない。

が、しかし、その先になにがあるか、

まったくの不透明で、

どこに着地点があるかも不明であったはずだ。

 

 その証拠として象徴的なのが、東大安田である。

籠城した学生を垣間見た警視、宇田川信一は、

疲弊しきり虚脱した無数の学生がいたという。

 

現在、われわれが、声をそろえて国に訴えても、

その声は、どこかで粛清され、

「けっきょくなんにも変わらないよな」

という諦念が底流する。

 

 デモで、死人がでるという危機感もないだろう。

高度資本主義の漂白された今の世で、

いったいなにができるというのか。

 

レゾンデートル、われわれの存在理由は、

「青年の転倒」からは、

すくい取ることができずにいるのだろう。

ただ、強き雨だけは、いまもかわらず降ることだろう。

「て」の物語2016/12/18

桑田佳祐の「真夏の果実」に

  砂に書いた名前消して
  波はどこに帰るのか

 というくだりがある。

 そもそも、桑田は曲の才能もさることながら、
詞の才覚も豊富で「胸騒ぎの腰つき」
「銀河の星屑になった気がした」
「いつになくやるせない波の音」など、
じっさい舌を巻くフレーズがおびただしくあるのだが、
この詞もじつによい。

 ただ、気になるのは、
「砂に書いた名前消し」た主体はなにか、
やはり「波」なのだろう。

 これを意地悪く考えれば、
「わたしが」「砂に書いた名前」を「わたしが」「消して」
「波はどこに帰るのか」と、
前半の主語をすべて一人称にしても意味がとれなくもない。

 が、それは、やはり牽強付会、こじつけの感が否めない。

 やはり、「わたしが」「砂に書いた名前」を
「波が」「消して」「波はどこに帰るのか」と、
こう読むものだろう。


 と、そこでおもうのだが、
なら「砂に書いた名前消した波」と、
この二行をつなげてみたらどうだろう、と。
文法的には、こちらのほうが齟齬がないようにおもうのだ。つまり、


  砂に書いた名前( を )消した波はどこに帰るのか



 と、こうやったほうが、通りがよいのでは。

じっさい完了の「た」が二度になるといううらみはあるものの、
一行にしてしまったら、と。

 しかし、こうやって詩をじっと眺めてみると、
うーん、どうも原作のほうがはるかによいのだ。


 たかが「て」を「た」に替えただけで、
作品というものは地に真っ逆さまに
堕ちるものだということを再確認したようにさえおもう。


 つまり「て」という助詞、
接続助詞はさすがに「接続」というカンムリをつけるだけあって、

 文と文とを分断する働きをじゅうぶん
所有しているということなのだ。


 「砂に書いた名前消した」「波」と、
どこに帰るかわからない「波」とは、
おんなじ「波」であっても、


 すでに「ものがたり」が違っているということなのである。

「て」という助詞は、それをひとつ使用するだけで、
ひとつの「ものがたり」を紡ぐことになる。


 言い換えれば「て」は、
「ものがたりの起源」をつくる、ということだ。


 もちろん、これは、短歌にもおなじことであって、
助詞の「て」を安直に使ってしまうと、
そこに作者のおもいもよらない無自覚な( 不要な )
「ものがたりの起源」が語られはじめていることになる。



  シャボン玉とんだ
  屋根までとんだ

 この「屋根までとんだ」の主語は
「シャボン玉」だが、「屋根が飛んだ」ともじつは読める。
ま、常識的にありえないのだが。しかし、これを「て」に替えてみる。

 
  シャボン玉とんで、屋根までとんで


 こうなると、「屋根」が主語に見える。

「て」が別のものがたりを醸成させたのだ。

食文化の幸福論2016/12/17

  もっとも美味なるものは不幸である。

  従来、もっとも美味なるもののひとつに、
フグの肝がある。美食家が最後に行き着くところらしい。

 有名なところでは、八代目坂東三津五郎が、
もうひと皿、もうひと皿と、この肝を食して他界した。

 これは、調理師も有罪になったけれども、
八代目としては、本望だったのではないか。
享年68歳であったが、なにしろ、世界でもっとも
おいしいものを食しての「死」なのだから。


 わが国は、古代より、もっとも美味なるものを
追求してやまなかった。


 もっとも美味なるもの、それを「醍醐」といった。
当時は、牛乳をとことん煮詰め、どろどろにしたものを
「醍醐」と言った。その時代は甘味料がなかったから、
さぞや、牛の乳を煮込んだものは、
キャラメルのようでもあり、おいしかったのだろう。

そこから生まれた語が「醍醐味」である。


 しかし、おいしいものというものは、それを
いちどでも経験してしまうと、もう、それ以上がないと
おもえば、それから先の人生は不幸の連続となる。


 みかんは、わたしは長崎の伊木力みかんが
最高のみかんだとおもっているが、
みかんというと、味はまちまちで、
あれ、これ酸っぱいな、といいつつ、
つぎのみかんを剥いている。

 みかんという果物は、これいじょう、甘くて、
おいしいみかんがある、という信憑によって、
その存在があるようにおもうのだ。

 こたつの上に乗っているみかんは、
いま、わたしが食しているみかんよりも、
糖度があり、かおりがあり、

すこぶるうまいものかも しれないという、

未来を予想することも 可能なのである。


 未来を予想することを前未来形という。


 「明日のいまごろ、わたしはきっと泣いている♪」

 などが、その例である。


 みかんには、もっと甘くておいしいのがあるはずだ、
という愉悦を 前未来形で味わいつつ、

つぎのみかんを食べるという、そういう愉しみがある。



 ずいぶん昔であるが、わたしは、四万十川に旅し、
そこで、川漁師から購入した、天然鮎を食したことがあった。

 川原で炭をおこし、さっきまで、最後の清流で泳ぎまわった
珠玉の香魚を食べてしまったのである。


 その一匹一匹は、ほとんど川コケの味であった。
つまり、鮎を食べているのではない、四万十川の
自然そのものをわたしは口中に
このうえもない至福とともに味わったのである。


 だから、それから、どの鮎を食べても、
ひどくがっかりすることになるのだ。


 国語科の同僚と飲み会をしたときに、
国語科主任が、鮎を食べながら、わたしにむかって、
「うまいね~」と、相槌をうながしたのだが、
未熟者であったわたしは、素直に
「はい?」と、主任の同意を突き放してしまったのである。


 これも四万十川の鮎のせいである。


 もっとも美味なるものは不幸である。


 それからというもの、仕事でも、なんだかずいぶん
わたしに仕事量が増えたような気がしたものだ。


 日本酒に、朝日酒造の「得月」がある。

 久保田で有名な会社である。
萬寿とか、千寿とか、ちまたでは言っているかもしれないが、
新潟では、久保田という名前は多く、
朝日酒造の杜氏さんも久保田さんだそうだが、
その久保田さんがつくる酒で、萬寿や千寿などとは
ほど遠いレベルの「得月」を飲む。


 米を29パーセントまでけずり、
それからアルコールをひきだすのは、
アクロバシィなことなのに、うまくアルコールが
醸成されて、すこぶる上質な一品ができあがる、
それが「得月」なのだ。

 720ミリリットルで4500円くらいする。


 これをいちどでも飲んでしまうと、
ほかの日本酒がどれを飲んでも
とてもまずく感じてしまうのだ。

 もっとも美味なるものは不幸である。


世のなかにおいて、ベストワンを決めてしまうと、
そこに不幸の影が忍び寄ってくるのは、すでに自明の
ことになっているのかもしれない。


 もっと、これいじょうにうまいものがある、
そうおもうほうが、
知的負荷がすくなくて、安直な幸福論となろうが、
そう認識しながらの
食事ほど味気ないものはないような気もする。


 ようするに、あのときのあの味がいちばん
美味かったなとおもいつつ、
いま食しているものを口中にほおばる
その不幸をなんども経験することを
われわれは、幸福と呼んでいるのである。


位相語2016/12/16

 「平家物語」などの軍記には、
武者言葉というものがある。

 武士特有の言い回しである。

 「射させたり」

 などが、その典型的な例。

 矢に刺さったのだが、
それを受身でもって「射られけり」なんて言わない。

 受身の「れる・られる」は、そもそも「迷惑」を
表す用法だから、武士たるもの、矢に刺さったとしても、
「迷惑」などではない、「射させてやった」のである。
 負けずぎらいというか、むしろ、
 こういう使役表現で、みずからの矜持を保持したのだ。

 それと類比的に、
米軍言葉というものがあるのではないかとおもっている。


 オスプレイがぐちゃぐちゃになって
沖縄の海に墜落したのだが、かれらは、
そういう「墜落」のことを「不時着」という。

 墜落など、けっしていうわけもない、
かれらの矜持は「不時着」という、
あくまで、カタチはどんなであれ、着陸なのである。

 こういうその関係者のあいだだけで
使われる特有の言語のことを「位相語」とよぶ。


 「不時着」も墜落の位相語とおもえば、
なにも腹が立つわけではない。
いいわけでも、ごまかしでもない。
位相語なのだ。


 言葉というものは、それが発せられると、
言葉は「言魂」であるから、いのちが吹き込まれ、
なにかとくべつな意味をもってしまう。

 ちょっと道にそれるが、ピグマリオン効果などは、
その例だとおもう。


 「よし、必ずできる」と言い続ければ、
あんがいできるものである。

 「合格するんだ、合格するんだ」と、
やはり言い続ける、そうするといい結果がでるものだ。


 これがピグマリオン効果。すでに心理学では
認められている効果である。

 だから、おれはダメなんだァ、とほざいていると、
ほんとうにダメになる。



 オバマ大統領の、一期目の選挙のときの
スローガン。


 Chang.Yes.we can.


 これである。このアジテートが功を奏し、
みごと初の黒人大統領が誕生した。

 しかし、国はなにひとつ変わっておらず、

 Chang.Yes.we can.

 は、一人歩きをし、着地する場もないままであった。
アメリカは、いまだ、Changeもしれなければ、
we can も経験していない。

 アメリカ国民は、このお題目をすでにわすれていたのか、
あるいは、こころのかたすみにこびりついていたのか。


 それが、あのトランプというひとが登場し、
「なんか、とんでもないことを言っているけれど、
このひとなら、アメリカを変えてくれるかもしれない。
おぅ、まさしくChang.Yes.we can.じゃないか!」
と、国民がおもったのではないか。


 Chang.Yes.we can. は、8年の醸成期間をへて、
ようやく、トランプという破天荒なひとのもとに、
花開くのかもしれない。


 つまり、オバマ大統領の、あのセリフが、
クリントンを失脚させ、
ついには政権も民主党から
共和党に移譲させることになってしまったわけだ。

変わらなかったアメリカ。
変えなければならなかったアメリカ。


さて、民主党政権を保持できなかった、
オバマさんは、任期終了後、
どういう位相語で、みずからを語るのだろう。

女性言語はあるのか2016/12/15

 賀茂真淵が、万葉集を「ますらをぶり」と称揚して、
それに対して、古今和歌集を「たをやめぶり」と批判したことは、
周知のこと。

「たをやめぶり」とは、
「内容的には優雅で温雅な、
表現上では技巧的で婉曲な歌風をさす語
(『日本国語大辞典』による)である。


 わたしは、この賀茂真淵の言説を信じて疑わなかったし、
世の多くの学者も歌人も学究の徒も、
そうおもっていたにちがいない。

わたし自身は古今集が、女性的で、か弱くても、
けっして批判的な立場にはいないし、
真淵や正岡子規が、すべて正しいともおもっていない。


 ただ、ここにひとつの書物がある。
ショシャナ・フェルマン著『女が読むとき・女が書くとき』
勁草書房 (1998-12-25出版) 
副題に「自伝的新フェミニズム批評」とある。


 この書は、「私たち自身、男性的な精神を内包していて、
社会に送り出されるときには、
知らず知らずのうちに
『男として読む』ように訓練されてしまって
いるのではあるまいか?」と語る。

また、「男性主人公の見解が、
世界全体を見る基準であると、
私たちは思い込まされてきたのである。
こんな状態で、男性的精神を追い払えと言われても、
一体どこから追い出せというのであろうか?」と、ある。


 つまり、彼女は、男性文法なしには読み書きができないし、
それを追い払う方法論もまだ示されていない、というのである。


 このくだりを見て、わたしは、えっ、とおもったのだ。

はたして、わが国の文法事情はどうなっているんだろう。
あれほど、賀茂真淵にコケにされた古今集が、
男性語法のうえにあったのだろうか。

つまり、女性は擬制的に文字を連ねていたのであろうか。
表面上は女性的であっても、その根底には、
でんと男性が存しているのか。


 けれども、フェルマン女史は
「社会」について語っているので、
「社会」という語は近代の所産だから、
近代以前の瑞穂の国にまで
考量がおよんでいなかったといえば、それまでだが、

では、何歩でもいいから、
ゆずって、この国の文体が女性的であった時代が
あったとそう認めて、
それが、いつ男性文体にシフトしたのであるか。

そのシフトのしかたはいかなるエネルギーをもってなされたのか。


わたしには、とんとわからない。

それは明治維新の近代化なのだろうか。

あるいは、日本文化という独自性は、
男性文体と女性文体とを偶有しているのか。

でも、その女性文体は、やはり擬制的で、
ほんとは男性文体の変化要素にすぎないのでは、
という同語反復においやられるのである。

もし、どなたか、この疑問に一条のひかりを
さしてくださる方かいらしたら、
ぜひ、お知恵を拝借したいものである。

フェルマンはこうも言う。
「私たちは女であるくせに、裏ではいともあっさり、
男として文学を読んでしまう」と。どうだろう?


川端康成の「雪国」での、

「駅長さあん」

という駒子の声に、もうすでに、わたしは女性言語を
感じてしまうのだが。

「雪国」を賀茂真淵に読ませたかったな。

おにぎり物語2016/12/14

 子どものころから、おにぎりは好きではなかった。

日本のソウルフード、
映画「かもめ食堂」でも、メインはおにぎりであった。

 しかし、なぜか、わたしは好きではなかった。
いくら食べても空腹感が残るから、という
ささやかな理由もくわわっていたのかもしれない。

 だから、遠足にいっても母のつくるお弁当に
おにぎりは入っていなかった。

 どうでもいいが、母のつくるお弁当には、
よく、キャベツとハムをくるくる巻いて、
楊枝でおさえたものが入っていて、
これも好きではなかった。

 おまけに、ゆで卵がいつも、
2つべつの袋にあり、
ちいさくたたんだアルミホイルに塩がつけられていたが、
これは、ほとんどのこして帰ってきたとおもう。

 ゆで卵は、口がパサパサに乾き、
おまけに、
なんか、口臭にも関係するようでいやだったのだ。

 だからというのか、わたしは、
ほとんど、おにぎりというものを食べていない。


 とくにコンビニのおにぎりは、
まず口にしない。48時間、大腸菌がつかない、
ということらしいが、そんな「おそろしいもの」が
地球上にあること自体、不可思議である。


 今日は、かかりつけの医者に行った。

 「せんせい、いまノロウィルス、流行ってますね」

 「うん、流行ってるね」

 「わたしどもがノロになってしまうと、商売あがったりで」

 「あ、お宅は、そうだね」

 「手すりとかつり革にもいるらしいですね」

 「うん、そんなのだいじょうぶだよ。
いちばん、危ないのはうちだよ」

 「はい?」

 「ノロのすごい患者さんがいっぱい来ているから、
うちがいちばん、ノロの危険性があるよ」

 わたしは、それを聞いてぞっとした。

 「とにかく、手洗いね。それから食事すれば大丈夫。
危ないのは、貝です。でも、ひとつやふたつなら、
あんがい、簡単に治るもんだよ」

 「はあ、そういうものですか、ところで、
せんせい、体重計お借りでますか、うちにないもんで」

 「うん、いいよ、減量してんの」

 「あ、減量ではなく、炭水化物をやめているんです」

 「それね、ゼロはだめだよ。少しはとらないと」

わたしは、駅向こうの峰さんから、
50歳を過ぎれば、炭水化物はいらない、と言われ、
それを信じ、この3ヶ月、炭水化物は、
蕎麦だけで、あとは、肉やら温野菜やら、
そんなもので食いつないできたのだ。

それだから、ベルトの穴が3つほどずれたわけで、
すこしは体重も減ったかとおもったのである。


 「炭水化物はね」と先生は続けられた。

 「脳の栄養にもなるし、炭水化物を取らないと、
・・・・・」

 じつは、わたしは、このもっとも崇高な結論のところを
聞き逃したのである。

 炭水化物をとらないと身体のなにかが
どうにかなるらしいのだが、
とにかく、結論は、すこしは炭水化物を取らねばならない、
ということだ。


 体重は3キロちかく落ちた。
しかし、まだ、
「♪それでもデブはデブ」
(ここのところは、松山千春の「恋」に乗せて)


 すこしは、体重もおちたし、炭水化物は
とらなければならない、とすぐひとのお説に
揺り動かされる付和雷同は、さっそく店にもどり、
炊きたてのコシヒカリを、ほぐしていれば、
なんとなく、これを食べたい衝動にかられたのである。


 このコシヒカリは、わたしの短歌の先輩が、
丹精込めてつくった最上級のコシヒカリなのだ。

 悪名たかき、JAを通さずに、直送なので、
味は最上級なのに、値段は中級、ありがたいことである。


 が、いままで、峰さんに言われたとおり、
この、ひと粒ひと粒が輝きに満ちた、
大げさに言えば、宝石のようなシロモノを
ほとんど口にしなかったわたしであるが、
きょうは、どうしても、これを、食べたくなったのだ。

 手に塩をぬり、220度で炊き上がった米を乗せ、
梅干をいれ、キュッキュッと二三回にぎる。

 そう、わたしは、おにぎりを作ろうとしているのである。

 まだ、湯気がたちあがる、店のあかりに反射した
微細なひかりの粒は、
みずからの力でわたしのテーブルの上に立っている。

 そのまわりに、上原海苔店の海苔を巻き、
わたしは、これをほおばった。

 なんといい香りだこと。

わたしは、涙のでるような感覚に、
しばらくひたっていたのである。


 やはり、日本人にはおにぎりである。

余計なこと2016/12/10

 世の中には余計なことを言う輩がいる。

まだ、わたしが高校の教師をしていたころの話である。

部活動の練習を終えてから食事に行った。
しばらくぶりにからだを動かしたものだから、
腰もぐりぐり痛いし、肩もあがらなくなっている。

バレーボールは四十を越してからはやるものでないと、
T教諭が言っていたことをおもいだし、
文字どおり骨身にしみてわかったようなきがする。


 食事は友人と行った。こ
のへんについてはふかい詮索はご無用。


 なにしろ部活動の練習着のまま、
つまりジャージ、で車に乗り込み出かけたから、
高級な料亭にはゆけない。目黒通り添いに、
イタリアレストランがあったから、
これも文字どおり、行き当たりばったりで入ってみた。


店内は、平日の夜だからか、
がらんとしていた。


もうすこし自由が丘よりだとちょっと瀟洒な
イタリア料理屋もあるが、
そういう場所は食事だけでも
席料を取ったりする場合もある。


このあいだ行ったレストランなど、
地下にとんとんと降りると、
店内、満員。ピザいちまいとスパゲティ二皿で、
たしか五千円をすこし出ていた。
高い。あとから調べたら、席料でひとり五百円かかるそうだ。

べつにたいしてうまくもないのに、
なんでだ。こういうのをむつかしくいうと不条理という。


 きょうの店はどうも席料はないらしい。

値段も手ごろ。客のすくないのがたまにきずで、
居心地はかえってよくないけれど。
と、明るい女店員が来て、
メニューを置いていった。見ると、
広島産のカキのスパゲティがある。

写真ではあるがすこぶる美味に写されている。

そのふれ込みは、
岩のりとあさりのだしとで和風の風味が加味されているという。
なおさらうまそうじゃないか。

が、良くそのメニューを読んでみると、
ニンニクがはいっているのだ。


じつは、わたしはニンニクが駄目なのである。

けっして食べられないわけではないが、
ニンニクという食材はすべての味をニンニクにしてしまう。
横暴である。
外から帰宅して足も洗わずにこたつに入ってきた
高校生のような自己中心的な乱暴さと
無神経さと強引さをわたしはニンニクに抱いている。
口のなかがあの強いかおりに凌駕されてしまうのが不快なのだ。


「この料理、にんにく抜けますか」


「えー、たしかだいじょうぶだとおもいますが、
でも、これはニンニクがおいしいんですけど」


 と、メニューを運んできたさっきの店員が言った。

「にんにく、だめなんですよ。だからそう言ったんですがね」

 ニンニクがうまいかまずいかは
ひとの勝手だ、あなたの判断など聞いていないのだ、
と言いたかったけれど、ここはぐっと我慢をした。

と、彼女はこう付け加えた。


「カルボナーラの卵を抜く方もいらっしゃいますから、
たぶんだいじょうぶだとおもいます」

「あ、そうですか。それではお願いします」

と、わたしはその他にピザと友人はカルボーナーラロッソを注文した。

 だいたい、カルボナーラに卵を抜く客がいると、
なんでカキのスパゲティにニンニクを抜くことがだいじょうぶなのか、
そのへんの因果関係がすこぶる希薄に見えたし、
だいいち余計なことだろ。

それに、そもそもだいじょうぶとはどういう意味で
どうだいじょうぶなのか、とても疑問であったけれど、
これいじょう話がこじれるのもなんだから、
わたしは紳士的に沈黙を守ったのだ。


と、この女店員はこう言った。

「うちは量が一人前半はいっていますので、
お二人だとけっこうありますけど、よろしいですか」


「え。そんなに入っているの」

「はい」


この情報はありがたかったね。

「じゃ、カルボナーラロッソはいいや」


 友人もそれに同意して、
われわれはカキのスパゲティだけに注文をしぼった。


 しばらくするとさっきの店員が
ワイングラスに細長い竹ひごのようなものを運んできた。


「スパゲティの揚げたものです。どうぞ」
 サービスらしい。

「あのぉ」

「なに?」

 わたしは訊いた。

「あのぉ、さっきから気になって、
言おうかどうしようか迷ったんですけど」

 と、その娘は言った。

「なに?」

 わたしは気になって店員を見上げた。


と、その娘はすこし背をかがめてわたしにこう言った。

「お客様、耳から血がでてるんですけど、どうかしましたか」


 そういえば、さっき車の中で
電動ひげそりでじょりじょりやっていたら、
耳元でがりっと肉をはさんだのである。
どうもそこから血が出ているらしい。
だが、傷は浅いし、耳の中からとろとろ脳挫傷みたいな
出血をしているわけでもない。もっといえば、
余計なお世話だ。で、わたしは、


「あ、いいの、これ、さっき傷つけたんで」

「あ、それならいいんですが」

 いいなら、ほうっておいてくれよ、
とわたしはこころの中でつぶやいた。レストランに出かけて、
耳から血が出てます、
なんて店員に指摘されたことなどわたしには未曾有の経験であった。


 しばらくして、ピザが来た。

トッピングにはアンチョビ。あれはうまい。

アンチョビは食材というより香辛料に近いね。
西洋のお新香みたいなものだ。


お次にカキのスパゲティ。アルデンテに仕上がっていて、
カキにもきょくたんに火が通っているわけではなく、
じつに美味であった。

これなら、ニンニクはまったく使わなくて平気である。
ベースになっているあさりのソースも軽く、
かおりもよろしくわたしは全部飲み干してしまったくらいである。


わたしたちがすっかり舌鼓をうっていると、
違う店員が、おまちどおさま、と言いながら、
もう一品届けてきた。見ると、
トマトソースベースのスパゲティ。真ん中に卵黄が乗っている。


カルボナーラロッソである。


えっ。わたしはおもわずその店員の顔を見上げてしまった。


「あのー、頼んでないんですけど」


「あ、そうですか」わりに冷静な声で彼女は言った。

「もう、召し上がれませんか」


「いやー、もう腹いっぱいですよ」


「もしよろしければお召し上がりになってください」


 と、言うことはこれはロハ、只ということらしい。

どんなに満腹でも、只、無料、サービスと聞くと、
高度文明時代の欠食児童は
触手がうごいてしまうのだ。悲しい性である。


「あ、そうですか、それでは」と言いながらわたしたちは
きれいさっぱりこのロッソを平らげてしまったのである。


意地汚いったらありゃしない。

舌鼓、腹鼓、赤ずきんを食べたあとのオオカミのようになっていたわたしに、
さっきの女店員がやってきた。


「さきほどはたいへん失礼しました。
わたし伺っていたはずでしたが、どうも勘違いしまして」


「いやー、いいんですよ。
むしろすっかりおなか一杯になってしまいました」

 と、わたしはあいさつした。

「ほんとですね。汗かいていますよ」


「・・・」


 うるせーな。おれが汗かこうが、
恥かこうが勝手だろ。

これは腹一杯で発汗してるんじゃないんだよ、
特別辛いタバスコの類似品をだぶだぶピザに振りかけて
食べたから汗かいてんだ。

まったく余計なこと言いやがって 。

レストランに出かけて、
汗かいてますよ、なんて店員に指摘されたことなど
わたしには前代未聞の経験であった。


 ま、なんであれ、すっかり満足なわたしどもはレジに向かった。


「ほんとに失礼しました」

 さっきの店員だ。


「いや、かえってすみませんね」


「三千二百二十円になります」


 やはり、カルボナーラロッソの値段は入っていない。

わたしは料金を支払い、
「ありがとうございました」とあいさつする彼女に
そっと千円を渡した。心遣いへのチップである。

と、とっさに彼女は、


「いえ。うちはそういうことしていませんから」と言って、
急いでわたしにその金を返そうとした。


「いいよ。とっておいてよ」と言ったら、

「困ります。困ります」と言ってわざわざ
わたしのところまで小走りで返してきたから、
そこまで言うならしかたない、
わたしは千円をまた自分の財布に納めたのである。


「悪いね」とわたしが言うと、
彼女は

「とんでもありません。ところで体育の先生ですか」


 と、訊いてきた。たしかにジャージだったけれど、
わたしは苦笑して、

「ちがうよ」と答えた。


「なんで、そうおもったの」と訊くと、彼女はこう答えた。


「だって、耳から血、出しているし」

ロレックスにルイビトン2016/12/10

 ロレックスにルイビトンの女性が
もっともナンパされやすいとむかしからよく聞くことだ。

 ロレックスの時計がわるい、
ともうしあげているのではない。

 おなじく、ルイビトンのバッグがよくない、
そうもうしあげているのでもない。


 そうではなくて、本物志向なのか、
ブランド志向なのか、というところをもうしあげたいのだ。


 ただし、
ブランド志向という生き方を否定するものでも
ないけれども、
「ロレックスさえ持っていればステータスが
完成される」とおもうひとが、必ずいるはずである。


 それは、「物の価値」ではなく、
その商品に付着していてる「社会的な価値」である。


 つまり、じぶんの思想なり、考えなり、
そういうオリジナティや創造性のほとんど欠乏しているひとは、
とりあえず、ロレックスさえあれば、なのだ、とわたしはおもう。

 ブランド志向は、農耕民族性に関わるものである。

 日本人は、農耕民族のDNAをじゅうぶん引き継いでいる。


 その証に「みんなといっしょ」という発想が、
いまだに尾を引いているからである。


 「なんで、わたしだけなんですか、
みんなやってるじゃないですか」


 これが農耕民族特有の発話である。


 エスニックジョークでもわかる。

 ここから飛び降りればヒーローになれるよ、
はアメリカ人。

 これは義務です。

 これはドイツ人。

 みんな飛び込んでいるよ。

 これが日本人。

 むかし、中国が国民服を強制されていたころ、
町の女性は、マフラーで、みずからの差異性を表現した。

 マフラーしか、自由はなかったのだ。


 日本は、幻想かもしれないけれども、
高度な民主主義国家であり、服装も自由である。


 が、この農耕民族性がいたずらをし、
流行りの服を、なるべくはやく着することが
もっともステータスであるとおもいこむ傾向にある。


 上位にある集団や個人の独自性を模倣し、
一方で下位の集団や個人とのちがいを
強調、差異化のようにみせて、じつは、
同化のベクトルでしかない、
こういう機構にのって動いている社会装置を
「モード現象」というが、
まさに、この流行りものがそれなのである。


 みんなより上、とおもっていて、
まわりをみたら、みんないっしょ、というやつだ。

 そして、それがロレックスとルイビトンなのである。


 時計だって、ちょっと調べれば、ほんものはいくらもある。

パティックフィリップ、ヴシェロンコンスタンチン、ブレゲ、
ユリスナルダン、ボームメルシー、ジラールペルゴ、

 枚挙にいとまない。

 バッグだって、テストーニ、モラピト、細谷商店、などなど。


 じぶんの生き方をじぶんでしっかりもっていれば、
おそらくは、ロレックスにルイビトンにはならないだろう。

 
 じぶんの生き方の根本に「模倣」があれば、
それが、そういう飾り物に象徴されるわけである。


 欲望は模倣である。

 だれかが持っているので、じぶんも持ちたい。

「ね、自転車買って」

「なんで」

「だって、となりのミヨちゃんももっているもの」

これが欲望である。だれかが持っているから、持ちたい。
あるいは「みんな持っているから」である。


 ようするに欲望は、それが達成されるや、
またあらたな欲望がうまれ、欲望は無限に再生される。

しかし、みずからのこころの奥底から
生まれ出る、創造性のあるおもいは「快楽」といって、
これは独自性がつよい。


 だれもしたことのないものに挑んでいるひとは、
そこに快楽を求めるからだ。


 「みんなといっしょ」という発想は、
ひょっとすると、じぶんの考えもろくろくなくても
生きられるものだ。

 じぶんの意思を放棄したところに、
全体主義がうまれる。


 ひとりのある人物に従っていれば生きられる。

これは、ひどく楽な人生である。

 戦時下のドイツやイタリアがそうなったではないか。

 ファシズムという考量は、国民の脳の思考停止に
もっとも有効である。


 しかし、そのあとに待っていた世の中の悲惨さを
われわれはじゅうにぶんに経験している。


 農耕民族性は、個人レベルでの「全体主義性」を
含有している。


 そういう考えなしの方は、けっきょく、
個別性のつよい、オリジナリティのある人物に
惹かれるものなのである。

 ロレックスにルイビトンは、
わたしは、だれにでもついてゆけますのよ、

あなたのいいなりになりますわよ、
という旗をふりながら街を歩いているのである。


 ただし、ナンパされやすいひとを
わたしはわるいともうしあげてるわけではない

俳句あれこれ2016/12/8

 俳句は世界でもっとも短い国語である。

 俳句の先生に、古沢太穂という方がいたが、
神奈川新聞の選者をされていた。
 かれがいうのには、あんまりうまい俳句は、採らないそうだ。
ひょっとすると盗作の可能性があるかららしい。
もし、盗作を新聞の投稿欄に載せたら、
みずからの俳句生命の終焉である。



・荒海や佐渡に横たふ天の川  ばせう

 なんていう宇宙規模のスケールを
芭蕉(ばせう)さん、よくぞ17文字で描いたものだ・


 が、しかし、
OECDが進めている学力到達度調査、
いわゆるPISAで、世界でも日本の読解力の低下は、
報告されているが、こんなみじかい国語では、
語られていない領域がすこぶるあるだろうに、
どんどんリテラシーが落ち込んでは、
俳句の理解もうすっぺらになるにきまっている。

気の毒なことだ、俳句にとって。


 俳句には、字数制限いがいに
おおきくふたつのルールをもっている。


 それは、季語と切れ字である。

 季語は、万人共通語であり、
これを17文字のなかにいれなさい、とある。

 だから、俳人はたった17文字のなかに、
だれもがつかう、使い古され、
色あせた語を入れ込まなくてはならない。

 ま、無季なんていうのもあるが、
それはそれとして。

 なぜ、季語があるかといえば、
イメージが勝手に膨らまないようにとの配慮である。


 これだけみじかい詩だと、
じぶんよがりの、勝手すぎるものになってしまう、
それを防止する働きがあったのだろう。


 それから、切れ字。

「や・かな・けり・なり」がそれ。


・柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

この「なり」が切れ字。

参考書では、ここに感動の中心がある、とおしえる。

ほとんかな。


芭蕉の作品にこういうのがある。


・山寺や磐にしみつく蟬の聲  ばせう


立石寺という東北の寺を訪れたときの詠である。
この「や」が切れ字。


しかし、芭蕉先生は推敲する。


・山寺や磐にしみこむ蟬の聲  ばせう


「しみつく」よりも「しみこむ」のほうが、
岩の中にはいりこんでいるように感じる。


が、これでも満足ゆかず、最終形はこうなった。

おなじみの、


・閑さや磐にしみいる蟬の聲  ばせう


「しづかさや」と読む。

「しみいる」のほうが、じわじわって入ってくるようで、
おもむきぶかい。また、「山寺や」を「閑さや」にしたことで、
「静」と「動」との対立がうまく効いて
作品の深みがでるというものだ。


 ひとは、なにか音があったほうが、
静かさに気づくものである。

 山奥のホテルで、鹿威しの音が、コーンとひとつでもしたほうが、
この宿のなんと静かなこと、と認識するだろう。


 だから、「閑さや」と、その語にたどり着いたのは、
ほんと、お見事、舌を巻かざるをえない芸当だった。

 と、ここでひとつの疑問がわく。
いまの参考書では、切れ字は、感動の中心である、
そう教えると前述した。

 が、この「蟬の聲」の句では、
感動の中心が「山寺」から「閑さ」に変わったのだろうか。

 一句のなかで感動の中心がスライドすることなど
あるのだろうか。


 ・菜の花や月は東に日は西に  蕪村


 この「や」などの切れ字のはたらきは、
感動の中心とかんがえるのではなく、
切れ字をはさんだ前後、「菜の花」と「月は東に・・・」との
あいだに、論理的つながりをもっていない、というふうに
見たほうが理にかなっていよう。

 「荒海」と「佐渡に横たふ」とにも、
「閑さ」と「磐」とにも、論理的なつながりがない。


 つまり、切れ字というのは、
切れ字をはさんだ語句内容を
論理的な結合なしで、むすぶことのできる、
特効薬なのである。


 これによって、ふたつのイメージがあいまって、
俳句独特の世界をつくることになる。

俳句という言葉は、正岡子規の造語であるから、
江戸までは、句とか俳諧、風雅とかよんでいたが。


 ようするに、切れ字は、喚起力の拡大に
有効に発揮したのである。


  俳句、あるいは句のおもしろみは、ここにある。
季語でもってイメージを押しとどめ、切れ字でイメージを
拡がらせ、そういう正負のエネルギーを、
17文字のなかに打ち込めていったのである。


・もらひ来る 茶わんの中の金魚かな  内藤鳴雪

「かな」が切れ字。これは句末に配置されている。
このときは、いじょうの説明が妥当しない。


 感動の中心にしとこかな。

このへんの事情を泉下の古沢先生なら
なんとおっしゃるのだろう。

弁当の中身2016/12/6

 弁当のおかずの中身といものは、

あんまり問題にならない。

 

母親がこさえた弁当、これが大事なことなのだ。

どんなあらくれ高校生にも、

弁当をあけるときの楽しみ、

中に何が入ってるのかな、という期待と同時に

母親が詰めてくれている姿が脳裏をかすめる、

つまり感謝がある。

 

べつに、言葉にだして、お母さんありがとう、

と言う必要はないし、

むしろ、言葉には出さない、

それが日本的なスキンシップなのだろう。

親子の愛情はそんな間接的なものでじゅうぶん、

弁当の蓋をあけるだけでも充足できるのだ。

 

その点、欧米はそうはゆかない。

言葉でちゃんと表現しないと、

たとえ親子でも通じ合わないのだ。

だから、いちいち、アイ・ラブ・ユーとか

しょっちゅう親子で言い合ったり、

抱き合ったり。日本的に言えば、

とても不完全な親子関係である。

 

 

 中身はどうでもよいと言ったけれど、

横浜崎陽軒のシウマイ弁当、

あのおかずはなかなかバランス良く、

間然するところがない。

シウマイと卵焼き、からあげ、さ

かなの切り身、かまぼこ、あんず、

よくできている。

 

しかしながら、内容の見取り図を熟知しているだけに、

だれしも開ける楽しみがまったくないことと

蓮の煮物を卵焼きに変更してしまったことがたまにきず。

 

 

 高崎のだるま弁当、あれはいけない。

いちどでいやになる。

もうなにがはいっているのかすっかり忘れてしまったが、

二度と食うまいとおもったことだけはおぼえている。

そうおもっていた帰りの高崎本線、

東京にむかってひとりで乗っていたとき、

がやがや大学生のボランティア風の男女が

数名乗ってきて、わたしのとなりのシートには

あぶれた青年ひとりが座った。

 

横二列の二人がけのシートのわたしが左側にひとり、

彼が右シートにひとりで乗っているという構図だ。

しばらくして、弁当売りが前方から来た、

「だるま弁当―、まいたけ弁当―」

お、まいたけ弁当があるではないか。

このまいたけ弁当は、中身がよいのだ。

まいたけの天ぷら、煮物、焼き物、酢の物とまいたけづくしで、

かつ、ご飯もまいたけご飯である。

値段も、だるまとおなじくらいだったとおもう。

わたしはそわそわした。

このボランティア軍団が、

どんどんまいたけ弁当を注文しているからだ。

なくなっちゃうじゃないか。

いよいよ、わたしたちのシートに近づいたとき、

こともあろうに隣の青二才野郎がわたしとまったく同時に

「まいたけ弁当!」

異口同音、言うではないか。

 

わたしの声の方が音程は低かったからハ

モっているようだったが、

弁当屋のおじさんが、すまなそうに言った。

「すみません、まいたけ弁当ひとつしかないんですぅ」

この「ひとつしかないんですぅ」に

いちはやく反応したのはわたしのほうだった。

わたしは、すかさず、

その坊主をわたしのもつ精一杯のエネルギーで、

波動砲の発射よろしくきぃっと睨みつけてやった。

と、

「あ、ぼく、だるま弁当でいいです」

この純朴な青年はじぶんの注文をすぐに訂正した。

「あ、いいんですか、すみません」

わたしは、いままでひんむいていた白目の顔から、

怒らない前の大魔人のような柔和な顔にもどしながら、

満面の笑みであいさつした。となりの好青年は、

「いいえ、いいえ」

と微笑しながら、だるま弁当の蓋をあけている。

勝った、わたしはおもった。イスカンダルは守られたのだ。

弱肉強食、悪いな青年、ま

ずいだるま弁当で、なんて心の中で同情しながら、

まいたけ弁当をつまんでいたところ、

また、べつの弁当屋がやってきた。こ

んどは弁当屋の頭くらいの高さまで弁当が積んである。

その弁当屋はわたしたちの横を過ぎていった。

「まいたけ弁当―、まいたけ弁当―」

 

 

クラッシュ2016/12/4

005年の映画「クラッシュ」。監督はポール・ハギス。

クリスマスを間近に控えたロサンゼルス。
1つの交通事故を起点に、多民族国家であるアメリカで暮らす様々な人々を
取り巻く偏見・レイシズムを下敷きに、オムニバス的ではあるのだが、
そのひとつひとつが微妙に絡み合っている、つまり「クラッシュ」しているという
なかなか手の込んだ映画である。

その作り方によるものか、あるいは、テーマ性の事情のせいか、
本命と称されていた『ブロークバック・マウンテン』を押さえ、
第78回アカデミー賞作品賞を受賞した。

ロサンゼルスからはほど遠い日本ではあるが、「クラッシュ」のような
繋がりがあるのだろうか。おそらく、仏教圏の本国では、それを「クラッシュ」とは
言わずに「お導き」というのじゃないか。あるいは「因果応報」とか言っている。


今朝、一ダース買ってある、炭酸飲料を仕事場に持っていくとき、
キャップを軽くしめていたおかげで、カバンにこぼしてしまった。

まいったな、細野商店の帆布である。汚したくない。が、甘ったるい液体がその布にしみこんでゆくので、しかたなく、わたしは、新品のタオルで拭き拭き車に乗った。

車にタオルなんてめったに持っていったことなんてない。そういう意味では、非日常的なことなのだ。


きょう、学校は昼で終わりだったから、昼休みに学校を後にした。

そのときだ、体育館に駆け込んでゆく女生徒。

「ジージ、帰っちゃだめ。バレーボールやるよ」

ご存じかどうかは知らぬが、わたしは、学校では「ジージ」と言われている。
つまり、すでに「終わった人間」ということである。

「はやく、はやく」

琴音と舞子がわたしを呼ぶので、わたしもバレーボールは嫌いじゃないから、
靴下になり、ワイシャツのままわたしたちは6人でトス・パスをした。

新築の体育館は、床がピカピカで気持ちよかった。

おかげで、わたしは汗だくである。

体育館を後にしたとき、もうワイシャツはすこし重くなっている気がした。

車にもどって汗の引くのを待った。

ん。あ。タオルがある。

おう、これは好都合じゃないか。

わたしは、頭から首筋、顔と後部座席に置いてあったタオルで
しっかりとぬぐう。

そーか、きょう、炭酸をこぼしてタオルを車に入れたのは、
このためだったのか。

すべては、お導き、クラッシュして世の中はうごいているのであった。


タンポポが生えていた2016/12/1

毎日鼻血がでる。

だいたい夕方なのだが、それが、ほとんど毎日なのだ。


理由はわからない。

花粉症なのか、
それともかんがえたくないが、
福島からのあのおそろしい物質のせいか。

だいたい7、8分は止まらないので、
止まるまではじっとしていなくてはならない。
けっこう続くから、
それなりの量が見込めるのであるが。


ところが、きょうは日課の
5キロのジョギング中にそれが訪れた。

なんとなく鼻が濡れているな、とおもったら、
すでに生ぬるく錆び臭いものが垂れてきた。

まずい。

そりゃまずいよ、ジョギング中の所持品は、
携帯と財布だけだ。

タオルもなければ、ちり紙などあるはずもない。

わたしは、走りながら、
人差し指を鼻の穴につっこんだ。

だが、これはうまくゆかない。
すぐに手が赤く染まってしまう。

まるでホラー映画だ。

両方の手が血だらけ、
でも、拭くものがない。
鼻血は依然としてたらたら生産されている。

おそらく顔も返り血を浴びているだろう。
なにしろ鏡もない。

それでもわたしは走っていた。

と、舗道のすみっこに
タンポポが生えているのが目に入った。

さすがに春である。
野生のタンポポはすくすくと黄色の花をつけている。

やむをえず、わたしはそのタンポポをちぎり、
まるめて鼻に詰めた。

溺れるものは藁をもつかむ。
いや、溺れるものはタンポポも詰める。

もう、なりふりはかまっていられない。

すれちがった初老のおじさんが
「だいじょうぶですか」
って声をかけてくれたのも、
よほどわたしの姿が凄惨・壮絶だったせいだろう。


血だらけで走りつづけるタンポポ男。


ばかだね。


700メートル先に公園があり、
わたしはようやくトイレットペーパーをゲット。
それをくるくる丸めて
それからは早歩きに変えて帰宅する。


だから、最後の2キロくらいは
わたしは鼻に紙を詰めながらの
ウォーキングだった。

でも、だれもわたしが気にならないとみえて、
みんなネグレクトして通りすぎた。

家に帰るや、
三階から妻と娘が降りてくるときだった。

具合がわるいときは
タイミングまでパッドタイミングだ。

ジャージ姿で鼻に詰め物をした夫や父は
とうぜん、好意的には見てもらえず、
なんか二、三の捨て台詞を言われ、
そしてわたしは部屋に戻った。


でも、タンポポを詰めたところだけは
家族に見られずに済んだのがゆいいつの救いだった。

(2011.4.6)

失くしもの2016/11/27

ものをよくなくす。

 携帯のない日もある。財布がない。
免許証がない。車のキーがない。

 (免許証がなくて、「保土ヶ谷をめぐる冒険」という
つまらない日記を書いたおぼえもある)


 いちどは、ポーチがなくなって、
探せど探せど、ない。

 ついには妻にも当たり散らし、
けっきょく横浜のラーメン屋さんに
置いてきたことが判明。

 しかし、そのときには、
カードはすべてキャンセルし、
ただのブラスチックの板と化してしまった。

 知り合いのラーメン屋さんだったのだが、
「カバン忘れていますよ」という電話が、
翌日の夕方にくれるものだから、
それまで、あたふたと、数件のカード会社に、
カードを止めてもらったりと、必死の形相だったとおもう。

 しかし、なんで夕方にくれたのか、
もっとはやく教えてくれたら、
なにもここまであわてふためかなくてもよかったのに、
と、そのラーメン屋さんを、ちらりと
恨んでもみたが、なにしろ自己責任、
わるいのは、みなわたしである。

 郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも
みんなわたしが悪いのよ、ってことである。


 白いネクタイもないことがあった。
友人の結婚式当日である。

妻に「どこにあるか知らない?」
と、訊いても、
「知らないわよ、わたしが管理してるわけじゃないし」と、
「管理」という、堅苦しい漢語で答えるものだから、
余計腹が立ち、「いいよ、行きがけにデパートで買うから」
なんて、捨て台詞にもならないようなことをいい、
玄関の姿見でとりあえず見繕いをし、
礼服のポケットのハンカチを取り出そうとしたら、
そのハンカチが、すこぶる長いのだ。

 それは、白い帯状のもので、
その帯状のものが
するするっと出てきたのである。

 あ、あった。

なんのことはない、
ポケットに祝儀のネクタイは収納されていたのだ。

 「ほら、見なさい、ちゃんとあったじゃない」

 けっきょく、わるいのはわたし、ということで
ケリがついた。

 こういうのを、専門用語で「バツが悪い」という。

 しかし、加齢するごとに、
忘れ物がひどくなってきた。


 このあいだ、カルディという雑多な店で、
スパゲティを購入し、いざ、お会計というところで、
背中に背負っていたデイバッグに財布がない。


 この財布は、店の売上のほとんどが
入っているもので、これをなくすと、
わたしは首をくくるか、銀行強盗をするしかなくなる。

 
 「ちょっとまってください」
と、言いながら、バッグに入っているものを
すべて出し、探すが、ない。

 カルディに行く前に、ヒルマというスーパーで
野菜を買ったのだが、まさか、財布を落とす、
なんてことは、わたしにはあるはずがない。

 しかし、財布がない。

カルディの店員さんには、ちょっと謝罪して、
わたしは、まさかとおもうが、ヒルマに舞い戻ったのである。


ヒルマというスーパーはひとでごった返している。

それでも、レジのそばで働いている老人に、
財布の話をすると、若い店員さんが、
「○○さーん」とか呼んでくれて、
その○○さんが奥から、わたしの財布をもって
出てきてくれたのである。


 「外人さんなら、出てきませんよ」
と、釘をさされたのだが、わたしは最敬礼をして、
その財布をもらいまたカルディに戻ったのである。


しかし、なにゆえ、スーパーで財布を落とさねばならないのか。


じぶんでじぶんがもっともわからないのである。


じつは、もっとわからないことがある。


それは、ものがなくなって、出てこないとき、
かならず、ある声がするのである。

「見つからないかもよ」
「たぶん、むりだな」
「見つからなかったら、おもしろいよな」

これは、わたしのなかに潜む、悪の声である。

この悪の声は、わたしの加齢に対するボケ具合を試す、
指標だといってよい。

 じぶんの痴呆の査定をみずからしているというわけだ。


ほんとうに見つからなければ、
「おまえはおしまいだよ」ということである。

はたして、ものがなくなったとき、
こういう声を聞いているひとが、世の中どれほどいるのだろうか。

社会学者に統計をとってもらいたいものである。


 いままで、こういう声をなんども
聴きながら、おおよそ8割がたは、そのものが、
またみずからのもとへ戻ってきているので、
痴呆もまだ軽傷ということなのかもしれない。


 しかし、このあいだ購入した、
来年のカレンダーと手帳がどこにあるか、
まだ探せられないのである。


 

噂、あれこれ2016/11/27

「噂」とはどのようなものなのだろう。

そもそも、「噂」という語はいつごろから
あったのか。

調べれば、鎌倉時代の古辞書(『節用集』)に
「うはさ」は収録されているから、
平安のおわりころにはあった言葉である。

ただ、それより前の古辞書にはなかった。
発生はわからないけれど、
『大言海』という辞書によれば「浮沙汰」が語源だという。


『大言海』は、初出資料が載る、
ひどくめずらしい辞書なので、
こういうときに便利である。

で、『大言海』によると、「噂」という文字が、
作品になるにはかなり時代がくだる。




「あやなや昨日今日までも、
よそに云ひしが、
明日よりは我れも噂の数にのり、
世に歌はれん。
歌はば歌へ」

近松門左衛門、『曽根崎心中』のくだりである。
これが初出らしい。



つまり、「噂」という語が、はっきり世にでるのに、
江戸時代、元禄文化まで待たねばならなかったということである。


そもそも、平安時代初期の『大和物語』
という歌物語なんかは、女房のあいだの噂話を
集めた本だし、『今昔物語集』などをはじめとする説話文学は、
噂そのものである。

噂話の、急所は、その内容の真偽はどうでもよい。
人々の関心をひく、スキャンダラスな内容であり、
ひょっとすると、ほんとうかもしれない、
ギリギリで、かつ、秘め事でなくてはなならない。

世の中に知悉されている事情なら、
噂にはならないわけだ。


噂の構造は、とうぜん移動である。

近世にはなかった概念の「情報」とおんなじ構造だ。

「情報」も「噂」も生産性はない。

「情報」と「噂」との相違は、その速度にある。
「情報」は早ければ早いほど得をする。
「情報」には、速度と利害とが付随するが、
「噂」は、じつにゆっくりと、酸が侵食するように
じわじわと、ひとの心に染み込んでくる。
おまけに、そこに利害はうまれない。

じっさい、芸能レポーターは、この「噂」を
飯のタネにしているから、利害がないとも言えないが。

「情報」と「噂」の、共通項は「蕩尽」にある。

「情報」も「噂」も、それをしまいこんでは意味がない。

使い切るからこそ、意味をもつ。

「情報」は、それをみずからのベネフィットに基づいて、
使い切ることが、もっとも功利的であるが、
「噂」は、「こんなおもしろい話、だれかに伝えなくては」
という、「黙っていられない」心のそわそわした感情が、
「噂」というカタチになって、人づてされる。

「情報」という、どちらかといえばデジタル的に対し、
「噂」はアナログである。

ただ、このアナログは、
池にうかぶ水草のように、
一日でふたつに別れる水草は、
二日で四つ、四つが八つにと、
じわじわであるが、確実にひろがり、
ゆっくりではあるが、いずれ池一面を覆い尽くすことになる。

そして、その広がりはだれにも止めることができない。

だれかとだれかが付き合っているとか、
イラクで邦人が撃たれたが、その裏には
こんな話があったとか、
初代若乃花と貴乃花は、兄弟でなく親子だった、とか、
沖縄のアメリカ軍基地には原子爆弾がある、とか、
あいつは、大麻をやっているとか、
9.11テロには、CIAも加わっている、とか。


どうであれ、話の真偽は定かでないものばかりである。
そして、その内容が、ひとに言ってははばかれるものほど、
「蕩尽」しようとする傾向が強いのだ。

話に付着する負のアウラが強いほど、
波動拳よろしく、ひとに伝えようとするのである。


「ね、これだれにも言わないでね」

このまじないのような一言は、「拡散希望」という含意をもって、
これからはじまる秘め事の物語の一部が公開されるのだ。


そして、ひどく困ったことは、
噂話は、無責的に語られるということである。


「情報源」が責任を取らされることは
事実、あるかもしれないが、こと、「噂」にはそれがない。

自由という免罪符を持ちながら、
天下の大道を闊歩するのである。


だから、噂をするほうはいいが、されるほうは
たまったものではない。


佐々木俊尚というひとが『当事者の時代』で、

「いつから当事者でもないくせに、
弱者面して、憑依してでらめをしゃべるようになったのか」
と、語っているが、こういうエネルギーが「噂話」を醸成させる
ひとつの原動力となっているのかもしれない。


そういえば、福島第一原発は、メルトダウンを
通り越して、メルトスルーし、地球の中核まで
沈み込んでいる、なんて話もきくが、
真偽のほどはわからない。



ま、世の中に生きるいじょう、
あんまり噂されたくないものである。

されたら、しかたない、拡散は免れないので、
曽根崎心中ではないが、
「歌はば、歌へ」と放任するしかないのであろう。

イレズミ文化2016/11/26

 山本芳美という文化人類学者が、
イレズミ文化の衰退とともに、
銭湯や公営プールで、「イレズミお断り」とか、
「Tシャツ着用」とか、そういう文言が増えてきたことを
ふまえて「私たちは社会を漂白しすぎた」と指摘している。
(「イレズミと日本人」)

 山本氏は、職人のイレズミに関する
「社会的記憶」が失われていった、と語るが、
たしかに、それもそうだろうが、
ほんらい、イレズミも含めた身体加工というのは、
ひとつのアイデンティティーを表出させる
身体運用である、という説も見逃せない。


 どこぞの国のある種族は、
顔中、身体中に彫り物をしたり、なにかを塗ったり、
それは、みずからの自我構造の確認に
なっているというのだ。

 
 だから、女子のピアス、いま、男のひともしているが、
あれなどは、美を誇示するのではなく、
みずからの存在理由を示す、ひとつの方法とみることもできる。


 ただのおしゃれではないのである。

 イレズミはその最たるもので、
おしゃれでタトゥーをするひともいるが、
背中の、登り龍など、おしゃれを通り越していて、
レゾンデートルの極北と言えるだろう。

 
 だから、身体加工しなくなってきた文化は、
自我の喪失を招いているのではないか、
そう、懸念をいだく評論家もいる。


 「自我の喪失」という術語が
人口にカイシャしてずいぶんと日が経つが、
もし、その現象を受け容れ、かつ、高度文明が、
ニンゲンの本能的なものを奪い取るとしたら、
ひとは、どんどん、ひとから離れてゆくのかもしれない。


 いま、若者で、恋人関係にある数が
激減しているという。

 恋ができないのである。


 これって自我構造と無縁ではないとおもうし、
高度文明が、あまりに個人に快適を与えたので、
異性がいなくても、べつに気にならない
空間をつくりあげているのかもしれない。


 そういう時代において、
たとえば、「セクハラ」。

 塾では、女子高生を、下の名前で呼んではいけない。

 セクハラになるらしい。

 「高田美和」と、フルネームもいけない。
セクハラになるという。


 だから、とうぜん、男子もフルネームはNGである。

 「板垣退助くん」とか「土岐善麿くん」とか
呼ぶことができないのだ。


 女子には「高田さん」、男子には「板垣くん」と
性差をはっきりさせて「さん」「くん」で呼べと
そう指導される。

 セクハラはだめだけれど、性差はしなくてはならない。

わたしは、これは「漂白しすぎのパラドクス」じゃないかと、
つくづくおもうが、それがまかりとおっている。

 痛いおもいをして世に生まれでてきた子どもに、
親は、この子の、ひかり輝くであろう未来を見据え、
もっとも素敵な、もっとも愛らしい、
全世界のひとから
うつくしく呼ばれるために、
その子に名を与えるのである。


 しかし、その名を呼ぶとセクハラになる。

むかしは、もっと鷹揚だったようにおもう。

 「セクハラ、セクハラ」とか言っているから、
出生率が、1.4とかになってんじゃん。


 このままでゆくと、西暦2300年には、
社会学的計算では、日本人は、ひとりかふたりに
なってしまうのだ。


 水清ければ魚棲まず、とはよく言ったもので、
あまりの漂白的感覚は、
すでに、人間の温かみをうばい、
他人との接触をきらい、
個人主義的な、
体温のないニンゲンをつくってしまうのではないか。

そういうひとが、CC化、クレージークレーマーになったり、
モンスターペアレンツになったり、
するのかもしれない。

 この漂白化を従属矛盾ととらえれば、
この根本に、主要矛盾があるはずである。
(これは毛沢東の言説「矛盾論」より)

 いったい、どうしてこんなことになったのか。

この主要矛盾はどこにあるのか。

 おそらく、高度資本主義や高度文明の終焉が、
それにあたるのだろう。

 世の中終わるのかもしれない。

 と、いいながら、とにかく、
わたしは、イレズミは苦手である。


知り合いの昨今2016/11/24

わたしの知り合いで警察の世話になったひとが三人いる。

 ひとりは「寛ちゃん」。ほんとは「ヒロシ」と読むのだが、
みなは「カンチャン」と読んでいた。

 予備校の英語教師である。


 べつに出身大学がどこでもかわまないのだが、
陸の王者とか誇っているところである。

 そこを卒業して、すぐさま予備校講師になった。
正義感のつよい男だった。


 大手予備校をふたつ掛け持ちしていた。

 彼女は、教え子だった。すでに大学生になっていたから、
もんだいはないとおもうが、町田に、彼女との住まいを
建設中であった。

 が、なんと、彼女は、ラーメン博物館に
勤めている男のほうに傾いてしまい、カンチャンをふったのだ。


 「カンチャン」はラーメンフリークで、
ラーメン博物館についても知悉のことで、
その男のこともよく知っていたのだろう、
それだから、陸の王者のプライドもあってか、
その嫉妬といったらただものじゃない。

その男というのは、小太りでエースコックの
キャラクターみたいな感じだったらしいから余計である。


 かれは、町田で包丁を買い、彼女のバイト先の練馬の
コンビニまで出かけていき、
エースコックの恋人になりさがった女を
刺しに行ったのだ。

 かれは、彼女を数箇所刺した。

 が、まわりの客に取り押さえられ、あえなく逮捕。

 彼女も、重症とまではゆかず、難をのがれた。

とうぜん、司直にゆだねられ、裁判では有罪。7年の懲役刑に服した。


 予備校仲間では、それが話題となり、
かれのあだ名は「キラカーン」となった。

 「カンチャン」だから、なかなか洒落たネームだった。

 出所したら、もう予備校の教師はむりだろうから、
ラーメン屋でもやれば、なんてふざけたことをいうひともいた。

 「キラカーンの数カ所ラーメン」

それが店の名前にいい、なんて話もあって、みんなで
笑っていたものだ。


 そういえば、ひどくかわった国語の教師もいて、
ある予備校の講師になったとき、その予備校の理事長の
奥さんというのが、SMの方面に精通していて、
そのかわった講師に「あなたみたいなひとを待っていた」とか
言われ、ムチで叩かれたり、縛られたり、
毎週火曜日は、そのお宅に行っては、
そんなことをされていた。

 なんでそんなことを知っているかといえば、
その変なひととは、水曜日、いつもおんなじ校舎で、
いっしょにトイレにゆき、そこで「きのうはこんなことされました」
と、そのひとから逐一報告があったからである。

 なんでも、翌年から時給が5000円あがったそうだ。
さいしょの時給はしらないが、それは法外な値段である。

 で、そういう噂はすぐ予備校界ではひろがり、
かれは、みなから嫌われた。

 とうぜんだよな。

 で、かれのあだ名は「マゾの宅急便」となった。


 もうひとり、鶴見警察に捕まったのは、
大手予備校の東大コースを受け持っていた男である。

 出身大学を言ってもしかたないが、
「東京」という名のついている屈指の大学と言っておこう。

 そこを出て、すぐさま英語教師となった。

 「なんで、会社に就職しないの?」
とか、わたしが訊いたら、いまはそういう時代ではない、
とか言っていた。


 車は、マツダのRX-7Iに乗っていた。

「もっとブランドのある車に乗れば」
とか、わたしが言うと、「おれがブランドだから」
とか答えていた。

 が、新婚なのに、買い春行為であえなくお縄になり、
ふたつの予備校もパァになったのだ。

 もったいないよね、ブランドなのに。


 で、もうひとりは、ある中学校のPTA会長だった男だ。

 小学校のPTA会長も務めていて、わたしもそのときPTA会長だったので、
そこで知り合った。三味線が得意で、
芸能人のバックで津軽三味線を弾いていた時期もあったという。

 しかし、かれの趣味が放火だった。

 田園調布の消防団員もしていたので、
消防団員の放火というのがニュースとして
はなやかに報道された。

 逮捕されたとき、娘ふたりは、中学校3年生と1年生。

 PTA役員のひととの不倫の終焉で
腹がったって、警察に放火予告をし、張り込んでいた刑事に
あえなく捕まったという、情けない話である。

 取り調べてゆくうちに、
十数年前の放火殺人も余罪にあがり、
裁判の結果、懲役30年となった。

だから、かれは、いまでも服役しているはずである。

 おそらく千葉刑務所ではないかとおもうが、
どこにいるかわからない。


 なにしろ、犯罪は身近なところにある。

 なにがひとを変えるか、それもわからない。


 いま、日本の検挙率は2割を切ったらしい。

それは、先進国ワースト2位である。

 つまり、悪いことをしても100回のうち80回は捕まらないのである。

 しかし、わたしの周りで三人も捕まった。

 口の悪いやつが「こんどはお前だ」なんて言う。

いや、おれは、その8割にはいってやる。

 そんなドジは踏まねぇぜ。

 
 そういえば、カンチャン、釈放されて、また九州のほうで
予備校の講師になったそうだ。が、
前科がバレて、あっというまに解雇されたらしい。


 もうひとりの東大コースの英語教師の「いま」は知らない。
実家の京都にもどっているのだろうか。

 
放火魔は、安心、まだ牢屋である。

日和見主義の結末2016/11/22

 筒井康隆という小説家は、
戦国時代の武将(僧侶でもある)筒井順慶の末裔であり、
筒井順慶の日和見主義が
どうもご先祖様としては、情けないというような
私小説とも歴史小説とも言えぬ「筒井順慶」を書いた。

 記録的に、筒井康隆が、順慶の子孫かどうかは、
定かではないらしいが。

 順慶は、親戚筋の明智光秀の斡旋で、
織田信長に臣従し、本能寺の変のあと、
光秀が羽柴秀吉に攻められるや、
加勢にゆかず、光秀は殺される。(山崎の戦い)

 と、順慶は秀吉柴に拝謁するも、
その遅参を秀吉に叱責され具合を崩したという。

 戦国時代はこのように「威勢の良いもの」に
すぐ尾を振って、その傘下にもぐりこもうとする輩がいたもので、
これをいわゆる「日和見」と言って、
いまでは、その生き様を褒めるひとはそういない。

 関ヶ原の戦いでも、日和見はあったし、
日本の歴史では、これは当たり前の行為だった。


 そもそも、日和見は、為政者や権力者の自我ゆえの発動ではなく、
「世の中の要請」として動いていたので、
みずからの意思ではなく、世の中の意思、意向であるのだから、
じぶん自身、なんのやましいこともない、
とおもっていたにちがいない。


 なぜなら、自我構造が芽生えたのは、
明治以来のことだからである。

 江戸時代に、じぶんらしく生きるということなど
かんがえていたひとはおらず、
すべて、世の中の要請として生きていた。

 武士は、主君を守るため、農民は米をつくるため。
つまりこういう生き方であり、そこに疑念のひとつも浮かばなかったろう。

 内田樹さんは、
暴れん坊将軍のある場面で、
若い旗本が
「わたしは、武士を捨てて、じぶんらしく生きようとおもう」
と言ったとき、松平健はじめ、みなが、「オゥ」とか言って、
拍手喝采するシーンがあって、それが愉快だと語っているが、
じぶんらしく、という発想は江戸時代までなかった。


しかし、今の世の中は、じぶんらしさ、
という考量は、あたりまえのようにある。

むしろ、じぶんらしく生きよう、なんて学校で教えているくらいである。

このあいだ、あたらしく誕生した、
東京都立の受験型商業高校も「じぶんらしく」をモットーとしている。


管見であるが、「じぶんらしく」というかんがえは、
じぶんを矮小化させるきらいがあるのじゃないだろうか。

「じぶんらしく」は、事後的にみずからに跳ね返ってくるものだと
わたしは、おもう。

「あ、あのとき、わたしは味噌ラーメンを食べたが、
ああいうとき、ああいう時間、気候、温度、
そういうシチュエーションだと、わたしは味噌を
選択するのだ」

と、こんなふうにあとから、じぶんらしさは、
じぶんに追従してくるのだろう。

「なにがなんでも味噌ラーメン」
「いつどこでも、わたしは味噌ラーメン」

これだと、あたらしいなにかが発見できないじゃないか。
ダウンサイジングな生き方になってしまうじゃないか。


ところで、
安倍首相がトランプさんと
会談したという話題でもちきりだ。

それも、世界でもっともはやく
トランプに会った一国の首相、
ということで世界でも報道されているという。

安倍さんは、アメリカ合衆国選挙の期間中、
クリントンさんに会いに行っている。

なぜ、クリントンさんにだけあって、
そのときトランプ氏に会わなかったかはわからない。

こんどは、トランプさんには会うが、
敗れたクリントンさんには見向きもしなかった。


これ、日和見だよね。


なにか、お釈迦様のたなごごろのうえで
もがいている孫悟空のような気もするが、
政治のような雲の上のできごとはよくわからないけれど。


仄聞したことだが、トランプさんのほうには、
日本語通訳がつかなったらしい。

つまり、トランプ・安倍・日本からつれてきた通訳、
この三者の会談だったという。

ということは、トランプさんの発言は、
日本の通訳が安倍さんにその真意を伝えるので、
ほんとうのトランプ氏の意がつたわったかどうかわからない。

と、いうより、トランプさんからは、
なにひとつ、要求も思想もなく、なにも語らず、
ただ、極東からきた、ちょっと舌足らずな喋り方をする、
親子代々、総理をしていきた家庭のお坊ちゃんの言うことを
「うんうん」と聞いていたに過ぎないのかもしれない。


「トランプ氏は、信用にたる人物です」
と、お坊っちゃまは語る。


 言葉とは、語ったものと同等の語らないものを含む。
なぜ、日本の首相たるものが「信用にたる人物」と言ったのか。

その裏には、こいつは信用ならないやつだ、
という意味内容が前段にあったからである。

その裏返しの発言が「信用にたる」であったわけだ。


 だから、トランプさんが大統領になったあかつき、
「TPP撤回」といち早く宣言したとしたら、
あの「信用にたる人物」という発言が、
世界でもっとも、みじめで恥ずかしい一言になってしまう。


言葉とはおそろしいものである。


 そういえば、筒井順慶も胃痛で倒れたが、
安倍さん、だいじょうぶなのかな。

カルチャーショックとは2016/11/20

  カルチャーショックということば、
すでに死語なのだろうか。

 いまの若い子たちは、「なんでもある時代」に
生まれたから、高度文明のカルチャーショックはないかもしれない。

 むしろ、彼ら、彼女らは、
未開の地に行ってみたらよろしい。

 西アジアのどこそこの国は、
高速道路のサービスエリアに灯りがないらしい。
サービスエリアといっても、ただトイレが
ぽつんとあるだけ。

 そのトイレだけには明かりが煌々と点っていて
だから、真っ暗なだだっ広い空間に、昼のように明るい
一点があるわけだ。
 それだから、その一点に、
虫という虫、イモリなどの爬虫類、
それらがびっしりと棲息しているそうだ。

 ひとは、そこで用をたさなければならない。

 うちのバイトの裕子じゃ、無理だな。

 知らぬ土地に降り立った時の
そういカルチャーショックはとうぜんだろうが、
たとえば、時間的なラグによるショックもある。

 懲役30年の刑をおえ、シャパに出てきたひとの
本を読んだけれども、
まず、おどろいたのは、駅の改札だそうだ。
それまで、獄中で、日本の「いま」をレクチャーされて
いたそうだけれども、駅の改札までは教わっていなかった。

 駅員が、とくべつのハサミでカ
チャカチャしている光景はどこにもなく、
なにか、人々は、改札のところで、
ペタペタしてる、それがなんだかわからなかったらしい。

 駅員に尋ね、尋ね、ようやく切符を購入し、
その切符で、ペタペタしたのだが、
門扉がしまって入れなかったそうだ。


 30年の時の流れは、しずかに、そしてじゅうぶん
過ぎてゆくのである。


 わたしの小学4年生のときの話である。

 三重子ちゃんちに遊びにいったとき、
トイレを借りた。

 わたしは、幼稚園でも小学校でも、人の家でも、
トイレを借りるのが苦手、というより、できなかった。

 じぶんちの、あの「ボットン」でないと、
うまくできないのである。
緊張するのか、ひとにそうおもわれるのが、
いやなのか、よほどでないかぎり、自宅ですませていた。


 だから、三重子ちゃんちでトイレを借りる、
というのは、よほどの緊急事態だったのだろう。


(ここで喫緊とかつかうと、うるさいひとがいる)


「うちのトイレ変わっているから」と彼女はいう。

「そ」
なにげなくそうあいさつしたけれど、
いざ、トイレを開けた瞬間、フリーズした。

 日常の、

まんなかに穴があいていて、
穴をのぞけば、家族の排便がそっくりみえる、
あの「ボットン便所」ではなく、
西洋のお風呂をすこし小型にした、 白い陶器が

部屋の真ん中に置かれている。

蓋は開いていて、

Uの字型の、これもやはり白いものが、

その陶器のうえに乗っている。



とにかく、わたしには未知の白い巨塔が
そこにそびているようにおもった。

この空間を、この白いものが凌駕しているようにも

子供ながらにおもった。

いまから、おもえば、それは、

それに圧倒されていた、ということにほからないのだが。



床がぴかぴかに光っていた。


「どうすればいいのだ」

三重子ちゃんの「変わっている」は、これだったんだ。


人生ではじめて洋式便所と遭遇した瞬間であった。


しかし、どうしてもここで用をたさねばならない。

そういうとき、ニンゲンは、子どもでさえ、
文化の相違を架橋する理路として、
共通項を探すものである。

幼いわたしがかんがえたことは、
和式の、いわゆる「金隠し」と、洋式の「蓋」と、
そこの形状が似ているのではないか、ということだ。

だから、10歳の少年は、
洋式便所のUの字型のうえに乗り上げて、
あの蓋を両手でもって、事をすませたのである。


ものすごい高い位置でのトイレである。

たぶん、遠目でみれば、
馬の騎手のようになっていたのかもしれない。

ま、それはそれで、無難に事をすませたのであるが、
つぎに困ったことが起きたのである。

紙がとれないのだ。

背中の、ものすごく遠いところに、
ペーパーがある。泣き出したくなったが、
そこまで、カニ歩きのような恰好で紙を取りに行ったのだ。


 文化の違いとはおそろしいもので、
日本のトイレは、進行方向とおなじように、
そこでしゃがめば用足しできるが、
西洋は、進行方向とはぎゃくに、いちどくるりと
回れ右して、用を足すわけである。


 つまり、ベクトルの向きが真逆だということだ。


 わたしが、このアクロバシィなトイレのしかたが、
まちがいだったと気づくのは、
「いなかっぺ大将」という漫画を見たときである。

風大右衛門という主人公が、洋式トイレを使っている。
それも、ばかだよ、ぎゃくに座っているじゃないか。

わたしは、抱腹絶倒、腹をよじらせながら、
母にその絵を見せたのである。

「見てよ、これ。この座り方」

と、母は

「なに? これでいいのよ」

「・・・・」

これは、小学校6年の話であるので、
わたしの座り方が間違っていたことに
気づくのに、おおよそ2年かかったことになる。

不死身のO1572016/11/15

 神奈川県平塚市の食肉販売会社の
加工食品を食べたひとが腹痛などの症状を訴えた、
病原性大腸菌O157による集団食中毒で、
11日現在、59人の感染をみた。

 入院は、いまのところ9人である。

 この会社は、いま、どのような経営をしているのか、
とんとわからないけれども、
「寝耳に水」であったのではないか。

 この会社のホームページの冒頭に、
当初は、「指定の温度で調理しなかったため」という
文言が付されていて、みずからの責任の回避を
しているような書き方をしていた。

 それもそうだろう。

 なにしろ、O157という病原菌は、75度の温度で、
1分加熱すれば死ぬのである。


 これが、料理業界の定説で、保健所も、
そういう認識である。

 じゃなぜ、メンチカツを食べた59人の方が、
こんなに苦しんでいるのか。

 メンチカツを家で調理したとしても、
75度のはずはないだろう。

 冷凍食品だから、油の温度は、
おおよそ170℃。

 それを5分くらい揚げるわけだ。

 O157は、この段階で死滅するはずである。

 なぜだろう。おおきな疑問符がわく。


 そこで、わたしは、大田区の保健所に問い合わせてみた。

わかい女性の声。

「どのようなことですか」

 「いまO157が怖いんですけれども、あれは、
75度、1分で死ぬんですよね」

「はい」

「でも、神奈川のメンチカツで出ましたよね。たしか、
19人」

「いま、もうすこし感染者は増えています」

(あとから知るのだがすでに59人となっている)

「家で調理したとしても、75度1分は加熱してるんじゃないですか」

「ええ、こちらも情報を集めているんですけれど、
冷凍食品ですから、高温で揚げますと、
中まで火が通らないということがあって」

「いやいや、たくさんの方が、それぞれの
家庭で調理して、そのたくさんの方が
おんなじように、感染してるんですよ。おかしいじゃないですか」

「いえ、こちらとしては、
表面だけ色がついていて中まで火が通っていなかったから、
それしかお答えできません」

「うーん、大勢のひとが、おなじように、
表面だけ黒くなって中が75度になってなかったというんですか」

「いまのところ、そうです」


押し問答のような格好になったのだが、
けっきょく、行政の行政的な返答は、
調理の仕方にもんだいがあった、ということらしい。


いま、おもえば、59名、学校でいえば、
やく2クラス分の方が、すべて、同質の調理法で、
つまり、表面だけ揚がっていて、中が75度にならずに、
あわててそれを口にほおばった、という事態が、
はたしてあるのだろうか。


行政は、あるいは国は、もうすこし喫緊の事態として、
冷凍しても、加熱しても、170℃で5分加熱しても、
死なないO157の存在があるんではないか、
そんなことも疑っていいんじゃないかと、わたしはおもうのだ。



病原性大腸菌O157は変態して
不死身になっているのかもしれない。

シンゴジラだってなんども姿を変えているじゃないか。

コード論2016/11/10

記号論という分野では、
「記号とは世界分節の差異化である」とおしえる。

つまり、名付けることにより、
対象物と他のものとを分けるということである。


 そして「コード」という発想も必要である。

「十」という記号がある。
これに、算数のコードを代入すれば、「たす」、
数学のコードを入れれば「プラス」、
漢字というコードで変換されれば「10」ということになる。

 差異化する記号であるが、それにコードという
概念が、またあらたな意味をあたえるのだ。


 「ロコモティブシンドローム」という
あらたな概念がうまれた。

 医療関係者のこさえた概念である。
このように、あらたに作られた概念を操作概念とか、
道具概念と呼ぶのだが、民間流布には
必要な発想である。

 この「ロコモティシンドローム」は、
 老人の運動器障害のための運動低下を意味する
操作概念である。これによって、身動きの取りにくい老人を
そう呼ぶことによって、健常者との差異化が
はっきりするというものである。

 よぼよぼのご老体に、「ロコモティブシンドローム」の
コードを代入してみて、イエス、オア、ノーと鑑み、
イエスなら、要介護、という具合になる。


 ラジオでやっていたが、無季の自由律俳句のコーナーがある。


 ・明日からわたしと犬とふたり


 こんな作品だったとおもう。

 さまざまに解釈可能である。

 「伴侶を失ったひと」というコードを当てはめてみれば、
せつない悲しみの人生などという意味になろう。

 「独身生活者」というコードだと、
ひとり家族の増えた至福の歌となろう。


 ひとが、どういうコードを選択するかは
そのひとの、いままでの生活ぶりや、心情、
文化資本、社会から受けてきた経験など、
まったくさまざまで、かつ、自由なものなのである。


 きょう、インフルエンザの注射を打ちにいった。

注射器をトントンとやっている先生に、

「そういえば、わたしの教え子で、
今年度から看護婦になった子がいましてね。
先輩のナースから、
いろんなところに針打たれて、
『ほら、痛いでしょ』って、身をもって教えられているそうです」


と、先生は、

「え。そんなことあったらたいへんだよ。
聞いたことない。それただのいじめだよ」

「いえ、その子、左腕、そこらじゅう茶色いアザになってました」

「それ、出るとこでたら大問題だよ」
と、先生はつづけられた。


そういえば、彼女は、のんびりとした女子高育ちで、
性格ものんびり屋だから、
注射の指導も「いじめ」というコードはおもいもよらず、
彼女の選択したコードは「教育」だったのである。

わたしの誕生日2016/11/8

小学校1年生のとき、「はじめての誕生会」をひらきました。

10月生まれですので、それまでに、

ほかの友だちの「はじめての誕生会」を知っていましたから、

じぶんもそれができると、ちょっとうれしくも、

緊張もしておりました。

 

テーブルにケーキや料理やお菓子が置かれ、

十数人の子どもたちは、楽しく祝ってくれているはずです。

ところが、わたしが、

ちょっと席をはずしたところ、

その十数人の子どもたちが、

人っ子ひとり、いなくなっているんです。

 

からっぽの部屋。

 

わたしは、ひとり取り残された、

なにかいじめられたような、

おいてきぼりの空虚な悲しみを感じ、

そこにたちすくむしかありませんでした。

 

なんでみんないないんだろう。半べそだわ。

 

 

じつは、そのとき東京オリンピックが開催されていて、

東京の空に五輪の飛行機雲が浮かんでいたのです。

 

みんなは、それを見に、表に出ていたんです。

 

あとから、みんなもどってきてくれましたが、

五輪の飛行機雲を見に行くとき、

なんで、わたしを誘ってくれなかつたんだろう。

 どこかに、あの記憶が

いまのわたしの人格にこびりついている、

そんな気がします。

2016/11/2
 高校時代の友人に白浜君がいた。
白浜は仮称である。あだなは「牛」。
色白で、ふくよかな体型であった。
同級生だから、いま生きていれば同い年である。

 とにかく金持ちの御曹司で、
当時、まだ流行り始めのテニス部に所属。

 そのころは、ジミーコナーズとか
ビヨン・ボルグが有名だった。
ハイライトが120円の時代である。

 ドネイとかいう会社のすこぶる高級なラケットを
かれはもっていた。むかしは、テニスラケットというと、
すべて木製で作られていた。

 わたしの高校は「私服あり」、だったので
白浜君はいつも、アイビールックの先端を着飾っていた。
ジャケットの胸にやたらと目立つワッペンのようなものを
オプションで貼り付けて、
「これ、7000円したんだぞ」とか、
白浜君は、毎回値段を宣告していた。

 たかが、ワッペンに7000円、
そのころのわたしのセーターが5000円しなかったから、
なんと、無駄なこと。
セブンスターが150円のころである。

 村上春樹が、高度資本主義の最大の美徳は「無駄」である、
とか書いていたが、それを地でいっているヤツだった。

 ある日、かれは、金色の革時計をはめてきた。
ひどく薄型の、白のフェイスに、はっきりと覚えていないが、
針の形状は、ドルフィンでもなく、バトンでもなく、バーでもなく
ペンシルでもなく、ブレゲでもない。
たぶん、リーフだったような気がする。


「見ろ、これ。15万円したんだぞ」

と、腕を突き出して我われにそれを見せつけた。
 わかばというタバコが80円のころである。

 
 教室のみんなは、驚嘆のまなざしで、
その時計に注目した。
金持ちをひけらかすのがかれの日常なので、
そこにはいやらしさがほとんどないのだ。

 ほんとうの金持ちは、金をみせびらかしても、
また、それを誇らしげに自慢しても、
そんなに嫌味ではないと、
そのときは、そうおもっていた。

 体育の時間である。教室で体操服に着替えていたときだ。

白浜君は、こともあろうに、
その15万円を床に落としてしまったのだ。

 「あぁ」

 かれは、大声を張り上げた。

 そして、金無垢の高級品を取り上げ、
白浜君、目をひん剥いて叫びだした。

 じつは、床に落としたショックで、
ガラスの中で長針が取れてしまったのである。

 白浜君、分針が取れた、と言いたかったのだろう。
だが、かれはそのとき、こう叫んだんのだ。

「フンガー・フンガー・フンガー」

そう言いながら、時計を両手でつかみ、
着替えているわたしに迫ってくるではないか。


「フンガー・フンガー」

 わたしは、その迫力に後じさりするだけであった。

 かれのあだなは「牛」である。
拾う2016/11/1

♪喫茶店に彼女とふたり入って

 珈琲を注文すること

 ああ、それが青春 (吉田拓郎「青春の歌」)


 こういう歌を聴きながら中学、高校をおくっていた。

 わたしは、中学時代も高校時代も女っけゼロ、
ぶらり一人旅だったので、吉田拓郎が言う青春
に真実が含まれているなら、わたしの青春はゼロとなる。

 高校時代は、麻雀かパチンコか雀球(そういうパチンコみたいなのがあった)か、
ギターだった。

 青春というものがどんなものか、
事後的にもわかれば、ほっとはするものの、
たぶん、わたしに青春だねって誇れるものはなかったようだ。

 彼女がもしできそうになっても、
じっさいは、ずいぶんみんなから嫌われていたから、
たぶんできなかったのはとうぜんなのだろうが、
もし、できそうになっても、
破局になったときのショックが怖くて、
きっとその先にすすまなかったろうとおもう。

 ずいぶん臆病な話である。

 大学に入ってからは、父の定年にあわせ、
父が店をはじめたので、その手伝いのため、
オープンするまでは、錦糸町という
ちょっとこわい街で修行がはじまった。

 炉端焼きの焼き場である。

 だから、ほかの学生のように、
夜から飲みに行こうぜ、とかない。
セロである。

 飲みにいくどころか、飲みをいつも板場から
見ていたわけだ。


 で、なんやかんやで、就職し、
学校で教師というものを24年もしていて、
すぐに結婚もしたので、やはりわたしの
青春の影を拾うことはできなかった。


 彼女がいなかったくせに、
よく結婚ができたものだとおもうが、
そのへんは、ま、お手柔らかに。


 で、しらぬうちに子どもも大きくなり、
結婚をし、その子に子どもができ、
つまり、わたしは、ほんとうの爺様になった。

 じぶんの人生にいったいなにがあったのか、
たぶん、枚挙にいとまないほどなにかがあったのだろうが、
知らぬうちの加齢が、なにも拾えないまま
ここまで歩んできたようにもおもう。


 高校時代の友人はいまではひとり。
大学時代の友人もいまではひとり。
(この友人は、いま「妻」という言い方でもよい)


 うん、なにも残っていない気もする。


 今朝、薬をのんだ。日課である。

 どこぞの芸人ではないが、朝に薬をのみ、
夜に酒をのみの交互の生活だ。


 と、どうしたことか、
薬をのもうと錠剤をとりだしたのだが、
その錠剤をゴミかごにいれ、手に残っているのは、
銀色のパッケージなのだ。


 唖然とした。


 28錠ときまっているから、一粒でももったいない、
わたしは、45リットルのゴミ袋のなかから、
この、米粒ほどの薬をさがすはめになった。


 九十九里浜から一本の針をさがすような作業だった。

 彼女とふたり喫茶店にいって珈琲をのんだり 、
そんな青春を拾うことがなかったわたしだが、
いま、わたしを生かそうとしている オレンジの

ささやな粒を拾おうとしているのである

マツモトコーヒーに行く2016/11/1

 時間が止まっているという感覚はみょうに
ひとを惹きつける。
 
 マツモトコーヒー店。横浜大通公園、真金町の商店街は、
中国系・韓国系の店がずらりとならぶ、位相空間のメッカだ。

 ナムル・キムチ・魚屋にはエビやクロダイ、
東上野を彷彿するアウラがこの商店街には漂っている。

 その、商店街の中ほどを左に折れてゆく、
中国では「胡同(フートン)」というのだろうそのひどくほそい道の
またちょうど真ん中あたりにマツモトコーヒーはある。

 妻が
「え。ここ?」
と言う。たぶん、人生ではじめて入るコーヒー店だろう。
彼女はただ、トイレに行きたいために

「どこか」へ 入りたかったのだが、

わたしが、なにも言わずに

ここに連れてきたのだ。

 そもそも、真金町に来た目的は、
マツモトコーヒーではなく、真金町交差点のところにある、
ジャンクな天丼を食べることだった。

 700円で、うっそ~っていうくらいのボリューム。
エビ・アナゴ・キス・茄子・どんこの椎茸・ピーマン・かぼちゃ
これが、これでもかという存在感でどっさりどんぶりに乗っている。

で、食いすぎでトイレを探すというお粗末さなのだが、
どうせ、ここまで来たらマツモトコーヒー、そうおもったのだ。

 店に入れば、レトロ感まるだし、
低い二人掛けのビニールシート。茶色というのかエンジ色というのか。

 それが二列に並び、狭い店内は十数人で満席となる。
が、わたしたちが入ったときは、店主とひげ面の若者ひとり、
その二人だけだった。

妻が「さっそくですみませんが、トイレありますか」って訊いたら、
「どーぞ」って案内されたのが、ガスレンジのあるカウンターの奥。

つまり、仕事場の奥にトイレがある。

 わたしは、コーヒーを注文し、まだ戻ってこない妻にはミルクコーヒーを
注文した。どちらも300円。(この値段、スタバも見習え)

 トイレから戻ってきた妻に、
「な。なかなかない店だろ?」
って言うと、「うーん」って唸っている。

 この店は、昭和一桁のままの空気をまだ含んでいる。
ここに慣れるには、それなりの覚悟と時間がいりそうだ。

「ここ見てみな」
と、わたしが壁に貼ってある雑誌の切り抜きを見せた。

マツモトコーヒーの店前と店内が載っている。
「え。なんで?」

「私立探偵濱マイクって知ってる?」
「え。わかんない」
「ほら、永瀬なんとかが主演した」
「あ。小泉今日子のもと旦那?」
「ああ、そうかな、あの舞台がここなんだよ」

「え。そーなの」

と、となりの席でタバコをくゆらせてテレビを見ていた
店主がこちらを振り向き「映画、ご覧になりましたか」と
訊いてきた。

「はい、DVDで見ました」
「そうでしたか、いやぁ、永瀬さんのデビュー作ですからね、
濱マイクは、でも、腰の低いいい方でしたよ」

「へぇ、そうなんですか、ほら、そのとき
濱マイクが飲んでいたのがミルクコーヒーだよ」
と、わたしは妻を見ながらそう言った。

「あ。だから」

「あそこの冷蔵庫のところに、松田さんが立っていたんです」
と、店主は続けた。

「あ。松田美由紀さん」

「そう。きれいな方でしたよ、背が高くて」

「きれいですか、そんなには見えないけれど」
「あら、きれいなひとよ」と妻が横から。

「色白でね。わたしは、すぐ横で見られて幸せでした」
店主の思い出話はそれからエンエンつづけられた。

「キョンキョンも二度ほど来ました。でも、スタッフ、
そうだな、三十人くらいいましたけれども、
みんな、小泉さんって呼ぶんですよ。で、小泉さん、
到着ですって言うと、現場がキリッて引き締まるんです。
きれいな方ですよ。それはほかのひととはゼンゼン違って」

「小さい方なんですよね」

「はい。顔なんかこんなに小さくてね。休憩時間となると、
ここで、タバコを何本も吸うんです。永瀬さんといっしょに。
小泉さん、なんのタバコを吸っているのか見てみると、
セブンスターなんですよ。あんな辛いタバコをねぇ」


「神奈川のヤンキーだったんでしょ、
だから、タバコだってそのときのじゃないですか」
と、また、妻が口をはさんだ。

「すっぴんで来たときだって、きれいだったですよ。
で、映画のロケがおわって仲良く帰られたとおもった三日後に
離婚ですよ。驚きましたね」


 マツモトコーヒーの店主の話は
このあと、全国からこの店を訪れた客の数とか、
近所で、あぶないデカのロケがあった話とか、 語りつづけた。


 それは、ノスタルジアの含まれる
なんだかとてもあたたかな空間であった。
 そして、
時間が止まっているという感覚が、
みょうにひとを惹きつけるものだ、
ということを実感していたのである。      (2012.11.14)

信じなくてよい2016/10/28

霊魂を信じる、信じないという話と、
「そういう出来事にあう」という話はべつものである。


 ただ、我が家では日常的に「そういう出来事」がある、
というだけである。


 父が亡くなってすぐ、そのつぎの夜くらいだったか、
三階の娘たちの寝る部屋の窓のむこうから、
「ナナコぉ、ナナコぉ」という声を
ふたりの娘が聞いている。


「ナナコだれかが呼んでるよ」とユイが言い、
ベランダに出てもだれもいない。

 いるわけない。三階だから。

 それから数日後、息子が、

「おとうさん、なんでおれの部屋に入ってくるんだよ」
って、言うから、
「おまえの部屋なんか、ここ数年はいったことないぞ」
と、そしたら息子がつづけて
「おれと目が合ったとき、『おぅ』って言ったじゃないか」
と、言った。

 それを聞いた息子の母が、
「それ、おじぃちゃんだ」
と、すこし弾んだ声で言った。

 「おぅ」というのは父の口癖であった。

 わたしは、我が家では、死にながら生きている、というような
そんな空気を感じている。

 母が亡くなって、翌日、わたしは車で、
病院にさまざな書類を取りに向かったときだ。

 坂をあがったところが、母の妹の家なのだが、
そこで、うしろの座席が、ザッザ・ザと大きな音を立てたのだ。

 わたしは、まず、大型の鳥、カラスが入り込んでいるのかと
おもった。

 じつは、カラスではなくて、後部座席の枕がふたつ、
立ち上がったのである。

 うちの車は、後部座席の枕は通常、
折りたたんであり、人力でもちあげるしかけとなっている。

 だれもいないのに、このふたつの枕が
立ち上がったのだ。

 わたしはすかさず、母だとおもった。

「なんだ、母さんいたのか、いまから、
書類を取りに行くからね」と、だれもいない
後部座席に声をかけて、
神奈川の病院にむかった。


 このあいだ夜に、仏壇に線香をあげ、
声をかけた。

 「たまには、母さん逢いたいね」と。

 と、すぐに家のインターホンが三回鳴った。

真夜中である。

 わたしは、覗き窓から外をみたが、
もちろん、だれもいなかった。


 それが、母のしわざかどうかはわからない。

 ナナコがまだ結婚するまえ、
三階で、ナナコとふたりで、父と母の思い出話をしていたとき、
空中で、「チリン・チリン」と、それはそれは、
美しい鈴の音がしたのだ。


 娘は、目をまん丸くして
「なに?」と言った。

「聞こえたろ? おばあちゃん、来てるんでよ」
と、わたしが言うと、娘は、サーッと鳥肌を立てていたが、
そういうことは、日常にあるものなのだ。


今年の正月は、賑やかだた。

ふたり娘のご亭主もそろってうちにいて、
そこに息子とスコティッシュフォールドと、おまけのように
わたしがいたものだから、我が家の三階は、
駅のホームのようになっていた。


そのときである。

家のインターホンが三回鳴った。


もちろん、だれもいない。
たぶん、母だろう、とわたしはおもった。

妻や息子、娘はどうおもったかしらないけれども、
わたしには確信にちかいものがあった。


さて、妻や子どもたちに言っておくが、
わたしがこの世を去ったとき、
おれは、ふだんなにかとうるさい男だったが、
死んだあとは、しずかにしているから、安心しておけよ。

霊魂なんか信じなくていいからな。

テリーヌ2016/10/27

 アフリカのある部族では、牛の黒の模様すべてに
名前がついているそうだ。
 そうでないと、どれがじぶんの牛だか、
判明しないから。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、そこに群れいる牛は、
すべて「牛」としか認識できないだろう。

 土佐清水港は、日本有数のカツオの漁獲高をほこる。
そこに水揚げされるカツオは何種類かあり、
すべてのカツオに、なんとかカツオと名前がある。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、種々の無数のカツオは、
すべて「カツオ」としか認識できないだろう。

必要がなければ名前をつけない。
名前は記号だ。
記号というのは物体を区別する道具、
これをむつかしく言うと、
「世界分節の差異化」という。

分節とはものの見方をいう。

世の中は、記号によって差異化されている。

ヨーロッパ人は、魚を差異化しないから、
ほとんどがフィッシュですむ。

テリーヌにしてしまえば、
どんな魚が入っても分節する必要がない。

デビルフィッシュなんていうと、
タコでもイカでもサメでもエイでも指す。
みんな、おんなじに見えるんだろう。

ナチスドイツが、ドイツ人を見れば、
すべての人に名前と階級を認識した。
差異化である。
が、ユダヤ人をみれば、
すべてが「ユダヤ人」にしか見えなかった。
ひとり、ひとりの人格が見えなかったわけだ。
だから、大量に虐殺ができたのだ。
ホロコーストとはテリーヌなのだ。

アメリカ人は、イラク人をふたつに分節した。
「敵」と「味方」である。
この「敵」を「テロリスト」と名付けた。
そして、テロリストひとりを殺すために、
民間人27人がその犠牲にあうという試算を
知りながら空爆をつづけた。
だから、いっぱい民間人が死んだ。
つまり、ふたつに分節しながら、
イラク人は、イラク人としか認識しないから、
やっぱりイラク人のテリーヌができた。

戦争というのは、敵の「顔」を剥ぐことである。
ひとは、ひとりずつの「顔」を有するが、
つまり「顔」があるということは、
世界分節の差異化が行われたことである。
「顔」のあるひとを射殺することはできない。
しかし、テリーヌなら殺せるのだ。


沖縄のことを悪くいうアメリカの政治家がいる。
いま、沖縄がテリーヌになっている。

見えないものは見えないのだ。

「うち」のエクリチュール2016/10/25

 

ロラン・バルトは言語を三つの層に分節した。

国語にあたるものとして「ラング」。

個人の好みの言い方を「スティル」。

そして、生き方とセットになる物言いを「エクリチュール」と呼んだ。

だから、「おいどんは」なんてしゃべるひとは、

「おいどんのエクリチュール」となり、

飯はたらふく食べるわ、

着物は西郷さんのようになるわ、

歩き方まで「おいどん」の歩き方になる。

 

 さいきん、とくに気になるのは「うち」という一人称である。

そこで、「うちのエクリチュール」についてかんがえてみたい。

「うち」という一人称は、わかい女性のなかでは一般である。

もちろんこの話は、関東エリアにかぎるわけだが、

「わたし」でも、「あたい」でも、「わたくし」でもなく、

この「うち」という語の含意はなんなのだろう。

 

女子高校生の何人かに訊いてみるが、

半数くらいは「うち」である。

 

「うち」は、「内」でも「打ち」でも「撃ち」でもなく、おそらくは「家」なのだろう。

それも、この「家」は包括的な「家」であり、

肉親の血のつながりとは無縁の幻想的な「家」を作りあげているのではないだろうか。

 

つまりは、関西言語の影響もかんがえなくてはならないだろうが、

まず、言えることは、わかい子にとって、そういうしかたでもって、

ひどく使いやすい一人称を選択した、ということである。

ひょっとすると「わたし」や「わたくし」だと、

突出した「じぶん」が屹立するのかもしれない。

世界のなかのひとり、という責任もおびるかもしれない。

 

しかし、「うち」という、内実をともなわない「家」は

「じぶん」という人称の焦点の曖昧性を意味する。

じぶんを宣言するために、あいまいな家族の「場」を要請し、

その精神的なアゴラ(広場)のなかでみずからを代表するのである。

 

そういうしかたで現れた「じぶん」はいわば、

人称の弱体化以外のなにものでもない。

 

ワン・オブ・ゼムではなく、ファミリィ・オブ・ゼムである。

 

それは、どこかに身を隠す「じぶん」がいるのかもしれない。

目立ちたくない「じぶん」かもしれない。

ひどく弱い一人称である。

あるいは、それは、相対的自我構造の余波かもしれないが、よくわからない。

 

そもそも、携帯電話の普及による個別化がすすむ世の中で、

家族との縁も疎になってゆく現状に、

言語的には、たったひとりの確固たる自我をもつ「われ」ではなく、

家族のなかに沈潜するあいまいな

自我構造の「じぶん」という立ち位置を選択する、

このパラドクシャルな事況はなにに由来するのだろうか。

 

 

 個別化のすすむなかで、

自我の曖昧性がうまれるということ。

この理路を架橋するひとつの考量は「自己愛」ではないか、とわたしはおもっている。

 

みな、じぶんが可愛いにきまっている。

じぶんをできるかぎり傷つけたくない。

気づけば、携帯依存になりつつあるじぶんが、

まわりを見回せば、たったひとりの個となっている。

だれしも所属欲求があるわけだから、

こんなときこそ、幻想家族を要請し、

ナルシスチックな「われ」を出現させるのではないだろうか。

個別化ゆえの「うち」だったのではないだろうか。

 

 あくまで、これは推論であり、管見である。

そして、わたしの興味は「うちのエクリチュール」をつかっていた少女たちが、

いつ、このエクリチュールを放棄するのだろうか、ということだ。

 

世の主婦で「うち」なんて言っているひとを

聞いたことがないからである。

 

 

 

 

対幻想の衰弱化2016/10/20

吉本隆明の術語に「対幻想」という概念がある。

 このように、あたらしく作られる概念を「道具概念」とか、
「操作概念」とよぶのだが、
「対幻想」とは、「対なる幻想の共同性」という意味で、
吉本氏によれば、家族の本質は婚姻ではなく、
対幻想という、男女ふたりの心、意識、
あるいは観念の共同性であり、
そこには、男女ふたりで作る、豊穣で広大で深刻、複雑な世界があるという。

 芹沢俊介という評論家は、それを敷衍して、
「対幻想」は家族間でもありうるとした。

しかし、「対幻想」状態の家族は、しだいに減り、
いまでは、自己本位主義が台頭したという。

つまり、家族内部がばらばらになり個別化され、
統一性を欠くようになったのだ。


 このような一種の崩壊状態を「アノミー」とよぶ。
フランスの社会学者、E・デュルケームの術語である。


 自己本位状態は、強固に社会化されていたら
ありうるはずはない。

 社会とは、共有の価値、共有の信念が共同体の
各メンバーの行動を規定し、その結果、
その共同体が統治されている状態である。


 そこにはアノミー化や、自己本位状態はない。

そして、この自己本位化が、携帯電話の普及により、
さらに悪化し、社会空間のアノミー化をひきおこすことになる。


 ようするに、ひとのことはどうでもよい、
じぶんさえよければそれでいい、という個人化の傾向へと
導かれてゆくわけだ。


 そこで問題。

芹沢俊介氏のいう「対幻想は衰弱する」という
意見にたいして、賛成か反対か、あなた自信の意見を
明確にし、その理由を具体的に400字以内で論じなさい。


 これ慶応大学の入試問題。


さて、それをおれに書けと、言うので、
しかたなく書いてみた。


「対幻想」という操作概念の衰弱化は
おそらく加速度的にすすんでゆくだろう。

わたしは、筆者の意見に賛成である。


そもそも、文明は、ニンゲンを便利に
住みやすくするために発達してきたはずだが、
その文明の進歩により、ニンゲンはしだい文明にすがり、
言ってみれば横着になってきた。

ぎゃくにいえば、横着を謳歌するために
文明はあったといってもよい。
しかし、ニンゲンのための文明であったはずが、
その文明によって、
われわれは想像力やさまざまの本能的なもの、
あるいは人間性をうしなうようになった。

そして、文明の不可逆性は自明であり、
つまりは、むかしのようにはもどれないわけで、
そこに携帯電話の普及による個人化がすすみ、
携帯依存がさらに悪化するならば、
「対幻想」なる対人関係における
親和性はより希薄になること明白だろう。

子どもの遊びひとつを見ても、
ひとりはゲームを、ひとりは漫画を、
とばらばらなのが現況だ。

(398字)


 ま、いいか、悪いかはわからないけれど、おもったことを書いてみた。


不思議徳島2016/10/10

義母の四十九日に来ている。

徳島の家は、義母ひとりだったから、
いまでは空家である。すこし黴臭い。

 庭は草が生い茂り、高知から来た妻のいとこたちが、
せっせと草刈をしてくれた。

 刈られた草は燃やされ
白いけむりが空へと立ち上ってゆく。

 法要に来られたのは長女だけだった。
長男も次女も来られなかった。

 すでに嫁いでいる長女なので、
親子三人、顔を合わすのはひどく稀有なことだった。

 さすがに田舎である。トンボもカエルも蜘蛛もバッタも
自然のなかに溶け込むように暮らしている。


「ニンゲンはな、道具を使ったときから、
世の中の『外』で暮らしているんだ。
ほかの、動植物はすべて、世の中の『内』にいるんだな。
だから、お前もそうだろうが、虫が嫌いなんだよ」

「ふーん、そうなんだ」
ユイはどうでもいいような返事をする。


「おれは、どちらかといえば、世の中の『内』で
生きているんだな」


「ほんとかよ」
長女は、やや言葉があらい。


 と、台所でふたりで話をしていところに、
小蝿が飛んできた。妻が、すぐさま殺虫剤をまく。

 おそらく小蝿に命中したのだろうが、世の中の内側の
昆虫は、そのままどこかに飛んでいった。


 と、どうしたことか、わたしの腕に止まっているじゃないか。


それを見てユイが笑った。

「ほんとだ。内側だ」

庭に通じるドアに蛾がいた。また、妻がシュッとした。

そうしたら、そのままその蛾はわたしのところに
飛んでくるではないか。
まるで助けを求めるみたいに。あるいは、
最期を看取ってもらうかのように。


これを見て、またユイは笑った。


このユイという女は、父をどうおもっているのか。
おそらく、ものすごい変わり者とおもっているはずだ。

そして、尊敬も敬愛も情けもない。

歯を磨こうとして、洗面台に歯ブラシを取りにいき、
どこ見ても、歯磨き粉らしきものがないので、
これかとおもい、チューブから出したときに、
それが、クレンジングクリームだったことに気づき、
おもわず蓋をしめたら、ユイはわたしにむかって
ひとこと。

「ざまみろ」

どうも、育て方がまずかったのか、
あるいは彼女の生得的な性格か。

四十九日は、吉野川を渡ったところの、
真言宗のお寺で行われた。

そこには、義父も眠っている。

僧侶は、やさしそうな初老のかたで、
しかし、なにを唱えているのか、ほとんどわからなかった。

おまけに、ずいぶんと長いお経だった。


わたしどもは、椅子に座りながら合掌をしていたのだが、
その絨毯のうえにむこうのほうから這ってくる虫がいた。

ゲジゲシのお父さんのような風体である。

ムカデではない。が、妻もユイもなにしろ虫ぎらいである。

僧侶のお経中にもかかわらず、ふたりそわそわしている。

すると、わたしどものほうまで、
そのゲジゲジっぽいのがやってくるではないか。

妻は、逃げ出した。

ユイが、お父さん取ってよ、というのだが、
ま、いいじゃないか、しぜんの仲間じゃないかというような
素振りをしていたら、なんと、わたしの前で、
このゲジゲジ君、回れ右して、わたしの足元にくるではないか。

ユイが目を丸くしている。


後ろから妻のいとこがティッシュを差し出してくれたので、
わたしは、その訪問者を軽くくるみ、そばにあった紙袋にいれた。

寺で殺生はまずいでしょ。


法要がおわって、その話をユイは、おもしろそうに話す。

「すごいよね。お父さんのところで直角にまがってきたよね」


たしかに、わたしは世の中の内側にいるとか言ったけれども、
それは、九分九厘の冗談で、虫と友人関係にはない。


田舎はふしぎなことが起こるものである。


 今朝は、東京にもどる日である。

 ユイがゆっくり起きてきて、

「きのう、夜中にお父さんトイレに行ったでしょ」

「ああ、一時ころな」

「それから一時間くらいして、トイレのほうから、
白い、うーん、スカートみたいかな、そんなものが
廊下をすーって通っていったんだよ」

廊下はくもりガラスだから、人影がうっすら写るのである。

「でも、お父さんじゃないよね」

「うん、それおばあちゃんだな」

「そーか、お母さんがうえに上がっていったんじゃない」
と、妻が言った。


たしかに、四十九日までは魂はまだこの世に彷徨うが、
その日をさかいに、天にのぼるという。


 世の中はふしぎなことがよく起こる場所である。





保育園開園に反対しよう2016/10/2

 われわれの視線は「面」から「線」に移行してきた。

「面」というのは、ひろく社会を見据えて、
そのなかでの「個人」という立ち位置である。

「線」というのは、感情という旗頭に
みずからの権利を追求する姿勢だ。


日本国憲法は、「義務」よりも「権利」の比重が大きいと、
そう言ったのは石原慎太郎であるが、
それを鵜呑みにするしないはべつとして、
もし、憲法がそうなっていたら、ひとは権利を主張するものの、
義務を果たさない国民になってしまう。

 いわゆるモラルハザードが体現される場(アゴラ)に
日本がなってしまうということだ。


 そもそも、学歴社会の終焉とかいうが、
いま、教わっている先生がどこの大学の出身か、
ということを気にしている生徒や親がもしいるなら、
学歴社会は歴然と存在している。


 そして、教師よりも保護者のほうが学歴が高ければ、
とうぜん、上から目線ではないけれども、
言いたいことは言うようになる。

 その言いたいことは「面」ではない、「線」なのだ。


 「なぜうちの子だけに怒るんですか」
みたいな、馬鹿げたクレームをよせる。

「指導力がないんじゃないですか」
とか。


 すべて、社会を取り込んで、そこからの発言ではない。


 また、吉祥寺では、
私立保育園が住人20人の反対で開園を断念させられた。

 わたしの住んでいる街のとなりでも、
いま、反対の黄色い垂れ幕が壁に貼られている。

 「面」の発想というのは、じぶんたちは共同体のなかの一員である、
というごく当たり前の考量である。

 共同体のなかの一員という考えには、
「我慢」という負の重荷がつきまとう。

共同体感覚を身につければ、 
じぶんだけがよければそれでいい、
という安楽な生き方ができなくなる。

 しかし、そういう我慢、義務を国民が背負って、
国というものを支えてきたはずである。


 諸君の国が諸君のためになにをなし得るかを問いたもうな。
 諸君が諸君の国になにをなし得るかを問いたまえ。


 J・Fケネディの演説だ。


 ケネディは国民に共同体感覚、コミュニティの民度を
高めなさいと、そう説いた。

 いま、安倍さんが、そんなこと言うだろうか。
国民の安全とか、自衛隊とか、なんか
ほんとうの根本をつかんでいないような気がするけれど。


 「線」の思想やものの見方が横行して、
そしてまかりとおる社会。

 これが、宮台真司のいう「感情の劣化」というのだろう。

 じぶんの言うことが、すんなりとおる世の中は、
けっきょく、それでじぶんの首をゆっくりと締め付けてゆくはずだ。


 感情の劣化は、刹那的な有能感をひとにもたらせながら、
じわじわと、民度を下げて、最終的に滅亡への道をたどるのだろう。

 これから、われわれに与えられた、
ひどく至難な道ではあるが、そこにある宿題は、
クレームでもなく、○○反対でもなく、主張でもない。

我慢である。

言っていいものか、どうか2016/8/24

競馬好きのお父さんが
休日に娘を競馬場に連れて行ったそうだ。

「お母さんに聞かれたら、動物園に言った、
そういうんだよ」

 と、口封じである。


 で、いくらか損失を出しながら帰宅。

 「どこに行ってきたの」とお母さん。

 「動物園」

 「なにがいたの」

 「馬」

 「そ。そのほかは」

 「ん。馬」

 「ほかの動物は」
 
 「馬」

 「ちょと、あなた、動物園じゃないんじゃないの」


 ま、こういう話はありがちである。

 これは、またべつの父親の話。

「お父さん、遊園地連れて行って」
と、娘にせがまれ、かれは、いつも、
国道246号線にあるマクドナルドに連れてゆく。

そこには、マクドナルドの庭に大きなジャングルジムがあるのだが、
それを、娘には遊園地とおもわせているらしい。


 住まいは、マンションの6階。部屋は3DKなのだが、
ひとつは、奥さんのグランドピアノが占領し、
ひとつは、父親の釣り道具とレコードでぎっしり、
娘さんの部屋がない。

 「ね、パパ、わたしの部屋が欲しい」
と、娘がいうと、かれは、
「この家、すべてが響子ちゃんのお部屋だよ」と、
そう言っていたそうだ。

 ものは言いようである。

 しかし、ものも言いようではあるが、言ってはいけないこともある。

これは、またべつの話だが、

朝の会議で、ある社員は寝ぼけていて、
ほとんど、その会議の話を聞いていなかった。

 どうも、みな、真剣に悩んでいるようす。


 と、その社員に振ってきたのである。

「君はどうなのかね」

 なにしろ、なにも聞いていないものだから、
なんか、言っておけばいいのだろうとおもい、

 「はい、わたしでよければ、かまいません」
と、無難にその場を切り抜けた。

 無難に切り抜けたとおもいきや、
会議の席で大きな歓声と拍手が鳴り止まなかった。


 「そーか、そーか、頼むぞ」


 いったい、いま、なにが決まったのか、当のご本人さっぱりである。


会議が終わったところで、同僚にこっそり訊いてみた。

「おい、なにが決まったんだ」


 「何言ってんだよ。中国に転勤だろ、お前、いいっていったじゃん」

 かれは、知らぬうちに一週間後の中国転勤が決まってしまった。

 しかし、かれは、ビザもない身であるのに。

コオロギが鳴く2016/8/24

この世の終焉。

 

 すでに、数十年前に、ホーキング博士が、

「これだけ進んだ文明の星は100年もたない」と

断言されて、すでに60年。

 

 

 もう、そこにまで「終わり」が来ているのだろうか。

 

 わからない。

 

 だれにも、わからない。それは、ひとの命と類比的で、

死期を察知出来る人はそうはいないとおもうのだ。

 

 前にも書いたことだが、リップクリーム。

 

 あんなものを塗らないとくちびるがかさかさになる。

 

 ネアンデルタール人でリップクリームをつかったものは

たぶんいないだろう。

 

 

 マスク。

 

 北京原人でマスクをするという風習はなかったろう。

 

 

 日傘。

 

  藤原定家が、日傘で歩く、など『明月記』にあるわけない。

 

 

 リップクリームにせよ、マスクにせよ、日傘にせよ、

大自然に対して、私たちは、生身の体では対応できなくなっているのだ。

 

 

 これは、人類の滅亡の入口なのかもしれない。おわりのはじまり。

 

 

 で、そういうことと似たようなことを、あの内田樹先生も

おっしゃっているそうだ。

 

 

 内田先生は、もうこの世の中は、とりかえしのつかない状態にある、

そう言及されている。

 

 中沢新一先生は、にんげんが道具をつかったときから、にんげんは、

世界の外側にいると説いた。

 

 スマートフォン、あれなど、世界の外側のまた外側の

けっして「ありえない世界」と交渉する装置である。

いわゆる拡張現実。

 

 手触りのある現実ではなく、拡張現実のなかに生きてゆく。

 

 馬鹿学校につとめたていたとき、

馬鹿は、ほとんど休み時間にスマホをいじっていた。

それが、さもあたりまえのように。得意になって。

 

 オリンピックの演技を見ているとき、

演技者、選手のひとりとて、

試合中に、携帯電話などもっていない。

演技中に使用しているひとなど、いるはずもないが、

あの姿に、にんげんのプリミティブさが

投影されているのではないか。

 

 ようするに、スポーツをしている瞬間にしか、

にんげんの根本が残っていないのかもしれない。

 

 へいきで虫がきらいだというひとがいる。

若い子達のことごとく虫が嫌いだ。

 

 これが人類という動物、ホモサピエンスの終焉の左証なのかもしれない。

 

 世界の外側にいる、ということなのだから。

だから世界の内側にいるものと没交渉なのである。

 

 現実世界のなかにいるより、RPGの世界のほうがおもしろいなら、

仮想現実のなかに身をゆだねるだろう。

 それがにんげんの世界を終わりにさせているのかもしれないのだが。

 

 では、どうすればいいのか。

 

 ほんらいの人間性をとりもどすにはどうするのか。

 

その道はひとつである。

 

 不便になればいい。

 

 文明は、人類に便利さをもとめて進歩してきた。

が、その文明が、ニンゲン本来の能力を劣化させてしまった。

 

 スマホが普及してから、ともだちの電話番号を暗記しているひとが

何人いるだろうか。まだ、ダイヤル式の電話だったら、

そらで友人の家に電話できたものだが、いまは、ひょっとすると

家の電話もかけられないかもしれない。

 

 これは、便利さの極度の追求によって、

ニンゲンの能力を激減させたことの、例証である。

 

 防衛本能も種族保存の本能もすでに劣化した。

 

 だから、その本能をとりもどすには不便しかない。

 

つまり、まず、われわれはスマートフォンを捨てることだ。

 

 そこから始まらなければ、未来はないとおもうのだ。

 

世の中が終わる。それにはどうしたらいいのか。

 

 この喫緊の事況を打破するには、よほどのリーダーシップが必要となる。

 

 いまの総理大臣や政権野党は、

どうやって民衆から税金を奪取するかと、

どうやってアメリカのご機嫌をとるかに、

精一杯なので、まったく見込みがない。

 

 じゃ、在野の評論家たちに物申していただくか。

 

 しかし、いまの評論家たちは、実存主義の終焉と、構造主義の台頭を

目の当たりにした人たちである。

 

 実存主義なら、「こうすべきだ」みたいな、強行な物言いが

日常化していたが、その発話者にも、偏見やバイアスがかかっていると、

そう説いた構造主義は、こういう「しなくてはならない」のような

物言いをすべて排除したのだ。

 

 だから、内田樹も、中沢新一も、「こうしなくてはならない」とか、

「こうすべきだ」、という言い方をまったくなさらない。

 こういう言い方を「当為」というのだが、

 いまの識者は「当為」の文体を放棄せざるをなかったのだ。

 

 なぜなら、にんげんには、偏見がまじっているから。

 

 

 いまの世の中は、ポスト構造主義の時代といわれているが、

いまだ、この構造主義の思想がすべて消滅したわけではない。

 だから、当為の文体をみることはほとんどない。

 

 それは、たしかに、時代性として、もっとも正しい言説だったのだろうが、

その反動として、ファシズムのような、強権的な物言いもなくなったかわりに、

心から追随できるようなリーダーも失ったということにほからない。

 

 

 オピニオンリーダーの消滅である。

 

けっきょく、内田先生は、みずから構造主義を説明されながら、

みずからの言説の説得性まで、希薄してしまったという

パラドクにおちいることになるのである。

 

 この世で、だれに従えばいいのだろうか。

 

 みな外の世界で生きているだれに。

 

 庭では、コオロギが夜の世界を凌駕しながら鳴いている。

コオロギは必死で世界の内側で鳴き続けているのである。

 

 

 

布団2016/8/18

まだ父が存命のころだったから、
いまから20年ちかくまえの話である。

 そのころ、よく商店街の空いた店に、
スケルトンのままで、イベント会社風な団体が乗り込んでき、
老人相手に、やれ、玉子を無料で、きょうは、なにを無料で、
と、愛想よくやけにていねいに、慈善団体のように
ふるまってくれる店舗が現れた。

 これは、当時、よく流行っていた、ひとつの詐欺で、
最後に、高額なふとんを買わせる手口なのだった。

 なにしろ、ほとんどスケルトンだから、
明日には、もぬけの殻ということも可能であった。
 

 そこに父は毎日、通っていた。

わたしが、

「よしなよ、最後は、ふとんを買わさせるよ」

と父にいうと、父は歯をむきだしたような顔つきで、

「あの人たちは、そういうひとではないんだ」と怒った。

すでに、「あの人たち」と呼んだ時点で、
あ、これはすっかり洗脳されているなとおもい、
わたしは、それいじょう、父にはなにも言わなかった。


 世の中は、自由社会である。
自由社会とは、それなりの義務さえおえば、たしかに自由である。
 
 みずからの意志でみずからが自由になる、こんなしあわせなことはない。

 そのアンチテーゼが全体主義イデオロギーである。

 軍国主義や強権政治やヒトラーやムッソリーニの社会である。
全体主義は、たしかに、一人ひとりの自由は剥奪されるが、
なにもかんがえずに、ただ言いなりになっていればよかったので、
あんがい、それはそれで楽チンな面もあった。

 欲しがりません勝つまでは、とか、贅沢は敵だ、
とか、ああいうプロバガンダのもと、
しかし、人びとは、負のベクトルではあっても、
一致団結していたのだろう。


 が、社会が自由を取り戻すと、
それは、一致団結した平和と幸福を求めるのではなく、
個人の、平和と幸福を追求するようになる。


 そうすることによって、個人主義は、孤立主義的な方向にはしり、
ついには、利己主義、じぶんさえよければそれでいい、
という考量に横滑りに移行してゆく。


 つまり、自由を追い求めてきた近代社会は、
集団のなかにいながらも、孤立したひとたちを
再生産してゆくことになるのである。


 こういう、社会のなかに混じりつつ生きていながら
その中に孤立した状態を、
「大衆離群索居」という。

 世捨て人は、みずから、俗世間を離れ、極楽往生のために、
孤立する、いわば、積極的な「ひとり」なのだが、
「大衆離群索居」は、
自由と平和と幸福をねがった末の結果論であった。

 幸福を追求した極北が孤立であった。


 家族のなかにいても、孤独なお年寄り。

 そういう、間隙をぬって、このような詐欺まがいの商売が
横行したのである。


 「あの人たちは、わたしたちを歓待してくれている」

 孤独を埋めてくれるように錯覚させて。


 あんまり、自由すぎるとひとは孤独になり、
あんまり、強権的すぎるとひとは自由を奪われ、
あんまり、規制をゆるくすれば犯罪がふえる。


 いったい、どのへんの塩梅がいいのか。


 で、けっきょく、
父は最後に母のぶんあわせて二人分の布団を購入していた。

沼津に2016/8/18

「ついにメロメロの爺さんか」

開口一番、Nさんはそういった。
なにが言いたかったのかわからなかったので、
黙っていたら、

「あんな孫の動画なんてか送ってきてよ」

「あ、わかった、あれね」

「そーよ、なんにも動かなねぇ動画を送ってきて、
人んちの孫なんか見てもおもしろくねぇよ」

「そうでしたか、それははすみませんね」

「そーよ、みんなに話したけれど、みんなバカじゃねえかって、
そう言ってたぞ、おれだって、おれの孫の写真とか、
君に送ったことなんかないだろ」

「そうでしたね。はいはい、すみません」

わたしは、このとき、じぶんの初孫の写真や動画は

ひとに送ってはいけない、ということを認識するのである。


ひとの孫なんか、おもしろくも楽しくもないのである。



今日は、店を休んでNさんと沼津まで釣行である。

運転はすべてわたし。わたしの車。
Nさんが車を出したことは、いちどもない。

くしくもわたしの車が左ハンドルに
なってからは、Nさんはいっさい運転をしなくなった。

となりに、足を組んでどでんと乗っかってくる。

わたしよりも10歳も人生の先輩だから、
ここは、がまんである。


それでも、往復のガソリン代と高速代で3000円くれる。

これは、10年前とおんなじ。


「ね。沼津往復、8700円かかるんですよ、
この3000円っての、4000円にならない?」

と、わたしが恐るおそるお伺いをたてると、

「うるせぇな、昔から3000円って決まってんだ、
おれはこれしか払わねょえ」と、却下。


10歳年上の先輩だからしかたない。


川崎にNさんを迎えに行って、荷物を乗せ、
東名高速にはいる。


Nさんは、饒舌というより、おしゃべりである。

話がとまらない。


「このあいだよ、料理屋いったら、な、おれ、
鍋好きだからよ、したら、上手に飾ってあんだよ。
で、ずっとみてたら、なによ、つゆがインスタントじゃねぇか。
もう、びっくりで、もうおれあそこの店行かねぇんだ。
おれは、鍋にはうるせぇんだ」

と、エンエン話したときに、わたしが、
「Nさん、鍋じゃなくてもうるさいよ」
と、言ったら、

「なんだとぉ」
とか、ものすごく怒っていた。


今日は、車に乗るや、

「昨日な、近くの乗り物の博物館に孫つれていったんだよ。
女の子なのに、好きなんだ。
子どもだけじゃなくて、電車なんか好きな大人だったら、
楽しめるな。でよ、バスに乗せたら、
はじめて乗ったみたいで、気に入っちゃって、降りるよって
言っても降りないんだ。だから、無理やり降ろしたら、
えーんえーん泣いちゃってな」

「いくつ?」

「ん。2歳。で、おもしろいんだ。ナツキさーん、って呼ぶと、
はーいって手を挙げるんだよ。いま、保育園行ってるから、
そこで教わるんだな」

「ふーん」

Nさんは、もうひとりのお孫さんの話もはじめ、
その子も「アイナさーん」って呼ぶと挙手をする話をして、
相好を崩しながら、沼津までエンエンお孫さんの話をやめなかった。

今朝、わたしは、かれから、
ひとの孫の話なんてつまんねぇよって聞いたばかりの
朝であった。

MX4D2016/8/17

シン・ゴジラがおもしろいというので観にゆく。

ネットで調べると、MX4Dというのがあるので、
ちょっと興味がわく。


 なんでも、椅子が動いたり、風が吹いたり、
水しぶきもあがるというじゃないか。

 映画がフィックションであっても、椅子が動いたり、
風や水しぶきは現実だろう。

 それこそ、これはオーグメンティッドリアリティ、
つまり、拡張現実を体感できるチャンスじゃないか。


 で、映画館に問い合わせる。

 MX4Dというものがいかなるものかを確かめるためである。
それと、料金も確認したい。


 確かめると、椅子がうごくだけでなく、振動とかも
あるらしい。これはおもしろい。

 で、値段を訊いてみた。と、映画鑑賞の値段プラス1200円という。

 まてよ。映画が1800円とすると、それに1200円。
つまり、たったひとつの映画で3000円の出費となる。

 しかし、椅子が動いたり、風が吹いたり、
水しぶきに、それに振動である。


 ここは清水の舞台である。飛び降りるしかない。

と、わたしは、一念発起して、MX4Dというシロモノを
はじめて体感したのである。

 映画館にはいると、ずらりとならんだシートは、ひとつひとつが
セパレートのようになっていて、いかにも、これが
じゃじゃ馬のように動きますよというアウラをかもしている。

 荷物はひざのうえに抱えるしかない。
椅子が動くからだ。

 館内の照明が暗くなるや、
予告編がはじまる。と、すでに、ドンと椅子が沈む。

 これには、初体験のわたしはびくりとした。

 震度4くらいの地震に見舞われたときのような感覚。

 予告編からして、こんなに身体にくるのかと、
驚くやら、期待するやら。

 身体の反応を強制的かつ強引におしつける装置が
MX4Dなのだ、ということにいやがうえにも認識する。


 さて、本編のはじまり。

 アクアトンネル崩落事故。

ここから映画ははじまる。すでに、ゴジラ出現への予兆である。

 そして、椅子が揺れる、動く、沈む。
椅子の底のほうからマッサージ機のような振動。
そして、風。水しぶき。

 すごいぞ。

 わたしは、この空間にしばらく酔った。

 が、どういうわけか、MX4Dに身をゆだねていると、
なんだか、むなしい気になってきたのだ。

 映画というものは、二次元に映し出される映像に
わが身体をゆだね、平面なのに、そこに身体の反応というものを
導き出す装置だったはずである。

 つまり、映像だけで観客の身体の反応を参加させるのが
映画の真骨頂だったはずである。

 なのに、なんで椅子を揺らしたり、水しぶきをだすのか。

 それは、観客の想像力の欠如をことごとく証明していることに
ほからないのではないか、と、わたしはおもってしまったのだ。

 ようするに、観客の身体を利用して、映像は語りすぎはじめているのである。

 観客が、その画面から、地響きや吐き出す炎やらを想像しながら
楽しむ、というのが映画ではなかったのか。

 まるで、「これはこういうものですよ」と与えられた
誕生日プレゼントのようなものである。
 開ける楽しみは、本人にまかせてもらいたいものである。

 それをこの中身はこうですよ、と告発されてから開けたのでは、
快楽がひとつ減ったことになる。お祝いされる当事者は、
ただ、パッケージを剥くという行為だけが、
残されたことになる。

 開ける楽しみを奪うことが善なのか。
と、おなじく、想像によって身体に反応させるのではなく、
強制的に、反応させることが善なのか。


 MX4Dという装置は、われわれが想像力を失いかけている
という警鐘なのかもしれない。

お勉強の時間 近代合理主義とは2016/8/11

近代合理主義とはなにか。


現代にいたるまで、
ヨーロッパの歴史を大きく三分すると
古代・中世・近代とわけることができます。


古代ヨーロッパとは、ギリシア神話の世界、
多数の神々が、にんげんのように悩み、生き生きとした
時代でした。


が、中世にはいると、キリスト教の普及とともに、
王政の時代となり、人びとは、その専制的な政治に
苦しみむことになります。

これを後々のひとが、暗黒の時代と呼びました。
人々の唯一の救いは、教会でした。
言い換えれば、人々は、キリスト教的価値観だけで、
生きることができたとも言えます。


しかし、近代に入りますと。この封建制ヒエラルキーが
崩れます。王政の崩壊です。

人びとは、自由を手にすることができました。
そして、キリスト教的価値観からも脱することができたのです。

また、暗黒の時代を忘れようとしたのか、あるいは、
古代の人々のたましいを望んだのか、
自由を手にした人々はは、
古代の精神を見倣おうとしました。
これがルネサンスという文芸復興の精神です。

また、教会の必要性も薄れました。
つらい場からの逃避をする必然性がなくなったからです。
こういう教会の不要を唱えたキリスト教を「プロテスタント」と
呼びます。


さて、近代をむかえ、、
宗教的な価値観から開放された人々は、
理性的な判断を強いられました。

つまり、じぶんでものをかんがえ、
じぶんで判断しなくてはならなくなったのです。

自由というものは、そういう意味では
不自由なのかもしれません。

みずから思考放棄したいなら、絶対的な何者かに、
頼っている方がずっと楽です。

これが全体主義を産む根本的な理路です。


全体主義のなかに身をゆだねていれば、
たしかに、回れ右のような生き方なのですが、
その中に、楽ちんな自由が謳歌できるかもしれないのです。

話をもどしますが、
近代になり、理性的な判断をするようになったことを
「合理」といいます。

これが「近代合理主義」のはじまりです。


「合理」というのは「理性的にものごとを考える」ということです。

この時代に、デカルトという学者を輩出しますが、
かれが言ったのは「コギト・エルゴ・スム」です。

日本訳は「われ思う、ゆえにわれあり」。
つまり、みずから考えることによって、じぶんという
存在があるのだ、ということを言っています。


宗教的価値観にたよっていた人びとに課せられたのは、
「コギト・エルゴ・スム」であったわけです。


その中で生まれた学問が「科学」でした。

科学は、例外を好みません。科学で証明できそうもないことは、
科学の領域から除外しました。

だから、霊魂とか、にんげんの心理などは、
科学の分野から外されたのです。

 科学はいつ、どこで、それを計算や実験しても、
おなじ答えでなければなりません。これを普遍性とよびます。

普遍性とは、再現性のある状態をいい、あるいは、
例外のない状況をいいます。

 そして、科学は、どんどんと対象を、大きなものから、
小さなものへと推移させてきました。いまでは、
ミクロの単位を超えて、それより、はるかにちいさな単位を
研究するようになりました。

 対象をどんどんちいさなものにすることを「要素還元」といいます。
「要素還元」された科学が、いまもっとも課題としているのが、
いままで除外してきた領域もふくめ、もっと、大きな科学として
再構成できないものかと、そういう課題が取り上げられています。
つまり、「マルチサイエンス」の分野です。


と、話が現代にまでおよんでしまいましたので、
近代にもどします。


デカルトは、自然はにんげんに克服されるものだと説きました。

にんげんが自然を支配する、そういう考えです。
これを「デカルト二元論」、あるいは「物心二元論」とよびます。

つまり、二階建ての家で、二階ににんげん、一階に自然がいる、
そんな感じです。

きびしい自然のなかにあるヨーロッパですから、
それもやむをえないかもしれません。

しかし、デカルト二元論などの考えによって、
自然破壊が、今日までつづいてあることは、
看過できないことであることはいうまでもないことです。

おじぃちゃん2016/8/8

 娘に子どもが生まれたので、
わたしは、祖父ということになる。

 陣痛がはじまって病院に連れて行ったのが朝の六時半。
「産まれたよ」という妻のラインを読んだのが、
まだ昼まえだったので、ずいぶん順調なお産だった。

 わたしは、仕事があるので、娘の出産にも立ち会えず、
そして病院で、孫娘にも対面することはなかった。

 ご亭主の家族は、むこうのお父さん、お母さん、
そしてご亭主の妹さん、そして叔母さんまで、
病院で面会して、ガラス越しに寝ている初孫を
ずっと見ていたそうである。


 孫ができるということに、
どんな感慨があるのか、とても喜ばしいことではあるが、
それが実感として、あるいはどうじぶんで喜んでいいのか、
とても不器用にいる。

 ただ、気のおけないひとたちに、
もらった写メとか送って、祝意の返信をいただき、
「リアルおじぃちゃんだね」とか書かれると、
それはまでは、リアルではないにせよ、「おじぃちゃん」だったのかって、
しみじみおもうのである。

わたしはいつのまに加齢したのだろうか、
じつは、まったく意識にないのが不思議である。


青木という高校時代の友人が店にきて、
店の入口で立って笑っているのを見、
徘徊老人がまよって店の前で立っているのかとおもったら、
それが青木だった。


ごくまれに店に来てくれるのである。


青木が帰って、皿洗いをしている妻に
「あおき、ずいぶん老けたなぁ」っていったら、
言下に
「あなたと、かわりないわよ」とあっさり言われ、
友とはじぶんの鏡なのだということに
気づきもするのである。


そういえば、このあいだまで勤めていた
神奈川の高校では「ジィジ」と呼ばれていたから、
やはり、リアルジィジなのだろう。


今朝、娘が孫と退院するというので、
病院に迎えにいく。

「こはる」とのはじめての対面である。

病院の入口には、救急車が止まっていたが、
そのうしろにつけて、しばらく待っていると、
娘が白いちいさなドレスを身にまとった、
ものすごいちいさなものを抱えて出てきた。


車の後部座席を妻が開けると、
娘は、孫娘を抱きながら乗り込んで、
生まれて一週間の子の顔に近づけて
「こはるちゃん、ほら、おじぃちゃんだよ」
と、呼びかけた。


おじぃちゃん。


うーん、まだ、このネーミングには
なんだか慣れないじぶんがいることに、
やはりあらためて気づくのである。

小学6年生のころ2016/8/8

じぶんのしたくないことは、いっさいしない子でした。

夏休みは、自由研究はおもしろいので
かならず提出しましたが、
「夏休みのドリル」というのがあって、
毎日、天候をつけたり、
国語、さんすう、理科と学習のページもあり、
それがいやでいやで、けっきょくやらずじまい。

母から「あんた、宿題はいいの」って訊かれると、
「うん、なんにもないから」とうそをついていました。

と、8月の31日に母は、商店街で、宿題があることを
聞きつけてきたらしく「ちょっと、だいじょうぶなの」と、
わたしをせっつくのです。

「うん、もうおわっているから」とまたうそをつき、
はて、どうしたものか。明日には、このドリルを提出しなくては
ならない。

しかし、まったくの手付かず、白紙です。

おもいあまって、まだ小学校6年の浅知恵なのか、
わたしは、だいたんにも、このドリルを
糊で貼り付けて、簡単そうなところ、3ページくらいを
書き込んで、提出したのです。

あとから、カンカンに先生に怒られても、
もう剥がれませんから、いいやっておもったかも
しれません。

新学期になって、わたしは毎朝がひやひやものでした。

いつ、烈火のごとく叱られるのか。

ところが、先生はけっきょくおこりもせず、
わたしは無罪となりました。

あのとき、先生というものは、夏休みの宿題など、
見ないものなんだなってうすうす気づいたものです。


そんなわたしも、ずっと教師をしております。


しかし、いまでも、嫌いな跳び箱や逆上がりは
人生、いちどもしていません。

助詞ひとつで2016/8/1
 連休やお盆の高速道路の渋滞。

どうにかならいものかとおもう。

 はたして渋滞の先頭とはどうなっているのか、
信号も踏切もないのに
なんで、40キロもだらだらと渋滞するのか、
 いろいろ、疑問はおこる。


 むかし、地下鉄はどこからいれたんでしょうね。
かんがえると眠れなくなっちゃう、なんて
漫才があったけれども、

 渋滞の先頭ってどうなってるんでしょうね。

 
 なんて本気でいいたくなるのである。
頭にくる。

 で、警察ときたら、この渋滞に、もっとも左側の車線、
ここは緊急車両がとおるところだが、
そこをズルしてとおる車を待ち構えているのだ。

 この渋滞の解消を、全力をあげて解決する方策を
かんがえずして、そういう違反車両を検挙することに
躍起になっている。

 だから、警察っておかしいのである。

 さいきんは、検挙率が2割をきって、先進国ワースト2位になったくせに、
そんなちまちまとなさけない取締をする。


 ま、それはそれとして、それより頭にくるのは、
その渋滞のなかにいたときである。

 だらだらとアクセルとブレーキを踏みながら、
追突しないように走っているとき、
高速道路脇の電光掲示板にこうある。


 「ここから渋滞20キロ 75分」

 これが頭にくるのである。

 たまに、べつにこういうのもある。

 渋滞のさなか、「スピードおとせ」。

 落ちとるわい。

 ま、それはそれとして、「ここから渋滞20キロ」
むかつくじゃないか。

 わたしは、それまで、渋滞のなか、
のろのろ運転していたのにもかかわらず、
なんで「ここから渋滞」なのだ。

 いままで渋滞していのだ。なのに、なんで「ここら」なのか。

それじゃ、いままでのわたしの苦労はなんだったのか。
「ここから渋滞ね」

はいはい、わかりました。じゃ、いままでの数十分は、
渋滞ではなかったのね。
すこし、ゆっくりだけれども、渋滞ではなかったのね。

 ね、そうおもうでしょ。

 道路交通財団もすこしはがんかえてもらいたい。

 ドライバーの心理というものを。

 なにが「ここから渋滞」だよ。

 もっと前から、そしてこれからも渋滞なんだよ。

 で、そういうわたしの怒りがどこに起因するかといえば、
この財団の言語能力の低さにある。

 たったひとこと、この電光掲示板に文字をいれれば、
この平和主義者のわたしを怒らせずにすむのである。

 つまり、掲示板にはどう表記すればいいか。
わたしが教えてしんぜよう。

 この表記はこうである。


 「ここらからの渋滞 20キロ 75分」

 「の」を入れるだけで意味合いはずいぶん変わるのだ。
 

歩いてほしい、坂がある2016/7/31

 

電車に乗ったらマンションの宣伝が目についた。

「不動前、かむろ坂」

うん、坂に名前がついているのは
じつにうらやましい。

 

我が家などは、坂の中途にありながら名前がない。

うちの坂は、めずらしく下って登って、一直線。

だから子どもたちの友だちはよく写メを撮っているらしい。

坂を登りきったところに、岩下志麻さんが住んでいらっしゃる。


さて、
川にも山にも名前があるのに、どういうわけか、
坂には、名前があるほうがすくない。

オランダ坂。道玄坂。権之助坂。菊坂。

やはり趣ぶかい。

かむろ坂、いいではないか。

が、その宣伝には、「不動前、かむろ坂」という文字より、
半分くらいのちいさな文字でこう書いてあった。

「歩いてほしい、坂がある」

このキャッチコピーはどうなの?

なんだよ、脚の悪い爺さんに言ってるんじゃないんだよ。

「爺さん、歩いてほしいんだ、歩ける? ほら坂があるよ」

ね、そんなふうに聞こえないか?

だから、
「歩いてほしい、坂がある」は、
「歩いてほしい、坂である」と
ほとんどおんなじに見えるのである。

なにが、このキャッチコピーをひどくしたかというと、
読点(「、」)である。

「歩いてほしい、」

ここに読点(「、」)を挿入させてしまったことに
由来する。

たしかに読点は
現代の文体には不可欠な記号である。

わたしのかわいい、妹の人形。

わたしの、かわいい妹の人形。

これを見れば一目瞭然だが、
読点の位置によって「かわいい」の修飾場所が
ずれてくることがおわかりだろう。

でも、ここではこの記号の存在が
すべてを台無しにしている。

では、どうすればいいのか。じつに簡単である。

もっとシンプルにして、読点というめんどくさいものを捨ててしまえばいい。

それがこれ。



「歩いてほしい坂がある」

どうだろう。
このほうがはるかに
高尚で文学的でさわやかなのだ。

楽しさとは2016/7/29

 「よく、学校がつまんないって言っている生徒を
見かけるが、じつはじぶんがつまんないニンゲンだ
ということを証明してるだけ」


 と、自明とまではゆかないまでも、
いつもおもっていることをツィートしたら、
ふだんの10倍のインプレッションだった。


 リツィートも10件あった。レアなことだ。


 面白さというものは、向こうからやってくるものではない。

面白さ、楽しさというのは、
砂浜から桜貝を拾うように、どこにでもある中から、
じぶんで探し出すものである。


 砂浜はどこにでもある。しかし、桜貝をさがすのは、
そのひとの、積極的な働きかけである。

 桜貝が「ここにありますよ」って告発することはない。

 絵画の本質は額縁にありは、チェスタートンだが、
チェスタートンが言うことは、
横に細い額縁にキリンは描けない。
額縁にあわせた対象物しか描けない。
が、決められた空間でも、そこから創造は可能だ、
ということを、イギリスの批評家は言っているのである。


 つまり、学校というかぎられた空間で、
かつ、校則という縛りのなかで、
それでも、そこから創造性は発揮されるだろうし、
楽しみも、見つかるはずなのだ。


 いつでも、パレードが現前するわけではない。

 それが「生きる力」というものだろう。

 そんな、簡単なことなのに、ツィッターでは
むやみに反応するものだから、
むしろ、わたしは、むしろ心配になってくるのだ。

 
 ♫ しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだよ

 水前寺清子もそう言ってるじゃないか。


 自転車には、まずさいしょから乗れる子はいない。
倒れながら、補助輪をつけながら、
徐々に、慣れてゆき、しだいに、身軽に運転できるようになる。

 慣れてくれば、自在に右にも左にも曲がれることができ、
つまり、自転車を支配することができるのだ。

 そこに、ひとは幸福を感じるはずである。

 たしかに、自転車というひとをはこぶ装置はあるが、
それを自在に動かすことは、そのひとの努力である。


 こういう幸福論こそ、ニーチェの説くところであって、
しあわせは、みずからが作り出すものなのである。


 それができないひとは、よくひとの話を聞くことだ。


 マツタケの山があったとする。
その山の管理人が
「いまから、マツタケの取り方を教えっぺ」
と、マツタケ攻略術を伝授してくれた。

そのとき、そのすべてをノートに書くやつ。

うんうん、って聞いているだけのやつ。

まったく聞かずに寝ているやつ。

「んだ、そんじゃ、山さ行ってみんべ」
と、言って、自由時間となる。


ノートに、そのノウハウをしこんでいるやつは、
「あ、あった。ここにも」と、
管理人の言われた通りに行動するものだから、
マツタケをおもいのままにゲットできる。

 聞いているだけのやつは、
どこか情報が抜けるので、ノート君ほどの収穫はない。


で、寝ていたやつである。

「なんだよ、この山はよ、なんにもねぇよ」
と、ただふらふら歩くだけである。

で、なんにも取れずに帰宅してひとこと。

「あの山、つまんねぇょ、なぁんにもねぇからよ」

いいんです、それで2016/7/27

わが街の、ふれあい通り商店街は、
きょうと明日は盆踊りである。


 たくさんのひとでにぎわう。

 え、こんなにたくさんのひとが
暮らしていたのかいってくらい、集まる。

 いま、屋台が10台くらい作られている。

お好み、やきそば、ヨーヨー釣り、たこ焼き、
どこの祭りにもあるような屋台がならぶ。


 なにしろ「ふれあい通り」だから。


 商店街の役員さんも、きっとご心労のことだろう。
お疲れさま。


 盆踊りの中心が、じつはうち