つい数週間前、「全体主義とは」という
ブログを書いたものだから、
それを塾の生徒さんにも現代文の授業中に
読ませたのだが、その中にある「ポピュリズム」
いわゆる大衆扇動主義について、
それとほぼ同等の内容が、今年の慶応大学、文学部の
AO入試の問題になったので、わたしの生徒さんは
ずいぶん助かったと聞いている。

 

 ポピュリズムと民主主義との違いについて
論ぜよ、そんな問題だったらしい。

 

 

 今日、母校の小学校で、
創立85周年を祝う集会に出席した。

 ゲストティーチャーという肩書で、
同窓会を代表して、児童約300名の前で、
小学校の歴史などを語れという
ミッションであった。

 副校長からは、
小学一年生もいるのだから、
わかりやすいことを話してくれという
宿題までついていて、
それなら、おれに頼むなよ、とおもいつつ、
出席する。

 

 おはようございます。


このたびは、創立85周年、まことに
おめでとうございます

ところで、みなさんは
スマートフォンを持っていますか。

 と、何人かが挙手をした。  

 

そうですか。じゃあ、ゲームなどしますか。

 

 と、かなりの児童が手をあげる。

 

 うん、じゃ、ポケモンGOしているひとは?

 

 すると、数名が返事をする。

 

 ふーん、まだやっているんですね。
でも、もう、すくなくなったね。
あのゲームって去年だよね。
でも、もう、みんなやらなくなったんですね。

 

 

 じゃ、話を変えますが、妖怪ウォッチの体操
しているひと、いますか。


ヨーデル・ヨーデルっていうやつ。

 

 それでも、数名が手をあげる。

 

 ずいぶん流行りましたね。
でも、もう、みんなしなくなっている。

 あんなに流行したのに、もうみんなやらないんですね。

 

 いつ、そのものが流行らなくなるか、わかりませんね。
と言うことは、来年、なにがなくなるかわからない、
ということにもなりますね。

 世の中というものは、そういうものなんです。

 

これから、わたしが話すことは、ちょうど15年前の話です。

 15年前というと、総理大臣が小泉さんだったころです。
そのとき、本校の児童数は、120名を切っていました。

 ね、今日のみなさんの三分の一くらいの児童数です。
で、大田区では、児童数の少ない学校は、
もうなくしてしまおう、という考えがあったんです。

 じっさい、何校かは、それでなくなってしまいました。

 こんな話は、おめでたいときにもうしわけないのですが、
じつは、つぎのやめてしまおうという学校が、
この学校だったわけです。
むつかしく言うと
統廃合で廃校になるということです。

 

 ところが、地域のひとたちが、
「この学校をなくさないでください」と
役所のひとに頼みにいったわけですね。
いま、登校してくるとき、緑の帽子をかぶって、
旗を振ってくれているおじさんたちや、
その先輩たち、そんなひとたちが、行政にはたらきかけてくれて、
ほそぼそこの学校は残りました。

 


 地域と密着した環境のよい学校だということが
もっとも大きな理由でした。

 

 が、しかし、
区議会では、すでになくなってもいいですね、
という議決はとおってしまっています。

 だから、この学校は、いつなくなっても
だれからも文句が言えないわけです。

 しかし、東京工業大学に手伝ってもらった、
理科の実験校となってからは、たくさんの児童が
あつまるようになり、
いまでは300人を越すようになりました。

 でも、いつ、児童数が減って、この学校が
なくなるかわかりません。

 来年、あるいは数年先はどうなるかわからないからです。
なくしたくないですよね。じぶんの学校を。

 

 ところで、
みなさんの夢をかなえてくれるのは、学校です。

 けっしてディズニーランドではありません。

ディズニーランドは夢の世界とか言いますが、
ほんとうですか。


だって、ディズニーランドから帰ってきた子たちは、
電車の中でぐったりして、戦いに負けたように
なっているじゃありませんか。
夢の国から帰った姿じゃないでしょう。

 

 夢の国は、みなさんの胸の中にあるんです。

 

自転車に乗ることできますよね。

 さいしょは、自転車に乗れなかった。
「おかあさん、後ろ、離さないでね」とか言いながら、
ふらふら乗っている。ほんとうは、もう、後ろを
支えていなかったり。

 

 でも、そうやって、しだいに自転車に乗れるように
なっていまきしたね。

 

 じぶんで自由に自転車を
操れるように、夢というものは、
じぶんの中から見つけてゆくものなのですね。

 外から与えられるものではない。

 その夢をかなえてくれるのが、あなたがたの
教室だし、校庭だし、この体育館なのです。

 

 その学校がなくなったら困るでしょ。

 

 そこで、わたしからお願いしたいことはひとつです。

 

 学校がみなさんになにかをしてくれる、与えてくれる
ということではなく、みなさんが、この学校になにができるか、
それを考えてもらいたいのです。

 たくさん学校から得るものがあるはずですが、
それと同時に、この学校をなくさないためにも、
学校へなにかをしてもらいたい、そういうことです。

 

 そのなにかは、かんたんです。

 

 うちに帰って、「学校、おもしろかったよ」
「学校、楽しかったよ」と、お父さんやお母さん、
おじいちゃんやおばあちゃん、近所のひとにそう言ってもらう、
それだけでいいんです。

 それがこの学校を守ることになるからです。

 どうですか、言ってもらえますか。
もらえるというひと、拍手。

 と、体育館には三百のちいさな手のパチパチと
言う音がしばらく続いて、わたしの話は終わりになる。

 

 子どもたちに、この話が伝わったかどうか
わからないが、わたしの言いたいことは伝えたつもりだ。

 

 

 しかし、種明かしをすれば、
この国があなたたちになにをするのかを問うのではなく、
あなた方が、この国になにをすべきかを問いなさい、
というフレーズは、周知のとおり、ケネディ大統領の
就任演説で、その「国」を「学校」に置き換えただけだし、
自転車に乗れるようになる幸福論は、あれは、
ニーチェの言説だから、わたしの考えは、そこになにひとつない。

 

 いわゆるパクリである。

 

 全体主義の話だって、小森陽一の『法、民主主義』を
なぞったものだから、わたしがエラいというものではない